2000年04月の記事


お詫びです
今日はほとんど一日ハードの再インストールをしていました。
実はまだ終わっていないのです。
ワードのインストールもまだなので、今日は小説をアップできそうにありません。
ごめんなさい。
今日中に何とか片付くとは思うので、明日こそはきっとアップしますね。
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記憶・62
 ミオがイメージする物干し竿の記憶。長く生きれば、記憶が積み重なればそれだけ物干し竿はどんどん長くなってゆく。オレは32年分の物干し竿を持っていて、その15歳の部分に今のオレがいる。そのあとの部分はオレにとっては未来だ。だけど、その未来は今のオレの未来じゃない。今ここにいるオレが未来をつむいでゆけば、また新しい物干し竿が15歳の部分から形成されるのだろうか。
 まてよ。オレは以前に記憶を置き換えられたことがあるとミオは言った。ということは、オレにはもう1つの物干し竿があるのだろうか。記憶を置き換えられる以前にあった正しい物干し竿と、置き換えられた偽物の物干し竿が。
 もしも全てを思い出したら、オレの記憶はどうなってゆくのか。もしも今オレが32歳までの正しい記憶を思い出したとして、ここにいる15歳のオレと、32歳のオレ、過去の15歳のオレの関係はいったいどうなってしまうのだろうか。
「ミオ、今の15歳のオレの物干し竿は、過去の15歳の部分につながってしまうのか?」
 オレの不安な声色を、ミオは察知したようだった。
「あたしを雇った人は、伊佐巳が記憶を思い出したら今の伊佐巳はちゃんとした時間軸につながる筈だって言っていたわ。つまり、32歳の物干し竿の後に、15歳の物干し竿がつながる、って」
「だったら、今はつながっていないのか?」
「本当はつながっているのだけど、伊佐巳には見えていないだけ。たとえば、あたしはパパと一緒に暮らしていた頃の夢をよく見るけど、夢の中のあたしは、今パパが傍にいないことなんか、ぜんぜん覚えていないわ。目覚めたときに思い出すけど、記憶のつながり方にそれほど違和感はないもの。もしも伊佐巳が記憶を取り戻したら、夢から覚めたようになるんでしょうね」
 そう言ったミオは、父親の夢のことを思い出したのか、少し切なそうに見えていた。
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記憶・61
 オレは、ミオのたとえ話が面白くて、夢中になってイメージしていた。
「古い記憶を思い出そうとするとき、2通りの方法があって、1つは物干し竿、つまり時間よね、そのときの状況を思い出そうとして、洗濯ばさみが以前そこにぶら下がってた洗濯物を、山の中から探し出すの。そのときに洗濯物の山がひっくり返されるから、1つ思い出すとその頃の思い出が次々思い出せたりする。逆に、洗濯物が洗濯ばさみを探すこともあるわ。偶然に断片的な記憶を思い出して、物干し竿に当てはめるの。デジャヴュとか、どこかで見たことがあるけどなんだったかな、なんて感じで思い出すときが、こんなイメージなの」
「古い記憶ほど思い出せなくなるのは、洗濯物が上に積み重なってくるから?」
「そうね。あと、物干し竿が長くなって、現在のある位置から遠くなるからかしら。それに、たぶん物干し竿も洗濯ばさみも古くなって、干しづらくなるのよ。伊佐巳は知ってる? プラスチック製の洗濯ばさみって、ものすごく壊れやすいんだから」
 ミオはいつの間にか、記憶の話というよりも洗濯物の話を楽しみ始めているように、オレには思えた。そんなミオはなぜか妙に活き活きしていて、つられるようにオレもなんだか楽しくなってきていた。こんなに活き活きと話すミオは初めてだった。おそらくミオの日常にはいつでも洗濯という仕事があって、その仕事をミオはとても楽しんでいたのだろう。
 記憶と洗濯には共通点といえるものは何もなかった。だが、オレはミオのたとえ話で、ミオがイメージする記憶というものをすんなりと理解することができたのである。
「あたしが伊佐巳の記憶について思ったのは、伊佐巳の記憶喪失はこの物干し竿の方がうまく働かなくなっているのかな、ってことなの。伊佐巳の『現在』って感覚が、物干し竿のちょうど15歳のところにとどまってしまっているような気がするのよ」
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記憶・60
 パソコンのことをほとんど知らないミオにしてみれば、オレの質問はまるっきり理解できないものだったのだろう。
 ミオは困ったように苦笑いして、返事を濁した。
「あたしも少しパソコンを勉強した方がいいみたいね」
 どうやら、パソコンに関してはミオはまったく当てにならないようだった。オレは少し別のことを考えて、ミオに言った。
「オレはパソコンを扱ってみて、自分の記憶の構造がコンピュータにすごく似ていることに気がついたんだ。だけど、コンピュータに時間という概念はないだろ? どのソフトでもアプリケーションがありさえすれば、たとえどんなに古いデータだって開くことができる。そういう意味ではパソコンに記録されたデータは平等なんだ。そう考えれば、たとえばオレは15歳だけど、15歳以降の新しい記憶だって、15歳以前の記憶と同じように再生されるはずなんだ。なのにオレは15歳よりも前、実際には15歳前後の記憶しか思い出せない。それって、すごく不思議なことじゃないだろうか」
 オレの言葉を、ミオはかなり正確に理解してくれたようだった。
「伊佐巳のイメージはパソコンなのね。あたしはちょっと違うみたい。あたしの記憶に対するイメージって、言ってみれば物干し竿、なのよね」
「ものほしざお?」
「うーん、それが1番近い、ってことかな。伊佐巳が言った時間の概念ね、それが物干し竿で、記憶そのものは洗濯物みたいなもの。物干し竿は時間とともにだんだん伸びてゆくの。その竿には洗濯ばさみがたくさんついてて、記憶がぶら下がってるのね。ある程度時間が経つと、古い記憶は洗濯ばさみから外れて、下に山積みになっていくの。新しい記憶が古い記憶の上にどんどん積み重なってゆく感じかしら」
