2003年12月の記事


真・祈りの巫女273
 クレーンが移動を始める直前から、あたしは祈りを始めていた。集中力を高めて神様の存在をより近く感じられるように意識を向ける。その途端、あたしの中にすさまじいほどの邪念が割り込んできたの。あたしはその邪念に負けないように、心の中でクレーンの名前を繰り返しながらその動きが止まったところをイメージしていた。
 雷のようなクレーンの咆哮と地鳴りが邪念とあいまってあたしの心を撹乱していく。祈りはまだ届かなくて、クレーンは誰にも邪魔されないまま森の入口へとたどり着いていた。穴の手前で止まったとき、何人かの狩人たちがわらわらと飛び出してくるのが見えた。その姿が見えたのか、クレーンはその長い腕を更に長く伸ばして振り回し始めたの。その動きに狩人たちは近づくことができなかった。あたしは腕の動きを止めるように祈っていたのだけど、そのとき再びタキの声が割り込んできた。
「あれは……? ブルドーザか?」
「……いや。似ているが違う。あれはローダだ」
 見ると、沼の光の円盤から再び何かが出てきていた。タキが言うとおりブルドーザに似てる。だけどあたしはその名前の方に聞き覚えがあって、思わず口を挟んでしまったんだ。
「ローダって? リョウにいろいろ教えてくれたおばあさんの?」
 リョウは一瞬何を言われたのか判らないみたいだった。
「それはヨモ・ローダだ。今出てきたのはホイール・ローダ。……いいからこっちのことは気にするな。おまえはクレーンに集中しろ!」
 そうリョウに一喝されたから、あたしはできるだけリョウを気にしないようにクレーンの動きを観察しながら祈りを注ぎ続けたの。
 クレーンは身体の上半分を回転させて、1本だけある長い腕を振り回している。腕の先の方に紐のようなものがついていて、更にその紐の先端にあるものが秩序なく揺れて狩人たちをなかなか近づかせなかった。腕の逆側から魂が収められた甲羅に近づこうとしても、甲羅そのものが回転してるから容易に近づけないんだ。あたしは焦る気持ちを押し殺して、とにかく腕の動きを止めなきゃって、ただそのことだけに集中する。
 やがて2つ目の獣鬼ローダが近づいてくる。ローダはクレーンに群がる狩人たちを蹴散らして、穴の手前で動きを止めた。
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真・祈りの巫女272
 西の森の沼まで続く道には今はかがり火が焚かれて、あたりを夕闇ほどの明るさに照らし出している。もともとそれほど広い道ではなかったけど、何度か影が通ってそのたびに少しずつ木々をなぎ倒していたから、遠くからでも意外に広く見通すことができた。道のあたりに人影は見えない。でも、何人もの狩人が近くに隠れて様子を伺っているのは明らかだった。
 あたしは祈り台に座って、いつでも祈りを始められるように既にろうそくを並べ終えていた。すぐ隣にはリョウが立ってる。そのうしろにタキがいて、リョウが教えてくれた名前をすぐに書きとめられるように筆と紙を用意している。月が出てからの時間がものすごく長かった。あたしも、ほかの2人も、まるで息をするのを恐れるかのように静まり返っていたの。
 緊張するあたしたちを最初に震わせたのはその光だった。今はかがり火の光をわずかに反射してより深い闇を際立たせている沼の水。その水面の上あたりに、かがり火とは明らかに違う種類の光が生まれたんだ。
「来たな」
 リョウが短くつぶやいた声には誰も答えなかった。光は丸く歪みながら広がっていって、木々の高さの2倍程度の大きさになったとき微妙に色を変えながら蠢動した。光は水面に垂直に立つ円盤のような形をしていたの。そして、その中央から、いきなり何かが出てきたんだ。
「……なんだよあれ。……何もないところからなんで……!」
 円盤の中央から出てきたのは、何か長い角のようなもの。それはみるみるうちに長く伸びていったの。円盤の向こう側には何もないのに。まるでそこにドアでもあるみたいに、細長い何かと、やがてそれより何倍も大きな身体が出てきたんだ。しかも宙に浮いてる!
