立冬そして紅葉
古い家並みが並んだ東京下町は人情のある町、
「これ作ったけど食べてね。」近所のお友達がよく来ていた。

家業が繁盛していた頃は母の親戚等が来て賑わい、
負債を負う頃には誰も来なくなった。

二十才の私には、こんな親戚が嫌で堪らない。
親戚の叔父が生活に困窮した時には何度も足を運んだ。

小学校長で子供が六人でアパート暮らしの叔父の家に、
お米等を父と二人で持って行った事を覚えている。

そして11月がくる度に11月産まれの母を思い出す。
お店を辞めてからの母はお布団造りをしていた。

お布団の中綿を二人で引っ張る作業を
私も休日には何度か手伝っていた。

斜め角のお豆腐屋さん、酒屋さん、銭湯の女将さん、
皆、優しくて仲が良かった。

それがお豆腐屋さんのご主人様が無くなり、酒屋さんが廃業し、
銭湯もアパート経営を始めて辞めてしまった。

高層ビルが立ち並び、昔の下町は幻のように消え、
住んで居た人達はほんの少しで引っ越した人が多い。

糖尿が悪化した母は60才を過ぎた頃に何もできなくても、
亡くなる数日前迄、自分の事だけは気力で動いていた。

地主の娘に産まれ、2軒隣からお嫁に来て
世間知らずのお人よしの母だった。

生活が苦しくても遠縁の娘さんが乳児を連れて家に来れば、
「ずっと家で子供と二人の面倒を看る。」と引き取った。

しかし、父の反対で一ヶ月位で実家に戻ったらしい。
私は、家を出て自立して一心不乱に仕事に打ち込んだ。

母は秋の菊祭りが好きで時々菊祭りに連れて行ったり、
近くの温泉に従妹も入れて数人で紅葉狩りに行った。

色鮮やかな山よりも好物を食べたいと言う母が悲しかった。
毎日、粗食ですごし、美味しい物が食べたかったと思う。

私は母に抱かれた想い出が少なく、
生活も苦しかった為、金銭を送る度に哀れな親が
情けなくて、これも自分の運かと諦めた。

11月7日は冬が始まる立冬、立は新しい季節になると言う意味、
立春、立夏、立秋と並んで季節の大きな節目になる。

標高千mの天城連山を抱える伊豆半島も名所が多く、
紅葉を長く楽しむ事ができる。

南国には楓の木も銀杏並木も無く紅葉を見られず、
本土まで旅をしながら紅葉を見に行く知人もいる。

もう立冬になるほど季節の速さに戸惑うばかり。
季節感のない沖縄は観光客で賑わい、
28℃の蒸し暑さに汗を流す私である。

編集 sakura1205 : 賢玄さん、こんにちは。高校作文コンクールで入選しただけで、今は書かないので駄目です.とんでもないです。
編集 賢玄 : 昔のご様子から時候のご様子 誠に 文才溢れたお言葉で綴られていて、感心致します。是非文才を生かしてください!