2000年03月の記事


只今帰りました
という訳で、今日は小説をアップできそうにありません。ゴメンナサイ。
黒澤は年度末の締めで果てました。
なぜか明日もお仕事ですが、何とかがんばって小説書きますね。

最近、持病の不眠症が復活しております。
この間セーラームーンの夢を見たからかな(笑)
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記憶・37
「うるせえ! 黙れって言ってんだ!」
 オレに腕があったなら奴を殴り倒していたところだ。身体があるなら、ぶるぶると怒りに震えていることだろう。聞いているだけでミオを穢している気がした。いわれのない汚名であることは判っていても、いや、本当はオレがそう信じているだけなのだ、というわずか1パーセントの汚点のようなものがオレの中に染み込んでしまった。こんなただの顔の言うことで自分の気持ちが揺れることが腹立たしかった。
「てめえはなーんにも知らねえんだよ。自分がどんだけあくどい事を重ねてきた社会のクズだったか、ってこともな。ほんっと、幸せな奴さ。何もかも思い出さねえでいられんだからな」
 しっかりしろ。これは夢だ。夢の中では願望も不安も全て実現する。こいつが口にしていることは全てオレの不安が生み出した幻想だ。ミオのことも、オレのことも、無意識のオレが不安に思っているからこそ、この男が口にするのだ。
 こいつはオレの無意識の恐怖を糧にして存在している。だとしたら、オレが自分の中の不安を消し去り、自分自身を信じることができれば、この顔は存在できなくなるはずだ。
「オレの悪事だと? そんなものがあるなら言えるはずだ。オレは今までどんな悪事を重ねてきた」
 男は無気味に笑っただけで何も言わなかった。
「それみろ。てめえにはオレの悪事なんて、ぜんぜん判っちゃいねえんだ。知ってたら言える筈だ。どうした。答えろよ」
 目を細めて、男は笑っていた。以前にも感じた男に対する恐怖が蘇る。この恐怖も全て幻想だ。こんな奴を恐れる必要なんて、オレにはない。
「ふふふ……。そんなに知りてえのか? だったら教えてやるよ。……お前は、**********だったんだ」
 男の言葉を聞き取ることができなかったのは、オレの無意識の恐怖か。
 その瞬間、オレは再び目を覚ましていた。
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記憶・36
 暗く、ぼんやりしたところを、オレは漂っていた。
 再びオレはここに戻ってきた。夢の中。オレの記憶が沈殿した無意識に通じる唯一の通り道。相変わらず右も左も判らなかったが、オレは自分が下だと思う方向に向かって、静かに移動してゆく。風景は変わらないから本当に移動しているのかどうかは定かでない。だが、この場所のどこかに、オレの記憶は眠っている。記憶の全貌を直接見ることができるとしたらここしかないとオレは思っていた。
 不意に、なんの前触れもなく、暗闇が揺れた。
 あいつがくる。オレに嘲笑を浴びせ、オレの神経のささくれを際立たせるために存在する、あいつが。
「よお、少しは何か思い出せたのかよ」
 靄のようなものから顔だけを出現させて、奴が言う。オレの悪意。オレの闇。奴に勝てなければオレは永遠に記憶を取り戻せない気がした。闇よりも強い光を持たなければ、オレはいずれ奴に飲み込まれてゆくだろう。
「オレの名前は伊佐巳だ。32歳になる。だからオレはてめえとは違う。てめえの名前を教えろ」
 奴の顔は、オレをバカにし切ったような歪んだ表情で笑った。
「お前はそれを思い出したんじゃねえ。あの女に聞いただけだ。あの女……ミオ、とか言ったな。誰にでも媚を売るあばずれ女だ」
 ミオのことを言われて、オレはカッと頭に血を上らせた。
「ミオはお前が気安くどうこう言えるような女の子じゃない! 訂正しろ!」
「必要ねえな。だいたいお前、あの女のこといったいどれだけ知ってるってんだよ。あの女が今まで何人の男とヨロシクやってきたか、どんなアブノーマルセックスしてきたか、てめえはなにを知ってんだよ。イった時の声なんかすげえぜ。こっちが白けちまうくらいな」
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記憶・35
「ねえ、伊佐巳。この紙をできるだけ無駄にしないようにたくさんの正方形にするとしたら、どうやって切ればいいかしら」
 まるでクイズを出された気分だった。オレは少し考えて、言った。
「この紙は短い方の長さを1とすると、長い方は1.414……になるから、整数比だとおよそ5:7になるんだ。だから、短い方を5分の1にして、長い方を7分の1にすれば、だいたいだけど正方形になると思うよ」
「1枚で35枚の正方形ができる、ってことね。だったら、正方形の紙を1000枚作ろうと思ったら、紙は何枚必要になる?」
「28枚で980枚できるから、あと1枚使えば1000枚になるかな。でも、どうして1000枚なんだ?」
「折鶴はね、1000羽作ると願いがかなうの。1枚1枚に想いを込めて、1000羽作って、糸で繋げてね、病気の人のお見舞いや、がんばっている人の応援の意味を込めてプレゼントするの。千羽鶴、って言うのよ。これから毎日少しずつ、千羽鶴を折っていかない? 伊佐巳の記憶が早く戻るように」
 ミオはオレを振り仰いで、いたわるように見つめながら言った。そうか、ミオも多分、願いを込めたいのだ。離れている父親が元気でいるように。1日でも早く父親に会えるように。
