史跡 国泰寺跡(厚岸町
史跡 国泰寺跡(厚岸町).
 1)江戸時代の佇まいを今日に伝える.
 国泰寺は善光寺・等澍院とともに蝦夷三寺の一つ.幕府が文化2年、厚岸の地を選び、建立をきめた.本州から蝦夷地に出張する役人、庶民の定着・慰撫を図り、蝦夷地の教化と法務活動を行なわせるために建立したものである。



 2)東方社会の輪郭と寺院文化を体現
 寺は金地院<こんちいん>配下の鎌倉五山(鎌倉)の末で、国泰寺の活動範囲はトカチ・クスリ・アッケシ・ネモロ・クナシリ・エトロフの6場所であった.初代住職には、相模国津久井郡青山村光明寺の文翁が、建長寺末寺住職から任命されている。



 3)重要文化財の在地保存
 寺には、山門、東面する本堂、天保6年の石仏、天保13年建立の仏牙砂利塔、歴代住職の墓所があるほか、東方の丘上には竜王殿・馬頭観音堂・神明社跡などがあり、建物の改修等により旧規を残すものがないが、よく江戸時代のたたずまいを今日に伝えている。