2006年01月の記事


幻想の街19
 年に1度の祭りのあと、翌日の月曜は日曜の振り替えで学校はお休みだった。火曜日の1時間目は教室の片付けにあてられていて、次の授業からはどのクラスも日常に戻っていく。放課後の生徒会もその日は文化祭の片付けに暮れた。労働のあとは、生徒会顧問の先生が好意でジュースを差し入れてくれたから、帰宅前のひとときは生徒会室で軽い雑談タイムになっていた。
「 ―― あの、ちょっと訊きますけど、会長とサエコちゃんてやっぱ付き合ってるんですか?」
 あたしとカズ先輩を等分に見ながら横地先輩が言ったんだ。あたしは何も言えなかったのだけど、少し照れたようにカズ先輩が答える。
「このところ忙しかったからまだそこまでいってないんだけどね。でもこれからは本格的にデートするつもりだよ」
 カズ先輩がそう言った瞬間、周囲から異口同音の悲鳴が上がった。ここまではっきり肯定されるとは誰も思ってなかったのだろう。
「カーッ! やられたぁー! くっそー、まさか会長がこれほど手が早いとは計算外だったぜ! オレだってサエコちゃん狙ってたのに」
「マジかよぉ! ようやく現われた理想の美少女! うちで貴重な紅一点がぁ ―― 」
「ちょーっと! 今のセリフ、めっちゃくちゃ聞き捨てならないんだけど。サエコちゃんのどこが紅一点な訳? 説明しなさいヒロポン」
 がたんと音をさせて椅子から立ち上がったのはミチル先輩で、そう言い終えるとちょっとだけ怖い顔をして横地先輩の胸倉を掴み上げていたんだ。
「あの、ミチル先輩。確かにオレの名前はヒロヤですけど、頼みますからポン付けで呼ぶのだけは勘弁してくださいって前から……」
「なんでよ。横ちンじゃ嫌だって言うから名前で呼んでやってんじゃん。……って、そうじゃなくて、サエコちゃんが紅一点だったら、このあたしは女じゃないって言うの?」
「それ言ったのオレじゃないっすよー! 文句なら桜庭に ―― 」
「あたしはあんたに訊いてんの! で、どうなの、横地」
「も、もちろんミチル先輩は立派な女ですよ。オレらにとっては憧れのマドンナっす!」
「……あこがれ?」
「いやその、理想の女性っつーか、ほとんど女神様、いや女王様かな。敬愛してますマジで!」
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幻想の街18
 ステージ部門で、なんと1年1組は準優勝に輝いていた。3位までに入賞したクラスは2日目の一般公開でも同じステージを披露するんだ。思いがけないことでクラス全員驚いたんだけど、とりあえずUFOのセットはまだ無傷だったから、1日目よりも更にハイテンションになったステージをどうにか無事に終えることができた。午前中はそんなこんなであたふたしていたのだけど、午後は予定通り人気のないところへ隠れていて、一般公開が終わった後夜祭の時刻になってからさりげなくグランドに集まる生徒の群れに合流した。
 日没は5時半。あたりが暗くなるにつれて、正中に輝く半月が世界を支配し始める。
 後夜祭を仕切るのは生徒会の面々だった。ステージにはこの学校の名物である双子の兄妹がマイクを持って立っていて、キャンプファイアーを生演奏で盛り上げてくれる素人バンドの紹介をしている。徐々に吸血鬼としての感覚が戻ってくるのが判った。今日こそあの2人のうちのどちらが宿主なのか判るはず。
 気持ちを引き締めて、バンドの演奏開始とともにステージを降りた2人のところへ近づいていった。先にあたしに気づいたのはミチル先輩だった。カズ先輩の肩をたたいたあと、手を上げてあたしに駆け寄ってくる。
「サエコちゃーん! 楽しんでるぅー?」
 長身のミチル先輩に抱きつかれてドキッとした。 ―― 間違いなかった。種の宿主はミチル先輩の方だったんだ。
「こっちこっち、こっちきて一緒に踊ろっ!」
 ミチル先輩にステージ下まで引っ張り出されて、否応なしに身体でリズムを刻んだ。あたしは踊りなんて踊ったことがない。音楽に負けないように大きな声を出して必死にそう伝えたのだけど、ミチル先輩は「いいからいいから」って言って取り合ってくれなかったんだ。うしろを追いかけてきたカズ先輩も、最初苦笑いを見せていたのだけど、やがて乗ってきたのかあたしたちの輪に加わる。あたしを挟んだ両側で息の合ったダンスを見せる2人に複雑な感情を覚えていた。
 2人にとっては高校最後の文化祭。その後夜祭にはきっと特別な想いがあるのだろう。この1年間生徒会長と副会長として過ごしてきたことの、これが集大成なんだ。たとえ身体は同じリズムを奏でていても、あたしが2人と同じ想いを共有することはできない。
  ―― 今は何もかもを忘れて2人と一緒に楽しもうと思った。それが、今のあたしにできる最高のことなんだって、そう心から信じて。
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幻想の街17
「 ―― うん、でも、サエコちゃんもなかなか良かったよ。出てくるって知らなかったからオレはかなり驚いたけど」
「あたしも今朝まで知らなかったんです。だから演技も何もなくて、ほんとに立ってるだけで」
「いや、無表情で立っているだけでもかなりの存在感だったよ。ストーリーも単純で判りやすいし、上位入賞を狙えるんじゃないかな?」
 午後になってから、忙しいカズ先輩にも少し時間が取れて、あたしは先輩と一緒に校舎内の展示を回っていた。一般公開は明日だからまだ人も少なくて、中には準備が完全に終わっていないクラスもあった。生徒会長の先輩は先生方と同じく文化祭の審査員の1人に名を連ねている。だからあたしとこうして見て回っているのも、実は生徒会長の仕事の一環だったんだ。
「そうですか? もっと内容が濃くて面白いクラスも多かったですよ?」
「制限時間内で終わるかどうかも評価の対象だからね。その点では完璧だったし、オレはステージ部門では1年1組に投票するよ」