 鶴を折るだけでオレの記憶が戻るとは思えない。でも、それがミオの願いならば、オレはかなえてやりたいと思った。
「1000羽の鶴か。……気が遠くなりそうだ」
「そうかな。2人で1日10羽ずつ折れば、たったの50日で終わるのよ。けっして折れない数じゃないわ」
「そうだね」
 もしもこの鶴が1000羽になったとき、オレの記憶は戻るのだろうか。オレが生きてきた時間の全てを取り戻すことができるのだろうか。
 このときオレは、自分の記憶の中に潜む不吉な可能性については、まったく思いもしなかったのである。
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記憶・34
「初めて折ったんだもの。誰だって最初の鶴はこんなものよ。そんなに暗くならないで」
 オレの中にむくむくと悔しさが湧きあがってきた。ミオはあんなに簡単に折ることができたのに、倍の人生を生きているはずのオレが折った鶴はまるで幼稚園児のいたずらだ。ミオは32年も日本人をやっていて、折り紙を知らないのは恥ずかしいことだと言ったじゃないか。おそらく折り紙は日本人なら誰でもできることなのだ。誰でもできることがオレにできないなんで、オレのプライドが許さなかった。
「ミオ、オレはいったい何が悪かったんだ? どうしてこんなにミオと違ったものになったんだ?」
「そうね、一番大きいのは、角をちゃんと合わせてなかったことよ。角をきちんと合わせて、折り目をしっかりつければ、それだけでずいぶんきれいに見えるものよ」
「もう一度やってみる」
 オレは今度は自分で引き出しの中から紙を少し多めに持ってきた。今度は2枚重ねたりせず、最初に三角形に折ったあと、はみ出した部分を切り取って正方形にする。オレの記憶力は割にいい方らしく、折り方の順番は既に頭に入っていた。二つ目の鶴は、ミオが折った鶴にかなり近い形にまでなっていた。
「ほら見ろ。オレはやればできるんだ」
 なんだか得意になってオレは折ったばかりの鶴を目の前に掲げた。ミオはなにがおかしかったのか、くすりと笑った。
「さすが。伊佐巳の辞書に不可能はないわね」
「もう1つ折ればもっときれいにできるよ」
「でも、この大きさでこれ以上作るのはあんまりだわ。今度はもっと小さな紙で作らない?」
 確かに、オレが今折った鶴は羽を広げたサイズが30センチもありそうな、巨大なしろものだった。ミオが折った1羽とオレが折った2羽だけで、テーブルの上はほとんど占領されている。
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記憶・33
 ミオは立ち上がって、さっき紙を取り出した引出しから、同じ紙を2枚出して持ってきた。それらをテーブルの上に置く。折り紙というものは判らないが、そういうからにはこの紙を折って何かをするのだろう。オレが何も判らずにいると、ミオは言った。
「それじゃあ、伊佐巳。この2枚の紙を、それぞれ正方形に切ってください」
 まるで幼稚園児を扱うようだな。まあ、実際オレはほとんど生まれたばかりといってもいいくらいなのだけど。
 仕方がないので、オレは2枚の紙を互い違いに重ねて、はみ出した細長い部分に折り目をつけて切り取った。
 かなり大きな正方形の紙が二枚出来上がった。
「ありがとう。……では、まずはこの紙を三角形に折ってください」
 にこやかにミオは言い、2枚のうちの1枚で紙を折り始めた。オレもミオの真似をしてもう1枚の紙でミオの言う通りに折っていった。いったいこれでなにを作ろうというのか。オレはミオに聞いてみた。
「ミオ、先に教えてくれ。オレはなにを作ってるんだ?」
「その説明がまだだったわね。今作ってるのは折鶴よ。鶴」
 信じられなかった。この四角い紙が、本当に鶴になるというのだろうか。
「鶴、って、あの、飛んでる鶴だよね」
「そうね、飛んでる形に近いかしら。まあ、できてからのお楽しみよ」
 折り進むうち、最初は同じだった筈のオレとミオの紙は、だんだん別のものになっていった。ミオはものすごくきれいに作るのに、オレの紙は折れば折るほど変に歪んでいくのである。やがて完成することはしたが、オレが折ったものはほとんど紙のかたまりとしか思えなかった。ミオのはちゃんと鶴に見えるのに、オレのを見て鶴を連想する人間はいないだろう。
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記憶・32
 たぶんオレはこの一連の会話にうんざりしたような顔をしていたのだろう。気分を変えるように、ミオは明るい表情になって言った。
「なんだか頭が痛くなっちゃいそうね。……消灯が12時なら、あと2時間くらいか。ねえ、伊佐巳、何かゲームでもしましょうか」
 オレは驚いてミオを見た。ミオは父親と会うためにできるだけ早くオレの記憶を戻したいのだろう。ゲームなどで時間をつぶしていいのだろうか。
「今、この部屋にあるのは、紙と鉛筆くらいね。それだけで2人でできるゲーム、伊佐巳は知らない?」
 ああ、そうか。オレの記憶はどんなきっかけで戻るかは判らないのだ。ゲームをすることが無駄にならない可能性だってある。
 オレは紙と鉛筆でできそうなゲームを思い出そうとした。しかし、オレの中にもともとそういうデータがないのか、単にオレが思い出せないだけなのか、頭の中には何も浮かんで来なかった。
