2003年02月の記事


真・祈りの巫女100
 あたしがランドの手を振り払うしぐさをすると、きつく掴んでいたことに気がついたのか、ランドははっと手を離した。あたしはそのまま立ち上がって、ランドを置いて歩き始めたの。
「リョウ、リョウ、どこにいるの? 隠れてるの? ……もう、いいでしょう? 出てきてくれてもいいでしょう?」
 今、出てきてくれるんだったら許してあげるよ。あんまりにもひどい冗談で、ぜんぜん笑えなかったけど、でも許してあげる。きっとリョウがやろうって言い出したんじゃないと思うもん。こういうのを考えつくのっていっつもランドで、リョウは引き込まれて乗せられてるだけだったもん。
 あたしが神殿の扉の前まで来て、扉を開けようとするよりも早く、ランドがうしろからあたしを捕まえた。
「ユーナ、やめろ。……リョウはもういない。探してももうどこにもいないんだ!」
「嘘。ランドはいつもあたしをからかってばっかりだったもん。いつまでもランドの嘘に引っかかるほど、あたしは子供じゃないよ。……リョウ、そこにいるんでしょう? 判ったからもう出てきて?」
 まるで、あたしのその声が聞こえたみたい。外側からゆっくりと扉が開かれて、そこには遠慮がちに立つ誰かの姿があったから。
「リ……タキ。……ローグ……?」
 外からの月明かりでかろうじてそれだけが判った。タキは、あたしの姿を見ると凍りついたように動けなくなってしまって、そうと察したローグがタキの脇を抜けて神殿に入ってくる。あたしも今ローグがここへくる意味が判らなくて、見つめて微笑んだローグを呆然と見上げているだけだったの。
「祈りの巫女、今日はいろいろあって疲れただろう? 今タキに聞いたけど、巫女の会議なんかはぜんぶ明日に回されたから、君ももう帰っていいそうだよ。よく眠れる薬をあげるから、一緒に宿舎に帰ろう。カーヤも心配してるよ」
 そういえば、今は扉も開け放たれているのに、しんと静まり返ってる。神殿のみんなもそのほとんどが休んでしまっているんだ。
「……でも、ローグ。リョウは? あたし、リョウに会わないといけないの」
「リョウは村で眠ってる。だから祈りの巫女も今日はゆっくり眠るといいよ。あとのことは明日、目が覚めてから話そう」
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真・祈りの巫女99
 空気が、普通じゃないんだって思うの。だって天井の窓から満月に近い月明かりが斜めに差し込んできていて、ちょうどあたしとランドとの間に突き刺さってるようなんだもん。月の光が鋭く空気を貫いているんだから、その空気が人の言葉をちゃんと伝えられなくたってぜんぜん不思議じゃない。だから、ランドが言った言葉と、あたしが聞いた言葉が、同じ言葉であるはずなんかないんだ。
 あたしはいったい何を聞き間違えたの? ランドは本当は何を言いにきたの? ……そうだ、ランドがここにいるんだから、きっとリョウだって近くにいるよ。守護の巫女はこのあとしばらく影が現れないって言ったんだもん。狩人だってもう休んでいいはずなんだ。それなのに、リョウはどうしてあたしに会いに来てくれないの?
「リョウは? ……ランド、リョウはどこにいるの……?」
 まるで込み上げてくる感情を抑えるみたいに、ランドは顔を伏せた。
「村の……南側の草原だ。今、狩人の仲間が何人かで、影の足の下から引っ張り出してる……」
 言葉の途中でランドはうめきを漏らして口を抑えた。あたしの肩に置いた手に力が入って、肩に食い込んできそう。ランドの言ってること、あたしよく判らないよ。どうしてリョウを一緒に連れてきてくれなかったの?
「リョウに会わせて。ランドの話じゃ判らないもん。ランド、リョウがいるところに連れて行って」
「ダメだ! ……おまえに会わせる訳にはいかねえよ。あんな……。ユーナ、リョウはもう人間じゃねえんだ。……損傷がひどいなんてもんじゃねえよ! リョウだって、おまえにあんな姿を見られるなんてこと、望んでる訳がねえ……」
 ランドは必死で自分を押さえ込んで、でもどうしても抑えきれなくて、苦しそうに身体を折ったままうめきつづけた。
「あいつ、無茶しやがって。影がどんな生き物なのかまだ判ってねえってのに、独りで向かっていきやがって……。あっという間だった。悲鳴を上げる暇もねえくらいあっという間で、影の足に巻き込まれて、そのあと身体がバラバラになっちまって ――
 確かにあいつは影を1つ殺したよ! だけど、あいつの命と引き換えなんて、そんなバカな話あるかよ!」
 ……リョウ、なんとか言ってよ。ほら、ランドったらひどいよ。リョウがバラバラになっちゃったとか言ってるよ。あたし、判ってるんだから。ランドはあたしをからかいにきて、リョウはきっとそのへんに隠れてて、あたしが本気にするのを笑って見てるんだ、って。
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真・祈りの巫女98
 神殿の扉が開かれて、誰かが入ってくる足音がして、またすぐに閉じられた。その一瞬で現実に引き戻されたあたしは、自分が思っていたよりもずっと長い時間、独りで考え事をしていたことに気がついた。並べられたろうそくはすべて消えていたし、扉が開かれた時に一瞬だけ飛び込んできた外の様子は、それほどたくさんの人がいるようには感じなかったから。たぶん村の人たちは守護の巫女との約束を守って、影がいなくなったことを知るとすぐに村へ帰っていったのだろう。
 入ってきたのは、たぶん男の人だろうって雰囲気で判ったけど、ろうそくの火が消えた神殿では顔を見ることができなかった。天窓から月明かりが差し込むけど、今は扉付近は陰になっていて、輪郭がぼんやりと見えるくらいだったの。誰だろうって、まだあまりはっきりしない頭であたしはいぶかしんだ。でも、その人が声を出したから、すぐにあたしの疑問は解けた。
「ユーナ……」
 ランドだ。ランドの声ならあたし、子供の頃からよく知ってたから、すぐに判ったの。でも、そこで新たな疑問が浮かんだ。どうしてあたしの祈りが終わって真っ先に入ってくるのがランドなの? 本当だったら、最初にここへくるのはタキかカーヤのはずなのに。
 ランドからはあたしの姿がはっきり見えたのだろう。ゆかに直接座り込んだあたしに近づいてきて、膝を折った。……どうしたんだろう。月明かりが届いたせいでランドの顔は表情までよく見えるようになったけど、それはまるでいつものランドとは違う、何かに怯えているようにすら見えたから。
 いつも、あたしをからかったり、時には叱咤してくれた。思ったことをほとんどぜんぶ口にする人で、今まで何かを言いよどむことなんか1度もなかった。しだいにあたしもランドに巻き込まれてしまったみたい。沈黙に耐えられなくて、あたしは言ったの。
「ランド……。どうしたの? 何かあったの……?」
 ランドはあたしを見つめたまま、大きくて無骨な狩人の手をあたしの肩に置いた。
「ユーナ、落ち着いて聞いて欲しい。……オレは、おまえがこれから先もしっかり生きていける奴だって、信じてるから……」
 不安を抱えたまま、あたしがうなずくと、ランドはゆっくりと言った。
「……リョウが死んだ。ついさっき、まるで影と刺し違えるみたいにして ―― 」
 言われた言葉を、あたしは理解することができなかった。
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真・祈りの巫女97
 村に現われた影は、手当たりしだいに村を破壊して、でもほんの短い時間いただけですぐに引き上げていった。本当に一瞬の出来事だったし、村人は全員避難していたから、ほとんど被害は出ていなかったと思うくらい。3体現われた影のうち、2つの影は西側の建物を少し破壊して、1つはなぜか南の草原の真ん中あたりにいた。影たちが言った「祈りの巫女の匂い」という言葉をあたしは正確に理解できた訳じゃないけど、草原は時々花を摘むために訪れた場所だから、影はもしかしたらあたしの残り香のようなものをこの草原に感じたのかもしれない。
 今回もけっきょくあたしは神様に祈りを届けることができなかった。影が早く引き上げた理由は判らないけど、少なくともあたしの祈りが通じたからじゃなかったの。神様はずっと傍にいて、あたしの心の声を聞いていたはずなのに、唯一の願いをかなえてくれはしなかったんだ。あたしがあの時一瞬だけ神様の力を疑ったからなのかもしれない。神様は最後に神様を信じなかったあたしに対する罰として、村を影の思うようにさせてしまったのかな。
 今は、神様を疑う気持ちはない。ただ、自分が何もできないことに絶望するだけだ。
 どうして祈りの巫女は生まれてくるの? 守護の巫女も神託の巫女も、あたしが村の人たちを幸せにするためにいるんだ、って言ってた。小さな頃からあたしはそう聞かされて育った。だから一生懸命修行して、いつかみんなのために役に立てる祈りの巫女になろうって思ったの。祈りの巫女は、本当は人々を幸せにする巫女のことじゃなかったの?
