憲法改正論議について
いつも違和感を感じていて、というのは。
例えば第 9条について、
戦争は放棄するのかしないのか(これは「放棄する」ですぐにも意見が一致しそうだが)、自衛権(3つくらいあるが)はどう考えるのか、自衛隊はどう位置づけるのか、国連とその活動に対してどういうスタンスをとるのか、国際協力は国連中心でいくのか一国でいくのか数か国でやっていくのか、日米安保はどうするのか、
を全て日本国民の総意としてまとめることができれば、そこから先は純粋にテクニカルな問題であって、憲法に謳うか、法令でいくか、明文化せず国の指針とするか、という話である。

つまり、“日本国民の総意”をまとめるどころかほとんどろくに考えてないのに、「憲法を改正しますか?」という議論は馬鹿じゃないか、ということ。

ヴイジョンがないのに、ヴイジョンを理念として明文化する憲法をどうするか、なんてちゃんちゃらおかしい。

と思うんだけど私の発想がおかしいのか。

私より歳とってて頭の良い人はいろいろ考えとくれ、とまぁええかげんな締め。


本当は、「戦争放棄」という発想は、日常的に戦争してたり好戦的な国(一般化して“ほとんど全ての外国”と扇動的に表現してもいいけどやめて)からみれば、逆のイデオロギー教育を長年行ってきた結果染み付いた(逆の)“洗脳”である、ってことは、私のてきとーな妄想であればいいのに、と思う。

新着。
妄想フルクサス(キッチンドリンカーズ)
とうとう買ってしまったであるよ。大笑い。聴きながら書いたメモ↓
呼吸困難になる怪作。CD聴かずに封印するところ
木工用ボンドガール
アチョーに大爆笑
高度な発想に裏打ちされた、めっちゃアホ
わけのわからぬ CD も(特に近ごろ)あれこれ入手してきたけど、これは過去最高! に素晴らしい。しかもほんとは CD は販売促進品、つまりおまけ。