2003年06月の記事


真・祈りの巫女211
 リョウ、あなたはあたしのリョウじゃないの? ……でも、リョウは両親と会って涙を流したんだって、ミイが言ってた。カーヤを見てどこかで会ったような気がするって言ったよ。それに、初めて神殿で目を開けたとき、はっきりあたしの名前を呼んだ。神託の巫女だってリョウが本人だと認めたじゃない。リョウが別人のはずないよ!
 あたしがリョウの言葉に衝撃を受けたのは、あたしの心のどこかにリョウを疑う気持ちがあったからなんだってことに気づいたの。この気持ちは、リョウに伝わってしまってるんだ。きっとリョウは信じるものがなくて不安で、まわりの人たちの気持ちにすごく敏感になってるはずだもん。だからこんな風にあたしを試すようなことを言うんだ。
 あたしがしっかりしなきゃいけないんだ。今のリョウはあたしの心を映す鏡のようなもの。あたしの不安を、リョウに映しちゃいけないんだ。
「リョウ、リョウは覚えていない? 初めて神殿でリョウを見つけたとき、リョウはあたしの顔を見て「ユーナ」って言ったのよ」
 リョウはちょっと目を丸くして、あたしが言ったその時のことを思い出そうとしているみたいだった。
「その時あたし、リョウの名前だけ必死に呼びかけてた。もちろんリョウに名乗ったりしなかった。今はあたしのことを思い出せないけど、そのときのリョウはちゃんとあたしのことを知ってたの。それに、神託の巫女はリョウの魂を見て、はっきり以前のリョウと同じだって認めたわ。だからリョウが別人のはずはないよ。あたしはリョウが以前のリョウと同じだって信じてるし、記憶がなくてもリョウのことは婚約者だって思ってる」
 あたしの話を聞いているときのリョウは、さっき一瞬目を見開いた以外、ほとんど表情を変えることはなかった。だからあたし、リョウがあたしの言葉にも心を動かされなかったことが判ったの。前にも……ううん、リョウはいつも、あたしの言葉には動かされない。そんなリョウを感じて、あたしはいつもリョウに認められてないことを感じて落ち込んだんだ。
 不意に、手に触れる感触があって、あたしはハッとした。いつの間にかリョウは右手を伸ばして、あたしの手首を掴んでいたの。しばらくじっとリョウはあたしを見つめていて、そのあと、口の中でぼそっと呟いた。
「……右の騎士……」
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真・祈りの巫女210
「ちょっと……なにするの? ひどいよ!」
「怒るな。少しは涼しくなっただろ?」
「だからって普通はいきなりこんなことしないもん!」
「……だったら、俺のこと嫌いになったか?」
 そう言ったリョウはこれ以上にないさわやかな笑顔を浮かべてた。……ずるいよ、リョウ。あたしがリョウのこと嫌いになるはずなんかないのに。リョウって、すごく意地悪。
「……なってない。大好き……」
 あたしが答えたら、リョウは少し表情を曇らせて、視線を外してしまったの。
 まるであたしのその答えを予期してなかったみたい。膝を立ててあたしの隣に座っていたリョウは、両膝に腕を投げ出して、下を向いたまま動かなくなってしまった。あたし、またなんか変なことを言ったの? でも、あたしはリョウの質問に答えただけだよ?
 そのまま声をかけられなくてじっと見つめていたら、やがてリョウは少し真剣な面持ちであたしを振り返った。
「……俺は、おまえのことも、婚約のことも、何も知らない。おまえが好きだったリョウとは別の人間なのと同じだ。それなのにどうして、こんなにはっきり俺を好きだって言えるんだ?」
 リョウ……そうだよね。リョウは記憶がないんだもん。見知らぬ人がいきなり婚約者だって言って、リョウを好きだって言っても、戸惑うだけだよね。でも……
「あたし、リョウの記憶は戻るって信じてる。だからリョウも信じて。不安なのは判るけど、リョウはリョウだもん。リョウはあたしの婚約者なの。だからぜったい嫌いになったりしないもん」
「……別人、なのかもしれないぜ。俺はおまえの婚約者のふりをして、おまえを騙してるのかもしれない。そうは思わないのか? ……リョウは1度死んでるんだ。リョウにそっくりな人間が、リョウに化けてるのかもしれないって、おまえは少しも疑わないのか?」
 あたしは、リョウ本人からその可能性を指摘されて、心臓を引き絞られているかのような衝撃を味わった。
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真・祈りの巫女209
 リョウと一緒に辿り着いたのはシシ川の支流で、以前あたしが巫女の儀式前に禊ぎをした場所だった。よく神殿の儀式に使われる川だったから、村でも神聖視されていて、ここには漁師も足を踏み入れることがほとんどないの。別に立ち入りを禁止されている訳じゃなかったから、リョウに水と言われて思わず案内しちゃったんだけど、あたしはなんとなく近寄りがたく思ってたんだ。だから川の手前で足を止めたんだけど、リョウは何もこだわらずに河原を歩いていった。
「水がきれいだな。……来ないのか?」
 水面に手を差し入れたリョウは、隣にあたしがいないことに気づいたみたい。振り返って言った。
「あとで行くわ。ちょっと木陰で休ませて」
 リョウはそれほど気にならなかったみたいで、川の水で手を洗って、片手ですくって水を飲んでいた。1度立ち上がって、ちょっと考えるようにしたあと、もう1度しゃがんで両手で水をすくったの。それからゆっくりと戻ってくる。その頃にはすでに木の根元に座っていたあたしが見上げると、リョウはおもむろに両手を差し出した。
「飲むか? 手は洗ったから汚くないぞ」
 あたし、ちょっと驚いてしまった。……そうだよ。リョウはすごく優しい人だったんだもん。あたしが疲れて座ってたら気にならないはずがないんだ。あたしはさっきまであった心の寂しさが少しずつ消えていくのを感じて、自然に笑顔になっていったの。
「ありがとう」
 そう言いながら、リョウが運んできてくれた水に直接口をつけた。喉を潤す水は格別に甘くて、今まで飲んだどんな水よりもずっとおいしい気がしたの。ほとんど飲み干してしまって、顔を上げようとしたとき、リョウはいきなり両手を動かしてあたしの顔に残りの水をかけたんだ。
「キャッ!」
 水はあまり残ってなかったから、服までは濡れなかったけど、でもこれはちょっといたずらが過ぎるよ!
