2003年01月の記事


真・祈りの巫女72
 神官の宿舎に怪我人用のベッドが不足している。あたしがそれを聞いて、そう言い出すのは、ごく自然な流れだった。
「オミはあたしの宿舎に運んで。あたしの弟だもの。あたしが看てあげたいの」
 タキはちょっと驚いたようだった。
「祈りの巫女、いくら弟でも、オミはもう13歳なんだろう? 子供ならいざ知らず、大人の男が巫女の宿舎に寝泊りするのは困るよ」
「どうして? だってオミは弟なのよ。それに大きな怪我をしているの。動けない怪我人が間違いなんか起こさないわ」
「そうよね。……タキ、あたしからもお願い。祈りの巫女を弟の傍にいさせてあげて」
 タキは当惑した様子で、しばらく返事をためらっていた。タキの言うことも判るの。神殿には秩序が必要で、たとえ弟だからといって成人した男性を巫女の宿舎に寝泊りさせることが、この先どんな波紋を広げるのか予想できないから。
 だけどあたしは、たとえ神殿の秩序を破ってでも、オミを傍に置きたかったの。今なら神官の宿舎にベッドが足りないことを理由にできる。祈りの巫女の責任よりもオミの方を大切に思ったんだ。
 あたしの精神のバランスが崩れている。普段のあたしだったら、こんな強引なことはぜったいにしないはずだから。たぶん、周りで見ているみんなにもそれが判ったんだろう。カーヤはあたしの意見を受け入れて、タキもしばらくの沈黙のあと、心を決めたようにそう言ったから。
「……判ったよ。オレの一存ではなんともできないことだから、守護の巫女に掛け合ってくる。オレが戻るまではオミを勝手に宿舎に入れたりしないって、約束してくれ ―― 」
 タキが再び駆けていってしまうと、ほとんど入れ違いくらいのタイミングで、オミを乗せた担架が坂を上がってきたんだ。
 あたしは担架に駆け寄って、動きつづけている担架を覗き込んだ。オミの怪我は応急処置は施されているものの、かなりひどくて、傷口を縛った包帯から血がにじみ出ているのが判る。あたしが声をかけると、オミは目を開けてしっかりあたしを見た。
「……ユーナ。……ごめん、ユーナ。……父さんと母さん、守れなくて……」
 そう言ったオミはすごく痛々しくて、あたしはこれからぜったいオミのことを守ろうって、そう決心していた。
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真・祈りの巫女71
 神殿前広場は避難所が立ち始めていて、だいぶ狭くなってしまっていたけれど、そこには今もたくさんの人たちがいて情報を交換しあっていた。次々と運ばれてくる怪我人たちを、神官や巫女の宿舎の空いているベッドに振り分けている。そこにはカーヤもいて、あたしを見つけると駆け寄ってきたの。たぶんカーヤはあたしのことを探していたんだ。
「ユーナ! ……両親のことは聞いたわ。あたし、なんて言ったらいいか……」
 あたしはそれ以上聞きたくなくて、唇を固く結んで激しく首を振った。そんなあたしの反応はたぶん異常だった。カーヤもそれを感じたようで、あたしにそれ以上両親の話をしようとはしなかった。
「怪我人がどんどん増え続けてるの。今回は火事で家を無くした人も多かったから、怪我をした人のほとんどはここへ運ばれてくるわ。今はまだ共同宿舎で間に合うけど、いずれは祈りの巫女の宿舎にも怪我人を運び込まなければならないかもしれない。あたしもできるだけ他へ回してもらうようにするけど」
 あたしの宿舎には、空いているベッドが2つある。おそらくカーヤも他の巫女もかなり混乱しているのだろう。あたしが怪我人を受け入れることを拒むはずなんかないのに。
「その時はいつでも来てもらって。いちいちあたしに断らなくてもいいから」
「判ったわ。守護の巫女にもそう伝えておくわ」
 カーヤと話している間にタキは用事を済ませたようで、すぐに戻ってきていた。
「ランド、祈りの巫女の弟はもうすぐにでもくるのか?」
「ああ、もうくる頃だな」
「年はいくつになるんだ?」
 どうしてタキがそんなことを訊くのか判らなかった。ランドもそう思ったようで、不思議そうな顔で返事をした。
「確か13か4か……。それがどうかしたのか?」
「13歳だともう子供じゃないな。……今見てきたら、神官の共同宿舎のベッドがないんだ。明日になればいくつか空けられるんだけど」
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真・祈りの巫女70
 もしかしたらあたしは、自分の両親が死んだことを必死で頭の中から追い出そうとしていたのかもしれない。できるだけ意識の上にのぼらせないように、無意識の中に封じ込めていた。ランドが言った一言で、あたしは意識を向ける別の対象を見つけたの。だからあたしはまるでしがみつくようにオミのことだけで頭をいっぱいにしようとしたんだ。
「オミはどうしたの? やっぱり家の下敷きになったの?」
「ああ。追ってくる影から逃げている途中で崩れた建物の下敷きになった。だけどその現場を見てた人がいてな、すぐに助けられたんだ。……おまえの両親の話を聞いたか?」
 あたしが首を振ると、ランドはチラッとタキを見て、それからまたあたしに向き直った。
「影はおまえの家を壊して、家から飛び出して逃げた両親を執拗に追いかけたんだ。まるで初めから狙ってたみたいに。……オミが崩れた建物の下敷きになって、そのあとすぐにオキたちは影に踏み潰された。その、一部始終を、オミは見ていた」
 前のとき、影は人を襲ったりしなかった。今度の影は人を襲うような生き物だったの? それとも……それがあたしの両親だったから、影は人を襲ったの……?
 父さまと母さまは、あたしの両親だったから、影に狙われてしまったの……?
「祈りの巫女」
 タキが声をかけて、あたしの思考を遮ってくれた。
「ちょっと気になることがあるから、オレはいったん宿舎の方へ行ってみるよ。祈りの巫女は広場の方にいてくれる?」
「……ええ、判ったわ」
「ランド、あなたは祈りの巫女のことを……」
「ああ。ユーナのことはオレに任せておけ。大丈夫だ」
 そう言ってタキが走り去って、あたしとランドもタキのあとを追うように神殿に引き返していった。ランドに肩を押されて歩いている間も、あたしはいったい自分が何を考えたらいいのか、まったく判らずにいた。
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真・祈りの巫女69
 あたしはすぐに駆け出して、神殿の扉を開けて外に飛び出した。いったいあたしは何を探していたんだろう。周りで忙しく動き回る人たちに紛れ込んで、その中に父さまたちがいないかどうか、きょろきょろしていたの。そんなことをしたって、ここにいる人たちの中にあたしの家族がいるはずなんかなかったのに。
 まだ夜明けにはかなり時間があったのに、神殿の周りはたいまつが灯されて、ふだんよりもずっと明るくなっていた。それでも怪我人の搬入に忙しい神殿の人々は、あたしが誰なのかすら気づいていなかった。恐怖と不安にあたしは混乱していて、自分が何をしているのかも、何をどうしたいのかも判っていなかった。うろうろ動き回って、ようやく村への坂道を降り始めようとしたとき、うしろから誰かに腕をつかまれたんだ。
「ユーナ! おまえ、なにやってるんだ!」
 捕まれた腕を返して、あたしは無意識にその誰かから逃れようとしていた。
「落ち着け、しっかりしろよおまえ! 今うしろからオミを乗せた担架がくるところだ」
