2003年05月の記事


真・祈りの巫女188
 あたし、本当に疲れてたみたい。立て続けにいろいろなことがあって、ずっと緊張状態だったから。この数日間に、人生の大きなイベントが凝縮されてしまって、いいことも悪いことも次々に襲ってきたんだもん。そのうち、いいことはほんの一握りで、あとはぜんぶ悪いことばかりだった。
 目が覚めたときには既に夕方で、カーヤが台所に立つ音が聞こえてきていたの。あたしはすぐに飛び起きて、部屋のドアを開けた。
「あら、ユーナ。目が覚めたのね。もうすぐ夕食ができるわ」
「ごめんなさいカーヤ! あたし、ずっと留守にしちゃって」
「さっきまでタキがきていて、いろいろ話してくれたのよ。ユーナもお食事しながら聞かせて。今日はここで眠っていけるの?」
 あたしはテーブルに食器を並べるのを手伝って、カーヤが手早く盛り付けしている間にお茶を入れた。オミの食事はもう少しあとになってからみたい。あたし、午後はずっと眠ってたのにお腹だけは空いてて、久しぶりのカーヤの料理に舌鼓を打ったの。
「今はミイがいてくれるから、たぶん大丈夫だと思う。……タキからリョウのことも聞いたの?」
「ええ。タキからも聞いたけど、今は神殿中がその話題で持ちきりだから、自然に耳に入ってきたわ。……ユーナが影を追い払うための祈りを捧げていたら、神様がリョウを生き返らせてくれたんだ、って。リョウが村の救世主になるんだってみんな言ってるわ。でも、ユーナにとってはそれだけじゃないもの。よかったわね、ユーナ。おめでとう」
 そうか、守護の巫女はあたしの祈りを「村のための祈り」として公表して、運命の巫女が見た未来から、リョウを「村の救世主」にしちゃったんだ。それは嘘だったけど、リョウは自分で「俺は影を追い払うために生き返った」って言ってたから、この嘘は本当になっていくのかもしれない。
 嘘をつくのはいけないことだけど、村のためにはこの嘘も必要な嘘なんだ。嘘を貫き通すのは苦しい。でも、これが自分のことを祈ってしまったあたしに対する、本当の罰になるような気がしたの。
「ありがとう。……カーヤには心配をかけて本当にごめんなさい。オミのこともずっと任せきりで」
「タキが時々話してくれてたから、それほど心配してはいなかったわ。オミも少しずつ回復してるのよ。……まだ歩けないけど」
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真・祈りの巫女187
 会議の内容はぜんぜん頭に入ってこなかった。声は聞こえていて、なにをしゃべってるのかもだいたい判るのに、あたしの頭が理解することを拒否しているの。それでもなんとか顔を上げていたら、向かいにいた聖櫃の巫女があたしの様子に気づいたみたい。心配そうな表情で声をかけてくれた。
「どうしたの? 祈りの巫女、真っ青よ」
 あたしが答えることすらできずにいると、ほかのみんなもあたしが普段と違うことに気づいてくれたみたいだった。
「大丈夫か? 気分でも悪いのか?」
「様子がおかしいわね。すぐに宿舎へ帰った方がいいわ。誰か……」
「オレが連れて行くよ」
「いいえ、タキには祈りの巫女の名代として残ってもらいたいわ。ええっと」
「私がついていくわ。今の議題には関係ないし、内容はあとでカイに聞かせてもらうから」
 そうして、あたしは聖櫃の巫女に手を取られて、長老宿舎をあとにしたの。外の空気を吸ったら、あたしの気分はずいぶん回復していた。それで改めて、自分がさっきまでものすごく追い詰められていたことに気がついたんだ。
「ごめんなさい、聖櫃の巫女。……ありがとう」
「いいえ、どう致しまして。宿舎で少し休むといいわ。ずっと張り詰めていて疲れが出たのよ」
「……そうね、そうかもしれないわ」
 聖櫃の巫女と少しの会話を交わしていると、宿舎が徐々に近づいてきて、あたしはまた少し身構えてしまった。だってあたし、前回の会議に出席するために宿舎を出て、それから1度も帰ってなかったから。きっとカーヤにもすごく心配をかけちゃったよ。このところずっと心配のかけどおしだったから、もしかしたらカーヤは呆れて怒っちゃったかもしれない。
 でも、少しほっとしたことに、カーヤはちょうど宿舎を留守にしていたの。たぶんオミはいたと思うけど、精神的に疲れていたあたしは声すらかけずにいて、そのままベッドに入って眠ってしまったんだ。
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真・祈りの巫女186
 昼食後、再び迎えにきてくれたタキと一緒に長老宿舎へ行くと、名前のついた巫女と主だった神官たちは既に全員集まっていた。どうやらあたしが到着する前に、リョウについてはあらかた説明があったみたい。あたしが部屋に入った時には意見交換ともいえない雑談が行われていて、みんな困惑した表情であたしを見たんだ。
「祈りの巫女、ご苦労さま。……さ、みんな、静かにして。リョウのことは既に決定事項で、さっき話したことがすべてよ。それ以上のことはリョウが動けるようになってから相談しましょう。議題はまだほかにもあるの。 ―― 運命の巫女、お願い」
 守護の巫女がそう言うと、みんなはあたしになにか言いたそうな表情を残しながらも、運命の巫女に視線を移した。
