町田忍著「あ~極楽銭湯史」。
 東京型銭湯様式(82p)という概念があるらしい。

 唐破風屋根のついた立派な外観、天井の高い脱衣場、富士山の背景画や庭の豪華な点(78p)。呼んで「極楽空間の構成」と評するのだそうな。

 銭湯は北陸出身の経営者(83p)によって、東京を中心に盛時をきわめた。経営にしても需要にしても、「他所者」の集まりが、集団浴室の外部サービスをうみだした、か。

 富士山の絵。神田猿楽町の「キカイ湯」で、はじまった(81p)。女性客が子連れで来るところから、こどもの関心を引くため、広告代理店が考え出したと、ある。

 男性浴室には富士山、女性のそこには子どもの関心寄せる動物、汽車etc。

 銭湯は、情報交流の場。指名手配の犯人似顔絵含めて、広告掲載場であるのはコミュニケーション機能の核にあるから。(『知るを楽しむ』 日本放送出版協会 2008年10月)