「やっぱりあいつが先頭だな。……形と名前を覚えろよ。あの獣鬼の名前はクレーンだ」
「クレーン……?」
 あたしのつぶやきにリョウは無言でうなずいた。リョウのうしろでタキがあわててクレーンの名前と身体の特徴を書き記している。
「クレーンはあの長い腕で重いものでも簡単に持ち上げることができる。おそらくあいつがほかの獣鬼を運んで穴を突破するはずだ。まずはあいつを止めなけりゃならねえ。クレーンさえ動けなくすれば獣鬼は穴を突破できないはずなんだ」
 リョウがそう言い終える頃には、クレーンはその奇妙な全貌を現して、地上にゆっくりと降り立っていた。
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真・祈りの巫女271
 きこりたちがいったん降りてくれたから、あたしは試しにろうそくを立てて火をつけてみた。1番奥に聖火の代わりにする長いろうそくを立てたんだけど、実際に火をつけてみたら風を受けてすぐに消えてしまったの。きこりたちは思案の末に、祈り台の一部に穴を開けてこの長いろうそくを立てる場所を一段低くしてくれた。そんなちょっとした手間はあったけど、ようやく祈り台は無事に完成してくれたんだ。
 きこりたちにお礼を言って帰ってもらったあと、リョウも梯子をのぼってあたしの隣に座った。
「かなり丁寧に作ってくれたな。俺が乗ってもぐらつかない。正直ここまできちんとしたものができるとは思わなかった」
「あたしも。……でも、ちょっと高いのが怖いかな。ここからだと真下が見えないから」
「あそこに家が3つ並んでるのが見えるか?」
 リョウは遠くを指差しながらあたしに訊いた。だいたい5000から6000コントくらい先にリョウが言う3軒並んだ家が見える。
「うん、見えるわ」
「あの家よりも手前まで獣鬼が近づいてきたら逃げるんだ。おそらく夜になったら家は見えないから、あの位置にも目印のかがり火を置く」
 リョウはすごく真剣な顔でそう言った。あたしはちょっと驚いてしまったの。だって、リョウが示したその場所は、西の森の出口と祈り台のちょうど真ん中くらいの位置だったんだもん。獣鬼はそれだけ足が速いってことなんだ。
「……判ったわ。リョウの言うとおりにする」
「森の方でかがり火の準備が始まったな。俺は指示をしに行ってくる」
 そう言葉を残して、リョウは祈り台を降りて森の方に走っていった。あたしは祈り台のあちこちにろうそくを並べて、まずはいつもの祈りをここから行ってみる。本番まで何度かここで祈りを捧げるつもりだった。ろうそくの具合も見たかったし、神様にあたしがここにいることを知らせておきたかったから。
 途中でタキがやってきたり、守護の巫女が何人かの神官を連れてきたり、村の中もだんだんあわただしくなっていった。影が現われるのは日が沈んで月が顔を出した直後。あたりが暗くなるにつれて、村人や狩人たちの緊張も次第に高まっていく。
 村人のすべてが避難して、再びリョウが戻ってきてくれてからしばらく ―― 。西の森に最初の異変が訪れていた。
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真・祈りの巫女270
 リョウは少し方角を確かめるように見回したあと、祈り台がある岩場の方角に向かっていった。きこりたちは今日の午前中も作業してくれていたはずだから、うまくすれば今頃完成してるかもしれないんだ。あたしとリョウは昨日に引き続き祈り台の様子を見ることにしていた。
「リョウはああいうところでしゃべるのがあまり得意じゃないの?」
「場所にかかわらず、人としゃべることに慣れてない。……特におまえとは何をしゃべっていいのか判らない」
「そんな風に思えないよ。だって、今もちゃんとしゃべってくれてるもん。タキだって前より付き合いやすくなったって言ってたんでしょう?」
「会話に目的があるからな。それがなくなっちまったら、俺くらい一緒にいてつまらない人間はいないだろう」
 あたしはリョウの言葉が実感としてはさっぱり判らなかった。だって、リョウは今までもいろいろ話しかけてくれたし、雑談もたくさんしたし、人としゃべることに慣れてないなんてぜんぜん思えなかったんだもん。それに、あたしはリョウといてつまらないなんて思ったことない。さっきみたいに黙ってると怒ってるのかと思ってちょっとドキドキしちゃうけど、それだってあたしにはすごく嬉しいことなんだ。