「知らない、らしいな」
「そう。……じゃあ、折り紙でもしない? さいわい紙ならたくさんあるの。千羽鶴だって折れそうなくらい」
 折り紙……と聞いても、オレにはそれがなんなのかまったく判らなかった。
「折り紙、って?」
 今度はミオのほうが驚いた顔をした。
「折り紙を知らない? 伊佐巳、あなたいったいなに人なの?」
「日本人……だと思うけど」
「32年間も日本人をやってきて、折り紙を知らないなんて、ものすごく恥ずかしいことよ! ……決めた。あたし、伊佐巳に折り紙を完全にマスターさせるわ」
 オレはなぜミオがそんなことを言い出すのか、さっぱり判らずにいた。
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記憶・31
 オレはミオが興奮気味に話している理由があまりよく判らなかった。しかし、それがオレの記憶喪失の最大の謎であることは判る。そもそもなぜオレは15歳なのか。ただ記憶を失っただけならば、何歳でもよかったはずだ。たとえば32歳だって、たとえば10歳だって。
 オレは全ての記憶のない状態で目覚めたのだ。下手したら産まれた直後の、言葉すらしゃべれない状態になることだってありえたのだから。
 そうなんだ。オレの全ての感覚が15歳である必要だってない。オレの人生の中には、消灯が8時だったり11時だったりした時だっておそらくあったのだから。
「ミオ、オレの今は、本当に全部そのときのものなのか? 他の……たとえば、コンピューターの知識なんかも、そのときの記憶なのか?」
「そうね、それも話さなきゃ。伊佐巳が一番本格的にコンピューターをやっていたのは、最初の引越しの前だったの。引っ越してからも毎日やってたわ。でも、2度目の引越しのあとはしばらく離れてしまう。……さっき伊佐巳が作ったゲームは、1度目の引越しのあとに作ったものだと思う。なぜなら、伊佐巳が作ったゲームって、あたしが知ってる限りではたった1つだけなの」
「そのときも動かなかった?」
「いいえ。ちゃんと動いたはずよ。あたしはゲームの内容も聞いてるもの」
「その内容は教えてもらえないのかな」
「伊佐巳がどうして判らないのかが不思議だわ。アルファベットも数字も、全部伊佐巳自身が打ち込んだものなのに、どうして自分で判らないの? 文字の並び方を思い出すことができるのに、どうしてその意味を思い出せないの?」
 それは、オレの方こそが教えてもらいたかった。
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記憶・30
 だけど、オレは記憶を取り戻さなければならない。オレ自身のためにも、このミオのためにも。
 だけど、ミオの傍にいたい。
「……オレが力になれればいいけど」
「心配してくれるの? でも、あたしは大丈夫よ。伊佐巳の記憶は必ず戻るし、そうすればあたしはパパに会えるんだもの。だから、焦らないでゆっくり思い出しましょう。32年分もいっぺんに思い出せる訳ないもの。
 話は変わるけど、伊佐巳はいつも何時ごろベッドに入るの?」
 尋ねられて、オレの頭にふっと答えが浮かび上がってきた。それはさっきの感覚とかなり近い感じだった。さっき、「義理の親子が結婚できない」という幻聴を聞いた時のように。誰かが言ったのだ。「消灯は12時」と。
「ミオ、まただ。オレの中で誰かがしゃべった。「消灯は12時」。……なんでだろう。オレの頭の中に誰かが住み着いてる感じだ」
「消灯は12時、か。伊佐巳の消灯が12時だったのは、一番最初の引越しから次の引越しまでの間よ。すごいじゃない。伊佐巳は今15歳だって言ったけど、これではっきり判った。伊佐巳は今、1回目の引越しから2回目の引越しの間の時間にいるんだわ。
 伊佐巳は記憶を失って、自分で時間を選んでるのよ。こんなにはっきり。伊佐巳がこの時間に戻ったことは、たぶんとても重要なんだわ。たとえば、この時間に失ってしまった何かを、伊佐巳自身が取り戻そうとしているとか」
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記憶・29
「あたしはね、男手ひとつで育てられたの。ママはあたしが生まれる前に死んでしまったから。あたしの世界にはパパしかいなくて、パパと一緒にいるときが一番好きだった。……3年前だわ。あたしがパパと引き離されてしまったのは」
 話している間中、ミオはなんとも切なそうな、遠い目をしていた。オレはミオの言葉の重みを感じた。きっと、言葉にあらわすことができないくらい、ミオは父親を愛していた。
「それで? 父親の居所はわからないのか?」
「だいたいは判ってるわ。でも、今は会うことができないの。……こんなこと、言ってもいいのかな。もしもね、あたしが伊佐巳の記憶を取り戻すことに成功したら、あたしを雇ってるあの人は、あたしとパパを会わせてくれるって、約束したの。パパを自由にしてくれる、って」
 ミオの父親は拘束されている。やはりオレが思った通り、ミオを雇っている人間は悪人なのだ。
 オレの記憶が戻れば、ミオは父親に会うことができる。最愛の父親に。
 オレの記憶を取り戻すことは、それほど簡単な仕事ではないのだろう。下手をすれば数年単位の時間がかかるのかもしれないのだ。オレに会うまでの時間にミオはオレの人生の全てを記憶した。かなりの労力と時間を必要とする仕事なのだ。
