静けさの音楽、空白の美、こそが日本の芸術なのではないか、と最近思っている。

つまりは、こういうことだ。
音楽は、空白でできている。
みんな、一音一音が音楽をかたちづくっている、と思っているかもしれない。
しかし、もしそうなら、時間の 100% を音で埋め尽くされたら?

だから、音のリズムはその間の無音のリズムなのである。

西洋の油彩画は、まるで偏執狂のように、キャンバスを色で埋め尽くす。ものがないところも色で埋め尽くす。色がないところも白で埋め尽くす。
昔、ヨーロッパを一か月ほどうろうろして、日本へ帰ってきて一週間もしないうちに美術館へ行った。
その屏風には、木が右端のほうに、そして鳥が飛んでた。間は素地である。
瞬間、これこそが日本の美、だと思った。
空間、空気の描写、雪の描き方、西洋の雪景色ではわずかにブラックのにましなのはあったけど、日本の画に敵うものなんて一枚も観たことがない。ルーヴルにだってオルセーだって、ウィーン美術史美術館にだって、一枚もない。
ヨーロッパでは一度も味わうことのなかった種類の、くつろぎの空気に包まれた。

little creatures の優れて日本的なところは、静けさの美を知っていること。一音一音が美しいだけでなく、音のない空間さえ美しいこと。

ジョン・ケージは偉かったけど、白で埋め尽くしても日本の美には敵わないのだよ。決して本流にはなれない。

Radiohead はどこまでたどりつけるか。

井戸の底。井戸の水。井戸の、空気。井戸の存在。

ドーナツを、穴の美から語りたい。


たえず地音が響いている星では、その響きを軽減するのがすなわち音楽であった。