2005年08月の記事


満月のルビー最終回
 オレの叫びになぜか満面の笑みを浮かべた蓬田は、ベッドに身体を起こしていたオレにいきなり抱きついてきた。理解できない状況にオレの思考が一瞬で止まった。
「よかったぁ。おまえ、自分で気づいてるとは思えねえけど、何気に結城好みの美少年なんだよなあ。気づいてなかっただろうから言わなかったけど、結城のヤツ、入学のときからおまえにコナかけててさ。オレ、マジでおまえのテーソー心配してたんだよ」
 ……こいつ、いったいなに言ってるんだ? オレの背中を叩きながらよかったよかったとつぶやく蓬田を引き離すことすら思いつかず呆然としていた。自慢じゃないがオレはパニクると思考停止して固まる体質なんだ。傍から見るとそれが沈着冷静に見えるらしいけど。
「先輩に訊いたら、授業中あてて答えられない奴を放課後しょっぴくってのが結城の常套手段らしいんだよな。おまえがことごとく答えてたから結城が焦れてたの判ってたし。オレはいつ結城が強硬手段に出るんじゃないかと気が気じゃなくて」
 抱きつくだけではあきたらず蓬田が体重をかけてきて、支えきれなくなったオレはうしろに倒れちまっていた。
「気がついてなかっただろうからついでに言うけど、おまえ、オレがどんな気持ちでおまえのこと見てたのか、ぜんぜん知らなかっただろ。夜中目え覚めて結城にアヤシイことされてるおまえの姿妄想しちまったりさ。ほんと、結城が学校辞めてくれて万々歳だ。クタバレ変態ホモ教師!」
 つーかおまえがクタバレ。と思ったのは、さらに1日入院したオレが無事退院してからのことだった。

 あの日よりも前、1ヶ月くらいの間のことが、あいまいにしか思い出せない。たぶん日常に埋め尽くされて、たいした出来事がなかったからなのだろうとは思う。だけど何かが引っかかっている気がするのだ。白くて深い霧の中で目を凝らすように、もどかしくて、考えれば考えるほどイライラしてくるのだ。
 ただ、1つだけ、浮かぶイメージがある。思い出そうとするとそのイメージだけが浮かんでくる。白くて丸い月と、しみ1つシワ1つない女の細い指。その指がつまんでいるのはルビーのような赤い珠だ。指はくるくるとルビーをもてあそんで、そのたびに月の光がきらきらと反射するのだ。
 白い満月と、赤いルビー。それが何なのか、オレには判らないのだけれど。
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満月のルビー30
 病院のベッドで目を覚ましたあと、入れ替わり立ち代わり入ってきた大人たちに訳も判らないまま質問攻めにされた。いったいなぜあんなところで倒れていたのか、結城に何をされたのか、結城とはどんな関係だったのか。どんな関係もなにも、結城とは担任教師と生徒という関係以外のなにものでもない。質問の意味すら理解できなかったから、とうぜん満足に答えることはできなかった。
 彼らの話をつなぎ合わせると、どうやらオレは学校の電算室で結城と一緒に倒れていて、朝出勤してきた教師に発見されたらしい。2人とも重度の貧血状態で、オレが目覚めたのは発見から3日もしてからのことだ。その時のことは、誰にどんな質問をされてもまったく思い出すことができなかった。結城とは以前から肉体関係があったのか、なんて質問されたところで、オレには「ふざけんな」以外の答えなどできなかったんだ。
 ただ、発見当日のオレの首筋には、結城がつけたらしいキスマークのようなものが左右1つずつついていて、オレが結城に押し倒されたのは間違いないらしい。それ以上の陵辱の跡はなかったらしいけど。
「 ―― 山崎さん、転校しちまったよ。やっぱ殺人犯の疑いがかかった教師が担任のクラスなんか嫌だよな」
 ようやく面会が許されて、見舞いに来た蓬田がボソッと言った。山崎という名前にはまったく聞き覚えがなくて、そういえば転校生がきてたよな、なんてぼんやり思ったりして。
 オレが気の抜けた声で「そうなんだ」と相槌を打つと、蓬田は言いづらそうに目を伏せて言った。
「……なあ、お前、その。……結城とその、付き合ってたのか?」
 ああ、おまえもか。すでに答えるのすら面倒になってたのだけど、変な答え方をして誤解されたくもなかったから、何とか気力を取り戻して言った。
「付き合ってる訳ないだろ。なんで男のオレが男の結城と付き合わなきゃならねえんだよ。オレは別に電算部でもねえし、結城と個人的に話したことなんて1度もないぜ。……ったく、どいつもこいつも」
「それじゃあの夜が初めてだったんだな? おまえ、最後までいっちまったのか? 結城とヤッたのか?」
「やるわけねえだろ! 脳ミソと目ン玉腐ってんのかてめえ!」
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満月のルビー29
「さて、そろそろ大丈夫かな。ヒフミ、僕の方はもういいよ」
「うん」
 先輩の言葉に、山崎は先輩を離れて、なぜかオレのうしろに回り込んでいた。ほんの少しだけ空気が変わった気がする。
「羽佐間君、僕たちは生まれたときには普通の人間で、あるとき後天的な理由で体質に変化が起こった。僕の変化を促したのが誰なのか、僕は知らないのだけど、ヒフミを変化させたのは僕だ。一種の伝染病のようなものだと思ってもらっていいかもしれない。例の種を蒔いているあの子を変化させたのはヒフミでね。そのときヒフミは特殊な状況下にいたから、あの子に植え付けられた病原菌が突然変異を起こして、あんな種を蒔く身体になってしまったんだ」
 今まで、断片的に聞いてきた話が、このとき核心に近づいていた。なぜか身体に寒気を覚えた。先輩が心持ち身を乗り出してくる。
「だから僕とあの子とは本来同じものなんだ。あの子が月に1度、満月の夜に人を誘うのは、そうしなければ食べられないから。そして同じ習性は僕たちにもある。 ―― 捕食対象である人間の血を分けてもらわなければ、僕たちは生きていけないんだ」
 先輩の目が妖しく光って、オレは恐怖を意識した。今聞いているはずの先輩の言葉がうまく理解できない。本能的にあとずさろうとして、うしろからがっちりと肩を掴まれた。先輩が徐々にオレに近づいてくる。
「普段はてきとうに物色して若い女性とホテルにでも行くんだけどね、今回はそんな訳で警戒厳重な学校なんかで体力を消耗することになったから、失った体力を戻すためにはヒフミに頼んで手近な人間をここへ連れてきてもらうしかなかったんだ。僕も本当は男なんか趣味じゃないんだよ。だけど、こういう状況じゃ、文句は言えないってことで」
 オレは半ばパニックを起こして、先輩の瞳を見つめていることしかできなかった。思考が停止中で身体が動かない。だけどたとえ動いたところで、オレの力では背後の山崎の腕を振り解いて逃げることなんかできないだろう。
「恨むんだったら、ホモだった結城を恨んでね。……それと、夜中に息子が帰ってこなくても気にしない両親を、かな」
 言い終えた先輩は、オレを抱きしめるようにして首筋にキスをした。とたんに襲ってくる貧血状態。鼻の奥がつんとして、やがて目の前が真っ暗になった。気を失う寸前にオレは自分がつぶやいた声を聞いた気がした。ただ一言、「吸血鬼……」と。
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満月のルビー28
 そうして上半身を起こしているだけでも山崎先輩はつらそうで、気づいた山崎が背中を支えていた。
「ありがとう、もう少し休ませてくれ。そうすれば何とか動けるようになるから。羽佐間君も少し待ってて」
「ああ、オレは大丈夫ですから。始発で帰って学校へ行けば親は何も言わないし」
「信頼されてるんだ」
「というより諦められてるっていうか。それなら先輩の方が信頼されてますよ。高校生なのに兄妹で2人暮らしを許してもらえるなんて」
「それ、嘘だよ。僕はもともと両親がいなくてね。ヒフミも両親とは連絡が取れる状態じゃないから」
「……え? それって、兄妹じゃないってことですか?」
 だってこんなによく似て……。2人の顔をまじまじと見比べて、オレはハッとした。この2人、そっくりなんだ。表情とか醸し出す雰囲気とかそういうものが。それなのに、顔のパーツそのものをひとつひとつ比べても、どこが似ているとはっきり言える部分がない。
「よく見るとそんなに似てないだろ? でも兄妹だって言うとけっこう信じてもらえてね。いろいろ便利だからそういうことにしてるんだ」
「……同棲、してるんですか……?」
「まあ、そういうことになるのかな。 ―― がっかりした?」
 がっかり、したんだろう。この1ヶ月、山崎のことでショックを受けることは多かったけど、たぶんこれが1番の衝撃だった。オレは別に内気な訳じゃなかったけど、親しく話ができるような女の子は今までいなかった。山崎はオレが生まれて初めて親しくなりたいと思った女の子で。