 リョウの声は特に悲観的な訳でもなかったし、あたしはリョウが怒ってたんじゃないってことが判ってほっとしたから、リョウが言ったことは心に留めておくだけにした。それから少し歩いていくと、やがて昨日の岩場に祈り台が見えてくる。もうほとんど完成してるみたいで、2人のきこりがあちこちに仕上げの釘を打っていたの。そこまで作業が進んでいるとあたしたちにはもう何も手伝うことができなかったから、完成までの間、2人でずっとその作業を見守っていたんだ。
「 ―― こんなもんだろう。祈りの巫女、ひとまず完成だ」
「うしろから上がっておいで。なにか不都合があったら言ってくれよ」
 きこりたちに呼ばれて、あたしはうしろ側につけた梯子から台の上にのぼったの。そこからの眺めは思ったよりもずっと高くて、ちょっと怖いくらいだった。もともと高いところに立ててある上に風除けが視界をさえぎるから、実際の高さよりもすごく高く感じるの。そこに祈りのときと同じように座ってみると村の西半分は見渡せた。西の森も、思ってたよりもずっと近くに見ることができたんだ。
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真・祈りの巫女269
 長老宿舎を出るとそろそろお昼に近かったんだけど、あたしは先に神殿で祈りを捧げてしまいたくて、1度宿舎に戻ったあと神殿へと入った。今夜のことを中心に祈りを捧げたあと、戻ってカーヤの昼食を食べたの。夜はまた炊き出しに切り替わるけど、きっと食べている暇なんてないもの。あたしが時間をかけて味わいながら食べていたら、食事が終わる前にリョウが宿舎に来ていた。
「……タキは? 一緒じゃないの?」
「あとで行くから先に行ってるように言われた。……祈りの道具があったらよこせ」
 リョウはなんとなく機嫌が悪いみたい。先に食事を終えていたカーヤが気を利かせて道具を準備してくれている間、あたしは最後の1口を詰め込んで、リョウのあとを追いかけて宿舎を出たの。それであわてて忘れそうになっちゃったんだけど、宿舎の入口でカーヤが声をかけてくれたから、あたしは再び神殿に戻って聖火をランプに移した。
 今日は村に降りてしまえば夜まで帰れないから、リョウが背負っている少し大きめの袋の中にはろうそくがかなり多めに入っている。途中、川に立ち寄って水筒に聖水に使う水を補給したときも、リョウはほとんどあたしと顔を合わせようとしなかった。いったい何が気に入らないのか判らなくて、けっきょく何も聞けないまま村の大通りまで来てしまっていたの。このままではすぐに目的地まで着いてしまうから、耐えられなくなってあたしは後ろから声をかけたんだ。
「リョウ、どうしたの? また何か怒ってる?」
 リョウは、まるで今初めてあたしがいることに気がついたみたいに、いくぶん驚いた表情で振り返った。
「別に何も怒ってない。……俺が黙ってるのが気になるのか?」
 あたしは少しだけほっとしたから、笑顔を見せてうなずいていた。
「午前中に頭を使いすぎたから混乱してるんだ。口を開くとおかしなことを言いそうだったからな、黙ってる方がマシだと思って黙ってた。……俺はほんとに頭を使うのが苦手なんだ」
「そんなことないよ。会議のときのリョウ、すごくかっこよかった。ぜんぜん頭を使うのが苦手なようには見えなかったよ」
「あれが限界なんだよ。……もう少し続いてたら逆上して何をしゃべりだしたか判らねえ」
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真・祈りの巫女268
「だったら、俺は何のために生き返った? どうして右の騎士が村の再生のために生き返るんだよ」
 カイはとっさに言葉を返すことができなかった。
「祈りの巫女は最初から村の再生のために祈ってた訳じゃない。神は俺を再生のために生き返らせたんじゃない。俺はこの村を救うために戻ってきたんだ。そうとでも考えなけりゃ、俺が影の倒し方を知ってる意味がねえ」
「……」