 祈りの巫女は来るべき災厄を退けるために生まれてくる。みんなはそう言ったけど、本当は祈りの巫女が生まれたから、災厄がやってくるんじゃないの?
 あたしは、村の人たちを不幸にするために、この村に生まれてきたんじゃないの……?
 村を救うために、あたしはなんの力にもならなかった。それでも影たちは「祈りの巫女が我らの世界を滅ぼす」と言った。まるであたしが生きていた痕跡を消すように、マイラや両親を殺して村を破壊した。 ―― あたしに影の世界を滅ぼす力なんかないよ。だって、こんな小さな村すら守ることができない、神様に願いを届けることすらできない祈りの巫女なんだから。
 どのくらい、あたしは考えていたんだろう。不意に神殿の扉が開く気配がして、あたしはうしろを振り返った。
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真・祈りの巫女96
 影の声に波長を合わせていたあたしには、やがて西の森から2つ目、3つ目と現われる影の声がすべて聞こえてきていた。
  ―― 祈リノ巫女ヲ殺セ。祈リノ巫女ヲ滅ボセ
  ―― 祈リノ巫女ノ匂イヲ探セ
  ―― 祈リノ巫女ハ我ラノ世界ヲ滅ボス。祈リノ巫女ノ匂イヲスベテ消シ去ルノダ
 村が破壊されていく。その様子を、あたしは呆然と見守ることしかできなかった。……思い出したの。前回の時、あたしがなぜ意識を失ってしまったのか。
 あたしはあの時、影のこの声を聞いたんだ。祈りの巫女に対する敵愾心。祈りの巫女を滅ぼすために、影たちがこの村に来たんだ、ってこと。村は、あたしが存在するせいで、影たちに襲われることになったんだ!
 父さまも母さまも、あたしが生まれたせいで死んでしまった。もしもあたしが生まれなかったら、村はずっと平和なまま、父さまも母さまもマイラも誰も死なずにいられたんだ。
 あたしはあの時、この声を忘れるために記憶を閉ざした。父さまと母さまの死を頭の中から必死で追い出そうとした。なぜなら、父さまと母さまの死をはっきりと知覚した時、あたしは影の声を思い出して自分の罪の意識に飲み込まれてしまうから。
 父さま、母さま、もしもあたしが生まれなかったら、あたしを育ててくれなかったら、2人ともこんなに早く死なずに済んだ。
 マイラ、もしもあたしが生まれなかったら、シュウはあたしを助けるために死ぬこともなくて、親子3人でずっと幸せに暮らせた。
 オミ、あなただって、あたしの匂いを消すために現われた影なんかに、両親と若い貴重な時間を奪われずに済んだよ。
 ライだってそう、あたしがマイラのために祈りを捧げなかったら、一生を不自由な身体で過ごす必要なんかなかったのに ――
 村のみんながあたしを恨みに思うのもあたりまえなんだ。だって、あたしが生まれていなかったら、影に家を壊されることもなく、大切な人を失うこともなく、命や自由を奪われることだってなかったんだから。影があたしを狙ってこなければ、村はずっと平和なままで、影の恐怖におびえながら暮らすこともなかったんだから。
 あたしが村のみんなを不幸にする。村に不幸を呼び込むあたしは、生まれてきちゃいけない祈りの巫女だったんだ。
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真・祈りの巫女95
 祈りの道具はカーヤがすべて用意していてくれた。前回と同じように祈りの準備をすすめて、呼吸を整えながら神様との距離を近づけていく。神殿の外ではたくさんの人たちがいてかなりざわついていたけれど、集中力が高まるにつれてまわりの音は聞こえなくなってくる。代わりに神様の気配が近づいてきて、あたしは神様に助けられながら、しだいに意識を拡大していった。
 村にはもうほとんど人がいなくなっていたから、あたしが拾う小さな意識はたぶん村に残った狩人たち。その中にはリョウもいるはずだけど、神様に寄り添うあたしにはもう、リョウを見分けようという気持ちはなくなっている。村に残る気配はいくぶん緊張していて、日没までのわずかな間にその緊張感は高まりを見せてくる。
 やがて、日が落ちるのとほぼ同時に、西の森から邪悪な気配が押し寄せてきた。
 今度こそ祈りの力を神様に届けなければならない。あたしは神様の気配に同調するように、邪悪な気配を退けて欲しいって、必死で祈りの力を注いだの。だけど神様は答えてくれない。神様にはあたしがここにいることが判っているはずなのに、それなのにあたしの祈りにはまったく答えてくれないんだ。
  ―― どうして? なぜ神様はこたえてくれないの……?
 あたしは祈りの巫女。人々の思いを神様に届けて、その願いをかなえるのがあたしの役割。あたしはこの災厄に対抗するために、神様によって命を授けられた。それなのに、どうして今この時、神様はあたしの祈りを聞き届けてくれないの?
 それとも、神様の力でもどうすることもできないくらい、影の力は巨大なの……?
 邪悪な気配は村の西側から徐々に侵攻してくる。以前よりも速度が遅いのは、きっと村を破壊しながら進んでいるから。村全体に拡散したあたしの意識は、影の邪悪な臭気にあてられて、目眩のような感覚に襲われた。前回のとき、あたしはきっとこの臭気のせいで意識を失ってしまったんだ。だけど今回は気を失う訳にはいかないんだって、ぐるぐる回る意識をしっかりつなぎとめようとした。
 影の意識が流れ込んでくる。邪悪な気配は1つの言葉を繰り返し紡いでいた。
  ―― 祈リノ巫女ヲ殺セ ――
 影の声を聞いたその時、あたしは今まで忘れていたことを、はっきりと思い出したんだ。
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真・祈りの巫女94
「リョウ、あんまり無粋なことは言いたくないが、そのくらいにしておけ。ユーナが神殿に帰れなくなる」
 そう、ランドが声をかけてきたから、リョウも気づいたみたい。リョウがうしろを振り返ったから、あたしもランドを見て、その向こうにタキが遠慮がちに立ち尽くしているのを見つけたんだ。
 日はだいぶ低くなってきていて、ランドが言う通り、今帰らなければ日没までに神殿にたどり着けないかもしれなかった。
「そうだな。……ユーナ、引き止めて悪かったね。タキにも謝っておいてくれる?」
 そう言ってリョウがあたしから離れていく。……このまま別れたくないよ。あたし、リョウに話したいことがまだたくさんあるの!