 これを失恋と言えるのなら、オレは失恋して初めて好きになってたことに気づいたことになる。自分が鈍いタイプだってのはよく蓬田に言われて自覚してたけど。
「僕やヒフミには過去があってね。羽佐間君がさっき見たような種を取り出す力や、人並み外れた運動能力なんかを得たことで、失ったものも多い。あの種を蒔いているあの子も僕たちと同じものだ。だから早く見つけて、できれば支えてあげたい」
 そう言った山崎先輩の目には、あのときの山崎と同じ決意のようなものがあった。
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満月のルビー27
「大丈夫だ、ほら、もっと身体の力を抜いて。……綺麗だよ、ヨシユキ」
「せん、せ……。……ン……!」
 先輩の声がくぐもったうめきに変わったとき、山崎はゆっくりと入口の引き戸を開けた。外からの月明かりに照らされて、先輩が結城に押し倒されてキスされている姿が浮かび上がる。上半身を半分剥かれた先輩はゆっくりと結城の首に両腕を回していった。ほんとはそんな姿見たくはないのだけれど、結城が言うとおり先輩は男のくせにめちゃくちゃ綺麗で、オレは嫌悪感も混じった変な興奮を覚えていた。
 深く合わされた唇が離れるまで、山崎のときの倍以上は時間がかかったと思う。これも山崎が言う「相性が悪い」というヤツで、けっしてキスの時間を引き延ばしていたのじゃないのだろう。ぐったりした結城が先輩を押しつぶしたから、すかさず山崎が結城の襟首を掴んでひっくり返した。先輩がむせるような咳をしてまるで吐き出すように血色のルビーを床に落とす。それを山崎が拾い上げていた。
「あー、気持ち悪ィ。変態ホモ教師の相手なんざ金輪際ごめんだね」
「38月目。被害者1人。でもものすごく色っぽかったよ。ヨシユキってそっち系の才能あるんじゃない?」
「この次はぜーったいヒフミに男装させる!」
「だったら事前によく調べてよ。男装でも何でもしてあげるから」
 オレはさっきの衝撃がまだ抜けなくて、教室の入口で呆然と座り込んでいた。上半身を起こした山崎先輩はシャツのボタンがぜんぶはずされていて、しみ1つないどころかほくろ1つない白い肌があらわになっている。見ながらまた変な想像をしそうになってあわてて首を振って追い出した。そんなオレを見て先輩が意地悪そうにくすりと笑った。
「ごめんごめん。子供に見せていいものじゃなかったな。謝るよ、羽佐間君」
「……先輩、この間とずいぶん印象が違いますね。山崎もですけど」
「満月期だからね。僕もヒフミも月の影響を受けやすい体質なんだ。ほら、普通の人も多かれ少なかれ月の影響は受けているだろう?」
 そういえば聞いたことがある。人間の身体は約70パーセントが水分だから、潮の満ち干きに影響を受けるのはあたりまえなんだって。
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満月のルビー26
 ようやく山崎が足を止める頃には、オレはほとんど山崎に抱えられて走っていたような状態だった。呼吸を整えながら見ると、そこはオレたちが通っている学園の正門だ。既に時刻は真夜中に近い。今の時刻じゃオレや山崎のIDカードでは中へ入ることはできないだろう。
「これ、使って」
 山崎はポケットから見慣れないカードを2枚取り出して、1枚をオレに渡してくれた。
「なに?」
「ゴーストカード。門は開くんだけど、記録は一切残らない。ヨシユキが隙を見てあたしたちの分も作ってくれたの」
 そういえば山崎先輩は電算部だったっけ。先月殺されたのも電算部の先輩だった。深井先輩もこのカードを使って真夜中の学校に侵入したっていうのか? だけど顧問の結城に黙ってこんなもの作れるはずがない。
「だったら、山崎先輩が追ってる種って結城なのか?」
「そうじゃなかったらわざわざ結城先生のクラスに転校したりしないよ」
 そう言って山崎がカードを門に通すと、ほとんど音を立てずに門が開き始めた。門の向こうには駅の自動改札のような設備がある。オレも山崎に倣ってカードを通してみると、あっけないほど簡単にバーが倒れてオレを通してくれた。
「誤算だったのは、結城先生がホモだったってこと。おかげでヨシユキの手を煩わせなくちゃいけなくなって、こうして羽佐間君を連れてくることにもなったんだ。ヨシユキだと相性が悪くて種を取り出したあとあたしみたいに動けないから」
 つまり、どう考えればいいんだ? 深井先輩は結城とそういう関係にあって、殺された夜も結城と学校で逢引していたのか。で、今夜は山崎先輩が結城と校内にいる。結城がホモじゃなかったらこっちの種も山崎が回収する予定だったんだ。オレを連れてきたのは力を使い果たした先輩を担いで連れ出すためなのかもしれない。オレなんかよりも山崎の方がずっと力持ちな気がするけど。
 山崎は緊張感をたぎらせながら廊下を足早に歩いていく。オレはなんだか少しばかり気が重くなってきていた。電算室前の廊下に差し掛かったとき、山崎は唇に指を当てて足音を潜めた。まもなく、オレの耳に物音と、山崎先輩の切なげな声が聞こえてくる。
 中で起こっていることを想像して、オレはうしろ足で砂を引っ掛けながら逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
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満月のルビー25
 山崎が何歳なのか知らないけれど、高1だから普通は15か6だ。種を振りまく人間はその2歳下だから13か4、そいつがあの男とエンコーしたのが3年前だとして10歳か11歳。そんな子供がエンコーしながら身を立てるっていうのは、いったいどういう事態なんだ?
 話しながら山崎は倉庫街を抜けて、車のいない大通りを斜めに横切っていく。その前に立ちはだかったのは駐車場のフェンスだ。もたついたオレをいきなり抱えて飛び越えたから、オレはかなり驚いてしまった。女子高校生どころじゃない。人間の脚力とは思えなかった。
 オレはずいぶん混乱していたのだと思う。走り続けて息が切れてきたのもあるのだろう。知りたいことはたくさんあるのに、適切な質問を山崎に投げかけることができなかった。それを察したのか山崎が口を開く。
「もう、5年くらい前になると思う。あたしは自分でも知らないうちにあの子に種を植え付けてしまった。ずっと死んだと思ってたんだけど。2年前から急に同じ手口の通り魔犯罪が頻発し出したでしょう? まさかと思って調べて、それであの子が生きていることを知ったの」
 工場の3メートル近くある塀を乗り越える。もちろんオレを抱えてだ。頭はくらくらするし胸はむかつくしで散々だった。そんなオレの手を引いて山崎は走り続ける。まるでペースが変わってない。
「それから2年をかけてようやく殺人を犯す前の種に追いついた。これからあたしたちが同じペースで追い続けていけば、もう人が死ぬことはないんだ。そして、これから先何年かかるか判らないけど、いつかあたしはあの子のところへ辿りつく。もう2度と、誰に種を植え付けることもできないようにする」
 さっき、倒れた男を見下ろしていた山崎に感じた決意。その正体はたぶんこれだったのだろう。悲壮感さえ漂う決意の中に、オレは山崎がその子を殺すことも視野に入れているのだと知った。
「そいつ、自分が殺人の種を振り撒いているって、知ってるのか?」
「あたしには判らない。あたしはあの子をずっと追ってきただけで、あの日以来1度も話してないから」
「だったら! そいつ、ただ生きるためにエンコーしてるだけなんだろ? 自分が何をしているのか判らない子供なんだろ? 見つけたら諭して、2度とエンコーなんかしないようにして、お前がその力で種を抜いてやれば、それで済む話なんじゃないのか?」
「それで済むのならそうするよ。あたしだって、あの子をどうこうしたいなんて、そもそも最初から思ってないから」
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満月のルビー24
 倉庫を出る前に、山崎は男の財布から万札を数枚抜き取った。中身がいくらか減っている方が男は安心するという。それはオレもそうかもしれないと思った。以前山崎が「やってることは同じだ」と言っていたのにはこういう意味もあったのだろう。
「山崎、オレ、おまえにいろいろ訊きたいことがある」
 山崎は無関心そうな仕草でオレを見上げた。その表情は今の服装には似合っていると思うけど、これまで感じてきた山崎とはどうしても一致しない。まるっきりの別人を相手にしているようで、オレはかなり戸惑っていた。
「移動しながら話すよ。あんまりヨシユキを待たせられないから」
「ヨシユキ?」