 ふっと、あたしは我に返ったみたい。気がつくと神殿を出たときからの記憶がすっぽり抜けていて、目の前には必死の形相のランドが立っていたんだ。
「ランド……」
 あたし、力が抜けたようにランドの胸に倒れ込んでいた。ランドはあたしを受け止めて、やさしく抱き寄せてくれる。そのままあたしは少し泣いたような気がする。自分がどうして泣いているのか、それすらも判らないで。
「ユーナ、両親が死んで悲しいのは判る。……だけど今は泣くな。もうじきオミがくるんだ」
 あたしが顔を上げると、いつのまにかタキも近くにいて、あたしの様子を見守っていた。
「オミは……オミは助かったのね。生きてるのね!」
「ああ、生きてる。だけど全身の怪我はひどいんだ。しかも目の前で両親を失ったからな、かなりショックを受けてる。……ユーナ、おまえはあいつの姉さんだろう? おまえはあいつのためにしっかりしてやるんだ」
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真・祈りの巫女68
 扉の向こうから人々の声が聞こえてくる。ひときわ声を張り上げているのは誰かの無事の知らせか、誰かが死んだという知らせを持ってきた人。この騒ぎでは、宿舎には1人も眠っていられる人はいなかっただろう。
「タキ……どうしたの? なにか悪い知らせなの?」
 今、口を閉ざして黙り込んでいる神官は、この村にタキ1人だけだったかもしれない。
「あたしの祈りは何の効果もなかったの? ……昨日よりももっとたくさんの人が死んだの?」
 覚えてる。あたしの祈りが、ぜんぜん神様に通じなかったってこと。再び影がこないように、影が早く村を去っていくように、必死で祈りを捧げたのに。その祈りは通じるどころか、更に影の数が増えてしまったんだ。
「……祈りの巫女、君はどうして2つ目の影のことを知ったの? 祈りを捧げていても村のことが判るの?」
「判るわ。それがどんな姿をしているのかは判らないけど、村を襲った邪悪な気配のことは判ったの。それがどうしたの?」
 タキはまるで時間を稼いでいるみたいだった。あたしに言いづらいなにかを話すのを、できるだけ先に伸ばそうと。
「……最初に現われた影は村の北側に移動していった。狩人たちは村の人たちに知らせると同時に、その影を追って北の方に集まっていったんだ。だから、そのあとにやってきた2つ目の影には万全な構えができてなかった。……狩人たちを責めることはできないと思うよ。彼らだって、まさか影が2つ現われるとは思ってなかったんだ」
 タキの言うとおりだと思う。だって、運命の巫女は、今夜影が2つ現われるとは予言しなかったのだから。
「2つ目の影の行動は完全に村の人の背後を突いてしまった。気が付いたときには道をものすごい速さで東へ向かっていて、引き返した狩人たちは誰も追いつけなかったんだ。そのまま東へ向かった影は、まるで目的を持っているようだったって村の人は言ってた。……祈りの巫女、影は、君の実家を跡形もなく崩してしまったんだ」
  ―― 一瞬、意味が判らなかった。
 タキはあたしの視線を受け止めることはせずに、ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな声で、そう言った。
「君の父親と、母親。2人が死んだことが確認された。……影の下敷きになって」
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真・祈りの巫女67
 意識を取り戻したとき、あたしはタキに上体を抱き起こされて、顔を覗き込まれていた。
「 ―― 祈りの巫女……。よかった、気が付いたね」
 あたりは暗くてタキの顔があまりよく見えなかった。どうして自分がそんなところにいるのかが判らなくて、無意識に周囲を見渡してみる。神殿の祭壇の前、灯したろうそくは半数が消えていて、かなりの時間が経っていることが判る。あたしはここで祈りを捧げていたんだ。祈りの最中に眠ってしまうなんてこと、今まで1度もなかったのに。
「……タキ、あたし、寝てたの……?」
 身体を起こしながら言うと、タキはちょっと困ったような顔をした。
「寝てたっていうか、オレは気を失ってるんだと思ってたけど。……寝てたの?」
 確かにタキが言うとおり、気を失っていたって方がずいぶん感じがいいみたい。タキには曖昧にごまかして、立ち上がろうとしたらちょっとだけふらついたんだ。なんだかすごく疲れてるよ。タキはあたしが立ち上がるのを助けてくれて、それからも隣で支えながら扉の方に歩いていった。
「ねえ、タキ。あたしがここに入ってから、どのくらい経ってるの?」
 今までは気が付かなかったけれど、神殿の外はかなりたくさんの人が行き交っているようで、喧騒がここにも届いてきてる。タキは少しだけ言いづらそうに目を伏せた。
「……村が影に襲われて、それからしばらくして影が去っていったあと、村の火事をぜんぶ消し止めて、行方の判らない人の名前が神殿に届くくらいには。……祈りの巫女、君はずっと祈っていたのか?」
「ええ。少なくとも2つ目の影が村に来たところまでは。そのあとのことがあまりよく思い出せないの。いつもの祈りの儀式ではこんなことはないのに……」
 ふと、タキは足を止めて、あたしに肩を貸すのをやめた。
「だったら、君はまだあのことは知らないんだね。……その、2つ目の影がいったい何をしたのか」
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真・祈りの巫女66
 心の位置が神様に近づいていくと、逆に感覚の方は自分の身体から離れていく。心が肉体の支配を受けなくなって、しだいに感覚の密度が薄くなるよう。意識が少しずつ散らばっていって、まずは神殿全体を覆って、扉の外にいるタキ、石段の下にいる守護の巫女、何人かの神官たちの意識があたしの意識に紛れ込んでくる。意識はそれからも拡散を続けて、やがては村全体を覆うほどになっていった。この頃になるともう、あたしは自分がユーナであることを忘れているんだ。そんなあたしの意識を覆うように、神様の気配が寄り添っているのが判る。
 あたし自身の感覚は希薄で、村のすべてを正確に読み取ることはできないけれど、村人たちが不安な一夜を過ごしていることは伝わってくる。かなり多くの人々が眠れずにいるのは明らかだった。あたしは傍らに神様の気配を感じながら、人々の不安を少しでもやわらげられるようにと訴える。神様は言葉を発することはないけれど、あたしの意識を読み取って、理解してくれる。祈りの巫女は人間と神様とをつなぐ掛け橋になるんだ。あたしが村の人たちの思いを神様に届けることで、神様は初めて、村の人たちの心を知ることができるんだ。
 やがて、月は完全に空の真ん中へやってくる。
 その時、村の西の方から、今まで存在しなかった邪悪な気配が現われた。
 邪悪な気配が移動していくと同時に、近くにあった村人の心が不安から恐怖に変化していく。あたしは神様に恐怖の感情を伝えながら、その邪悪な気配を一刻も早く退けてくれるよう、神様に訴える。あたしには神様の感情を読み取ることはできないけれど、その気配はあたしの心を映したように、焦りに満たされていた。西側から北へ進路を移した邪悪な気配が次々と人々の感情を飲み込んでいく。
 あたしの願いは神様に届いていない。やっぱりあたしの力では、この災厄を退けることができないの……?
