2004年01月の記事


真・祈りの巫女287
 探求の巫女とシュウが2人だけで相談していたのはそれほど長い時間ではなかった。それでも、この2人が多少の心配事を解消するためには十分だったみたい。かなりあとになってから判ったのだけど、このとき2人は自分自身がそれほど不安に思ってた訳じゃなかったんだ。2人きりで話したかったのは、相手が不安に思っていたら解消してあげなくちゃいけないって、そう互いに思ってたからだったの。
 だから神殿の扉から出てきた2人はすごくあっさりとしていて、まずはあたしとタキを見つけて近づいてくる。短い時間だったとはいってもその頃には広場の神官や巫女たちの多くは宿舎へ戻ってしまってたから、実際に2人の姿を見た人はほとんどいなかっただろう。
「祈りの巫女、時間を取らせて済まなかった。早速で悪いんだけど案内してくれるかな」
「ごめんなさい、お世話になります」
 探求の巫女はまだ少し緊張しているみたいで、ちょっとかしこまった口調でそう言った。あたしは、自分にそっくりな人があたしに対してまるで神様に対するような言葉を使うのが不思議な気がして、思わず笑みがこぼれていた。
「お話は終わったのね。……それじゃ、まずは探求の巫女から案内するわ。シュウ、タキ、悪いけど付き合ってね」
 そうしてあたしたちが石段を降りると、下で待っていた守護の巫女が、明日の午前中に巫女の会議を開くことと、探求の巫女とシュウにも出席して欲しいことを伝えて帰っていった。あたしは少しだけ興奮しているみたいで、宿舎までの道でタキのように黙っていることなんてできなかったから、自然と2人に話しかけていたの。
「2人ともおなかが空かない? あたし、お夕飯食べてないからペコペコなの。もしよかったらあたしの宿舎に食事を用意するわ」
 確か今日の夕食は炊き出しがあったはずだから、残っていれば2人の分も用意できるはずだもん。もちろんタキだって食事してないからあたしの宿舎で一緒に食べてもいいし。シュウは手首に巻きつけた金属の何かを覗き込んでちょっと驚いた顔をした。
「……腹も減るはずだな。このまま朝まで食事ができないなら今食べておいた方がいいや。祈りの巫女、お願いできる?」
「ええ、もちろんよ。ちょっと時間がかかるかもしれないけど」
 横から探求の巫女もシュウの手首を覗き込んだ。その仕草に答えるように、シュウは自分の手首を見せながら言った。
「午後ハチジスギだよ。今が真夜中だとすると、ヨジカンくらいジサがある計算になる」
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真・祈りの巫女286
 顔を見合わせた2人は互いに視線で会話を交わしたようで、やがて左の騎士が言った。
「少し、2人だけで話をさせてもらえないかな」
「ええ、いいわ。……私たちは少し外に出ていましょう」
 そう守護の巫女に促されて、あたしたちはいったん神殿の扉を出た。その頃にはあたしはすっかり2人を信用する気になっていたの。だって、あの2人の反応はごく普通の人たちのものだったんだもん。たとえば、もしもあたしが突然リョウと2人っきりで別の村の神殿で目を覚ましたとしたら、きっと彼らと同じように戸惑ったと思うから。
 あたしたちの姿を見て、さっきからずっと広場で待っていた巫女や神官たちから、守護の巫女の名前を呼ぶ声が飛んだ。それに答えるように守護の巫女は石段を数段降りて、彼らが目覚めたこと、名前が探求の巫女とシュウというのだということ、それと今夜は宿舎に分かれて休むことなんかを話し始めたの。シュウは左の騎士だったけど、それについて伏せたのは言ってみればごく自然な処置だった。あたしとタキはその様子を石段の上から見守ってたんだけど、やがて神官や巫女たちがそれぞれの宿舎に引き上げ始めたときにタキはあたしに話しかけてきた。
「祈りの巫女、いったいあの2人は何なんだ? 君には本当に心当たりがないの? その……」
 タキが言葉を濁したのは、たぶんあたしが彼らを呼んだのだという探求の巫女の言葉のことだった。もしかしたらリョウのことを考えているのかもしれない。……タキは間違いなく気づいているんだ。そう確信して、あたしは更に気を引き締めた。
「心当たりは何もないわ。本当よ。もっと話を聞いてみなくちゃなんとも言えないけど」
「彼らが嘘を交えない保証はないだろ?」
「そういう心配はしてないわ。……それより、あの2人って恋人同士だと思わない? あたしカーヤに頼んで探求の巫女と一緒の部屋に寝させてもらおうかな。そうしたら抜け駆けしてたくさんお話ししちゃうの。なんだかすごく楽しくなりそうよ」
「なにのんきなことを言って ―― 」
 背後に人の気配を感じてタキが言葉を切ると、そのあとすぐに神殿の扉から探求の巫女と左の騎士が出てきたんだ。
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真・祈りの巫女285
 あたしが、この人たちを呼んだ? 思いがけないことを言われてあたしは思考を止めてしまった。……あたしは誰も呼んだりしてないよ。ううん、それよりどうして探求の巫女がそんなことを言うの?