 そこまでしてもミオは父親に会いたいのだ。もしもオレの記憶が戻ったら、ミオはもうオレなど見向きもしないで父親の元へと走るのだろう。
 オレの記憶が戻った瞬間、ミオの中からオレは消える。
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記憶・28
 本当にミオの言う通りだとしたら、オレはこの32年間を無駄に過ごしてきた訳ではないということだ。生きてきた過程で最初に本当の記憶を奪われたときも、オレは地に足をしっかりつけて、自分の力で歩いてきた。
 今のオレにそのときと同じことができないはずはない。オレは必ず、この困難も克服できるはずなんだ。
「ミオ、差し支えない範囲で、君のことを話してもらうことはできない? 君の生い立ちとか、家族の話とか」
 ミオはちょっと困ったようだった。
「そうね、……どこまでなら話せるかな。あんまり伊佐巳の記憶を刺激するようなことは話してはいけないことになってるのよね」
 オレが思った通り、ミオはオレとの会話について、雇い主からかなりの束縛を受けているのだ。
「それは、オレとミオに過去のかかわりがあったってこと?」
「伊佐巳、それって誘導尋問よ。お願いだからあたしから情報を引き出そうとしないで」
 そんなつもりで言ったのではないのだが、オレはひとつ頷いた。
「家族のこと、か。……あたしね、パパがいるの。もう3年くらい会ってないんだけど」
 具体的な話を始めたミオに、オレは気持ちが高ぶるのを感じた。
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記憶・27
 まるで意外だった。オレは今まで、ミオは普通の16歳の少女なのだと思っていた。ごく普通の家庭に生まれ、両親の愛情に包まれたごく普通の幼少期を過ごし、少し前まではごく普通に高校に通っていただろう、どこにでもいる16歳の女の子。オレの世話のために雇われてからは学校へは行っていないのかもしれないが、これまでの彼女を見ていて、普通の少女と何かが違うという印象はオレは持たなかったのだ。
 だけど、今の彼女は違った。
 彼女は、確かに戦士なのだ。彼女の心は戦う者のそれなのだ。どこがどう違うと言葉に表すのは難しいかもしれない。ただ、ミオの傍らにはいつも戦いがあり、戦いに慣らされ、戦いに傷つけられてきたのだ。
 オレにはそれが判る。おそらく、オレも戦う者だったからだ。オレの身体は戦いに慣らされ、そして精神は戦いに傷つき鍛えられている。
 ミオの、オレを守るという言葉には、過剰ではない自信が見え隠れしている。
「オレを、守ってくれるのか?」
「おかしいかな。こんな小娘にこんなこと言われたら、プライドにかかわる?」
 ミオの言う通りかもしれない。だが、オレはその言葉に安らぎの心地よさを感じた。
「ちょっと意外だった。そんなにオレは頼りないかな」
「それはないわよ。状況を何もかも理解してる伊佐巳なら、これほど頼りになる人はいないわ。でも、今の伊佐巳は言ってみれば生まれたばかりの子供と同じだもの。どんな大きな木だって最初は小さな双葉から育ってゆくのよ」
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お詫びです
すみません、決してサボってるわけではないんですが……
このところ文章モノのアップが続きまして。
もしもよろしかったら、新しいサイトのほうにもマウスを伸ばしてやってください。
リンク1に追加しました「無用の長物」です。
チャットルームにも遊びに来てね。
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記憶・26
 ミオを雇った人間は、いったいオレに何を思い出させたいのだろうか。オレの中に眠っている、32年分の膨大なデータ。その多くの経験の中に、ミオの雇い主が必要とするデータがあるのかもしれない。オレのそれまでの記憶を奪い、ミオを雇ってまで思い出させようとする重要な何かが。
 その記憶は、オレやミオにとって、いったいどんな意味を持つものなのだろうか。
「伊佐巳、もう食べないの?」
 気がつくとオレは呆然と意識の中に沈みこんでいた。皿の上には最後の一口が残ったチャーハンがある。
 オレはその一口を掻き込んで、ミオを振り仰いだ。
「……ちょっと、考えてた。ミオを雇った人は、オレの記憶を取り戻すためにこんなに広い部屋を用意したり、ミオを雇ったりしてる。そこまでするのは、そいつにとってオレの記憶が必要だからってことだろ? なあ、ミオ、教えてくれ。オレの記憶にはいったいどんな秘密があるんだ?」
 ミオは一瞬目を丸くしたけれど、やがて小さく笑った。それはまるっきり年下の男の子に対するほほえましさをあらわしたような表情だった。
「秘密なんかないわよ。あたしが聞いていた伊佐巳の経歴は、本当にごく普通のものだもの」
「だけど! 君が知らないだけかもしれないじゃないか」
「そうね。……だったら、もし万が一、そういうことがあって、伊佐巳の身に危険が及ぶようなことがあったら、あたし、精一杯伊佐巳のこと守るわ。だから、あたしのことを信じて」
 そういったミオは、オレが今まで見てきたどんなミオとも違う、少女のはかなさの中に強さを秘めた、女戦士のように見えた。
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記憶・25
