2002年10月の記事


あとがき1
 毎日連載小説「続・祈りの巫女」を最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
 3ヶ月以上もの間読みつづけてくださった皆様に、深く御礼申し上げます。
 つたない文章で、誤字脱字、わかりづらい表現等、多々あったと思います。
 この場でまとめてお詫び申し上げます。

 前回「祈りの巫女」のあとがきでも書きましたが、このお話は黒澤が10年くらい前に途中のまま完成させられなかった「シャーマンの祈り(仮題)」という小説を、主人公をユーナに変更して書き直しているものです。
 この、「主人公をユーナに変更」というプロセスがあったので、もともとの「シャーマン〜」(←現代モノ)では必要のなかった様々な状況説明が必須となりまして。
 前回の「祈りの巫女」と今回の「続・祈りの巫女」は、ほとんどその説明のために書いたと言っても過言ではなかったんですね。
 第1作では、とりあえず読者の方にこの物語の世界がファンタジーであることと、幼いユーナとリョウ、シュウとの関係が判っていただければOKだったので、割に簡単簡潔にまとめることができました。
 ところが、問題はこの第2作でして。
 次の第3作はこのシリーズのいわば本編で、本来書く予定だった「シャーマン〜」の内容そのものになってくるので、それまでに必要な説明はすべてこの第2作に収めなければならなかったんですよ。
(プログラム用語で俗に言うバッチファイルみたいなものです・笑)
 具体的には、登場人物紹介、神殿と村の現状説明などで、これらは第3部では詳しく入れているスペースがないんですね。
 そして1番重要なこととして、ユーナとリョウが恋人同士になっていなければいけなかったんです!
 ほんと、今回のお話はこれに泣かされました。
 だって、リョウってば、リョウってば、ぜんぜんユーナに本心を見せてくれないんですよ〜!!
 おかげで黒澤はリョウを追い詰めるため、マイラや母さま(←この人名前がないな;)にユーナを焚き付けさせたり、カーヤに告白させてユーナに怒鳴り込ませたりして北の山に追い払い、帰ってきたリョウの前からユーナを逃亡させ、挙句の果てにはユーナにキスまでさせる羽目に陥ってしまいました。
 だいたい当初の予定では、リョウが北の山へ行くエピソードなんか、微塵もなかったんですよね〜。
(これに伴ってランドの嵐の説明が増えたのは言うまでもありません;)
 もともとつなぎのお話というのは文字数が増える傾向にあるのですが、リョウがうだうだしていたせいで増えた文字数というのは、本当に計り知れないものになってしまったんです。

 という訳で、このお話が3桁の大台に乗ってしまったのは、すべてリョウのウジウジと、ユーナの人並み外れた鈍さのせいなんです。
(まあ、ユーナが鈍いのはしょうがないんですよ。黒澤が一人称キャラで恋愛をやるとそういう傾向はついてきちゃうので;)
 そして、リョウが画面上でひたすら迫害されつづけていたのは、言ってみれ
ばリョウの自業自得だったんですね(笑)



 明日もあとがきの続きを配信します。
 もしも感想などありましたら、ぜひお寄せくださいませ。
 では、また明日。
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続・祈りの巫女100/最終回
 山の道は日が沈むのもすごく早くて、それほど時間が経ってる訳じゃないのに、足元はもう見えなくなり始めていた。リョウがあたしの手を引いて、転ばないように気を遣いながらゆっくり歩いてくれる。これがあたしだけのリョウだよ。いつかあたしはリョウと結婚して、毎日この道を神殿に通うようになるんだ。
「あたし、リョウの家に帰るようになるのね。毎日神殿の宿舎に行って、でも帰る家はリョウの家になるの」
 このときリョウは振り返らなかったけど、つないだ手を握り締めることで答えてくれた。
「早くその日がくるといいな。……リョウ、いつ結婚するの?」
 リョウは足を止めて、振り返って笑ってくれた。その笑顔にドキッとする。あたし、リョウの笑顔にしばらく慣れそうにないよ。
「……ユーナが16歳になって、オレが20歳になったら」
 あたしが16歳になって、リョウが20歳になったら ――
「2年後の……、秋……?」
「そう。2年後の秋。それ以上は待たないから」
 あたし、あと2年と少しでリョウのお嫁さんになれるんだ! 早くその時がくればいいのに。
「ユーナ、今、泣いてない?」
 リョウがちょっと困ったようにそう言って、あたしは言われた言葉を不思議に思ったけど、今は泣いてはいなかったから素直にうなずいた。そうしたら、リョウはゆっくり顔を近づけてきて、そっとキスしてくれたの。胸の中がかっと熱くなって、心臓がドキドキして、あんまり幸せでめまいがしそうだった。
「……きっと、あと2年経ったら、ユーナはもっときれいになってるだろうな」
 リョウが顔を赤くしながらそう言って、あたしはちょっと吹き出すように笑った。リョウだって今よりずっとかっこよくなってるよ。あたし、頑張るから。リョウのお嫁さんにふさわしくなれるように。
 みんなに頼りにされる祈りの巫女になって、お料理もお裁縫も誰にも負けないように練習して、リョウが自慢に思える女性になるんだ。

  ―― リョウが今までくれた優しさを、これから少しずつ返していけるように。
 そんなあたしの想いは、リョウの微笑みに背中を押されて、いつか現実になるような気がした。

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続・祈りの巫女99
 肩を抱いたリョウの息はすごく近かった。さっき、リョウはその唇であたしにキスしてくれたんだ。それが初めて実感として押し寄せてきたみたいで、あたしは急にリョウに肩を抱かれているのがすごく恥ずかしい気がしたの。リョウがこんな風に肩を抱いてくれるの、今までだって何回もあったのに。優しく肩を抱いてくれて、頭をなでてくれて、そのときあたしはすごく元気が出てきたんだ。
 なんか、今までとはぜんぜん違う世界にいるみたい。リョウの手の感触も、まるで初めて触れているみたい。こんな風に思えるのはあたしが変なの? リョウは今どんなことを思ってるの?
「……小さな女の子だって言ってたよ。あたしが他の人と結婚したら、あたしの家族も守ってくれるんだ、って」
 初めてのリョウに戸惑ってしまって、あたしはそんな返事をした。
「それは嘘。オレ、ユーナのことがずっと好きだった。ユーナがシュウのことを好きだったときも、シュウが死んでシュウのことを忘れてた時も、オレはユーナのことしか見てなかった。ずっとユーナと結婚したかった」
 嘘、ついてたの? リョウ。あたしがリョウのこの言葉で、すごく悲しい気持ちになってたのに。
「小さな女の子だなんて最初から思ってない。ユーナのことは、オレはずっと1人の女として見てた。オレが男だから、ユーナは女なんだって。だけどそんなこと言ったらユーナが怯えそうだったからね。いつも、顔を見るたびにオレはユーナにキスしたくて、でもユーナがオレのことをそう思ってくれてなかったら逃げられちゃうだけだし」
「……そんなの、知ってたらあたしこんなに悩まなかったよ」
「それはオレも同じ。ユーナが悩んでくれてるって知ってたら、夜中に大酒飲んで壁に頭打ちつけながら絶叫したりしなかった」
 そう、リョウが言ったその姿を思い浮かべて、あたし思わず吹き出していたの。リョウはそんなことしてたの? 確かにリョウの家のまわりには誰の家もないから、夜中どんなに絶叫しても誰にも笑われたりしないけど。
 リョウは、そんなちょっと恥ずかしい自分も、あたしに見せていいって思ってくれたんだ。
「それで? オレと結婚してくれる?」
 耳元でリョウにささやかれて、あたしは自然にうなずいていた。
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続・祈りの巫女98
「リョウ、待って!」
 せっかくリョウがキスしてくれたのに、あたし最悪。きっとリョウ怒っちゃったよ。そんなに早足じゃなかったけど、リョウが普通の歩き方で歩いたらあたしは小走りでついていくのがやっとで、必死で追いかけながらリョウの背中に声をかけた。
「ごめんなさいリョウ。あたし、泣いてたから鼻で息できなかったの。リョウは泣いたことがないから判らない? 泣くとね、涙が鼻水になっちゃって、鼻が詰まっちゃうのよ。だから怒らないでリョウ。リョウがキスしてくれたのが嫌だったんじゃないの」
 言いながら、あたしはまた泣きたくなっちゃったよ。リョウが初めてしてくれたキスだったのに、あたし、もっとちゃんとリョウのキスを感じたかったよ。
 そうして少しの間リョウを追いかけていたら、やがてリョウはぴたっと足を止めた。
「リョウ?」
「……あ、うん。ごめん。ちょっとオレ、自分に驚いてた」
 リョウは片手で頭を抑えて、そのまましばらくじっと考えているみたいだった。あたしもリョウの言葉の意味が判らなかったから、うしろからリョウを見守っているしかできなかった。
「外を歩いたら少しは頭が冷えると思ったんだけど。……ごめんね。危うくユーナを窒息死させるところだったな」
 そう言って再び振り返ったリョウには、さっきあたしを抱きしめた時の雰囲気なんか微塵もなかった。なんか、リョウがあたしにキスしてくれたなんて、まるで嘘だったみたい。でも、あたしを見てほんの少ししたとき、リョウの表情はまた変わって、なんだかすごく幼い顔で拗ねたように見えたんだ。
 そんな表情で、リョウはゆっくり近づいてきて、そっとあたしの肩を抱いたの。
「やっぱり、顔を見ちゃうとダメだな。……狩りから帰ってきて、ユーナに会ったら最初に言おうって思ってた。なんかいろいろあってタイミング外れたけど、おかげでずいぶん言いやすくなった。
  ―― ユーナ、オレと結婚して欲しい」
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続・祈りの巫女97
 リョウの笑顔にドキドキする。やっぱりあたし、リョウのことが好きだよ。あたしはリョウを諦めなければいけないの? リョウにとってあたしは小さな女の子のままで、だからリョウが誰かと恋して結婚するのを黙って見ているしかないの?
