郢書燕説
 また母の冗談を真に受けてました。

 『韓非子』の外儲説篇では、楚国の郢の人からの「挙燭」を燕国の宰相は「賢人を用いよ」だと解釈してうまく国を治めたけれど、こじつけが常にうまくいく訳ではありませんよねぇ。
 僕は名言や格言と言われるような箴言をよく好んでいるけれど、僕が受け取るそれぞれの箴言の意味はそれこそ郢書燕説でしかない。
 しかし、箴言の本来の意味の侭に僕が意味を読み取っていたとしたら、それは僕にとって「箴言」ではないものになっていたのではなかろうか。

 まぁ、そんなのとは関係ないのだけど。
 また母の冗談を本当の事だと信じてしまっていました。
 今迄で一番酷い冗談は「タピオカには色んな種類があって、蛙の卵から作るものもある。」というのでした。
 勿論どんな種類のタピオカも蛙の卵から作られはしないのですが、僕はその冗談を十年以上信じていました。
 その冗談を僕に話した時の母は物凄く真面目な顔で蛙の卵からタピオカが出来る迄の過程を説明してくれましたし、其の冗談を聴いた時僕はまだ八歳でしたからねぇ。

 今日も一個、TVを見て居たら母の冗談に気付きました。
 こんなのをずっと信じていたなんて恥ずかしいから今は言わないでおこう。