処理の名案 漁場の拡大 マグロ漁業ー後ー


処理の名案 漁場の拡大 マグロ漁業ー後ー
 友人の紹介で、米町にお住まいの川出末蔵さん(七七歳)という方から、この時期の末広かいわいのお話を承ることができた。大正十年生まれの川出さんにとって、昭和十年といえば十四、五歳の時である。

 錦町の市場に出刃包丁もって、マグロ解体のアルバイトに行った。二人一組で身の丈ほどのマグロから、頭・尻尾・内蔵をとる作業だった。五人家族の家で十銭も出したら、ハラスやトロの美味いところを、それこそ二束三文に呉れた。赤身のところなら百匁(約三百七十グラム)で三銭。(マグロを)ネギで和えてミソ汁にして食べた。
 金輪の馬車に魚を積んで運ぶ。山盛りに積んで運ぶものだから、馬車が揺れりゃあ魚を路上に落として歩く。ババガレイ・マガレイは金だして買ったが、ほかのカレイならみな魚粕にされた。

 野坂朔五郎さんの回想録に、獲れすぎたマグロの処理に困り昭和九年の産業博覧会で良家の子女を対象に料理教室を開いた、とある。
 『三ツ鱗釧路魚市場史』によれば、昭和十一年に入舟市場を閉鎖して錦町を本場とし、大町に分場を開設したと言う。魚扱いの拠点は、とうとう釧路川をわたり錦町に移転した。