「この後にも何回か引越しをするけど、とりあえずそれは置いておくわね。最初の引越しから2回目の引越しまでの間は2週間もなかった。そのあとも同じくらいで伊佐巳はまた別のところに引っ越してしまうの。この2回の引越しで、伊佐巳はそれぞれ別の人と出会うことになった。伊佐巳にとっては2人ともとても印象的な人よ。あたしは伊佐巳がその人たちと交わした会話までは詳しく知らない。でも、たぶんさっきの言葉は、その二人のうちのどちらかが言ったんだと思うわ」
 15歳のオレ。今のオレが思い出したその言葉が、15歳のオレが聞いた言葉なのだとしたら、発言者は少なくともミオではない訳だ。
「本当に? もしかしたら最近のオレが聞いた言葉かもしれないじゃないか」
「可能性はあるわね。でも、「義理の親子が結婚できない」なんて、普段誰でも使う言葉じゃないわ。伊佐巳が今まで出会った人のデータはあたしほとんど持ってるの。それらと照らし合わせると、こんな言葉を使いそうな人って、この二人くらいしか考えられないのよ」
 ミオの言葉に、オレはなんだか顔が赤くなってしまった気がした。なぜなら、オレがこの言葉を思い出したきっかけは、ミオとの関係をいろいろに想像しながら、「結婚」を頭において考えていたからなのだから。
「2人とも、女の子だった?」
 ミオはちょっと困ったような表情を見せた。
「うーん、できればそういう確認はしないで欲しいな。今回はあたしが教えちゃったようなものだけど」
 ミオはもしかしたら雇い主からいろいろな制約を受けているのかもしれないと、オレは思った。
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記憶・23
 夕食はチャーハンだった。全体的に赤い色をしていて、よく見るとコンビーフが入っていることが判った。その他の具はタマネギだけだ。そのシンプルさはオレに、さっきの風呂場での出来事を思い出させた。
 あくまで想像でしかなかったが、もしかしたらここはかなり物資が不足しているのかもしれない。それとも、オレの記憶の糸口になる何かがあるのだろうか。たとえば、記憶を失う前のオレの生活が、この部屋の質素さと共通するほどの貧乏だったとか。
 味付けもざっくばらんだったが、味の方は見た目ほどは悪くない。いや、むしろおいしいとさえ思った。もしも過去にこのチャーハンを食べたことがあるとすれば、そのときもオレはこのチャーハンをおいしいと感じただろう。
「冷える前に食べたかったな。これ、うまい」
 ミオは自分の食事にはあまり匙をつけずに、オレの食事風景を眺めていた。
「そう? あたしはもう少しコンビーフが少ない方がいいと思うけど」
「これはオレが前に食べたことがあるものなのか?」
「そういう質問には答えられないわよ。自分のことなんだもの、自分で思い出そうよ」
 これは記憶をなくす前のオレの好物だったのかもしれない。だとしたら、オレはこのチャーハンをどこで食べていたのだろう。誰かに作ってもらったのか。それとも自分で作っていたのか。オレには、食事を作ってくれるような家族がいたのだろうか。
 食卓と家族。オレの向かいに座っていたのは、いったい誰だったのだろう。ミオ……だとしたらかなり不自然だ。16歳の年齢差は、夫婦とも、親子とも、兄妹とも当てはまらない。
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記憶・22
 オレの記憶のデータは今でもオレの脳の中に眠っている。
 きっかけさえあれば、オレはそれを思い出すことができる。
 その考えは、オレの気持ちを楽にしてくれた。なぜなら、きっかけを与えつづければ、いつかオレの記憶の全ては戻るはずだったから。
「おなか、すいたでしょう? こっちへ来て一緒に食べない?」
 まるで子供にでも言い聞かせるように、ミオは言った。そういえばミオはオレが目覚めたときからずっとそんな態度を取り続けている気がする。そんなミオの態度を、オレも自然に受け入れていた。彼女のことを年上だと感じたあの感覚が、オレに不自然さを感じさせなかったのかもしれない。
 ミオはオレが気付くのをずっと待っていたのだろう。おそらく自分ひとりで食事をとることもなく。
「そうだな。……ごめんね、ずいぶん遅くなっちゃって」
「あたしはいいの。ただ、あんまり根を詰めると、伊佐巳の方が壊れちゃうわ。何もかも急に思い出したりしたら、脳みそがショートしちゃうかもしれないもの」
 オレは容量不足でフリーズしたパソコンの画面を思い浮かべて、ちょっとおかしくなった。
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記憶・21
 オレの記憶は消えてしまった訳じゃない。必要なアプリケーションがなければ開けないファイルのように、脳内のフォルダの奥で時を待っている。そうか、記憶の仕組みは、コンピューターとかなり似ているのかもしれない。当然か。そもそもコンピューターは、人間の脳に似せて作られているんだから。
「伊佐巳?」
 オレが自分の考えに囚われてしまっていたせいか、ミオは心配そうに声をかけた。
「ああ、なんでもない。……このプログラムはたぶんゲームだと思う。だけどこのままじゃ動かない。動かないことは判るんだけど、それがどうしてなのか、今のオレには判らないんだ」
 オレの言葉は、ミオには不思議に映っただろう。
「打ち込んだ文字を思い出して、それがゲームだってことも判るのに、何が原因で動かないのかが判らないの?」