「あたしの兄だって言ってる人のこと。種との相性はあたしよりも悪いから、一刻も早く助けてあげたいんだ」
 一通り周囲を見回してから、山崎は倉庫を出た。オレもあとに続く。
「できるだけ最短距離を行くから、走ってついてきて。走りながら質問して」
 そう言うととたんに走り出したから、オレも遅れないようについていく。全力で走りながらの会話など無謀だと思ったけれど、息を切らせる前にとオレは訊きたいことを簡潔に言った。
「前にあいつと会ったことがあるって、どういうことだ? 山崎がここにきたのか?」
「こないよ。この街にきたのは今回が初めて」
 対する山崎は息さえ乱れていない。
「あの男が言ってたのは自分に種を植え付けた人のことだと思う。あたしの顔を見ると「前に会った」って言う人が多いの。だからたぶん、あたしに似てるんだと思う」
「お前が最初に蒔いた種、って、人なのか? 人間? お前に似た?」
「顔を見たことはないんだ。年はあたしよりも2歳下で、たぶんあいつみたいなのとエンコーしながら生きてるんだと思う。そうしなければ食べられないから」
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満月のルビー23
 男が山崎の腰に手を回して口付ける。山崎も男の首に抱きつくようにして応えていた。衝動的に飛び出していきそうになって、山崎先輩との約束を思い出してとどまる。山崎はけっして好きでしているのではないのだ。それは判っているのに、山崎に何もかもをぶつけてしまいたい。オレは自分が何を思っているのかすら判っていなかったのに。
 長いキスを続けていたそのとき、男の様子が不意に変わった。急に目を開けたかと思うと山崎の両肩を掴んで引き離そうとし始めたのだ。山崎の方は判っていたようで抱きつく腕にさらに力を入れる。見守るオレには男が苦しんでもがいているように見えた。おそらくその通りのことが起こっているのだ。
 初めて山崎を見たあの夜、オレはただ熱烈なキスに驚いて呆然と見守っていただけだった。約1ヶ月の時間、山崎の存在に触れて話を聞いて、そこに生まれている攻防をオレは理解した。山崎の中にある複雑な気持ちさえも。
 やがて長かった戦いが終わって、男はその場に倒れ込んだ。山崎が冷ややかな目で見下ろす。無表情に隠されていたけれど、オレはその山崎の視線の中に蔑みと哀れみと決意のようなものを感じた。
 口の中から赤いルビーを取り出して、月の光に当てたあと、山崎が口にした言葉を今度は聞くことができた。
「37月目。ようやく追いついた。 ―― 羽佐間君、いるならもう出てきてもいいよ」
 オレがこわばった身体を動かして木箱の陰から出ると、山崎はまっすぐにオレを見つめていた。いつもすぐに目をそらす山崎とは別人のようだ。その冷たい表情も。
「……終わったのか?」
「ここはね。でも今夜はまだもう1人残ってる。羽佐間君も手伝ってくれる?」
 オレは少し考えて、山崎が言うもう1人が先輩の追っている種のことだと理解した。
「オレにできることなんかあるのか?」
「1つだけ。羽佐間君がいてくれるとものすごく助かるんだ。お願い、一緒にきて」
 山崎にそう言われて断る理由はオレにはなかった。
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満月のルビー22
 メモにあった場所は埠頭の倉庫だった。だいたい9時ごろに到着したオレは、鍵のかかっていない入口を通って中へと入っていく。体育館ほどの広さを持つ倉庫はがらんとしていて、ここが今は使われていないのだと知った。高い位置の窓からの月明かりを頼りにあちこち歩き回って、いくつか残っていた木箱を積み上げてオレが隠れられる場所を作った。
 それから長い時間を待ち続ける。目安の10時を過ぎる頃には先輩にかつがれたかもと不安になったけれど、それからさらに30分ほど経ったとき、外から話し声と足音が近づいてきて隠れたオレを緊張させた。
「 ―― ここ、入るわけ?」
「そう。なんか変?」
「だってここ倉庫だぜ。もしかして仲間がいてオヤジ狩りされたりする?」
「まさかあ、しないよそんなこと。ほら見て、誰もいないでしょ?」
 声の1つは山崎だった。いつもよりもずっと張りがあって明るい感じがする。山崎に続いて倉庫へ入ってきたのは30歳前後に見える男。周囲を警戒しながら入ってくるその様子はごく普通に見えるけれど、山崎の言葉を信じるなら3年前から体内に種を宿しているのだろう。
「ああ、誰もいないな。だけどベッドもないぜ。こんなところでいったいどうするつもりなんだよ」
「ホテルとか、もう飽きちゃってさ。だってどこもおんなじようなんだもん。だから今は変わったところでするのがマイブームなの。付き合ってくれるでしょう?」
「確かに。こんなのずっと続けてたらさぞかし飽きるだろうぜ。おまえ、前に1度オレとしたことあるだろ」
 前を歩いていた山崎は、振り返って少し大げさに首を傾げて見せた。
「そうだっけ? いつ頃のこと?」
「2年か……もっと前だったかな? さっき見てすぐに判ったぜ。まだ胸なんかペッタンコのくせにオレのこと誘ってたじゃん」
「やだぁ、そんなのいちいち覚えてる訳ないよ。そんなことよりさっさとすることしてお金ちょうだい」
 山崎は媚を売るように男の腕に手を絡ませる。オレはいつもよりも明るくて饒舌な山崎になんとなく腹が立った。
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満月のルビー21
「気づいてないようだから1つだけ言っておく。……今、手がけている2人の宿主が片付いたら、僕とヒフミはまた遠くへ行くよ」
 思いがけないことをとつぜん言われて、オレは固まってしまっていた。そうだ、山崎はここにはあと2人しか宿主がいないと言った。この兄妹がこの街にいる宿主を追って転校してきたのなら、また新たな宿主を求めて転校していってしまってもおかしくないんだ。
「どこへ行くんですか?」
「ヒフミが蒔いた1つの種を追って南から来たんだ。もうすぐ夏休みだから、少し広範囲を探してみるつもりでいる」
「北へ、ですか?」
「今までは通り魔殺人事件の痕跡を頼りに探していたのだけど、今回でようやく追いついたんだ。だからこれから先は目印がない。それでも探し続けていけば、いつかすべての始まりである1つの種に辿りつくことができるだろう。何年かかるか判らないけれど」
 オレが2人を追っていくとでも思っているのかもしれない。具体的なことは訊かれたくないように思えたから、オレもそれ以上は尋ねなかった。
 少しの沈黙があって、山崎先輩はポケットから手帳を取り出した。何かを書いたあと破いてオレに手渡す。
「明日の夜、たぶん10時くらいになると思う。この場所にヒフミが宿主を連れてくることになってるんだ。ヒフミのことが気になるなら来るといいよ。ただし、物陰からこっそり見ているだけ、事が済むまでヒフミの邪魔はしない、というのが条件だけど」
「……いいんですか?」
「うん。ヒフミにはちゃんと話しておくから。くるもこないも羽佐間君の自由だよ。……今ならまだ係わり合いにならずに済ませることもできる。だけど、来ちゃったときにはいろいろ覚悟してもらうことになるからね」
 先輩の言い方に少しだけ恐怖感をあおられた。だけど、この時点でオレはほぼ100パーセント、この場所へ行くことを決めていた。オレは既にここで何が起きるのかを知っているのだ。もう1度確かめずにはいられなかった。
 なにより、オレは山崎に会いたかったのだ。
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満月のルビー20
「山崎が不思議な力を持っていることと、その力のせいで以前種を蒔いてしまったこと。その種が増殖して宿主になった人間に殺人をさせていること。山崎が宿主の中から種を取り出していること、ですね」
 要点だけを簡単に答えると、先輩はオレに好意的な笑みを向けた。
「ヒフミが言ってた通りだ。羽佐間君は頭がいい」
「山崎は今何をしてるんですか?」
「宿主の行動範囲を調べてるよ。満月はもう明日だからね、タイミングよく接触できなければ人の命1つと1ヶ月の時間が無駄になる。種が活動している最中に接触しなければ取り出すこともできないから」
「そうですか」
 さらりとすごいことを言う人だ。全体的には優しそうな印象を振りまいているけれど、どこかに冷たい部分があるような気がした。そしてそれは、ほんの少し山崎にも共通する印象だ。
「ずいぶん簡単に信じるんだね。羽佐間君が僕やヒフミを疑わないのはどうして? こんな荒唐無稽な話、まずは疑うものだと思うけど」
「疑いました、最初は。だけど……山崎は、正直だと思ったから」
 オレの答えに先輩は首をかしげる仕草をしたから、オレは自分の言葉を補足した。