 泣きたくないのに、リョウの笑顔を見ていたらすごく悲しくなった。泣いてもリョウを困らせるだけなのに。リョウ、もういいから早く言ってよ。どんな言い方でもいいよ。あたしのことはただの近所の女の子で、好きになることはできなかった、って。
 頬に涙が落ちた時、リョウは一瞬のうちに表情を曇らせて、ちょっと苦しそうな顔を見せた。そして次の瞬間、リョウはいきなりあたしの腕を引いて、大きな身体に包み込むようにあたしを抱きしめたんだ。
「ユーナ、ユーナ……」
 耳元で聞こえたリョウの声はすごく苦しそうだった。抱きしめられたあたしはもちろんびっくりして、しばらく呼吸が止まってしまった。リョウの胸に力いっぱい押し付けられたあたしも苦しかった。リョウ、いったいどうしたの?
「……いつもそうだユーナは。オレが、いったいどんな気持ちでおまえのこと見てるかなんてぜんぜん気づかないで、あんなところであっさりキスしてみたり、あんなこと言って……」
 ……リョウ、怒ってるの? いったい何を怒ってるの? ……頭がボーっとして、なんだかちゃんと考えられないよ。リョウの匂いがする。息が苦しくて、身体の力が抜けていくみたい。
「どうしてこんなタイミングで泣くんだよ! この ―― 」
  ―― 気がついたとき、あたしの唇はリョウの唇にふさがれてた。
 びっくりして、息が苦しくて、無言のままあたしは少し抵抗した。だって、あたし今の今まで泣いてて、だから鼻で息できなかったの。口がふさがれちゃうともうどうしようもなくて、しまいには片手でリョウの胸を叩いて必死でリョウに教えようとした。リョウはすぐには気づいてくれようとしなくて、でも抵抗を続けていたら、やっとリョウはキスを止めてくれたんだ。
 身体が自由になったあたしは、何度も大きく呼吸をした。リョウはあたしを抱きしめるのもやめていて、やっとあたしが顔を上げた時には、また背を向けて歩き始めてたの。
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続・祈りの巫女96
 もし、今の季節が夏じゃなくて、北の山という狩場がなかったら、リョウはあたしが思ってたように本当に村を出て行ってしまったのかもしれない。あたしはあの時リョウに、そのままのリョウでいて欲しいって言ったつもりだった。もう、シュウの真似をしなくてもいいよ、って。そう言ったつもりだったのにその思いはちゃんと伝わってなかったんだ。
「北の山の狩りは汚いんだ。いや、別に北の山が汚れているとか、そういうことじゃなくて。……オレたち狩人の仲間でも、今年は北カザムを5頭も狩ってやったんだとか、自慢する奴がいる。だけどそいつは北カザムを殺しただけで、食べてないんだ。オレは、動物を食べてやれない狩をするのが嫌だっだ。冬の北カザムだけだって村の通貨はまかなえるから、オレはただ殺すだけの夏の狩りへは行きたくなかったんだ」
 口を閉ざして、黙ったままだったけど、あたしは言いたかった。リョウ、あなたは悲しいくらいに優しいよ。リョウのこの優しさは、けっしてシュウの真似をしてる訳じゃないよ。母さまが言ってたじゃない。リョウは、人と関わるのが難しくて、でもとても素直な子供だったんだ、って。
「だけど、実際に狩をしてみて思ったんだ。夏の狩りは毛皮のためだけに北カザムを狩る。それはすごく汚いことで、オレにとっても嫌な仕事だった。でも、そういうことをしなければならない時もあるんだ。オレはうまく言えないけど、狩人になったからには、そういう狩りの汚い部分もぜんぶ背負わないといけない。それが狩人の責任なんだ。……ユーナ、オレは独りで生きるだけなら、その日の食料になる分だけ動物を狩れば生きていける。生きている獣に命がけの勝負を仕掛けて、それに勝った時に初めて明日の命をつなげることができる、そういう生き方でいい。でも、誰かと生きようと、誰かを守ろうと思ったら、それだけじゃ済まされないんだ。オレ独りなら着るものだって動物の毛皮で十分だけど、産まれた子供にやわらかい布を着せてやることはオレにはできない。誰かを守るってことは、そういう汚い仕事もできる強さがなければいけないんだ」
 そう言葉を切ったそのとき、リョウは初めて振り返っていた。リョウの笑顔は薄闇の中でもはっきり判るくらいキラキラしていて、あたしはまたドキドキしてきちゃったんだ。
「北の山に行ってよかったと思う。オレも誰かのために何かが出来るんだって、自信が持てるようになったから」
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続・祈りの巫女95
「送っていく」
 そう一言だけリョウは言って、あっという間に寝室から出て家の外まで歩いていってしまった。あまりの出来事に呆然としちゃったよ。あたし、またリョウを怒らせるようなことを言ったの? またリョウは何か誤解したの? あたしはリョウのお嫁さんになりたいって言ったんだよ。これ、どう解釈してもぜったい誤解できないと思うし、リョウがあたしと結婚したくないと思ってたって、それなら「オレはユーナと結婚する気はない」って言えばいいだけだと思うんだけど。
 もちろん、そんな言葉を言われたらあたしは悲しい。リョウの目の前でわんわん泣いちゃうかもしれない。そうか、リョウは優しいから、もしかしたらあたしを悲しませるのが嫌でその言葉を言えないのかもしれない。あたしを傷つけたくないから、どう言えばいちばんあたしが傷つかないか、それを今独りで考えてるのかな。
 んもう、結果が同じならどう言ったって同じだよリョウ!
 あたしも部屋から出て、家の外にリョウのうしろ姿を見つけて、気配に気づいたリョウが歩き始めたそのうしろをついていったんだ。
 リョウの歩き方はゆっくりで、あたしにどう話をしようか考えているのが判った。あたりはもうかなり暗くなりかけていて、道が見えないほどじゃなかったけど、でもうっかりしていたら段差につまづいて転んでしまいそうだった。リョウはずっと下を見たまま考え込んでいたけど、やがて大きく溜息をついて、やっと最初の一言を話した。
「ユーナ、オレは勝手に考えて、ユーナに必要とされてないと思った」
 ……そうか、さっきあたしがリョウの言葉をさえぎっちゃったから、リョウはその続きを話し始めたんだ。リョウにはまだ言いたかったことがあるんだ。今度は邪魔しないように、あたしはもう何も話さないって、心の中で自分の口を縫い付けた。
「オレがユーナに毎日会いに行ってたのは、ユーナに何かあった時に助けたかったから。毎日ユーナの話を聞いてたら、ユーナに何かあったときにはすぐに判ると思ってた。ユーナに必要とされる男でいたくて、だから夏の狩りのことも話さなかったんだ。だけど、そんなことを続けてても、けっきょくユーナはオレを必要としてなかった。このとき、オレはもうどうしたらいいのか判らなくなっちまって……。恥ずかしいことだな。オレは、何もかもから逃げ出したくて北の山へ行ったんだ」
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続・祈りの巫女94
「……リョウ、勝手に自分だけで考えて、あたしのこと判ったような気になって、必要ないなんて言わないでよ。リョウがいなくて、もう2度と帰ってこないかもって、おかしくなりそうだったんだから。リョウがいつもいつも優しかったら、リョウが怒っててもあたしには判らないんだよ。知らない間に傷つけてるかもしれないって、そんなこと思ってたら、あたしリョウに何も言えなくなっちゃうよ。リョウがいない間あたし本当に怖かった。リョウのこと傷つけて、でももう一言も謝れないのかもしれないと思って……」
 目に、たくさん涙がたまってて、リョウがそっと手を伸ばして頬に触れた時、一筋ずつこぼれ落ちた。リョウがすごく戸惑ってるのが判った。感情が高ぶりすぎて涙が出ちゃうなんて、すごく子供みたいで嫌だったけど、でもこれがあたしなんだ。リョウに子供のように扱われて、リョウの恋人にはまだまだふさわしくないって思われても。
「……たぶん、ユーナの言うとおりだな。オレは自分で勝手に考えて、ユーナのことを判ったような気になってた」
 リョウは、あたしの涙をずっとぬぐっていた。ゆっくり、たぶん必要以上の時間をかけて。
「ユーナは誰のことでも一生懸命で、夢中になると他のことなんか何も見えなくなる。カーヤのことでも、泣きながらオレに怒鳴り込んでくるくらい一生懸命だった。だから、ユーナがオレのことで一生懸命になってくれるのも、その延長なんだって思ってた。ユーナがオレのことを好きだって言ってくれるのは、オレがずっとユーナに優しくしてきたから。そう思い込んでた」
 そうなの? あたし、リョウは誰にでも優しいから、あたしへの優しさが他の人に向けたのと同じなのかどうか悩んでた。同じようにリョウも、あたしが誰のことでも一生懸命だから、リョウに向けた一生懸命も他の人と同じだと思ったの?