「うん、そうなんだ」
「どうして?」
「今、オレが思い出したことは、この膨大な文字の並び方だけなんだ。だからオレは頭に浮かんだ文字を打ち込むことはできても、打ち込んだものが何を意味してるのか、それが判らない。もしもひとつひとつの文字が何を意味してるのかが判れば、動かせるように直すこともできるようになると思う。それも一緒に思い出せればよかったんだけど」
 オレはいつのまにか、自分の記憶が戻らないことへの焦りやもどかしさを、それほど感じなくなっていた。
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お詫びです
ごめんなさい、今日もアップできませんでした。
明日は必ず……
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記憶・20
 プログラムの最終行を打ち込んであたりを見回すと、テーブルに肘をついてミオがオレを見つめている視線と合った。
 オレはいったいどのくらいの時間、文字を打ちつづけていたのだろう。そして、ミオはいったいどれだけの時間、オレを見つめていたのだろう。
「ミオ……いつからここに?」
「さあ、かなり前からであることは確かね。夕食がすっかり冷え切っちゃったもの」
 オレはパソコンの画面の時間表示を見た。はじめた時間を確認してはいなかったが、表示は午後9時を回っている。オレが目覚めたときにミオが夕方だと言っていたその言葉が事実ならば、少なくとも2時間はパソコンに向かっていた計算になる。
「ごめん、ぜんぜん気がつかなくて」
「すごい集中力だったわよ。回りでパタパタ動いても反応ゼロだもの。覗き込んだの気付かなかった?」
「いや、ぜんぜん」
「指を見てても画面を見てても何をやってるか判らないくらい速かったの。すごいのね。いったい何を作ってたの?」
 その時のミオの質問に対する答えが、オレの頭の中から不意に湧き上がってきた。覚えていないはずの記憶。この、画面上の文字の羅列もそうだ。オレの中にはたくさんのデータが眠っている。きっかけさえ与えてやれば、オレはそれらを思い出すことができるんだ。
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お詫びです
ごめんなさい。
今日は小説アップできそうにありません。
なんだか訳の判らない事件が発生してまして……。
明日から再開しますので、またよろしくおねがいします。

そうそう、MARIMBAちゃんに頼んでおいたバナーが出来上がりましたので、今日中にアップするつもりです。
よろしかったらどこかに貼り付けてやってくださいね。

では、また明日。
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記憶・19
 ミオを雇った人間は本気なのだ。オレを閉じ込め、オレの記憶を取り戻すためだけにこれだけの広さの部屋を用意した。オレの記憶にはいったい何があるのだろう。オレが記憶を取り戻すことが、ミオを雇った人間にどんな利益をもたらすというのだろう。
 オレの記憶には、どんな秘密があるのか。
 俺が生きてきたという32年間の間に、いったい何があったというのか。
 思い出したい。早く思い出して、この殺風景な部屋から飛び出したい。
「……パソコン……?」
 オレが外の世界を知るチャンスがあるとすれば、それはあのパソコンしかないんじゃないのか?
 もしもあれが、外の世界につながっているものならば。
 オレはテーブルのところから椅子をひいて、パソコンの前に座った。
 ほとんど無意識の動作だった。パワースイッチを入れて、画面の変化を見つめる。かすかな音とともにハードディスクが目を覚ます。その音を聞いているだけで、オレの心が躍った。
 そうだ。これはオレの一部だ。
 オレの記憶装置。オレの仕事場。オレの自由な時間を支配していたもの。オレの相棒。
 オレの生活の中に根付いていたものだ。これがなければ、オレはオレじゃなかった。
 それからのオレは、まるでそのパソコンのパーツの一つになってしまったかのように、ただキーボードを打ち続けた。
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記憶・18
 オレは風呂場に来た本来の目的を思い出して、身体を洗った。風呂場にはシャンプーや固形石鹸は一切なく、袋詰の粉石鹸が置いてあるだけだ。その袋にも説明書きのようなものは一切なかったので、オレはしばらく迷った末、その粉石鹸で身体も髪も洗うことにした。泡を流してよくよく見回してみると、壁面も足元も全てコンクリートに白いペンキを塗っただけのもので、よくありがちなタイルや小物置のような、いわゆる装飾類のものはひとつも置いてはいなかった。
 部屋もベッドも、風呂場の面積も、まるで高級マンションかと思うほどの広さがあるというのに、備品がほとんどないこの風呂場は異様な光景だった。風呂場から出て改めて回りを見回して驚いた。部屋にあったのは、例の巨大なベッドのほかには、一組のテーブルと椅子、小さな箪笥と、部屋の隅の方にひっそりとパソコンが一台あるだけだったのだ。
 ここは、いったいどこなのだろう。
 オレの記憶を取り戻すためだけに用意された、特別な部屋だとでもいうのだろうか。