「このところ毎日定期的に未来を見ていたのだけど、結果があまりはかばかしくなかったのは前にも話した通りよ。でも、昨日の夜あたりからまた新たな情景が見えるようになってきたわ。今日は午前中に2回、神殿に入って、その間に見える未来がかなり変化したの。……おそらく、守護の巫女と神託の巫女がリョウに会って、彼の処遇を決めたことが、未来を決定付けたのだと思うわ」
 あたしも、ほかのみんなも、その運命の巫女の言葉には驚きを隠せなかった。あたしがリョウを生き返らせたこと。それが村の未来を決定付ける重要な要因になってたんだって気づいたから。こんなにはっきりそれが証明されたのは初めてだったんだ。
 運命の巫女は少しだけ言いづらそうに間を置いてから言った。
「次に影が襲ってくるのは3日後の夜、それが通算4回目で、5回目は翌日の夕方、6回目は更に翌日のお昼頃になるわ。……今私に見えているのはそこまでよ。そして、私が見た風景の中に、リョウが影と戦う姿が見えるのよ」
 運命の巫女がそう言った瞬間、あたしはまた突然あの発作に襲われたの。
 胸がドキドキいって苦しくなって、目の前が真っ暗になった。そのあと運命の巫女がしゃべったことなんかもう耳に入らない。ざわざわと訳の判らない騒音があたりを覆っていて、あたし独りだけ恐怖の真ん中に放り出されたみたいだった。今度は発作がおさまるまでずいぶん長い時間が経った気がする。気がついたとき、あたしは胸を抑えて、テーブルに突っ伏す寸前のような格好をしていたの。
 その時、会議の席は再びざわめいていて、あたしの様子に気づいた人はいなかったみたい。あたしは必死で自分の中の恐怖を退けて、周囲の声に耳を傾けようとした。
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真・祈りの巫女185
 あたしの急激な変化で、リョウもかなり戸惑ったみたいだった。でもあたしの方はそんなことを気にする余裕はなくて、リョウの腕にしがみついたまま、必死で自分を落ち着けようとしていたの。
 やがて、沈黙の時間が過ぎて、少しだけ落ち着いてきた頃、リョウが小さく言った。
「……痛い」
 それが、あたしが腕を掴んでるからなんだって気がつくのに、それほどの時間はかからなかった。
「あ……ごめんなさいリョウ! あたし、リョウは怪我してるのに……」
 あたしがそう言ってようやく手を離すと、リョウは腕を抱えるようにしていたわった。
「嘘だ。痛くはない。俺は人一倍丈夫にできてるらしいからな。ちょっと言ってみただけだ」
 まるで、あたしに手を離してもらうためにそう言ったみたいな言い方だった。そのままリョウは再び横たわって視線を外してしまったから、もしかしたらリョウは本当に痛かったのかもしれないと思ったの。あたしが気にしないように、痛くないふりをしてくれたのかもしれない、って。そういうリョウのちょっとした思い遣りって、あたしは気づくことが少なかったけど、知らないところですごくたくさんもらってたんだ。
 そのとき、遠慮がちにドアが叩かれる音がして、あたしが返事をするとミイが顔を出した。
「お話し中ごめんなさいね。お食事ができたんだけど、運んできてもいい?」
「あたしの方こそごめんなさい、お手伝いもしないで」
 せめてもの罪滅ぼしと思ってリョウの食事を運ぶ手伝いをして、そのあと再びリョウが身体を起こして食事を始めたの。あたしはなにもすることがなくてうしろで見守ってたんだけど、やがてあらかた食事が片付いたところでリョウが言ったんだ。
「ミイ、できるだけ早くランドに会いたい。ここにつれてくることはできるか?」
「ええ、もちろんよ。ランドも喜ぶと思うわ。……たぶん、わざわざ呼ばなくても、今夜仕事が終わったら勝手にくるわね、ランドなら」
 あたしはリョウの言葉にも驚いたのだけど、リョウがこんなに早くミイに馴染んでしまっていることに、少しの嫉妬を感じていた。
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真・祈りの巫女184
 台所の様子を気にしつつ、それでも辛抱強くリョウを見守っていると、やがてリョウが口を開いたの。
「 ―― だいたい判った。……この現象のすべてじゃないが、少なくとも俺が生き返った理由については判ったと思う」
 あたし、とっさに言葉を返すことができなかった。今の話だけでリョウにはなにが判ったの? それより……リョウはいったいなにを知っているの……?
 このとき、あたしの中に初めて疑いの気持ちが生まれたのかもしれない。すごく漠然としていて、なにがどう違うとはっきり指摘できるほどじゃなかったけど、なんとなく、この人は今までのリョウとは違うかもしれない、って。
「生き返った理由、って? ……どう判ったの?」
「俺が、影をこの村から追い出すために生き返った、ってことだ」
 リョウがそう言った瞬間、あたしの心は恐怖に凍りついた。
 いきなり心臓が動きを早めて、呼吸が止まった。身体全体に震えがきて、目の前のリョウの顔すらうまく見ることができないくらい。頭の中が混乱してもうなにも考えられなかった。心臓の高まりは一瞬で、震えもすぐに去ってくれたけど、その恐怖の感覚だけはいつまでも残ったままだったの。
「どうした?」
 リョウの声。あたしが1番慕わしく思ってたリョウの声すら、今のあたしには恐怖の対象だったの。……あたしの身体に変化をもたらしたのが、リョウのその言葉だって、あたしには判った。あたし、リョウに影と戦って欲しくない。リョウのそんな言葉聞きたくない。もう2度とリョウを失いたくなんてない!
