別サイトアップ:sonora (CHORO CLUB)、amefrica (flex life)(メルマガ発行)
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自分へのメモ書き。
彼の絵は、模写 +α と本人は思っているんだと思う。基本は模写、それに若干のオリジナリティを +α してる、ということ。
ただ、そのオリジナリティが、いかにも弱い。強度として弱いというのと、質的に弱い(以下区別のため "脆い" )というのと両方。

* この脆さは、実は日本人に共通する要素を含んでいて、だから元のイタリア人画家のと並べたときにおそらくほとんどの人が「こっちが日本人画家作」と指させるのはそのせい。この部分をきちんと表現できると…というのはまた別の話。

あまりに弱いので、本人以外には "盗作" としか見えない。私にとっても、これは "盗作" である。

* 例えば、浮世絵において、池田善次郎(後の溪斎英泉)の評判の枕絵を、「首(顔)は(菊川)英山そのまンま、画組(たぶん構図)は歌麿の枕絵『寐乱髪』『恋濃男娜巻』からの引き写しじゃあねえか、ヘタクソ!」とお栄(北斎の三女、葛飾応為)に罵倒されたり(杉浦日向子『百日紅』其の三 恋)、勝川春潮と歌麿の絵を比べて、歌麿もまねしてた、が今じゃその画組があちこちで盗られてる、はじめはまねでもしまいにひとからまねされるようになりゃかまわねえ、なんて善次郎は言われたり(前同、其の四 木瓜(ぼけ))してる。
* 例えば音楽において、ベースのリフがそのまんまパクられても(メロディラインではないので)訴えることさえできない。

洋の東西を問わず、現在の基準だけでなく相当程度過去に遡ったとしても、これは、 "盗作" である。

いっそのこと、「これは "新模写主義絵画" だ!」ってぶちあげて、いろんな画家の絵を模写 +α して、いろんな画家から訴えられまくって、それでも「芸術は "超模写" だ!」(岡本太郎風に)とあちこちで言い放って、で滅びていって欲しい。
がそれだけの強さがないんだよなぁ。やれやれ。

まぁどちらの画家も知らなかったし、日本の画家の方はみたいとも思わないし、ただイタリア人の方は、近くに巡回するなら観てみたい。確かになかなか優れた画だし。イタリアのアカデミズムの奥深さは、現地に行くとそのすごさに圧倒されるし。
…なるほど、それで模写か。ちゃんちゃん。