 カーヤに言われた、あたしは自分の気持ちが伝わりにくい人なんだ、って、もしかしたらこのことだったのかもしれない。
「あたし、リョウのこと他の人と同じになんか思ってなかったよ。あたしは父さまも母さまもカーヤも好きだけど、リョウを好きなのとはぜんぜん違うの。カーヤが頭が痛いって言えばすごく心配だけど、リョウのことはなにもなくても心配なの。ほかに心配事が何もなかったら、気がつくとリョウのことを考えてるの。あたし、もっと大人になったら、いつかリョウのお嫁さんになりたい。そう思ってるの」
 あたし、もうぜったいに誤解されないように、心のぜんぶの想いを込めてリョウに言った。あたしがそう言ったあと、リョウは唇を固く結んで、あたしから目をそらした。そして、しばらく沈黙したあと、突然リョウは勢いよくベッドから立ち上がったんだ。
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続・祈りの巫女93
「前にユーナには話したことがあるね。オレは子供の頃、ユーナがシュウとばかり遊ぶのが悔しくて、ユーナに意地悪ばっかりしてた。オレの我儘でユーナを傷つけてた。シュウが死んでからはユーナにずっと優しくしてきたけど、それで足りるなんて思ってなかったんだ。どんなにオレが優しくしたって、あの頃ユーナを傷つけてた事実に変わりはないんだ。昔のことを思い出したユーナは、最初は以前と変わらないように振舞ってたけど、そのうちどことなくオレを怖がるようになった。小さな頃、オレにいじめられてたことを無意識のうちに思い出してるんだ」
 リョウ、そんな風に思ってたの? 違うよ。あたしがリョウを怖いと思ってたのって、小さな頃のことを思い出したからじゃないよ。リョウがずっとあたしに優しくしてくれて、だけどその優しさの中に違うリョウがいるってことを無意識に感じてたからなんだ。本当のリョウは優しいだけじゃないんだ、って。でも、あたしはその違いをリョウにうまく説明できる気がしなかった。あたしは黙ったままだったし、リョウはあたしの顔をぜんぜん見ていなかったから、何ごともなかったかのようにリョウは話を続けた。
「だからオレはもっとユーナに優しくしたかった。優しくすればユーナはオレを怖がらなくなって、いつかは子供の頃のことを忘れてくれるって。でも……ユーナが言ったんだよな。優しくなくてもいい、って。優しいオレじゃなくてもいいんだって。その時オレ、ユーナに否定されたような気がしたんだ。オレはユーナにはもう必要のない人間なんだ、って ―― 」
「違うもん!」
 気がついたらあたしはそうリョウの言葉をさえぎっていて、驚いたリョウはあたしを振り返っていた。
「あたし、そんなつもりで言ったんじゃないもん! リョウがずっとあたしに優しくしてくれて、あたしは嬉しかったけど、でもそれってリョウがすごく無理してるみたいに見えたんだもん。本当のリョウはもっと怒ったり拗ねたり、たくさん心の中にあるのに、それをぜんぶ殺してたらそれはリョウじゃないんだもん。あたしは優しいリョウでいてくれるより、嫌なことはちゃんと怒ってくれるリョウでいて欲しかった。タキの話をしたら「オレの前で他の男の話なんかするな!」って怒って欲しかったんだもん。リョウのことが大好きだから、リョウの好きなことも嫌いなことも、あたしはぜんぶ知りたいよ……」
 一気に感情が高ぶってしまって、あたしは少し涙目になっていた。
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続・祈りの巫女92
 あたしが謝ったのに、リョウは黙ってあたしに背を向けているだけだった。リョウ、まだ怒ってるの? こんなことで怒ったまま許してくれないなんて、いつものリョウじゃないよ。
「リョウ?」
 あたしがそう声をかけたら、ようやくリョウはぼそっと呟いたんだ。
「……ベッドになんか座るんじゃなかった」
「……え?」
「いや、なんでもない。……ユーナ、今オレが何考えてるか判る?」
 リョウは向こう側に足を組んで、横目であたしを見て言った。こんなリョウ、あたしは知らない。だから今リョウが何を考えてるかなんてぜんぜん判らないよ。そう思って、あたしが首を振ったら、リョウはまた視線をあさってに向けてしまった。
「判らないならそれでかまわないから、ぜったいそこから動かないこと。間違ってもオレに近づいたりするなよ。できれば黙って、今度はオレの話を聞いて。つまらなかったら途中で帰ってもいいから」
 リョウ、いったい何を怒ってるんだろう。あたしに、近づいたりするな、って。あたしが近くにいるのが嫌なくらい、リョウはあたしを怒ってるの? もしかして、あたしが内緒でリョウにキスしたのが、リョウはそんなに嫌だったの?
 そこまで考えてあたしはすごく悲しくなった。でも、そのあとすぐにリョウが話し始めたから、言われたとおりじっと動かないでリョウの話に耳を傾けたんだ。
「まず始めに、ユーナにはちゃんと謝らないといけない。オレ、ユーナに何も言わないで8日も村を空けたんだ。ユーナがすごく心配してくれてたことを今日ランドに聞いたよ。本当にごめん。最初にちゃんと話してから行くべきだった」
 そう、あたしに頭を下げた時だけ、リョウはあたしの方を向いた。あたしは自分の中ではリョウを許していたし、だからリョウの謝罪を受け入れずにいる理由はなかった。あたしが「次からはちゃんと知らせてから出かけて」と言って微笑みかけたら、リョウも少しだけ微笑んで、そのあと弾かれたようにまたあちら側を向いてしまった。
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続・祈りの巫女91
 自分がうなずいた時のリョウの表情を、あたしは見ていなかった。恥ずかしくて、うなだれたまま顔を上げることができなかったから。あたしの両肩を掴んだリョウの手は、力を入れすぎたみたいで震え始めてた。あたしもたぶん痛かった。でも、そんな痛みはぜんぜん気にならなかったんだ。
 やがて、リョウはゆっくりと手の力を抜いて、あたしを掴むのをやめた。あたしも少しだけ落ち着いてきたから、やっとリョウを見上げることができたの。リョウの目はあたしを見ていた。いつものリョウとはちょっとだけ違う、でもすごく優しい微笑を浮かべて。
「ユーナ、いつまでもゆかに座らせておいてごめんね。ここへ座るといいよ」
 リョウはそう言ってベッドの隣を少し空けてくれた。あたしもまだ戸惑っていたけど、リョウの言うとおり、少し膝の砂を払ってからリョウの隣へ座りなおした。こうして隣に座ると、リョウはすごく背が高いんだってことに気がついた。ずっと知ってることなのに、ふとした瞬間、いつもあたしはそのことに気がつくんだ。
「オレに会いにきてくれたの?」
 そう、リョウが言ったから、あたしもここへくるまでに考えてたことを思い出していた。
「謝りにきたのよ。さっきはごめんなさい。リョウが帰ってきてくれたのに、あたし逃げたりして」
「ユーナが怒っててもしかたないよ。黙って狩りに行ったのはオレが悪いんだから。オレの方こそ謝らないと」
「ううん、さっきのは違うの。あたしあのあとランドとカーヤに怒られたもん。……あの時ね、リョウがすごくキラキラしてて、すごくきれいな笑顔で、まるで知らない人みたいに見えた。あたしが好きなリョウはこんな人じゃないって、そう思ったの。すごくドキドキして、それ以上リョウのこと見ていられなかった。だから逃げたの。リョウのこと怒ってたからじゃないの。だからごめんなさい」
 あたしが話している途中から、リョウは驚いたような、信じられないような表情であたしを見ていた。そして、あたしが言葉を切ると、唇を固く結んで反対側を向いてしまったんだ。リョウ、どうしたんだろう。カーヤは、あたしがこのことをリョウに話したら、答えはリョウが教えてくれるって言ってたのに。
 あたしがリョウに声をかけようと少し乗り出したら、リョウは逆にあたしから遠ざかるように座る場所をずらした。
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続・祈りの巫女90
 あたしがちょっと焦りながらリョウを覗き込んでいた時、リョウはぱちっと目を開けて、とたんに驚いた表情を顔に浮かべた。それから勢いよく上半身を起こしたから、リョウはベッドの向こう側の壁に頭をぶつけてしまったんだ。だけどそんなことにはぜんぜん気がついてないみたいだった。頭を抑えることもしないで、驚いた表情のまま、あたしを見つめていた。
「ユーナ……。今、オレにキスしてた……?」
 やだ、リョウ気がついてる! あたし、自分がしたことの恥ずかしさで、ほとんどパニックに陥っていた。
「あ、あの、ごめ、ごめんなさ……」
「謝らないで! ……お願いだ、ユーナ、頼むから」
 リョウはあたしの肩を掴んで、あたしの言葉をさえぎった。リョウの顔が間近になってしまって、でも両肩を掴まれたあたしはベッドの前に膝をついたまま逃げることもできなくて、まともにものを考えることもできなくなってしまった。リョウが怒ってるよ。それだけで、あたしにはリョウが言ってることなんて、ぜんぜん耳に入ってなかったんだ。
「あの、だから、そんなつもりじゃなくて、起きてるなんてぜんぜん思わなくて……」
「言い訳を聞きたいんじゃないんだ! ユーナ、ほんとにオレにキスしたのか?」
「えっと、……ごめんなさい」
「謝るなって! オレ、このことだけはぜったいユーナに謝られたくない!」