 あたしが黙り込んでしまったからだろう。今までずっと成り行きを見守っていた守護の巫女が動いたの。もしかしたら、あたしにはこの話し合いをおさめるだけの力がないことを察したのかもしれない。
「まだ名乗ってなかったわね。初めまして、探求の巫女、左の騎士。私はこの村の守護の巫女で、村の代表者よ。もう1人の守りの長老は今ここにはいないけれど」
 探求の巫女と左の騎士は、とつぜん会話に加わった守護の巫女に驚いたのか何も答えなかった。
「うしろにいるのは神官のセリとタキ。……話の途中で悪いのだけど、長くなりそうだから今日のところはこれでおしまいにしたいと思うの。祈りの巫女もかなり疲れているのよ。もう既に真夜中でもあるし、話はまた明日にしてはどうかしら」
 2人は、もう何度目か判らないけどちょっと視線を合わせて、やがて左の騎士が答えた。
「そうだな。こんな夜中にこんなところで徹夜で話すことはないよ。オレも明るいところで落ち着いて話した方がいい」
「賛成してくれて嬉しいわ、左の騎士。それでね、2人が今夜過ごす場所なのだけど。……さっき祈りの巫女も言ったとおり、今この村は正体不明の怪物に襲撃されているの。だから本来なら旅人は村の宿屋に泊まってもらうのだけど、いろいろ制約があってそれはできないのよ。普段のときなら神殿の宿舎にも空き部屋があるのだけど、怪我人を収容していることもあって個室は難しいわ。だから今日のところは2人とも別々の建物に分かれて休んでもらうことになるの」
 守護の巫女の言葉には2人とも戸惑ったようだったけど、うしろにいたセリとタキも互いに顔を見合わせていた。
「守護の巫女、あたしの宿舎には1つベッドが空いてるわ。探求の巫女さえよければあたしの宿舎に来てもらって」
「神官の共同宿舎も1つくらいなら空いてるベッドがあるはずだよ。左の騎士はこっちで引き受けられる」
 あたしとタキの言葉に、守護の巫女は大きくうなずいた。
「それでどうかしら。離れてしまうのは不安かもしれないけど、一晩中神殿にいるよりはいいと思うのだけど」
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真・祈りの巫女284
「神殿? ……オレたちは神殿に飛ばされてきたのか」
 探求の巫女という言葉。どうして彼女があたしにそっくりで、同じユーナという名前なのか。探求の巫女に存在する左の騎士。彼はどうしてシュウという名前なのか。
 あたしには知りたいことがたくさんあった。だけど、それより先に確かめておかなければならないことがあったんだ。リョウが最初に現われたときに村の代表としてタキが確かめたように。今、あたしはこの村の代表になってるんだから。
「1つだけ先に教えて」
 いくぶん自分の考えに沈んでいた左の騎士は、あたしの声に再び顔を上げた。
「あなたたち2人は、なんの前触れもなくとつぜんこの神殿に現われたの。今、あたしたちの村は獣鬼の脅威にさらされている。だからこんなことを訊かれて気を悪くしないで欲しいんだけど……。あなたたち2人は、あたしたちに何かの危害を加えるためにこの村に来たの? それとも、なにか別の目的があって、この村に来たの?」
 2人はどう答えようか迷っているように、顔を見合わせて低く言葉を交わした。あたしは近くにいたから2人の会話は聞き取れていたんだけど、言葉が抽象的でその意味を汲み取ることはぜんぜんできなかった。でも、声の調子から、あたしたちが悪い人か否かを話し合ってるみたいに思えたの。確かに初対面の2人にはそう取られても仕方がないんだ。それはお互い様だったから、あたしは心の中で苦笑した。
 やがて、話し合いが終わったのか、こちらに向き直って話し始めたのは左の騎士の方だった。