「大丈夫か? 身体の具合が悪いんじゃないのか?」
「……リョウ、お願い、そんなこと言わないで」
 少し身体を起こして、心配そうにリョウが伸ばした腕に、あたしはしがみついた。
「リョウは影と戦うために生き返ったんじゃないの。だからそんなこと言わないで! お願いだから影に近づかないで!」
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真・祈りの巫女183
「さっきのこと、もう少し詳しく聞かせてくれないか? 俺の予言で以前と同じ宿命が出たって」
「……ごめんなさい。さっきも言ったように、予言の内容を詳しく話すことはできないの。でも、リョウが本人なのは間違いないわ。記憶がなくてもそれを確かめることができたから、リョウは村の一員として認められたの。もう、リョウがどこへ行くのも自由だし、村の決まりを守りさえすれば、行動を制限されることもない。……もし、リョウが希望するなら、この村を出て行くのも自由よ」
 あたし、リョウにこのことを告げるのは、ほんとはもっと時間が経ってからにしたかった。でも、言いたくないと思っているからこそ、思わず口にしてしまったの。自分でも不思議だった。
「そうか。……それじゃ、俺は一生この村にいることもできるんだ」
「ええ、もちろんよ! だって、リョウはこの村で生まれて、この村で育ったんだもん!」
 リョウの返事が嬉しくてあたし、思わず力をこめてそう言っちゃったの。そうしたら、リョウはふっと、視線をあたしに戻した。
「ここにいる人間は、みんな正直だな。おまえも、ミイも、タキや守護の巫女や神託の巫女も。……さっきミイに少し聞いた。この村は今影に襲撃されてて、俺はそのために死んだんだ、って。そのあたりの経緯を、俺に詳しく話してくれないか?」
 リョウに請われて、あたしは少しためらいながらも、今までのことを詳しく話し始めたの。
 運命の巫女の漠然とした予言から始まって、あくる日の明け方に突然の影の襲撃でマイラたちが死んだこと。その日の真夜中の襲撃では影の数が増えて、あたしの両親ほか大勢の人が死んだ。翌日の襲撃では、村人は神殿へ避難していたから多くの人たちは救われたけど、影と戦っていた狩人のリョウだけが死んでしまったこと。あたしは絶望のあまり神様に祈りを捧げて、その祈りが通じて、リョウが生き返ったんだってこと。
 リョウはすごく熱心に聞いていて、話しているうちにあたしの中からためらう気持ちが消えていった。影があたしを狙ってきたことも、リョウが生き返ったあとの騒動のことも、ほとんどすべてを話すことができたの。だからずいぶん時間もかかってしまって、話し終わって気がついたときには、台所からミイが食事を作る音が聞こえていたんだ。
 あたしの話を聞き終えたリョウは、頭の中を整理するように、しばらくの間沈黙していた。
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真・祈りの巫女182
 ミイへの返事に困ってタキを振り仰ぐと、タキもちょっとだけ考えて言った。
「そうだな、午後からの会議で主要の巫女と神官たちには伝えられるから、夕方には神殿の全員が知ることになるだろうし、早ければ今夜にも村に噂が出るかもしれないな。ミイ、その人に話すのは夕方まで待ってくれるかい?」
 タキも、ミイが言うその人がリョウの身内だって、察したみたいだった。具体的なことを聞いて、ミイ自身もずいぶんほっとしたみたい。たぶんミイって、秘密を持っているのが辛くてしかたがない人なんだ。もちろん黙っていなければならないことをうかつに人にしゃべったりはしないから、そのへんはすごく信頼できる人なんだけど。
 ミイは、替えた包帯とお湯を張った桶を持ち上げながら言った。
「判ったわ。それじゃ、夕方までにぜんぶお仕事を片付けなきゃいけないわね。ユーナ、いつ神殿に戻るの?」
「午後に会議があるから、お昼まではいられるわ。食事の支度も手伝えるわよ」
「それじゃ、それまではリョウのことをお願いね。お洗濯してきちゃうから」
「あ、オレもいったん神殿に戻るよ。会議の前にはまた迎えにくるから」
 ミイが出て行きかけたそのとき、タキもそう言って、2人連れ立って寝室を出て行ってしまったの。そのうしろ姿を見送ったあたしは、必然的にリョウと2人きりになってしまったことに気づくこととなった。……もしかして、タキもミイも、あたしに気を遣ってくれようとしたのかな。どちらかというと逃げ出したような気もするんだけど。
 さっきのことがあったから、あたしも逃げ出したかったけど、でも勇気を出してリョウを振り返ったの。もちろんリョウは逃げることなんかできなかったから、少し恥ずかしそうにあたしを見上げていた。
「……さっきは悪かったな。変なところを見せて」
 リョウがそう言ってくれて、あたしはずいぶん気が楽になった。枕もとの椅子に腰掛けながら答えたの。
「ううん、あたしが早とちりして勝手にドアを開けちゃったんだもん。リョウが悪いんじゃないわ」
 リョウもいくぶん気が楽になったようで、大きく息をつきながら視線を外した。
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真・祈りの巫女181
 しばらくドアに背を向けてなんとかドキドキを治めようとして、やっと台所に行って水を飲んで少し落ち着いた頃、寝室のドアを開けてタキが顔を見せた。
「待たせたね、祈りの巫女。もう入って大丈夫だよ」
 必死で笑いをこらえようとしてるらしいタキの表情を見て、あたしは少しだけムッとして、無言でリョウの部屋へと入っていった。リョウと目を合わせるのがちょっと恥ずかしかったのだけど、それでもなんとか気力を振り絞ってリョウを見ると、リョウの方もちょっとばつが悪そうな感じだったの。2人の間になんとも言えない、気恥ずかしいような沈黙が漂った。そんなあたしたちの雰囲気を察して、助け舟を出すように、タキが言った。
「リョウの傷はずいぶんいいよ。この分なら明日からは動いて大丈夫そうだね」
「本当?」
「ああ。もともと鍛えていて体力はあるし、なにしろ若くて健康だし、普通よりもずっと治りが早いよ。オレもこんなに回復の早い人間は初めて見た。もちろん、まだ無理は禁物だけどね」
 あたしはようやく笑顔が出てきて、そのままリョウに向き直った。
「よかったね、リョウ。明日からは自由に動けるわ」
「俺は自由に動いていいのか?」
 リョウが言ったその言葉が神託の巫女の予言を指していることに、あたしはすぐに気づいた。
「ええ。身体が治りさえすれば、どこへ行くのも自由よ。さっき、神託の巫女の予言で以前のリョウと同じ宿命が出てきたから、守護の巫女があなたをリョウ本人だと認めたの。予言の内容について詳しく話すことはできないのだけど」
 リョウは少し驚いたように目を見開いたけど、それについて何かを言うことはなかった。その時声を出したのはミイだった。
「リョウ、よかったわ。……ユーナ、このことをいち早く伝えてあげたい人がいるんだけど、いつ話せばいいかしら?」
 ミイも今回は多少気を遣ってそう言ったのだけど、あたしにはそれがリョウの両親のことだって、すぐに判ったの。
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真・祈りの巫女180
 神託の巫女は、今ここに初めてリョウが産まれたんだって、そう言った。タキは、ここをスタートラインにして、新しい恋人関係を築いていけばいい、って。でも、そうしたら今までのリョウはどうなるの? あたしは今まで一緒に過ごしたリョウのこと、忘れなければいけないの?
