別サイトアップ:近代水墨画のあゆみ展(大丸京都)、中国・日本の名画と花入・水指(香雪美術館)、メルマガも
しかし富山、今度行くときは水墨美、寄ってみよう。
それと御影、大きな屋敷も多いのだけれど、そして駅前、文字通り 100%、新しい家に入れ変わっていることに言葉を失ったのだけれど、水際に花や草木を飾っていて、それぞれに、工夫しながら、それがとても美しくていとおしくて、お金だけじゃない豊かな日々の生活が、路地を歩くと見えてきて。

CD と本が一つずつ届いたのだけれど、きちんとした説明なしには確実に誤解を生む、微妙な商品なのでまたヒマなときに。というといつになるのかわからないので、CD について、現行の曲は3つ、あるいは5つあるうちの2代目の曲、のあの曲、そして桜といえば、という本である。説明終わり。

ああ、オフィーリアが。ミレーの絵が浮かびつつ。

どうして どうして僕たちは
出逢ってしまったのだろう
こわれるほど抱きしめた

松任谷由実だって聴くのです
荒井由実の方が とか
80年代のバブリーな空気が とか
松任谷正隆のアレンジが とか
TV の影響が とか これは私の話だ
そんなこと彼女自身が世界中の誰よりも遥かによくわかっていて
その諦観と達観と達観と諦観との上に積みあげた ひょっとしたら擦り切れかけの才能を明日にもポトッととまってしまうかもしれない油田のように予感に怯えつつ紡ぎ出された作品の群れを
いったい誰が貶すことをできよう。

リフレインさせながら
時計を睨みつつ
今朝は何日ぶりか全く思い出せないほど久し振りに寝汗もかかかずに起きれたなぁとか
ポンテ・ベッキオとか桜に吸われていく死体のきもちとかモナコ・グランプリとか
考えながらなおもリフレインさせてる私ってやっぱりいつまでたってもまともな人間にはなれないよなぁ、とか思うとそろそろ丑の刻なわけである。