「オレたちはずっと旅をしてきたんだ。自分自身でも旅の目的が判らなくて、だからそれを探す旅だったと言ってもいい。この村に来た本当の目的も自分では判らないんだ。……こんなことを言っても信用してもらえるかどうか判らないな。だけど、少なくとも今の状態では、オレはこの村の誰に危害を加えるつもりもないよ。むしろ、オレはこの村が抱えている問題について、多少の手助けができるんじゃないかと思ってるくらいなんだ」
 左の騎士はそこで言葉を止めたけど、その先を探求の巫女が引き継いでいた。
「あたしたちを呼んだの、あなたなんじゃないの? ……祈りの巫女のユーナ」
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真・祈りの巫女283
「……ユーナ」
 あたしの顔を見つめていた男の人は、聞こえるか聞こえないかくらいのかぼそい声でそうつぶやいた。もしかしたら実際に声は出ていなかったのかもしれない。あたしは彼の口元を見ていたから、彼がそうつぶやいたのが判った。
「こんばんわ」
 あたしがにっこり笑ってそう言うと、2人ともかなり戸惑ったみたい。互いに互いの服を掴み合いながら顔を見合わせたの。2人が再びこちらを向くのを待って、あたしは続けた。
「あたしはこの村の巫女、祈りの巫女のユーナよ。まずは名前を教えて。あなたもユーナというの?」
 2人はまた顔を見合わせる。少し驚いたようで、でもしばらくして男の人が1つうなずくと、彼女はおずおずと声を出した。
「ユーナよ。マツモトユーナ。……探求の巫女」
「探求の巫女?」
 初めて聞く名前だった。あたしはもちろん驚いたけど、うしろにいたタキも、守護の巫女とセリも、驚く気配を示した。
「あなたは? さっき探求の巫女がシュウと呼んでいたけど」
 2人ともだいぶ落ち着いてきたみたいだった。ようやく互いの服から手を放して、笑顔さえ浮かべるようになっていた。
「シュウでいいんだけどね。一応、カザマシュウイチ、って名前がある。……ユーナの左の騎士だ」
 今度はあたしたちが顔を見合わせる番だった。あたしは意見を求めてうしろを振り返ったけど、タキもセリも首を振るだけだったの。2人とも、探求の巫女という言葉も、左の騎士の存在も、なにも知らないんだ。あたしが再び探求の巫女と左の騎士に向き直ると、今度は先に左の騎士が話しかけてきたの。
「祈りの巫女、まずはここがどこなのか教えてくれないか? オレたちは自分がどこに飛ばされてきたのか知りたい」
 その「飛ばされた」という言葉はよく理解できなかったけど、あたしは以前タキがリョウに言った言葉を参考にして彼に答えた。
「ここは、あたしたちが住んでいる村の、東の山の中腹に建てられた、神殿の建物の中よ」
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真・祈りの巫女282
 守護の巫女が真っ先にあたしを呼んだのは、1番大きな理由は2人のうちの1人があたしにそっくりだったからだろう。同じくらいの重みで、あたしが守護の巫女に次いで2番目の地位を持つ祈りの巫女だったこともあると思う。でも理由はそれだけじゃない。守護の巫女はリョウのことを思い出したんだ。あたしの祈りでとつぜん神殿に現われたリョウのことを。
 自分が本当は何を不安に思っているのか、あたし自身にも判っていなかった。だけどあたしはリョウを守らなくちゃいけない。予期せぬ出来事に混乱した頭の中で真っ先に思ったのはそのことだったの。
「さあ、起きて。あなたはいったいどこから来たの? あなたはどこの誰? 目を覚ましてあたしたちに教えてちょうだい!」
 あたしはまず、あたしによく似た女の子に声をかけながら、身体を強くゆすった。彼女は本当に眠っていただけだったみたい。何度か声をかけて身体をゆすっているとだんだん目を覚ましてきたの。いきなりあたしの顔を見たら驚くかもしれないな。でも、そんなことを思ったのは、彼女が目を開けてからだった。
「目が覚めた?」
「ん……かがみ……?」