「山崎は、自己顕示欲がないですから。そういう人、オレは会うのが初めてだけど、人間て自己顕示欲がなければ不必要な嘘はつかないだろうな、って思ったんです。話してくれてないことはたぶん山ほどあるんだろうけど」
「そりゃあね、もちろんたくさんあるよ。……そうか。そういう羽佐間君だからヒフミは楽なんだね。ふだん人見知りの激しいあの子が羽佐間君にだけは懐いているようだから、いったいどんな人なんだろうと思ってたんだけど」
 実の兄から見たら、山崎がオレに懐いているように見えるのか。オレ自身は未だ山崎に心を許してもらえているとは思えないのに。
 それはもちろん、出会ってまだ1ヶ月も経っていないのだから、そう簡単に親しくなれるとは思ってない。だけど山崎となら、より親しくなるための努力を惜しみなく費やせるような気がしていたのだ。
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満月のルビー19
 翌日、山崎は学校を休んだ。もちろんオレは心配だったのだけど、あのあと夜通し宿主を追っていたのなら睡眠不足で眠っているだけかもしれないと思って、特に詮索はしなかった。だけどさらに翌日も休んでくれて、しかもオレからのメールにも電話にもぜんぜん音沙汰がなかったものだから、オレはいてもたってもいられなくなってしまっていた。なにしろ敵は通り魔殺人犯なのだ。まかり間違って大怪我でもしているかもしれないじゃないか。
 帰りに1度アパートに立ち寄って、夕食後にもう1度訪ねてみた。どちらも不在だったのだけど、今日こそは諦めるつもりはなかったから、そのまま帰りを待つことにした。アパートの周辺を歩き回って、部屋の明かりがかろうじて見える場所に公園を見つけた。そこのベンチに腰掛けて、部屋の明かりがつくのを徹夜で待つつもりだった。
 そうして待ち続けて、真夜中を少し回った頃だった。声をかけられて振り返ると、そこには山崎先輩が立っていたのだ。
「羽佐間、っていったっけ。ヒフミと同じクラスの」
 先輩が言った名前は耳慣れなくて、オレは初めて自分が山崎のファーストネームを知らなかったことに気づいた。
 山崎と似た雰囲気を持つ先輩はうっすらと微笑んでいた。1度教室で見かけたときとは少し表情が違う。山崎に負けず劣らず白い肌が、満月に近い月明かりに怪しく光っている。もちろんオレの気のせいだ。
「先輩、山崎は元気なんですか? ……担任は風邪だって言ってたけど」
 それが真実じゃないことはオレにも判っていた。
「僕も一昨日から顔を合わせてないけど、たぶん元気だと思うよ。メールは届いてるから心配は要らない」
「帰ってきてないんですか?」
 先輩は無言で肯定する。心配じゃないのだろうか。山崎のためにわざわざ学校に帽子を持ってきた兄バカなのに。
「羽佐間君、ヒフミは話したんだろう? どこまで聞いた?」
 オレが座っていたベンチに腰掛けながら先輩が訊いてくる。オレも再びベンチに座って、身長の関係で少し見上げる形になった。先輩が言うのはもちろん例の種のことだ。おそらく、オレからきちんと話をしなければ、先輩からは何も話してくれないつもりなのだろう。
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満月のルビー18
 どうして山崎1人でこんな危険なことをしなければならないんだろう。オレは何も協力できない。
「山崎先輩は? 先輩には山崎と同じ力はないのか?」
「……あるけど」
「だったら手伝ってくれないのか?」
「くれてるよ。もう1人の宿主を追ってて、今は根回ししてくれてる」
 ああ、そうか。山崎先輩が追ってるのは、校内で深井先輩を殺した宿主の方だ。オレはつい何も考えずに訊いてしまった。
「それって誰なんだ?」
「……羽佐間君は知らない方がいいと思う」
 山崎にしてみればそう答えるしかなかっただろう。オレだって、本気で宿主の名前を知りたいと思っていた訳じゃなかった。いくら満月の夜以外は普通の人間と変わらないからといって、自分の近くに殺人犯がいるのは気持ちのいいものじゃないだろう。
 そのときだった。ふと山崎が顔を上げて、正面の壁の一点を見つめたのだ。
「山崎?」
「……見つけた」
 山崎の緊張感が伝わってくる。少しの間宿主の気配を探っていたらしい山崎は、駆け出すと同時にオレに叫んでいた。
「ごめんなさい。ここからは1人で行動させて!」
「え? おい山崎!」
「ごめんなさい!」
 オレは山崎を追いかけて路地を飛び出したのだけど、通りに出る頃には既にオレのはるか先を走っていて、追いつくのは不可能だった。ふだん体育を見学している山崎のこんな姿を見たらクラスの連中はいったいなんて言うだろう。高校生の女の子の脚力じゃなかった。
 もしかしたら山崎は、この人並み外れた肉体能力を隠すために、体育の授業を見学しているのかもしれない。
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満月のルビー17
 夜になると月を見上げるのが習慣になった。ケータイを持っていないオレは、夕食後にパソコンのメールをチェックする。山崎のケータイから送られてきた駅名を確認して返信したあとに家を出た。ケータイなんて息苦しいだけだと思っていたけど、山崎の犯人探しに付き合うようになってからは持っていないのが不便だと思うようになった。
 月齢12。満月の3日前。駅の繁華街でオレは夜に溶け込む山崎を探した。待ち合わせをしている訳じゃないけど、1度慣れてしまえば人込みを歩き回る山崎と遭遇するのはさほど難しくない。視界に彼女の姿を確認して、そのまま声をかけずにあとをつけていく。山崎がオレに気づくと細い路地に入ってオレがくるのを待っていてくれた。
「 ―― 月曜だから大丈夫だと思うけど、一応気をつけろよ。武井の最寄り駅だ」
「あたしは大丈夫。羽佐間君こそ気をつけて。……今日はたぶん、当たりだから」
「……近くにいるのか?」
 山崎は無言でうなずいた。通り魔犯がこの近くにいる。オレは気持ちが高ぶるのを感じた。
「オレでもひと目見て判るような特徴ってあるのか?」
「何もないの。……直後なら、アザみたいなものが残ってることもあるけど、3年も経ってるから」
 底知れない怖さがあると思う。あの赤い珠がどうやって人間の体内に入るのか、山崎はまだ説明してくれない。だけど、きっと宿主本人も気づかないうちに身体の中に入り込んで、少しずつ育って、3年後の満月の夜に身体を乗っ取られて殺人を犯すんだ。もしかしたら今このとき、オレの身体の中にも存在しているのかもしれない。我に返ったら目の前に惨殺死体があるというのはいったいどういう気持ちなんだろう。想像するのすら怖い気がする。
「今夜見つけられたらキスするのか?」
 オレの言葉に、山崎はさっと顔を赤らめてうつむいた。表現が少し過激だったかもしれない。
「……今日はしない。今のあたしの力では種が活動中じゃないと取り出せないから」
 種の活動中には、宿主は殺人状態にある。つまり山崎が次の犠牲者になる危険と紙一重だってことだ。
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満月のルビー16
 だけどオレの想像力にも限界がある。この時点でもう山崎の話についていけなくなってたんだ。
「種は植え付けられた人間の中で育って、37回目の満月を迎えたとき、宿主の人間を完全に乗っ取って人を殺す。そのあとも満月を迎えるたびに種は人を殺し続ける。だけど、宿主の人間は種に乗っ取られている間の記憶がないから、自分が殺人犯だなんて夢にも思ってない。……ね、ぜんぶあたしが悪いでしょう? だから、通り魔犯を警察に教えたりできないんだよ」
 それきり言葉を切った山崎に適切なコメントを言えるようになるまで少し時間がかかった。
「……ええっと、つまり、満月の夜の通り魔はその種を植え付けられた人間だってこと? その、山崎が最初に蒔いた種が分裂して」
「そう、かな。分裂だとちょっとニュアンスが違うけど」
「細かいところは諦めようぜお互い。……で、お前は種の宿主を見つけてどうするんだ? 殺すのか?」
 そのとき山崎はついと立ち上がって、押入れの中から菓子缶のようなものを取り出してきた。ふたをあけてオレに見せてくれる。その中には、ルビーよりも少し赤みの強い珠がきれいに整理されて並べられていたんだ。
 初めて出会ったときのことを思い出した。あの時、山崎とキスしていた男が倒れたあと、彼女は自分の口の中から飴玉のようなものを取り出した。まるで血のような色をした赤い珠。既に20個以上もあるこのうちの1つは、たぶんあのときの珠だ。
「これが種。宿主の中にいなければ、それ以上人間に影響を与えないの。これさえ取り出しちゃえば宿主は普通の生活に戻れるから」