 そう言う先輩のクラスは教室で喫茶店をやっていて、2人一緒にいるところをひやかされながらも机を並べたテーブルでジュースをご馳走になった。この間の告白騒ぎはいつの間にか噂になっていたみたい。こうして2人で学校中を回っていたら、あたしとカズ先輩が付き合っているのはすぐに周知の事実になってしまうだろう。
「そうそう、明日の一般公開のとき、合宿所で恒例の同窓会が開かれるんだ。うちの学校の卒業生がくるんだけど、良かったらサエコちゃんも参加しない? オレの兄貴も来るからね、ぜひサエコちゃんに紹介したいんだ」
 あたしは驚愕のあまり固まってしまった。……河合先輩には会えない。あたしは顔は6年前と変わっているけれど声はそのままだったし、たとえあたしの正体がバレなかったとしても先輩はきっと6年前のあたしのことを思い出してしまうだろうから。もしも思い出してしまったら、再び6年前と同じ苦しみに苛まれてしまうかもしれない。
「あえっと、別に変な意味じゃなくて。ただ兄貴の方もサエコちゃんに会いたがってたからさ、それだけで」
「あ、あの。……明日はあたしもちょっと。あたしの兄も来てくれることになってて、校内を案内する約束で……」
「そ、そうなんだ。それじゃ仕方がないね。今回はあきらめるよ」
 もちろんこんなところに美幸を連れてくることなんかできない。明日は1日中どこかに隠れていようって、そうあたしは決めていた。
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幻想の街16
 翌週は祝日が重なって水曜日まで連休だったから、あたしはこれ幸いとあの街には近づかなかった。実は休み中も生徒会活動はあったんだ。カズ先輩から電話をもらったけど、まだ引越しの荷物を解いていないことを理由に、家から1歩も出ないで過ごしていた。
 美幸はずっと平静を装っていたけれど、落ち着きがないのは見ていてよく判った。あたし自身も気分が沈んでいたから、落ち込んだときの習慣で数学の勉強をしながら、美幸のために食事を作ったり、身の回りのことをしたりして気を紛らわせていた。おそらく月が朔期に入っていた影響もあったのだと思う。お互いに取り留めのない会話をするのも億劫だった。
 本当は、美幸とはきちんと会話すべきだった。月が厚みを増していくごとにあたしは忙しくなって、この時を逃すと美幸とゆっくり話せる時間はどんどんなくなっていくのだから。
 木曜日と金曜日は午後からクラスの文化祭準備をして、放課後は生徒会の準備を手伝った。そして、翌日の土曜日と日曜日がいよいよ文化祭当日だった。2日間のうち一般公開は日曜日のみで、あたしのクラスのミュージカルは土曜日の午前中に講堂で開催される全員参加のイベントの中で披露するんだ。前日までに無事UFOを作り終わったあたしは当日のセット搬入以外はやることがなかったはずなのに、朝ステージの準備をする女子数人にトイレに呼ばれて、あれよあれよという間に銀色に光る衣装を着せられてしまった。
「秋葉さんお願い! 宇宙人のお姫様役で舞台に立って! もちろん踊らなくていいし、セリフも一言もない役にしたから!」
 ミュージカルの内容は上演時間の関係もあって単純で、2つのサッカーチームと宇宙人役の人たちが計20人くらい舞台に上がる。グランドで練習をしている正義チームがオープニングで1回踊ったあと、そのグランドを奪いに来た敵役チームのセリフと踊りがあって一触即発の雰囲気になる。そのときにいきなり地球侵略をもくろむUFOが現われるんだ。宇宙人が踊っている間に正義チームが宇宙船の弱点を見つけて、踊りが終わったときに2チームが協力してサッカーボールで攻撃する。そうして無事に侵略者を撃退した2チームは、これからは仲良くグランドを使うようになってめでたしめでたし、なんだけど……。侵略者の中に踊らない姫が混じったら設定のつじつまがおかしくなるような気がしたのだけど、みんなはどうしてもあたしを舞台に立たせたいみたいで、聞く耳を持ってはくれなかった。
 舞台の立ち位置を指示されたあたしは、舞台中央で踊る宇宙人たちのうしろで本当にただ立っていただけだった。ステージが終わって興奮するクラスメイトに囲まれてようやく、みんなが転校生のあたしを気遣ってわざわざ役を用意してくれたことに気づいたんだ。
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幻想の街15
 この日、それ以上生徒会室にいることが耐えられなかったあたしは、かばんを持って生徒会室を出て行った。ふらふら歩きながらミチル先輩の言葉を思い出す。 ―― あの時、兄貴がどんだけ苦しんでたか ―― 。ミチル先輩が兄貴と呼んだのはカズ先輩のことじゃない。
 あたしのことがあんな風に語られているのもショックだった。もちろんあたしは霊魂なんかになってないから、毎年文化祭のたびにさまよったりはしていない。だからあの悪趣味な怪談は少しショックでも笑い飛ばしてしまえるんだ。でも河合先輩のことは ――
 あの日、あたしに買い物を頼んだのは河合先輩だった。だからあたしが事故に遭ったとき、河合先輩は自分を責めてしまったんだ。あたしが知ってる河合先輩なら必ずそう考えてしまう。先輩は少しも悪くなんかなかったのに。
 人の命を背負ってしまうのはどれほど苦しいだろう。どんな些細なことでも正面から受け止める先輩なら、その苦しみはきっと尋常じゃなかったに違いないよ。あたしが6年前、変化した自分の身体をもてあまして美幸に苛立ちをぶつけている間、先輩はずっと苦しんでいたんだ。あたしが自分のことしか考えていなかったあのとき、先輩はあたしの命の責任で押しつぶされそうになっていたんだ。
 伝えてあげたい。あたしはこうして生きていて、先輩に感謝こそしていてもけっして恨んではいないんだ、ってことを。伝えてあげたいけど……でも、そんなことできるはずない。あたしがここにいることも、あたしが本当は誰なのかも、誰にも伝えることはできない。
 あたしは、この街のどこにもいない。この街であたしは既に死んだ人間なんだ。ここはあたしが生まれ育った街なのに、誰もあたしのことを知らない。
