客をみてその音楽を再認識、の続き。
客、あるいは DJ、ファン(と言い換えてみる)と音楽、あるいはミュージシャン本人達というのは、互いにイメージを投影される関係にあるのではないか。
で、これは音楽に限らない。

最近、なにかを言い表す言葉はできてしまうと、逆にそのなにかを規定、限定してしまうのではないか、という気がしていて、それは例えば音楽や美術のジャンル、さらに例を挙げるとジョアン・ジルベルトとボサ・ノバ、ウォーホルとポップ・アートについて続く人々が越えられない理由になっていて、言霊の一面なのかも、と思う。

グループ化してみようとする脳の傾向と、それに反発して多様であろうとする身体。

で、あらゆるミュージシャンは離合集散を繰り返す。


…何を書いてるのかさっぱりわからない。
境界線上の面白さと組み合わせてもさっぱり。
discommunication はいけないのかというとそれも違うと思うし。

まぁあの、何です、朝から今日は頭がボーッとしてる、と。


やっぱり写真でも撮ろ。

新着。
上手に縫える着物の仕立て方 野村辰雄
いや、自分が縫うんじゃなくて、ちゃんと学ばないと身頃とかほんとはわかってなかったりするし。

で K 女史の作品の構成力はすごい、本人と同じく魅力にあふれている、という話。

…やっぱり、何を書いてるのかさっぱりわからない。