 そう思って少し怒った顔でリョウを見上げると、あたしの反応が面白かったのか、笑顔で見つめるリョウの視線とあった。
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真・祈りの巫女208
「リョウ?」
 少しだけ心配してあたしが声をかけると、リョウの方から話し始めてくれた。
「……今の人、名前はなんていうんだ?」
「カーヤよ。リョウはカーヤのことを覚えてるの?」
「いや、覚えてる訳じゃない。……カーヤ、カーヤ。ぜったいどこかで会ってる気がするんだ。……気のせいかもしれない」
「気のせいじゃないわ。リョウはほとんど毎日のようにカーヤとも顔を合わせてたのよ。強く印象に残っててもあたりまえだわ」
 リョウはあたしの意見を聞いていたようには見えなかった。……どうしてなのかな。リョウはあたしのことはまったく思い出さないのに、ミイやカーヤを見たときには何かを思い出すような仕草をするの。リョウは婚約者のあたしよりも、カーヤの方を気にしている。リョウにとって、あたしはそんなに印象の薄い人だったの……?
 リョウは少しの間自分の中に沈んでいて、でも不意にすべてを投げ出したように顔を上げたの。
「考えてても判らないものは判らないな。次はどこを案内してくれるんだ?」
 リョウに請われて、あたしは最後に残った避難所の説明をしたあと、こんどは村を案内するために坂道を降り始めたんだ。
 神殿から村へ続く道は比較的なだらかで、途中くねくね曲がってはいるけど人が踏み固めた一本道だから、まず道に迷う心配はなかった。先に立って歩くリョウのうしろを、ちょっと足元に注意しながらついていく。あたしが黙り込んでたからだろう。とつぜんリョウは振り返って言ったの。
「どうした? さっきの元気がなくなっちまったな。疲れたのか?」
「……うん、少しだけ疲れたかもしれない」
「日中は意外に暑いからな。少し休もう。……水を持ってくればよかった」
「もう少し行くと川があるわ。あたし、案内する」
 それからはあたしが先に立って、少し下ったところで道を逸れて更に歩くと、せせらぎとともにキラキラ輝く水面が顔を見せた。
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真・祈りの巫女207
 神殿につく前に、リョウが村の救世主として村人に発表されたのだということをリョウに伝えた。リョウはちょっと驚いてたから、あたしは必死にリョウに訴えたの。リョウは今のままで十分で、村を救うことなんか考えなくてもいいんだ、って。あたしはリョウに影と戦って欲しくなかったから。リョウが死んだ時の、あんな悲しみ、もう2度と味わいたくなんかなかったから。
 リョウが何も言わなかったのは、もしかしたらあたしの気持ちを察したからなのかもしれない。昨日、あたしが恐怖に混乱して口走った言葉を思い出したのかな。だから、本当はリョウがどういうつもりでいるのか、まだ影と戦うのが自分の使命だと思っているのかいないのか、あたしには判らなかった。
 神殿の敷地内に入ると、あたしは一応案内係としてリョウに建物を説明しながら、敷地中央の神殿前までやってきた。外は暑いからそれほど人の気配はなかったんだけど、数少ない通る人たちに挨拶すると、みんなちょっと驚いたようにリョウを見上げて、でもたいていは笑顔で歓迎してくれた。それまで、たとえリョウが自分の立場を不安に思ってたとしても、その不安は解消できたと思うんだ。
 リョウは何もかもが珍しいみたいで、特に神殿の建物には興味を惹かれていた。あたしは石段を上がって扉の中も見せてあげたし、階下の書庫にも案内したの。こんなところ、記憶がある頃のリョウだって入ったことがないんじゃないのかな。リョウは本にも興味を示して、文字が読めないリョウのためにあたしは背表紙の文字を1冊ずつ読んであげたりもした。
 神殿を出て、巫女宿舎を順番に案内して、やがて祈りの巫女宿舎のところまできた。あたしが扉をノックすると、間もなく中から返事があって、カーヤが顔を出したの。
「あら、ユーナ。……リョウ?」
 カーヤもほかのみんなと同様、リョウを見上げてちょっと驚いた顔をしたの。でも、すぐに笑顔になって、扉を大きく開けてくれた。
「リョウをつれてきてくれたのね。さあ、入って。今お茶を用意するから」
 意見を求めてリョウを振り仰ぐと、リョウはかなり動揺しているように見えたの。だからあたし、カーヤに言った。
「あ、いいわ。ちょっと顔を見せに寄っただけだから。まだお散歩を始めたばかりなの。またあとでくるわ」
 そうして2、3の言葉を交わしたあとリョウを振り返ると、一時の動揺はいくぶん落ち着いたようで、ちょっと目を伏せていたんだ。
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真・祈りの巫女206
 リョウの言葉に、あたしはハッと我に返った。慌てて足を動かしてリョウの隣に並んだの。
「みんなリョウのことを歓迎してるわ。それに、前だってぜんぜん嫌われてなんかなかったのよ。リョウは腕のいい狩人で、村のみんなにも親切で優しかったもん。森に住んでたのは、もしかしたら少しリョウが変わってたのかもしれないけど、村でどこに住まなきゃいけないなんて決まりはないもの。リョウが家を建てたのは3年前で、神殿のみんなが手伝いに行ったの。だからリョウは誰にも嫌われてなんかいなかったわ」
 あたしが一気にそう言うと、リョウはちょっと驚いたように目を見開いていた。やがて、少しまぶしそうに目を細めたかと思うと、ほんの少し微笑んだの。
 リョウが記憶を失ってから、あたしが初めて見たリョウの笑顔だった。それはほんの短い時間だけで、すぐにリョウは笑顔を引っ込めてしまったけど、その表情はかつてのリョウとぜんぜん変わってなかったんだ。
「リョウ、今笑った。……どうしてやめちゃうの? もっと笑っててよ」
「……なんだよ。俺が笑ったからなんなんだ? どんな顔しようと俺の自由だろ?」
「あたし、笑ったリョウが大好きなんだもん。もちろん怒ったリョウも、ほかのリョウも大好きだけど、でも笑ったリョウが1番好きなの。リョウが笑ってくれると元気が出るの。落ち込んでてもね、もう1回頑張ってみよう、って思うの」
 リョウはちょっと変な顔をして、唇を結んで、視線をそらしてしまった。それきり振り返ってくれなかったから、あたしはなにか悪いことを言っちゃったのかと思って、ちょっと焦っちゃったんだ。
「リョウ、ねえ、あたし変なこと言った? リョウ怒っちゃったの? あたしが悪いんなら謝るよ。あたしリョウのことが大好きなんだもん。リョウに嫌われたくないよ ―― 」
 そうして、あたしが思いつく限りの謝罪の言葉を並べると、リョウはやっと足を止めて振り向いてくれたの。