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記憶・59
 オレはしばらくの間ミオの顔を見つめていた。あまり長い間そうして見つめつづけていたから、ミオは小首をかしげてみたり、照れたように微笑を浮かべたりしていた。しかしオレは実際のところミオの表情に心を奪われていたわけではなかった。オレの中にそれまでなかったはずの知識が蘇っていることに気付いて、知識の再点検作業をしていたのである。
 オレは自分の無意識を監視しながら、ごく自然にOSという言葉を使った。意識を取り戻して改めて記憶を辿ると、今まで理解できなかったコンピュータの内部構造のようなものが、自然に理解できていることに気付いたのである。このパソコンのソフトの使い方は今でも判らない。だが、もっと深い部分、MS−DOSの階層の原理などは理解できるのだ。
 いや、たぶん、オレは最初から知っていたのだ。オレの中にはこのパソコンの知識はないけれど、他のパソコンの知識がある。用語や使い方を思い出せないのは、思い出せないのではなく、知らないから。
 そうか。パソコンの技術は日々進化しているから、このパソコンに使われている技術を15歳のオレが知らなくてもあたりまえなんだ。
「ミオ、このパソコンのOSはウィンドウズっていうの?」
 オレが沈黙を破ったことで、ミオは幾分ほっとしたように見えた。
「OSという言葉は知らないけど、ウィンドウズって言葉なら知ってるわ。ええ、たぶんそうだと思う」
「それって、窓と関係ある?」
「あると思うわよ。ソフトが窓みたいに開くから、そういう名前になったみたい」
「オレはこのOSは知らないんだ。ってことは、オレが15歳だった17年前には、まだできていなかったってことなんだろうか」
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記憶・58
 ただ黙々とキーを打ちつづけるオレを見守りながら、もう1人のオレはプログラムの内容を見てみたいと思った。1人では見ないとミオに約束した。だったら、ミオがいるときに見ればよいのだ。
 もしも本当にこれが教育に関わるプログラムならば、15歳のオレが他人を教育するためのプログラムを組んでいたことは奇妙だった。おそらく原本のようなものがあって、それをデータに直すような仕事だったのだろう。だとしたらさっきの顧客管理も、学生を管理するためのものだったのかもしれない。オレは学校関係のプログラムを任されていたのか。
 無意識と意識の2分化を、知らず知らずのうちのオレは経験していた。キーボードを打っているのは無意識のオレ。それを見ながらあれやこれや考えているのは、オレの意識だ。いや、意識というのは少し違うかもしれない。なぜなら、このときのオレには外界からの刺激というものを一切受け付けていなかったのだから。
 無意識のオレと、意識と無意識の狭間にあるオレ。例えていうならばコンピュータとOSのようなものだった。OSのオレはコンピュータの内部を監視している。やがて、コンピュータ=無意識が作業を終えたとき、オレの意識(さしずめアプリケーションソフトか)が回復して、周囲の状況を認識し始めていた。
「……ミオ?」
「ここにいるわよ」
 無意識から意識への移行。それまでも幾度か体験してきたことだったけれど、こんなにはっきりと観察したのは初めてだった。同時に知った。オレの記憶が不自由なのは、無意識のエラーでも意識のエラーでもなく、その狭間、OSのエラーなのだということを。
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記憶・57
 食後はミオはでかけてしまったから、オレはまたパソコンに向かって文字を打ち始めた。文字を打っているオレの後ろで、もう1人のオレが見守っている。見守るオレは文字を解析しようとしていた。知識は間違いなくあるのだから、見ているうちに何か判るかもしれないと思ったのだ。
 画面はオレの想像以上にすばやくスクロールしてゆく。打ち間違いというものもなく、カーソルが戻ることはなかった。数字とアルファベットの羅列が最初はまったく読めなかったが、そのうちに少しずつ特徴が見えてきた。オレはどうやら16進法を使ってプログラムを作っているらしい。
 もっと判りやすい言語なら解析することもできるのかもしれないが、思い出せない上に16進法ではお手上げだった。打ち込んでいるときの気分が相当胸糞悪いことから考えると、このプログラムは先ほどオレが理解できなかったプログラムと同じか、その続きというようなものらしかった。
 連続した、同じ傾向のプログラム。それはいったいどういうものなのだろう。もともと1つのプログラムであったのなら分割する必要はない。違うプログラムならば、これほど似ている意味がない。
 オレはしばらく考えて、1つの答えに行き当たった。構成そのものはほとんど同じものだけれど、内容が少しずつ連続して変わるもの。それは教科書などによく見られる傾向だった。これはもしかしたら、教育に関わるものなのかもしれない。
 オレは誰かを教育する目的で、プログラムを組んでいたのか。
 その誰かがたとえば1人なら、プログラムなど組む必要はない。プログラムの最大の利点は、ディスクを大量にコピーできることだ。オレは不特定多数の人間を教育するためのプログラムを作っていたのだろうか。
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記憶・56
 ミオは真剣な瞳でオレを見ていた。その様子で、このプログラムこそがオレの記憶に直接関わるのだと直感した。
「プログラムを見るとき、このプログラムに関わらずどれでもだけど、絶対に1人では見ないで欲しいの。必ずあたしが傍にいるときに見るって、約束して」