「それに、祈りの巫女を狙ってる獣鬼が、祈りの巫女を殺さないままで襲撃を終える訳がないんだ。この戦いを終わらせるためには、村が完全に勝利するしか道はないんだよ」
 たぶん、カイもほかのみんなも、リョウに反対する気力は既に失っていたんだと思う。それはリョウの意見に賛成しているというよりも、むしろ未来に絶望しているからのようにあたしには思えたんだ。あたしの力ではこの災厄を退けることはできない。だから村の再生に活路を見出そうとしていたのに、リョウはあたしが死ななければ獣鬼は襲撃をやめないって言うんだもん。それは村の死を宣告されるのと同じだったんだ。
 でも、リョウ自身はけっして諦めてない。誰に何を言われたって、あたしはリョウが信じてくれるならそれでいいよ。リョウがあたしを信じてともに戦ってくれるのなら ――
 意見は出尽くしたと判断した守護の巫女がこのとき口を開いた。
「最初に言ったとおり、祈りの巫女が村に降りて祈りを捧げることは決定事項よ。影の襲撃は今夜。夜になるから、西の森とその周辺にはかがり火を絶やさないようにして。祈りの巫女、あなたはほんの少しでも危険だと思ったら、すぐに祈りをやめて逃げるのよ。タキの指示にはぜったいに従って」
「判ったわ」
 それから守護の巫女は神官たちに細かい指示を与えて、最後に運命の巫女に言った。
「万が一、祈りの巫女が影に襲われる光景が見えたらすぐに伝えて頂戴。そのときは誰がなんと言おうとこの作戦は中止するから」
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真・祈りの巫女267
 守護の巫女と聖櫃の巫女が、咎めるようにカイを見た。それであたしには判ってしまったの。みんな、たぶんそのことをずっと心の中で感じていて、でもあたしには話さずにいようと思っていたんだってこと。それをあたしに話したら、あたしの気持ちをくじいてしまうことが判っていたから。
 あたしだってうすうす気づいてはいたよ。だって、あたしはずっと祈りの巫女の勉強をしてきたんだもん。今まで、こんなに大きな災厄に出会った祈りの巫女はいなかった。2代目のセーラが出会った災厄はこの災厄に匹敵するけど、そのときには祈りの巫女だけじゃなくて命の巫女が一緒にいたんだ。
「リョウはもともと狩人だし、記憶もないから、この村の歴史には詳しくないだろう。1500年前、わずか100人に満たない村人からこの村の歴史は始まって、以後120年前まで村は11人の祈りの巫女を生んできた。それまでの間、村を破壊するほどの災厄を経験した祈りの巫女は1人だけだ。……だが、その祈りの巫女と同じ時代に命の巫女が生まれている」
 リョウは黙って聞いていたのだけど、このとき何かに気づいたように目を見開いた。
「あとの10人のうち、半分は飢饉や天災を経験している。残り半分は平穏なまま寿命を終えているけど、運命の巫女の文献と照らし合わせると、本当ならくるはずだった災厄を未然に防いでいるのが伺える。つまり、祈りの巫女の本来の力は、天災を未然に防ぐか、あるいは天災が来たあとの再生に適したものなんだ。例を挙げれば、11代目の祈りの巫女の時代には冷夏が村を襲って作物が育たなかった。そのとき、祈りの力は本来ならいないはずの北カザムを村の周辺に導いて、その毛皮を売ることで周囲の村から食べ物を集めることができた。……判るだろう、リョウ。オレたちが今、祈りの巫女を守ろうとしているのがなぜなのか。祈りの巫女は今死んではいけないんだ。村が影に滅ぼされたとしても、祈りの巫女の力があれば、村は再生することができる。それがオレたちの結論だったんだ」
 カイたちはきっと、何度も書庫や宿舎で議論を重ねてきたんだろう。もちろんあたしはショックだった。だって、それはあたしの力が影には通じないって宣告されたのと同じことだったんだもん。でも、嬉しいと思う気持ちもあったの。カイたちはけっして、あたしの力を信じていない訳ではなかったから。むしろあたしが自分の力を最大限に発揮することができるように考えてくれていることが判ったから。
 でも、リョウはけっして納得してはいなかった。更に力強い目をして言ったんだ。
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真・祈りの巫女266