「おまえ、変な奴。……なんとなく判った。以前の俺がどうして森の中に家を建てたのか」
 あたしが見ている前で、リョウは再び笑ってくれたんだ。
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真・祈りの巫女205
 リョウが歩み寄ってくれた。それが嬉しくて、あたしの表情はずいぶん明るくなってたと思う。
「この道はね、村の神殿につながってる道なの。神殿にはあたしの宿舎もあるわ。もともとはすごく細い道だったんだけど、リョウがあの家を建てたあと、自分で広くしたのよ。階段や手すりも、小川にかけた橋も、リョウがぜんぶ自分で作ったの」
 リョウが時間をかけて、あたしのために広くしてくれた道。ふだん森の中を歩き回ってるリョウにはきっと必要がなかったと思うのに、ただあたしのためだけに作ってくれた階段。それを思うといつも、心の中があたたかくなるの。この道を歩くたびに、リョウに愛されてるんだって、実感することができるから。
「あの家の周りにはほかの家がぜんぜんないな。この村の人間はみんな、こんな風に森の中に1人で住んでるのか?」
 あたしはリョウの言葉にちょっと驚いていた。
「ううん、そんなことないわ。森の中に家を建てたのはリョウが初めてよ」
「そうか。……なら、俺は本当におまえのことが好きだったんだ」
 あたし、急にそんなことを言われて、思わず足を止めちゃったの。今まであたしが考えてたこと、リョウに見抜かれたような気がしたから。だって、リョウのこのセリフって、ちょっと会話の流れから外れてて、予想がつかなかったんだもん。
 立ち止まったあたしに振り返って、リョウは真っ直ぐな視線であたしを見つめて言った。
「おまえ、俺の婚約者だったんだろ? あのタキとかいう神官も言ってた通り、いずれ俺はおまえと一緒にあの家に住むつもりだった。だからおまえのために道を整備したんだ。そのくらいのことは判るよ」
 まるで自分の時間が止まってしまったみたい。記憶のないリョウから婚約のことが出るなんて思ってもみなかったから。あたしはもう何も言えなくて、リョウの視線を受け止めるだけで精一杯だったの。
「さあ、歩きながらもっと教えてくれよ。昨日会議があったんだろ? 1度死んで生き返った俺は、神殿ではどういう扱いになったんだ? 1人で森に住んでた俺は変わり者か、ほかの人間に嫌われてでもいたのか? この村で俺はちゃんと歓迎されてる存在なのか?」
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真・祈りの巫女204
 食事中、リョウはほとんど話をしようとしなかったから、あたしはときどきリョウを横目で盗み見ていた。リョウの代わりにミイがずっとしゃべっていて、あたしは相槌をうったり、ミイが気にしない程度に会話を盛り上げるのでちょっと忙しかったの。だから食事もそれほどスムーズには進まなくて、半分くらい食べたところでリョウが席を立とうとしたんだ。ごちそうさまを言ったリョウに、ミイがすかさず声をかけていた。
「リョウ、今日はもう練習しちゃだめよ。午前中だけだってランドに言われたでしょう?」
「自分の身体のことはよく判ってる。ランドには黙っててくれ」
「なに言ってるのよ。あたしがランドに隠し事なんかできる訳ないじゃない。そんなことより、リョウはまだこの家の周りしか見てないでしょう? せっかく動けるようになったんだから、散歩でもしてらっしゃい。もちろん狩りの道具は置いてよ。……ユーナ、時間は大丈夫? あたしが一緒でもいいけど、リョウだってきっとユーナと一緒の方が嬉しいと思うの」
 ミイはまるですごく楽しいことを思いついたんだという風で、もちろんあたしは嬉しかったからすぐに了承したんだけど、リョウはちょっと戸惑ってるようだった。どうやらリョウがミイに逆らえないのは記憶をなくした今でも変わってないみたいね。けっきょくリョウも承諾してくれたから、あたしの食事が済むまでちょっと待っててもらって、一緒に散歩に出かけることにしたの。
 扉を出ると、リョウが先に立って神殿への上り坂を歩き始めた。歩調はゆっくりで、あたしはいつでもリョウの隣に並ぶことができたはずなのに、ずっとうしろからついていったの。どうしてなんだろう。なんとなく、リョウに拒絶されているような気がしたから。もしかしたらリョウはあたしと散歩なんかしたくなかったかもしれない。ミイに言われたから仕方なく一緒に歩いてるだけなのかも。そんなことを考えちゃったら、心が重くなって、足が進まなくなっちゃったんだ。
 リョウに嫌われたくない。タキは婚約者なんだから自然に接すればいいって言ったけど、今のあたしは以前リョウとどんな会話を交わしていたのか、思い出すことすらできなくなっていたの。そんなあたしの戸惑いを、もしかしたらリョウは感じていたのかもしれない。ふと歩く速さを変えて、あたしに並んでくれたんだ。
「この道はどこへつながってるんだ?」
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真・祈りの巫女203
 リョウが言ったことは嘘じゃなくて、あたしがここへきたときにランドと一緒に立っていた場所で、再び狩りの練習を始めてたんだ。先に鉤のついたロープの中ほどを持って、ぐるぐる回しながら木に向かって投げると、鉤を枝に引っ掛けていた。あたしはしばらくリョウの練習風景を見ていたの。最初の頃は2回に1回くらいしか成功しなかったけど、そのうちみるみる上達して、ある程度上手になったところで高い枝に目標を変えていた。
 見ているうちに、あたしはリョウが地道に練習しているところなんて、今まで見たことがないことに気がついた。もちろんリョウが腕のいい狩人だってことは知ってたけど、あたしはリョウが狩りをしているところも、その練習をしてるところも、見たことがないんだ。それはすごく地道な練習で、でもけっして飽きることはなかったの。リョウの上達は早かったから、すぐに高い枝でも失敗しなくなった。
「そんなところで見てても面白くないだろ。家に入ってろよ」
 とつぜんリョウが言って、それがあたしに話し掛けたのだと気づくのに、ちょっと時間がかかってしまった。
「ううん、そんなことないわ。見てるだけでも面白いよ」
「……せめて日陰に座っててくれ。そこに立ってられると気が散るから」
「うん、判った」
 あたし、リョウがあたしのことを気にしててくれたのが嬉しくて、自然に顔がにやけていたの。それからちょっとあたりを見回して、午前中は家の陰になるところに木製の踏み台を引いてきて腰掛けた。
 そのあとリョウは弓の練習を始めて、しばらく経ったときだった。玄関からミイが出てきてあたしを見てにっこり笑ったの。
「ユーナ、ここにいたのね。そろそろお昼にしようと思うの。もちろん食べていくわよね」
「ええ、できればそうさせて。あたしも手伝うわ」