「それは、このプログラムがオレの記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないから?」
「それは判らない。このプログラムの内容を見て、伊佐巳の記憶が戻るのか、それとも何も思い出さないのか、それはあたしにも判らないの。でも、もしかしたら、記憶が戻るだけじゃなくて、もっと違うことになってしまうかもしれない。たとえば、伊佐巳の記憶障害がもっと悪化してしまうかもしれないの」
 なんとなく、判った。オレの記憶には自分でも気付かない自己防衛が働いている。企業用の顧客管理プログラムについて思い出せたのは、それがオレの記憶に関わりのない、それをオレが思い出しても何の危険もないプログラムだったからだ。それが、もうひとつのプログラムは、思い出したら記憶障害が悪化するほどの危険性を秘めている。オレの無意識はそういう記憶をブロックして、簡単にアクセスできないようにしているのだ。オレの脳は危険な記憶とそうでない記憶とを分類して、オレ自身の精神の崩壊を予防しているんだ。
「わかった。約束するよ」
「ありがとう、伊佐巳」
 オレの好奇心は1秒でも早くこのプログラムを開いてみたいと訴えていたが、そう約束したからには、ミオがその時だと判断するときまで開かずにいられるだろう。確かにこのプログラムにはオレの感覚が拒否する何かがあるのだから。
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お詫びです
只今帰りました。
という訳で、4月22日分の記憶の更新ができませんでした。
ごめんなさい。
続きは本日中にアップしますので、よろしくおねがいします。

今日(昨日)はまたラオックスに行ってきました。
デジカメのリサーチと、プリンタにつけられるスキャナを買ってきました。
うちのページも、絵とかがあったほうが少しはかわいくなりますもんね。
アイコンとかも、ちゃんと作りたいな。
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記憶・55
 オレの昼食はおそらく1人だった。15歳のオレの隣に一緒に食卓を囲む女の子がいたとしたら、その子が学生だったのか、あるいはオレ自身が学校に行っていたのか。どちらにしてもオレは1人で持ち帰り弁当を食べていたらしい。1日のほとんどをパソコンの前で過ごしていたのだとしたら、オレは不登校児だったのか、それとも、通信教育で学んでいたのかもしれない。
「今朝から作ってたプログラムはどういうものなの?」
 答えは、オレの脳の中にひらめくように現れた。
「企業用のプログラム……らしいな。名簿を作るソフトみたいだ」
「なんとなく判る気がするわ。名前や住所を入れるワクがあって、打ち込むと別の画面で名簿になるのね」
「そう。宛名ラベルの印刷ができたり、検索にも使える。オレはどこかの会社のプログラムを作る仕事をしていたのかもしれない」
 だとしたら、オレはすでに学生ではなかったのか。在宅勤務で、企業の下請けのようなことをしていたのかもしれない。それならば昼間1人で持ち帰り弁当を食べていたこともつじつまがあう。
「もう1つの方は何なの?」
 もう1つ、それはさっきまでオレが打ち込んでいたプログラムだ。
 なぜだろう。そのプログラムについては、オレのひらめきはまったくないのだ。動かしてみることはできるだろうか。たぶんプログラムには間違いはない。ゲームのときのように、動かないということはないだろう。
「判らないの?」
「ああ、判らない。どうしてだろう。判るのも不思議だけど、判らないのも不思議だ。……見てみればはっきりするよな」
「伊佐巳、1つだけ、約束してくれないかしら」
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記憶・54
 10分でミオは部屋を出て行ったので、オレはまたパソコンに向かった。
 本当はさっきの続きをするつもりだった。だが、判らないことを続けるというのはあまり魅力のある作業ではなく、いつの間にかオレは今朝の続き、プログラムの作成を始めていたらしい。
 そうと気付いたのは、ミオがオレの肩を揺さぶって、キーボードがうまく打てなくなっていたからだった。集中力が切れて見上げると、ミオはまた少し困ったような顔で、オレを見つめていた。
「伊佐巳、今、何時だか判る?」
 パソコンの時刻表示を見て驚いた。時刻は既に午後2時を回っているのだ。
「何回も呼んだのよ。伊佐巳、あなた本当に自分の身体を気遣う気があるの?」
 そう言いたくなる気持ちは判った。結局オレは、一度何かを打ち始めると、全て打ち終わるまで外界の気配など一切感じなくなってしまうらしいのだ。
「ごめん、ほんとに」
 オレが素直に謝ると、ミオはため息をついて、諦めたように言った。
「判った。伊佐巳にパソコン中休憩するなんて、最初から無理だったのよ。いいわ。午前と午後、1つずつ打ち込んだら、それで1日の分にしましょう。いい?」
 ミオにしてみればそれでもかなり譲歩したのだろう。オレに否はなかった。オレがパソコンを始めると、どうやってもミオを1人にしてしまうのだ。でも、パソコンは今のところ、オレの記憶を探るのに1番可能性の多いものだった。これはオレの一部なのだ。触らずに1日を過ごすことなど、おそらくできはしないだろう。
「判った。ごめんね、本当に」
「あたしに謝らなくてもいいのよ。……すっかり食事が冷めちゃったわね。こっちにきて」
 昼食は、発泡スチロールの容器に入った弁当だった。どうやらこの食事も、オレの記憶のヒントになるものらしい。15歳のオレが毎日摂っていた食事を再現しているのかもしれない。だとしたらオレは、昼ご飯を持ち帰り弁当で済ませていたということになる。
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記憶・53
