「赤信号で止まる」ということ
赤信号だと、車が何も来てなくても、じっと立ち止まっている人がいる。
小さな子どもをつれた母親は、しっかり手をつなぎながら、青になるのを待っている。

でも、信号は、交通を円滑にし、例えば事故を未然に防ぐためのものではなかったか。

そして、そうであるなら、車の往来がなければ渡ってもよいだろうし、たとえビュンビュン走っていたって、無事向こうまでたどり着ける自信があれば、そして、ドライバーをビビらせたりすることがないというならなおのこと、とっとと渡ればよいのであって。
もちろん自分の判断で。

いつから、自分の安全を、信号なんかに預けるようになったのか。

「信号っていうのは、例えば向こうから車が来て、でも自分が渡ろうとしたらぶつかっちゃうでしょ? だから、あっちの信号が青なら車は渡ってよくて、こっちの信号はその時赤で待っとくの。あっちの信号が赤なら車は待っててくれるから、その時はこっちの信号が青で、渡っていいのよ。そうやってお互いに譲りあって、怪我したりせず、どの方向からどの方向へ行くひとも気持ちよく渡れるように、信号ってあるのよ。」

例えばこういう説明を子どもにしている母親に、一度でも出会いたい。


「日本人は、安全と水はタダだと思っている」という言葉の意味を、ここ数ケ月考えていて、「日本人とユダヤ人」を買うところまで流れ着いたのだが、例によって積んでいるだけである。