往時の戦跡 広島市東区、二葉山高射砲台座跡181228
往時の戦跡 広島市東区、二葉山高射砲台座跡181228

 広島市東区。本文は、広島東照宮から二葉山平和塔をめざして、登坂中をおもいだしながら、記載。

 「とはん」は「登攀」なのだろうけれども、現在では「登坂」とも置換できるようで。

 環境依存種文字でチェックされぬかと、不安があるも。

 二葉山平和塔。外からみると、れっきとした仏舎利塔ながら、ここではそうは、称さず。

 その<いわれ>はいずこに。
 その理由は山頂にある掲示をみると判明するも、二葉山には「平和」に思い入れる、もうひとつのファクターが。

 二葉山には、山頂ちかくに高射砲がすえられていた。広島市民を、広島の地を守る空中戦迎撃を期待された設備。



 昭和20年8月6日午前8時15分。
 広く周知の原子爆弾が世界ではじめて投下される。結果として、高射砲の設備の文字通り「手の届かぬ」地点、高度で世にも悲惨きわまりない惨事の、点火が。

 結果、二葉山高射砲の<おヒザ元>東照宮では、屋根瓦拭きの<翼廊=よくろう>こそ炎上をまぬがれたが、茅拭き屋根の東照宮本殿は、焼失した。
 原爆の痛撃ではないあ、と。痛撃で発生した火災の火の粉が舞飛び、瓦屋根は防火となったがカヤ屋根はもろかった。
 ここはガイドボランティアさんの丁寧な解説。

 守れなかった、ではない。機能しなかった高射砲。
 そのヨスガは、写真の高射砲台座跡に確認できる。写真の穴。ここが支えとなって、往時は市民にとって実に頼もしい高射砲が、それこそ凜々しく輝いていたはずなのだ、が。181228午前11時15分。​