 不意に、あたしは周囲を見回して固まってしまった。ずっと無意識に歩いてきた。いつの間にかあたしは、6年前の通学路を辿ってしまっていたんだ。
 目の前にはかつてあたしが住んでいた家。この街にきてからも、ここだけはずっと近寄らなかった場所。呆然と立ち尽くしていたあたしの目の前で玄関の扉が開いた。出てきたのは、無数の血管に覆われた顔の、それでも少しだけ年を取って見えたお母さんだった。
「……なにか、うちにご用?」
 まるで知らない人を見るような表情で見つめられて、あたしはいたたまれなくなって無言でその場を離れた。あたしの顔は変わっていたけど声は変わっていなかったから。涙があふれて、人気のない場所でうずくまったあたしは、そのまま声を殺して泣き続けていた。
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幻想の街14
 翌日の土曜日は半日の3時間授業で、放課後はほとんどのクラスが文化祭準備にあてていた。あたしのクラスはステージでミュージカルをやるみたい。既に配役も決まっていて、役者はパートごとに練習に入っていたから、飛び入りのあたしは大道具のUFO作りを手伝っていた。あたしはそんなに器用な方じゃないからさほど役には立ってなかったのだけど。
 昼食後は生徒会室で学校全体の文化祭準備に奔走する。各クラスやクラブが申請してきた備品を調達したり、自主的に残って準備している教室を回って進行状況をチェックしたり、生徒会室に予算交渉にくる人たちの相手をしたりするんだ。もちろんそれとは別に生徒会のステージの準備もある。そのとき会長はたまたま不在で、生徒会室にはあたしのほかに横地先輩と桜庭先輩、それとミチル先輩がいた。
「 ―― そうそう、サエコちゃんはまだ知らないよね、うちの学校の七不思議。文化祭がらみのが1つあるんだけど、聞きたい?」
 この手の話はどこの学校でも1つか2つは聞かされた。だからさほど気にしないで、横地先輩に向かって首を傾げてみる。
「何年か前、うちの生徒会で身体の弱い女の子がいてね、文化祭の前日に事故で死んだんだ。当時1年生だったその子は高校で初めての文化祭をすごく楽しみにしていた。だから今でも成仏できずに、毎年文化祭の日になると人込みにまぎれてさまよっているという」
 あたしの頬が引きつったのは、けっしてその話が怖かったからじゃなかった。でも横地先輩はそうは取らなかったみたい。にやりと笑って先を続けた。
「サエコちゃんと同じ会計監査だったんだってさ、その子。……もしかしたら、今この瞬間にもその子の霊魂がこのあたりに ―― 」
 そのとき、とつぜん横地先輩が座った椅子が倒れて、先輩はその場にひっくり返ってしまったんだ。それはもちろん霊魂の仕業なんかじゃなかった。驚いて見上げた横地先輩の視線の先には、ミチル先輩が怒りをあらわにして仁王立ちしていたんだ。
「その話、カズの前で一言でも言ったら横地、あんたを殺すからね! あたしの前でだって2度目は許さないよ!」
 横地先輩も、桜庭先輩も、ミチル先輩のこんなに怒った顔は見たことがないのかもしれない。2人ともぴくりとも動けず絶句していた。
「何にも知らないくせに。……あの時、兄貴がどんだけ苦しんでたか。……一二三先輩のこと、そんな風に茶化したら2度と許さない」
 必死で押し殺したような低い声で吐き出して、ミチル先輩はそのまま生徒会室を駆け出していった。残されたあたしたちはしばらく声を出すこともできなかった。……あたし自身は、ほかの2人とはまったく違う理由で。
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幻想の街13
 生徒会を終えて帰宅すると、美幸が夕食を用意して待っていてくれる。食事をしながら学校の出来事を話すのがここへきてからの日課になった。その日、あたしが包み隠さずカズ先輩とのいきさつを話すと、美幸はゆっくりと大きな息を吐いた。
「 ―― カズ君は、以前に一二三の顔を見ていたとは言わなかったんだね。最初に見たのが部長室だ、って言ってたってことは」
 美幸は以前に1度だけ、河合先輩の家でカズ先輩と顔を合わせたことがある。6年前に小学生だったカズ先輩は、美幸の中では未だにカズ君と呼ぶにふさわしい子供なのだろう。
「でも、ミチル先輩も同じなの、あたしを見て大河を思い出さないのは。今までの宿主なら思い出そうとする仕草くらいはしたのに」
「大河が記憶を消したのならそれも不思議ではないよ。もともとその能力を持っていた大河が、なにかのきっかけで自分の能力に気づいたのかもしれない。あと10日もすればどちらが宿主なのかは判るんだ。彼らの種はまだ35月目だし、焦ることはないよ」
 でも祥吾の例もある。もしも祥吾の種が成熟した原因が彼自身にあったとして、同じ要因をあの2人が持っていたとしたら、37月目を待たずに種の狂気が目覚める可能性だってあるんだ。あたしは河合先輩の家族をこんなことに巻き込みたくない。河合先輩は2人のことを本当にかわいがっていて、カズ先輩もミチル先輩も河合先輩のことが大好きなんだから。
「やっぱり2人同時に監視するのは一二三には無理だ。もしもミチルちゃんが宿主なら、そのときは僕が回収を引き受けるよ」
 ここへ来てからの美幸はずっと落ち着きがない。きっと住む場所にここを選んだのも、美幸にとってはギリギリの妥協だったんだ。だから、美幸がそう言葉にするのにどれだけ勇気が必要だったか、あたしには判る。これ以上美幸に負担はかけられない。
「ありがとう。でも、あたし1人で大丈夫だから。カズ先輩と付き合っていれば、当日ミチル先輩に相談を持ちかけることもできるし」
 このとき美幸が言いかけて飲み込んだ言葉があたしには想像できる。こんなにたいへんな事態になっても、美幸はもう、宿主を殺そうとは言わないだろう。たとえ15歳の心の名残りがカズ先輩に惹かれていたとしても、21歳のあたしは美幸を愛しいと思う。あたしは美幸に肉体を変えさせられた。でも、美幸もあたしのために、自分が変化することを受け入れてくれたのだから。