 そんなの嫌だよ! だって、あたしはずっとリョウと一緒にいたの。リョウがいなければ今のあたしだっていなかった。あたしがリョウを忘れるなんて、そんなことできるはずがないよ。
「……リョウの記憶は戻るわ。あたし、そう信じてる」
 そう言って、あたしは強引にタキとの会話を終わらせて、リョウの家へと戻っていった。タキはもうあたしに声をかけることはしないで、うしろから黙ってついてきていた。ノックのあと家の扉を開けて、ミイがまだ寝室にいることを知って、寝室のドアをノックしたの。中からミイの「はーい」って返事が聞こえたから、それを入っていいという意味だと解釈して、あたしは寝室のドアを開けた。
「あっ! ま……」
 その時目に飛び込んできた光景に驚いて、あたしはすぐにドアを閉めてしまったの。
 リョウは上半身を起こして、あたしを見ると焦ったように声を上げて目を見開いた。身体の包帯をぜんぶほどいていて、上半身だけほとんど裸だと言っておかしくなかったの。あたし、服を脱いだリョウなんて今まで見たことがなかった。だからびっくりして、ドキドキして、その瞬間に頭の中が真っ白になっちゃったんだ。
「どうしたの?」
 タキの問いかけにもどう答えたらいいのか判らずに顔を赤くしてると、中からドアが開いてミイが顔を覗かせた。
「ごめんなさい、ユーナ。うっかりしてたわ。あたしってほんとにおっちょこちょいね。よくランドに呆れられちゃうの」
「なに? どうかしたのか?」
「リョウの包帯を替えるついでに身体を拭いてあげてたのよ。お嫁入り前の女の子には刺激が強すぎたわよね。ほんとにごめんなさい」
 あたしはなにも答えられなくて、タキが傷の具合を診るといって寝室に入ってからも、しばらくドキドキが治まらなかったんだ。
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真・祈りの巫女179
 あたしはリョウのなにを好きなんだろう。優しいところ? でも優しくないリョウのことだってあたしは好きだった。リョウがあたしのことを好きでいてくれるから? でも、リョウがそっけなくしてた頃だって、あたしはリョウを好きでいることをやめたりしなかったよ。
 リョウを好きだと感じた瞬間のことを、あたしはたくさん思い出せる。抱きしめてくれる腕も、キスしてくれた唇も。あたしをいつも元気付けてくれた手。その微笑みや、照れたようにそっぽを向いてしまったその背中だって ――
 今、あたしのことをすべて忘れてしまったリョウには、あたしが好きだったリョウがなにもない。ううん、少しはあるけど、でもあたしが1番好きだったリョウの笑顔さえ、あたしはまだ見ていないんだ。
「……なんか、オレはまた余計なことを言ったみたいだな」
 あたしが黙り込んでしまったからだろう、ちょっと緊張を解くように微笑んで、タキが言った。
「自分が卑怯なのは知ってるけど、でもまったく罪の意識を感じてない訳じゃない。……祈りの巫女、オレが言いたかったのはつまり、君1人だけが婚約にこだわることはないんじゃないかってことなんだ。リョウには他の人を好きになる権利があって、もしかしたらそういうことも起こるかもしれないけど、同じ権利は祈りの巫女にもある。だから万が一、君がリョウを好きでなくなったとしても、誰も君を責めたりはできないと思うんだ」
 あたしはなにも答えられなかった。だってそんなこと、考えたくもないことだったから。タキが言ってることが正しいって、あたしには判るのに、あたしはそんな話を聞きたくはなかったの。
「だけどさ、祈りの巫女。リョウも君も、生まれたときからお互いを好きだった訳じゃないだろ?」
「……」
「まず出会いがあって、そのあと交流があって、少しずつ惹かれていった。気持ちがしだいに育って、お互いになくてはならない存在だと思うようになった。それと同じことを、これからの2人が繰り返す可能性もあるんじゃないのか? 君とリョウは、ここをスタートラインにして、もう1度恋人同士になればいいんじゃないのかな」
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真・祈りの巫女178
 あたし、タキがそんなに驚くような表情をしてるのかな。自分ではよく判らなくて、それでなんとか微笑を浮かべようとしたの。
「なんでもないの。……あたし、リョウが本物なのは判ってた。だからぜんぜん不安じゃなかったわ。でも……リョウの記憶が戻らなかったら、たとえ本物でももう1度あたしを好きになってくれるかどうか判らない。……今、それに気づいたの」
 話している途中で、あたしはタキとこういう話をするのが初めてなんだってことに気がついた。タキは目を見開いたままで、少し戸惑ってもいるみたい。だからちょっとだけ話したことを後悔し始めたんだけど……。
 あたしが言葉を切ったあと、タキは少し怒ってるようにも見える表情で言ったんだ。
「 ―― それはさ、祈りの巫女。君にも言えることなんじゃないのか?」
 声の調子は穏やかで、あたしにはタキが怒ってる訳じゃないってことが判ったけど、タキに正面から見つめられて自分でどうしたらいいのか判らなくなってしまったの。
「……あたし……?」
「ああ。今ここにいるリョウは死ぬ前と同じリョウなんだってことが証明されたけど、彼には今までの記憶が一切ないんだ。幼い頃から祈りの巫女と過ごしたという想い出もないし、あまり彼のことを知らなかったオレにだってずいぶん印象が違うように見える。まるでリョウと同じ姿をした他人に見えるよ。……祈りの巫女、これからリョウがなにも思い出さないでいたら、君は本当にリョウを好きでいられるの? あのリョウは、祈りの巫女にとっても、初めて出会う他人と同じなんじゃないのかな」
  ―― 思いがけないタキの指摘に、あたしは答えることができなかった。
 あたしはリョウのことが好き。たとえリョウが記憶喪失になって、あたしのことをぜんぜん思い出してくれなくたって、あたしはリョウを好きでいることをやめたりしない。ずっと傍で見守って、リョウの記憶が戻る手助けをするの。だって、リョウはずっとそうしてくれたんだもん。幼い頃の記憶をなくしたあたしを、記憶が戻るまでの7年間、黙って見守っててくれたんだもん。