 そう半ばリョウに怒鳴られるみたいになって、あたしは思わず口をつぐんだ。あたしの頭はパニック状態で、口を開いたらもうごめんなさいしか出てこなくなっちゃってた。でも、謝れば謝るほどリョウは怒るんだもん。心臓がドキドキして、リョウの顔をずっと見つめているしかできなくなって、あたしをじっと見つめていたリョウはやがて少しだけ息をつくように視線をそらしたんだ。
「……ごめん、ユーナ。大きい声を出して。……1つだけ、首を振るだけでいいから教えて。今、オレにキスした……?」
 秘密にしようって思ってた。ぜったい誰にも教えないって。でも、しょうがないよ、本人に見つかっちゃったんだもん。あたしは恥ずかしくて、でも謝ることもできなかったから、少しだけ顔を上げたリョウの視線を避けるように1つ、うなずいた。
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続・祈りの巫女89
 最初、黙ってリョウの部屋に入ってしまったことがちょっと後ろめたかったけど、リョウの顔を眺めているうちにいつしか忘れてしまっていた。目を閉じて眠るリョウは何の表情も浮かべていなくて、耳を澄ましてもほとんど寝息が聞こえないくらい静かだった。狩人は動物に気配を悟られちゃいけないから、普段もできるだけ静かに行動するんだって。匂いを残さないようにお風呂には毎日入るし、だからリョウもきれい好きで、山にいる間に伸びた髭も下の家でぜんぶ剃ってきたみたいだった。
 もともとリョウはそんなにふくよかじゃなかったけど、それにしても少し痩せたかもしれない。黒く日焼けして、無駄な肉がすっかり落ちて、精悍な顔つきになった気がする。それとも日に焼けたからそう見えるだけなのかな。なんだか今までよりもずっとかっこよくなったような気がするよ。
 そうしてしばらく見ていたけど、リョウはぜんぜん目を覚ます気配がなくて、さすがのあたしも少し飽きてしまった。どうしよう、このまま目を覚ますのを待ってた方がいいのかな。それとも、今日のところは諦めて、明日もう1度来た方がいいのかもしれない。
 あたりはそろそろ日が傾いて、リョウの寝室の窓からも夕日が差し込み始めていた。部屋の中はゆっくりと赤く染まっていって、無防備なリョウの顔にも夕日が当たっている。リョウの浅黒い肌に、夕焼けの光が当たって、あたしはまた昼間のドキドキを思い出してしまっていた。やっぱりあたし、リョウのことが大好きだよ。
 ちょっとだけなら、触っても大丈夫かな。
 大丈夫よね。今までずっと目を覚まさなかったんだもん。黙ってたらリョウにだって判らないよね。
 あたし、本当に慎重に、ゆっくり、リョウの顔に近づいていった。息を止めて、間近になってしまったリョウのまぶたを見つめる。ドキドキしながら、そっと、リョウの唇に触れてみたんだ。ちょっと触れただけだったのに、そこからじわっと胸の中が温かくなって、でも少し恥ずかしくて、あたしはそれ以上リョウに触れていることができなくなってしまったの。
 リョウに、キス、しちゃった。なんだかものすごく大切な宝物を手に入れた気分だった。あたし1人だけの大切な秘密。この秘密は、リョウにもカーヤにも、ぜったい誰にも打ち明けないんだ、って。
 なのに、そう思った次の瞬間、リョウの睫毛がかすかに揺れて、リョウは目を覚ましたんだ。
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続・祈りの巫女88
 それでもしばらくはうだうだ悩んでいたのだけれど、そのうち呆れたカーヤに宿舎を追い出されてしまって、しかたなくあたしはリョウの家への坂道を降り始めた。最初にリョウを見たときのようなドキドキは落ち着いてきていたけど、少しでもリョウを思い出すとすぐに復活してしまいそうで、あたしは道の途中何度も立ち止まってしまった。この道、リョウがあたしが歩きやすいようにって、坂の急なところには階段をつけてくれたんだ。小さな川には橋をかけて、リョウの家の前にある1番急な坂道には、階段に手すりもつけてくれたんだ。
 リョウはあたしのところに毎日会いにきてくれた。だけど、それよりずっとたくさんの時間を、あたしのために費やしてくれてる。リョウが作った道をゆっくり歩きながら、あたしはリョウが真っ先にあたしに会いにきてくれなくて悔しかったことを、とても恥ずかしく思ったんだ。だって、リョウがいなかったのってたったの9日間なの。そんなの、リョウがあたしにくれた時間と比べたら、ほんとにわずかな時間だったんだ。
 自分のために時間を使ったら、たった9日間でもリョウはあんなにキラキラできる。ランドはあたしがおかしいって言ったけど、やっぱりリョウは少し変わったよ。ランドは気づいてないのかな。それとも、リョウはランドにはいつもあんな笑顔を見せていて、あたしが今日初めてその笑顔を見ただけだったのかな。
 あたし、リョウがどんなに変わっても、ぜんぶ受け入れようって思ったのに。リョウに変な態度を取ってまたリョウを傷つけちゃったよ。ちゃんとリョウに謝らなくちゃ。リョウに謝って、あたしが思ってることぜんぶ、リョウに話すんだ。
 そう、心を決めてあたしは、リョウの家のドアをノックした。でも家の中から返事はなくて、あたしはちょっと迷ったけど、ドアをそっと開けてみた。テーブルの上にはリョウが使っている狩りの道具が積んであって、いつもはきれいに整備しているのにまだ手をつけてないみたいだった。寝室のドアも開いたままで、覗き込むとゆかに靴が脱ぎ散らかしてあって、ベッドの上にリョウが仰向けで眠っているのが見えたんだ。
 音を立てないように、あたしはリョウの寝室へ入って、ベッドのそばに膝をついた。そのまま、疲れて眠るリョウの寝顔を、しばらく見つめていた。
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続・祈りの巫女87
 カーヤとランドに挟まれて、あたしはなんだか2人に責められているような気がしてきたの。あたし、確かにリョウのこと、少し怒ってた。でもあたしが逃げたのは違うんだもん。あたしが怒ってたことなんか、リョウの顔を見たら全部吹き飛んでしまってたの。
「……リョウ、おかしいよ。変だよ。なんでリョウはあたしに笑いかけるの? あんな顔で笑ってるの、あたしのリョウじゃないよ」
 あたしはまだ顔を上げることができなかったけど、でも気配で2人が顔を見合わせたのが判った。
「なんでリョウはあんなにキラキラしてるの? どうしてこんなにドキドキするの? すごく眩しくて、あんなリョウずっとなんて見てられないよ。どうしてランドは平気なの? あたしだったら、あんなリョウと一緒に山をのぼってなんかぜったいこられないよ」
 あたしが一気にそう言ったあと、ランドは身体の力を抜いて、ふうっと、大きく溜息をついたみたいだった。それから少し時間があって、今度はもっとゆっくりとした口調で、ランドが話し始めた。
「それはな、ユーナ。リョウがおかしいんじゃない。おまえの方がおかしいんだ」
 そう、ランドの言葉を聞いて、あたしはほんの少しだけ顔を上げかけた。
「おまえは本当に大バカだな。あんな態度とったら、誰だっておまえがリョウを怒ってると思うじゃないか。おまえが逃げちまったから、リョウはユーナが自分を怒ってるって、落ち込んでたぞ。いいか、ユーナ。自分がしたことの責任は自分で取れよ。リョウは今日と明日はずっと家にいる。オレが聞いたんだから間違いない。おまえは今日か明日のうちに自分からリョウの家に行って謝れ。いいな!」
 そのままランドはベッドから立ち上がって、宿舎を出て行った。玄関を出る時に一言、
「あー、ばかばかしい。くるんじゃなかった」
と呟いて。ランドの気配がなくなったから、ようやくあたしも顔を上げることができた。見上げるとカーヤがあたしを見つめていて、その表情には苦笑いが浮かんでいたんだ。
「セーラの恋愛では鋭くて驚いたけど、ユーナは自分のこととなるとからっきしなのね。ランドの言うとおりよ。本当にばかばかしいわ」
「……カーヤも、あたしがおかしいんだと思うの? あたしって大バカなの?」
「ええ、そう思うわ。いいからリョウのところへ行ってらっしゃいよ。今のユーナの気持ちを話したら、答えはリョウが教えてくれるわ」
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続・祈りの巫女86
 宿舎に駆け込んで、そのまま自分の部屋のドアを開けて飛び込んだ。心臓がドキドキ言ってる。ベッドに崩れ落ちるように突っ伏して、あたしは少し落ち着けるように、大きな深呼吸を何度もした。それでもなかなか心臓の鼓動が収まらなかった。日に焼けて真っ黒になったリョウの顔が、強い日差しに映えてすごく綺麗で、その笑顔が眩しくて、あたしはどうしたらいいのか判らなくなってしまったの。
 あんなの、リョウじゃないよ。あんなにキラキラしてて、こんなにドキドキするリョウなんてあたしは知らないよ。あたし、リョウがあんな風に笑ってくれるなんて思ってなかった。ううん、リョウがどんな顔をするかなんて、あたしはぜんぜん想像してなかったんだ。
「ユーナ、どうしたの? いきなりいなくなっちゃうなんてユーナらしくない」
 心配してくれたんだろう、カーヤがドアを入ってくる。あたし、自分の部屋のドアを閉め忘れたんだ。突っ伏したままのあたしを見て、カーヤはちょっと驚いたみたいだった。
「どうしたのユーナ。……泣いてるの?」
 あたしは顔を伏せたまま何回も首を振った。それで少し安心したのかな、カーヤはあたしの隣に膝をついて、肩に手を乗せて言った。
「ダメじゃないユーナ。せっかくリョウがユーナに会いにきてくれたのに」
