アメリカ−イラク(1)
戦争は、一人ひとりの心の内にある。

9.11 のテロのときに、私が言っていたのは、
アメリカは、5000人の死(本当は3000人だったというのがいかにも情報操作っぽくてイヤなのだがこれは別の話)に比類する憎しみを、これまでにかってきた、ということである。
それは、途方もない憎しみ。
哀しい。

5000人に匹敵する憎しみはあまりに大き過ぎて、想像するのも難しい。
しかし、誰かを、(殺したい、というところまでは普通いかないまでも)何らかの形で憎むことは、多くの人が、経験していると思う。

今回の戦争の背景として、石油が、とか、選挙が、とか言われていることは耳にしている。しかし。
アメリカの人々が全員、誰一人としてイラクやイラクの人たちのことを憎んでいず、イラクの人たちが全員、誰一人としてアメリカやアメリカの人々のことを憎んでいなければ、戦争にはなっていないと思う。

憎しみを、解決したり未然に予防するには、絶え間なきコミュニケーションと、お互いに対する敬意、を持つことしかないのではないか。

雑誌 FOIL で、特集のテーマ「戦争反対」について、写真家の川内倫子は「行かなきゃ何をするのも嘘になる」として、奈良美智らと共にアフガニスタンへ乗り込んだ。
直感で、わかっているんだと思う。

日本人なら、冷静さを保てないこんな問い掛けのほうがよいのかも。
北朝鮮の人と話したこと、ありますか?
北朝鮮に行ったこと、ありますか?
知らないのにどうして憎んだりできるのですか?

かつて、ヨーロッパ10か国を彷徨ったことがある。
一か月のその旅で、最も印象に残っている街は、パリでもなくベルリンでもなく、まだチェコ・スロバキアだった時代のプラハである。
実に人なつっこく、素朴で温かい人たち。
しかし、行くまで、プラハって意識の中になかった。

LOVE and PEACE という言葉。
小学生のころ、「愛が何で平和と関係あるねん」と全くわからなかった。
今はわかる。たぶんわかっていると思う。

戦争は、一人ひとりの心の内にある。

どうしてアフガンは攻撃してよくて、イラクはだめなのか。

合わない人とこそ対話を。
嫌いな人にこそ敬意を。


(その2へ)