 だけどあたし、タキに自身を持ってそう告げることができなくなっていたの。タキの言葉で自信が揺らいでしまったの? ……ううん、違うよ。あたしは自分の心に自信がなかったから、リョウの心にも不安を持ってしまったんだ。
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真・祈りの巫女177
「でも、それじゃリョウには何を話せばいいの? さっきリョウと約束したのに、話せることが何もないわ」
「以前と同じ予言が出てきたことを話してあげればいいわ。リョウが本物のリョウだと認められた、って。それと、村の人間として認められたのだから、とうぜん村人としての権利や義務も出てくるわ。例えば、村のどこでも動き回ることができる権利や、ごく普通の生活をするための物資を受け取る権利。あと、村の決まりを守る義務や、村のために何かの仕事をする義務ね。このあたりはリョウが動けるようになったら少しずつ話してあげるといいわ。……もちろん、村を出て行く権利もあるってことを言い忘れないで」
 あたし、この神託の巫女の言葉を聞いて、はっと息を飲んだの。だって、子供の頃のリョウは村を出て行ってもおかしくないような子供だったから。今のリョウが、子供の頃のリョウに似ているのなら、記憶を失ったまま村を出て行ってしまう可能性もあるんだ。
「権利や義務のことならオレにも教えられるよ。適当に時期を図ってオレが話しておく。今のところリョウはかなり友好的だし、常識的でもあるから、それほど無茶な振る舞いはしないと思うよ」
「ええ、それは私もそう思うわ。記憶がないことは本人も認めていたし、実際にそうなのでしょうけど、今のリョウは記憶をなくしていることが信じられないくらい常識的でもある。たぶん、そういう感覚が根付いてしまっているのでしょうね」
「ほら、大丈夫だよ、祈りの巫女。……神託の巫女、ほかに話がなければオレと祈りの巫女は戻るけど」
「……ええ、そうね。私も神殿に戻るわ。リョウの誕生の予言を忘れないうちに書き留めておかなければならないもの」
 そうして、神託の巫女が歩き去ってからも、あたしは呆然としたまましばらく立ち尽くしていたの。リョウはもう、1人の村人として認められてしまった。これからはリョウはどこへ行くのも自由だし、記憶がない以上、あたしと結婚してくれるかどうかも判らない。それどころか、この村を出て行ってしまうこともありうるんだって気づいたから。
 ここにいるリョウは、もうあたしの庇護を必要としてない。例えばあたし以外の人を好きになることだって、十分ありうるんだ。
「祈りの巫女、オレたちも戻ろう。リョウに今の話を聞かせてやらなければならないんだろ?」
 タキの声にあたしが振り返ると、タキはずいぶん驚いたようだった。
「祈りの巫女。……どうしたの? リョウが本物だって確かめられたのに、どうしてそんな顔をしてるんだ?」
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真・祈りの巫女176
 神託の巫女の言葉に、守護の巫女はちょっと首をかしげた。
「ええ。これから帰って運命の巫女の話も聞かなければならないの。祈りの巫女に話って? 私には内緒のこと?」
「いいえ、いつもの話よ。初めての子供を持った両親にする話」
「それなら私は聞く必要がないわね。判ったわ。それじゃ、また午後に」
 守護の巫女は笑いながらそう言って、急ぎ足で神殿へと戻っていった。それを見送って、神託の巫女はあたしに振り返ったの。
「神託の巫女、リョウはあたしの子供じゃないのよ」
「そうね。でも同じだわ。だって、リョウの誕生の予言を聞いたのはあなたなんだもの。リョウは今初めて生まれて、誕生の予言を受けることでこの村の人間として認められたのよ。だから、これからリョウを世話していくあなたが、リョウの誕生の予言について責任を負わなければいけないのよ」
 あたし、リョウの母親になっちゃったの? リョウはあたしより3歳も年上で、しかもあたしはリョウの婚約者なのに。
 そんなことを思って、目を白黒させたあたしを、神託の巫女は笑った。
「変な想像はしなくていいわ。ただ、誕生の予言は神聖なものだから、これも1つの儀式のようなものだと思って聞いてくれればいいのよ。 ―― まず、誕生の予言の中身については、基本的に本人には話してはいけないものよ。今回は出ていないけれど、寿命や将来の職業、結婚相手、すべてにおいて両親の胸の内にしまっておくの。例えば万が一、子供の結婚相手が別の人と結婚したとしても、子供自身が別の人と結婚しようとしたとしてもね。誕生の予言は、親が子供の人生を邪魔するために行うものではないのよ」
 あたし、最初は神託の巫女が言うことがあまりピンと来なかったけど、少し考えて思い当たることがあるのに気がついたの。あたしの両親は、あたしがリョウと結婚することを反対したりしなかった。リョウの両親も。
「でも、あたしは両親にずっと言われていたわ。おまえは将来祈りの巫女になるんだよ、って」
「それはあなたが特別だったからよ。祈りの巫女は、自分で希望してなれるような職業じゃないもの。今回のリョウには右の騎士の相が出ていたけれど、もちろんこれも本人には内緒にしなければならないわ。理由は判るわよね」
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真・祈りの巫女175
 あたしは、正直言って魂の形や色と言われてもピンとこなくて、だから2人の会話に口を挟むことができなくて、ハラハラしながら見守っていただけだった。でも、タキは違ったみたい。タキはたぶん神託の巫女の物語もいくつか読んでいて、あたしよりもずっとはっきりイメージすることができたんだ。
「ちょっと待ってくれ。……神託の巫女、あなたも含めて、過去の神託の巫女は1度死んだ人間の魂を見たことなんてなかったんだろう? だったら、その経験したことがない魂の色というのも、リョウが1度死んだことで変化した部分じゃないのか?」