 もはや誰ひとりとして、リョウに反論できる人はいなかった。
「確かに、前回の獣鬼の来襲では村人に死者は出なかった。だけど、獣鬼が1回襲ってきたら、その都度確実に「村」は死んでる。少しずつ、確実に、「村」は死んでいくんだ。……俺はこれ以上村を死なせたくない。今まで獣鬼と戦ってきた村の狩人たちも、そのほかの村人たちも想いは同じだ。祈りの巫女も。……おそらく、記憶を失う前の俺自身も」
 そう、か。リョウはここにいる神官たちや巫女たちと違うんだ。ううん、リョウが違うんじゃなくて、あたしたちがほかの村人たちと違ってしまってる。リョウは、あたしも想いは同じだと言ったけど、きっとあたしだって本当には判ってなかったよ。村の人たちの、村に対する想い。それは村に根付いて生きてきた人だけが語ることができるんだ、ってこと。
 リョウはきっと、この2日間村の人たちと語り合って、その想いを感じたんだ。だから命がけで村を守ろうとしてくれる。たとえ記憶がなくても、この村を愛する心がリョウのどこかに残っているんだ。
「とにかく祈りの巫女は俺が守る。俺にだってこいつの命は大切なんだ。自分の婚約者を無用な危険にさらそうなんて思ってない。だが、こんな不確定な力でも今の俺には必要だからな。今、祈りの力が通じなければ、今後どうやったって通じるとは思えないだろ」
 そう言ってリョウが少しだけ笑みを見せたから、その場の緊張が幾分ほぐれていた。
「もし、祈りの巫女の力が影に通じなかったら ―― 」
「そのときは祈りの巫女と心中するだけだ。覚悟しとくしかねえよ」
 さっきからずっとリョウに反論の言葉を投げかけてきた神官、彼は聖櫃の巫女付きの神官で名前はカイって言う。そのカイは、周りの神官たちと顔を見合わせて、やがて1つ溜息を吐いて目を伏せた。そして、何かを思い切るように話し始めたの。
「……リョウ、君がそこまで正直に話してくれたから、オレも正直に言う。オレたちも今まで別に遊んでた訳じゃないんだ。過去の文献を読み返して、歴史上これほど大きな災厄がどうやって退けられてきたか、その研究をしていた。オレたちの結論はこうだ。 ―― 祈りの巫女の力だけでは、この災厄を退けることはぜったいにできない」
 カイの静かな声に、その場はしんと静まり返っていった。
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真・祈りの巫女265
 リョウが言葉を切った、その一瞬の沈黙。まるで空気が見えない刃に変わったみたいだった。切っ先がすべてリョウに向いている刃に。
「なっ……! そんなこと考えてる訳ないだろ! オレたちは祈りの巫女を心配してるんじゃないか! リョウ、おまえの方こそ本当は祈りの巫女を殺そうと思ってるんじゃないのか?」
 1人の神官の叫びに同調の声が上がる。ほかのみんなは顔を見合わせながら困惑していた。あたし、この空気が怖かった。だってここでリョウとみんなが決裂しちゃったら、村を守る作戦どころじゃなくなっちゃうかもしれないんだもん。
 でも、リョウだけはずっと冷静なままで、腕を組んで周囲を見回しているの。リョウの視線に気づいた何人かがリョウに注目して、その静けさがほかのみんなに伝染していくぶん静かになったそのとき、リョウは再び口を開いた。
「おまえらはなんにも判ってない。いいか、よく考えろよ。獣鬼は今は短時間の来襲で村をかき回して引き上げていくだけだが、村の人間が逃げるだけで何もしなければ、いずれは村を占拠するかもしれない。大群でやってきて最後には神殿にも攻撃の手を伸ばしてくるだろう。今までと同じことをやってれば早かれ遅かれ必ずそうなるんだ。なぜなら、祈りの巫女の祈りは通じてない。たった1つの獣鬼を殺すことができただけで、そんなものを獣鬼はなんの痛痒とも感じていないからだ」
 獣鬼の大群が村に押し寄せてくる。その光景を想像して、あたしは頭の中が真っ白になる気がした。
「……そんなになるまで神様が放っておく訳がないだろう。その前に祈りの巫女の祈りが必ず村を救ってくれるはずだ」