 なるほど、確かに警察の出る幕じゃないか。むしろ下手に捕まっちまった方が宿主も警察も不幸だ。山崎が宿主から早急に種を取り出すのが1番いい。
 あのときのあのキスは、彼女が宿主の体内から種を取り出すための儀式だったという訳か。もちろん好きでしているのじゃないのだろう。
「……エンコーなんて言って悪かった」
 ボソッと謝ると、山崎は顔を上げて、笑顔で首を振った。ドキッと心臓が跳ねて、オレは久しぶりに山崎を綺麗だと思った。
「やってることは同じだし、悪いのはあたしだから。羽佐間君はひとかけらも悪くないよ」
 山崎にはまだまだ謎が多いけれど、これからもずっとそばにいたいと思った。
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満月のルビー15
「……今は、ちょっと怪しいかも。まだ力が充実してないから」
 山崎の言う力が一種の超能力のようなものなのだと、オレは自分なりに解釈した。山崎は人ごみの気配を探ることで通り魔犯を探し出せるのだという。その真偽は判らなかったけれど、この数日でオレの中からはもう、山崎のことを疑う気持ちがすっかり失せていた。
「でも、あと何日かしたらはっきり判るんだ。この近くにもう1人いるのは間違いないから」
「もう1人ってどういうことだ? あの通り魔犯って複数犯なのか?」
「うん、複数っていうか。……このあたりには4人いたの。2人はいなくなって、もう1人は判ってる。だから、残ってるのはあと1人」
「それじゃ、深井先輩を殺したのが誰なのかも山崎には判ってるのか?」
 これは半分カマをかけたのだ。だけどそれに気づいたのかそうでなかったのか、山崎は黙ってうなずいていた。
「判ってるならどうして警察に言わないんだよ。だって、校内の人間なんだろ? こんな危ないマネまでして、下手したらお前が被害者になるかもじゃんか」
「証拠、ないし。……それに、自分が蒔いた種だから」
「それが判らない。どうして山崎が蒔いた種が通り魔になるんだよ」
「……場所、変えて話そう。ちょっと疲れた」
 そう提案した山崎に導かれて、オレは再び山崎のアパートへ行った。このとき既に夜の10時を回っていたのだけど、なぜか山崎先輩は帰っていなかった。
「 ―― 昔、まだあたしが自分のことについてなにも知らなかった頃、自分でも気づかないうちにひとつの種を蒔いたの」
 山崎は内気で、そのぶん口下手だった。オレはせっかく話し始めてくれた山崎の言葉をさえぎらないように、判らないところは想像で補うことにする。おそらく、昔の山崎が知らなかった自分のことというのは、今犯人探しに使っている超能力のことだろう。
「あたしが蒔いた1つの種は月に1度、1つの種を1人の人間に植え付けて増えていった。月に1度、満月の夜に。あたしはそのことにずっと気がつかなかった。それに気づいたとき、最初の種を蒔いてから既に3年が経っていたの」
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満月のルビー14
「べつに。ただ歩いてるだけ。ここでは誰もオレを見ないから」
 自分が果たしてどういう場所に立っているのか、オレは知りたかった。限られた人と関わるだけでは自分の位置が見定められない。隅から隅まで歩かなければ自分が存在する場所の広さが判らない。だからオレは、自分が存在しない場所を歩きたくて繁華街をうろついていた。
「……でも、羽佐間君はあたしに声をかけたよ」
 そう、山崎に言われて、オレは初めて気づいた。もしかしたらオレは山崎に会いたくてずっとここにきていたんじゃないかって。
「いくらなんだ?」
 山崎は意味が判らないというように上目遣いで首をかしげた。
「お前の値段。いくら出したらお前とエンコーできるんだ?」
 反応の予想はまったくつかなかった。いや、自分の中ではいろいろなパターンを想像していたのだと思う。山崎は表面的にはまったく驚いたようには見えなかった。再び目を伏せて、小さく言う。
「……お金なんか、要らない。ただ、知りたいだけだから。……あたしがどこにいればいいのか。どこなら許されるのか」
 たぶん、山崎がここにいる理由も、オレと同じなのだ。本当は同じじゃないのかもしれないけれど、このときのオレは自分が山崎に惹かれている事実とその理由を理解した気がしていた。
 山崎がいることを日常にしてしまいたかったのかもしれない。この日から、オレは山崎の犯人探しについて回ることを日課にした。たぶん山崎はエンコーなんかしてない。自然とそう思えたことが自分でも不思議だった。あんなに熱烈なキスシーンを目撃していたというのに。
 人ごみに何かを求めるように目を凝らして、山崎は歩いていく。ときどきケータイの着信をチェックしている。なぜかと聞いたら兄からの連絡を待っているのだと答えた。オレは山崎から少し離れた位置をキープしながらついていく。たまにメールを打っているのは山崎先輩に連絡を入れているのだろう。
「顔を見ただけで犯人かどうか判るのか?」
 人気のない路地で立ち止まって小休止したとき、オレは山崎に訊いてみた。
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満月のルビー13
 ずっと気づかなかったのだけど、オレにとって「山崎がいる」ということ自体が非日常だったらしい。クラスの連中はすでに山崎を1人のクラスメイトとして受け入れていたのだけど、オレ自身はいつまで経っても「山崎がいる」という事実を日常として受け入れることができずにいた。授業が終わると、知らない間にオレは山崎の気配を探している。山崎の姿を盗み見て、クラスメイトと交わされる会話の声を聴いている。
 たぶんオレはできるだけ早く自分自身の日常を取り戻したかったのだろう。オレの中にある非日常と日常とのバランスを取ろうとしていたのかもしれない。部活に入ってないオレは放課後家に帰るとすぐに勉強を始めた。そして、夕食後には必死になって繁華街をうろついた。
 落ち着かない。いつもと同じ行動をとっているのに、ふと気がつくと考えているのは山崎のことだけだった。
 誰が誰に殺されようが、クラスメイトがエンコーしようが、ずっとオレには関わりないことだと思ってきたはずだったのに。
 オレと山崎との関係は、初めて会話を交わしたあのときの前とあととで特に変わるということはなかった。教室では内気でおとなしい純情高校生を演じている山崎はそれゆえオレに話しかけてくるようなことはなかったし、オレの方から話しかけるようなこともしなかった。その日、最近毎日のように違う駅の繁華街へ出かけていたオレは、みたびあの山崎と遭遇した。どうやら山崎はオレの忠告を覚えていて、1年生を受け持つ教師の担当区は避けてエンコーしているようだった。
「 ―― 今日はどっちなんだ?」
「……どっち?」
「エンコーと犯人探し」
「……犯人探しの方」
 ひと目オレを認めたあとはずっと目を伏せている。特にオレを苦手だからという訳じゃないんだろう。クラスでも山崎はいつもうつむいていた。
「……羽佐間君は? いつもここで何してるの?」
 答えには少しだけ迷ったけれど、山崎にそれを話すこと自体にはまったく迷わなかった自分が不思議だった。
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満月のルビー12
 オレ自身、こんな話を山崎にするとは思っていなかった。蓬田にだってしなかった話だ。
「かまわねえよ。山崎が好きなようにすればいい。ただ、教師の担当区だけは把握しておいた方がいいぜ。退学になりたくはないだろ?」
 オレがそう言ったあと、山崎は初めて笑顔を見せた。はにかんだような、いつも教室で見せている笑顔。化粧した顔には不釣合いだった。
「今日のは、エンコーじゃないんだ。……人を、探してたの」
 今日のは、ってことは、その前のはエンコーだったのか。それとも違ったのか。オレには判断がつかなかった。
「人? いったい誰を?」
「うん。……通り魔殺人の、犯人」
「はあ?」
 思わず大声を出しちまっていた。山崎が通り魔殺人犯を探してるっていうのか? そんな、なんていうか、ある意味めちゃくちゃばかばかしいこと、信じる気にもなれなかった。
「なんでそんなこと! 関係ねーだろ山崎には!」
「関係、なくもないから。……ていうか、あれって、あたしが原因だから」
「バカなこと言うなよ! お前が原因で通り魔殺人なんか起きるか普通! ぜってー勘違いだ。ありえねえよそんなこと」
 そのとき、外の廊下を歩いてくる足音を聞いた気がした。会話を中断して聞き耳を立てているとまもなく玄関のドアが開いて山崎先輩が顔を出す。オレの姿を見て、先輩も少し驚いたようだった。
「あ、えーと、いらっしゃい」
「あの……はい、お邪魔してます」