 人々の恐怖の感情が強くなって、あたしはそれを必死で神様に伝えた。それなのに邪悪な気配が動きを止めることはなくて、北側から今度は東に向かって徐々に進攻してくる。その時、別の気配がまた西の方に生まれたんだ。2つ目の邪悪な気配は、素早く東に向かって進んで、やがて南側から村の中心部へと切り込んでいく。
 恐怖に満たされた人々の感情は、既に村全体を覆い尽くすほどに膨れ上がっていた。
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真・祈りの巫女65
 名前がある巫女の中では、この真夜中に起きているのは守護の巫女とあたしだけだった。ほかのみんなは宿舎で眠っているのだろう。見上げると、空の真ん中に丸い月が白い光を放っている。満月の夜はかなり明るいから、もしかしたら今夜は影の姿が少しは見えるかもしれない。昨日の夜明け前は月が沈みかけていたんだ。今日は月影を邪魔する雲もほとんど見あたらなかった。
「異変はまだ起こってないの?」
「村と上の星見やぐらに神官を配置して、影が現われたらすぐにここにも知らせがくるようにしてあるわ。今のところはまだ何も起こってないようよ。……そろそろ予言の時刻になるけど」
 あたしは山の頂き近くにある星見やぐらのあたりを振り仰いだ。ちょうどその時、やぐらの方が少し光った気がしたの。どうやらそれが合図だったみたい。神官のセリがすぐに守護の巫女の近くにきて、耳打ちするような小声で言った。
「守護の巫女、最初の合図だ」
「判ったわ。セリは次の合図を待ってて」
 セリが再びもとの場所に戻るのを見送ることもしないで、守護の巫女はあたしに向き直った。
「祈りの巫女、祈りの準備はできてる?」
「ええ、大丈夫よ」
「そう、それじゃ、祈りの巫女は神殿に入って祈りを始めてちょうだい。2回目の合図は予言の時刻。そして3回目が、村に影が現われたことを知らせる合図になってるの」
 あたしは、タキと一緒に石段を上がって、1度だけあたしの肩を叩いたタキに微笑み返して、独りで神殿の扉の中に入った。
  ―― 神殿の中は、周囲の緊張を映してか、ピンと張り詰めた空気に満たされている。
 あたしは用意してきたろうそくを並べて、祭壇の奥にある聖火を順番に移していく。祈りの所作はいくつかあって、今現実に起きている出来事についての祈りはそれほど頻繁に行われる訳じゃないんだ。そんな稀な動作を辿っているのに、不意に過去にも同じような出来事があった気がしたの。自分がそう感じた理由は判らなかったけれど、今は余計な考えを振り払って、あたしは祈りの力を高めていった。
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真・祈りの巫女64
「 ―― ユーナ、そろそろ真夜中になるわ」
 眠りに就いていたあたしを目覚めさせてくれたのは、カーヤのその声だった。目を開けると部屋のドアを開けてカーヤが覗き込んでいる。あたりは静かだったけど、たぶん宿舎の外にはたくさんの巫女や神官がいるのだろう。静けさを装った緊張感が部屋の中にも届いてきているようだった。
「カーヤ……。ずっと起きていたの?」
「ええ、なんだか緊張して眠れなくて」
「朝からずっと働き通しだったじゃない。あたし、もう目がさめたから、少し眠った方がいいわよ」
「……そうね、あたしはこれからしばらくはすることがないから、もし眠れそうだったらそうするわ。……ユーナ、食事は?」
「時間ありそう? だったらいただくわ」
 カーヤはあたしの食事を用意してくれていたから、タキがくるまでの短い時間で詰め込んだ。やがて遠慮がちに宿舎の扉がノックされて、ひと眠りしたらしいタキがやってくる。
 迎えに来たタキと一緒に神殿前に行くと、守護の巫女がほかの巫女や神官たちを集めて、いろいろ指示を出しているところだった。みんな声を落としていて、まるで影に聞かれるのを恐れているみたい。
 あたしの姿を見て、守護の巫女はいつもの笑顔を見せた。
「祈りの巫女、こんな真夜中にご苦労様」
「守護の巫女もよ。……ちゃんと眠ったの?」
 夜目でそれほどはっきりとは見えなかったけど、守護の巫女はあたしには少し疲れているように見えた。
「私はいいのよ。あなたのように神様に祈りを捧げる訳じゃないもの。祈りの巫女、あなたはきちんと睡眠を取ってちょうだいね。ほんの少しでも時間があったら、食べて、眠るのよ」
 精神が充実していないと、神様に祈りを届けるのは難しい。だから、きちんと食べてきちんと眠るのも、あたしの大切な仕事なんだ。
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真・祈りの巫女63
 タキとまた真夜中会う約束をして、宿舎に帰るとテーブルに夕食の用意がしてあった。カーヤはまだ忙しいみたいで帰っていない。1人分だけ用意された食卓で、あたしはほとんど初めて、独りだけで食事をしたの。それから部屋に帰って日記をつける。今日の出来事はすごくたくさんあって、詳しく書いていたら時間もかかったのだけど、なんとかぜんぶ書き終えてあたしはベッドに入った。
 考えても仕方がないことは判っていたけど、あたしは考えずにはいられなかった。あたしの祈りは未来を変えることができないんだ、ってこと。この災厄が起きる前も、あたしはずっと村の平和を祈ってきた。その祈りはほぼ毎日欠かしたことがなくて、だから祈りが届いていたら最初の災厄がやってくることだってなかったはずなんだ。あたしが今まで村の人のために祈ってきたこと、それはほとんど叶えられてきてる。だから祈りの力がまったく届かない訳じゃない。
 あたしの祈りの力が足りないんだ。村の人の願いを叶えることはできても、未来を変えることはできないんだ。
 神託の巫女は、あたしが常に人の運命を変えているんだって言ってた。だから未来を変えることができるかもしれない、って。……神託の巫女、あたし、未来を変えることができないよ。あなたがあんなにあたしに期待してくれたのに。
 人の寿命を延ばす祈り。セーラが命をかけて祈った時、終わるはずだったジムの命は存えた。もしもあたしが命をかけたら、村の未来を変えることもできるの……?
 祈りの巫女は、その時代に必要とされて生まれてくる。あたしはこの災厄のために生まれてきたんだ。だから、ぜったい、この災厄を退けることができるはず。だって、神様はそれができると信じて、あたしにその役割を授けてくださったんだから。
 災厄が去った時、あたしは生きていないかもしれない。それを思うと怖かった。怖くて、あたしは自然にその名前を口にしていた。
「リョウ……」
 こんな風に名前を呼んだことなんかなかったよ。リョウ、今何をしてるの? 見張りの準備で忙しいの? ほんの少しでも、あたしのことを思い出してくれてる?
 1度外して引き出しにしまった髪飾り。もう1度取り出して、あたしは握り締めた。リョウが傍にいてくれることを感じたくて ――
  ―― お願い。リョウにも、誰にも頼らないで、独りで戦う勇気をください。
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真・祈りの巫女62
 運命の巫女が見える未来は、既に決まってしまった未来。今日のあたしはずっと神殿で祈りを捧げてきた。この災厄が、この先もう2度と訪れないように、って。今回運命の巫女が予言した3回目の災厄は、それまで見えなかった未来だから、ほんの少し前までは決まっていなかったんだ。それが決まってしまったということは、あたしの祈りが神様に届いていなかったことを意味している。
 みんながあたしに内緒で何を話していたのかが判ったの。もしかしたらこれだけじゃないかもしれないけど、少なくともその1つは、『あたしの祈りでは、この災厄が起こる以前に阻止することはできない』ってことだったんだ。
 被害を最小限に食い止めたり、影ができる限り早く去っていくように祈ることはできる。でも、決まってしまう前の未来を変える力は、あたしにはないんだ。
 祈りの力が足りない。あたしには、災厄を阻止する力がない。未来を変える力も……。
  ―― 絶望してる暇なんかないよユーナ! だって、この村には祈りの巫女はあたししかいないんだから!
 不意に押し流されそうになる自分を何とか立て直して、あたしは髪を直すふりをしながら1回だけ髪飾りに触れて、顔を上げた。
「明日のことは明日考えるわ。今夜月がいちばん高くなる時、神殿で祈りを捧げればいいのね。その他にあたしがしなければならないことはあるの?」
「他のことは何も心配しなくていいわ。今夜のこの時間、あなたにできる限りの祈りを捧げてちょうだい。……これが本当の戦いの始まりなのよ。私たち人間の知恵と力、あなたの祈りと、災厄の力のどちらが強いか。私たちがどれだけ被害を最小限に食い止められるのか、今夜が最初の勝負になるのよ。できることならその時間まで身体を休めるといいわ。今日は疲れたでしょう?」
 そうか、昨日の災厄は日時を正確に予言できなかった。だから、今夜が初めての真っ向勝負になるんだ。
 タキを伴って、あたしは守りの長老の宿舎を出た。けっきょく最後まで守護の巫女以外誰も一言もしゃべらないままで、その雰囲気に巻き込まれたように、宿舎を出てからもタキは無言だった。たぶんタキには判らなかったんだろう。守護の巫女の話の中で、あたしがどうして絶望したのか。みんなが何をあたしに隠そうとしていたのか。
 でも、本当はあたしも判ってなかったんだ。みんながあの時、とうとう何も言わずにあたしに隠し通してしまったことがあることを。
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真・祈りの巫女61
 宿舎の中に気まずい、なんともいえない空気が漂っていた。守護の巫女は笑顔だったけど、他の巫女や神官はまるで呼吸をしていないみたいに静かで、どうしていいのか判らないように互いに視線を交わしている。あたしとタキも無言で、守護の巫女が勧めてくれた椅子に腰掛ける。うっかり音を立てたら空気にひびが入りそう。そんな中で、守りの長老だけがいつもと同じ、無表情な中にも優しさを含んだ雰囲気を醸し出していた。
 なにか内緒の話をしていたのは間違いないみたいだった。それがあたしに関係あるのか、ないのか、それは判らないけど。
「さっき、祈りの巫女が神殿に入る前に、運命の巫女が未来を見たの。その中でいくつか判ったことがあるわ。まず、今夜あの影が再び襲ってくる正確な時刻が判ったの」
 あたしはただ黙って、守護の巫女が話す声を聞いていた。
「今日は7月14日、つまり満月よ。この満月がいちばん空高くなる時に影は村に襲ってくる。村の狩人たちには既に伝えてあって、この時刻には村全体を見張ってもらうことになってるの。ただ、残念ながらその『場所』はまだ判ってないわ」
 守護の巫女がそう言った瞬間、ほんの少しだけみんなの雰囲気が変わった気がした。
「村の人たちにも、できるだけこの時間帯には起きているように指示をしてあるわ。祈りの巫女、あなたも、この時間に合わせて神殿で祈りを捧げて欲しいの」
「……ええ、判ったわ。被害を最小限にとどめるように、影ができるだけ早く去っていくように祈ればいいのね」