 あたしは彼女の言葉と口調に笑いを誘われて、思わず吹き出しそうになっていたの。あたしが表情を変えたからだろう。急に驚いたように彼女は身体を起こしてあたしを穴の開くほど見つめた。それから周りをきょろきょろ見回して、隣に倒れている男の人を見つけたみたい。彼の身体を勢いよくゆすり始めたんだ。
「シュウ! 起きてよ! シュウ!」
 彼女はほとんど力加減というものをしなかったから、肩を掴まれた男の人はゆかにガンガン頭をぶつけてた。その扱いではとうてい眠ってる訳にはいかないよ。うめきながら身体を起こして、まずは彼女を見て言った。
「……いってえよ。いったいなんだって……。え……?」
 彼女の、ほとんど泣き出しそうなほど混乱した表情を見て、彼もある程度自分たちが置かれた状況の異常さに気がついたようだった。周りをゆっくりと見回して、やがてあたしを見つけたところでぴたっと視線を止めた。
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真・祈りの巫女281
 神殿のゆかに倒れたまま眠っている2人は、年の頃はあたしとほとんど変わらないくらいに見える男女だった。男の人はぜんぜん知らない顔だった。そして、女の人の方は、あたしが知りすぎるくらい知ってる人の顔をしていたんだ。
「祈りの巫女が……2人……?」
 うしろから覗き込んでいたタキがあまりの驚きにかすれた声を上げた。あたしだって声も出せないくらい驚いてるよ。自分が眠ってるときの顔なんてとうぜん見たことがなかったけど、それでなくたってその人があたしとそっくり同じ顔をしてるのはよく判ったもん。服装の方は2人とも基本的には同じ形のものを着ているようで、あたしが見たことのない……少なくとも、ちゃんとした状態では見たことがない形をしている。 ―― もしかしたらタキは気づいたかもしれない。だけどそれきり何も言わないで、呆然と座り込んだあたしのうしろで微動だにしなかった。
「祈りの巫女。……これはどういうことなの? あなたには判るの?」
 そう声をかけてきたのは守護の巫女だった。あたしはそれで多少我に返ったみたい。振り向かないで答える。
「判らないわ。教えて守護の巫女。この人たちはいつ、どうやってここに来たの?」
「いつどうやって来たのかは判らないけど、最初に気がついたのは運命の巫女よ。影が全滅したことが伝えられて、それなら未来も変化したかもしれないって、運命の巫女が未来を見るために神殿に入ったの。その頃には村人たちが帰宅を始めていたから、彼女も無用に騒ぎ立てることは避けたのね。しばらくして神殿から出てきて、セトに頼んで私を呼んでくれたの。運命の巫女の話では、彼女が神殿に入ったときには既にこの2人はここに倒れていたそうよ。それでとにかくあなたを呼ばなきゃって話になって」
「神託の巫女は? この2人に触れてみれば何か判るかもしれないわ」
「判っているでしょう? 産まれたばかりの赤ん坊ならともかく、この2人がちゃんとした意思を持った人間だったとしたら、眠ってる間にそんなことはできないわ。……村人にはまだこのことは漏れていないのだけど、神官や巫女たちには隠し通せないから話してあるの。祈りの巫女、あなたはこれからどうするのがいいと思う?」
「とにかくこの2人を起こした方がいいと思うわ。……どちらにしても、このまま一晩中こうしている訳にはいかないもの」
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真・祈りの巫女280
 神殿前広場では今、夜だというのにここにいる巫女と神官のほとんどが集まって、ひそひそと話しながら視線を合わせていた。みんな、何かに怯えてでもいるかのように静かで、声を荒げている人はまったくいない。そんな人の輪の方へ近づいていくと、あたしに気がついた人はみんなちょっと驚いた顔をするの。そして隣の人をつついたり、互いに顔を見合わせたりするんだ。まるであたしのことすら恐れているみたいに。
「みんな、祈りの巫女が来たわ。道をあけて」