「もうほとんど終わりだから大丈夫よ。ありがと。……リョウ、昼食にするから片付けて!」
 ミイが言うと、リョウはちょっとむっつりしながらそれでも素直に片付けていて、あたしはなんとなくリョウがミイの子供になってしまったような錯覚を覚えたんだ。
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真・祈りの巫女202
「怪我なんかもう治ってる ―― アウッ!」
 ランドがリョウの肩のあたりをちょっとつねると、リョウは悲鳴をあげて、それきりもうなにも言えなくなってしまったの。ランドはあたしとミイに手を振って、扉を出て行った。ミイもリョウも見送ろうとしなかったから、あたしは1人だけ追いかけていったんだ。
「ランド、気をつけてね。それからありがとう」
 坂道の階段の手前で振り返ったランドは、空いている方の手であたしの肩を抱いて言った。
「リョウはすっかりガキの頃に戻っちまったな。狩人の修行を始めた時のリョウがあんな感じだったよ。オレの都合なんかまるで考えてねえの」
 あたしはその頃のリョウを知らない。一緒に遊ばなくなって、すごくさびしかったことだけ覚えてるの。その時のあたしの寂しさなんて、今のあたしの寂しさとは比べ物にならないよ。だって、今のあたしには、リョウに愛されてた時の記憶があるから。あたしが目の前にいるのに狩りのことしか考えてないリョウなんて、お互いの気持ちを打ち明けてからは初めてだったんだ。
「気にするな、ユーナ。今のあいつは狩りのことしか見えてねえけど、そのうちおまえの存在にも気づくだろ。リョウもおまえもなにも変わってないんだ。心配しなくても、リョウは必ずおまえを好きになる」
「……リョウは変わってないって、そう思う? あたしのことを好きになってくれるって」
「ああ。リョウを信じていろよ。……おまえ、リョウにはもったいない女になったな。あのヘチャが」
 ランドがからかうようにそう言ったから、あたしはちょっとむくれたの。そのまま笑いながらランドは仕事に行ってしまって、再び家の扉を開けると、あたしと入れ替わりにリョウが家を出るところだったんだ。
「リョウ、どこへ行くの?」
「……別にどこにも行かない。心配するな」
 あたしは一瞬ミイと目を合わせて、それからリョウを追いかけていったの。
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真・祈りの巫女201
 リョウとランドは立ったまま、ミイが出してくれたお茶を一気に飲み干した。それで人心地ついたみたい。2杯目は2人とも椅子に座って、ゆっくり味わっていた。あたしはそんなリョウにずっと見とれていたの。久しぶりにベッドから起き上がったリョウはすっかり健康を取り戻したようで、額から頬を伝って流れ落ちる汗がきらきらして、あたしの目を釘付けにした。
 リョウはあたしの視線に気がついて、ほんの少しだけ見返したけど、でもそれだけであとはずっとランドと話していたの。リョウはひと通り持っている道具の使い方を教えてもらったみたい。しきりにランドに質問して、ランドも実践での使い方なんかを丁寧に説明していたんだ。
 休憩時間はほとんどそれだけで過ぎていった。あたしはリョウのあまりの熱心さに声をかけることができなくて、ミイとランドもあたしに気を遣って話題を変えてくれようとしたんだけど、リョウの勢いには口を挟む隙間すらなかったんだ。しだいにあたしは疎外感を覚えるようになっていったの。今、リョウの興味は狩りにしかなくて、あたしのことなんかどうでもいいんだ、ってことが判ったから。
 リョウが動けるようになったこと、あたしは嬉しかった。でも、今までそれほど感じてなかった疎外感をより強く感じるようになった。これからのリョウは、好きな時に好きなことができる。あたしはもう、ベッドのリョウを独り占めすることができないんだ。
「 ―― ずいぶん長居しちまった。リョウ、続きはまたあとにしてくれ。……ミイ、弁当は?」
「できてるわよ。はい、これ。気をつけて行ってきてね」
「待てよ。どこへ行くんだ?」
 席を立ったランドをリョウが呼び止めていた。自分の思いに沈んでいたあたしも気がついてランドを見上げたの。
「仕事だよ。そうそうおまえに付き合ってばかりいられねえんだ。村の台所がカラになっちまう。……ユーナ、悪かったな。今度またゆっくり話そう」
「あ、うん、ありがとう」
「俺も一緒につれてってくれ! 実践でこいつを使ってみたいんだ」
「バカ言うな。怪我人は村でおとなしくしてろ。これ以上無茶しやがったらもう来てやらねえからな」
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真・祈りの巫女200
「セイがずいぶん取り乱してたから、落ち着いた頃にまたくるって言って、2人ともそれほど長い時間はいなかったの。セイのね、リョウが死んだ時の絶望も、生きてると知ったときの喜びも、記憶がないと知ったときの絶望も、あたしは判る気がするのよ。でも、あたしは昨日1日リョウのことをずっと見てたでしょう? だから、リョウがあんな風に泣いたって、それだけで2人は十分報われてるように思う。……リョウってね、昔からあんまり両親としっくりいってなかった。相性が悪かったのかな。でも、あたしたちに愚痴をこぼしたことなんてないのよ。リョウはリョウなりに必死で両親とうまくやろうと頑張ってた」
 あたしは前にリョウが言ってたことを思い出した。子供の頃、あたしはリョウが両親とうまくいってないなんてぜんぜん知らなかったの。なぜなら、リョウはいつも両親のことを「好きな人たち」と呼んでたから。あたしが祈りの巫女になることで悩んでいた時も、「オレの好きな両親やユーナを守るために狩人になった」と話してくれたんだ。
「あとでランドと話したとき、ランドも同じような印象を持ったって言ってたの。リョウはきっとどこかで両親のことを覚えてるんだ、って。もしも2人のことを覚えてなかったら、あんな風に泣いたりしなかったと思うもの。だって、リョウは人の涙につられて泣くような、そんな可愛い気のある子じゃなかったでしょう?」
 あたし、そんなミイの言い方に、思わず笑いを誘われていた。ミイにとっては、きっとリョウも小さな頃とあんまり変わってないんだ。ランドがあたしを子供扱いするみたいに。
「それじゃ、リョウが記憶を取り戻す可能性もあるってことね。リョウの記憶は完全に消えちゃった訳じゃないんだ」
「両親のことであれだけ心を動かされたんだもの。ユーナのこともすぐに思い出すわ。ランドもそう思ったから、リョウに狩りの仕方を教えることにしたのよ。両親が帰ったあとにリョウとランドはずいぶん長い間話をしてた。ランドなんか、お夕食食べるのも忘れて話してるんだもん。片付かないったら」
