四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』


四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』.

 ある意味、鎌倉のイメージ革新、そこを迫る.
 鎌倉は今に連なる、首都圏の一翼.源氏の棟梁が開府したことは余りに著明.しかし源氏三代、北條一族の継承後は歴史の視野から消える.しかし源氏・北條・足利・上杉の四氏に受け継がれ、「十五世紀の半ばまでは繁栄を続けた」(「はじめに」 ⅳ).

 イメージ革新.最初は、鎌倉開府の要因
 1)海に面し、中央と房総半島をむすぶ交通の要衝 2)源氏ゆかりの地 3)東・西・北の三方を山で、南を海に面する要害の地(5~6p).
 2)、3)は注目されたが、1)は相模国以外の地では意外なのかも.
 
 都市イメージの革新.その二は、北條氏滅後の鎌倉.
 そこを考古学の成果から、「(鎌倉の遺構・遺物は)十四世紀を通じ質・量ともにそれ以前と変らない」(102p)と示す.結論を言えば「(室町幕府の)鎌倉府の都(評者注=東国経営の拠点ということか)として繁栄をとげていた」(同)とする.

武将イメージの革新.
武将イメージとは大げさかも知れないが、上杉氏が「鎌倉公方」(144p)として鎌倉に存在感をもち、関東管領の補佐役から近世大名に転じて東北・山形で存在感を示した.信州での上杉を知る人は多いが、その出自が鎌倉にあった点を示してある意味、<下克上>の豊富化を読ませる.

著者は鎌倉新仏教の思想構造も手がけ、山形に奉職しながら本書で「鎌倉」を、書いている.
「寺としての鶴岡八幡宮」(15p)や、「遁世僧たちを核として成立した教団の仏教が鎌倉新仏教と考えている」(30p)は、前者の業績によるものか.他方で、上杉謙信の登場に一章をもうけて刮目させるは、後者のなかで培った問題意識かも.(中公新書  1997年).