「戦艦ミズーリ号⑯」
<<ハワイ>>--オアフ島--


熱心に戦艦の司令室の内部を説明するガイドさん。

こちらの司令官の座席のレーダーは、はっきりと湾岸周辺の地図を表示している。

矢張りARABIAN GULFは、検索の結果ペルシャ湾を指すようであった。

第二次世界大戦当時、日本でもレーダーはいち早く研究されていたようであるが、残念ながら、実用化はアメリカに先を越されたようである。

アメリカ留学の経験が有った、山本五十六日本海軍総司令官は、アメリカを相手に戦争をしても、とても勝てる相手ではないことを、十分認識していたようであるが、大本営の命により、総司令官となった時に、短期決戦で初戦の奇襲攻撃により相手の出鼻を挫き、即座に講和条約に持ち込んで戦争を終わらせる事を提唱していたようである。

しかし初戦の勝ち戦で奢った大本営は、戦争の長期化により、次第に敗戦へと追い込まれていくのである。

敗戦へのターニング・ポイントは、ミッドウェー海戦であった。

当時レーダーの実用化に成功したアメリカは、暗号解読と合わせて、日本海軍の行動を全て事前に察知して、待ち構えていたのである。

この海戦で日本海軍は決定的なダメージを受け、以降敗戦への道を転げ落ちるように進んで行くのである。

大鑑巨砲主義を頑なに固持し続けた日本海軍は、アメリカの近代戦における戦闘機攻撃を中心にした科学技術の裏付けの元に、敗退を余儀なくされて行った事は、周知の事実である。