 タキの言葉で、神託の巫女も気づいて考え込んだようだった。
「そう、ね。確かにその可能性もあるわ。私は死んだ魂がどうなるかなんて知らないもの」
「リョウが右の騎士なのは間違いないんだろう? だったら、右の騎士がほかにいない以上、彼がリョウ本人だと考える方が自然だよ。だって、間違いなく右の騎士なんだろ? 例えばだけど、左の騎士だって可能性はないんだろ?」
「ええ、左の騎士ではないわ。右の騎士と左の騎士とでは魂に現われる色がまったく違うの。この2つを間違えることはありえないわ」
「それならなんの問題もないよ。1度死んだことで記憶を失って、魂も多少変わったけど、彼はリョウ本人なんだ。死ぬ前と同じ右の騎士の宿命を持っていることがその証明になる。守護の巫女、リョウを認めるのにそれ以上の証拠が必要なのか?」
 理論的な話を始めるとタキはすごく生き生きとしていて、この間もそうだったけど、たとえ相手が守護の巫女だろうとぜったいに言い負けたりしない。あたしが思った通り、守護の巫女は少しだけ迷って、でもきっぱりと言ったの。
「ええ、タキの言う通りよ。リョウを認めるための証拠は揃ったわ。……これ以上は私の出る幕じゃないわね。祈りの巫女、神託の巫女、午後から会議を開いて、ほかの巫女と主要な神官たちにリョウのことを報告することにするわ。タキ、あなたも出席して」
「ああ、判った」
「神託の巫女」
 守護の巫女が神託の巫女を促すと、神託の巫女は笑顔で首を振った。
「私はもう少し祈りの巫女と話があるの。よかったら先に帰っていて。忙しいのでしょう?」
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真・祈りの巫女174
 リョウの家を出て、家から少し離れた森の木陰まで来た時、それまでじりじりしながら待っていたらしい守護の巫女が言ったの。
「さあ、結論を先に言ってちょうだい、神託の巫女。彼は右の騎士なの? それとも違うの?」
 神託の巫女はちょっと戸惑ったみたい。あまり歯切れのよくない口調で答えた。
「そうね、右の騎士がリョウであるという図式を信じていいのなら、間違いなく彼はリョウ本人よ。あのリョウは右の騎士だったわ」
「本当に?」
 とっさにそう声を上げたのは、守護の巫女じゃなくてタキだった。タキは、守護の巫女が神託の巫女を連れてくるように言った時から、ずっと落ち着きがなかったの。たぶんリョウが本人だってほんとに信じてなかったんだ。もちろんあたしは信じてたから、神託の巫女に任せることも、リョウの機嫌を損ねるんじゃないかってこと以外はぜんぜん不安に思っていなかった。
「その予言に間違いはないのでしょう? どうしてあなた自身は信じていないような口ぶりなの? 先代の誕生の予言に間違いがあったとでも言うの?」
 リョウの誕生の予言をしたのは、とうぜん今の神託の巫女じゃない。今30代の彼女はリョウが生まれたときにはまだ10代だったもの。もちろんあたしの誕生の予言も先代の神託の巫女が行ってるんだ。でも、その記録は書庫の戸籍にちゃんと残っているから、今の神託の巫女だって目を通してるはずなんだ。
「私の予言にも、先代の予言にも間違いはないわ。私は先代の日記を……当時は物語の執筆が途中だったから日記の方を読んだのだけど、リョウが生まれた日の日記に右の騎士の記述があったのはちゃんと覚えているの。だからそういうことではなくて……。
 私は誕生の予言を言葉として読み取るのではないわ。その人の魂の形、色、そういうものを感じて、それを言葉に置き換えるの。その解釈という作業をするためには知識と経験が必要なのね。知識というのもけっきょくは昔の神託の巫女の経験から学ぶものだから、今まで私たちが経験していない魂の形や色を解釈することは難しいのよ」
「……つまり、どういうことなの? リョウの魂には、代々の神託の巫女が誰も経験していないような色や形があるとでもいうの?」
「誰も経験していないかどうかは判らないわ。でも、少なくとも私は初めてだし、先代がこの予言に一切触れていないのも確かなのよ」
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真・祈りの巫女173
 神託の巫女が言葉を切ったあと、リョウは右手を神託の巫女に差し出した。
「話はだいたい判った。要するに、俺の魂の形を見て、俺が生まれたときに受けた誕生の予言と比べるってことだな。痛みも違和感もないし、無差別に頭の中を引っ掻き回す訳でもないらしい。それなら構わないからさっさとやってくれ」
 リョウのその態度には、神託の巫女の方が少し戸惑ってしまったようだった。ちょっと投げやりにも見えて、あたしはリョウが疲れてしまったのかと思って、少し心配になったの。だって、リョウはまだ身体の怪我が治ってないんだもん。そうして上半身を起こしているのだって、リョウの身体に負担をかけてるのかもしれないんだ。
「……判ったわ。それじゃ、少しのあいだ手に触れているから楽にしていて」
 そう言って、神託の巫女はリョウが差し出した右手を取った。
 神託の巫女は両手でリョウの右手を包み込んで、静かに目を閉じた。ほんの少し、まるで静電気を浴びた時のようにリョウが目を細めたけど、それもほんの一瞬のことであとはじっと神託の巫女の顔を見つめていたの。逆に、神託の巫女にはほとんど表情と呼べるものは現われなかった。いったいリョウから何を読み取ってるのかな。あたしは気になって、たぶんまわりのみんなも同じ気持ちだったんだろう。神託の巫女の集中を妨げないように誰もが無言で、呼吸をする音すら聞こえてこなかった。
 その沈黙の時間はかなり長いあいだ続いた。やっと、神託の巫女が大きく息をついて目を開けたとき、周りにいたみんなもいっせいに溜息をついたの。それになんだか笑いを誘われて、場の緊張が一気に解けていった。神託の巫女も笑顔を浮かべていた。
「協力してくれてありがとう、リョウ。おかげでいろいろ判ったわ」
「なにが判ったんだ?」
「ごめんなさい。今すぐには教えてあげられないの。これから守護の巫女や祈りの巫女と相談して、あとで祈りの巫女を通じて、すべてとは言わないけれど多少のことは聞かせてあげられると思うわ。少し別の場所で相談してきてもいいかしら」