「今回は家が壊されるだけじゃなくて、どうやら火災が起きるようなの。だから火災の被害も食い止めて欲しいわ。もちろん火を消し止める用意もしてあるけど」
 今まで、あたしが覚えている限り、村で火災が起きたのは1回だけだった。どこかの工房から火が出たんだけど、そのあたりは他にもいくつかの工房が立ち並んでいたから、けっこう被害が大きかったんだ。ふつう家と家の間はそれほど近くないけど、風にあおられればすぐに燃え移ってしまう。加えてそれが真夜中の火災だったら、現場の混乱は想像できないものになるだろう。
「それからもう1つ。……運命の巫女は、災厄が明日の夜も襲ってくる予言をしたの。明日の日没直後に」
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真・祈りの巫女60
 神殿の前に来ていたのは、父さまと同じような村の職人たちで、ほかに荷物運びを手伝ってくれた人たちもいたからかなりごった返しているように見えた。みんな今夜のことを不安に思っていて、神官や巫女が通るたびに呼び止めていろいろ話を聞いているみたい。避難所の方にも布団が運ばれてきていて、避難してきた村の子供たちがはしゃぎながら大人のお手伝いをしている。めったに神殿にくる機会のない子供たちは、見るものすべてが珍しいらしくて、あちこち駆け回って笑い声を上げていた。無邪気な子供たちの様子は、そこだけまるで平和な風景を切り取って貼り付けたように見えて、緊張した空気をふっとやわらげてくれていたの。
「聖櫃の巫女はまだ戻ってないんだけど、さっき守護の巫女が守りの長老の宿舎に戻ってきたよ。オレはちょっとだけ顔を出してきたけど、影がどこに潜んでるかもまだ見つからなくて、現状にほとんど動きはないみたいだった。それから運命の巫女と神託の巫女が揃って長老宿舎へ入っていって、それきりまだ出てきてないんだ。よかったらオレ、もう1度行ってみるけど」
 タキは、あたしが祈りを捧げている間も、本当に忠実に役目を果たしてくれてるみたいだった。
「あたしも行くわ。運命の巫女の予言が気になってたところだったの」
「疲れてない? 災厄は今日だけじゃ終わらないんだから、今からあんまり無理をしない方がいいよ。そのためにオレがいるんだから」
「タキもよ。あんまり無理はしないで。これから先、あたしはタキがいなかったらものすごく困ってしまうんだから」
 けっきょく2人とも行くことになって、守りの長老宿舎の扉前まできたの。中からは話し声が聞こえていたんだけど、タキが扉をノックすると不意に静かになる。そのままタキが扉を開けて、中を覗きこんでちょっと驚いた。中には守りの長老、守護の巫女、運命の巫女、神託の巫女と、それぞれの巫女の担当になっている神官がいたのだけど、みんなびっくりしたようにあたしを見つめていたから。
「……祈りの巫女、祈りが終わったのね。お疲れ様」
 守護の巫女がそう言って作り笑いを浮かべる。まるで、内緒話を見つかって、それを必死でごまかそうとしているみたい。
「あの、……ごめんなさい。なにか大切な話の途中だったのね。また出直してくるわ」
 あたしが言うと、守護の巫女はふと姿勢を正して、今度は作り笑いじゃない本物の笑顔を見せて言った。
「いいえ、ちょうどよかったわ。祈りの巫女にも話しておかなければならないことだから」
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真・祈りの巫女59
 もしかしたら、神殿で葬儀を行わなかった理由の中には、聖櫃の巫女があたしや運命の巫女の邪魔をしないようにという配慮もあったのかもしれない。だって、運命の巫女は既に5回も未来を見るために神殿を訪れて、あたしも今回で4度目だったから。タキが調べてきてくれた人の名前は20人を超えていたから、あたしはその1人1人について神様に祈りを捧げて、ライのことをもう1度祈って、最後に村の災厄が早く終わるように祈ったの。運命の巫女は既に今夜影が現われることを予言している。それを変えることはできないかもしれないけれど、それを最期にこの災厄を終わらせることはできるかもしれないから。
 人を癒す祈りは、祈ってすぐに効果が現われる訳じゃない。でも癒しの速さを増すことならできる。今の神様の気配は、自分自身を必死で励ますあたしの決意を映して、あたしに諦めるなと言ってくれているみたいだった。
 かなり長い時間を祈ることに費やしてしまったから、扉を出ると既に日が傾きかけていた。神殿前にはたくさんの村人たちが集まっているみたい。石段を降りていくと、あたしに気付いて人ごみの中からタキが駆け寄ってきたの。
「祈りの巫女、お疲れ様。さっきガラス職人のオキが山を降りていったところなんだ。確か祈りの巫女の父親だよね」
 あたしはちょっと驚いてしまった。父さまが神殿にきてたの?
「そうよ。でもどうして?」
「工房で作った品物を避難させにきたんだよ。少し待っててくれるように言ったんだけどね。仕事の邪魔をしちゃいけないからって、すぐに帰っていった。今からだともう追いつかないかな」
 タキの様子であたしは、タキがあたしと父さまをなんとか会わせようと力を尽くしてくれたことを知った。
「ありがとう、タキ。でもいいわ。父さまも仕事中だもの。本当にありがとう」
「いいの? だってこれからまたいつ会えるか判らないよ」
「父さまがあたしと会わないことに決めたんだもの。それでいいのよ。本当にありがとう、タキ」
「……オレがもうちょっと引き止められたらよかったんだけどな」
 タキはすごく残念そうで、あたしも残念に思ったけど、でもそれも仕事に厳しい父さまらしと思ったの。
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真・祈りの巫女58
 タキと一緒に神殿に戻ると、扉の前にはまたセトが立っていたんだ。タキと書庫で話していた時間はそれほど長くなかったから、このわずかな間に運命の巫女がやってきたことになる。
「偶然ねセト。今日2回目だわ」
「いや、偶然でもないんだ。さっき祈りの巫女がここを出て行くのが見えたから、また運命の巫女が未来を見るって言ってね。今日だけで5回目だよ。さすがに心配だな」
「未来が見えないの?」
「家が影に襲われる場面は見えるらしいけど、場所がはっきり判らないんだ。祈りの巫女は? また村の人のことを祈りにきたのかい?」
「ええ、タキが被害に遭った人たちの家族の名前を調べてきてくれたの。それと、ライのことを」
「ライか。……運命の巫女にとっても他人事じゃないんだ。彼女の足も、子供の頃の怪我が原因だって聞いた」
 そういえば、運命の巫女もほんの少し足を引きずって歩く。運命の巫女もつらいことがたくさんあって、それを乗り越えてきた人なのかもしれない。
 それほど待つこともなくて、やがて運命の巫女は神殿から出てきた。運命の巫女は朝会ったときよりも更に憔悴して見えて、あたしもセトと同じように少し心配になってきたの。
「運命の巫女、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。心配は要らないわ。……セト、神託の巫女はどこにいるかしら。確かめたいことがあるの」
 運命の巫女はどこか上の空で、声をかけたのが誰なのかも判ってないみたいだった。
「たぶん、宿舎か書庫の方か……」
「書庫にはいなかったわ。あたしたち、今書庫から出てきたばかりだから」
「それじゃ宿舎の方かもしれないな。ありがとう祈りの巫女。……運命の巫女、段差に気をつけて」
 セトに支えられて石段を降りていく運命の巫女を見送りながら、あたしは彼女が見た未来のことが気になって仕方がなかった。
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真・祈りの巫女57
 もしも影の本当の名前が判れば、あたしの祈りが神様に通じる限り、影を追い払うことができる。例えば昔の文献にその姿と名前が記してあったとしたら、あたしはすぐにでも影を追い払う祈りができるんだ。でも、この村の人はたぶん、影を1度も見たことはない。だから影の本当の名前を知ることはできないんだ。
 だけど、たとえ本当の名前じゃなくても、みんなが一目見てふさわしいと思える名前なら、あたしの祈りは通じるかもしれないの。だって、どんな生き物だって最初は名前がないんだもん。人間だってそう。親は産まれた子供に新しい名前をつけて、周りの人たちが名前と子供の姿を一致させて、それで初めてその子はその名前を持った人間になるんだ。
「影の本当の名前か。……オレが姿を見ることができたら、書庫にある本をぜんぶ漁ってでも探すんだけど」
「本当の名前じゃなくてもいいの。ううん、本当の名前がいちばんいいのだけど、例えば村の人たちがそれを見て、ごく自然に呼び始めた名前とか。ただの影や、災厄や、適当な名前ではダメなの。その姿に近ければ近いほど、あたしの祈りは神様に届きやすくなるの」
 タキは腕を組んで考え込んでしまった。
「うーん、適当に名づけた名前じゃなくて、その影にいちばんふさわしい名前か。……とりあえず誰か1人でもちゃんと姿を見ないことには、どうにもなりそうにないな」
 影はまた今夜現われる。でも月明かりしかない夜では、昨日と同じように誰もはっきりとその姿を見ることはできないだろう。
「難しいのは判ってるわ。今すぐじゃなくてもいいの。もしも村の人たちが自然に影の名前を呼び始めたら、すぐにあたしに知らせて。それまでは名前のことは誰にも話さなくていいわ。……守護の巫女にも内緒にしておいて欲しいの。きっとこのことを知ったら、守護の巫女はあたしのために早く名前をつけようとしてしまうから」
 もしかしたらあたしは、このことをタキにも話すべきじゃなかったのかもしれない。一瞬だけそう思ったけれど、でもタキはあたしが言ったことをすごく正確に理解してくれたんだ。
「判ったよ。オレは誰にもそれを話さないで、もしも自然に出てきた名前があったら、その名前をいち早く祈りの巫女に知らせる。同時に、村の人が見た影の姿がどんなだったか、その情報を集める。それでいいんだね」
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真・祈りの巫女56
 今回の災厄で死んだ人の中にも、子供が何人か混じってた。子供が死んで親が助かった家もあった。子供が死ぬのはすごく悲しいもの。もしも子供だけでも避難させられたら、親はどれだけ安心できるだろう。
「その避難所には何人くらい入れるの?」
「大人だと12、3人で、子供で20人くらいかな。今は村の西側にある家の子供たちを優先的に入れることになってるみたいだよ。でも明日からはたぶん、きこり以外の人たちも避難所作りを手伝ってくれるから、割と早いうちに村の子供たち全員避難できるようになるよ。まあ、守護の巫女が言ってたように、必ずしも神殿が安全な場所とは限らないけどね」
「……そうね」
 神殿が安全な場所だなんて保証はない。それに、村人全員が避難できる訳じゃないんだ。村の人たちにとっては、村は生活に必要な大切な場所。避難するだけではダメなんだ。影を追い払って、2度と村に近づかせないようにしなければならないんだ。
 あたしの祈りで、影を村から追い払うことができるのだろうか。
 それとも、リョウたち狩人が影を倒すことができる……?