 あたしはまた笑って、そのあとミイがランドとのおノロケを披露してくれるのを、ずっと笑いながら聞いていたの。
 しばらくそうして話していると、それまで外で狩り道具の使い方を練習していた2人が戻ってきたんだ。リョウは久しぶりに身体を動かしたせいでちょっと疲れて見えたけど、でも表情はベッドに寝ていた頃よりもずっと晴れやかだった。
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真・祈りの巫女199
 ミイは汗をかいて休憩しにくる2人のためにたくさん沸かしたお茶を冷ましていて、あたしにも1杯ご馳走してくれた。
「リョウは急にどうしたの? あんなに動いて、傷の方は大丈夫なの?」
 だって、リョウは昨日までベッドで寝ていたの。確かにタキは今日から動いていいって言ってたけど、それはたぶん日常的な動作のことで、狩人の仕事をしていいって意味じゃなかったはずだから。
「傷のことはね、あたしもよく言い聞かせたから、たぶん大丈夫だと思うわ。ランドも、少しでも無茶したら2度と教えないって、リョウと約束したみたい。リョウは昔からあたしたちに逆らったことなんてないのよ。怒らせたら怖いって、よく知ってるの」
「でも、リョウは記憶喪失なの! 昔のことはぜんぜん覚えてないのよ」
「頭で考えて判らなくても、身体のどこかできっと覚えてる。あたしとランドはね、昨日そのことを確信したの。……ちょっと長い話になるけど、昨日の夜から順を追って話してあげるわね」
 ミイは、どこから話そうかちょっと思い巡らすようにお茶を飲んで、やがて静かに話し始めた。
「昨日の夕方、ランドがここへきたの。あたし、ランドにリョウのことを任せて、村にリョウの両親を迎えに行こうと思ってたのね。でも、そろそろ暗くなりそうだったから、あたし1人じゃ危ないって。疲れてるのにランド、代わりにもう1度村へ降りてくれたのよ」
 ミイの話はそんなノロケから始まったから、聞きながらあたしは思わず吹き出しそうになってしまった。
「ランドが帰ってきたときにはずいぶん暗くなってて、あたしはリョウの食事だけ先に済ませて、ランドの分は用意だけして待ってたの。ランドはタカとセイを一緒に連れてきてて、事情の方は道々話してくれてたみたい。あたしが先にリョウの部屋に入って、両親がきていることをリョウに話したの。それからランドが2人を連れて部屋に入って、タカとセイはすぐにリョウの傍に駆け寄った。……セイは終始泣きじゃくってたわ。リョウのベッドに突っ伏して、時々リョウの顔を見上げて、言葉になってなかった。タカはずっとリョウの肩を抱いてたの。リョウはしばらく呆然としてたんだけど、そのうちね、こらえきれないように涙を流したの。『ごめんなさい。俺はあなたたちのことを覚えてない』って言って」
 あたしは、その時のリョウの様子が手に取るように判る気がした。
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真・祈りの巫女198
 タキとローグは、来た時と同じように連れ立って帰っていった。あたしはオミの顔を見に行って、少しねぎらったあと、タキとの約束どおり神殿へ祈りに行った。祈りを終えていったん宿舎へ戻ってから、オミの世話をカーヤに任せて再びリョウの家へと向かったの。その間にも日はだんだん高くなっていて、自然に足が速くなるのが自分でも判った。
 リョウの家近くまで来た時、いつもなら割と静かなはずのこのあたりで、人の声と何か物音が聞こえるのに気づいたの。更に道を降りていくと、音と声はだんだん近づいてきて、やがて視界が開けた時、あたしはその光景にちょっと驚かされていた。
「ランド、……リョウ!」
 リョウの家の周辺はけっこう広く整地されていて、庭のようになってるんだけど、そこで今ランドとリョウが立って何かをしていたの。あたしの声に2人は気づいて振り返った。リョウは両手に狩りに使う道具を持っていたんだ。
「よう、ユーナ。ずいぶん早いじゃないか。神殿の方は片付いたのか?」
 ランドはにこやかにあたしを迎えてくれたけど、リョウは一瞥を投げただけで、すぐにあちらを向いてしまった。
「なにをしてるの? リョウ、もう動いて大丈夫なの?」
「本人は大丈夫だって言ってるな。タキも今日から動いていいって言ったそうじゃないか」
「……ランド、続けてくれ」
 あたしの方へ歩いてこようとするランドを、うしろからリョウが苛立った口調で引きとめたの。ランドはちょっと苦笑して、呆れたように腕を広げて戻っていく。でも、それだけではあんまりだと思ったんだろう。リョウの方を向いたままあたしに声をかけてくれた。
「中にミイがいるから詳しいことは聞いてくれ。これだけやっつけたら少し休憩できると思うから」
 それからはもうあたしがいることなんか忘れたように、2人は話しながら今までしていたことの続きを始めたみたい。リョウは狩りの道具を握っていて、ランドがその使い方を説明しているように見えたの。あたしは2人の邪魔にならないようにうしろを通って、リョウの家の扉をノックした。
 ミイが扉を開けてくれる間にもう1度振り返ると、リョウは真剣な表情で立木に向かって何かを投げたところだった。
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真・祈りの巫女197
 カーヤが自然な動作でお茶の用意を始めたから、それはカーヤに任せることにして、あたしはローグに向き直った。
「まあ、ひところよりはずいぶん元気になったね。でも、オミは肋骨を傷めてるから、今でもけっこう苦しいはずだよ。自分で起き上がれるようになるにはもう少しかかりそうだ。しばらく様子を見るけど、もしも起き上がれそうなら徐々に歩き回っても大丈夫だよ」
 そう、ローグの話を聞いて、あたしは心配が増したと同時に少しだけ安心することができたの。オミの怪我は、時間が経てばちゃんと元の通りに治るから。ベッドにつぶされて足の骨を砕かれてしまったライよりはずっと運がよかったんだ。
「よかった。安心したわ。……ライはどう? 少しは元気になってるの?」
「ライ、か。……そうだな、身体の方は少しずつよくなってるよ。食事の量も増えてきたしね。ただ、表情に生気がないんだ。なんと言うんだろうね。世の中には自分の力ではどうにもならないことがあるんだってことを、あの幼さで知ってしまった。そんな痛ましさを感じるよ。……まだたったの2歳で、言葉すらしゃべれないのにね」
 あたし、しばらくライに会いに行ってなかったことを後悔した。すぐにでも会いに行きたかったけど、でもなんだか気持ちが萎えてしまって、そんな気になれなかったんだ。どうしてだろうって、ちょっと考えて気づいたの。前に会った時、ライはあたしの顔を見て大きな声で泣いていた。自分では気づいてなかったけど、あの時あたしは少なからず傷ついていたんだ。