「……あんなのリョウじゃないもん。あたしの知ってるリョウじゃないよ」
「どうしたの? まさか怒ってるの?」
 あたしはもう1度首を振った。その時、今度はちゃんとドアを開ける音がして、すぐにランドの声が飛び込んできたんだ。
「ユーナ! おまえなんだって逃げるんだよ。せっかくオレが感動の再会を見ようとこんなところまでリョウについてきてやったってのに」
 ランドはずかずかとあたしの部屋まで入ってきて、カーヤの反対側からベッドに腰をかけた。
「ねえ、ユーナ。どうして逃げたりしたの? リョウのことを怒ってるんじゃないの?」
「なんだよおまえ。リョウを怒ってるのか? そりゃ、おまえに何も言わずに狩りに出かけたのはあいつが悪いかもしれないが、その程度のことでいちいち怒ってたら狩人の嫁はつとまらないぞ」
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続・祈りの巫女85
 昼食のあともあたしは部屋にこもって、3代目祈りの巫女の物語を読んでいた。やっと少しだけ頭が落ち着いてきて、午前中はぜんぜん入ってこなかった物語の方も、ようやく少しずつ進めることができるようになっていた。リョウはまだ頭の中に残っていたけれど、それだけで頭の中がいっぱいになるほどじゃなかったみたい。そうしてしばらく読書を続けていた時だった。突然、カーヤが部屋のドアをノックしたんだ。
「ユーナ、ユーナ、ちょっと出てきて。早く!」
 あたしはすぐに気がついて、部屋のドアを開けて言った。
「どうしたの? 何かあったの?」
「いま外でタキが教えてくれたのよ。リョウがあとからくるんだって。もうそこまできてるの。せっかくだから迎えてあげましょうよ」
 あたしはカーヤに腕を引かれて、あっという間に宿舎の外に連れ出されていた。あたしは突然のことでまだリョウにかける言葉の1つも考えてなかったから、自分でも訳が判らないくらい戸惑ってしまっていたの。心臓がドキドキして、すごく緊張してるんだってことが自分でも判った。これからリョウに会うんだ。リョウが、9日ぶりにあの道を登って、あたしに会いにきてくれるんだ。
 夏の初めの日差しは強くて、少しの風に揺られる森の新緑がきらきらと色を変えている。その森の間の道からリョウがやってくる。あたしはずっとその道を見つめていた。最初に見えたのはランドの横顔。そのうしろからゆっくり歩いてきたリョウは、日差しの眩しさにほんの少し目を細めて、やがてあたしを見つけて微笑んだんだ。
「ユーナ!」
 リョウの表情がみるみる変っていくのを、あたしははっきりと見ることができた。微笑んで、あたしの名前を呼んで、そのあとリョウは満面の笑みを浮かべた。なんのかげりもない、どこにも力が入っていない、すごく自然な笑顔。その表情は自信に満ちていて、1つのことをやり遂げた喜びに輝いていたんだ。
 あたしが知っていたリョウとはまるで別人みたいだった。それ以上、あたしはリョウを見ていることができなかった。知らず知らずのうちにあたしはカーヤの手を振り払って、宿舎に逃げ帰ってしまっていた。
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続・祈りの巫女84
 タキはあたしにリョウのことを教えてくれなかったけど、それは別にあたしに意地悪をしていた訳じゃない。あたしはタキにリョウの相談なんかしなかったんだもの。でもなんだか悔しくて、タキと一緒に行くことは断った。一緒に行けばリョウと会えることは判ってたのに。
 部屋に戻って、新しく借りてきた物語を読み始めたけど、内容がぜんぜん頭に入ってこなかった。冒頭の部分を何度も読み返して、それなのにけっきょく1ページも進まなかったから、途中で諦めて本を閉じてしまったの。心の中がもやもやしてる。今のあたしにはリョウのことと自分のことだけで、それ以外のことを考える隙間がなかったんだ。
 リョウは今なにしてるんだろう。まだ寝てる? それとも、タキが言ってた関所に行って、神殿の手続きをしてるのかな。
 帰ってきたのに、リョウは真っ先にあたしに会いにきてくれないの? あたしに会うことよりも神殿の手続きの方が大切なの?
  ―― なんだか判った気がする。あたし、リョウに会いに来て欲しいんだ。あたしの方から会いに行くんじゃなくて、リョウの方から来て欲しいんだ。だって、あたしはランドやタキにリョウのことを聞いたけど、リョウ本人から聞いた訳じゃないんだもん。リョウが突然いなくなってしまった理由も、リョウが帰ってきたってことも、リョウの口から直接聞きたいんだ。
 なんかあたし、だだっ子みたい。リョウは仕事をしてるのに、そばにいてくれないことを拗ねてるの。子供みたいに聞き分けのないことを思ってるの。こんなんじゃ、リョウがあたしを子供の頃と同じように見ていたとしてもあたりまえだよ。
 リョウを好きな自分が悔しい。リョウがあたしを子供のように見ているのが、すごく悔しいよ。
 今、リョウが会いに来てくれたら、あたしはいったいどんな顔でリョウを迎えるんだろう。
「ユーナ、お昼ご飯ができたわよ」
 カーヤに呼ばれて、あたしは自分がものすごく長い時間ずっと考え込んでいたんだってことに気がついた。あたし、午前中ほとんど何もしないで、ずっとリョウのことを考えてすごしちゃったんだ。
 食事の間、カーヤは必要なことを話すだけで、あたしに何も訊ねたりはしなかった。あたしはまだ何も話すことができなかったから、そんなカーヤの心遣いをとてもありがたく感じていた。
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続・祈りの巫女83
 もしも今リョウと会ったら、あたしはどんな顔でリョウを迎えるんだろう。リョウはどんな顔をするんだろう。あたしはいつもリョウとどんな顔で会っていたの? たった8日間離れてただけなのに、自分がどんな気持ちでリョウと会ってたのか判らなくなっちゃったよ。
「ユーナの言ってることがよく判らないわ。リョウの事が好きかどうかが判らなくなったの?」
「ううん、リョウのことは好きなの。それはほんとよ。でも……カーヤにうまく説明できない。ごめんなさい」
 カーヤはそれ以上訊かないでいてくれて、食事を始めたから、あたしもカーヤの朝食に匙をつけた。
 食後、あたしは途中になっていた掃除を最後まで終わらせて、神殿の書庫に新しい本を借りに行った。書庫にはいつものように何人かの神官がいて、その場にタキはいなかったのだけど、本を借りて帰ろうとしたらちょうど入ってきたタキと顔を合わせることになったの。あたしは昨日まですっかりタキにお世話になっていたから、偶然会えたのを幸いにもう1度お礼を言ったんだ。
「おはよう、タキ。セーラの日記のことでは本当にありがとう」
「いいえ、どういたしまして。オレもいろいろ勉強になったよ。今日は? 3代目の物語を借りにきたの?」
「ええ、そうなの」
「祈りの巫女は勉強熱心だね。オレも見習わないと。……ところで、狩人のリョウは祈りの巫女の友達だよね」
 あたし、思いがけずリョウの名前を聞いて、ちょっと驚いてしまったの。まさかここでリョウの名前が出るとは思わなかったから。
「そうよ。リョウがどうしたの?」
「やっぱりそうだ。そうじゃないかと思ってたんだ。実は今朝リョウが北カザムの毛皮を取ってきてね。これから引き取りに行くところなんだ。もしも祈りの巫女が知らなかったら教えてあげようと思ってたんだ」
「ランドが知らせにきてくれたから知ってたわ。ありがとう。でも、どうしてタキが取りに行くの?」
「他の動物は狩人の自由にしていいんだけど、北カザムの毛皮だけは神殿の管轄なんだ。村の入口に関所があってね、狩人は山へ出る時には必ず届けることになってる。何なら祈りの巫女も一緒に行ってみるかい? 神殿のいろいろな手続きを見るのも勉強になると思うよ」
 そうか、タキはリョウが北の山へ行っているって、最初から知ってたんだ。
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続・祈りの巫女82
 あたしが動こうとしなかったから、けっきょくランドは少し怒った表情のまま帰っていった。そんなランドにお礼を言って送り出したあと、カーヤが食卓に朝食を運んできてくれて、あたしもテーブルにつく。自分がどうしてリョウに会いに行かなかったのか判らなかった。あたしでも判らないんだもん。カーヤもたぶん理解できなくて、テーブルの向かい側からあたしの顔を覗き込んでいた。
「どうしたのユーナ。どこか身体の具合でも悪いの?」
 あたしは下を向いたまま首を振った。どうしてなんだろう。あたし、リョウに会ってしまうのが怖い。
「……ランドに悪いことをしちゃった。わざわざ知らせにきてくれたのに」
「そうね。でもあの人、そういうこと気にするような人に見えなかったわ。ユーナのことを気遣っているっていうより、たぶん自分がそうしたいからきたのね。きっと感動の再会を演出したかったのよ」
 カーヤ、あたしが気にしないようにそんなことを言ってくれる。でもきっと本当にそう思ったんだろうな。ランドって昔から、あたしやリョウにおせっかいやいて、それをすごく楽しんでいるようなところがあったから。
「それにしてもユーナ、本当によかったわね。リョウが無事に帰ってきて」
 あたし、カーヤのその声にほんの少しだけ悲しみを感じて、慌てて顔を上げた。カーヤは微笑んで、心からリョウの無事を喜んでいる表情であたしを見つめていた。その表情と声のギャップにすごく違和感を感じたの。カーヤ、どうして? あなたはリョウが帰ってきたことを悲しんでいるの?