「美幸はここで待ってて。あたし1人でもちゃんと種を回収して、必ず美幸のところへ戻ってくるよ」
 美幸が抱えるいろいろな心配事をすべて吹き飛ばしたくてそう言ったあたしに、美幸は、少し疲れたような表情で微笑んだ。
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幻想の街12
 カズ先輩は渡り廊下まで来ると、上履きのまま下へ降りて校舎の裏手まで歩いていった。手を引かれたままのあたしも仕方なくついていく。そろそろ昼休みは終わりかけていたから、ふだんは人の通りが多いそのあたりも今は誰もいなかった。
「秋葉さん、驚かせてごめん。だけど、外野から伝わるだけなのは我慢できなかったから。……オレ、君のことが好きです」
 とつぜんの展開で、あたしはすぐに声を出すことができなかった。この顔になってから男子に告白される機会が増えて、あたし自身もこういうシチュエーションには慣れてるつもりだった。でも今の状況ではそんなに簡単に答えられない。カズ先輩が宿主なら返事は決まっていたけれど、もしもミチル先輩の方だったら、カズ先輩と付き合うことでミチル先輩との距離が離れてしまうかもしれないから。
「とつぜんこんなことを言われてもすぐに答えることなんてできないよね。まだ知り合ってから何日も経ってない訳だし。でもオレは、最初に部長室で君を見たときからずっと君に恋してる。できることなら、君と付き合いたいと思ってる」
 河合先輩に似た声としゃべり方で、真剣な目をしたカズ先輩が続ける。……どうしてなのか判らなかった。知らず知らずのうちに、あたしの目に涙があふれてきたんだ。
「初めてなんだこんな気持ち。教室にいても君のことしか考えられなくて。……ちょっ、ごめん! 頼むから泣かないで!」
 血管にまみれたカズ先輩の顔。今は上気しているせいか、ふだんよりもずっと血の色が目立って見えた。 ―― 違う、あたしは、カズ先輩にはぜんぜんふさわしくなんかない。先輩にふさわしい女の子はほかにたくさんいるけど、あたしだけは違うんだ。
 どうして吸血鬼は人間を惹きつける容姿を持っているの? ……答えは判ってる。これは吸血鬼が人間の血という食料を効率よく得るための擬態なんだ。でもあたしはカズ先輩がこの容姿に惹かれているのが苦しかった。もっとあたし自身を、本当のあたしを好きになってもらいたくて ――
  ―― 苦しいのは、あたしがカズ先輩に惹かれているからだ。河合先輩に似たカズ先輩に。……あたしだって、カズ先輩と同じだ。
「……あたし、前に、失恋したことがあって。……その人が、カズ先輩に似ているんです。だから ―― 」
「身代わりにしちゃいそう? ……オレは別に、それでもかまわないけど」
 そう言って優しく抱き寄せてくれたカズ先輩の胸で泣いたあたしは、この瞬間だけ美幸のことを忘れていた。
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幻想の街11
「なによぉ! カズにだって優秀でかわいい妹がここにいるじゃん!」
「ほら、ミチは妹ってより同志とか幼馴染って感じだし。そうだ、うちにも兄がいるんだよ、6歳上の。ミチは兄貴に猫っかわいがりされてね。おかげでものすごく奔放な性格になった」
「カズだって兄貴にべったりで性格そっくりじゃん! あーあ、あたしもサエコちゃんみたいなかわいい妹が欲しかったなー」
「そう? オレは秋葉さんみたいなかわいい妹もいいけど、やっぱりミチのような同志がそばにいてくれる方が嬉しいけどね」
 カズ先輩がにっこり笑ってそう言うと、ミチル先輩はそれ以上突っ込めなくなってしまった。あたしの両親の話から巧妙に話題をそらして、でも誰も傷つけずにその場を収めてしまう話術は河合先輩を思い出させる。カズ先輩はとても平等な目を持った人なんだと思う。だからミチル先輩もカズ先輩の言うことにはちゃんと耳を傾けていて、気持ちがいいくらいの名コンビぶりを発揮する2人が、この学校の超有名人と呼ばれる理由もよく判った。
 その日から、あたしは放課後生徒会の文化祭準備を手伝いながら、この兄弟に探りを入れていった。文化祭が終わった翌週にはあたしの感覚も強くなっていくけれど、できればその前にどちらが宿主なのか知りたかったから。次の満月は文化祭から1週間後の日曜日。この日、2人がどういう行動を取るのか判らないけど、早めに宿主を特定できれば片方と外出の約束を取り付けることも容易になる。
 どちらか片方とより仲良くなるのは、宿主が特定できてからでないと危険だった。だけどあたしが転校してきた週の金曜日の昼休みにそれは起こった。あたしがこのクラスにきてから、移動教室などで前の廊下を通り過ぎる人たちがあたしの顔を覗いていくのは既に日常茶飯事で、このときに足を止めて窓越しに見ていたのは3年生の男子数人だった。
「あ、いたいた。たぶんあの子だ。……へえ、ほんとにすごい美少女だな。あの河合がひと目で恋に落ちるのも判るぜ」
 聞こえてきた声にはっと顔を上げると、次の瞬間にがらっとドアが開いて、カズ先輩が真っ赤な顔をして飛び込んできたんだ。
「あ、秋葉さん! ……今の声、聞こえた?」
 あたしが黙ったままうつむくようにこくっとうなずくと、カズ先輩は普段では考えられないくらい強引にあたしの手を引いて、そのまま教室を駆け出していった。背後にはクラスメイトを怒鳴りつけているミチル先輩を残して。
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幻想の街10
 河合兄弟に近づきたいあたしにとっても生徒会の会計監査に任命されるのは都合がよかった。だから会長に尋ねられて承諾したんだけど、横地先輩たちはむしろ驚いたみたい。でもほかの役員たちも賛成してくれたから、会長はすぐにあたしを会計監査に任命する手続きを取ってくれたんだ。その日の生徒会は来週末に迫った文化祭準備で忙しかったから、あたしも雑用を手伝わせてもらって、放課後はいつも2人が帰っていた時間に解散するまでつきあっていた。