 最終的には外部のコンピューターと接続したいのに、そのやり方がわからずに、オレはずっとパソコンの中のソフトに惑わされる羽目になった。やがてミオが帰ってきて、ほとんど集中していないオレを見て驚いたくらいだった。
「どこへ行ってたんだ?」
 答えてもらえないかとも思ったが、意外にあっさりとミオは教えてくれた。
「友達に会ってきたの。あたしの親友なの」
「この建物の中にミオの親友がいるのか?」
「親友もいるし、仲間も。あたしも伊佐巳と同じで、この建物から出ることはできないのよ」
 ミオとの短い会話で、オレはこの部屋の外、建物の内側で何が行われているのか、おぼろげながら知ることができていた。この建物の中には、ミオが仲間と呼ぶ人間たちが何人か、外に出ることもできずに暮らしている。監禁されているのか、それとも建物の外が危険だからなのか、それは判らない。だが、ここはオレが持っている常識の範囲に収まる場所ではないのだ。
この部屋の外で何が行われているのか、オレは知りたいと思った。オレ自身はおそらく、この部屋からすら出ることはできないのだろう。外の情報を知る手がかりは、ミオと、このパソコンだけ。ミオから聞き出すことのできない情報は、パソコンから手に入れるしかないのだ。
「ミオ、君はこのパソコンの使い方を知ってるの?」
ミオはちょっと困ったような顔をした。
「ごめんなさい。あたしの家、パソコンなかったのよね。だからあたしにはパソコンの知識はないのよ」
「説明書みたいなものもないかな。用語辞典でもいいんだけど」
「パソコンは伊佐巳の記憶と直接関わるものだから、あったとしても持ってくることはできないはずよ」
 やはり、必要な知識はすベて自分で思い出すしかないようだった。
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記憶・52
「別に1時間ごとに帰ってこなくてもいいけど」
 オレがそう言うと、ミオはちょっと目つきを鋭くした。
こんな顔もできるんだな。
「あたしが帰ってこなかったら、伊佐巳は休憩なんか絶対にしないわ。賭けてもいい」
 オレもそう思った。だけどそうとは言わず、両手を上げて降参した。
「判った。必ず休憩する。できれば目覚し時計か何かないかな」
「それも探してくるわ。……じゃあ、1時間後にまたくるわね」
 そう言って、ミオはトレイを片付けがてら、部屋を出て行った。オレは再びパソコンの前に座って、今度はさっきとは別のことを始めた。今までは自分の中のデータを打ち込むことをずっとしてきたけれど、今度はパソコンの内部を探ることに重点を置いていじり始めたのだ。オレはパソコンの知識はほとんどなかったけれど、今までの作業で少しはコツのようなものをつかんでいた。
 だが、いざ自分のやりたいことをやろうとすると、オレの頭はまったくといっていいほど働いてはくれなかった。今のオレに判るのは、アイコンをダブルクリックすると何かのソフトが立ち上がることとか、閉じるときにはバツ印をクリックすればいいこととか、その程度なのだ。ソフトが立ち上がったとしても、その使用方法はまるっきり判らない。ヘルプを読みながらひとつひとつ理解しようとするけれど、まず言葉の意味が判らない。オレがさっきまで使っていたのはどうやらソフトではなく、ソフトを作る方の機能だったらしい。それだけは判った。オレはパソコンのソフトをプログラムしていたのだ。
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記憶・51
 15歳のオレは何を望んでいたのか。今から17年前、オレの身体と心はともに15歳だった。そのとき、オレの前には「義理の親子は結婚できない」と話した女の子がいた。オレはもしかしたら、その子の恋人になりたかったのかもしれない。
 判らない。判らないけど、そんな気がした。本当は違うのかもしれない。オレは今ミオに興味を持っているから、都合よくそんな風に考えるのかもしれない。
 17年前のオレは、いったいどんな恋をしていたのだろう。
 オレが恋していた女の子は、ミオに似ていたのだろうか。
「朝食が終わったら伊佐巳は何をするの?」
 ミオが聞いてきたが、そもそもオレには予定など何もなかった。今のオレにできることといえば、パソコンをいじるか、せいぜい鶴を折るくらいなのだ。
「何も考えてない。オレは何かしなければならないことでもあるのか?」
「伊佐巳には仕事のようなものはないわよ。伊佐巳の今の仕事は、過去を全て思い出すことだもの」
「だったら、好きなことをしていていいんだ」
「そうね。欲を言えば、記憶を思い出せそうなことかな」
「だったらパソコンをやるよ。オレはたぶんかなりの時間をパソコンの前で過ごしていたはずだから。もしかしたら記憶を思い出すきっかけが見つかるかもしれない」
「それじゃあ、あまりやり過ぎないように時間を決めましょう。午前中はお昼までで、1時間に10分は休憩を入れること。午後は5時までね。それでいい?」
「判った」
「そうね。……それだったら、伊佐巳がパソコンをやっている時間、あたし、出かけてきてもいいかな。ちょっとやっておきたいこともあるの。もちろん、伊佐巳が休憩になるときには傍にいるようにするから」
 確かに、オレがパソコンに向かっている間何もせずにいるのは、殊のほか退屈なことだろう。
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記憶・50
 ミオが言っていることが、オレには理解できなかった。
「それって、どういうこと?」