「リョウは悪くない! あたしの祈りが通じないのはあたしが悪いの! だからリョウが悪いんじゃないよ!」
「ユーナ……」
「だから自分の責任だなんて言わないで! あたし、もっともっと一生懸命祈るから……」
 違うよ。こんな話をしたいんじゃない。リョウには他に話さなければいけないことがあるのに ――
 リョウはちょっと悲しそうに微笑んで、判ったというように片手を挙げた。そして、ランドと一緒に歩いていく。うしろ姿を見送りながら、あたしはずっと違うって思っていたの。本当に話したいのはこんなことじゃないんだ、って。だけど、あたしはいったいリョウに何を話したかったのか、それは最後まで判らなかった。
 タキに促されて、あたしは神殿への道を歩き始めた。もうのんびり歩いていられる余裕はなかったから、2人とも黙ったまま、できるかぎり早足で坂道を登っていく。神殿前広場にはもう村人のほとんどが集まっていたから、タキは人波をかき分けてあたしを神殿まで誘導してくれたの。石段を登っているとき、守護の巫女があたしに気づいて声をかけながら近づいてきた。
「祈りの巫女、もうすぐ日が沈むわ。今更言うまでもないけど、あなたは昨日と同じようにまた祈りを捧げてちょうだい。さっき運命の巫女が未来を見て、明日から何日かは影が現われないことが判ったの。その先のことはまだ判らないけど、ひとまず今夜が最後よ」
 守護の巫女にうなずいて、あたしは神殿の扉を開けた。今度こそ、あたしの祈りを神様に届けなくちゃいけない。
 だから、その時にはもう、リョウとのことは頭の中から消え去っていた。
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真・祈りの巫女93
 今回、かろうじて葬儀を行うことはできたけれど、さすがに埋葬まで行う時間はなかった。3回目の災厄は日没直後にやってくるから。棺は広場に並べたままで、村の人たちは今度は自分が神殿に避難するため、すぐに自宅へと散っていった。本当はあたしもすぐに神殿に戻らなければならなかった。だけど、聖櫃の巫女はあたしに声をかけずに1人で神殿へと戻ってしまったから、残されたあたしとリョウの2人は、広場の片隅でほんの少しだけ話すことができたんだ。
 本当はリョウもすぐに行かなければならなのだろう。たぶん、あたしの両親のために無理して葬儀に参列してくれたんだ。周りに人がいなくなった時、リョウはあたしを力強く胸に押し付けるように抱きしめたの。
「ユーナ……ごめんユーナ! オレがついてたのにこんなことになっちまって……」
 そう、か……。リョウはあたしの両親が死んだことで責任を感じてるんだ。あたしがオミに対して責任を感じているように。震える手で抱きしめてくれるリョウが愛しくて、あたしはリョウの背中に腕を回した。
「リョウが悪いんじゃないよ。だって、あたしはあの時ずっと祈ってたんだもん。……リョウだって聞いたでしょう? 村のみんな、あたしの祈りが神様に通じなかったって、噂してたでしょう?」
 リョウが動きを止めて、あたしは自分の想像が間違ってなかったことを知った。村についてからはあたしに面と向かってそんなことを言う人はいなかったけど、影が好き放題村を蹂躙したから、みんなあたしの噂をしていたんだ。
「……もっと、オレがちゃんと影を食い止められてたらよかったんだ。そうしたらユーナを悪く言う奴なんか1人もいなかったのに」
 リョウはあたしを抱きしめるのをやめて、顔を覗き込んだ。
「今夜は必ず奴を食い止める。おまえの祈りを本当にする。もうぜったいにユーナに辛い思いなんかさせないから」
 その言葉であたしも気づいたの。リョウはあたしの両親のことだけで責任を感じてたんじゃないんだって。あたしがみんなに悪く言われたから、その責任も自分にあると思ってるんだ。あたしの祈りがちゃんと神様に通じなかったから。
 違うよリョウ。あたしの祈りが通じないのは、あたしの力が足りないからなの。リョウが悪いんじゃないよ。
 そう、言葉に出す前に、いつの間にかランドがあたしたちに近づいてきていたの。
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真・祈りの巫女92
 村の広場での合同葬儀に、あたしは死者の親族の1人として参加していた。そこには今回亡くなった19人それぞれの親族や親しい友人たちがおおぜいきていたから、広場は参列者でごった返しているように見えたくらい。実家の近所に住んでいる人たちもたくさんいて、あたしの顔を見て思わず涙を流したのは生前の母さまといちばん仲がよかったフーミ。遠巻きにしているのは血縁のない人たちで、その中にはランドの奥さんのミイもいた。
 仮ごしらえの祭壇の前で聖櫃の巫女が葬儀を進行する。19人の遺体はみな棺に納められていて、表面に書かれた文字の中にはあたしの両親の名もあった。聖櫃の巫女が1人1人の名前を呼んで、文字が読めない村の人たちのために棺を指し示すと、そのたびに参列者からすすり泣きが上がってそれぞれの棺に献花を行う列ができた。
 やがて父さまと母さまの名前が呼ばれて、手にした花をあたしが最初に棺に捧げる。棺の蓋は閉じられていて顔を見ることはできなかった。他の棺もほとんどが閉じられたままになっているんだ。たぶん遺体の損傷が激しいからなんだ、って、呆然とした頭であたしは思ったの。
 1輪の花を捧げて、神殿以外の場所で行う簡式の祈りを父さまと母さまに捧げる。その時だった。背後の気配に顔を上げると、あとから献花にきたリョウがあたしを見下ろしているのが見えたんだ。
「リョウ……」
 苦しそうな、少し戸惑っているような、リョウの表情だった。まるであたしにかける言葉を失ってしまったかのように、唇をきつく噛んで。
「リョウ……きてくれてありがとう。忙しいのに……」
「……ユーナも。よくこられたね」
「守護の巫女が許してくれたの。……守護の巫女の母さまも亡くなってるのよ。でも彼女はこられなかった……」
 リョウは何も答えずにあたしの肩を抱いた。気を落とすな、って言ってくれているみたい。
 でも、あたしの気持ちは複雑で、リョウの腕の中で涙を流すこともできなかった。
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真・祈りの巫女91
 まるで感情をどこかへ置き忘れてきたみたい。マイラが死んだとき、あんなに悲しんでいた自分が、まるで他人のように思えるの。村へ行って、葬儀に出席したら、あたしは両親の死を悲しむことができるのだろうか。心が重かった。もしも悲しむことができなかったら、あたしはいったいどうすればいいんだろう。
 自分で自分が理解できなかった。この災厄が起こる前、あたしの傍にはいつもリョウがいて、なにかあったら自然とリョウに相談していたの。リョウ、あなたは今のあたしをどう思うの? リョウに会いたい。リョウに会って、いつものように心の中をぜんぶリョウに話したいよ。
 それともリョウは軽蔑する? 両親の死を悲しむことができないあたしを。未だに涙の1滴も流すことができないあたしを見て、リョウは冷たい人だって思うのかな……。
 あたしは冷たい人なのかもしれない。だって、父さまと母さまの葬儀に行くっていうのに、今あたしが考えているのって、村に行けばリョウに会えるかもしれないってことなんだもん。あたしには、父さまと母さまを悼む気持ちなんて、少しもないんだ。
 坂道の森を抜けた時、タキは葬儀が村の広場で執り行われることを教えてくれた。その場所はほぼ村の真ん中で、年に1度の祭りが行われる時にはその会場にもなったりする。村の西側から入って通りを歩いていくと、忙しそうに仕事をする村の人たちがふいに仕事を止めてあたしを見る。でも、いつもみたいに親しく声をかけてくれる人は誰もいなかった。遠巻きに見つめて、あたしが通り過ぎるまでじっと黙っているだけだった。
 すごく優しい村だったのに。たった2回、災厄に襲われただけで、村人の心まで変わってしまった。今みんなの心にあるのは神殿への不信感。それはそのまま、祈りの巫女への不信感なんだ。
 そして、あたしは見たの。災厄に襲われて無残な姿をさらす壊れた家を。踏み潰されて瓦礫になった家の残骸と、そのあと火事で燃えてしまった、黒い廃墟を。
「……あれはロンの家だよ。母親と幼い子供が犠牲になった。……祈りの巫女、急がないとそろそろ葬儀が始まるよ」
 タキの呼び声で自分が呆然と立ち止まってしまったことに気づいて、促されるままあたしは再び歩き始めた。
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真・祈りの巫女90
 このときのタキの行動は、あたしを両親の葬儀に出席させてくれただけじゃなくて、さまざまな効果を生み出していた。あたしが神殿に入る前、異常に興奮していた村の人たち。彼らは、あたしも村の人となんら変わるところのない1人の人間だってことを思い出して、ずいぶん冷静になってくれたみたい。守護の巫女が災厄で母親を亡くしたことをいたわる気持ちにもなってくれたから、守護の巫女の方も安心して譲歩することができたの。神殿の敷地には何も持たずにくるという条件を出すことで、守護の巫女は村人全員の避難を認めた。
 急いで支度してタキと村への坂道を歩きながら、周りに人がいない時に少しだけ話をしたの。あたしがタキの心遣いにお礼を言うと、タキは坂道で転ばないように自分の足元を見ながら答えてくれた。