「ああ、好きにしてくれ。……出て行くついでにミイを呼んでくれないか?」
 神託の巫女は請け合って、寝室を出てミイに声をかけたあと、あたしたちを玄関の外まで連れ出してしまったの。
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真・祈りの巫女172
 守護の巫女はベッドの枕もとにあった椅子を動かして、そこに神託の巫女を座らせた。これからは彼女が主役になるのだとリョウに知らせるように。神託の巫女は視線で守護の巫女にお礼を言って、リョウに向き直った。その表情には、いつもの彼女の優しい笑みが浮かんでいたの。
「こんにちわリョウ。身体の具合はどう? 傷は痛むの?」
「いや。薬がよく効いているから痛みはない。……俺に触れるってきいたが、子供にほどこすようなものだから痛くはないんだろうな」
「ええ、もちろんよ。痛みも違和感も、人が感じるほどの変化は何もないわ。本当に普通に触れている感触があるだけよ。安心して」
 リョウは最初の頃のような、警戒心を全面に押し出すような表情をすることはなかった。ずっと穏やかで、ずいぶん打ち解けてきているように思えたの。リョウ自身がだんだん変わってきてるんだ。タキやミイと話をしたことで、リョウは人を信じる心を少しずつ取り戻してきているのかもしれない。
「俺に触れて何を見るんだ? 俺の記憶も見えるのか?」
「いいえ、残念ながら記憶は見えないわ。リョウの記憶を取り戻す手助けもできない。私に見えるのは、その人の魂のあり方だけなの。その魂が持つ宿命や運命、方向性なんかを見るのね。それを予言に置き換えるの。……人間の魂はね、その人が生きる道筋のほとんどを知っているわ。例えば、身体を動かすことを得意としていて、人や村を守る相が出ている魂が、将来神官になることはないわ。物静かで探究心旺盛な魂が狩人になることもない。そういう個々の魂が持つ色と寿命、あと、対になるべき魂の場所を感じて、それらを総合して私は誕生の予言を行うの。でも、ごく稀に、特別な宿命を持った魂と出会うことがあるわ。 ―― 例えば祈りの巫女のような」
「……」
「祈りの巫女は数10年か数100年に1人しか生まれてこないの。その魂の色は本当に特別で、その他の要素をすべて消してしまうくらい強烈な色を発しているわ。もしもあなたが同じような特別な宿命を持っていたら、私にはあなたの運命も、結婚相手も、何も見ることができないでしょうね」
 リョウは右の騎士だった。神託の巫女はたぶん、リョウよりもむしろあたしや守護の巫女に聞かせたくて、この話をしたのだろう。
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真・祈りの巫女171
 再びあたしはリョウの部屋へと戻ってくる。うしろからは守護の巫女、神託の巫女、タキと続いていて、リョウは順番に見ながら少しだけタキに視線を止めた。リョウの寝室はそれほど狭くはないのだけど、5人も入ると少し圧迫感があるみたい。まずはあたしがリョウに近づいて、2人を紹介したの。
「リョウ、さっき話した守護の巫女と、神託の巫女よ。タキのことは知ってるわよね」
「……守りの長老は来ないのか?」
「ええ。高齢だから最近はあまり出歩かないの。守りの長老に会いたいのなら、リョウの身体が治ってから会いに行けばいいわ」
「祈りの巫女」
 うしろから守護の巫女に声をかけられて、あたしは場所を譲った。
「こんにちわ、リョウ。あなたに再び会えて嬉しいわ。先日3回目の影の来襲で、あなたは影の命と引き換えに自分の命をなくしてしまった。もしもあなたに再び会えることがあれば、私は真っ先にお礼を言いたかったの。……リョウ、本当にありがとう。あなたの犠牲がなかったら、村はもっとずっと大きな被害を受けていたかもしれないわ」
 リョウはすぐには答えずに、いくぶん警戒しながら守護の巫女を見つめていた。守護の巫女も笑顔でそう言ったあとは何も言わなかったから、しばらくの間のあと、根負けしたようにリョウが答えたの。
「残念だが、俺にはこの村の記憶は一切ない。1度死んだって話も今朝聞いたばかりなんだ。今の俺にそんなことを言われても困る」
「そうだったわね。ごめんなさい、あなたを試すようなことを言って。もう祈りの巫女に聞いていると思うけど、祈りの巫女の婚約者で、狩人のリョウは1度死んだわ。それも、本人を目の前にして言うのはなんだけど、身体がバラバラになるような大怪我を負って、何かの拍子に息を吹き返すなんてことがありえないくらい完璧な死に方だった。だから今、目の前にあなたがいるのに、私には信じることができないのよ。それは判ってもらえるかしら」
「ああ。俺があんたの立場だったとしても信じないだろう。疑って当然だ」
「判ってくれて嬉しいわ。……あとのことは神託の巫女に聞いてちょうだい。あなたの質問にもすべて答えてくれるわ」
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真・祈りの巫女170
「言葉の意味がよく判らない。おまえは祈りの巫女なんだろ? 守護の巫女と神託の巫女ってのは何だ? この村の責任者か?」
 そうか。リョウはそんなことも忘れてるんだ。あたしはできるだけリョウが判りやすいように説明しようと思った。
「村のことはね、神殿にいる巫女と神官が司っているの。神官の最高位が守りの長老で、巫女で同じ位置にいるのが守護の巫女。この2人が村のことをいろいろ考えて、村をいい方向へと導いているわ。あたしは村の平和を神様に祈るためにいる祈りの巫女で、神託の巫女というのは、村に新しい子供が生まれたときに誕生の予言をする巫女なの。子供に触れて、その子が持っているさまざまな運命や宿命を予言するわ。ほかに聖櫃の巫女と運命の巫女がいて、聖櫃の巫女が村の神事を取り仕切って、運命の巫女は村全体の未来を見るの」
「その、神託の巫女っていうのが、俺の誕生の予言をしたいんだな?」
「そうなの。……記憶を失う前にリョウが持っていた宿命と同じものを、今のリョウが持っていることを確かめたいの。そうすればリョウが本物だってことが判るから」