 守護の巫女はけっして大きくはないけどよく通る声でそう言った。でも、それすらもほとんど必要がないように、みんなすーっとあたしの前に道をあけてくれるの。あたしはうしろにずっとついてきてくれているタキと顔を見合わせた。タキも訳が判らないという風に首を振る。その表情も不安そうで、あたし自身も同じ表情をしていることが判った。
 石段を上がって、閉ざされた神殿の扉の前で足を止める。そこには守護の巫女付きの神官の1人、セリが立っていた。
「中の様子は?」
「変わってない。物音ひとつしないから、おそらくまだ目覚めてないんだろう」
「判ったわ。あなたも一緒にきて。……祈りの巫女、なにも説明しないでごめんなさい。とにかく先に中にいる人を見てもらいたかったの。……おそらくあなたはとても驚くと思うわ」
「……中に人がいるの? あたしが驚く人って、いったい誰? 眠ってるって……」
「見てもらえば判るわ。……少なくとも、私たちがどうしてあなたを待っていたのかは判ると思うわ」
 そう言って、守護の巫女は神殿の扉を開けた。
 神殿の中はいつもよりもずっと明るかった。天窓から月の光が差し込んでいることもあるけど、それ以外にろうそくやランプがあちこちに置かれていて、夜なのにかなりの明るさを保っていたの。その明かりの中央に横たわってる人影がある。見てすぐに1人じゃないことは判ったけど、近づいていくとそれが2人の人間なんだということが判った。
 あたしは床に置いてあったランプを持って2人の顔を照らしてみる。そして、そのうちの1人にあたしの目は釘付けになっていったんだ。
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真・祈りの巫女279
 訳も判らないまま祈り台を降りると、リョウはあたしに断って狩人たちのところへ行ってしまった。西の森の道、狭い範囲での攻防は激しかったから、やっぱり何人かの狩人は怪我をしたみたい。あたしが大丈夫なのが判ってリョウはそっちの方が心配になったんだ。迎えに来た神官たちはほとんど説明らしいことをしてくれなかったから、あたしは神殿への道々でタキに訊いてみたの。
「狩人は何人くらい怪我をしたのかな。大怪我をした人はいなかった?」
「ちゃんと調べてあるよ。……それほど大きな怪我をした人はいなかったみたいだね。詳しいことはこの紙に書いてあるから」
 タキはすっかりあたしの行動パターンを判ってしまっているみたい。今日はもう遅いけど、でも少しくらいなら祈る時間もあるかもしれないから、あたしはタキにお礼を言って紙を内ポケットにしまった。
 あたしたちが表通りを通る頃には避難していた人たちはほとんど家に帰ったみたい。それでもすれ違う数少ない人たちは、あたしの顔が見えると「ありがとう」って声をかけてくれる。声はかけないまでも、人の視線が変わっているのにあたしは気がついたの。村のみんなはあたしが村に降りて祈りを捧げたこと、その祈りが通じたことを、素直に喜んでくれていた。
 みんながあたしにあまり声をかけられなかったのは、きっと先を歩く2人の神官が何かにおびえたように足を速めていた事もあるんだろう。何度かきっかけを見つけて声をかけたんだけど、そのたびに2人の返事は同じだった。
「とにかく神殿へ行ってみれば判るから。……本当に判らないんだ。どうしてあんなことになってるのか」
 あたしが知りたいのはその「あんなこと」の方だったんだけどな。理由なんか判らなくても、何が起こっているのかくらい教えてくれてもいいと思ったの。でも、あとから考えたら、2人はあたしに先入観を植え付けたくなかったのかもしれない。2人は本当に混乱していて、自分自身で何かを判断することを恐れていたのかもしれない。
 やがて神殿までたどり着いたとき、あたしはすぐに守護の巫女に迎えられた。