「ねえ、タキ。村の人たちは影がどんな姿だって言ってた?」
 タキはちょっと不思議そうにあたしを見た。
「どんな、って。……守護の巫女が言ってた通りだよ。夜明け前だったから誰も姿は判らない。影のようなものしか見えなかったって」
「何かに似ていたとか、そういうのはない? 例えばムカデを大きくしたように見えたとか」
「いや、たぶんムカデには見えなかったと思う。なにしろ大きくて、そういえばどこが頭でどこが尻尾なのかがよく判らなかったようなことは言ってたよ。とにかく大きいとしか。……それがどうしたの?」
「あのね、その影を見た誰かに、影にふさわしい名前をつけて欲しいの。大きなムカデに見えたのなら大ムカデとか」
 タキはあたしがムカデをしつこく例に出す理由が判っていなかったんだろう。首をかしげる仕草をした。
「前にも言ったわよね。あたしが祈るためには、名前が必要なの。誰が見ても納得できるような名前か、影の本当の名前が」
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真・祈りの巫女55
「祈りの巫女は残念に思うかもしれないけど、亡骸がもう普通じゃないから、会わないでいてあげた方がマイラにとってもいいことだと思うよ。それに……君は聖櫃の巫女じゃない、祈りの巫女なんだ。たとえ親しくしていた人の葬儀でも、こんな時に神殿を空けてまで参列するのは難しいよ」
 あたし、自分でも判っていたことだったけど、タキに言われて改めて自分の責任を思い知らされた気がした。あたしはショックだったけど、だからこそタキだってすごく言いづらかったはずなんだ。それなのにタキははっきり言ってくれた。リョウはタキにやきもちをやくけど、あたしはタキのような人も大切にしなければいけないんだ。
「ごめんなさい、タキ」
「いいよ。気持ちは判るから。今が非常事態だってことで、神殿の決まりもいろいろ変わってきてる。村でも今日は日常の仕事をしている人はあまりいなかったよ。食料や日用品を扱ってる人たちは荷造りを始めていて、たぶん今日の夕方には貯蔵庫に収めにくると思う。運命の巫女が今夜また影が襲ってくる予言をしたから、協力して壊れた家の廃材を集めて西の森の入口に囲いを作ってるんだ。あと、村のあちこちに見張りのやぐらを立てたりね。村のみんなも頑張ってるよ」
 そうか、災厄と戦ってるのは、神殿やリョウたち狩人だけじゃないんだ。村のみんなも自分ができることを精一杯やってる。あたしは独りじゃないんだ。それが判っただけでも、タキに村へ行ってもらってよかったと思ったの。
「それとさっき聞いたんだけど、広場の避難所はとりあえず今日中に1棟完成するらしいよ。これ、ベッドが作ってなくて、その代わりに床をしっかり作ってあるから、隙間なく布団を敷いてその上にみんなで寝るんだって。部屋がないらしいんだ」
 タキの言うことは不思議で、あたしにはぜんぜん想像がつかなかった。
「……部屋がないの? ベッドも?」
「そう。本当に寝るためだけの建物なんだって。建物1つが大きなベッドになる感じかな。オレにもあんまりよく判らないけど、誰かが昔の書物から図面を引っ張り出してきたらしい。布団が揃うのが今日の夕方で、でも今回家を失った人はみんな自分で行き先を決められたみたいだから、最初に入るのは村の子供たちになりそうだって言ってた。ひとまず子供だけ先に避難させておくつもりらしいよ」
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真・祈りの巫女54
 宿舎の神官はみんな忙しくて、それでも断片的に話を聞いたところ、今は守護の巫女と聖櫃の巫女が村に降りているらしかった。普通の時なら、村の人が死ぬと亡骸を神殿に運んで葬儀をして、また村に戻って埋葬をする。でも今回はそこまで手間をかけられないんだ。日が落ちる前に村で葬儀をしてそのまま埋葬してしまうのだと、神官の1人は教えてくれた。
 タキが戻ってくるまでの間、あたしは神殿でライのために祈りを捧げていた。ライの苦痛を和らげて、災厄に砕かれてしまったライの足をできる限り元に戻してあげるために。
 祈りを終えて神殿の扉を出ると、村から戻ってきたタキが、あたしの祈りが終わるのを待っていてくれたんだ。
「お疲れ様、祈りの巫女」
「タキこそ疲れたでしょう? わがまま言ってごめんね。ちゃんとご飯食べた?」
「ご飯? ……ああ、実家に寄って食べてきたよ。ついでにいろいろ話もできたからちょうどよかった。これ、頼まれてた名前」
 そう言って、タキはあたしに1枚の紙を渡してくれたの。その中には、人の名前のほかに亡くなった人との関係なんかがびっしりと書き込まれていたんだ。
「ありがとう。これからさっそく祈るわ」
「少し休んでからの方がいいよ。オレも村で聞いてきたことがあるから、休憩しながら少し話をしよう」
 タキが案内してくれたのは、神殿の下にある書庫の作業場の1室だった。ここで作業する神官はいつもは10人前後いるのだけど、今日は日常の仕事はぜんぶお預けになってるから、書庫の方に2、3人が出入りしているだけで静かだった。
 タキが話し始めるよりも早く、あたしは切り出していた。
「マイラたちのお葬式が村で執り行われるって聞いたわ」
「ああ、もうそろそろ始まる頃じゃないかな。なにしろ今回は1度に12人も亡くなって、棺を神殿に運び上げているだけの余裕がないからね。それに、亡骸の損傷がかなり激しいんだ。夏の最中だし、早く埋葬してあげないとかわいそうだから」
「あたし、マイラに会いたいの。マイラに最期のお別れをすることはできない?」
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真・祈りの巫女53
 あたしを見つめて、ふと何かに気がついたように、ライは泣き始めた。すごく大きな声を上げて、動かない身体を捩るようにしながら。理屈もなにもなく、あたしはライの心の動きが判ったような気がしたの。ライはしゃべれないから、もしかしたら違うのかもしれないけど、あたしには確かにライの気持ちが伝わってきたんだ。
 今まで、ライはずっと現実じゃないところにいたんだ。まわりは知らない大人ばかり。身体が痛くて、動くこともできなくて、そんなライをいつも助けてくれるマイラはどこにもいなくて。小さなライはきっと、夢と現実の区別がついていなかったんだと思う。悪夢を見て泣いていたら、マイラはそっとライを抱きしめて、悪夢の中から救ってあげていたのだろう。
 ライはあたしの顔を見て、これが現実だってことを知ったんだ。いつもライの現実の中にいたあたしがここにいたから。それと同時に、いつも助けてくれるマイラやベイクが、既にライの傍にはいないんだってことが判ったの。もう2度と現われることがないんだって。だって、こんな現実に放り出したまま、2人がどこかに行ってしまうなんてこと、ライは今まで経験したことがなかったんだから。
 小さなライを抱きしめてあげたかった。だけど、全身包帯だらけのライはあまりに痛々しくて、触れたら壊してしまいそうで、あたしにはどうすることもできなかった。
「これだから、子供は侮れないだろう? まだ大人みたいに自分をごまかすことを知らないからね。衝撃がぜんぶそのまま傷になっちまう。……でも、大丈夫だよ。この子は強くならなければ生きられない子だから、ちゃんと乗り越えられるから」
 そう言ったローグにも、あたしが感じたライの心の動きは伝わっていたみたいだった。
「強くなければ、生きられない子……?」
「そう。神様がたくさんの試練を与える子は、生まれながらにしてそれを乗り越える力を持ってるんだ。ライは強くなるよ。……祈りの巫女、君もね」
 神様は、乗り越えられない試練を与えたりはしない。それは、昔リョウがあたしに言ってくれた言葉でもあったんだ。
「ライは必ず歩けるようになるわ。お願い、ローグもそう信じていて」
 ローグの微笑みに見送られながらあたしはライの病室を出て、廊下で誰にも気付かれないように、そっと髪飾りに触れた。
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真・祈りの巫女52
 マイラの家は影に壊されて、そのあと影がマイラの家を乗り越えたんだって、あたしは守護の巫女に聞いた。リョウは足跡を見て、影はものすごく体重が重いって言ってた。ふつうのベッドは底があいた箱のようなもので、女性1人の力じゃぜったい動かせないくらいしっかり作ってある。だから影の重さでも完全には壊れなかったんだ。マイラはそれを1人で持ち上げて、ライをその下に隠したの……?