「オレ自身は何か効果を狙った訳じゃないんだけどね。ただ、祈りの巫女にも1度村の様子を見てもらいたくて、だけどその許可を守護の巫女にもらうためにはあの場で交渉するしかなくて。多少守護の巫女の時間稼ぎに協力できたら、みたいな気持ちはあったんだけど、正直言って村の人たちの反応までは考えてなかったんだ。ほんと、守護の巫女はすごいと思うよ。あれだけ高ぶってた人たちの感情を祈りの巫女への同情心に変えちゃったんだから」
 もしかしたらタキは少し照れていたのかな。自分はきっかけを作っただけで、事態を収拾したのはぜんぶ守護の巫女の功績だって、しきりに強調していた。村までの道はふだんよりもずっと人の行き来が多かったから、タキとそれほど多くの話をすることもできなくて、だから会話が途切れた時あたしはふと自分の思いに沈みこんでいたの。タキが父さまと母さまの葬儀に参列させてくれたのはすごく嬉しかったけど、あたしはまだ両親の死をちゃんと整理することができなかったから。
 あの時、カーヤはあたしが両親の死を悲しんでないって言ってた。盗み聞きだったからあたしは聞き流してしまったけど、今葬儀に向かう道を歩きながら振り返って、あたしはカーヤに少しの怒りを覚えた。でも同時に、カーヤの言うことも間違ってないかもしれないって思うんだ。あたしの中に、確かに両親の死を悲しめない何かが存在しているのが判る。
 両親のこと、あたしは大好きだった。ずっとそばにいて慈しんでくれたんだもん。何か悲しいことがあって泣いていたらそっと抱きしめてくれた。あたしが危険な目にあったときには心から無事を喜んでくれた。自分が愛されているんだって、いつも感じていた。そんな両親が死んだら悲しいはずなのに、そうと聞かされてからあたしはぜんぜん悲しむことができなかったんだ。
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真・祈りの巫女89
 本当はこのとき、あたしは少しだけ嘘をついていた。だって、あたしは昨日タキに言ったんだもん。マイラのお葬式に出たいんだ、って。タキにたしなめられてからは1度も口にしなかったけど、心の中ではやっぱり思ってたことがある。
 村に降りて、それきり1度も顔を合わせていないリョウ。たった1人のあたしの恋人。あたし、リョウに会いたい。本当はすぐにでも村に降りていって、リョウに会って思いっきり抱きしめてもらいたい、って。
 だけどあたしは祈りの巫女だから、神殿で祈りを捧げるのがあたしの仕事だから、村のために頑張って狩人の役目を果たしているリョウに会いに行くことなんかできないんだ。リョウだって家にも帰らないで頑張ってるのに、あたしだけわがまま言うなんてできないよ。
 周囲のざわめきが一瞬途絶えて、そのあと誰かが叫んだ。そして、周りの人たちが援護するように、異口同音に叫び始めたんだ。
「その神官の言う通りだ! 祈りの巫女を村へ行かせてやってくれ!」
「そうだ! 祈りの巫女だって人の子じゃないか! 家族を悼む気持ちはオレたちと同じだろ!」
「両親をいっぺんに失って、その葬式にも出られないなんて、そんなバカな話があるかよ!」
 そう聞いて、あたしは初めて、タキと守護の巫女が何を話していたのかを知ったの。タキ、あたしのために守護の巫女に掛け合ってくれてたんだ! あたしを、今日村で行われる父さまと母さまの葬儀に出席させて欲しい、って。
 成り行きを見守っていたあたしを見て、守護の巫女は大きなため息をついた。そして、笑いかけてくれる。
「……判ったわ。祈りの巫女、支度しなさい。葬儀が始まるまであまり時間がないわ」
「ありがとう守護の巫女。さあ、祈りの巫女、行こう!」
 村の人たちがあけてくれた道を、タキがあたしの手を引いて宿舎まで歩いていく。その間あたしはずっとあっけに取られたままだった。やがて宿舎に飛び込んだタキが不意に椅子に崩れ落ちたから、それであたしはすごく驚いたの。タキはまるで糸が切れたみたいに食卓のテーブルに突っ伏してしまったから。
「カーヤ、悪いけど水を1杯頼む。……あぁ、怖かった。まだ足が震えてるよ」
 そんなタキはおかしくて、意味不明の視線を向けるカーヤを尻目に、あたしは久しぶりに声をあげて笑ったんだ。
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真・祈りの巫女88
 このときタキが何を考えていたのか、あたしは祈りを終えて神殿を出たところで半分だけ知ることになった。神殿前広場は、あたしが神殿に駆け込んだ時とは、また別のざわめきに満たされていたんだ。周囲を取り囲んだ村人たちは戸惑った様子で互いに顔を見合わせている。あたしの顔を見て更に戸惑った表情を見せて、頼んでもいないのに人ごみの中心へと道をあけてくれたの。
 あたしは少し不安に思いながらも、村の人たちがあけてくれた道を通って、騒ぎの中心に歩いていった。そして、そこで守護の巫女とタキとが言い争いをしているのを目の当たりにしたんだ。
「 ―― 祈りの巫女だって人間なんだ。人並みに悲しいこともあれば、傷つくこともある。そりゃあ、彼女には神殿での役目がいちばん大切なんだってことはオレにも判るよ。だけど1人の女の子としての感情を犠牲にして ―― 」
 その時、タキはあたしがすぐ傍にいることに気づいて言葉を止めた。状況がさっぱりわからなかった。タキはどうしてこんなところにいるの? 守護の巫女にいったい何を訴えていたの?
 タキが言葉を切ったことで、守護の巫女もあたしの存在に気がついていた。
「祈りの巫女、ちょうどいいところへきてくれたわ。あなた、村へ降りたいって、タキに言ったの?」
「祈りの巫女は何も言ってない! オレが勝手に ―― 」
「タキには訊いてないわ。祈りの巫女、どうなの?」
 守護の巫女の口調はそれほどきついものではなかったけど、目はけっして笑っていなくて、あたしは足がすくむような感じがした。周りの村人たちの視線もあたしに集中していた。今は静かだけど、あたしが一言言ったらまたさっきの怒声が浴びせられそうで、あたしはそれが怖かったのかもしれない。
「祈りの巫女である自分が神殿を離れられないのは、あたしがいちばんよく判ってる。だって、あたしの役目は村のために祈ることだもの。村に降りようなんて1度も思った覚えはないわ。だから、もちろん口に出してもいないわ」
 あたしがそう言ったとき、周りの村人たちが急に静かになって、物音1つしなくなったの。
 そして、その一瞬の沈黙のあと、不意に村人たちの気配が変わって口々に何かを叫び始めたんだ。
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真・祈りの巫女87
 ううん、なにもできない祈りの巫女なら、むしろ最初からいない方がずっとよかったかもしれない。最初からいなければ、誰も祈りの巫女に期待なんかしなかった。期待しなければ、絶望することだってなかったんだ。
 父さまと母さまが死ぬことだって、なかったかもしれないんだ。
「……タキ、あたしは落ち着いたから大丈夫。少しだけ外に出ていてくれる? 祈りを捧げたいの」
 あたしの様子がタキの目にどう映ったのかは判らないけど、タキは微笑を浮かべて、1回だけ扉の方を振り返った。
「ああ、判ったよ。……実はもう1度村へ行こうと思ってたんだ。だけどあの様子じゃ祈りの巫女が独りで外へ出るのは厳しいからな。どうしようか」
 確かに、祈りを終えたあたしが神殿の外に出たら、またあの村人たちの傍を通ることになる。タキが心配するのはよく判ったけど、それよりあたしはタキが今なぜ村へ行こうとするのか、そっちの方が不思議だったんだ。まさかあたしがマティの店を気にしてたからじゃないと思う。そんなこと、今ぜったい知らなきゃいけないことじゃなかったし、それよりあたしの傍にいてくれる方をタキは選ぶはずだって、あたしは思い込んでいたから。
 タキは、何を置いてもあたしを選んでくれる。そう思い込んでしまうくらい、あたしはタキを信じて、頼っていたんだ。
 自分の指が無意識のうちに髪飾りをなでていたことに、その時あたしは気づかなかった。
「祈りはそんなに長くないと思う。タキにも休んで欲しいし、村へ行くのを少しだけ待ってくれればいいわ」
「そう、だね。……判った、そうしよう」
 タキが何かを決心したようにそう言って、そのあと笑顔で手を振って神殿の扉を出て行ったから、いくぶんほっとしたあたしは祭壇に向きあって祈りの準備を始めたの。
 いつもの祈り。ろうそくに聖火を移して、螺旋を辿りながら神様との距離を近づけていく。目を閉じて手を合わせると、神様の気配が間近に感じる。タキに教えてもらった名前を神様に伝えながら、傷を負った彼らができるだけ早く癒されるようにと祈りを捧げる。
 あたしに寄り添う神様の気配は、何か大切なものがぽっかり抜けてしまっているような、ひどく心もとない感じがした。
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真・祈りの巫女86
「……タキ、村のみんなを悪く言わないで。……みんなが悪いんじゃないの。ぜんぶ、あたしの力が足りないせいなの」
 タキの言ったこと。みんなは神殿に居座るかもしれない。数に任せて貯蔵庫を占拠するかもしれない。だけどそれは、みんなが不安だからなの。そして、みんなを不安にさせてしまったのは、あたしの祈りの力が足りないからなんだ。
「祈りの巫女、何もかもが自分のせいだなんて思わないで。この災厄のすべてを君の力だけで片付けようなんて思わなくていいんだ。しょせん人間1人の力なんてたかが知れてる。祈りの巫女1人に責任を押し付けようなんて、誰も思ってないよ」
 タキは、あたしの力が足りないことに気づいていたの? もしかしたら、タキ以外のほかの神官たちも、巫女たちも……?