「現に祈りは通じてないんだ! そんなあやふやな希望を信じていられる事態じゃねえだろ。村が占拠されて、建物も畑もすべて獣鬼に壊されちまったら、この村に生きてる人間はどうなるんだ。おまえらは、また別の土地に新たな村を作ればいい、くらいに思ってるのかもしれねえ。だけどな、神殿の人間はそれでよくても、村に生きてる人間はそういう訳にはいかないんだ。
 ……いいか、村ってのはな、そこに生きてる村人たちのすべてなんだよ。今この瞬間にも、獣鬼に荒らされた畑を必死で耕してる奴がいる。怪我の痛みに耐えながら自分の店を守り通してる奴もいる。そういう奴らが村を失ったらどうなると思ってるんだ。村人はなあ、村がなければ生きられねえんだよ。いくら神殿が無事でも、自分の命が助かっても、村がなくなっちまったら村人は終わりなんだ! ここでのんきに「いつか祈りは通じる」なんて言ってる場合じゃねえんだよ!」
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真・祈りの巫女264
 翌日の午前中は会議があったから、あたしは朝食を摂ったあと、タキが迎えに来てくれるのを待っていた。タキはリョウと連れ立って宿舎へ来てくれたから、どうやらリョウはまた神官宿舎で朝食をご馳走になったみたい。リョウもタキも何も言ってなかったけど、いずれはリョウも自分で食事を作れるようにならないと困るんじゃないのかな。結婚すればあたしが作ってあげられるけど、それもまだしばらく先の話だし、夏の北カザム狩りに出かければどうあがいたって自分で作らなければならなくなるんだもん。
 そんなのんきなことを考えていたのも長老宿舎に入るまでだった。程なくして始まった会議では、リョウが提示した作戦について、ほとんど参加者全員の反対があったんだ。
「これは既に決定したことよ。祈りの巫女には村に降りて祈りを捧げてもらうわ」
「いくらなんでも危険すぎる! 影は祈りの巫女を狙ってるんだろ? リョウがついているからって、祈りの巫女に万が一のことがあったらどうするんだ! 祈りの巫女の代わりはいないんだ。もしも祈りの巫女が死んだら、村は滅びるしかなくなるんだぞ!」
 集まっていた神官たちも、巫女たちも、それぞれ言葉は違っても意見はほとんど同じみたいだった。みんながあたしのことを心配してくれる。それはすごく嬉しいことだったけど、それだけでは済まないんだってことをあたしは既に理解していた。
 リョウはしばらくの間ただ黙って、みんなが交わす議論を聞いていた。矢面に立っているのは守護の巫女。彼女は回り中が敵になってしまった今の状況でも、あくまで毅然とした態度で説得を試みていた。
「今まで祈りの巫女の祈りははっきりした形で影に対する効果を挙げた訳ではないわ。でも祈りの方法を変えればまだ可能性はあるの。祈りの巫女の身の安全については最大限の注意を払う。それでも試してみようとは思わないの?」
 双方の意見は真っ向から対立していて、あたしにはもう妥協策を見つけることすらできなかった。会議はすっかり膠着状態に陥っていた。お互いの意見は言い尽くされて同じことの繰り返しになっていたの。あたりをざわめきが満たしていたそのとき、今までずっと黙ったままだったリョウが初めて声を出したんだ。
「いいかげんにしろよおまえら。祈りの巫女の命を守るって、いったい何のために守るつもりなんだよ。このままの状態が続けばそのうち神殿にも獣鬼が押し寄せてくるぞ。そうなったとき、こいつの命を差し出して獣鬼に命乞いでもするつもりなのかよ」
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真・祈りの巫女263
 マティはリョウにお酒と、あたしとタキに冷たいお茶を出してくれた。マティはタキにもお酒を出そうとしたんだけど、タキが「オレは飲めないから」と言って断ったの。あたしはタキがお酒を飲めないなんてぜんぜん知らなかった。リョウは知ってたみたいで、ちょっと驚いたんだけど、そういえば昨日の夜は狩人たちと宴会があったって言ってたからリョウもそれで知ったんだろうって思い当たったの。
「ユーナのことはオレも心配してたんだ。オキたちがあんなことになって、次にリョウだろ? そのほかいろいろ噂も耳に入ってきてたしね。でも、思ったより元気そうで安心したよ」
