別サイトアップ:吉増剛造 + 関口涼子(メルマガ発行)、+ Another story
別サイトアップ:吉増剛造 + 関口涼子[対談とポエトリー・リーディング] 機(はた)-ともに震える言葉(2006. 9.17、国立国際美術館)(メルマガ発行)

Another story of 'Dialogue and Poetry Reading at NMAO'
途中を急いだのでゆっくりと国際美へ。しかし人がいない。三人組が看板を見ている。警備員やスタッフの姿が見える。でもあとは帰る人ばかりで、不安になる。が、とりあえず入口へ。警備員には止められることはなく、ややほっとしつつスタッフの方にきいて、やっと安心、エスカレーターを下る。ロッカーヘ荷物を預けて、さらに下りる、その前にトイレはこっちだったっけ? と回り込む、その前にばったり、お知り合いの方が出口から出てこられるところである。びっくり。ギャラリーのスタッフのかたで、今日はひょっとしてこのイベントのお手伝いかと思ってきいてみると、そうではなくて、まだ三人展を観てなくて明日は台風だからと慌てて今日観に来られたとのこと。(この連休が展示最終であることにあとで気付く。私にしては珍しく、早々に観に来てしまったからなぁ。)そのギャラリー、実はこの 7月末でお辞めになったそうで、さらにびっくり。私が現代美術を観だしたのは、実質的にはそのギャラリーが最初で、そのときそのかたに、説明していただいたりあれこれ教えていただいたりしてから興味を持つようになって、ちょこちょことそのギャラリーに寄ったり、他のギャラリーや(最近増えつつある)美術館での現代美術の展示に足を運ぶようになったのだった。ギャラリー、それも貸しギャラリーでなく企画展示を行うところといえばあくまでも作品を売る場であってあまりいい思いのしたことがなかった私にとって、作品に集中して観ているときには決して声を掛けない、邪魔にならないようにする、気配さえ消す(!)、という姿勢はとても新鮮で、きいてみたら、自分も観ているときに遮られるのがとても嫌なので声を掛けるタイミングはすごく迷います、とおっしゃっていたのだが、それも 2年くらい? 前のこと、全然お変わりなき雰囲気できちんとしたかたのまま、目の前に偶然現れたのだった。
感謝しています、ということばもその場では浮かばないまま、またいつかどこか美術展でばったりお会いすると思います、と言うと、人と会う約束がある、というその方は詩のイベントに参加することなく、お帰りになった。
その空気をそっとまとったまま、