 そんな中途半端な会話を交わしたあと、先輩が山崎に「誰?」と尋ねて、山崎が「クラスの羽佐間君」と答えたところまでを見守った。山崎先輩は兄バカだ。こんな時間に妹と2人きりで部屋にいたオレにけっしていい感情は抱かないだろう。
 まるで逃げるように、オレは山崎の家をあとにしていた。なにを焦っているのか自分でもよく判らなかった。
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満月のルビー11
 送っていくとのオレの言葉に、うなずいた山崎は先に立って歩いていった。駅からほんの10分ほど歩いてひとつのアパートの前で足を止める。両親は海外赴任らしいから、おそらくこのアパートに山崎先輩と2人きりで住んでいるのだろう。
 外階段を上がって、玄関のドアの前まで送り届けた。そのあとどうするべきか迷っていると、鍵を開けた山崎が視線と手招きとでオレを部屋の中へ入れてくれた。そのワンルームは異様なほど閑散とした、ほんとうに何もない部屋だった。
 冷蔵庫からウーロン茶を用意している間も、山崎はずっと無言のままだった。小さな折りたたみテーブルを用意してグラスを置いたとき、ようやく山崎は口を開いた。
「羽佐間君、だよね。同じクラスの」
 山崎は教室にいるときの雰囲気に戻っていた。オレは満月の彼女が山崎だということを疑ってはいなかったけれど、ここへきて初めて「やっぱり同一人物だったのか」と思った。納得したような、ちょっと意外だったような、がっかりしたような、複雑な気分だった。
「オレの名前、覚えてくれてたんだ。1度も話したことないのに」
「前に1度見られてたし。……結城先生によく当てられてたから」
 そう言ったきり、再び沈黙が包む。オレは余計なことは何も言わなかった。とにかく山崎の出方を見る方が先だと思ったから。オレが待っていた反応は、しばらくの沈黙のあとにもたらされた。
「……誰にも、言わないでくれる?」
 その反応はオレが予想していた範囲のもので、いくぶんほっとしたと同時に少しだけ失望した。
「やっぱ、エンコーなんだ」
 真っ赤な唇を噛み締める。そうしてうなだれた山崎はさらに小さく見えた。
「……羽佐間君だって、真夜中に出歩いてたよ。あんなに勉強できるのにどうして」
「それ、逆。自由にしていたいから成績を免罪符にしてるだけ。勉強さえできれば親もセンコーも何も言わないから」
 山崎はちょっと驚いたように顔を上げた。
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満月のルビー10
 深井先輩を殺した犯人はなかなか見つからなかった。オレは犯人は校内の人間だと思っていたけれど、どうやら警察もそう思ったようで、校内には刑事が頻繁に出入りしているようだ。だけどうちの学校は幼年部から大学部までそろった名門私立学園で、出入りが許可されている関係者だけでも5千人を超える。高等部だけに絞ったって千人以上だ。もちろん深井先輩と面識があった人間まで絞ればもっと少なくなるだろうけれど、このところ近くで起きている通り魔事件の可能性もある。そう考えれば否応なしに捜査の手を広げない訳にいかないだろうから、なかなか犯人に辿りつけないというのもうなずける気がした。
 死体発見からさらに10日もした頃、1度学校から帰宅したオレは着替えて待ち合わせの駅へ向かった。予約してあったインディーズのCDを受け取りがてら、蓬田の買い物に付き合う約束をしたのだ。蓬田は散々迷った末に1足のバッシュと中古のゲームを買って帰っていった。蓬田とは駅で別れて、オレは何気なく駅前の繁華街を歩いていた。
 金曜日の夜は人通りも多い。まださほどの時間じゃないけれど、雰囲気に流されてオレはその飲み屋街を歩いていく。と、不意にその姿に気づいたのだ。いつもとは違うイメージの、だけどオレが1度だけ見たことがある山崎に。
 たぶん、オレ以外の人間だったら、今目の前にいるのが山崎だとは気づかなかっただろう。
 ストレートの髪にはメッシュを入れて一部アンバランスに結い上げている。きれいに化粧した顔と赤すぎる口紅。黒いラメの入ったショートパンツから惜しみなく生足をさらして、時々ケータイを気にしながら周りの様子を伺っていた。あの満月の夜に初めて会ったときの山崎が、時と場所を移して今目の前にいたんだ。
 山崎はすぐにオレの視線に気づいた。少し驚いたように目を伏せたから、オレは思い切って近づいていった。何を言おうと考えていた訳じゃなかった。
「ここ、危ないぞ」
 小柄な山崎ははっとしてオレを見上げた。
「結城の担当区だ。金曜は特にそんな格好で出歩いてると補導される。エンコーならこのあいだの駅のほうがマシだ」
 それが、オレと山崎が初めて交わした会話だった。
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満月のルビー9
 山崎の兄という人は校内で何度か見かけたことがある。小柄な山崎とは違って身長も平均以上はあったし、少なくとも内気な人には見えなかった。たまたま体育が一緒の時間なのだけど、電算部なんかにはもったいないくらい運動神経のある人だ。女子が言ってた通り山崎に似た雰囲気があって、ひと目見てすぐにこの人だと判った。
 ホームルームが終わって、担任が教室を出ようとしてふと足を止めた。開いたドアの向こうに山崎先輩が立っていたからだ。クラスの女子の間で小さい悲鳴とざわめきがおきる。だけどオレが驚いたのは、担任の結城が表情を緩めて微笑を浮かべたことだった。
「どうした、山崎」
「あ、ええと、妹を迎えに来ました。事件のこともあるし、いろいろと心配なので」
「そうか。……それじゃ、また明日部活でな」
「はい」
 対する山崎先輩は終始笑顔で、いくぶん照れているようにも見えた。さすが兄妹だけあって、そういう表情は山崎にも共通するものがある。結城は1度だけ先輩の肩をたたいてから教室を出て行った。どうやら先輩はそうとう結城に気に入られているらしい。
 そのまま先輩は教室に入ってきて、姿を見て立ち上がりかけた山崎ににっこり笑いかけた。山崎の方はたいして表情を変えなかったけれど、周囲の女子からはため息が漏れた。確かにきれいな人だと思う。もしも結城がホモだという噂が本当なら、事件とは別の意味で電算部は先輩にとって危険な場所になるだろう。
「さ、帰ろうか」
 そういうと、先輩は持ってきた紙袋からつばの広い帽子を取り出して、山崎の頭にかぶせていた。その淡い空色の帽子は山崎にはよく似合っていたけれど、うちの制服には合ってない。先輩、こんなものを持って登校してきたのか? 確かに身体の弱い妹を炎天下1人で歩かせるのは心配だろうけど、オレが見る限り山崎先輩はかなりの兄バカだ。
 クラスの女子は思いがけず先輩と近くで対面したことで、これを機会に自分をアピールしたかったらしい。いろいろと話しかけていたけど、先輩は笑顔であしらって早々に山崎を連れてドアを出て行った。
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満月のルビー8
 蓬田の奴はオレに怒鳴り散らして、でもオレがたいした反応を見せなかったからか、怒ってほかのクラスメイトのところへ行ってしまった。オレは別にノンキな訳でも薄情な訳でもない。ただ、オレはパニックを起こしたとき思考停止するタイプで、発散型の蓬田とは思考回路が違うだけなんだ。そんなオレは傍から見ると物に動じない沈着冷静な奴に見えるらしい。
 やがて担任の結城の指示で講堂兼体育館に連れて行かれて、事件の簡単な説明とマスコミへの対応について、今後落ち着いて勉学に励むようになどという教授を受けたあと、再び教室に戻る。その頃にはオレもずいぶん冷静にものを考えられるようになっていたから、講堂から戻って再び担任が現われるまでの間、椅子に座ってぼんやりと事件について思っていた。
 オレが最初にこの話を聞いたのは、山崎が転校してきた翌日だった。そのとき誰かが「一昨日の夜から行方不明になっている」と言ってたから、電算部の深井先輩が行方不明になったのは、まさにオレが初めて山崎に会ったあの満月の夜だということになる。深井先輩も全身をナイフのようなもので傷つけられていた。ということは、先輩も満月の通り魔の被害者だったんだ。
 オレはふと山崎に視線を走らせた。山崎はショックを受けたようにうつむいたままほかの女子に慰められていて、オレの位置からは山崎の横顔だけが見える。両手を握り締めて唇を震わせている様子は本当にショックを受けているようにしか見えないのに、なぜか違和感を感じた。しばらく見つめていて判った。うつむいて伏せられているはずの目が、何かを考えているように一点を見つめていたんだ。
 満月の通り魔。まさか、本当に山崎が犯人なのか……?