「今、外で守護の巫女が戦っているのを見たばかりだろう? オレが思うに、守護の巫女はああして時間を稼いでるんだ。たぶん最終的には守護の巫女も村の人たちを受け入れると思う。だけど、その決断を下すのは、影が襲ってくるギリギリの時刻になってからだ」
「……どうして?」
「村の人たちが全財産を持ってこられないようにするためだよ。みんなが身1つのまま避難してくれば、影が去ったあとは自分の家に戻るしかないからね。あとでちゃんと確認してくるけど、ほとんど間違ってないと思う」
 そうか、守護の巫女はそうして責任を取ってるんだ。あたしの祈りが神様に届かなかったその責任を。昨日、あたしが守護の巫女に祈りを頼まれた時、運命の巫女はあたしが教えてもらった未来よりも更に多くの未来を見ていたのかもしれない。あたしの祈りが神様に届かないことも、そのせいでこうした騒ぎが起こるってことも、彼女は見ていた ――
  ―― もしかして、あたしの両親が死ぬことも、運命の巫女は見ていたの……?
 そう考えればつじつまが合う。あの時、みんなが何をあたしに隠していたのか。みんな、あたしの両親が死ぬことを、あたしに隠そうとしていたんだ。
 人の寿命は決まってる。たとえあの時あたしが両親の死を知っていたとしても、あたしにはどうすることもできなかった。昨日あたしは村のために精一杯祈ったんだもん。たとえ知っていたとしても、あたしにはあれ以上の祈りはできなかっただろう。
 いちばん肝心なところで誰ひとり救うことのできない祈りの巫女は、いてもいなくても同じ存在なんだ。
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真・祈りの巫女85
「……どういうこと? どうしてタキは難しいと思うの?」
「うん、ちょっと待って。オレも今考えをまとめてるところだから。……まず、村の人たちが必ずしも身1つできてくれるとは限らない。何かしらの生活必需品や、食料なんかを持ってくる可能性がある。それはたぶんどんなに規制しようとしてもできないだろうね。誰か1人がそうしたら、他のみんなも競ってそうするだろうし、結果として神殿の敷地の中では全員を収容することができなくなる」
 ……たぶんそうなるだろう。影に家を壊されると思えば、みんなぜったい持ち出したいものがあるもの。家を壊されたあと何日か生活できるだけのものは残したいと思うに違いないよ。みんなが家のものをぜんぶ持ってきたら、いくら神殿が広くたって収容しきれない。
「入れなかった人には周りの森の中に散らばってもらったら?」
「まず間違いなく不満が出るだろうね。どうして自分たちが森の中で、他の人が敷地の中なのか、って。まあ、今回は短時間のことでもあるし、仮に不満が出なかったとしても、全財産持って家を出てきた人たちは災厄が去ったあとすんなり村へは帰らないよ。最初に言い出す人がいて、すぐに全員がここへとどまるって言い始める。だけど、ここには村人全員が寝泊りする場所なんてないんだ」
 ああ、そうか。1度村の人を神殿に入れてしまえば、危険な村へは帰りたがらなくなってしまう可能性があるんだ。確かに今の段階では神殿は安全な場所だもん。だけど、やっぱり村人の命の方が大切だよ。たとえ祈りの巫女宿舎がたくさんの村人の避難場所になったって、それでみんなの命が助かるなら。
「そして、家を持っている神官や巫女たちへの不満がつのるだろうね。さっき誰かが言ってたけど、神官や巫女はこの村にとっては農作業をしない厄介者だ。村の人たちの中には、ふだんから神殿に対してそういう不満がある。その不満が爆発したら、数で劣る神殿ではもう村の人を抑えることができなくなるよ。……悪くすれば上の貯蔵庫を占拠される」
  ―― ちがう! 村の人たちが神殿に押しかけてきたのは、あたしのせいだ。
 この災厄が起こる前、村の人たちはちゃんと神殿を認めていた。神官の仕事も、巫女の仕事も、その必要性をちゃんと判ってくれていた。巫女が自分たちの暮らしをよくしてくれてるって信じてた。みんな、それが信じられなくなったんだ。
 あたしの祈りが影を追い払えなかったから、祈りになんの効果もなかったから、村のみんなは巫女を役立たずだって思ったんだ。
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真・祈りの巫女84
 今夜日が沈んだ直後、みたび影が襲ってくる。その時刻、神殿の敷地の中に村人が全員避難することは不可能じゃない。今まで影はそれほど長い時間村にとどまってはいなかったもの。影が去ってからみんなが村にもどって眠ることはできるはずなんだ。
 神殿の敷地の中に、起きている村人を一定時間避難させることは可能なんだ。眠っている村人は無理だけど、起きている村人なら。だって、あたしの襲名の儀式が行われた3年前、ほとんどすべての村人が神殿前広場に集まっていたんだから。
 あたしは村の人たちを言葉で煽ってしまうのを恐れて、視線で守護の巫女に訴えた。守護の巫女もあたしの視線の意味には気づいたみたい。だけど何も言わずに目を伏せて、あたしとタキの肩を叩いた。
「道をあけてちょうだい。祈りの巫女が神殿に入るわ。村の平和を祈るためよ。判るでしょう?」
 それまで成り行きであたしに怒りをぶつけていた村の人たちも、今はあたしが祈ることがいちばん大切なんだって、判ったのだろう。タキがあたしの手を引いて歩き始めると、その場所にいた人たちが渋々道をあけてくれる。あたしが人ごみを抜けている間に再び守護の巫女を責める声があちこちから聞こえてきて、でもそれに答える守護の巫女の声はもうあたしには聞き取ることができなかった。
 神殿の扉を開けて、中から閉ざした時、あたしはやっと息をつくことができたんだ。
「祈りの巫女、大丈夫? 怪我はない?」
 あたしがうなずくと、タキもほっと息をついた。
「いきなりで驚いただろう? 少し気持ちを鎮めるといいよ。……やっぱり先に様子を見にくればよかったな。次からは気をつけるよ」
 あたし、筋違いだってことは判ってたけど、目の前にはタキしかいなかったんだもん。タキに訴えるしかなかったんだ。
「どうして? どうして守護の巫女は村の人たちを神殿に避難させてあげないの? だって、村の人たちがいる場所くらいならここにあるじゃない!」
「そうだね。今ちょっと会話を聞いただけだけど、オレにも村の人たちの主張の方が正しいと思ったよ。ただ……現実には難しいだろうな。せめてもう少しみんなが冷静だったらよかったんだけど」
 タキの言葉は歯切れが悪くて、あたしはそんなタキにほんの少しだけ怒りを覚えた。
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真・祈りの巫女83
 突然の怒声にさらされて、あたしはただの一言も声を出すことができなくて、タキが人々を落ち着かせようとしているのをうしろからうかがっていた。その様子に気づいて、今まで人波の中心にいた守護の巫女が、必死で人々をかき分けて近づいてくる。あたし、こんなに怒った人たちに囲まれたことって、生まれて初めてだったんだ。最初は判らなかったけれど、だんだん事情が飲み込めてきて、守護の巫女があたしの隣にたどり着く頃にはある程度状況を理解することができた。
 みんな怒っているけれど、その心の中には不安を抱えている。不安で仕方がないから、怒ることでなんとかバランスを取ろうとしているんだ、って。
「やめなさい! 祈りの巫女にはなんの決定権もないわ! 彼女はこれから神殿に祈りに行くところなのよ。それを邪魔するのは村の平和を遠ざけることになるのよ!」
 守護の巫女のよく通る声を聞いて、人々の怒声は一瞬だけ静まったように見えた。