「祈りの巫女、人間はいざとなると、普段では想像もできないようなことをやり遂げることができるんだ。こういうのを奇跡というんだろうね。マイラはライに、母親として精一杯の事をしたと思うよ。だから、あとはライが自分の力で乗り越えていかなければならないんだ」
 あたしはもう何も言えなくて、ローグの淡々とした声を聞いているだけだった。
「あんな小さな子には酷な話だね。……祈りの巫女、このままライに会わずに帰ったとしても、だれも君を責めたりしないよ」
 ローグには、あたしの心が震えていることが判ったのだろう。ここにくるまであたしは何も考えてなかった。ただ、あの小さなライに会いたいって、それだけだった。痛みを堪えるライを少しでも慰められたら、って……。あたしには、ライの痛みなんてぜんぜん判らないのに。
 ライは一生歩けないかもしれない。ライにそんな苦しみを与えたのは、ライを産み出したあたしなんだ。マイラは母親として精一杯のことをライにしてあげた。あたしだって、ライにできる限りのことをしてあげなければいけないよ。
 あたしがライにできるのは、ライのために祈ることだけ。
「ローグ、部屋に入っても平気?」
 ローグはにっこり笑ってあたしを部屋へ導いてくれた。
  ―― ベッドの上のライは痛み止めで少し落ち着いたみたい。目尻に涙の名残は浮かべていたけれど、もう声を上げてはいなかった。視線を泳がせていたライに近づいて覗き込むと、ライはあたしを見つけたみたい。しばらくじっと見つめていて、やがて静かに目を見開いていく。あたしはなんとか微笑みを浮かべることができて……。
 その時、ライは再び目に涙を滲ませて、まるで火がついたように大きな声で泣き始めたの。
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真・祈りの巫女51
 神官のローグはもう壮年と言っていい年齢だったけど、なぜか独身のままで、ずっとこの共同宿舎に住んでいる。怪我や病気のことにすごく詳しかったから、神殿のみんなに頼りにされてるんだ。でも、ローグ自身もあまり身体が強い方じゃないらしくて、山道を降りることは無理みたい。ずっと結婚しないでいたのもそんな理由があったからなのかもしれない。
 ライの治療を終えたローグは、あたしを部屋から廊下へ連れ出していた。
「ライはどうなの? あたしが会っちゃいけないくらいひどいの?」
 たぶん、村にも怪我を治療できる神官は降りてるはずなんだ。それなのにライがローグのところに運ばれてきたってことは、きっと下では治療できないくらい、ひどい怪我だってことだから。
 そんなあたしを安心させるように、ローグはにっこり笑ったの。
「大丈夫だよ、祈りの巫女。命に別状はないから会うこともできる。ただ……怪我の状態についてはまだ本人に聞かれたくなくてね」
「本人に、って……。ライはまだ話ができないのよ」
「子供は大人の話を理解できるよ。あんまり甘く見ないことだ。 ―― リド、痛み止めの量は大人の4分の1だからね」
 ちょうど薬を持って通りかかったリドにそう伝えて、ローグはまたあたしに向き直った。
「全身の擦り傷はたいしたことなくて、内臓にも異常はない。ただ、右足がひどい。ベッドの下敷きになったらしくて骨が砕けてるんだ。このままだと一生自分の足で立って歩くことは難しいな」
 ローグの口調はそれまでとほとんど変わらなくて、言われた言葉の内容とのギャップがありすぎて、あたしはすぐに理解することができなかった。
「……ベッドの下敷き……?」
「これは聞いてなかったかな。ライは寝室のベッドの下にいたんだよ。もちろん自分で入り込んだ訳がないから、おそらく異変を感じたマイラがとっさにベッドを持ち上げて、その下にライを放り込んだんだ。本能的な行動だったんだろうな。家は影に踏み潰されてしまって、完全に崩れ落ちたけど、ベッドの下にだけはわずかな空間があったんだ。だからライは助かったんだよ」
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真・祈りの巫女50
 少しだけ眠って、目が覚めた時、あたしは祈りの巫女に戻っていた。勉強部屋の窓から差し込む光の角度で、既に午後になっていることが判る。1度自分の部屋に戻って髪を直して、リョウからもらった髪飾りをつける。そう、リョウはいつでもここにいるんだ。あたしの髪をなでて、ユーナ頑張れ、って言ってくれるの。
 宿舎の扉を出て、見知った顔を探しながら神殿前広場にくる。お昼寝の前に見たときには土台しかできてなかった小屋は、あたしが眠っていたわずかな間にほとんど完成したんじゃないかってくらい出来上がっていたの。この分だと今日中に1つは完成しそう。きこりのみんなは、家を失った人たちができるだけ早く快適に過ごせるように、すごく頑張ってくれているんだ。
 あたしはタキを探しに神官の共同宿舎へ行くと、扉の前でちょうど出てくるところだった神官と行きあった。
「あ、祈りの巫女、目が覚めたの?」
「ええ。タキを探しているの」
「タキはまだ戻ってないけど、ライが運ばれてきてるよ。中にいるからよかったら会っておいで。オレはこれから薬草を取りに行かなきゃならないから、一緒に行ってあげられないけど」
 ライがここにきてるんだ。あたしは神官にお礼を言って、開けてくれた扉から中に入った。宿舎の中は少しざわついていて、食堂で薬の調合をしていた神官のリドにライの居場所を聞いて、あたしは廊下を中へと進んでいく。行ってみたら場所を聞くまでもなかった。その部屋はドアが開いたままで、中からは神官たちの声と、ライの小さな泣き声が聞こえていたから。
「 ―― 痛いよなぁ、ライ。だけどもうちょっとで終わるからなー。あと少しだけ我慢しろよ。男の子だろう?」
 中には3人の神官がいて、そのうちの1人がライを励ましながら治療をしていたみたいだった。入口近くにいた神官があたしに気付いて会釈してくれる。治療が終わるまでは邪魔をしないように、あたしはうしろから静かに見守っていたの。
 やがて、治療をしていた神官が立ち上がって、それを合図に入口にいた神官が近づいていって、あたしのことを知らせてくれたみたい。振り返った神官はあたしに微笑んで、ハンカチで手を拭きながら近づいてきた。
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真・祈りの巫女49
「ユーナ、……オレのユーナ」
 耳元、すごく小さな声でリョウはささやいている。優しくて、気持ちよくて、なんだか眠くなってくるみたい。そういえばあたし、昨日はほとんど寝てなかったんだ。自分の名前はすごく耳に心地よくて、それだけで子守唄を聞いているような気分になるの。
「ユーナ、オレがいなくても、他の男と浮気するんじゃないぞ」
 そんなことしないもん。声を出して返事をしようと思ったけど、なんだかうまく伝わる気がしなくて、あたしはわずかにうなずくことで答えた。
「どうしてかな。何回約束してもらっても安心できない。オレはいつも不安で、ユーナがどこかへ行っちまいそうで怖いんだ。ユーナに会うたびに怖くなる。嫌われてないか、もうオレのこと好きじゃなくなってるんじゃないかって」
 リョウ、どうしたの? 今日のリョウは本当に変だよ。なにをそんなに不安に思っているの? あたし、リョウを不安にさせるようなこと、今まで1度もしたつもりないのに。
 目を開けて、あたしに覆い被さるように頬を寄せていたリョウを、あたしは両手で抱きしめた。
「リョウ、大好き……」
 リョウはちょっと驚いた感じで身じろぎした。まるでこの一瞬、あたしがここにいるってことをリョウは忘れていたみたい。
「あたし今までたくさんリョウにそう言ったもん。でも、今のリョウがいちばん大好き。離れていて不安になったら思い出して。あたしが今までリョウに言ったたくさんの大好きと、今の大好きのこと。……あたしも思い出すから。リョウがくれたたくさんのキスと、こうして抱きしめてくれた腕のこと」
