藤井忠俊著『国防婦人会ー日の丸とカッポウ着ー』
 藤井忠俊著『国防婦人会ー日の丸とカッポウ着ー』.
 昭和6年から10年.「日中戦争の銃後形成史」(214p)を書いてある.なぜ、国防婦人会か.「日本ファッシズム形成過程で、それが唯一下からつくられ、庶民的性格をもち、かつ最多数の会員を得た組織として、民衆が戦争にかける場合の典型例」(「あとがき」 同ページ)で、明快に述べる.

 本邦近代の銃後形成に愛国婦人会があったのに、なぜ国防婦人会か.ほかにも大日本連合婦人会があったし、在郷婦人会、産業組合婦人部もある.銃後形成に参加する、しない.また、参加して献金、見送り、出迎えと事業・運動を拡張してゆく対応を、「(非常時の)不適応から適応へと変わりうるチャンネル」(5p)と、とらえる.

 満州事変.疲弊した東北の貧困者から戦時犠牲者を出す(4p).鉄兜を与えられずに戦場にかりだされる装備の貧困.かくて<鉄兜献金>が始まる.非戦闘員の<非常時適応>が、始まることになる.
戦場に派遣される兵員が、大阪港から大陸にむかう.見送りにくることのできない母郷の実家の母代わりに、<せめて>と港頭で見送る動きが広まる.上流家庭の婦人がつらなり内務省の後押しをする愛国婦人会は慰問袋に経済支援をするも、見送りという体と時間をさく営為はある意味中流の婦人に、担われる.フトコロとモノ、労力と気持ちに対象的な<棲み分け>がある.違いをシンボル化するのが、カッポウ着と、やがてタスキ.

大阪の動きは、東京に点火する(53p).背後には陸軍省が後押しし、内務省-愛国婦人会(愛婦)、文部省-大日本連合婦人会(連婦)、陸軍省-国防婦人会(国婦)と、系列化がすすむ.大日本婦人会(日婦)
銃後をささえて、婦人会もやがて統一への道は必然.大日本婦人会(日婦)に一本化する.スタイルもカッポウ着からモンペにかわる.モンペは決戦期の時代である.他者に対する「見送り=お世話」から、隣組・生活必需物資の配給と防空演習で<自己生活の維持>の「労働」(198p)に転じていく.そこを運動の「自己撞着」(213p)と位置づける.

読んでいておもう.柳条湖は「死ぬこともある戦い」、盧溝橋で「死ぬかもしれない戦い」、太平洋戦争は「死なねばならぬ戦い」.その銃後をまもるなかで、「国民の一過性の興奮をこえた行動様式」「非常時をテコにして台所経済とその財布をしっかりにぎった婦人群像が映しだされる」(212p)とする.
さまざまな動きとそれにともなう膨大な犠牲.それが「正義の戦争」、このキーワードですべてが<駆り立てられた>点に、合致するとも、<そうであったのか>とも考えさせらる.(1985年4月 岩波新書)