「これもユーナが毎日祈りつづけていたからね。ユーナの祈りが神様に届いたんだわ。おめでとう、ユーナ」
 そうして顔を上げたままカーヤの声を聞いていたら、さっき声に悲しみを感じたことも嘘みたいに思えた。いったいどうしたんだろうあたし。なんだかすごく過敏になってるような気がする。
「ありがとう。……カーヤ、あたし、なんだか変なの。リョウが帰ってきたこと、すごく嬉しいのよ。でも会いに行きたくないの。……リョウのことが判らなくなっちゃった。あたし、自分のことも判らなくなっちゃったの」
 カーヤは少し首をかしげるようにして、あたしを見つめていた。
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続・祈りの巫女81
 リョウが、帰ってきたの? 10日よりも早く、しかも、ランドが大猟だって言うくらいの北カザム3頭を仕留めて。
 ランドの言葉を聞いて、それが嘘じゃないんだってことが判っても、あたしはなんだか実感がぜんぜん湧かなかった。リョウは昨日の夜にはもう帰ってたんだ。あたしが、ベッドに入ってからもなかなか寝付けないでいた頃に。リョウは本当に狩りに行ってたんだ。あたしを嫌いになったから、村を出て行くことに決めたんじゃなかったんだ。
「どうするんだ? 会いに行くんだったらさっさと支度しろよ。オレが一緒に連れてってやるから」
 ランドがそう言った頃には、カーヤは料理にひと区切りつけていたみたい。いつの間にかあたしのうしろに立っていた。
「ユーナ、行ってくれば? あたしの方はいいから」
「カーヤ……」
「朝飯がまだなのか。だがそれより早く会いたいんだろ? なあに、あいつはまだ寝てるかもしれないが、おまえの顔を見たら飛び起きるさ」
 ……なんだかあたし、自分がどうしたいのかぜんぜん判らなくなってしまっていたの。リョウが帰ってきたこと、理屈で考えたら嬉しくないはずなんかないのに、リョウに会いに行くために歩き始めることができなかった。こんな時、いつものあたしだったら、たとえランドやカーヤが引き止めたってぜったい宿舎を駆け出していたのに。気がついたらあたし、リョウに会いに行けない理由の方を数え上げていたんだ。
「リョウはまだ寝ているの?」
「ああ、たぶんな。だけど構うことはねえよ。オレのことは叩き起こしたじゃないか」
「でも、昨日遅く帰ってきたんだったら、獲物をさばいてもらったり、そういう用事はまだよね」
「毛皮と角だけだからさばくも何も……。ユーナ、おまえ、リョウに会いたかったんじゃないのか?」
 ランドはあたしの様子に気が付いて、あからさまに不審そうな表情をして見せた。
 あたしは、あんなに会いたかったリョウに自分が会いたくないと思っている理由が判らなくて、いつまでも立ち尽くしていた。
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続・祈りの巫女80
 2代目祈りの巫女の物語を読み終わったから、今度は3代目の祈りの巫女の物語を読むことになっていた。あたしは12代目だから、その前の11人すべての物語を、あたしは読まなければいけないの。祈りの巫女になってからの最初の1年は先輩の巫女たちにいろいろ教えてもらっていたけれど、今は自分で勉強の予定を立てて進めていかなければならないんだ。書庫の神官に本を借りたり、調べ物を手伝ってもらったり、何もかも自分で計画を立てないといけないんだ。
 昨日は新しい本を借りてこなかったから、朝食前のひととき、あたしはお部屋の拭き掃除をしていた。まだ神官は書庫にいないはずだもの。そんな時だった。突然前触れもなく、玄関のドアを叩くノックの音がしたのは。
「はーい、ちょっとだけ待ってて。今手が離せないの」
 カーヤがそう返事をするのが聞こえたから、たぶん料理の途中なんだってことに気付いて、あたしが部屋から出て玄関のドアを開けた。外にいた人の顔を見て驚いた。だって、ランドは今まで1度もあたしの宿舎にきてくれたことなんかなかったから。
「喜べユーナ、リョウが帰ってきた。オスの北カザム3頭仕留めてだ。大猟だぞ」
 あたし、一瞬ランドの言うことが理解できなかったよ。リョウが帰ってきたの? オスの北カザム3頭……?
「……帰ってきた? ほんとう……?」
「ああ、本当だ。おまえをかつぐためだけにオレがこんなところまでくる訳ないだろ? 昨日遅く帰ってきて、どうやら山を上がってくるだけの体力が残ってなかったみたいだな、そのまま実家に泊まった。今朝出掛けに聞いて真っ先に知らせに来てやったんだ。感謝しろよ」
 そう、たたみかけるようにランドに言われて、あたしはなんだか呆然と聞き流すことしかできなかった。そんなあたしの様子にイライラしたんだろう。ランドはちょっと怒ったような表情になって言った。
「ちゃんと反応しろよ! リョウが戻ったんだぞ。しかも初めてとは思えない成果だ。そりゃ、この時期オスのほうが狩りやすいのは間違いないし、8日もかけりゃオレだって3頭くらいは狩れる。だけどな、そういうことじゃねえだろ、おまえとリョウにとっては」
 あたしは、まだ何も考えることができなくて、ランドのイライラした声を聞いているだけだった。
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続・祈りの巫女79
 書庫から帰ってきて、カーヤの夕食を食べようとすると、あたしはいつも苦しくなる。夕方はいつもリョウが来てくれてた時間だからかな。リョウがいないことを思い出してしまうから。
「リョウが行ってから何日くらい経ったのかしら」
「今日で8日よ。腕のいい狩人ならもう帰ってる頃なんだって。でもリョウは初めてだからたぶん10日かかるってランドは言ってた。狩りが成功しなくても、それ以上は村を空けない決まりなんだって」
「それならあと2日じゃない。あと2日でリョウは帰ってくるのよ。ユーナがそんな顔をしてたらリョウだって心配するわ」
「帰ってこないかもしれないわ。ランドはリョウが狩りに行ったんだって言ってたけど、本当は村を出て行ったのかもしれないもの」
「そんなはずないわ。ユーナがリョウを信じなかったら、リョウにフラレちゃったあたしはどうすればいいの?」
 そうだ。カーヤだってリョウのことを心配してないはずないんだ。それなのにあたしはいつも夕方になるとカーヤに心配をかけてるの。そのたびにカーヤはあたしを慰めようとしてくれて、カーヤだってうんざりしてると思うのに。それなのにいつもカーヤは慰めてくれる。あたしがちゃんと食べられるように、いつもおいしい夕食を作ってくれるんだ。
 この日、あたしはずいぶん時間をかけたけど、なんとかぜんぶ食べ終えることができた。食後は準備をして神殿に祈りに行った。村がいつまでも平和であること。弟のオミが幸せになること。そして、リョウが無事でいること。神殿にはあまり長い時間は留まらないことにしていた。なぜなら、禁を破って自分の幸せを祈りそうになってしまうから。
 どうしてあたしは祈りの巫女なんだろう。もしもあたしが祈りの巫女じゃなかったら、ただのユーナだったら、祈りの巫女にお願いできるのに。どうかあたしを幸せにしてください、リョウの心をください、って。
 でも、セーラはとうとう自分の幸せは祈らなかったんだ。母さまだって自分の幸せを祈って欲しいとは言わなかった。そうだ、カーヤも、1度だってあたしに願い事を言ったことがなかったんだ。
 カーヤに幸せになって欲しい。あたしは、うしろでずっと見守ってくれているカーヤに気づかれないように、いつもの祈りにカーヤの幸せを付け加えた。
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続・祈りの巫女78
 あたしがこのところ毎日書庫に通っていたのは、もちろんセーラの日記を読むためだったけど、もう1つの理由はリョウがそばにいない不安を紛らわせることだった。セーラの日記を読んで、セーラのことだけを考えていたら、その間だけでもリョウのことを忘れられると思ったから。でも、毎日書庫に通って、カーヤと夕食を取って、夜神殿でリョウの無事を祈るのを忘れたことはなかった。リョウがいなくなってからもう8日も経ってるのに、あたしはリョウがいないことに慣れることができなかった。
 リョウ、リョウはずるいよ。毎日きてくれてたら、あたしだってリョウが毎日くることに慣れちゃうよ。リョウがいなくなってあたしはこんなに寂しいのに、リョウは平気なの? 8日も帰ってこなくて、あたしの顔を見なくて、それでもリョウは平気でいられるの?
