ここ2日ほど考えていること。

小さい頃は、アスファルトの道路といっても、端の方は土が見えていたりして、雑草もいろいろ生えていた。
だから、舗装が良くなって(「良く」と仮に言っておこう)、ピシッと縁までアスファルトで覆われ、雑草をみない道が増えても、原体験としてはその情景を持ち続けていると思う。
でも、今の子供は、「今」が10年後、20年後の自分の原体験となるのであって、集合住宅群の中に暮らす子供たちはその集合住宅群とその中に造られた公園が原体験のベースとなるのだろう。
とすれば、その親子は、同じ場所に住みながら別の風景を心の中に構成しているのではないか。

たんぽぽの綿帽子をフゥーッと吹いて飛ばす……なんてこと、空想でしか語れない人間が出てくるのかも。

久保惣記念美術館からの道すがら、サントリーミュージアムでみたエッシャーの3つの世界、そしてこの作品を読んで、考えていることの1つ。

、、リンクが働かん。誕生日が早まったのか?