「オ、オレは朝からここにいるが、祈りの巫女が出てきたのは今が初めてだぞ! 真剣に祈ってない証拠じゃないのか!」
「そうだそうだ! 村の平和を祈るのが祈りの巫女の仕事なんだろ?」
「オレたちは巫女や神官を遊ばせるために毎日命がけで働いてるんじゃない! こういうとき身を削ってでも村を守るのが巫女の役目じゃないのか!」
 まるで、あたしが知っている村とはまるで違う村に来てしまったみたい。1つの声が上がると周囲からたくさんの同調する声が続いて、あたしはもう何も考えることができなくなってしまった。耳をふさいで逃げてしまいたかった。だけど、既に人々に囲まれてしまっていたあたしには物理的にも不可能だったし、今ここで逃げ出す訳にはいかないんだって、震える足をなんとか踏みとどまらせたんだ。
「今きこりたちが全力をあげて避難所を作ってるわ! でも、この狭い場所に村人全員を避難させるのは無理なのよ。そのくらいのことが判らないあなたたちじゃないでしょう?」
「だからさっきから言ってるんだ! 避難所なんかどうだっていい。ただ、影が現われる時刻に全員ここにいさせてくれればいいんだ!」
 どうやら、さっきから守護の巫女と村の人たちがもめているのは、今夜の災厄の避難についてらしかった。
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真・祈りの巫女82
 まだ泣き続けているオミを部屋に残して食卓に戻ると、カーヤとタキとが椅子に腰掛けたまま、疲れた表情で黙り込んでいた。あたしが目を向けるとわずかに微笑みかけてくれる。2人とも、昨日から今日にかけていろいろなことがあって、かなり打ちのめされてしまったみたいだった。
「ユーナ、オミは?」
「うん、大丈夫。……少し独りになりたいみたいだから、頃合いを見て声をかけてあげてくれる?」
「判ったわ。ユーナは? 少し休まなくて大丈夫?」
「まだ休んでなんかいられないの。オミと約束したから」
 あたしが祈りの道具を準備していると、タキが椅子から立ち上がって言った。
「外が少し騒がしいな。祈りの巫女、先に行って様子を見てくるよ」
「え? いいわ。あたしも一緒に行く」
 そうして2人で宿舎を出ると、神殿前広場にかなり多くの村人が集まっているのが判ったの。ほとんどが男の人ばかりだったけれど、中には子供を連れた女の人もいる。彼らは何かを取り囲むようにしていて、中心にいる誰かに何かを訴えているみたいだった。
 タキと顔を見合わせて近づいていくと、そのうちの何人かがあたしに気づいた。
「祈りの巫女だ!」
「なに? 祈りの巫女だって?」
 その叫びに気づいた人たちがあっという間に近づいてきて、あたしを取り囲んでしまったんだ。
「祈りの巫女! あんた本当に神殿で祈ったのか? 祈りが神様に届くってのは嘘じゃないのか?」
「あいつのせいでうちの畑はめちゃくちゃになっちまったんだ。早くあの化け物を追い出してくれよ!」
「今夜もまた現われるんだろ? あんたの祈りで追い返すことはできないのかよ!」
 あたしはただ呆然と、人波から必死でかばってくれるタキの背中にしがみついていることしかできなかった。
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真・祈りの巫女81
 オミにタキを紹介して、今のところ欲しいものも具合の悪いところもないことを確認したあと、タキとカーヤは部屋を出てあたしをオミと2人きりにしてくれた。オミはまだ声を出すのがつらくて、それに少し頭がボーっとしているみたい。もしかしたら明け方ローグが飲ませてくれた薬がまだ効いてるのかな。ゆっくり視線を動かしながら、周囲の様子や自分の身体の具合を確かめていたから、あたしはしばらく黙ったままオミの様子を注意深く見つめていたの。
 すごく、長い沈黙だった。オミはやっとあたしを見て、そして言ったんだ。
「ユーナ。……父さんと母さん、死んじゃった……」
 あたし、オミの身体は包帯だらけで手を握ることもできなかったから、唯一怪我をしていない右の頬に触れた。
「あたしがいるよ! オミにはあたしがいる。これからずっと傍にいるから」
「……ユーナ、ありがと。……でも、母さんと父さんは死んじゃったんだ……。ほんのちょっと、すぐちょっと前まで生きてたのに、瞬きするくらいの間に、もう父さんじゃなくなって……」
 オミの表情がゆがんで、声を詰まらせて、目から涙があふれていった。涙はすぐに零れ落ちて包帯に吸われていく。あたしはハンカチで頬をぬぐってあげることしかできなかったんだ。オミが見てきたものと同じものを見たいなんて思わなかった。
 なんだか心が凍り付いてしまったみたい。目の前で涙を流しているオミが、すごく遠い存在に感じたの。オミの目の前で死んだのは、紛れもなくあたしの両親だったのに。
 オミは涙を止めることができなくて、あたしのハンカチはすぐにぐっしょりになってしまった。
「あたしがいるよ。……オミの傍にはあたしがいる」
「……ユーナ、……ユーナはオレの願いも聞いてくれる……?」
 あたしがうなずくと、オミは涙を浮かべたまま、あたしの目を見ていった。
「あいつを……あの化け物……村から追い出して。もう2度と、村の誰も踏み潰さないように」
 あたしは、もう1度うなずくことしか、できなかった。
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真・祈りの巫女80
「オミ、目が覚めたのね」
「……ユーナ」
 オミの声はかすれていて、この前会った時とはぜんぜん違っていたけど、でもそれよりもあたしはオミがあたしの名前を呼んでくれたことが嬉しかった。
「ここは……?」
「あたしの宿舎よ。身体がよくなるまで、あたしがオミの傍にいる。だから安心して。痛いところはない? 欲しいものは?」
「……水、もらえる?」
「判ったわ。すぐに持ってくる」
 あたしが立ち上がろうとすると、いつのまにかすぐ傍にカーヤが来ていて、枕もとの小さなテーブルの上に用意してあった水差しを取ってあたしに手渡してくれたの。カーヤはちゃんと用意していてくれたみたい。受け取ったあたしが水差しをオミの口元に当てて傾けると、やり方が悪かったのか、オミは咳き込んでしまったんだ。
「ユーナ、あたしがやるわ」
「ええ、お願い」
 あたしはカーヤに場所を代わって、カーヤは上手にオミに水を飲ませてくれて、また場所をあけてくれる。オミはちょっと不思議そうな顔をしてカーヤを見上げていたの。
「……誰……?」
「あたしの世話係のカーヤよ。これから先しばらくオミのことを世話してくれるわ」
「具合の悪いところがあったら遠慮しないでなんでも言ってね。オミのことは自分の本当の弟だと思って世話するわ。オミも、あたしのことを本当の姉だと思っていいのよ。……もちろん、あなたにとってのユーナの存在には不足だと思うけど」
 そう言ったカーヤはもしかしたら、災厄で亡くしてしまった弟の姿をオミに見ていたのかもしれないって、あたしは思ったんだ。
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真・祈りの巫女79
 カーヤは持っていた荷物を床に降ろして、あたしの肩に手を置いた。
「ユーナ、あなたが謝ることじゃないわ。だって、ユーナが影を連れてきた訳じゃないもの」
 あたし、一瞬自分の顔がビクッと引きつったのが判った。
「もともと身体の弱い子だったの。そんなに長く生きないだろうとは思ってたけど、まさかこんな形で死ぬとは思ってなかった。でも、クニのことは家族みんなある程度覚悟してたから。……ユーナ、あなたに比べたら、あたしの悲しみなんてたいしたことないわ」