「うーん、あたしも受け売りなのよね。……つまり、肉体年齢と精神年齢が一致してる人間なんて、世の中には数えるほどしかいないのよ。たとえば、あたしは13歳のときにパパと別れて、それ以来パパとは1度も会ってないの。だから、パパに関するあたしの精神年齢は、13歳のままで止まってしまってるんだわ。もしも今パパと会ったら、あたしはたぶん13歳の頃のあたしに戻ってしまうと思う。伊佐巳も同じなんじゃないかしら。伊佐巳は記憶をなくして、15歳という年齢を選んだけど、それは伊佐巳の精神年齢の何かが15歳で止まってしまったからじゃないのかな。だから伊佐巳は15歳の今から始められるの。止まってしまった時間を動かして、少しずつ16歳になって、17歳になって、最後には肉体年齢と一致させる。その間の可能性は、15歳の男の子のもので、けっして32歳の大人の人のものではないんだわ」
 15歳のときにオレがなくしてしまったもの。
 15歳のときにオレが止めてしまった時間。
 記憶をなくしたオレは、その15歳の時間を取り戻すためにここにいる。そのときのオレが成長させられなかった自分の中の何かを見つけるために。
 それを探さなければ、もしかしたらオレの記憶は戻らないのかもしれない。漫然と時を過ごしているだけでも、一生懸命記憶だけを思い出そうとしても、それがなければオレはずっと不完全なままなのか。
 15歳のオレの可能性はどんな未来につながっているのだろう。もしかしたら、ミオの恋人になれる可能性だって、ゼロではないのだろうか。
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記憶・49
「ミオにとっては、パパが恋人なんだ」
「そうかな。……あたしはたぶんファザコンなのね。将来パパみたいな人と結婚したいの」
 ミオの父親。オレの想像力はあまり働かなかった。
「ミオのパパはどんな人?」
 ミオはしばらく考え込んでいた。
「……人に説明しようとすると難しいわね。何でもできて、何でも知ってて、誰にでも頼りにされる人。パパはあたしの自慢のパパなの。優しくてね、でも考え方とか行動とか、絶対矛盾してなかった。ちょっと子供っぽいところとかもあって。それに若いのよ。まだ30台だし」
 話を聞いているうちにオレはどんどん落ち込んできていた。ミオの恋人になろうとするなら、オレはその男を超えなければならないのだ。まだ30台? 冗談じゃない。オレだってもう32歳なんだ。
「そんなすごい人もいるんだな。オレがあと何年か経って、ミオのパパと同じ年になっても、そんな風にはなれそうもないや」
「それは判らないわよ。伊佐巳はまだ15歳なんだもの。いくらでもすごい人になれる可能性はあるわ」
「オレはもう32歳なんだろ?」
「それは肉体年齢でしょう? 可能性って、精神年齢が決めるものだと思うわ。今の伊佐巳は15歳で、その可能性は15歳の男の子の可能性じゃない。伊佐巳には16歳のあたしよりも1年分多い可能性が広がっているのよ」
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記憶・48
 ミオに言われなくても判ってる。オレが言ってることは、さっきからおかしなことばかりだ。オレが本当に知りたいのはミオに恋人がいないこと。オレがミオを好きになっても、報われる可能性があるってことだから。
 ミオのことを好きなのかどうか、自分ではよく判らない。なついてるだけかもしれない。ここにはオレとミオしかいない。もしも他にも女の子がいたら、オレはミオじゃなくその娘を選んでいるのかもしれない。
 だけど、今ここにいるのは、本名も判らないミオという女の子ただ1人なんだ。
「恋人はいないのか? 本当に?」
「残念ながらね。今のところそんなに欲しいとも思わないけど」
「でも、好きな人はいるんだろ?」
「たくさんいるけど、恋人になりたいような人はいないわね」
 本当か嘘かわからないけど、オレはかなりほっとしていた。
「だったら、1番好きな人は誰? 雇い主の男か?」
「それなら決まってるわ。あたしの1番好きなのは、世界にたった一人、あたしのパパ」
 そう言った時のミオの表情を、オレはしばらく忘れることができないだろう。
 ミオはオレの目を見ていた。まっすぐな視線で、でもけっしてオレ自身を見てはいなかった。ミオが見ていたのは、オレを通り越したその先。おそらくオレの後ろに幻として存在していたのだろう、彼女の父親だったのだ。
 ミオは父親を愛している。彼女の愛情はその深さにおいて誰に恥じることもないだろう。オレは知っていたはずだった。彼女の愛情の全ては、今、父親の存在に注がれているのだ。
 恋人を探している余裕なんか彼女にはないのだ。ミオは今父親に会うことだけで精一杯。たぶん、オレが入り込む隙間なんかないのだろう。
 オレのことを本気で考えることなど、今の彼女に出来るはずがない。
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お詫びです
今日は割りに早く帰れたのですが、発症中の不眠症にたたられて、体力が限界値を振り切ってしまいました。
という訳で、今日は小説をアップできそうにありません。
本当にごめんなさい。
明日こそは必ず……と言いたいところなんですが、実は明日のほうが危ないんですよ。
何しろ帰れる時間の予想が立たないので。
という訳で、明日もアップできないかもしれないので、先に告知しておきますね。
本当にご迷惑をおかけします。
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記憶・47
 ミオは雇い主のことを信頼している。ミオの言葉からオレが1番強く感じたのはそれだった。オレの中にそもそも最初からあった雇い主への不信感。しかし、ミオの言葉がオレの不信感を拭い去ることはなかった。オレの感覚が拒否しているのだ。もしかしたらそれは、ミオが雇い主を信頼しているという、そのことが原因だったのかもしれないけれど。
 雇い主はオレの身内なのだと、ミオは言う。彼というからには男なのだろう。ミオの雇い主はオレにとってどういう存在なのだろう。兄弟か、父親か。誰か、オレのことを心配している人が、本当にいるのだろうか。
 雇い主はミオの恋人なのかもしれない。ミオがオレのことを男だと思えないのは、オレが恋人の兄弟で、いずれ義兄弟になるからだとしたら。
