別サイトアップ:木の匠と鉄の匠(大阪明治生命館 ランド アクシス タワー1階、企画:竹中大工道具館)
疑問なのは、
・過去にもオーバーラン等問題のある運転をしていたのに、運転業務から外す/再教育・再指導を行うといった措置がとられていない(おそらく)
・「適性検査で問題がなかった」人間が「オーバーランはなかったことにしてほしい」と車掌に頼んだりあんな事故を起こしたりするなら、そんな検査は全く "適性" を検査したことにならない
(ついでにいうならそんな言動をする人間がどうして「責任感が強くて遅れを」云々という報道になるのか)
・そもそもどうして前の駅で 40m だか 60m 以上だかオーバーランしたのかについての報道がない
・あんな Y字路みたいな線路のすぐ脇にマンションを建てたりするのに、何の制限もない(たぶん)
・脱線する速度はカラのときのしかわからない
・どうも阪急との競合路線でスピード・本数を売りにしていた点にのみスポットがあてられている感があるが、そもそも鉄道事業は、線路を延ばすか、周辺を開発して乗客を増やすか、他路線との接続を便利にするか、速さや本数を増やすか、をしないと収入が増えない("運行品質" そのものではほとんど全く売りにならない)という観点が抜けている
・(誰も言わないみたいだから書くけど)電車の定員はいまも座席数 +α のはず(なのにいつも定員オーバーの満員電車の是非とか、管轄しているはずの国土交通省の黙認や、それを緩和しようとすると収入は変わらないのにコストだけアップすることや、車両を長くしようにもホームを延伸するにはもう限界ってことや、そうすると乗客が増えると本数を増やすしかない、と選択肢が限定されていることに触れる報道がない)
といったところ。

乗客として考えないといけないのは、
・100km を超える速度で走ったりする電車は、例えば車でもその速度ならちょっとしたミスが即、死に繋がるのだから、やっぱり同様に、何かあれば、まして線路から外れれば、死ぬこともある、思考停止的に電車は安全ってのは間違い、そもそも 100%安全な場所などこの世のどこにも存在しない
ってこと。
ふう。ちょっとすっきり。いやもちろん人が亡くなることはいつも厳粛な気持ちになる。んだけど。

昔は、ちょっと電車が遅れても、本数がそれほど混みあってなくて、せいぜい後続の数本くらいしか影響がなかったけど、今は延々玉突き的に遅れたりするもんなぁ。

車両、車並みにバンパーやら何やらごてごてついた仕様になってくのかな。

だから池田の学校のときに書いたように(以下略)


ソードフィッシュ、なかなかおもしろかった。ジョン・トラボルタ、パルプフィクションではあのダサさを揶揄されていた(あれがどうしてサタデーナイト・フィーバーへの敬意、ってな風にみえるのか私には不思議)が、この作品ではあのポッチャリダブッた体型(…顔?)が胡散くさげで。しかしまあ人を食った映画だ。"これでもかぁっトリックだらけニヤリ映画" と呼ぼう。←なんじゃそりゃ


新着。
Post-Diluvian 洪水の後 三橋美香子と総本山
いやもうすごい。やばい。"洪水の後" ってそんな清々しさは全然ない! ってそれを朝一から聴いてる私は何なんだ。
妖しくリズムに時おり声がことばがそっと頭に直接照らして包む。