満月のルビー1
 たとえば、夕食時の母親の小言にめちゃくちゃむかついたり、ダチからのメールについカッとなったり、そいつが態度に出ちまって親父と一触即発の雰囲気になったりした夜、家を飛び出して空を見上げると真円を描いた白い月が浮かんでいたりする。
 その満月が思いのほかきれいに見えたりするとなかなかに嬉しくて、真夜中にもかかわらず少しばかり遠出したくなって。
 今夜のオレはまさにそんな感じで、あとから思えばほとんど魔がさしたとしか言いようがなかったのだけど、つい電車に乗って隣町の繁華街まで足を伸ばしていた。
 月が中天にかかるころにはゲーセンもパチンコ屋も閉店しているし、どこから見ても高校生にしか見えないオレを招き入れてくれる店がある訳じゃない。平日の夜ならなおさら、最終電車が出ると同時に人通りはパタッとなくなった。それまでは荒れた気分をもてあましていたせいであまり気にならなかったのだけど、店の明かりが少なくなるにつれて少しずつ不安が侵食してくる。そうだ、どうして気づかなかったんだろう。確かあの事件が起きた日も満月の夜じゃなかっただろうか。
 約1ヶ月前、この駅の近くで通り魔事件があったんだ。若いOLは身体中をずたずたに切り裂かれて死んでいた。2ヶ月前の被害者は中年の会社員だった。まだ犯人はつかまってないっていうのに。
 国道沿いに24時間営業のファミレスがあることを思い出して方角を変えた。そのとき、飛び込んだ路地に人の気配を感じてびくっと震える。暗闇に目を凝らして少しだけ安心した。そこにいたのは、人目をはばかるように壁にもたれて熱烈なキスを交わす男女だったから。
(ったく、脅かしやがって)
 そのままくるりと方向を変えればよかったのだけど、他人のキスの現場なんて見たことがないオレはついつい2人の様子に見入ってしまっていたんだ。男の方はかなりの長身で体格がよく、年齢は20代半ばくらいに見える。男の首に抱きつくように背を伸ばしている女は逆に小柄で、顔の角度を変えたときにちらりと見た感じでは20歳そこそこくらいなんじゃないだろうか。もう、本当に魔が差したとしか言いようがない。この時点でさっさと方角を変えていれば、オレはそのあとの光景を見ずに済んだのだから。
 周りのことなど何も見えていないという風に、夢中になってキスを繰り返す2人。オレはその場に凍り付いていて、自分が生唾を飲み込んだことにも気づかなかった。やがて、不意に男の身体から力が抜けて、まるで操り糸が切れるようにその場にどさっと倒れ込んだんだ。