「よく無事で戻ってきてくれたわ。影を退けてくれたことについては改めてお礼を言わせてもらうけど。……帰って早々で申し訳ないんだけど、こちらに来て欲しいの。私もどう判断していいか判らないことが起こってるのよ」
 守護の巫女すらも自分で判断することができないなんて……。促されて、あたしは神殿前広場へとつれて来られていた。
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真・祈りの巫女278
 あの時あたしは、リョウを失うのが怖かった。だから神様に祈ったの。 ―― リョウの命を助けて欲しい、って。
 それはあたし自身の願いだった。自分以外の誰かのためでも、村のためでもない。あたしは自分の願いを神様に訴えたの。自分に関する祈りの力は強い。だから祈りは神様に通じて、あたしはリョウを失わずにすんだ。
 自分の祈りをあたしは戒めていたはずだった。それなのに、あの時あたしはまったくためらわなかったんだ。……守護の巫女が言った通りだよ。1度禁忌を踏み越えてしまった祈りの巫女は、再び禁忌を踏み越えないとは信じられないんだ。
 今はいい。リョウの命を救うことが直接村を救うことにつながるから。だけど、これから先、あたしは祈らずにいられるの? もしもリョウが狩りで死にそうなほどの怪我を負ったら、あたしは自分の願いとして神様に祈りを捧げずにいられるの……?
「リョウ……」
「……ん? どうした?」
 あたしの小さな呟きに、リョウは優しく答えてくれる。あたしはもう2度とこの人を失いたくない。
「なんでもないの。……ごめんなさい。リョウも疲れてるのに」
「たいして疲れてない。ここから西の森まで往復走っただけだからな。ほかの狩人の方が何倍も疲れただろ」
 あたしが身体を起こしたそのとき、急にあたりが騒がしくなったの。たぶん神殿にはもう影の全滅は届いていて、だから村人もそろそろ村へ戻ってきているのだろう。だけど周囲の騒がしさはそれとは違うみたい。話し声の中にあたしの名前も聞こえたから、あたしは祈り台の上から顔を覗かせてみたんだ。
「あ、祈りの巫女! ……やっぱりここにいるじゃないか」
「どうしたの? なにかあったの?」
 あたしの顔を見て困惑する神官たちの様子が普通じゃなくて、あたしは訊いてみた。神官たちは戸惑ったように顔を見合わせてたんだけど、やがてそのうちの1人があたしに言ったの。
「とりあえず、祈りの巫女はタキと一緒に神殿へ戻ってくれないかな。……オレたちも何がなんだか判らなくなってるんだ」
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真・祈りの巫女277
 クレーンが倒れたとき、その腕に吊り下げられていたショベルは着地寸前だったからほとんど落下の衝撃を受けなかったはずだった。だけど倒れたクレーンの腕がショベルにのしかかって、ショベルは動けなくなっていたの。今までの低い咆哮とは違う高い悲鳴をショベルは上げて、必死でクレーンの腕から逃れようとしているのが遠くで見ていたあたしにも判った。
 闇夜を切り裂くすさまじいショベルの悲鳴。近くで聞いていたのだとしたら、あたしも耳を覆いたくなっただろう。そんなショベルにリョウが近づいていったから、あたしは一気に緊張したの。あわててショベルの動きを止める祈りを始めたけど、でも祈りの効果が現われるよりも早く、リョウはショベルの甲羅の下から魂を抜き取っていた。
 獣鬼たちの咆哮も悲鳴も絶えて、一瞬の静寂が訪れる。でもその次の瞬間、静寂は狩人たちの歓声に入れ替わっていた。あたしはまさかと思って沼の光の輪を見たけれど、獣鬼たちが死んだのが判ったのか、円盤は小さくなってすぐに消えてしまったんだ。それを確かめたあとあたしは心の底からほっとして、一気に身体の力が抜けていったの。その場に崩れ落ちるように倒れてしまって、タキがあたしを呼ぶ声がすごく遠くに聞こえた。
 それから少しの間、あたしは意識を失ってしまったみたいだった。