 いや、あの時山崎はまだうちの学校の生徒じゃなかった。深井先輩と直接の面識なんてなかっただろう。たとえ面識があったとしても、世間で学校内の通り魔犯罪が増えてからうちの学校は徹底して外部の人間を入れないようにしているから、わざわざ校内で犯行に及ぶ理由なんてない。もちろん夜中に誰かが忍び込むなんてことも無理で。
 とんでもないことに気づいた。校内の鍵のかかった倉庫で人を殺すなんてこと、この学校の人間以外には不可能だ。
 そのとき、オレの耳にその声が届いていた。
「 ―― やっぱりお兄さん、電算部やめさせたほうがいいよ。なんか怖いじゃん」
 声は山崎を慰めていた女子の1人で、そのときオレは初めて、山崎の兄が電算部に入ったことを知ったのだ。
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満月のルビー7
 それから数日、オレはいつ山崎に声をかけられるかと半分びくびくしながら過ごしていたのだけど、残りの半分はどうにでもなれと諦めた気分でいた。あの夜にオレが見たものは、今の山崎にはたぶん見られたくなかったものだ。どちらの山崎が本当の山崎なのかは判らないけれど、繁華街でエンコーしてたなんて噂が流れただけでも、有名私立進学校を気取ったうちの学校じゃ十分退学の理由になる。おとなしい優等生を装っている山崎なら、オレがいつ口を割るか気が気じゃないはずだった。
 教室で初めて目が合ったあの日の朝、確かに山崎は気がついてた。オレがあの夜の山崎を見ていた高校生だ、って。
 だけどその日以降オレと山崎とは同じクラスにいながら何の接点もないままで、オレ自身もあの日のことを半ば忘れかけていた。
 山崎が転校してきてから1週間あまり経った頃、オレが遅刻ぎりぎりで公道を走っていると、校門の前になにやら人だかりができていた。近づいていくとそれはテレビカメラやら中継車やらでちょっと驚く。どうやらうちの学校で何かあったらしいな。とにかく人ごみを掻き分けてIDカードを通し、どうにか時間内に教室へと滑り込むと、教室の中もかなり騒然としていた。
「蓬田、何かあったのか?」
 いつものダチに声をかける。オレの声がけっこうのんびりしていたせいだろう、蓬田は少し怒った風に答え始めた。
「お前今朝のニュース見なかったのか? 電算部の深井先輩が死体で見つかったんだよ」
 言われた言葉を理解するのに少しかかった。そういえば誰かがそんなことを言ってなかったか? 電算部の3年が行方不明になってるとか。
「……死んでたんだ。で?」
「で?って。相変わらずノンキな奴だな。旧校舎脇のプレハブ倉庫で殺されてたんだんだとよ。死後10日くらい経ってるから、行方不明になった直後に殺されたんじゃないかって。だから今日は全校集会のあとは授業なしだ」
「へえ、ラッキーじゃん」
「あのなあ! この夏のさなか10日も放置されてたんだぞ! 昨日偶然演劇部が倉庫に入らなかったら発見はもっと遅かったかもって。オレたち10日も死体と同じ敷地で授業受けてたんだぜ! 普通ショックだろうが。ラッキーってなんだラッキーって!」
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満月のルビー6
 なんで2メートルのフェンスを軽々飛び越えるヤツが体育を見学するんだ? とは思ったけど、賢明なオレはそれを口に出したりはしなかった。
「判る判る! 山崎さん、いかにも深窓の令嬢、って感じだもんね。色白でほんとうらやましいよ」
「そんな、あたしなんかトロくて何にもできなくて。水谷さんの方がずっといいよ」
 こういう科白を美人で成績のいい奴が言うと嫌味にしか聞こえないもんだが、周りの連中はずいぶん好意的に受け取ったようだ。このあたり、やっぱり山崎がほかの人間とどこか違うってことなんだろう。ほとんど周りの質問に答えるだけだった山崎は、ひとつだけ自分から質問していた。
「結城先生ってどんな人?」
「ああ、山崎さん、今日は目の敵にされてたもんね。あいつはさ、見てのとおりだよ。成績がいい奴とそうでもない奴とで態度がぜんぜん違うの。だから結城をもじってヒイキなんてあだ名がついてる。教室ではめったに笑わないしね。顔だけはいいんだけど」
「もしかして山崎さんの好みってああいうタイプ?」
「え? ううん、それは……。担任の先生だから」
「んもう、赤くなっちゃってほんとかわいいんだから! ほっぺにチューしたくなっちゃう!」
「やめてマチ! 共学なんだからレズに走らないでよ! 山崎さん困ってるじゃない」
「レズっていえばヒイキってホモの噂あるよねー」
「そうそう。電算部の部室で放課後部員の男子生徒相手にいかがわしい行為に走ってるとか」
「ねえ知ってる? 電算部の3年男子が1人行方不明になってるの。一昨日の夜からだって」
「なにそれ」
「うん、未確認なんだけどね。うちのお姉ちゃんのクラス、昨日のホームルームで心当たりがないか訊かれたって言ってたから ―― 」
 このとき話題が山崎の質問からすっかりそれてしまってたけど、彼女は真剣な表情で聞き耳を立てていて、オレは少しだけ気になった。
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満月のルビー5
 またずいぶんあの夜と印象が違う。いったいどちらが本当の彼女なのだろう。今の彼女を見ていて、真夜中に大人の男とあんなに熱烈なキスをしていようとは夢にも思えない。だけど、ほかのクラスメイトとも一線引いたような美貌をもつ女が、オレの目の前に同時に2人も現れたとはどうしたって考えられなかった。
「でもほんと、山崎さんて美人だよねえ。日本人離れしてる感じ。もしかしてハーフかクォーター?」
「そんなこと……。両親とも日本人だし、ぜんぜん……」
「うそぉ、ぜったいどこかの血が混じってるよ。ヨーロッパとか ―― 」
 そのとき担任の結城が入ってきて、それ以上美少女の話を聞くことはできなかった。
 結城は20代後半くらいの男性教師だ。なかなか厳しくて無表情、しかも成績で思いっきり生徒を差別する。余計な詮索はしてこないし、学年上位をキープしていればうるさく言われないからオレとしては気に入ってる。案の定、結城はオレの顔をチラッと見はしたけれど、昨日の無断欠席を咎めたりはしなかった。
 1時間目はたまたま結城の数学で、朝のホームルームが終わるとすぐに授業になだれ込んだ。昨日学校をサボったオレと転校生の山崎は意地悪な結城に何度か当てられたけど、オレはともかくとして山崎も多少口ごもりながらもきちんと答えていたから驚きだ。まあ、よく考えればとうぜんかもしれない。うちの高校は2年からは選択別のクラス分けになるけど、1年のうちは純粋な成績順でクラスが決まるから、1組に編入されてきた山崎の成績がいいのは当たり前のことだった。
 1時間目が終わるとさっそく山崎の周りに人垣ができる。そのやり取りはずっとオレの耳に届いていたから、この日が終わるまでにオレはかなり山崎のことを知ることができた。
「 ―― へえ、ご両親が海外出張なんだ。それで今はお兄さんと2人暮らしなのね。クラブ活動は?」
「ずっと前は生徒会に入ってたけど、今は早く帰って家のことをやらなくちゃだから」
「次、体育なんだけど体操着もってきた?」
「ごめんなさい、あたし、子供の頃から身体が弱くて。体育はぜんぶ見学なの」
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満月のルビー4
(なん、で……)
 オレは思考停止したまま彼女を見つめていた。急に落ち着きをなくしたクラスメイトに囲まれた彼女は少し照れたような笑みを浮かべていたけれど、不意にオレの方を振り返って少しだけ驚いた様子を見せた。気づかれた。一気に心拍数を跳ね上げたオレが感じたのは、あのときの口封じのために彼女に殺されるんじゃないかという恐怖だった。
 見つめたまま視線をそらすことすらできなかったオレに、やがて彼女ははにかんだような微笑を向ける。その表情はあの夜の彼女とはまるで別人のように見えた。
「わあ、こっち見て笑ったぜ、山崎さん。……まさかオレに気がある?」
「……ばーか、んな訳あるかよ」
「だよな、やっぱ。んでも羽佐間言い過ぎ」