「ローグ、ライのことをお願い。たくさん優しくしてあげて」
「祈りの巫女は、まだライに会う勇気は出ないかな?」
 ローグは相変わらず鋭くて、あたしをドキリとさせたの。詳しい経緯を知らないタキとカーヤも、ちょっと驚いてあたしとローグを見比べた。
「ライはまだ自分自身の人間関係が狭いからね、少しでもライと顔見知りの君がきてくれると、それだけでも元気が出ると思うんだ。もしも勇気が出せたら、いつでもかまわないからぜひ見舞ってあげて欲しい。……実際、祈りの巫女くらいしかいないんだよ。ベイクの家の近くに住んでいた人たちはみんな被害にあって、他人の子供を心配するどころじゃなくなってるから」
 ローグの言うことは理解できたけど、あたしはまだローグにはっきり約束することはできなかった。
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真・祈りの巫女196
「 ―― ねえ、祈りの巫女。君は本当に信じている? ……リョウが村の救世主だ、って」
 少し言いづらそうにタキが言って、あたしを驚かせた。
「信じるわ。だって、リョウはあたしに言ったから。俺は影を村から追い出すために生き返った、って」
「本当に?」
 あたしがうなずくと、タキは信じられないように目を見開いたの。
「それを守護の巫女に話したのか? いつ?」
「話してないわ。でも、リョウはもともと右の騎士なんだもん。リョウがそう言ったとしてもぜんぜん不思議じゃないし、守護の巫女がそういう判断を下したのも当然だと思う。だからあたし、リョウが村の救世主だってカーヤに聞いて、すごく納得できたの」
 タキは本当に疑り深いみたい。あたしがそう言っても、少しも納得したようには見えなかったの。あたし、リョウが影と戦うのはすごく心配で、できれば村の救世主なんかじゃなければいいと思ってる。でも、リョウ自身がそうあることを望んでいるのなら、あたしは何も言えないよ。あたしにできることは、リョウが無事でいるように祈りを捧げることだけなんだ。
「……なんか、オレが知らない間にずいぶんいろんなことが進んでたみたいだな。実際そんなに離れちゃいなかったはずなんだけど」
「それだけよ。あとはぜんぜん変わってないわ。リョウの記憶も戻ってないし」
「オレもまたリョウに会わないといけないな。祈りの巫女と一緒に行きたいけど、午前中は用事があるから午後になるか」
 最後の方はほとんど独り言のようだったから、あたしは返事をしなかった。……タキって、自分がなんでも知ってないと気がすまないようなところがあるみたい。その探究心旺盛なところや知識の豊富さにはずいぶん助けられてるから、今まではなんとも思ってなかったけど、これからのことを思うとちょっとだけ不安な気がしたの。
 ちょうどその時、ローグが診察を終えて部屋から出てきたから、あたしたちも話を止めてローグとカーヤを迎えた。
「オミのことでは本当にありがとう。あんなにひどい怪我だったのに、これほど早く元気になったのはローグのおかげだわ」
 ローグは微笑を浮かべて、おそらくあたしにオミの状態を説明するため、食卓のあいている椅子に腰を下ろしたの。
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真・祈りの巫女195
 あたしの身体は、いつもよりもたくさんの睡眠を必要としていたみたい。昨日は午後もずっと眠っていたのに、今朝起きた時には既に朝食の時間になっていたの。カーヤに声をかけられて、目覚めた瞬間は戸惑ったと同時にちょっともったいなく思ったんだ。せっかくカーヤと一緒に寝たのに、あんまりお話できなかったから。
「ほんとにすぐ眠っちゃったわね。ずいぶん疲れてるみたいよ。大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。今日はたくさん眠ったもの。それに、カーヤのおいしい料理もたくさん食べたし」
 そんなあたしの言葉に、カーヤは微笑んで、朝食が並んだ食卓へと案内してくれた。
 食事の間はたわいない会話を交わして、食べ終わって少しくつろいでいると、宿舎にはタキとローグが連れ立ってやってきたの。ローグはこのところ毎日午前中にオミの様子を診てくれていて、診察にはカーヤが付き添ってしまったから、あたしは食卓でタキと少し話をしたんだ。
「 ―― 明後日の影の襲撃についてはカーヤに話しておいた通りで、ほとんど付け加えることはないんだ。また前回と同じように村人を神殿の敷地に避難させて、祈りの巫女には神殿で祈ってもらうことになってる。運命の巫女は定期的に未来を見てるから、明後日の午前中はまた会議があるよ。でも、それまでは自由だから、居場所さえはっきりさせておけば宿舎にいる必要はないね」
「それじゃ、今日もリョウのところへ行って大丈夫なのね」
「ああ。リョウは今では村の救世主だし、君がリョウのところへ行くのに反対する人はいないよ。もちろん、祈りの巫女として毎日の祈りを欠かして欲しくはないけどね。実際、君のリョウに関する祈りを疑ってる人がまったくいない訳じゃないから」
 そうか。嘘は真実にはかなわない。必ず真実に辿り着いてしまう人はいる。守護の巫女がどんなに巧みに嘘をついたとしても、それを嘘だと見破ってしまう人が出てくるのはしかたがないことなんだ。
「リョウのところへ行く前にちゃんと祈りは済ませるわ。それに、今はミイがいてくれるから、あたしが泊り込む必要もないし。夕方帰ってきてからもう1度祈りを捧げられると思う。もちろん明日も、明後日もよ」
 タキは微笑んでいたけれど、あたしがそう言っただけではタキの心配事をすべて解消することはできないみたいだった。
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真・祈りの巫女194
 あたしは、畑の中で嵐に怯えながら震えている野菜たちを想像して、ちょっと胸が痛くなった。でも、その痛みで気づいたの。その時の野菜たちの怯えや絶望は、今の村人たちに共通するものがあるんだ、って。
 野菜はカーヤにいろいろ訴えて、手を加えてもらって、いい環境を手に入れる。それって、あたしが神様に祈るのと似てるんだ。カーヤはすべての野菜の声を聞くことができて、今は畑にカーヤはいない。そういう違いを探せばたくさんあるけど、野菜たちにとってのカーヤが、あたしたちにとっての神様だってことは、すごくよく判ったの。
「それで? カーヤはどうするの?」
「ほとんど何もできないわ。川の水があふれて流れ込まないように板を立てるくらいよ。でも、そんなものはほとんど役には立たないわ。風で倒れて、鉄砲水に流されて、泥の中に埋まってしまうの。嵐が引いたときにはもう野菜の声は聞こえない。すべて死んでしまうのよ」
「……」