 気がつくと、あたしは暖かい感触に包まれていた。この暖かさはよく知ってるよ。この腕も、この匂いも、あたしが1番大好きな場所だったから。
「気がついたな」
 声に顔を上げると、リョウはすごく優しい微笑であたしを迎えてくれた。リョウは祈り台の柱にもたれて、気を失ったあたしを胸に抱きかかえていてくれたの。あたしはまだ少し頭がボーっとしていて、リョウの腕が温かいのが嬉しくて、だから少しの間リョウの腕の中から抜け出さないでいたんだ。リョウもきっとあたしが疲れてると思ったんだろう、そのまま抱きしめていてくれた。
「よく、やったな。……ありがとう」
 リョウがそう言ったとき、あたしはとつぜん悲しくなった。なぜなら、あたしは自分の祈りがどうして通じたのか判ってしまったから。
 ……守護の巫女が言った通りだった。あたしはもう既に1度、禁忌の枠を踏み越えてしまった人だったんだ。
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真・祈りの巫女276
 クレーンは今、新しく出てきた獣鬼を持ち上げようとしているところだった。クレーンほどではないけれど長い曲がった腕を1本持った獣鬼だった。リョウは既に森の方に向かって駆け出している。
「タキ、あの獣鬼の名前は何?」
「ショベルだ。あの腕がクレーンよりもずっと自由に動く」
「判ったわ。タキは台を降りていて」
 短い会話のあと、あたしはショベルの名前を何度か繰り返して記憶した。それからクレーンの動きを止める祈りをする。でも、それだけではダメなのがすぐに判ったの。クレーンの周りを最後に出てきたブルドーザが動き回っていて、クレーンが止められたとしても狩人たちは容易にクレーンに近づくことができなかったから。
 あたしはブルドーザを止める祈りを始めた。さっき祈りが成功したときの感覚を思い出そうとしたけれど、そのときは夢中で何がなんだか判らなかった。ただ1つ判っていたのは、あたしのリョウを助けたいという想いが神様に通じたのだということ。ブルドーザはリョウを殺した獣鬼。この獣鬼を今殺せなければ、リョウは再び獣鬼に殺されてしまうかもしれないんだ。
  ―― もう2度とリョウをブルドーザに殺されたくない。あんな悲しい思いは2度としたくないの!
 そのとき、ブルドーザは動きを止めた。すぐに近くにいた狩人たちの何人かがブルドーザの身体に群がっていく。ブルドーザもローダと同じように目に光を灯していたのだけど、その光がすうっと消えて遠くで見ていたあたしにもブルドーザが死んだことが判ったの。きっと狩人たちはあの草原で死んだブルドーザの身体で何度も魂を抜く練習をしていたんだ。
 残った獣鬼はあと2つ。クレーンは腕を長く伸ばして、ショベルを穴の反対側へ下ろしているところだった。たぶんバランスが悪いから、クレーンも慎重に作業していて思いのほか時間がかかってるんだ。今までの祈りでかなりこつを掴んでいたあたしが祈り始めると、ショベルの身体が地面に着くか着かないかのところでクレーンは動きを止めた。
 ショベルから少し離れたところでリョウが見守ってる。クレーンに群がった狩人たちが競うようにクレーンの魂を抜く。
 クレーンの目から命の光が消えた次の瞬間、クレーンはバランスを失ってゆっくりと横倒しになっていったんだ。
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真・祈りの巫女275
「リョウ! 待って!」
 あたしの叫びは既にリョウには届かなかった。ローダは両方の目に強烈な光を灯して、すさまじい勢いでまっすぐにあたしを目指してくる。リョウはローダを止めようとしているんだ。あたしの祈りはまだ神様に届いていないのに。
 まるであの夢の再現を見てるみたいだよ。あたしの祈りは通じなくて、リョウはまた死んでしまう。……嫌。そんなのぜったいに嫌! あたしはもう2度とリョウを死なせたりしない。リョウを獣鬼になんか殺させないよ!
