さようならお父さん 
睦月に産まれて睦月に亡くなった父、
青春時代を戦争で何もかも無くして、
苦労ばかりの人生だった父のお墓参りに行って来た。

誰も居なくなったお墓には北風がひゅうひゅう吹き荒れ、
「お父さん、寒くない?」すると「寒くはないよ!」と
応えたような気がした。

どんなに寒い日でも決して寒いと言わなかった父、
真面目に黙々と72才まで働き、気管支炎で吐いた血を
結核と勘違いをして会社を辞めた。

そんな事がなければ父は倒れるまで会社勤務を辞める人ではない。
父が70才の時、「もう会社は辞めて!」と本気で言った事があった。

その後、生活に少し余裕ができた30代頃の私は、お正月、お盆の他、
父が困っていた姿を見て賞与を全額、父に手渡した事が有る。

あの時の父は、身体を小さく縮め「悪いな××」そう言いながら
涙ぐんだ眼をしていた。

「何も遠慮しなくていいの、それより元気を出してね。」
電車の中で吐き気がして吐いた父を心配して送って行った事もある。

一緒に住みましょうと言っても、
住み慣れている老朽化した家を離れる事を嫌がっていた。

私は自分の悩みを一度も父に相談した事がない。
それは父娘の年の差が離れすぎ、
あの頃の父は年老いて身体も心も弱っていたから。

以前、両親、姉のお墓に来た時は、大声で泣き崩れた私。
今回は、私が泣いたら父達が安心しないと思い、
「また来ますね。」手を振って帰って来た。

「お前は、お人よしの馬鹿だ。」主人に何時も叱られる。
馬鹿でもいい、人間が全部、東大卒なら世の中は面白くない。


不幸な人生だった父に、天国では幸福になって貰いたい。
私を育てヽくれて感謝しています、お父さん。