「 ―― 秋葉さん、家はどこかな?」
「あ、あの、坂堂駅の近くです。だから電車通学で」
「ずいぶん遠くから来てるんだね。でも駅なら通り道だからオレとミチが送っていくよ。最近このあたりもなにかと物騒だから」
「わあん、嬉しい! これから毎日サエコちゃんと一緒に帰れるんだー!」
 後輩の男子には容赦のない物言いをするミチル先輩は、まるでレズなんじゃないかと思うくらいあたしにはベタベタしてきた。対するカズ先輩は、最初こそ戸惑っていたものの、ある程度慣れてくると見守るような優しさであたしに接してくれる。まるでほんとに河合先輩といるみたいだった。弟だけあって声もよく似ていたから、気を抜くとついあの頃に戻ったように錯覚してしまいそうな気がした。
 そんな2人の関係は、最初あたしはミチル先輩の方が優位に立っているのかと思ったけれど、実はそうでもないことがだんだん判ってきた。ミチル先輩の言動に目に余るところがあれば、それをカズ先輩はきっちり抑えることができたんだ。
「それにしても、こんな半端な時期に急に転校なんて、珍しいわね。なにか理由があったの?」
「あ、はい。ちょっと家庭の事情で。……両親が調停中で、あたしは独り暮らしの兄のところへ転がり込んだんです。兄は違う高校なんですけど」
 かねてから決めておいた理由を話すと、それ以上何か言おうとするミチル先輩を制してカズ先輩が言った。
「うちの学校の転入試験は難しいんだよ。秋葉さんは優秀な結果だったって先生方も言ってたし、きっとお兄さんは自慢の妹と一緒に住めてすごく嬉しいだろうね。オレとしては少しだけうらやましく思えるよ」
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幻想の街9
「キャー、かわいい! あんたたち、この子に手出ししたら一生許さないからね。この子、今日からあたしのものにするー!」
「そんなあ。オレだってお近づきになりたいですよ、こんな稀に見る美少女」
「ねえ、あなた名前は?」
「あ、秋葉サエコです」
「サエコちゃんね。あたし副会長の河合ミチル。ねえ、サエコちゃん。今日から生徒会の会計監査にならない?」
「ミチル先輩! 会長がいないのになんでそんな話進めてるんですか! だいたいオレらの生徒会って今月いっぱいで ―― 」
「横ちンだってお近づきになりたいんでしょ? それにこの子が会計監査になったら役員立候補者増えるわよぉ?」
「だから! オレの名前に「ン」をつけて呼ぶのやめてくださいよ。オレの名前は横地です。……じゃなくて、会長がいないのにそんなこと勝手に決めたらダメですよ。会計監査の任命権は会長にあるんですから」
「カズの権利はあたしの権利! それとも横地、あんた次の選挙で会長になったらサエコちゃんを指名しないつもりなの?」
「……そりゃ、オレだって願ってもないことですけど」
 あたしは微笑を浮かべながら周囲の会話を聞いていた。ミチル先輩はパワフルで、どうやら事実上この生徒会に君臨しているのは会長じゃなくてミチル先輩みたい。あたしに最初に話しかけてきた人は横地先輩で、来月からの次期生徒会長はこの人になるんだ。2人はそれからもあたしの意思なんかまるで無視して会話を続けていて、そのうちにやっと生徒会長の河合先輩がやってきた。
「 ―― おや? 君は今朝の……」
「秋葉サエコです。お言葉に甘えてさっそく来ちゃいました。この学校のこと、先輩にいろいろ教えていただきたくて」
 少し驚いたように立ち尽くしてあたしを見つめた生徒会長は、やっぱりどことなく兄の河合先輩に似た雰囲気があった。落ち着いていて、礼儀正しくて、優しい感じがする。兄よりも長身なこともあって実年齢よりも年上に見える。
「カズ、サエコちゃんを会計監査に任命しちゃってよ。あたしサエコちゃんのこと気に入っちゃったんだ。ねえ、いいでしょ?」
 あたしから離れたミチル先輩がそう言って慣れた仕草で会長の腕に絡みついたから、会長は少し困惑したように周囲を見回していた。
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幻想の街8
 確かに違うところもある。正面のパソコンは新しい機種に変わっていたし、机の配置も少し違う。右側にあった棚が一つ増えていて、その分となりの掲示板が狭くなっていた。ホワイトボードはきっとどこか別の部屋へ移動してしまったんだろう。でも1番違っていたのは、その部屋で迎えてくれた人たちの顔と、視線だった。
 2人の男子生徒は半ば腰を上げかけたまま、数秒間あたしに見とれたように動かなかった。その顔にはいつものように無数の血管が見える。……そう、あたしの方が6年前とは違ってしまったんだ。吸血鬼としての可視波長と、人間が美しいと感じる容貌を持って。
「あの、河合先輩はいらっしゃいませんか?」
 あたしが声をかけたことで2人とも我に返ったみたい。ほとんど同時に顔を見合わせるようにしたあと、左側にいた人が言った。
「河合、って、どっちの河合だろう。会長ならしばらく来ないけど」
「……河合さん、2人いらっしゃるんですか?」
「ああ、会長と副会長。……あの、もしかして転校生かなにかですか? あの超有名な2人を知らないなんて ―― 」
「そんなことはあとでいいよ! とにかく座って! 今お茶、お茶入れますから!」
 もう1人に促されて椅子に座ると、その人はすぐに電気ポットでお茶を入れに行って、最初の人がいろいろ話しかけてくる。自分の事に関しては当たり障りのない答えを返しながら思っていたんだ。河合先輩のお父さんは中企業の社長さんで、先輩が生徒会長をしていた理由の1つはお父さんの教育方針だって聞いたことがある。だからあの2人も河合先輩と同じ理由で生徒会にいるのかもしれない、って。
 そうこうしているうちに続々と役員たちが集まり始めて、やがてほかの役員と連れ立って女子の河合先輩がやってきた。
「あれ? ……すごい美人さんじゃない。どちらさま?」
「ミチル先輩の知り合いじゃなかったんですか? 河合先輩に会いたいって言うからオレはてっきりミチル先輩の知り合いだと」