「あたし、今落ち込んでられないの。でも心配してくれてありがとう」
「ユーナは強いね。オレはユーナが小さな頃から知ってるけど、こんなにしっかりした巫女になるとは思ってなかったよ」
 あたし、強いのかな。今はこんなときだからいろいろなことに鈍くなってるけど、本当のあたしはそんなに強い人じゃない気がするの。父さまや母さまのことだって、今は考えないようにしているだけ。もしも村に平和が戻って、いろいろなことを考える時間ができたら、あたしはきっとものすごく弱い普通の女の子になっちゃうんだろう。
「3人とも何か食べていくかい? もう少しするとお客が増えちまうけど、今だったらゆっくり食べられるよ」
「あたしとタキはすぐに帰るわ。でもリョウにはおいしいものを出してあげて」
「記憶がないって聞いたけど、さては食事の作り方も覚えてないのか。……判ったよ。リョウが少しでも何か思い出せるように、以前のリョウが好きだったものを作ってあげよう」
 そう言ってマティは忙しく厨房の準備を始めた。あたしはそれをきっかけにして帰ろうと思ってリョウを見上げると、同じようにあたしを見つめたリョウが言ったの。
「俺はこの店にはよく来ていたみたいだな。常連だったのか?」
「うん、狩人の修行を始めた頃からランドと一緒に来てたみたいよ。最近では夕方あたしと待ち合わせするのに使ってたの。……あたし、これで帰るけど、独りで大丈夫? ランドが来るまでいた方がいい?」
 リョウは馬鹿にするなとでも言うように笑いながらあたしの頭を小突いたから、隣で見ていたタキの方が驚いた顔をしていた。
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真・祈りの巫女262
 夕方まで、あたしはずっと忙しい思いをしていた。あたしの祈り台を作ってくれるきこりは2人いて、あたしたちが行く頃にはほとんどの廃材を崖の下まで運び終えていたの。きちんと場所を決めてなかったから、あたしとリョウはまず1番見晴らしのいい場所を探して岩場を歩き回った。おおよその場所を決めたあと、リョウはあたしを祈り台の高さまで抱き上げて、その位置からどのくらいの範囲が見渡せるか2人で確認した。
 きこりたちが材木の寸法を測って印をつけたところを、リョウがのこぎりで切っていく。リョウは自分で坂道の階段を作ったりするくらいだからすごく器用で、きこりたちに「狩人をやめてきこりにならないか?」なんてからかわれるくらい。あたしも梯子にする細い材木を切らせてもらったんだけど、ぜんぜんリョウみたいに上手にできないの。あたしは切り終えた材木を岩場まで運んだり、休憩するみんなのために川から水を汲んできたりすることで、わずかながらの協力をしていた。
 きこりたちが作業をやめたとき、日はまだそれほど低くなくて、祈り台はまだ外形すらもできていなかった。でも、2人ともそれ以上作業を続ける気はないみたいで、あたしたちも2人にお別れを言ってその場をあとにしたんだ。
「まだ早いけど祈りの巫女は宿舎へ送っていこう。リョウは? これからどうするんだ?」
「ランドが教えてくれた店へ行ってみる。ほかの狩人も何人か来ることになってるんだ」
「それならあたしも一緒に行く。マティの怪我も気になってたところだったの。お店が開けるってことはもうよくなったのかな」
 マティは、父さまと母さまが死んだ2回目の影の来襲で怪我をしていた。あれからもう6日も経つから、きっとすっかりよくなってるんだろう。……そうか、あれからもう6日経つんだ。同じときに怪我したオミはまだ起きられないくらいだから、マティはオミほどひどい怪我はしなかったんだ。
 マティの店は以前と変わらないままそこにあった。あたしが先に立って扉をくぐると、マティは笑顔で迎えてくれた。
「やあ、久しぶり、ユーナ。リョウもきてくれたんだな。そちらの神官は誰だい?」
「こんにちわ、マティ。この人はあたしの世話係をしてくれてるタキよ。怪我の具合はもういいの?」
「まだ少し痛むけどね、仕事ができないほどじゃないよ。このところ店の方も忙しくてゆっくり寝ていられないんだ」
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