 あたしはもうクレーンのことは忘れていた。ローダの名前を呼びながら必死に祈りを捧げたの。ローダ、お願い止まって! 神様、お願いローダの動きを止めて ―― !
  ―― リョウの命を助けて!!
 リョウとローダの距離はかなり近くなっていて、ほんの数瞬のうちにリョウはローダに轢き殺されてしまいそうだった。でもそのとき、ローダが不意に動きを止めたの。ローダの足はまるで車輪のように回ってたんだけど、車輪の回転はそのままで動きだけが止まったんだ。
 奇妙な咆哮を上げてあがくローダ。足の車輪は空回りして土埃を巻き上げている。リョウが最初少し用心して、でもすぐに近づいてローダの身体によじ登り始める。あたしは祈りが通じた喜びよりも再びローダが動き始めるのが怖くて、必死になって祈りを続けた。今ローダが動いたら間違いなくリョウの命はなくなってしまうから。
 それはあたしとローダ、そしてリョウとの命をかけた戦いだった。その戦いは、やがてローダが咆哮を止めたことで不意に終わりを告げた。ローダの目が光を失っていく。リョウはローダの甲羅の中に入り込んで、魂を抜くことに成功したんだ。
「祈りの巫女!」
 気がつくと、タキはいつの間にか祈り台の上に乗って、あたしの腕を引いていた。ローダに視線を移してその意味が判った。あたしが夢中になって祈りを捧げている間に、ローダはいつの間にか目印のかがり火を超えてしまっていたんだ。
「祈りの巫女……やったんだな。とうとう祈りが通じた……!」
 その声にあたしもほっとしかけたけど、まだ戦いは終わってないことを思い出して、遠くのクレーンを見つめた。
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真・祈りの巫女274
 集中が乱れるのは、けっしてリョウとタキが傍で会話しているせいじゃなかった。本当に集中してしまえば、あたしはまわりのことなんか一切感じなくなるもの。クレーンに意識を向けると必ず襲ってくる獣鬼の邪念。集中すればするほど邪念は執拗にまとわりついて、あたしの意識を撹乱して、それ以上触れていようとする気力を奪っていく。
 まるで汚泥の中に放り出されているみたい。べっとりとまとわりついて、悪臭さえ漂ってくる。これは比喩じゃなくて本当に悪臭がするんだ。現実の悪臭なら鼻をつまめば和らぐけど、心の悪臭にはそんなことをしても無駄だった。何にたとえることもできない、今まで嗅いだことのない嫌な臭い。獣鬼との心の距離が近づけば近づくほど、汚泥が肌にまとわりつく嫌な感じと強烈な刺激臭にあてられて、頭がクラクラしてくるの。
 遠くに見えるクレーンは、ローダが近づいてくると動きを変えた。ローダの方に長い腕を向けてその大きな身体を持ち上げようとしているのが判る。その隙を突こうと狩人たちがクレーンの身体にまとわりつく。1人の狩人がクレーンの甲羅のあたりまで上っていたけれど、ローダを持ち上げたその動きに振り回されて滑り落ちそうになっていた。
(ダメ! 止まって! お願い止まってよ!!)
 クレーンの動きはそれまでよりはずっと緩慢だったけど、でも止まることはなくて、とうとうローダを穴の反対側へ下ろしてしまったんだ!
「クソッ! ダメか」
 あたしが絶望にふっと気を緩めたときリョウのその声が飛び込んできた。視線でローダの動きを追うと、ローダがまっすぐにあたしの方に向かってこようとしているのが見えたの。
「出口の光が小さくなってるな。おそらくこれ以上は出てこないだろう。タキ、今まで出た獣鬼の名前を復唱してくれ」
「順番にクレーン、ローダ、ショベル、そしてブルドーザだ」
「よし! 俺はローダを止める。……俺があのかがり火を突破されたらこいつを逃がせよ!」
 そう言って、リョウはあたしを振り返りもしないで、ローダめがけてまっしぐらに駆け出したんだ!
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