 ……なんだかあたし、カーヤの話すことがちゃんと聞き取れなかった。うつむいたまま動きを止めてしまったあたしを、カーヤが不審そうに覗き込む。タキも立ち上がって、あたしを覗き込んだあと、カーヤと顔を見合わせた。
「……それじゃ、ユーナ。あたしオミの様子を見てくるわね」
 あたしは返事ができなくて、カーヤはもう1度あたしの肩を叩いたあと、床の荷物を持って宿舎の奥へ歩いていく。あたしは気配だけでカーヤを見送った。 ―― だめ、深く考えたらいけない。そう、なにかに囚われそうな自分を必死で引き離していたら、タキはいつのまにかあたしのうしろにいて、あたしの両肩を引いて椅子に座らせてくれたんだ。
「祈りの巫女、やっぱり少し眠った方がいいよ。運命の巫女は今夜も影が襲ってくる予言をしてるんだから」
 椅子に崩れ落ちたあたしの前にひざまずいて、タキはあたしに微笑みかけた。それでようやくあたしはその呪縛から解き放たれたの。
「……でも、それならなおさら眠ってなんかいられないわ。あたしにはやらなければいけないことがたくさんあるんだもの」
 その時、たった今オミの病室に行ったはずのカーヤが、再び部屋から出てきたの。
「ユーナ、すぐに来て。オミの目が覚めたのよ」
 あたしは一瞬タキと顔を見合わせて、すぐに立ち上がった。そのドアまでの短い距離で急に胸がドキドキしてくる。タキもうしろからついてきてくれて、カーヤはドアを開けたままで待っててくれる。オミの怪我に触らないようにそっと顔を覗かせると、目を開けたオミは視線を天井に向けたままだったから、あたしはゆっくりとベッドに近づいていった。
 まだ目が覚めたばかりで、いくぶん混乱している風のオミは、あたしの顔を見つけるとわずかに唇の端を上げた。
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真・祈りの巫女78
 タキは1枚の紙をあたしに手渡しながら言った。
「今回の災厄で死んだのは19人、その中には祈りの巫女の両親や、カーヤの弟も入ってる。あと、主だったところでは守護の巫女の母親と、運命の巫女の娘か。名前はここにまとめて書いてあるとおりだ」
 紙に書いてある父さまと母さまの名前を、あたしはまだ信じられない思いで見ていた。……守護の巫女の母さまも死んでいたんだ。昨日会ったときには、そんな素振りは少しも見せていなかったのに。
「守護の巫女と運命の巫女にお悔やみを言わなくちゃ。……カーヤにも」
「うん、そうだね」
「……マティも怪我をしたのね。お店はどうなったのかしら」
「さあ、そこまでは判らない。次に村に降りた時に見てきてあげるよ。今朝は怪我人の名前を調べるだけで精一杯だったから」
 そうか、タキは明るくなるとすぐに村に下りて、あたしの目が覚めるまでにって、これだけの名前を調べてきてくれたんだ。タキはたぶん昨日からほとんど眠ってない。あたしは紙から視線を上げて、タキの顔を見つめた。
「タキ、ありがとう。疲れたでしょう? あたし、これからまた神殿で祈りを捧げるわ。その間に少しでも休んで」
 そう言って微笑みかけると、タキは少し照れたように頭をかいた。
「オレのことはいいんだけどね。祈りの巫女は? 弟の看病でほとんど寝てないんじゃないの?」
「そうでもないわ。だってさっきまで眠ってたんだもの」
 その時、ちょうどカーヤが宿舎に帰ってきたから、あたしは椅子から立ち上がった。カーヤはあたしたちの会話を邪魔しないように、ずっと声をかけないで出入りしていたんだ。
「お帰りなさいカーヤ。オミのことでは忙しい思いをさせてごめんなさい」
「え? いいのよ、そんな。改まってそんなこと言わないでよ」
「それから……弟さんのこと聞いたわ。ごめんなさい、あたしの力が足りなくて……」
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真・祈りの巫女77
「前の日の夜に初めて現われた影を目撃した人は、この2つ目の影がその影と同じだったような気がするって言ってた。今回現われた2つの影は、姿もかなり違っているんだけど、足跡もずいぶん違うんだ。今朝明るくなってから足跡を見て、この2つ目の影が前日に初めて現われた影と同じ足跡だったことが確認されてる。昨日この影は村の道に沿って東に進んでいって、祈りの巫女、君の家の近くまできて突然進路を変えて、君の家を踏み潰した」
 タキの言葉を聞いて、あたしは昨日自分で思ったことをまた思い出したの。影が、最初からあたしの両親を狙って現われたんじゃないか、って。今のタキの話し振りを聞いてたってそうとしか思えなかった。だって、2つ目の影は他の家には見向きもしないで、あたしの家を潰しにきたんだから。
「……最初からあたしの家族が狙われていたの? ……それとも、影はあたしがそこにいると思って、あたしを狙ってきたの……?」
 考えたくない。考え続けていたら、あたしはいずれその答えにたどり着いてしまうから。
  ―― 父さまや母さまが死んだのは、あたしが祈りの巫女として生まれたせいなんだ、って答えに ――
 タキは、あたしの問いへの答えを、既に用意していたみたいだった。
「影が獰猛なだけの獣なのか、それともなにか目的があって襲ってくるのか、今の段階ではまだ何も判ってないんだ。だから最初から君の家を狙っていたように見えても、実際は単なる偶然なのかもしれないよ。それまではただ走ることだけで満足していたのに、その時急に家を踏み潰したくなって、手近にあった家を目指したのかもしれない。オミや君の両親はすぐに家を飛び出したから、自分の家の下敷きにはならなかったけど、逃げた方角が偶然にも影の行きたい方向で、両親はたまたま影の進路に逃げてしまったのかもしれない」
 そして、オミは影に崩された別の家の下敷きになって、父さまと母さまは影に踏み潰されてしまった。
 それは確かに事実なのだろうけれど、あたしはその事実をただの言葉としてだけしか受け止めることはできなかった。
 考えたくない。それ以上考えたら、あたしは何かを認めなければならなくなる。あたしは認めることを恐れている。
  ―― 父さまと母さまの死を認めたとき、あたしはその「何か」も認めずにはいられなくなるだろう。
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真・祈りの巫女76
 カーヤはさっそくオミの世話に必要な道具を用意するために宿舎を出て行って、間もなくあたしとタキに朝食を運んできてくれた。それを食べながら、タキは昨日話せなかった影のことや、村の現状なんかを話してくれたの。その間にもカーヤは宿舎を出たり入ったりして、オミのためにいろいろなものを用意してくれたんだ。どうやらカーヤが人の看病に慣れているというのは嘘じゃないみたいだった。
「 ―― 影が現われる直前には、狩人が村のあちこちにいた。西の森にいたのはそのうち3人で、彼らの話によると、影はやっぱり沼から現われたそうだよ。だけど、その現われ方が不思議なんだ。オレは直接話を聞いてきたんだけど、今でも信じられない」
「沼の中からそれほど大きな生き物が出てきたら、沼の水であたりが濡れるはずだって聞いたわ。でもどこも濡れてなかったって」
「水の中から出てきたんじゃないんだ。影は沼の真上、空中にいきなり現われて、周りの木をなぎ倒しながら森の外に走っていったんだ」
 沼の真上って……。影は何もないところから出てきたの? そんなのタキじゃなくたって誰も信じられないよ。
「空を飛んできたとか、落ちてきたとか……?」
「いや、狩人たちは影は空を飛んでないって断言してる。いきなり沼のすぐ上に姿を現わして、それからゆっくり岸に降り立って、そのあと凄まじい唸り声を上げて走り去ったって。3人の狩人のうち2人はすぐに影を追いかけていったんだけど、1人はそのまま動くことができなかったから、2つ目の影が現われるところも見たんだ。その影の現われ方もまったく同じだった。ただ、姿は少し違うように見えたって、その狩人は証言してる」