 オレの想像は絶望的な方角に向かって拡大してゆく。自分のことをほんの少しでも思い出せたなら、もっと自分に自信を持てるのだろう。
「その人のことを、ミオは好きなんだな」
 オレの言葉には、ミオはなんの躊躇いもなく答えた。
「好きよ。ちょっと変わってるけど、あたしには優しい人だから」
「なら、彼がミオの恋人なんだ」
「……どうしたの? 今朝からそんな話ばかりだわ。伊佐巳は何が何でもあたしに恋人を作りたいみたい」
 ミオの態度は、オレを子供扱いしていたあの時までのものに戻りつつあるように見えた。そんなミオにほっとしている自分を知った。矛盾していると自分でも思う。俺はミオに男として見てもらいたいのに、子供扱いされることを心地よく感じているんだから。
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記憶・46
「ミオ。オレは君にとって守るべき存在なのか?」
 ミオはオレを見つめたまま何も言わなかった。
「オレは今どんな状況に立たされてるんだ? 誰か、オレを害するような人がいて、ミオはそんな人からオレを守ろうとしてるのか? だからミオはオレに対して保護者のような立場になってしまうのか?」
 そうだとも、違うとも取れるような表情で、ミオは沈黙を続けた。
「それって、もしかして君の雇い主の人……」
「違うの!」
 オレの言葉を遮って、ミオは続けた。
「あの人はそんなこと考えてないわ。純粋に伊佐巳の記憶を取り戻したいと思ってる。伊佐巳のことを、本当に心配してるの。だから……そんなこと考えないで。あたしを信じて」
「何も教えてくれないで信じろって方が強引だと思うけど」
 オレは引っ込みがつかなくなってしまっていた。だが、そんなオレの言葉に、ミオは少し態度を変えたのだ。
「……そう、かな。そうよね……」
 もしかしたら少しは具体的な話を聞けるのかもしれない。オレは微かな希望を持った。そんなオレに、ミオは静かに話し始めた。
「雇い主のことについて、1つだけ教えてあげるわ。……彼はね、伊佐巳の身内なの。だから、伊佐巳のことが心配で、伊佐巳の記憶障害がすごく心配で、この部屋を用意して、あたしを雇ったの。彼は何年も前からこのことを計画してた。あたしは何度も彼と話し合って、伊佐巳の記憶をどうやって導いていくか、詳しく伝えられたの。だから……お願い、あたしと彼を信じて。伊佐巳のこと、1番心配してるのは、間違いなく雇い主の彼だってこと」
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記憶・45
 ミオはしばらく戻らなかった。オレはミオに謝る準備を完璧に整えて待っていたから、その緊張感が少し緩んでしまっていた。だからトレイに載せた食事を持ってミオが現れたとき、オレは少しタイミングをはずしてしまった。その間隙を縫ってミオが言ったのだ。
「ごめんなさい、なんかあたし、伊佐巳のこと年下だと思いすぎてたみたい。お姉さんぶってしまって。……ごめんなさい」
 オレは謝るタイミングと、ミオに自分の気持ちを伝えるタイミングとを、同時にはずしてしまっていた。
「……オレのほうが悪かったんだ。ミオは一生懸命心配してくれたのに」
 具体的なことを何ひとつ口にできないまま、朝食が始まっていた。食事は質素極まりなかった。白いご飯と、タマネギだけの味噌汁、おかずといえるのはタマネギをカレー粉で味付けただけのものだ。オレはそれでも構わないが、育ち盛りのミオにはあまりに質素すぎるだろう。もう少しまともなものはなかったのだろうか。
「ミオ、昨日も思ったけど、ここではあんまり物資が充実してないのか?」
 あまりおいしくもないのだろう。僅かずつ箸をつけながら、ミオは答えた。
「あたしにはなんとも言えないわ。伊佐巳が全てを思い出してくれなきゃ」
 ミオはオレに対する態度を決めかねているように見えた。さっきの出来事がオレとミオとの距離を少しだけ遠ざけてしまっていた。
 さびしいと思った。これなら子供扱いされていた方がいい。
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記憶・44
「伊佐巳、ひょっとして嫌な夢を見たの?」
 ミオはなぜこんなに心配そうな顔でオレを見るのだろう。そんな目でみるほどオレは頼りないのか。ミオの回りの男たちに対しては、ミオはきっとこんなに心配することはないのだろう。
 オレは頼りない。オレは、ミオには男に見えていないんだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。別にあんな夢くらい、ただの夢なんだから」
 もしかしたらオレは少しつんけんしていたのかもしれない。ミオはオレに近づいてきて、オレの肩をいたわるように抱いたんだ!
「伊佐……」
「さわるな!」
 反射的に振り払ってから後悔した。オレはミオを傷つけようとしたわけじゃない。だけどミオは驚いたように、悲しそうに、振り払われた手を戻すこともせずに立ち尽くしていた。
「……ごめん。なんでもない。ちょっと、いらいらして」
 ミオがオレの態度をどう感じたのか、オレに知る術はなかった。
「……何か、気に障ったみたいね。あたしの方こそごめんなさい。……食事、運んでくるわね。先に着替えていて」
 そう言って、ミオは部屋を出て行った。オレはミオが戻ってくる前に着替えてしまおうと箪笥の前まで行く。着替えながら考えた。どうやって伝えたらいいだろう。オレの苛立ち。オレがミオを気にしているということ。オレのことをちゃんと見て欲しいこと。オレは子供じゃない、15歳の健全な男なのだということ。
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お詫びです
今日は小説を書いている暇がありませんでした。
ごめんなさい。
今朝からラオックスに行って、やっとプリンターとCD−RWを買ってきました。
これでALLフォーマットができる!