「判った! あなた、1年の転校生でしょ! 今朝カズの奴が白状したから、うちのクラスはその噂で持ちきりだったんだから。でもまさかここに現われるとはね。……もしかして、カズに会いに来たの?」
 元気なミチル先輩に圧倒されたあたしがうなずくだけで答えると、少しいたずらっぽく笑った先輩に力強く抱きしめられてしまった。
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幻想の街7
 尾行していたときに見た2人の胸章の色と、あたしの記憶とに間違いがなければ、あの2人は今年高校3年生のはずだった。あたしはいつも通り1年生への編入だから、まずはどこかで接点を見つけないとならない。そんなことをぼんやりと考えながら、あたしは高校部長という肩書きを持った男の先生の話を聞いていた。たぶんあたしが在学中にもいた先生なのだろうけれど思い出すことはできなかった。
「 ―― では秋葉さん、詳しいことは担任の加藤先生と、副担任の坂本先生に聞いてください。先生方、よろしくお願いします」
 そのとき、タイミングを計ったように部長室のドアがノックされた。部長先生の返事に扉を開けたその人は、あたしがこの1週間ずっと尾行し続けていた双子のうち、男子の方の河合先輩だったんだ。あまりの偶然にあたしはしばし呆然と河合先輩を見つめてしまった。
「失礼します! 生徒会長の河合和弘です。遅くなって申し訳ありませんでした」
 そう言って一礼した河合先輩は、正面の部長先生を見たあと、軽く周囲を見回すようにしてあたしに視線を止めた。ほんの少し口を開いたままの表情でじっと見つめられるのは、最近のあたしがようやく慣れてきた相手の反応だった。それで多少なりとも冷静になれたみたい。あたしは微笑を浮かべたあと、先生の紹介を待たずに先輩に挨拶した。
「初めまして。本日この学園に転校を許可していただきました、1年1組の秋葉サエコです。よろしくお願いします」
「あ、はい、こちらこそよろしく。この学校のことで判らないことは何でも生徒会長のオレに訊いてください。とはいっても、生徒会長は今月いっぱいで終わりなんだけど ―― 」
 そうか、6年前に兄の河合先輩が生徒会長だったように、弟の河合先輩も生徒会長になっていたんだ。簡単な挨拶だけで先輩はすぐに部屋を出ていってしまったのだけど、あたしはこの偶然をおおいに利用することにしていた。
 クラスでの初日の挨拶も無難に済ませて、今月末に行われる文化祭の準備も「まだ挨拶しなければならないところがあるから」と言って抜け出して、放課後あたしはまっすぐに生徒会室に向かっていた。もちろん河合生徒会長に近づくためだった。だけど今は、懐かしい生徒会室へ行きたいという気持ちの方が強かったかもしれない。
 ノックをして、開いたドアの向こうに見えた生徒会室は、この6年間でほとんど変わっていないような気がした。
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幻想の街6
 月の表面を光が支配するのは満月からおよそ1週間。だから通学が始まるまでの間も、あたしは毎日2人を尾行し続けていた。2人はほかの学生よりはずいぶん早く家を出て、徒歩15分ほどの高校へ通って、ほぼ毎日同じ時刻に並んで帰る。この2人は兄弟としてもかなり仲がいい方みたいだった。あたしは2人が離れるチャンスを待っていたのだけど、けっきょく土曜日に月の表面を闇の領域が支配し始めるまでには、宿主を特定することができなかった。
「 ―― 一二三、けっして無理はしないで。人に見られる心配のない真夜中なら僕も協力できると思うから」
 新しい引越し先にも、金髪の美幸にも、美幸が作る夕食にもずいぶん慣れた。相変わらず美幸はあたしに触れてこなかったけど、あの日美幸のおびえた姿を見たことで、あたしの中でも何かが変わったような気がする。それまでの美幸はあたしにとって、何事にも動じない絶対的な保護者だったように思うんだ。あの時、ううん、本当はもっとずっと前から見えていた美幸の弱さに、あたしはあのときまで見えない振りを続けていた。
 以前、美幸と話したことがある。大河は1つの場所に2人から4人の宿主を残す。だから、おおよそだけど、大河は3ヶ月ごとに別の場所に移動していることになるんだ。あたしがそう言うと、美幸は明確な答えをくれた。
  ―― たぶん吸血鬼としての本能的な行動なんだと思うよ。僕自身も、同じ場所に3ヶ月いるとしだいに危機感がつのってきて、移動しないではいられなくなる。屋敷のような例外的な場所もまれにあるんだけどね。大河もきっと、僕と同じものを感じているんだ ――
 このときには気づかなかった。美幸が6年前、あたしと同じ高校に半年間も通っていたんだ、ってことに。あのときの美幸は、とくに後半の数ヶ月は、自分の中にある危機感や焦燥感との戦いだったに違いない。だからこそ美幸はあんなにもこの街におびえて、それでも今あたしのそばにいてくれるのは、あたしを助けてくれようとする美幸の強い思いがあるからなんだ。
 美幸を守りたいと思ったのは初めてだった。
「大丈夫。だって、ここはあたしが生まれ育ったところだよ。……それに、河合先輩に迷惑かけたくない」
「……そうだね。会長は勘のいい人だから。僕がしゃしゃり出たりしたら、たとえどんな変装をしていても見破られそうだ」
 美幸のために、ぜったい次の満月で決める。複雑な微笑を浮かべる美幸に背を向けて、決意も新たにあたしはアパートのドアを出た。
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幻想の街5
 満月期のあたしは美幸に言いたいことをはっきり言えるのだけど、それはあたしの別人格のようなもので、ふだんのあたしはこんなにポンポンと思ったことをしゃべれる方じゃない。美幸はあたしほど極端ではないけれど、でも満月期にはやっぱり多少人格が変わる。あのときの美幸はとくに別人格が前面に出ていたのだろう。その日は以前のアパートまで戻って、翌日の早朝に目覚めた美幸は、鏡を見て自分の金髪に自分で唖然としていた。