 窓はひとつもない。外界との唯一の接点であるドアは、そこだけがまるで未来都市の一部であるかのように、電子ロック式で暗証番号を入力しないと開かないような構造になっている。あのドアはミオにしか開くことができないのだろう。オレは完全に閉じ込められているのだ。おそらく、オレが記憶を取り戻さない限り、あのドアの外に出ることはできないのだろう。
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記憶・17
「伊佐巳がお風呂に入っている時間は、あたしの雇い主への報告の時間にしてもいいかな。だいたい1時間くらいで帰ってこられると思うの」
 オレが頷くと、ミオは笑顔を残して部屋を出て行った。ミオが出て行ったドアと反対側のドアの向こうにシャワー室がある。服を脱いで、オレはシャワーのしぶきの下に立った。
 身体の感覚にはかなりの違和感がある。オレの感覚は十五歳のものだった。たとえば視点。おそらくオレは15歳の頃よりも身長が伸びているのだ。身体が重く感じるのは体重が増えているせいなのか、それとも長い時間眠っていたためなのか、それは判らない。自分の身体をひとつひとつ点検すると、オレがかなり身体を鍛えている部類の人間なのだということが判った。
 記憶は全く戻っていないけれど、オレは自分という人間を想像することができる。たとえば、オレの身体つきは何か特定のスポーツをやっていたという感じではない。どちらかと言えば格闘技系だ。シャワー室もかなりの広さがあったので、オレは裸のままそれらしい動きをしてみた。無意識に動く身体を、頭の中で観察する。下半身を低く取って騎馬立ちの姿勢から拳を突き出す。弧を描くように敵の攻撃を払って手刀で一撃。空手の動きに一番近いようだった。蹴りも試してみたが、足刀蹴りは思いのほかきれいに決まった。
 ミオの言うことは間違っていない。頭を悩ませるだけでは記憶は戻らない。ほんの少し身体を動かしただけで、自分が空手を学んだことがあることが判ったのだ。その記憶は全くよみがえってこないけれど、少なくとも自分が何に興味を持っていたのか、それを知ることはできる。自分の感覚を確かめるだけで、自分という人間がどういう種類に属しているのか知ることができるのだ。
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記憶・16
 もし、記憶を取り戻したら、オレは彼女を思い出せるのだろうか。それとも、彼女が全くの他人であることを思い知らされるのだろうか。
 思い出したい。だけど、もしも彼女が他人だったら……。
 彼女に他に恋人がいることを知ってしまったら……。
 倍も年が離れているオレは、彼女にはきっとオジサンにしか見えないだろうから。
「落ち込まないで、伊佐巳。大丈夫。ちゃんと伊佐巳の記憶は戻るわ。あたし、ずっと傍にいて助けてあげる。もしも伊佐巳が1つ、記憶を戻したら、その記憶がいつ頃のものなのか、それを教えてあげる。その記憶が伊佐巳が何歳頃の記憶なのか、それだけを教えてあげる。そうやって少しずつ記憶がよみがえったら、伊佐巳の年表が作れるわ。全部を一度に思い出さなくても、自分が生きてきた時間を実感することができるはずよ」
 何も思い出せないことにいらいらする。このいらいらは、たぶん、記憶を完全に取り戻さなければおさまらないだろう。だけどオレは思ってしまうのだ。記憶を取り戻さないうちは彼女はずっとオレの傍にいてくれる。思い出してしまうのが怖い。彼女がオレの傍から消えてしまうのが怖い。
「ねえ、あんまりいろいろ考えない方がいいわ。それに、今は時間的には夕方だけど、パジャマのままベッドに入るなんて不健康だわ。とりあえずお風呂に入ってこない? 日常のことをいろいろやることだって、記憶を取り戻す手助けになるはずだわ」
 オレは、全てを先送りにして、ミオの提案を受け入れることにした。
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記憶・15
 他人の脳に、偽者の記憶を植え付ける。過去の経験をまったく別のものにすり替えてしまう。本当にそんなことができるのか。オレの記憶を消してしまうなどということが、なぜできるのか。ミオは、オレの記憶を消した人間に雇われている。記憶が戻るまでずっとオレの傍にいてくれるけれど、それはオレを慕っているからではなく、ただ単に雇われているから。
 オレの記憶が戻ったとき、ミオはオレの前から消えてしまう。
「ミオ……君は誰……?」
 ミオは意外なことを聞いたと言う風に、ちょっと目を丸くした。
「あたし? ……なぜ?」
「君の事を教えて。オレは君のことがちゃんと知りたい。本当の名前は何で、オレとどんな関わりがあるのか。君はただ雇われただけの他人なのか? それとも、オレに関わりのある人間なのか?」
 オレの感覚は残されている。その感覚がオレに教えてくれる気がするのだ。ミオは他人とは思えないほどに慕わしい。あるいは、これは単にオレの思い違いなのかもしれないけれど。
 諦めたように、ミオはため息をついた。
「困ったな。あたしは伊佐巳を伊佐巳と呼ぶことや、ある人に雇われていることを教えてあげることはできるんだけど、あなたが今までどんな人生を歩んできたかとか、あたしがあなたと関りのある人間なのかとか、そういうことはあなたに教えてあげられないの。あたしはもしかしたらあなたと関ったことのある人間かもしれない。全くの他人かもしれない。でも、それを知るためには、伊佐巳は全てを思い出さなければいけないの。失ってしまった記憶を、全部」
