大石 学著『こころをよむ 江戸から考える日本人の心』。 
大石 学著『こころをよむ 江戸から考える日本人の心』。 あらためて、江戸時代。「身分制の制約」「鎖国」「飢饉・災害・一揆」に、「平和な時代」「文明化」だけではなく、実は「現代へとつらなる江戸時代の心」があるのだとする(004ー005p)。

 戦国大名3人をホトトギスにたとえた「なかぬなら」は、『甲子夜話」に所載のもの(009p)。薩摩国、松前・対馬・長崎に外国とのルートがあったとするのは、雨森芳洲(1668ー1755年)著『隣交始末物語』に記載があるということ(032p)。

室町期の宝徳2年(1450年)から享保5年(1720年)の間に、95万ヘクタールの耕地面積は300万ヘクタールに拡大した(059P)。いわゆる「大開発の時代」。
 なぜ大岡越前は江戸の人気をさらった、か。その虚像と実像。実像の面で「大岡裁き」のなかで実際に対象となる件数は歴史家の見るところ一件(092P)。では、なぜ人気があった、か。「評定所一座に居つづけた人物は、大岡一人」、「町奉行の就任期間の長さ」「(江戸の)本格的な都市政策に取り組んだ」(093p)。「勘定所と競合・対立しつつ」(096p)も、地方の「農政官僚としての活躍」(094p)にあると、する。
 
 むすぶに、江戸期をつうじて発展してきた日本人の合理的、発展的な精神は、「私たちに理解可能な、私たちの心と連続したものとしてとらえることができる」(189p)と、まとめる。

 江戸時代265年に「徳川の平和」が、言われるようになった。なぜ、平和を維持できたか。また、その政権に破たんの時が、きたのか。
 譜代大名や旗本などが担ってきた「幕府官僚」による国家運営を、朝廷官僚や藩官僚を加えた「新政府官僚」が担う「権力構造の変化」(189p)と、説明する。

 実に、シンプルに仕分けされている。(日本放送出版協会 NHKシリーズ 2011年)。

編集 freehand2007 : 昭和天皇さんの侍従を徳川さんが、お務めになっておられた記憶がありまして。どうしてかなー?。どうも答えは、「徳川に退位をせまったのは天皇ではなく、薩摩が」と考えておるのでは、と。これの方がいいすぎでしょうかねー。かきこみ、ありがとうございます。
編集 ペン : 江戸は世界に稀に見るエコな町でした。数学だって世界一・文字の読めるのも世界一・そしてベルサイユにも無かったトイレが完備(笑)その江戸の全てを悪と談じたのは明治の成り上がり者と言ったら言いすぎでしょうかねぇ^^