別サイトアップ:三絃の誘惑(樋口覚著)(メルマガも)
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と結局仕事関係の年賀状がわらわらと届いてしまう。ちっとも自粛になってない。返信だけ引き続き書くが、中途半端でしようがない。

調べてて、吉朝さんの 饅頭こわい、上方と東京のハイブリッド仕様だったことに気づく。ベースは上方だけど細かい挿話で。

ついに三絃の誘惑(樋口覚著)読み終わる。これほど興奮を誘う評論はちょっと記憶がない。小林秀雄でももう少し冷静に読んでたし。
あとがきで、
 小林秀雄は、「大阪の街は、ネオンサインとジャズとで充満し、低劣な流行小歌は、電波の様に夜空を走り……」と書いたが、なぜ小林秀雄には文楽の本場である道頓堀で、義太夫の一節が自然に浮んでくることがなかったのであろうか、というのが、本書を書き終えたいまの率直な感想である。
と述べている。
モーツァルトに傾倒した彼には、三絃の調べなど空気のようにありふれてて気がつけなかったのか。
それとも。
とこれまた外へ展開していくのである。

ゴッドファーザーとうとう三作目も観てしまう。昔、映画館でみたときより、細かい伏線、エピソード、映像の流麗さ、その他その他気づく。よかった少しは進歩してて。当時は少々メロドラマチック過ぎやしないか、と感じた記憶があるが、なかなかどうして、愛と憎、「友情とビジネスは水と油」って言わせたり、うまくできてる。さすがコッポラ。

http://www.wanogakkou.com/0ba/02_suisen.html
三絃の誘惑の流れで。そう、松岡正剛の日本流に、確か載ってたんだった。
松岡正剛って、日本の脆さの漂いの気を知ってる点で他の博学系学者と一線を画する、極めて稀有な存在で大した人だと思ってる(実際相当な影響を受けたし三絃の誘惑も買ったし)けど、ただ、例えば編集工学、例えば和の学校、のようにキャッチフレーズ化した、それも一般的語用からは 800字くらいの註釈が必要な程度に隔たりのあることばを何故か無神経にもポンポンつかっていて、んー信者しか相手にしてないのかなぁー、というところが、どうしても平行線で受け入れられない。

ちょっとした点で、大したことじゃないのに気になってひっかかって、どうしてもダメ、ってことがある。
…なんだか前より増えてきてるような気がして、たぶん例えば皺とかしみとかと同じでとっても嫌。
まぁ何でも、ギャグでもお世辞でも何だって受け入れるんだけどどこか無理がでてきてるかも。