 あたしはもう何も言えなくなってしまって、黙ったままタキの話の続きに耳を傾けた。
「最初に現われた影は森から出ると村を北側に回り込むように走っていって、北側にあった畑と近くの家に襲い掛かったんだ。なにしろすごい唸り声がしたから、北側に住んでいた人たちはかなり遠くからでも影が近づいていることには気づいて、家を捨てて逃げ惑った。でも、そのうち何人かの人は逃げ遅れて、家の下敷きになったり、影に踏み潰されたりして命を落とした。……カーヤの弟のクニもその1人だよ」
 ……そうか、カーヤの家は畑を作ってるんだって、前に聞いたことがある。村の北側には畑を作る人たちが多く住んでいたんだ。
「そして、その影に気を取られていた隙に、もう1つの影が現われて、村の南側に回り込んだんだ」
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真・祈りの巫女75
 食卓に向かい合わせに座ったカーヤとタキは、あたしが部屋から出て近づくのを息を飲んで見つめていた。そんな2人を交互に見て、笑顔を浮かべて挨拶する。
「おはよう、カーヤ、タキ」
「……おはようユーナ」
「おはよう、祈りの巫女」
 一瞬遅れて、2人も挨拶を返してくれる。あたしが2人の会話を聞いていたかどうか探ろうとしているみたい。さっきまで2人が話していたことなんて、あたしが聞いていたとしてもどうってことないのに。
「オミのことでは心配をかけてごめんなさい。ローグが痛み止めをくれたから、ずっと静かに眠ったままだったわ。傷が深いからまだしばらくは起きられないと思うけど、ローグも傷が治れば元のように生活できるだろうって言ってたから、心配はいらないと思うの。あたし、これからはできるだけオミを看病するわ」
 そう言いながらテーブルの自分の席に腰掛けると、カーヤは台所からお茶を1杯運んできてくれた。
「ユーナ、オミの世話はあたしに任せて。あたし、人の看病は慣れてるから」
「え? でも……」
「動けない人の看病って、慣れていないとなかなかうまくいかないわ。ユーナには祈りの巫女の役目もあるから、オミの世話をぜんぶやるのは無理よ。それに、慣れない人に看病されるのは、オミの方も大変だと思う。ね、あたしに任せて」
 カーヤはそう言ってくれて、あたしは嬉しかったけど、少し後ろめたい気持ちにもなっていたんだ。でも、カーヤが言う通り、あたしがオミの世話をしていたらどうしても祈りの巫女の役目がおろそかになる。この村にはあたしのほかに祈りの巫女はいないんだもん。これからの村のことを考えたら、カーヤの提案はもっともなことだった。
「……カーヤにお願いしちゃってもいいの?」
 カーヤはにっこり微笑んで、あたしの甘えを許してくれた。
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真・祈りの巫女74
 翌朝、あたしは少しベッドの脇でうとうとしてしまったみたい。目を覚ましたときには日もずいぶん高くなっていて、午前中は日が当たらないこの部屋にも少しだけ光が差し込んできていた。ベッドのオミは寝息も穏やかで、あたしがいることには気づいていないようによく眠っている。宿舎の入り口の扉が開く音がして、かすかにタキの声がしたから、どうやらあたしはタキが来たときのノックの音で目覚めてしまったらしかった。
 カーヤがタキを招き入れている声も小さく聞こえた。たぶん2人とも、あたしとオミに気を遣って、声を潜めてくれているんだ。
「祈りの巫女は? まだオミの部屋?」
「ええ、昨日から1歩も出てこないわ。もしかしたら眠ってるのかもしれない」
「カーヤ、……改めてお悔やみを言うよ。……弟さん、残念だった」
 あたし、聞くつもりはぜんぜんなかったけど、いつのまにか2人の会話を聞いてしまっていた。カーヤ、昨日の災厄で弟を亡くしていたんだ。あたしは自分のことだけに夢中で、カーヤの家族のことは聞きもしなかった。
 一気に目が醒めたようになって、あたしは椅子から立ち上がって、部屋のドアを開けようとした。その時またタキの声が聞こえてきて、あたしの名前を口にしたから、あたしは思わず足を止めてしまったの。
「祈りの巫女が眠ってるならいいんだ。守護の巫女も、目を覚ますまではそのままそっとしておくようにって言ってたから。……カーヤ、君は、祈りの巫女の様子、気にならなかった?」
 部屋を出るタイミングを逃してしまって、そのままドアの向こうの声に耳を傾けた。
「……ええ。どこがどう違うって、はっきり言えないのだけど、昨日はいつものユーナじゃなかったわ。……そう、まるで、両親が死んだことを信じていないみたい。普通なら自分の両親が死んだらもっと悲しむと思うの。……ユーナ、悲しんでなかった ―― 」
 2人の会話は、聞こえてはいたけれど、あたしの中に深く入ってくることはなかった。なんだか考えるのが面倒だった。そんなことよりもあたしには考えなければならないことがいっぱいあるんだもん。
 あたしはわざと音を立てて椅子を動かした。そして、ドアを開けて、2人がいる食卓へと向かった。
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真・祈りの巫女73
 タキが戻ってきたとき、うしろには守護の巫女が一緒についてきていた。そこでもひと悶着あって、怪我人のオミをはさんであたしは必死で守護の巫女に食い下がった。途中でローグが他の怪我人の治療を終えてやってきて、オミをひと目見て言ったの。
「死ぬほどの怪我じゃないが、こんなところにいつまでも放置しておいていい怪我でもない。早くベッドに案内してくれ」
「神官のベッドがいっぱいなのよ。だから今相談しているの」
「ベッドならあたしの部屋にあるわ」
「だったら早く祈りの巫女のベッドに寝かせてやるんだ。相談が長引けば、死ななくてもいい男が1人死ぬことになるぞ」
 けっきょく、この問答に決着をつけたのは、ローグのこの一声だったんだ。ローグはほとんど強引にオミをあたしの勉強部屋へと運んで、そこで傷の具合を診てくれたの。最初にローグが言ったとおり、オミは擦り傷や切り傷は多かったけれど、それが治れば普通に生活できるだろうって話だった。
 ローグを見送るために扉近くまで来たとき、ローグはいったん足を止めた。
「祈りの巫女、オミの様子をずっと見ていてくれるかな。……もちろん、君の仕事の合間で十分なんだけど」
 あたしは最初からそのつもりだったから、ローグに大きくうなずいた。
「オミの話をよく聞いてやって欲しいんだ。もう、オミには君しかいない。君がいなければオミはたった1人になってしまうんだよ」
 判ってたから、あたしはローグを安心させるように、少しだけ微笑んだ。そうしてローグを見送って、再びオミの病室に戻ってくる。あたしの勉強部屋が今日からオミの病室だった。たぶん、またカーヤに苦労をかけてしまうけれど、あたしはオミが傍にいてくれることがすごく嬉しかったんだ。
 オミの寝顔を、あたしは勉強机の椅子を引いてきて、そっと覗き込む。そうしてしばらく見ていたら、不意にその姿勢が、昼間リョウがきていたときと同じだということに気が付いた。リョウもこんな風に、あのあと寝付いたあたしの寝顔を眺めたのかもしれない。
 この日夜が明けるまで、あたしはオミの寝顔を見つめつづけていた。だからあたしは、両親のことも、祈りのことも、影のことも村のことも、何も考えずにいられたんだ。
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