あとはデジカメだ。
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記憶・43
 ミオの周りには、ミオが恋をしてもおかしくないすごい男たちがたくさんいる。オレにいったい何ができるだろう。ミオを守ることができるのだろうか。その男たちと対等に戦うことができる男に、オレはなれるのだろうか。
 オレはここでなにをしている。ただ守られて生まれたばかりの赤ん坊のようにうろうろしているだけだ。やらなければ。でも、何を? オレは何をするはずだった? オレにはこんなことをしてる暇なんかなかったはずだ。
 オレは何かをしなければならなかった。記憶を失う前のオレは、何か重大なことをするために生きていた。何か、世界を変えてしまうような、人の運命を変えてしまうような何か。
「伊佐巳?」
 このときオレは何かを思い出しかけていたような気がする。ミオに声をかけられるまで、目の前の風景は無機質な白い壁やミオの心配そうな顔などではなかった。それは白昼夢と呼ばれるものだったのか。混沌としていて、不気味で、どこか恐怖を誘う感じだけが我に返ったオレの脳細胞の隅に残されていた。
「どうしたの? 眠いの?」
 そうか。オレは眠りに引き込まれていたんだ。オレの中の闇であるあの男に呼ばれて。
「……ごめん。話の途中だったよね。やっぱオレ、少し眠いみたいだ」
「朝から変な話だけどもう少し眠る?」
「いや、大丈夫。変な夢見そうだし」
 今の白昼夢は、オレの記憶なのだろうか。本当にオレは重要な何かをやろうとしていたのか。それとも、それらは全て思い違いで、オレの中の焦りが形を変えて表面に現れただけなのだろうか。
 ミオの回りの男達は、いったいどんな態度でミオに接しているのだろうか。
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記憶・42
 文句はいろいろあったけど、でも自分からそういう話を切り出せるほどオレは大人ではありえなかった。ミオはミオで、オレが何も言わないでいてそういうことに気付くほど敏感だとは思えない。もしもオレの心の動きが判っているなら、目の前でこんなにあっさりと着替えたりはしないはずだ。
 それとも、ミオは慣れているのか。下着姿を男に見せることに。男の前で脱ぐという行為に。
 夢の男の言葉がオレの頭の中に根付いてしまっている。ミオのことを疑うまいと思っても、あの嘲笑が否定する。だけど気になる事実には変わりない。オレはミオのことをもっと知りたい。
「ミオ……」
 目を伏せたまま、オレはつぶやいた。他に人のいないこの場所では、どんなに小さな声であろうと相手に届かないということはありえない。
「何? 伊佐巳」
「恋人が、いるの?」
「え……?」
 オレが顔をあげてミオを見ると、ミオは目を丸くして沈黙していた。唐突過ぎたのは判ってる。
 しばらく沈黙していたミオは、このまま黙っていても事態が1歩も進まないことに気付いたのか、やがて言った。
「いない、と思うけど。……でもどうして?」
「思う? 自分のことなのにはっきりできないのか?」
「そうね、ごめんなさい。恋人はいないわよ。好きな人ならたくさんいるけど」
「好きな人?」
「ええ。ものすごい重圧を抱えて戦いながら生きてる人。パパがいない間、あたしの父親代わりだった人なの。そのほかにも、命がけであたしたちを守ってくれる人とか、自分を殺して他人のために尽くしてる人とか、あたしの周りにはすごい人たちがいっぱいいるから。……でも、どうして?」
 オレはミオの問いに答えることができなかった。
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記憶・41
「とにかく、目は大丈夫? かなり疲れてるんじゃない?」
 オレはいったん目を閉じてみた。目を開けているときには判らなかったが、こうして目を閉じると眼球の奥に鈍い痛みを感じる。オレは急激に自分の疲れを意識した。なるほど、暗闇でパソコンをいじることは、オレが想像した以上に目を酷使することらしいのだ。
「……ほんとだ。疲れてる」
「お願い伊佐巳、あんまり無茶なことはしないで。伊佐巳の健康管理もあたしの仕事なの。規則正しい生活をすることが心にも身体にも一番の栄養なのよ」
 ミオはオレの健康管理までも雇い主に命じられているのか。オレがゆっくり眠るためには、ミオには別室で眠ってもらうのが最大の栄養なんだけど。
 再び目を開けたオレににっこり笑いかけると、気がすんだのかミオは箪笥の方に移動していった。オレは何とはなくミオの動きを目で追っていた。箪笥の前まで行ったミオは、それがまるで自然なことなのだというように、いきなりパジャマを脱ぎ始めたのだ。
 オレは慌てて目を逸らした。いったいなんなんだよ。どうしてオレの見てる前で着替えを始めようなんて思えるんだ!
「伊佐巳、あなたもいつまでもパジャマでいるなんてよくないわ。伊佐巳の着替えは下の2段に入ってるの。自分で選べる?」
 目のやり場に困って、オレは下を向いたままもごもご返事をした。自分の心臓の鼓動がやけに耳につく。まさかミオに聴こえてはいないだろうけど。
 ミオはオレのことを、幼稚園児だとでも思っているのか。確かにオレは生まれたてのように何も覚えてない立派な記憶喪失だけど、肉体的には32歳で精神的には15歳の紛れもない男なんだぞ!