 言葉の途中から、リョウはあたしを抱きしめて、首筋に顔をうずめていた。リョウが不安に思っていることをぜんぶ受け止められたらいい。きっとリョウにはたくさんの不安があって、あたしに見せてくれるのはそのうちのほんの一握りにしか過ぎないと思うから。
 これからずっと、リョウのことを抱きしめてあげたい。怖いことなんかなにもないよ、って。
 リョウがかわいくて、愛しくて、まるで大きな子供を持った母親のように、あたしはリョウを抱きしめていた。
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真・祈りの巫女48
 あたしの宿舎は部屋が3つあって、それぞれの部屋にベッドが合計4つ置いてある。1つはあたしがふだん寝起きしている部屋で、1つはあたしが勉強に使っている部屋。その2つの部屋には1つずつのベッドがあって、カーヤが使っている部屋にだけ2つのベッドが置いてあるんだ。これから先、あたしの世話係の人数が増えたり、若い巫女が修行にきたりしたときには、空いているベッドがいつでも使えるようにしてあるの。今回リョウがあたしを連れてきたのは、勉強部屋にある方のベッドだった。
「どうして? あたしの部屋は隣なのよ」
「ここじゃ眠れない?」
「ううん、そんなことないわ。遅くまで勉強した時はズルしてここで寝ちゃうこともあるから」
「だったらいいだろ? ……オレもね、ユーナの生活空間ていうか、直接そういうところに入るのにはちょっとだけ抵抗があるんだ。まかり間違って変な気を起こさないとも限らない」
 なんだか今日のリョウは本当にいつもと違っていて、あたしは驚くと同時に少し嬉しかった。今が非常事態だからなのかな。リョウは少しだけ興奮していて、だから無意識のうちにふだんと違う行動を取ってるのかもしれない。
 いつもよりも素直なリョウは嬉しくて、ちょっとかわいくて、だからリョウの言う通りあたしはベッドにもぐりこんでいた。
「ねえ、リョウ。あたしが眠れなかったら、リョウはずっとここにいてくれるの?」
 リョウはあたしの勉強机から椅子を引いてきて、枕もとに座ってあたしの顔を覗き込んでいる。リョウの表情は優しくて、でも少しだけ戸惑っているようにも見えた。
「ずっと一緒にいたいけどね。でも、約束してるから行くよ。ごめんね、ユーナ」
「ううん、リョウは悪くない。リョウのことをみんな頼りにしてるんだもん。あたしが独り占めしちゃいけないんだ」
「ユーナ、目を閉じて」
 あたしが言われたとおりに目を閉じると、リョウはそっと近づいてきて、まぶたにキスをした。それから頬に触れて、そっと、唇にキス。リョウの息が近すぎて、ちょっとドキドキして、あたしは上手に呼吸することができなかった。
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真・祈りの巫女47
 父さまはちゃんと判ってくれてる。あたしは祈りの巫女だから、村のことをいちばんに考えなければいけないんだって事。あたしの実家は西の森からは少し離れていて、通りからも少し奥まってるから、今回のような災厄ではそれほど危険な場所じゃない。それでもやっぱり心配だもの。もしもあの影が空を飛ぶような生き物だったら、どこに住んでいても危険に違いはないかもしれないんだ。
「……判ったわ。これから父さまに会うことがあったらそう伝えて」
「必ず伝える。……そういえばオミがね、父さんと母さんのことはオレに任せとけ、って。けっこう生意気なこと言ってたよ」
 あたし、そう言ったオミの得意そうな顔を想像して、ちょっと吹き出しちゃったよ。
「オミが? あの子頼りになるの?」
「まあ、小さくても男だからな、あいつは。今でも気持ちだけは一人前なんだ。……もっと大人になると判る。そのうちそんなセリフは軽々しく口にできなくなるよ」
 オミの話をしながら、リョウは自分のことを言っているのかもしれないって、あたしは思ったの。だけど、あとから思えばそれであたしはごまかされてしまったんだ。このとき、あたしはもっとリョウを追及して、父さまと交わした会話のことをきちんと訊くべきだったって。リョウがあたしに言いづらい何かを隠してるって、あたしはちゃんと感じていたのに。
「ユーナ、食事はもういいの? ちゃんと食べないとこれから先持たないよ」
 リョウに言われて、あたしは残っていた食事を何とか詰め込んだ。食事が終わったらリョウはきっと出かけてしまうから、できるだけゆっくり、でもリョウを心配させないようにできるだけ早く。
「リョウは? もう行っちゃうの?」
「ユーナが眠ったらね。カーヤに言われてるんだ。ユーナを寝かしつけるように、って」
「寝かしつける、って。あたし眠くなんかないよ。それに、あたしはもう子供じゃないもん。そんな言い方しないで!」
 リョウは笑いながら、でも半ば強引に、あたしをベッドまで引っ張っていってしまったの。
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真・祈りの巫女46
「その足跡の1つ1つもけっこう深く掘り込まれてるから、体重はかなり重い獣だ。オレは大きなムカデみたいな生き物を連想したけど、目撃した人の話だとムカデよりずっと背が高くて、身体もムカデほど長くない。すごく大きな唸り声を上げて、通ったあとに変な匂いが残ってたらしいよ。オレが行ったときにはその匂いはなくなってたけどね」
 リョウは手振りを交えてそう話してくれたのだけど、あたしにはその足跡すら想像することができなかった。
「今までそんな足跡を村の周りで見たことはなかったんでしょう? その獣はいったいどこから来たの?」
「足跡は西の森から現われて西の森に消えてる。沼のあたりで途切れてるから、最初は沼から出てきたのかと思ったんだ。だけど、それだけ大きな獣が沼から出てきたとしたらあたりが沼の水で濡れるはずなのに、下草は踏み潰されてるけどぜんぜん濡れてないんだ。まるで空中から現われて空中へ消えたみたいに。そんな重い獣が羽を持って空を飛ぶとは思えないから不思議なんだけど」
 守護の巫女の話を聞いたときにも思ったけど、今回現われた獣は、あたしたちの常識からものすごくかけ離れた生き物みたい。守護の巫女が影と言ったのも判る気がするよ。本当に、影みたいに現われて、影みたいにいなくなっちゃったんだ。
「リョウ、影は今夜もう1度現われるの。さっき運命の巫女がそう予言したのを聞いたわ」
「オレも聞いたよ。場所は判らないみたいだから、今夜は狩人が村のあちこちに散らばって見張りをすることになってるんだ。影が現われたら村の人を家から遠ざければ、家をつぶされても命を助けることはできるからね」
 そう、か。影は人を襲わなかったから、家から離れさえすれば命だけは助かるもの。
 リョウが意外に落ち着いて見えるのは、そうやってちゃんと次の手段を考えていたからなんだ。
「それからね、ユーナ。……オレは朝のうちにオキに会ってきたよ」
「父さまに?」
 リョウはちょっとだけ言いづらそうに表情を硬くした。
「今夜は約束を守れなさそうだから、そのお詫びにね。……オキは、ユーナのことを頼む、ってオレに言ってた。ユーナには、家のことは心配しないで、村のことを1番に考えなさい、って」
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真・祈りの巫女45
 リョウの言葉であたしも気付いた。そうか、リョウは村の狩人だから、影の正体を探るためにまた村に降りなければいけないんだ。今別れたら、今度いつ会えるのかなんて判らない。本当は今ごろはもう村へ行ってなければならなくて、でもだからこそカーヤはリョウを引き止めて、あたしとリョウを会わせてくれたんだ。
「リョウ、……これから村へ行くの?」