 一緒にいる時も、離れてからも、あたしはどんどんリョウのことを好きになってる。それなのに、リョウの中ではあたしはずっと小さな女の子のままで、あたしが誰と結婚してもぜんぜん気にしないでいられる。平気で遠くの山に出かけられる。あたしに何も言わないで出かけて、あたしが心配しないと思ったの? リョウはあたしのことを心配してくれなかったの? リョウがいなくなっても、あたしがずっと平気でいられるって、本当にそう思っていたの?
 あたしはそんなに強い女の子じゃないよ。リョウがそばにいなかったら、寂しくて死んじゃうかもしれないよ。リョウは、あたしが死んでも平気なの? アサとセーラが死んで独り残されたジムのように、いつかは別の女の子と結婚して幸せになるの……?
「ユーナ、ユーナ。お願いよ。もう少しだけ食べて」
 顔を上げると、カーヤが心配そうに覗き込んでいた。テーブルの上のスープはすっかり冷えてしまっていていた。カーヤを心配させたくないから、あたしはスープをすくって飲もうとするのだけど、あたしの喉は物を飲み込むことを忘れてしまったみたい。お腹だってすいてるはずなのにぜんぜん判らない。ちゃんと食べなかったら、せっかくあたしのために料理されてくれた野菜たちに申し訳ないよ。
「……ねえ、カーヤ。子供の頃って、泣いていると喉の奥が痛くなって、息が苦しくて、一生懸命息を吸ったり吐いたりしなかった? どうしてこんなに苦しいのか判らなくて、どうやったら泣き止むことができるんだろう、って」
「そうね、あたしもそうだったわ。今はそんな風に泣くことなんてないけど」
「あたし、今泣いてないのに、喉だけが苦しいの。だから泣き止むこともできないんだ」
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続・祈りの巫女77
「タキの言うように、普通は人は1人の人間に恋をするものだと思うわ。でも、セーラは2人に恋をしたのよ。欲張りだったのかな。セーラは、どちらか1人の心だけじゃなくて、2人の心が欲しかったのよ」
 あたしも、今までのタキの反応を見ていたら、なんとなく判ったの。どうしてこの物語を書いた人がそれに気づかなかったのか。これを書いた人も、ずっと書き直してきたたくさんの神官たちも、きっと不思議に思いながらも2人に恋をするのはおかしいから、セーラがジムだけに恋をしていたことにしてしまったんだ。
「それは、新しい解釈だね。でもオレはあんまり信じたくないよ」
「どうして?」
「どうしてかな。例えばオレがジムで、セーラが自分に一生懸命恋をしてくれているときに、同時にアサの方をも好きだったなんて思いたくない。自分を好きな女の子にはやっぱり自分だけを好きでいて欲しいよ。そう、信じていたいよ」
 そう、か。このセーラの物語、あたしはセーラになって読んでしまうけど、タキはジムやアサになって読むんだ。タキの言うとおりかもしれない。もしもリョウがあたしを好きだと言ってくれたとして、でもその時リョウがカーヤのことも同じくらい好きなんだとは思いたくないもの。
 ジムは、たぶんセーラのそういう気持ちをぜんぶ知っていたんだ。だからセーラを愛していたのに受け入れることができなかった。アサ、あなたもセーラが自分を愛していることを知っていたの? それとも、セーラが自分を愛していることを知らなかったから、まるで自殺するようにセーラの前からいなくなることで、幸せにしてあげようとしたの?
 その答えは、今のあたしにはもう判らない。アサは神官だから日記をつけていないし、ジムはそもそも字を書けなかった。……ううん、違うよ、あたしは幸運なんだ。物語を読むことができて、タキの親切でこうしてセーラの日記も読むことができたんだもん。物語では判らなかった本当のセーラに触れることができたんだもん。あたしはタキに感謝しなくちゃいけないんだ。
「タキ、ありがと、セーラの日記を読ませてくれて。物語だけを読んだときより、あたしずっとセーラが判った気がするわ」
 あたしがそう言うと、タキは少し照れたような微笑を返してくれた。
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続・祈りの巫女76
「ジムもセーラとは幼馴染だったのよ。この3人はみんな幼馴染で、セーラはずっと一緒に過ごしたジムとアサに恋をしたのよ。それはぜんぜんおかしなことじゃないわ」
 幼馴染に恋をすることは、ぜんぜんおかしなことじゃない。だって、あたしはリョウに恋をしているもの。もしもシュウが生きていたら、あたしはシュウにも恋をしたかもしれない。
「おかしいよ、祈りの巫女。セーラが恋をしていたのはジムなんだ。それが本当なのに、どうしてアサにも恋をできるんだ? だって、2人の人間に同時に恋をするなんて、そんなことあるはずがないじゃないか」
 タキは少しむきになってそう言って、あたしを驚かせた。そうか、タキはセーラが同時に2人に恋をしていたことに納得ができなかったんだ。そう、確かに普通は人は1人の人間に恋をするものだけど、でも、ジムへの恋とアサへの恋、いったいどちらが偽物だったというの? 日記を読んだら判るよ。この恋はどちらも本物で、セーラはジムの心もアサの心も、両方欲しいと思ってたんだ。
「タキは、セーラが2人の人間に恋をしないと思うの?」
「そう思うよ。だって普通、恋は1人の人間にするものだから」
「だったらどうしてセーラはアサが死んだ時にあんなに悲しんだの? アサが怪物退治に行く時にあんなに必死になって止めたの?」
「それは、アサが大切な幼馴染だったからだろ? 誰だって自分の近くにいる人に死んで欲しくはないよ」
「それなら……もしもセーラがジムを好きじゃなかったと思ってこの時の日記を読んだらどう? それでもタキはセーラがアサを好きじゃなかったと思える?」
 タキはしばらく沈黙したあと、日記のあたしが言った部分を読み始めた。タキは何回か繰り返し読んでいたから、あたしは辛抱強く、タキの反応を待っていた。
 やがて、タキが顔を上げたとき、その表情は少し困惑しているように見えた。
「……祈りの巫女は、セーラがジムとアサ、2人を同じくらい愛していたと思うんだ」
 どうやらタキも、あたしが言っていることに耳を傾ける気になってくれたみたいだった。
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続・祈りの巫女75
 日記は、セーラが死んでしまう前日で終わっている。アサが死んだ翌日からこの日までの日記はほとんど白紙のようなもので、1日中神殿で祈っていたことしか書かれていない。たぶんセーラは日記を書く時間を削って、もしかしたら食べたり眠ったりする時間すらも削って、ひたすら祈り続けていたんだ。アサが守ろうとした村を救うために。
 これはあたしの想像でしかなかったけど、そんなに外れていない気がするの。だって、セーラはジムを失いたくなかったんだもん。怪物が退治できなかったら、やがて神殿も怪物に襲われてしまうかもしれない。そうしたらジムだって死んでしまうんだ。セーラが祈ることで村を救うことができたら、セーラもジムと幸せになれたかもしれない。
 でも、セーラは力を使い果たして死んでしまった。物語の中で、ジムはセーラの亡骸を一晩中抱きしめていた。セーラの日記を読み終えたあたしには、その事実はすんなりと納得できるものだったの。でも、どうしてこの物語を書いた神官は、他の人がちゃんと納得できるような形で物語を書くことができなかったんだろう。この神官は日記を読まなかったの? もしもちゃんと読んでいたら、あたしですら理解できたセーラの気持ちを理解できなかったはずはないのに。
 日記を読み終えた日の午後、タキはあたしのために時間を割いてくれたから、あたしはタキにお礼と、日記を読んで判ったことを大まかに話し終えていた。この日記をタキは以前に読んでいたはずだった。それなのに、あたしが言った「セーラはアサを愛していた」ということに関して、あまり納得していないように思えたの。
「 ―― 確かに祈りの巫女が言うように、セーラの日記にはアサの記述が多いよね。だけどそれは神官であるアサと接する時間が長かったからじゃないのかな。だって、セーラは間違いなくジムを好きだったんだから」
「ええ、セーラがジムを好きだったのはあたしも本当だと思うわ。でも、アサのことも好きだったのよ。だからアサが死んだ時にあんなに悲しんでいたの」
「アサはセーラとは幼馴染だったからね。幼い頃からずっとそばにいた人が死んだらやっぱり悲しいよ。祈りの巫女だってそうだろ?」
 タキの言葉にあたしはシュウが死んでしまったときのことを思った。でも、シュウが死んだのはあたしがまだ本当に小さな頃だったから、タキの言うことに納得できるだけの材料にはならなかった。
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続・祈りの巫女74
 でもよく考えてみれば、神官のアサは今まで勉強ばかりしていて、身体を動かすことには不慣れだったから、怪物退治にこれほど向いていない人もいなかったかもしれない。命の巫女にはもう1人神官が同行したのだけれど、その人が命の巫女の騎士だったことが今は判っている。でも、当時は一部の人以外誰も知らないことで、アサがセーラの騎士だってことも知られていないんだ。セーラはたぶん純粋にアサを心配していたんだろう。そして、アサがセーラのために怪物退治をしようとしたことは、疑いの余地がなかった。