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記憶・40
 どのくらい、オレはキーボードを打ちつづけていたのだろう。
 我に返ったのは、耳元で聞こえるその声が伝えてくるのがオレの名前なのだということに気付いたときだった。
「伊佐巳! ちょっと伊佐巳! あなたいったいなにしてるの!!」
 半分朦朧としたように、オレは声のする方を振り返った。顔を見てもしばらくは誰だか判らなかった。怒ったようにオレを睨みつけているのがミオだと知って、オレは自分が何をしてミオに睨まれているのか、朦朧とした頭でしきりに考えていた。
「伊佐巳! あなた……いったいどのくらいの時間こんなことしてたの! まさか眠ってないんじゃないでしょうね!」
 ああ、そうか。ミオはオレがパソコンに夢中になっていたことを怒ってたのか。
 部屋の中には明かりがついている。おそらく、時間的にはもう朝なのだろう。振り返って画面の時刻を確認して、今が午前7時過ぎなのだと知った。
「あ、ええっと、眠ったことは眠った。夢も見たし」
「起きたのはいつ? 5時? 6時?」
「……ごめん、確認してない」
 ミオはどうしてこんなに血相変えて怒るのか。確かにオレの睡眠時間はそれほど長くなかったかもしれないけど、この程度のことで今すぐどうなるというものでもないのに。
「まあ、慣れないベッドであんまり眠れなかったかもしれないのはしょうがないと思うわ。だいたい伊佐巳は昨日の夕方まで眠ってたんだもの。でも、明かりもつけないでパソコンをやってるなんて、あなた自分の身体を何だと思ってるのよ! こんなに身体に悪いことないわ!」
 なるほど、ミオはオレが暗闇でパソコンをやっていたことが気に入らなかったらしい。
 だけど、ミオが眠っているあの状況で、オレにあれ以上の何ができたというのだろう。
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記憶・39
 夢の中の顔が言った言葉を思い出す。試してみたくなる。あの男の言葉が真実であるのか。
 オレがあんな奴の誘惑に乗せられてどうするんだよ。
 あいつはもしかしたら、オレと一体化したいだけかもしれないのだ。オレがあいつの言葉をまに受けたら、オレという人格はあいつに乗っ取られるかもしれない。どんな理由でも構わない。あいつの言うことは1つも信じてはいけないんだ。
 これ以上ここで眠ることなんか、オレにはできそうになかった。だからと言ってこんな暗闇の中で何もせずにいたら、オレは夜が明けるまでずっと、ミオの寝息に悩まされつづけるだろう。明かりをつけてはミオを起こしてしまう。しばらく考えて、オレは暗闇の中、手探りでパソコンに向かった。
 スイッチを入れると、わずかな音とともに画面があたりをぼんやりと照らし出す。その明かりを頼りに椅子を探し、パソコンの前に座った。オレが思った通りだった。オレはすぐにミオを忘れることができた。
 何かをしたいと思うとオレは何をするにもどうしたらいいか判らなかったが、何も考えずに座っていたらやるべきことは自然に身体が覚えていた。自分の指が次々と画面を変えてゆく様を見ながら、もう一人のオレはそんな自分の行動を観察する。空手のときと同じだった。オレの肉体は完璧にコンピューターの操作を覚えているのだ。
 数字とアルファベットと記号。オレは打ちつづけながら、その意味を思い出そうとした。しかし、肝心なことは何も思い出せない。その記号の意味も、オレがいったいなにを作っているのかも、全てはオレの指以外記憶しているものはないのだ。
 オレは失望を抱えながら、まるでオレ自身が1つのコンピューターになってしまったかのように、無機質な記号を打ちつづけていった。
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お詫びです
再起動中に居眠ってしまったら、いつの間にやらこんな時間に……
明日こそはちゃんとアップしますね。
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マタマタ不思議な現象が……
日記の過去記事を直したら、小説の順番が狂ってしまいました。
この日記は訂正してはいけないようですね。
読みづらくなってしまったので、近いうちに連載小説を違うページにアップしようと思います。
ご迷惑をおかけしました。
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記憶・24
 叔父と姪。下宿人と大家の娘。ようやく匙をつけ始めたミオを見ながら、オレはミオとの関係を様々に想像した。友人の娘。再婚同士の連れ子。教師と生徒。義理の親子。
『義理の親子は結婚できないんだよ』
 不意に、頭の中にフレーズが浮かんできた。初めてだった。初めて、記憶らしい記憶がよみがえったのだ。
「誰……だ?」
 そう、声に出したオレに、ミオは不思議そうな表情を向けた。
「どうかしたの?」
「今、誰かの言葉を思い出した。誰かが言ったんだ。義理の親子は結婚できない、って」
 そうだ。オレの目の前には誰かがいた。誰か……。たぶん、女の子だ。
 ミオ、なのか? ミオがオレにそう言ったのか?
「他には? 何も思い出さない?」
「……ごめん、判らない。そう言ったのが女の子かもしれないって漠然と思うけど」
「義理の親子は結婚できない、か。伊佐巳が今15歳だとすると、あの人かもしれないわ。ちょっと待ってて」
 ミオは箪笥のところへ行って、引出しから一枚の紙を取り出して戻ってきた。あの箪笥にはあんなものまで入っているのか。
「伊佐巳はね、15歳の頃に3回、引越しをするの。ちょっと書いてみるわね」
 ミオは鉛筆で、紙に1本の線をひいた。その中ほどに印と、「引越し1」の文字を書く。その隣にもうひとつ印と「引越し2」の文字。更に隣に「引越し3」。簡単だったが、それはどうやらオレの年表らしかった。
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記憶・38
 目覚めた瞬間は自分のいる場所を把握することができなかった。夢の中とほとんど変わらない暗闇があたりを包んでいる。しかし、現実であるとはっきり感じられる空気はあったし、夢とは決定的に違い、オレは自分の肉体を持っていた。徐々に周囲に目がなれてくる。あたりはほぼ完全な暗闇だったが、自分がベッドに寝ていることや、明かりのついている時に見ていた部屋の状況などは、確認することができた。
 オレの夢はオレの記憶を元にして作られている。だから、オレが知らないことが夢に出てくることはありえない。夢から覚める直前にあの男がなんと言ったのか、おそらくオレは聞き取れなかったのではなく、知らなかったのだ。オレが何者であるのかオレは知らない。だから、オレの記憶から作られた夢の住人であるあの男も、オレが何者なのか知っているわけはないんだ。
 思わせぶりなあいつの態度は、オレの不安が具現化したものだ。ミオを悪く言ったのも、オレが無意識に恐れていたことを言い表したに過ぎない。オレは、ミオがあいつの言うようなあばずれであって欲しくないと思っているのだ。オレはミオに、そういう方向での興味を抱いている。
 ふと、気配に気付いて振り返ったまま、オレの思考は止まってしまった。オレの視線の先にはミオがいた。ミオは、オレと同じベッドの上で、健やかな寝息を立てていたのだ。
(……嘘だろ)
 しばらくオレは自分の目を信じることができなかった。確かにこの巨大なベッドは2人の人間が互いに干渉し会わずに横になることは可能だ。だけど、だからと言って、16歳の女の子が32歳の男のベッドで寝るか普通!
 空気の振動がオレ自身の鼓動を伝えてくる。それまでのベッドの寝心地はけっして悪くはなかった。だけどそれは、隣にミオがいることを知らなかった時までだ。この巨大なベッドは、今のオレには眠るのに最悪の場所と化していた。
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