 あたし、もしかしたらちょっと不安な顔をしていたのかな。リョウは我に返ったみたいにあたしの顔を見つめて、微笑んだの。
「マイラを殺した影を探しにね。うまく狩れるかどうかは判らないけど、せめて居場所だけでも判ってないと、村の人たちは安心して眠れないから」
 村の安全を守るのも、リョウたち狩人の大切な役目なんだ。普通の獣だったらリョウはぜったい負けたりしないって信じてるけど、家を押しつぶすくらい大きな獣なんて、狩人が何人いても狩れるかどうかなんか判らないよ。
「リョウ、お願いだから無理はしないで」
「正体も判らないうちからそうそう無茶はしないよ。昨日出た影は1匹だけみたいだし、今は村人を襲ったりもしていないようだから、居場所を探して警戒するくらいかな。心配しなくても大丈夫だよ」
 リョウはそう言ったけど、あたしは心配で、知らず知らずのうちにリョウの袖を掴んでた。今この手を離したら、リョウと2度と会えない気がして。
「今朝オレは夜明け前に起きたから、村に起こったことをぜんぜん知らなかったんだけど、昨日仕掛けた罠を見て1度戻った時に騒ぎを聞いてね。影の足跡も見てきたよ。ユーナはどんな足跡だったか聞いてる?」
 あたしの顔を覗き込んで、微笑みながらリョウは話し始めたの。そんなリョウはちょっとだけ興奮気味で、でも気負いはなくて、まるで日常の狩りの話をしている時みたい。あたしは返事をしなかったのに、リョウは勝手に解釈して続きを始めたの。
「かなり大きな獣なのは間違いないんだ。道の幅くらいの横幅で、遠くから見ると肩幅くらいで2本、引きずったような足跡がずっと続いていて、でも近くで見ると引きずった跡じゃないんだ。細かい足がいくつもあって、同じ間隔でちょこちょこ歩いたみたいに見える」
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真・祈りの巫女44
「リョウ、タキにやきもちやいてるの?」
 どちらともなく食事を始めながら、あたしはリョウに言った。
「悪いか? 独り身の神官なんかユーナに近づけたくない。そいつ、変えられないのか?」
「無理よ。名乗り出てくれたのはタキだけど、決めたのは守護の巫女だもん」
「名乗り出たって……。やっぱりそいつユーナのこと……!」
 リョウは本気でそんなことを言っていて、あたしちょっとびっくりしちゃったよ。だって、今は村の非常時で、これから先どんな災厄がくるのかぜんぜん判らないのに、リョウが考えてるのは現状にまったくそぐわないことだったんだもん。
「タキはこんな時にそんなこと考えたりしてないよ。それにタキはあたしの事なんかなんとも思ってないと思うし」
「いや、男の考えることなんか誰だろうが大差ない。ユーナ、誰もいない狭いところでそいつと2人っきりになったりしちゃ、ぜったいダメだからな!」
 最近になって判ってきたことなんだけど、リョウはけっこう嫉妬深いみたい。でも、いつもはこんなにはっきり口に出したりしないんだ。なんとなく機嫌が悪くなって、あたしが気付いてどうしてだろうって考えると、そのときの話題がタキや村の男の人のことだったりする。いつもと違うリョウに戸惑って、だからあたし、他のことはもう何にも考えられなかった。村の災厄のことも、マイラのこともぜんぶ忘れて、リョウをなだめるだけになっちゃったんだ。
「あたしとリョウが恋人だって、タキは知ってるもん。2人でいたって何もないよ。ずいぶん前も書庫で過ごしたけど変なことはぜんぜんなかったわ」
「そいつがユーナにだけ親切なのが気に入らない」
「タキは誰にでも親切よ。あたしにだけじゃないもん」
「ユーナがそうだから心配なんじゃないか。おまえはぜんぜん判ってない。これからオレはまたユーナの傍にいられなくなって、そいつがずっと傍にいるようになって、それがどんなに心配なことか」
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真・祈りの巫女43
 マイラのためにたくさん泣いた。
 あたしがシュウを死なせてしまったせいで、たくさんの悲しみを背負ってしまったマイラのために。
 マイラ、あなたは本当にあたしを許してくれていたの?
 シュウ、あなたは本当に、あたしを許してくれていたの……?

 リョウの胸を涙でぐっしょり濡らして、リョウが貸してくれたハンカチで鼻をかんで、台所で顔を洗ってようやく落ち着いてきた。カーヤが言っていた通りテーブルには朝食の用意がしてあって、あたしの席とリョウの席に一人前ずつ置いてある。お腹は空いているはずだけど、なんだか胸がいっぱいで食べられる気がしなかった。あたしが泣いている間ずっと立ったままだったリョウも、顔を洗って戻るとあたしを椅子に促して自分も椅子に腰掛けていた。
「カーヤが神殿の炊き出しからオレの分も用意してくれたんだ。ユーナも朝食はまだだろう?」
「……炊き出し?」
「ああ。今神殿にはたくさん人が出入りしていて、神官のほとんどは自分の食事を用意する暇もなく働いてるから、巫女が協力していつでも誰でも食べられるように炊き出ししてくれてるんだ。ほら、小屋を作ってるきこりたちにも」
 そうか、あたしにはタキが専門についてくれたから、カーヤはあたしの世話をする代わりにそっちの仕事を任されたんだ。
「タキはどうしたかな。さっき村へ行ってくれるように頼んじゃったの」
「自分の食事の世話くらいできないような男は男じゃない。炊き出しはここだけじゃないからどこかで勝手に食べてるだろ。……ユーナ、オレと一緒にいるときは他の男のことは考えるなよ」
 リョウはちょっと乱暴にあたしの髪をかき混ぜて、拗ねたみたいに視線を外してしまった。あたし、リョウがすごくかわいく見えて、思わず笑顔が漏れていたの。それで気がついた。たくさんの悲しみがあって、たくさん泣いたけど、リョウがいるだけであたしは笑顔になれるんだ、って。
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真・祈りの巫女42
 カーヤに促されて宿舎の扉を開けると、テーブルの椅子に腰掛けていたリョウが振り返った。立ち上がったリョウはあたしに微笑みかけてくれる。その顔を見ただけで、あたしはなんだか胸がいっぱいになって、カーヤがそのまま出て行ってしまったことにも気がつかないくらいだったの。
「ユーナ……」
 リョウが広げた腕に飛び込んで、胸に顔をうずめて、あたしは込み上げてくる涙を抑えることができなくなっていった。優しく抱きしめてくれるリョウの腕に、今まで硬く閉ざしていた感情が溶かされていくみたい。自分でも訳が判らなくなるくらい泣きじゃくった。祈りの巫女の責任も、恥ずかしさも、何もかも忘れてリョウにすがりついていたの。
「マイラ……リョウ、マイラが……」
「ああ、判ってる」
「どうして……? だって、すごく、幸せだったのよ。昨日はあんなに幸せで……」
「ユーナ、……ユーナ!」
 リョウはずっとあたしを抱きしめていて、名前を呼びながら背中をなでてくれる。それだけであたしは安心して、まるで子供のように手放しで泣くことができたの。だって、あたしはマイラのために泣きたかったんだもん。ずっと我慢しながら笑ってた。そうしていなかったら、あたしは悲しみに押しつぶされてしまいそうだったから。
 今、リョウがここにいなかったら、あたしは泣けなかった。ただのユーナに戻れなかった。リョウ、今だけでいいから傍にいて。この扉を出たら、あたしはまた必ず祈りの巫女に戻るから。
「……リョウ、ごめんなさい」
 小さく呟いて顔を上げると、リョウはそっと近づいて、頬の涙にキスをした。
「オレが傍にいるときは我慢しなくていいよ。ここにいるユーナは祈りの巫女じゃない。たった1人、オレが愛する女だ」
 リョウの言葉を聞いて、あたしはまた再び涙が込み上げてきていた。
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