 今日は月曜日で、あたしは1日かけて河合先輩一家を尾行することにしていた。あたしがいない間に美幸が引越しをしてくれることになったから、荷物は昨日のうちにすべてまとめておいた。あたしも美幸も荷物はさほど多くない。昨日買ったブルーのコンタクトレンズを入れた美幸が、大きな荷物をいくつも抱えて電車に乗っていたら、本当に外国からの観光客に見えるかもしれないと思った。
 美幸と一緒に始発電車に乗って、途中下車したあたしは河合先輩の自宅近くへ行く。例のコンビニからでも宿主のおおよその位置は把握できたから、動き出すまでのほぼ1時間くらいを雑誌を物色しながら過ごしていたんだ。たぶん店員さんは渋い顔をしていただろう。いくつかの雑誌と朝食用のおにぎりを買って、近づいてくる気配をコンビニ前で雑誌を広げながら待っていると、だいぶ人が増えてきた通りに高校生の2人連れを見たんだ。
 一瞬だけ、目の前を通り過ぎる男子生徒が河合先輩に見えてしまった。あたしが通っていた高校と同じ制服を着た男子は、実際には河合先輩よりもずっと背が高くて、体つきも先輩よりずっとしっかりした感じだった。顔は、あたしにはあまりよく見えないのだけど、たぶん見間違えるほどにそっくりという訳じゃないだろう。でもその男子の全体から受ける印象は、河合先輩とよく似たものだったんだ。
 隣を歩く女子生徒も長身で、一見快活なタイプのようだった。彼女もやっぱり同じ高校の制服を着ている。この2人のうちのどちらかが種の宿主なんだ。でもあたしには宿主がいる方角が判るだけだから、隣同士で歩く2人のうちのどちらが宿主なのかは判らなかった。
 あたしは少し離れた場所から2人を追っていったのだけど、同じ高校に通う2人の通学路が分かれることはなくて、けっきょくどちらが宿主なのか知ることはできなかった。だけどあたしがやるべきことは決まった。すぐに美幸に電話してあたしの転校手続きを取ってもらう。どちらが宿主だったとしても、あたしはまず2人に近づかなきゃならないんだ。
 それでも、あたしの編入試験が済んで、実際に通学が始まったのは、翌週の月曜日になってからだった。
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幻想の街4
 美幸はあの閑散とした駅の周辺で住む場所を探しているはずで、あたしは美幸と合流するために再びその駅へと向かっていた。電車に乗っている時間は20分ほどだから遠くはない。待ち合わせの喫茶店であたしは、奥の席に座って手を振る人を見て思わず足を止めてしまった。美幸は既に帽子をかぶってはいなかったのだけれど、黒かったはずの髪がまばゆいほどのド金髪に変わっていたんだ!
「一二三! こっち」
 声をかけられてようやく歩くことを思い出した。近づいていくと、着ている服もさっきとは違っていることに気が付いた。赤地に黒い模様が入ったタンクトップと鋲がちりばめられた破れかけのジーパン。露出した肩には小さなタトゥまで入ってる。
「どう? 見違えただろう? 似合う?」
 そう言って向けられた笑顔は、数時間前に駅で帽子をかぶったときと同じだった。……似合ってる、と思う。美幸は色白で彫りが深いから金髪に違和感がなかったし、露出の多い服は美幸の細身の身体を引き立てて、一種危険な色香まで漂わせている気がする。確かに今の美幸を見て、6年前の優等生とすぐに結びつけるのは難しいかもしれない。だけど、こんな田舎でこんな派手な格好をしていたら、否が応でも目立ってしまうだろう。
「似合ってるけど……似合ってない」
「ん? それはどういう意味?」
「美幸の容姿には似合ってるけど、田舎育ちのあたしには似合わない。ここの土地柄にも。そんな格好で出歩いたら悪目立ちしすぎるよ」
「……そう、か。一二三は気に入らない、か」
 美幸は微笑んでいたのだけれど、少しさびしそうに見えた。きっと美幸はあたしに協力しようと美幸なりにがんばってくれたんだ。でも、そんなさびしそうな笑顔を見せると、ますます外見のイメージからかけ離れていくんだけど。
「美幸って、英語はできるの?」
「あ、うん。ぜんぜんできなくはないよ。英検1級程度だから堪能ではないけど、日常会話くらいなら困らない」
「だったら、カラコン入れて、もっときちんとした服装で、外国人の振りをした方がいいと思う。それならそんなに違和感ないはずだよ」
 そう言ったあたしに美幸は嬉しそうな笑顔を向けたけれど、あたしは同じ笑顔にはなれなくて、心の中で大きな溜息をついていた。
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幻想の街3
 6年前、あたしはこの街で死んだ。普通の人だったら打ち所が悪くない限り死ぬような怪我じゃなかったけど、生まれつきの病気を抱えたあたしの身体に、その怪我は致命傷になった。そのとき既に吸血鬼として生きていた美幸は、あたしが死ぬことに耐えられなくて、あたしの死体を吸血鬼としてよみがえらせた。1度死んで、顔の形すら変わってしまったあたしは、不老不死の身体をもって永遠にさまよい続けなければならない。
 目に映る風景はすべて懐かしかった。お母さんと買い物をしたデパートも、お父さんと食事に来たレストランも、美幸とデートした喫茶店も。あの小さな駅で美幸と別れて再び戻ってきたあたしは、種の宿主の気配を追いながら、記憶に残る風景を純粋に楽しんでいたんだ。ここには楽しい思い出しかないから。ここを離れたあたしには、つらいことがたくさんあったから。
 あたりはそろそろ暗くなり始めていて、宿主の気配も既に駅前にはなかった。でも気配そのものはずっと感じていたから、あたしは駅から離れてその住宅街に入っていった。あたしの自宅はこの駅の東口にあったから、このあたりまで来ると見慣れた景色は多くない。でも、その角を曲がったとき、あたしは見たことのあるコンビニの前に出ていたんだ。
