門柱も皆かりの世 『世間胸算用』
  門柱も皆かりの世 『世間胸算用』。ご存知、井原西鶴の代表作のひとつ。

  この歳になって恥ずかしながら、井原作品を日本古典文学大系(筑摩書房 版)で斜め読み。

  『世間胸算用』は、<大つごもり>の諸相を書いたとされる。かわったことばかり起きる世の中にあって、<この日>は確実に<来る>。来るだけでなく、<成算>が待っている。

 舞台は民家の庭。<ない袖は振れぬ>とばかり、借金取りを追い払う。そのために、あわれ近づいたニワトリの首がとび、狂気に恐れた借金とりがホウホウの態(てい)で、逃げだすなか。

 歳の若いツケ取りが、庭に面した縁から冷静に眺め、「返すことができぬなら、(新築の)家の柱はまだ貸してあるだけ」「柱をはずして帰る」と、債務者の<痛いところを衝く>。

 <痛いところを衝かれた債務者>は、さきのニワトリを吸い物にしたて、借金取り追いたての指南をあらためて、仰ぐ。

 その若者は、指南する。「にわかに夫婦喧嘩の狂言を仕組むこと」。その甲斐があって、「年末の支払いをうまく切り抜けたが」が、他方で「大宮通の喧嘩屋」のうわさが。

 井原西鶴の話をきくたび、かつて『日本経済新聞』に渡辺淳一作「失楽園」が掲載されていたことを思い出す。山手線の電車で手にしていることの多い『日経新聞」。多くの人が作のストーリーを承知ながら、「あの男も読んでいる」。

 ビジネスマンは、疲れているということ、か。そこには平成も元禄も、ない。