自家撞着
 先日、人から言われた言葉に憤慨する人を見ていて思い出したので書いておきます。

 子どもの頃、こんな愚痴をある大人から聞きました。
 その人は未成年の頃から書いていた日記帳の最初のあたりを、たまたま二十も三十も歳上の人に読まれてしまったのだそうです。日記帳の持ち主は日記を読んだ歳上の人から、「こんな幼稚な考えばかりの日記を書くあなたはその程度の人間だ」というようなことを言われたらしく、酷く憤慨していました。正確な言葉を書くつもりはありませんが、かなり侮辱の意味合いの強い表現がポンポン出てました。その時は僕より云十年歳上の普段は朗らかな大人の人が怒るのをどうしたらよいかわからず対応に困りましたが、その人は余りにも怒っていらしたので、ご自分が愚痴を言ってる相手が小学生だということを忘れてらっしゃったかも知れません。

 それから月日が流れて、数年前、こんな話を知りました。
 ある人には息子くらいに歳の離れた知り合いがいて、その知り合いが若い頃に書いた日記をたまたま読む機会があったのだそうです。その日記の内容について、ある人は「あれがあの人の本性だ」と決め付けて、昔どこかで聞いた覚えのある耳に優しくない数々の言葉を発していたそうです。

 昔に日記帳を読まれたある大人の人と数年前に人様の日記を読んだある人は同一人物です。
 奇しくもといっていいのか、かつてその人の日記帳を読んだ人のその時の年齢と数年前人様の日記を読んだその人のその時の年齢はほぼ同じです。

 未成年の頃に書いた日記や何十年も前の日記を持ち出して、その書き手の現在の精神や性質を決め付けるのはどうなのでしょう。
 本性がどうこうと言うということは、普段接している本人の様子と日記との間にギャップがあるということでしょう。自由に書いていた日記の内容と他人への接し方にギャップがあるのは当然のことだと思います。日記から読み取れる書き手の人物像が悪く怖く思えるのは普段の人物像とのギャップによりそう思える、つまりそれだけ普段の人柄が良かったという証拠ではないでしょうか。日記はあくまでも書き手の性格の一部を表すに過ぎません。人には色んな面があり、接していて感じたその人の良いところが消えてなくなった訳ではありません。それに、その日記はその人の今の日記ではないのです。
 ということを、数年前のその時は遠回しな言葉で伝えようとして全然伝わりませんでした。

 僕自身も此処の日記の最初の方は未成年の頃に書いたもので、それを取り上げて僕の性質を噂する人を見掛けたことがあります。その時は親切のつもりでやっていたことを、僕より年上のその人が思う僕の性質を理由に否定して噂されてました。僕が提供したものに支障がないか使用している人たちを見て回っていてその否定に気付いたので、いつか本人に気付かれることはわかっていて噂していたのだと思います。

 人は他人からされたことを良くも悪くも無意識になぞってしまうことがあります。こういう一つ一つを忘れてしまうと似たことを繰り返すのかもしれない、と思うので自分の日記の一つ、つまり此処に書き留めておきます。