 緊張感のない蓬田の科白にいくぶん救われた気がした。再び見ると彼女は教室を横切って1番うしろの席に着き、その周りを好奇心旺盛なクラスメイトたちに囲まれているところだった。
 蓬田も彼女に気をとられているらしく話しかけてこなかったから、オレも横目で見ながら2つ隣の席の彼女に神経を集中させていた。
「 ―― 山崎さん、転校2日目で道に迷ったりしなかった? ほら、うちの校内ってけっこう複雑じゃない?」
「うん、大丈夫。昨日きたときに覚えたし、それに今日は兄が一緒だったし」
「え? 山崎さんのお兄さんもうちの高校なの?」
「あたし見た! すっごくかっこいい人だよねー! 美人の山崎さんによく似てるの」
「ええ? 山崎さん似の美人なの? ねえ、何年何組?」
「あ、あの……。2年1組で……」
「理数系の進学クラスじゃん! 頭いいんだぁ。今度ぜひ紹介してよ!」
 周りの勢いに押されてか、彼女は顔を赤くしてうつむきながら口ごもっている。もしかしたら多少内気なタイプなのかもしれない。
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満月のルビー3
 1年1組の教室に入ったとき、何気に違和感を感じて足を止めた。ひと通り教室を見回したけれど特にいつもと違ったところはない。しいて言えば、入口に向けられたクラスメイトの視線がいつもの朝よりも多いように感じられたくらいだ。その視線もすぐにそらされたから、オレは気のせいだったことにして1番うしろの自分の席についた。
 クラスでは比較的仲がいい蓬田はいつも遅刻ぎりぎりに飛び込んでくるのに、今日はなぜかすでに登校していた。
「羽佐間、昨日はどうしたんだよ。風邪か?」
「ああ。……まあな」
 蓬田とはいちおう親友といっておかしくない程度の付き合いだけど、昨日欠席した理由を正直に話すのはためらわれた。あいまいにごまかして返事をする。そんなオレの様子を蓬田がいぶかしんだ気配もなく、すぐに別の話題を振ってきた。
「休んでたお前は知らないだろうけどな、昨日はすごかったんだぜ、うちのクラス」
「すごいって、何が?」
「転校生がきたんだ。オレ、転校生って初めてでさ、かなり興奮したよ。たぶんクラスのほとんどのやつらが初体験だぜ、転校生の自己紹介ってヤツ。しかも聞いて驚け、相手は超がつく美少女だ!」
「ふうん」
 オレはずいぶん無関心そうに蓬田を見上げたのだろう。実際オレは上の空だった。確かに転校生はオレも初体験だったけれど、そんなことよりオレの関心は2日前の夜の出来事に飛んでしまっていたから。
「そんな気のない返事するなよ! お前だってひと目見たらぜったい驚くって。オレ、昨日は興奮して眠れなかったもんなぁ。ああ、早く登校してこないかな、山崎さん」
 どうやらそれが転校生の名前らしい。なるほど、教室入口での視線の意味が判ったぜ。みんな山崎さんとやらが登校してくるのを待ってるって訳だ。どんな美少女かは知らないが、それほどの美少女が蓬田なんかの彼女になってくれるはずもないのに。
 だが、しばらくして登校してきた1人の女子にオレの視線は釘付けになった。なぜなら彼女はまぎれもなくあの満月の夜の女だったから。
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満月のルビー2
 オレははっとして目を見張ったのだけど、その場所から1歩も動くことはできなかった。目の前で人が倒れたらまずは駆け寄って声をかけるのが常識だ。それもこれもぜんぶあとから思ったことで、そのときのオレにはそうできないちゃんとした理由があった。目の前で倒れた男を、たった今までキスを交わしていた女が立ち尽くしたまま冷たい視線で見下ろしていたから。
 オレが見ている前で、女は自分の口の中に指を入れて、赤い何かを取り出した。
 飴玉のようなそれを指でつまんでくるくる回しながら月光に透かし見る。暗闇に白く浮かび上がる女の顔を初めてはっきりと見て、オレは彼女が相当な美人であることに気がついた。女は口の中で何かをつぶやいたあと、不意にオレに視線を移す。目が合って、オレは一気に心臓が跳ね上がるのを感じた。
(まさか、先月の通り魔って……!)
 常識で考えたらありえないことを思って足がすくんだ。だって、普通に考えたらこんな小柄で華奢な女が人殺しなんかできるはずない。被害者のOLも会社員も身体中を切り裂かれていたんだ。それに、さっき倒れた男は彼女の倍くらいはありそうな巨体で、彼女に何かされるなんてぜったいに思えなかったから。
 震えるオレを、女は無表情で見つめた。
 互いに見つめ合っていたのが数分だったのか、それともほんの数秒の出来事だったのか、それは判らない。気がつくと女はくるりときびすをかえしていて、路地の向こうの袋小路へと歩いていくところだった。そして、軽く2メートルはありそうなフェンスを助走もつけずに飛び越えたのだ。それからはもうオレを振り返ることもしないで、瞬く間に視界から消え去ってしまっていた。
 オレはたぶん、しばらく呆然としたままそこに立ち尽くしていた。そのあとどうやって自分が自宅へ帰ったのかは覚えていない。翌日も平日だったのだけど、学校へ行く気力すらわかずにベッドに寝転んで過ごしていた。この夜のことを独りで繰り返し辿りながら。
 さらに翌日、気になって朝刊をひっくり返したけれど、あの駅周辺で何か事件が起こった形跡はなかった。日常というものに意識を戻すとまるで夢だったようにも思えてくる。そうだよ、あの彼女が通り魔なんかであるはずがないんだ、常識で考えれば。
 食卓で親父に睨まれて新聞を手渡したあと、オレは朝食もそこそこに家を出た。
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満月のルビー1
 たとえば、夕食時の母親の小言にめちゃくちゃむかついたり、ダチからのメールについカッとなったり、そいつが態度に出ちまって親父と一触即発の雰囲気になったりした夜、家を飛び出して空を見上げると真円を描いた白い月が浮かんでいたりする。
 その満月が思いのほかきれいに見えたりするとなかなかに嬉しくて、真夜中にもかかわらず少しばかり遠出したくなって。
 今夜のオレはまさにそんな感じで、あとから思えばほとんど魔がさしたとしか言いようがなかったのだけど、つい電車に乗って隣町の繁華街まで足を伸ばしていた。
 月が中天にかかるころにはゲーセンもパチンコ屋も閉店しているし、どこから見ても高校生にしか見えないオレを招き入れてくれる店がある訳じゃない。平日の夜ならなおさら、最終電車が出ると同時に人通りはパタッとなくなった。それまでは荒れた気分をもてあましていたせいであまり気にならなかったのだけど、店の明かりが少なくなるにつれて少しずつ不安が侵食してくる。そうだ、どうして気づかなかったんだろう。確かあの事件が起きた日も満月の夜じゃなかっただろうか。
 約1ヶ月前、この駅の近くで通り魔事件があったんだ。若いOLは身体中をずたずたに切り裂かれて死んでいた。2ヶ月前の被害者は中年の会社員だった。まだ犯人はつかまってないっていうのに。
 国道沿いに24時間営業のファミレスがあることを思い出して方角を変えた。そのとき、飛び込んだ路地に人の気配を感じてびくっと震える。暗闇に目を凝らして少しだけ安心した。そこにいたのは、人目をはばかるように壁にもたれて熱烈なキスを交わす男女だったから。
(ったく、脅かしやがって)
 そのままくるりと方向を変えればよかったのだけど、他人のキスの現場なんて見たことがないオレはついつい2人の様子に見入ってしまっていたんだ。男の方はかなりの長身で体格がよく、年齢は20代半ばくらいに見える。男の首に抱きつくように背を伸ばしている女は逆に小柄で、顔の角度を変えたときにちらりと見た感じでは20歳そこそこくらいなんじゃないだろうか。もう、本当に魔が差したとしか言いようがない。この時点でさっさと方角を変えていれば、オレはそのあとの光景を見ずに済んだのだから。
 周りのことなど何も見えていないという風に、夢中になってキスを繰り返す2人。オレはその場に凍り付いていて、自分が生唾を飲み込んだことにも気づかなかった。やがて、不意に男の身体から力が抜けて、まるで操り糸が切れるようにその場にどさっと倒れ込んだんだ。
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