具体の嶋本昭三氏に 2人の若手アーティストが繋がっていることを発見する。
芦屋美博のこと、美術手帖で改めてパラパラしてみたけど、役所の人が兼任で館長(だったか?)、ってのは緊張感を失うよなぁ。具体、の存在意義とかいう以前に美術そのものに対する理解がなさげだし、それは人材不足、ってことでもあるし、つまりその人が専任で館長だったらどうなっていたか、ってことでもある。
いや別に、文化は金がかかるのだから絶対存続させるべき、とかいうことはこれっぽっちも思ってなくて、ときどきここでも述べてるように、pay しないものは基本的にだめだと思ってるので、むしろ。
ただ、例えば、先の 2人のアーティストはひょっとしたら嶋本昭三氏に出会ってなかったとしたら アーティスト ではなかったかもしれないし(…その方が幸せな生活をおくれてたかも、とかいいだすときりがなくなる)、芦屋美博が存続する / しないによって同様に影響を受けるアーティストの数が大きく違うとして、それを金銭的価値に置き換えたらはたしてどちらの方が pay するのか、というレベルが私の考える(かなり簡略化した一例ではあるけど)究極(に近い)の資本主義経済で、どうせそんなレベルなんて 100年かかったって到達できない、のならどうすればいいのか、というのがスタート地点の 3歩手前の議論(…残念ながら結論までたどりつけません)で。
ええと。
泉屋博古館にいくと紀元前 30世紀の精緻な文様の青銅器がずらーっと並んでて、要するにこの 5000年を経てきた、関わった人々のことを考えると、途方もない想いで受け継がれてきたのだなぁと、いやあのひょっとすると数年前まで 4995年くらい土に埋まってたのかもしれないけどそれはそれとして、想う。

…前も書いた気がする。。

まあリッカー美術館のように、閉鎖してもなお亡霊のように、浮世絵展 と名のつく美術展にはその質・量の故にいつも協力して出品している、ときには事実上主催してたりする、という、六条御息所か! っていう残りかたもあるので。

http://www.iwate-np.co.jp/2002kikaku/wadai03/wadai031008.html
調べてみたら、平木浮世絵美術館に名を戻して、常設スペースまで確保してる(らしい)っていうんだから、、恐ろしい。もとい、素晴らしい。ほんとに御息所かも。