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記憶・14
 ミオはしばらくは何も言わなかった。オレはミオの目をじっと見つめつづけていた。はぐらかされてしまう訳にはいかなかった。再び同じ質問を彼女に投げかけるほどの勇気が、オレにはないかもしれないから。
 ミオは目を逸らさずに、やがて口を開いた。
「簡単に、説明するね。……伊佐巳はずっと昔、自分の記憶を別の記憶にすり替えられてしまったことがあるの。それまで生きてきた経験を、全然別のものにされてしまった。それからの伊佐巳は、その偽物の記憶の上に、新しい記憶を重ねてきたの。伊佐巳のその時の記憶障害は、やがて伊佐巳の精神を崩壊させてしまうかもしれなかった。事実最近もその兆候があった。……あたしね、ある人に雇われてるの。その人は言ったわ。伊佐巳の記憶障害を治すためには、偽の記憶を全て消してしまう必要がある、って。偽の記憶と、その上に積み重ねられてきた伊佐巳自身の本物の記憶、その全てをいったん全部白紙に戻して、そのあと本物の記憶だけを思い出す。その方法でなければ伊佐巳の記憶障害は治らないって。……だから、彼は伊佐巳の記憶を全て消さなければならなかったの。
あたしは、伊佐巳の記憶を取り戻すために雇われたの。伊佐巳が記憶を取り戻すまで、傍にいて手助けするわ」
 ミオの言葉に、オレは驚きと喜びと、少しの落胆を感じていた。
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記憶・13
 オレは鏡の代わりにミオの顔を凝視していた。ミオはまだ少女だった。セミロングの髪をおかっぱの形に切りそろえて、大きすぎもせず小さすぎもしない眼に少しの哀れみを浮かべていた。彼女の方が少し年上なのだと思っていた。しかし現実は、オレの方がはるかに年上だった。
「ミオ、君は今いくつ?」
 オレを安心させるように、ミオは微笑んで言った。
「16よ。……今気がついた。あたしって、伊佐巳のちょうど半分なんだ」
 オレはなんだか自分が急に老け込んだ気がした。倍も年の違うオレのことを、ミオはオジサンだと思っているのだろう。
「信じらんねえ。なんでオレが32なんだよ」
「それを思い出して欲しいのよ」
 ミオのその言葉を聞いて、オレが最初からずっと感じつづけていた違和感の正体がようやくわかった。ミオは、オレが目覚めるずっと前から、オレが記憶喪失であることを知っていたのだ。ただ眠っている人間を見て、その人間が記憶喪失であるに違いないなどという判断を下すことなど、どんな名医にだってできはしないはずだ。記憶喪失は、本人の意識があって初めて判ることなのだから。
「ミオ……。オレの記憶を奪ったのは、君なのか……?」
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記憶・12
 驚くなというミオの言葉は、オレにはまったく効果がなかった。その瞬間、オレが目にしたのは、15歳の少年の顔などではなかったのだ。
 オレの中に再び恐怖が湧きあがってくる。これが、オレの顔。まさかと思って否定しつづけていた、夢の中の男の声。その言葉はあるいは正しかったのかもしれない。
 オレの顔はまさしく、あの男の顔そのものだったのだから。
 オレは絶句したまま硬直していた。鏡の中のオレも、引きつった驚愕を浮かべていた。恐怖と侮蔑の顔。オレが最も嫌悪した、あの顔。
 20台後半くらいに見える男は、オレの感覚とは全くずれた容姿をしている。
「……驚くのも無理はないわ。15歳の男の子がいきなり大人の男の人になっていたら、タイムスリップでもしたのかと思うわよね。だけど、これが今の伊佐巳なの。年齢は32歳のはずよ」
 32歳。オレは本当に32歳なのか? だとしたらオレはなぜ自分のことを15歳だなどと思っているんだ? オレの中の感覚は、これほどまでに信頼できないものなのか?
「これ以上見ないほうがいいわ」
 そう言ってミオは鏡を隠してしまった。
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記憶・11
「感覚は記憶とは違うのか?」
「そうね。あたしにもよく判らない。でも、たぶん記憶よりもっと深いところに根付いてるものなのよ。確かに伊佐巳は男性だもの。さっきあたしに名前を付けてくれたときも、伊佐巳はちゃんと女の子の名前を付けてくれたわ。これもきっと、感覚的な行動なのよね」
 記憶はないけど感覚はある。そうだ。オレは常識という言葉を何度か使った。オレの常識もたぶん感覚に属しているんだ。もしも感覚が失われていたなら、オレはミオが女の子であることも、まあ、美人ではないがかわいい子であることも、判らなかったことだろう。
「それじゃ、もう1つ質問。伊佐巳は何歳ですか?」
 オレは感覚にしたがって、答えていた。
「15歳……くらいだと思う」
 ミオはちょっと意外そうな顔をしたけれど、やがて含み笑いをもらした。
「では、3つ目。あたしは何歳くらいに見える?」
「そうだな。オレと同じか……少し上くらい」
「少し上くらい、ね。それじゃ、伊佐巳に鏡を見せるわ。驚かないでね」
 ミオは、用意していたのであろう鏡を、オレの方に向けた。オレはその鏡を覗き込んだ。
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