「あ、でも誤解しないで。そんなひどい嵐はこの村にはめったに来ないから、ほとんどの場合はちゃんと耐えてくれるわ。それに、たとえすべてが流されてしまっても、あたしたちは諦めたりなんかしない。また1から種を植えて、新しい野菜を育てるのよ」
 1度似てると思ってしまったからだろう、あたしはカーヤの話を村の災厄と重ねていた。ただ黙って災厄が通り過ぎるのを待つ村人たちと、何もできない神様。そして、村が滅びてしまえば、またそこに新しい村を作り始める神様。……ううん、あたしたちは野菜とは違う。だって、みんな影と戦える。リョウは影を殺すことができたし、それができない村の人たちは西の森に穴を掘ることができる。それに、あたしたちは動けるんだもん。影から逃げることだってできるんだ。
 たとえ神様が影にかなわなくても、あたしたちはまた村を1から作り上げることもできる。……そんなの、まだ考えちゃいけないよ。神様はきっと影より強いもん。祈りの巫女のあたしは、少なくともあたしだけは、神様を信じていなくちゃいけないんだ。
 神様を信じるのも祈りの巫女の仕事だよ ―― そう、リョウが言ってくれたのはいつだろう。もうあんまり思い出せない。なんだかすごく、リョウの存在が遠い ――
 でも、そう感じたのはたぶん眠かったからで、いつしかあたしはすっかり寝入ってしまっていたの。
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真・祈りの巫女193
 眠るまでの間、あたしは自分の部屋でこのところずっと滞っていた日記をつけた。ずいぶん溜めてしまったから、詳細にという訳にはいかなかったけれど、ひとまず今日の分までは追いつくことができたの。それにずいぶん時間がかかってしまったから、あたしがカーヤの部屋を訪れた時には、いつもの眠る時間をかなりすぎてしまっていた。
 カーヤの部屋にはベッドが2つあって、宿舎の住人が増えた時にはこの部屋は2人部屋にできるようになっている。村には新しい怪我人は出ていなかったけれど、カーヤは空いているベッドがいつでも使えるように整えてくれていたから、ふだん使っていない方のベッドもそれを感じさせないくらい快適だった。こんな風にカーヤと2人で寝るのって、実は初めてのことだったの。あたしはなんとなくワクワクして、少し興奮気味で、カーヤも呆れてしまったみたいだった。
「子供の頃にね、何日間かアタワ橋の東にある親戚の家に行ったことがあるの。あんまりはっきり覚えてないんだけど、たぶんオミがちょっとした病気にかかって、治るまでの間あたしだけ預けられたのね。その家にはあたしよりも少し年上の女の子がいて、その子の部屋で毎日一緒に眠ったの。父さまや母さまに会えなくてさびしがってたあたしに、その子はいろいろな物語を聞かせてくれたのよ」
 暗闇の中、あたしは目を閉じて、その時のことを思い出していた。さびしかった思い出よりも、その子が話してくれた物語がとても面白かったことの方を思い出すの。あの時はしばらく我慢したら両親に会えると思ってた。でも、今はもう2度と両親に会うことはできない。
 あたしは今、カーヤに甘えることを自分で許していたの。オミにはあんなことを言ったのに、あたし自身はまるっきり反対のことをしていたんだ。
「……物語は、あんまり知らないわ。あたしはユーナのような体験はしてないもの。その代わりに野菜たちの話を聞いて育ったのよ」
「例えば今回のような時、野菜はどんなことを言うの? 自分たちの畑が影に踏みにじられて、育ててくれた人は助けてくれなくて、自分で逃げることもできない。そんな時、野菜はどんな言葉をしゃべるの? 悲鳴を上げたりするの?」
「そうね、あたしはこの災厄で野菜の声は聞いてないけど、嵐の時の声は聞いたことがあるわ。……悲鳴を上げる野菜もいた。でも、多くはただ黙って、嵐が過ぎ去るのをひたすら待つのよ」
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真・祈りの巫女192
 祈りを神様に届けたい。これほど純粋にそう思ったことって、今までなかったような気がする。神様の理を人が理解することはできない。守りの長老が言ったように、もしかしたら神様はあたしの願いをかなえてくれないかもしれないけれど、でも祈らなければ祈りを届けることすらできない。祈りが届くならば、あとはすべて天命に従うよ。滅びるのが村の運命なら。
 でも、そんなことはありえないって、あたしは信じてる。最初からそう信じればよかったんだ。だって、運命の巫女は、祈りの巫女の祈りが村の運命を紡いでいくんだって、そう言ってたんだから。
 そうして、1つの祈りを終えたあとも、神様はあたしに語りかけることはしなかった。でも不思議と失望感はなかった。きっと神様には神様の都合があって、そうたびたび声を聞かせてくれるなんてできないって思ったから。
 ろうそくを片付けて扉の外に出ると、まだいくぶん温かみを残した外気に包まれた。……どうしてだろう。なんだか世界がすごく愛しく感じるの。空気の暖かさなんて、少し前まではまったく感じることができなかったのに。
 何がきっかけだったのか、思い出すこともできないけど、あたしは今まですごく頑張ってきたんだってことが判った。あたしは祈りの巫女だから、みんなの期待を背負ってるんだから、何があっても祈りの巫女の使命を全うしなくちゃいけないんだ、って。あたし、頑張りすぎてたみたい。だから会議のちょっとしたことで動揺して倒れるくらい、気持ちが脆くなってたんだ。
 たぶん、タキの思い遣りや、オミの悩み、いつもと同じように振舞ってたカーヤを見て、あたしの中で何かが変わったの。自分1人で張り詰めてることがばかばかしく思えたのかもしれない。だって、みんな自分のことで一生懸命で、こんな時なのにちゃんと生きてるんだもん。
 あたしはもっと力を抜いててもいい。みんなと同じように一生懸命生きていたら、きっと神様は助けてくれる。祈りがかなえられないからって、焦らなくていいの。だって、あたしにはいつかみんなの願いをかなえる力があるんだから。
 宿舎の扉を開けると、カーヤが食器の片付けをしているところだった。
「ただいまカーヤ。……ねえ、今日、カーヤの部屋で一緒に寝てもいい?」
 カーヤはちょっと首をかしげたけど、やがて呆れたように笑って、あたしのわがままを許してくれたんだ。
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真・祈りの巫女191
 台所に戻ると、カーヤは今度はオミの夕食を用意していた。あたしがこんなに早く病室から戻ってくるとは思ってなかったみたい。あたしは祈りの準備をして、カーヤを置いて1人で宿舎の外に出たの。外はすっかり日が落ちて、星がちらほら見え始めていた。
