昨日から、畠山美由紀の 遠い灯、遠い場所 を聴きたくなって。
イントロの音の刻み。
冷静から情熱へと向かい、
観客は熱狂しうたい手は cool というのが正しいあり方というけれどそんなことは時にウソで(だから後から付けた理屈なのである)
我を忘れかけて、陶酔の彼女の、うた。

昨日のほたる話はだから with a little help of the song である。

という昨日の書きかけ。

で、そもそも地元民でもあるその友人がその地を教えてくれたこともあり、ほたる飛んでるよメールをしたら近況報告やらの返信がきた。
10000km くらい離れたかの地(5000km では近すぎた。地図の図法なんて懐かしい。私を信じてはいけない、ということで←トテモムセキニン)では、赤とんぼが飛んでいるらしい。とりあえず生存を確認。
しかし周辺環境の説明に 百年の孤独 が出てくるところなんかは、さすが私の友人である。いったい何人に買わせたのか。鼓先生に褒めてもらいたい。…??!

実は彼とはけんかしていて、というか、まぁ学生と社会人、あるいは研究者と勤め人、という立場の差は埋まることなく広がるばかり、とか云々であって、うんちゃらくんちゃらあるのだが、だから久しく会ってなくて、昨夏あたりに簡単に言えば美術館行きの誘い兼進路相談の TEL があったときも会ってないのだけれど、何か月か前に夢に出てきて、それがあの上田假奈代さんの藝術夜会を体感したあの夜だったりして、以来気になっていて。

「金を優先するならどこどこ、出世を優先するならここ、世界的にみて有名になりたいならあそこ、自分のやりたい研究テーマに近い分野ならあちら、違う分野だけど自分がこれまでやってきたことが重宝してもらえるならこちら、その他諸々の中で何を優先するのかによっておのずと決まってくる」とか、
「忘れがちだけど生活環境とか、もっとベタに淀んだ雰囲気の職場だとか、活気はあるけど疲れるとか、空気感として自分に合ってるとか、合ってないけど将来の自分としてその雰囲気を身に付けたいとか、そういうことってかなり重要だと思う」とか、
まあ何だか偉そうに話した気がする。
…こういうことって、今の自分はどうなのか、という、けっこうきつい自問と常に背中合わせである。