 その日から、セーラの日記の中にはほとんどアサしか登場しなくなってる。アサが、小さな頃からどんなにセーラに優しくて、どれだけアサに慰められたか。自分を好きでいてくれてどれだけ嬉しかったか。だからアサがセーラの言うことを聞かなかったのがどれほど悔しかったのか。このときのセーラには村の平和なんてどうでもよかった。ただ、アサが戻ってきてくれさえしたら ――
 この日記を読めば誰にだって判ると思う。セーラはアサのことが好きだったんだ、って。物語の中でまるで愛する人が死んだ時のように悲しんだのもあたりまえなんだ。だって、セーラはアサを愛していたんだもん。日記にアサの記述が多かったのも、セーラがアサと過ごす時間をすごく楽しんでいたから。だったら、ジムへの気持ちが嘘だったの? ……ううん、ジムに恋をしていたのも、セーラには真実だったんだ。
 アサが死んだことを神殿のセーラの元へ知らせにきたのはジムだった。ジムも親友の死にショックを受けていたとセーラは日記に書いている。このときのジムは優しかった。今まで、まるでセーラに優しくするのは自分の役目じゃないとでもいうように、セーラをそっけなくあしらっていたジムだったのに。セーラがアサを好きだって、ジムはちゃんと知っていたんだと思う。だからこのとき「オレにはアサの代わりはできないと思うけど」と言いながら、セーラを抱きしめたんだ。
 この日の日記にセーラは「私はアサを失ったけど、ジムは失いたくない」と書いている。セーラはすごく日記を書くのが下手で、自分の気持ちをストレートに日記に表わすことも、もしかしたら態度に表わすことも苦手だったのかもしれないけれど、それでもこの日記から読み取れたことが1つあった。
 セーラは、アサとジム、2人の人を愛していた、っていうこと。
 そして、たぶんアサとジムの2人も、心からセーラを愛していたんだ。
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続・祈りの巫女73
 セーラの日記もそろそろ終盤に近づいてきていた。セーラ17歳の夏はいつもよりも雨が少なくて、その分暑くて、湖の水位もかなり下がっていた。あとの時代になってからの研究では、それが予兆だったのではないかと言われてる。最初にその怪物が姿をあらわしたのは村の北側で、でもその時にはまだ怪物がどこからどうやってきたのか、ぜんぜん判らなかったんだ。
 物語を読んだときには、すぐにも村人が神殿の山へ避難したように思えたけど、実際セーラの日記を読むと、怪物が現われてから村人が避難するまでに少なくとも5日以上はかかっていた。その5日間で犠牲になった人は60人くらいにのぼる。そのうち約40人は、避難が早ければ犠牲にならずに済んだ人たちだった。
 セーラはその目で怪物を見ていなかった。だから怪物がどんな姿をしていたのかは噂でしか判らなくて、日記にも大きな怪物としか書かれてはいなかった。神殿がある東の山に避難してくる人や、怪我を負って運ばれてくる人たちの混乱の中、セーラは必死で状況を把握することに努めながら、でもほとんどの時間は神殿で神様に祈りを捧げることに費やしていた。
 このとき、村全体でどんなことが起こっていたのか、きちんと把握していた人はおそらく1人もいなかったと思う。セーラの姿を見た村の人たちはみんな「夫と子供の仇を取ってくれ!」とか「この子の怪我を治して!」とか、たった1人しかいない祈りの巫女セーラに向かって自分の願いだけを訴えたの。セーラだって混乱していたのに。そのうちセーラは1日中神殿にこもるようになって、食事と寝る時以外はずっと祈り続けることになってしまった。
 セーラに神殿の外の様子を伝えるのは、神官であるアサの役目になっていた。アサはセーラのために神殿の扉を閉ざして、セーラが外に出なければならない時にはボディガードのようなこともやっていたの。そのアサが、あるとき命の巫女が募った怪物退治に志願することをセーラに話した。その時、セーラとアサは、初めて喧嘩らしい喧嘩をしたんだ。
 今まで、セーラの言うことは何でも聞いていたアサ。そのアサが、セーラの「私のそばから離れるなんて許さない」という言葉を聞かなかった。セーラがなにを言っても気持ちを変えなかった。あたし、心臓がドキドキしてきちゃったよ。だって、セーラの日記はまるで予言のようだったから。セーラはこのときアサが死んでしまうことを知らないはずなのに、まるでそれを予見しているかのように、アサのどんな説得の言葉にも耳を貸そうとしなかったんだ。
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続・祈りの巫女72
 あたしはこの日の日記を何度も繰り返して読んでいた。セーラがジムに告白して、でもジムは「オレとおまえじゃ合わない。おまえにはアサの方が似合ってる」と言って断った。ジムはアサの親友で、アサがセーラに恋をしていることを知っていたから、アサの気持ちを考えてセーラの告白を断ったのかもしれない。
 あたし、このときの3人を自分の立場に置き換えようとした。あたしはリョウのことが好きで、親友のカーヤもリョウのことが好き。だけどあたし、カーヤのためにリョウを諦めたりできないよ。リョウに「あなたにはカーヤのほうが似合ってる」なんて ――
  ―― あたし、言ったじゃない! リョウに「どうしてカーヤじゃダメなの!」って!
 あの時のあたしにはカーヤが泣いているのがつらくて、誰よりもカーヤが大切だったから、あたしはリョウにそう言ったんだ。あの一瞬、あたしはリョウよりも自分よりも、カーヤをいちばん大切に思ったんだ。ジムが本当に心からセーラを好きだったとしたって、アサにセーラを譲る気持ちにならなかったとは言えないんじゃない? その時、本当に自分よりもアサの方が大切だって、そういう気持ちにならなかったとは言えないよ。
 物語の中では、アサがセーラに恋して、セーラがジムに恋する。気持ちはそれだけしか書いてなかったけど、あたしが考えたよりもずっと、人の気持ちは複雑なのかもしれない。表面に現われたのはジムがセーラの告白を断ったという事実だけだったけど、その裏にあるのはもっと複雑な人の気持ちなんだ。
 セーラはずっとジムに恋をしている。一途に恋をして、ジムのためだけに尽くしている。だけど、セーラの気持ちは本当はそれだけじゃないのかもしれない。表面に見えないところで、セーラの心は揺れ動いているのかもしれない。
 あたしは更に日記を読み進めていった。アサは毎日のように口実を見つけてセーラに会いにきて、優しい言葉をかけていく。そういえば、こういうところリョウに似ているわ。リョウはアサのように、あたしを好きだから毎日きてくれてたのかな。ランドが言ってたみたいに毎日あたしを見張りにきてたのかな。それとも、あたしには判らない理由があるのかな。あたしが小さなリョウを傷つけた事実は変わらない。もしもリョウが村を出て行ったのでなかったら、あたしはリョウに訊きたいことがたくさんあるよ。
 リョウがいなくなって5日目のこの日、独りきりの書庫で、あたしは誰も知られず静かに涙を流していた。
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続・祈りの巫女71
 昼間は神殿の書庫でセーラの日記を読んで、夕ご飯のあとはリョウのために祈りを捧げる、そんな生活が続いていた。タキは1日の最初に日記を棚から出してくれて、それからは隣の部屋で自分の勉強や仕事をしていた。ときどき書庫には他の神官が出入りすることがあったけど、それだけで、あたし以外は誰もいなかったから、あたりは静かでずっと集中して日記を読むことができたんだ。もしかしたら、隣の部屋にいる神官たちも、あたしの邪魔をしないようにできるだけ静かにしていてくれたのかもしれない。
 15歳頃のセーラの日記には、頻繁にアサが登場するようになっていた。アサは毎朝のようにセーラの宿舎にやってきて、早起きして森から摘んできた季節の花や、その年いちばん早い季節の果物や野菜なんかを置いていった。客観的に日記を読んでいたあたしには、アサが何か口実を作ってセーラと話をしにきていることが、すごくよく判ってしまった。セーラにもそれは判ってたみたい。だって、おいしそうな野菜を持ってきたアサに「これ、ジムのお弁当にぴったり」なんて思いっきり言ってたりするんだもの。
 この頃のセーラはお昼近くなるとジムのためのお弁当を作って、ジムを探しに森の中へ入っていってる。物語ではジムに恋していたセーラの気持ちがたくさん描写されていたけど、日記の方ではジムとのことよりもアサとのことの方が多かった。もちろん、ジムとどんなやり取りをしたのか、そういうことも書いてあった。だけどそれは、「ジムとこういう話をしたことをアサに話した」というような書き方が多かったんだ。
 物語を読むことで、あたしはたぶん少しだけ先入観を植え付けられていたみたい。だけどそれにしてもだんだんおかしいと思い始めていた。セーラは本当にジムに恋をしていたの? 確かに、ジムに毎日お弁当を届に行っていたのは本当だったし、アサがセーラに片想いしていたのも本当だったけど。
 でも、あたしのそんな違和感も、セーラがジムに告白をするところまでだった。その日の日記はいつもの3倍以上あって、セーラがすごく悔しかったことや悲しかったことが切々と綴られていたんだ。
『 ―― 私はジムを手に入れたかった。ジムも私を愛してくれていると思っていた。最近少しだけ優しくなったのが私を愛し始めている証拠だと思った。 ―― ジムはもしかしたら、親友のアサの気持ちを考えていたのかもしれない。アサが私を愛していることを ―― 』
 セーラは確かにジムに恋をしていた。そしてもしかしたら、ジムもセーラを愛していたのかもしれないんだ。
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