 このお店にも忘れられない思い出がある。生徒会の役員だったあの頃、ほかのみんなとここで買い物をして、その先にある河合先輩の家まで行ったんだ。中学の頃のクリスマス会や、夏休みの花火大会。先輩の家は広かったから、生徒会の先輩も後輩もひっくるめたみんなの溜まり場のようになっていて ――
 気配を辿って行き着いた場所に、あたしの心臓がドキッと跳ねた。そこは紛れもなく河合先輩の家だったから。
 しばらく呆然と立ち尽くしてしまった。門柱には河合の表札。車が3台余裕で停められる広い庭と、建売じゃないしっかりした造りの大きな家。気づいてあたしは家の周りを1周回ってみた。だけど間違いなく、宿主の気配はこの家の中から感じられる。
 ドキドキする心臓を何とか落ち着けようと深呼吸を繰り返した。河合先輩の家族構成は、両親と弟と妹の5人家族。下の2人は双子で、先輩とは少し年が離れていたはずだった。この5人のうちの誰かが殺人の種を身体に宿している。宿主は先輩じゃないかもしれない。だけど、先輩が宿主である確率だって20パーセントもあるんだ。
 あまり長い時間そこにいることはできなかった。うしろ髪を引かれながら、あたしは再び駅への道を辿り始めた。
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幻想の街2
 終点の乗換駅より1つ手前、同じ車両の乗客が1人も降りなかったその小さな駅で、美幸はようやく座席を立った。足早に改札を抜けていく美幸を小走りで追いかける。日曜日なのに閑散としたその駅のバス停で時刻表を確かめたあと、近くの自販機でジュースを買って、ようやくバス停のベンチに落ち着いたんだ。どうやら美幸はバスに乗りたいんじゃなくて、ここで休むためにしばらくの間バスが来ないことを確認したみたいだった。
「一二三、僕はあの街には近づくことができない。だから、今回の種の回収は、一二三に1人でやってもらうことになる」
 美幸がそう言っても、あたしにはまだ美幸の言葉が理解できなかった。
「……どうして?」
「僕が6年前、半年間もあの街で暮らしていたからだよ。……3年前なら、あるいは20年後ならなんとかなったかもしれない。だけど、6年前に高校2年生だった山崎美幸は、今は大学を卒業した社会人になっていなければならないんだ」
「あ……!」
 そうだよ、美幸はあの頃から少しも変わっていないんだ。今の美幸じゃどうがんばったって23歳の社会人には見えない。だからといって、他人のふりをするには周りの人たちの記憶が新しすぎるんだ。通りすがりの人を欺くことはできても、6年前の美幸の姿を鮮明に記憶にとどめている知り合いまでは騙せない。電車の中で美幸が必死に帽子で顔を隠そうとした理由があたしにもやっと判っていた。
「だけどそれならあたしだって成長して……そうか。あたしは死ぬ前とは違う顔になってるんだ」
「君は別人になりきってしまえば何とかなる。どのみち一二三本人として行く訳にはいかないのだし。僕も、せめてあの頃に弟がいるとでも言っておけばよかったんだろうが、あいにく1人っ子だと公言してしまっている。写真も大量に撮られたはずだから、たぶん髪の色を変えたくらいではダメだろうな。……本当は、君を1人にするなんてことは僕もしたくないんだ。だけどどうすることもできない」
 美幸はあの街に近づくことができない。それどころか、あの街で出会った人と偶然すれ違いそうな場所にいることだってできない。今まで美幸がしてくれたことを、今回はすべて自分ひとりでしなければならないんだ。調査も、根回しも、もしかしたら記憶の削除さえも。
 ようやく事の重大さに気づいたあたしは、しばらくの間声を出すことができなかった。
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幻想の街1
 その路線の電車に乗る前に、美幸(よしゆき)は駅の売店で地元球団の野球帽を買った。
 このときはまだ笑顔で、買った帽子をかぶって照れたように「似合う?」と訊いてきたから、あたしは「似合うよ」と答えて、心の中で「美幸は綺麗だからなにを着ても」と付け加えていた。始発の電車は空いていて、座席の中ほどに並んで座ったあたしたちは、しばらくは沈黙したまま近づいてくる気配の行方を追っていく。やがて馴染み深い駅名が次々に告げられて、あたしはその懐かしい響きに純粋に嬉しくなっていたのだけれど、反対に美幸はだんだん笑顔を消してうなだれていった。
 1番強い気配を感じたのは、まさにあたしが生まれ育った街の最寄り駅だった。ここまで近づけば美幸にだってはっきり感じられただろう。それなのに、あたしが軽く腕を引いてうながしても、美幸は席を立とうとはしなかった。
「美幸 ―― 」
「その名前はダメだ。……サエコ」
 美幸はあたしを、本名の一二三(ひふみ)ではなくサエコと呼んだ。発車のベルが鳴り響いて、反射的に立ち上がろうとしたあたしの肩を美幸が強く抱き寄せて引き止める。理由が判らず美幸を見上げると、間近になってしまった美幸の表情は真剣そのもので、何かにおびえているようにすら見えたんだ。
「美……カツト、どうしたの? 今の駅で降りなきゃ」
「……西口。間違いないか?」
「あ、うん。あの駅の西口で宿主の気配を感じた。ほんとにすぐ近くだったよ。今降りて探せば見つけられたかもしれないのに」
 話しているうちに列車の扉が閉まって徐々に動き始める。今日は満月期の最終日で、あたしたちの力が1番強くなる日だった。この3日間を過ぎるとあたしたちの感覚は急速に衰えて、半月以降にはほとんど何も感じられなくなる。特に今日は日曜日で、宿主がふだんと違った行動をとっている確率は高いんだ。明日になってからあの駅に行っても、もう宿主はいなくなっているかもしれない。
「このまま終点まで黙って座ってて。……電車を降りたらちゃんと話をするから」
 思いがけず美幸に抱きしめられるような格好になって、あたしは不安を感じながらも、美幸がおびえる理由には思い至らずにいた。
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