 空を見上げていると、今この村が影の脅威にさらされていることなんて、まるで嘘のような気がしてくるの。だって、空は何も変わってないんだもん。神殿には避難所が次々に増えて、村も影に壊された家や畑が風景を変えているのに、空だけは変わらない。きっと何1000年も昔から、空は少しも変わっていないんだ。ずっと昔の、初めてこの村に生まれた予言の巫女や、2代目祈りの巫女のセーラも、今のあたしと同じように空を見上げたんだろう。
 神様、あなたは覚えているの? ずっと昔、あなたに祈りを捧げたセーラや、あなたの神託を受けた予言の巫女のことを。
 あたしのことを覚えていてくれるの? 村の禁忌を犯して、一生誰にも言えない言葉を背負ってしまったあたしのことを。
 神殿に入って、ろうそくに聖火を移しながら、あたしは今まで思いもしなかったことを考えていたの。あたしは深く考えたことがなかったんだ。この村は、ものすごく長い時間をかけて、たくさんの人たちの手で作り上げてきたんだってこと。
 空の時間から見たら、神様の時間と比べたら、村の命もあたしたち人間の命もものすごく短い。それでも精一杯生きて、自分ができなかったことを次の世代に託して、今ここに1つの村が生きてるんだ。見慣れた村の風景も、ぜんぶ小さな命の積み重ねでできてる。そんなたくさんの命に支えられて、大切に育てられてきたこの村を、影は一瞬で破壊しようとしてるんだ。
 今なら判る気がする。歴代の祈りの巫女たちが、自分の命を削ってまでも村を守ろうとした理由が。
 この村は、今生きている村人だけじゃなくて、過去に生きてきた1人1人の想いの結晶なんだ。川も、木も、家も畑も、人が愛して育んできた。そんなたくさんの人たちの想いが散るくらいなら、自分の命を捧げても悔いはないって、そう思ったの。だって、祈りの巫女には村を守る力があるんだもん。祈りの巫女は、村に属した1つの命なんだもん。
 自分の祈りが通じなかったあの時あたしは、役に立たないなら死んでもいいって、そう思った。今はそんなことは思わないよ。だって、こんな大切な村を守るために役に立たないまま死ぬなんて、そんなことできるはずない。祈りの巫女としての役割をきちんと果たして、それからでなければあたしは死んだりできないんだ。
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真・祈りの巫女190
「……呆れた。ユーナ、そんなことほかで言わないでちょうだい。特にタキ本人にはぜったいに言っちゃダメよ」
「どうして? カーヤはタキのことが嫌いなの?」
「そういうことじゃないの! ……ごちそうさま」
 なんとなくカーヤにごまかされてしまって、それ以上なにも言えなくなったあたしは、食後オミの病室を訪ねた。カーヤがついてきてくれなかったところをみると、もしかしたら怒らせちゃったのかな。でも、あたしはタキとカーヤはすごくいいと思うの。年齢も3歳違いだし、視線で会話してるような気が合うところもあったから。
 病室のドアをノックして、返事がなかったから静かに隙間を作って顔を出すと、予想に反してオミは目を覚ましていた。ベッドに寝転がったまま天井に視線を固定させていたの。近づいて顔を覗き込むと、オミは初めて気がついたようにハッと目を見開いた。
「ユーナ。……脅かすなよ」
「ちゃんとノックしたよ。どうしたの? なにを考えてたの?」
「なんでもないよ! ……ユーナには関係ないこと」
 オミは以前よりもずっと言葉もはっきりしていて、ずいぶん回復しているんだってことが判ったの。顔の包帯も少なくなってるから、あたしは嬉しくて自然に顔がほころんでいた。
「なんだ、元気じゃない。カーヤが気にしてたけど、心配するほどのことはないわね。安心した」
「……なにが? カーヤが何だって?」
「オミが最近よく考え事をしてるって、ちょっと心配してたのよ。オミ、あなたも、身体が辛いのは判るけど、あんまりカーヤに心配かけないように気をつけてあげて。カーヤの方が参っちゃうわ」
 オミはあたしの言葉を、ずいぶん真剣に受け止めてくれたみたいだった。そう、オミだってもう子供じゃないんだもん。いつまでも家族や友達だけに囲まれてた時のような、気ままな態度でなんかいられない。オミもきっとそういうことを学ぶ時期に来ているんだ。
 それ以上言葉をかけるのもなんとなくはばかられて、あたしはそれきりオミの病室を出た。
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真・祈りの巫女189
 タキはすごくたくさん気を遣ってくれてる。あたしでは到底処理できないさまざまな細かいことまで、タキは背負ってくれてるんだ。
「あたし、このところ祈りをサボってたから、食事が終わったらまた祈りに行くわ。その時にオミのことも祈ってくる。早く元気になってもらわなかったら、カーヤが楽できないもん」
「まあ、あたしのことはいいんだけどね。あんまり長い間寝たきりだと、病人は不安になるわ。ユーナが励ましてあげるだけでもずいぶん違うのよ。祈りに行く前に一言だけでも声をかけてあげて」
「判ったわ。……オミ、そんなに不安そう?」
「最近ちょっとね。よく考え事をしてるみたいなの。あたしが訊いてもなにも言わないけど、ユーナになら話すかもしれないわ」
 そう言ったカーヤは微笑を浮かべてたけど、少し切なそうにも見えたの。きっとカーヤもいろいろなことを思ってるんだ。だって、カーヤにとってオミは初対面の他人で、ただでさえ打ち解けるのに時間がかかるのに、オミは怪我をして動けないでいるんだもん。
 食事の間、カーヤは夕方タキが話していったことを中心に、主に影の動向についてあたしに話してくれた。会議の詳しい内容は明日直接話してくれることになってたけど、カーヤが知ってて差し支えないことについては、カーヤを通してあたしにも知らせてくれたんだ。
 影は3日後の夜にまた現われる。その時刻にあたしはまた神殿で祈りを捧げることになっていて、でもリョウはまだ村に降りなくていいって。それを聞いて、あたしは心の底からほっとした。
「タキは本当によく働いてくれるわね。あたし、タキがユーナの傍にいてくれるから、とても安心していられるわ」
 カーヤがそう言ったとき、あたしは不意にその可能性に気がついたの。どうして今まで気づかなかったんだろう。タキもカーヤも、すごく優しくていい人だったのに。
「ねえ、カーヤ。カーヤはタキのことをどう思うの?」
「どうって? 親切ないい人だと思うわよ。責任感も強いし、タキがいればユーナもずいぶん心強いと思うわ」
「そうじゃなくて、1人の男性としてよ。あたし、カーヤの恋人にはタキがぴったりだと思うの」
 あたしが言うと、カーヤは驚いて動きを止めてしまった。
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