 リョウは少しの間考えているように見えた。でも、それもほんの少しだけで、再び顔を上げてあたしに言ったの。
「触れるだけなら構わない。……どうやらその儀式がなければ、俺はこの村で生かしてもらえないようだからな」
「そんなこと! もしも守護の巫女がリョウになにかしたらあたしがリョウを守るわ!」
「おまえの細腕には期待してない。自分のことは自分で守るさ。……連れてこいよ、守護の巫女と神託の巫女を」
 そう言ったリョウはすごくそっけなくて、さっきちょっとだけ以前のリョウを感じて喜んだ分また涙が出そうだったけど、でもリョウが許してくれたからあたしは2人を連れに部屋を出たの。
 食卓まで行くと、外にいたはずの3人がミイのお茶を飲んでいるところだった。あたしは驚いて立ち止まってしまって、それに気づいたミイが声をかけてくれた。
「ユーナ、お連れがいるのなら先に言ってくれればよかったのに。今あなたにもお茶を持っていくところだったのよ」
「話が終わったのね、祈りの巫女。それで、リョウと話はついたの?」
 あたしがなにか言うよりも早く守護の巫女が言ったから、あたしはうなずくことで答えた。
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真・祈りの巫女169
 少しの間、あたしは話し掛けるきっかけがつかめなくて、さっきまでミイが座ってた椅子に腰掛けてリョウを見つめていた。リョウも今は上半身を起こしていて、不審そうにあたしを見つめてる。さっきまでミイとどんな話をしてたんだろう。あたしはまだリョウとはほとんどまともな会話をしていなかったから、そのことがちょっとだけ気になったの。
「……ごめんなさい、リョウ。お話の邪魔しちゃって」
「いや、別にたいしたことは話してない。あの、ミイの旦那のランドとかっていうのも狩人で、俺の仲間なんだってな」
「ええ、そうよ。リョウとランドはとても仲がよくて、最初にあたしが神殿でリョウを見つけたとき、タキと一緒にリョウをここまで連れてきてくれたの。それからもリョウのことはずっと気にかけてくれてるわ。ほら、リョウがタキと話していたとき、あとから入ってきた人よ」
「……ああ、判った。あいつか」
 リョウがそう言って、あたしがまたしばらく言葉を失ってしまうと、おもむろにリョウが息をついて言ったの。
「……で、何なんだ? 俺になにか頼みごとでもあるのか?」
 あたしが驚いて返事をできないでいると、リョウは続けた。
「俺はおまえにはずいぶん世話になってるらしいからな。俺にできることなら協力してやる。……なにか、俺のことで問題が起きてるんじゃないのか?」
 リョウはずっとあたしのことを見つめていて、だからもしかしたらあたしの表情を見て、それで察したのかもしれない。あたしはそんなリョウの心遣いをすごく嬉しく感じたの。だって、記憶を失うまでのリョウは、いつもそうしてあたしが言いづらいことも聞き出してくれたんだもん。たとえ記憶がなくても、リョウはリョウ。あたしのリョウはちゃんと残ってるんだ。
「たいしたことじゃないの。ただ……リョウが何も思い出してないから、守護の巫女はリョウが今までのリョウと同じだって、信じてくれないの。だから、それを確かめたいって、今家の前まできてるの。……リョウ、神託の巫女がリョウに触れることを許してくれる?」
 リョウは、あたしの言葉にあまり表情を変えることはしなかった。
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真・祈りの巫女168
 それきり、守りの長老は2度と語ってくれなかった。すぐにタキが神託の巫女を連れて戻ってきたから、あたしは心を残しながらも、あわただしく長老宿舎をあとにしたの。4人でリョウの家までを歩きながら、守護の巫女が神託の巫女に簡単な説明をして、リョウの予言を読み取って欲しいと告げた。神託の巫女はあまりのことに少しだけ動揺を見せたけれど、やがて心を決めるように言ったの。
「大人に関する予言は、生まれたばかりの赤ん坊ほど純粋なものが得られる訳ではないわ。年を重ねれば重ねるほど、魂の本来の形が見えにくくなってしまうの。でも……リョウはまだ確か19歳よね。そのくらいなら見えるものも多いと思う」
「それで構わないわ。極端なことを言ってしまえば、リョウが右の騎士であることさえ確かめられればいいの。それは本人に記憶がなくても可能でしょう?」
「ええ。むしろ記憶がない方がいいくらいだと思うわ。ただ、私は記憶のない人を見たことなんてないから、それが予言にどんな影響を与えるのかは判らないけど」
 守護の巫女は気が急いているのか歩幅も大きくて、ただでさえ長身の彼女が大股で歩くと、あたしや神託の巫女ではついていくのがやっとだった。ほとんど考える暇もなくリョウの家に到着して、まずはあたし1人で家の中に入る。これだけはあたし譲れなかったの。だって、リョウは周りに対する不安をすべて払拭できた訳じゃないんだもん。神託の巫女がリョウに触れることについてなんの説明もしないでいることなんて、あたしはしたくなかったから。
 ノックをして扉を開けると、ミイの明るい声が寝室の方から聞こえてきた。声が途切れないところを見るとノックの音に気づいてないみたいね。あたしは家に入って、再び寝室の扉をノックしたの。その時やっとミイが気づいて、中からドアを開けてくれた。
「あら、ユーナ。ずいぶん早かったのね。神殿のご用は終わったの?」
「ううん、実はまだ途中なの。……ちょっとリョウと話したいのだけど、いいかしら」
「ええ、もちろんよ。外は暑かったでしょう? 今、お茶を入れるわね」
 あたしは一瞬、外で待っている3人のことを思ったのだけど、まずはリョウにその話をするべきだったからミイには何も言わなかった。ミイと入れ替わりに寝室に入る。リョウはあたしを見て、少しだけ緊張したみたいだった。
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真・祈りの巫女167
 守護の巫女の行動は迅速で、タキはずいぶん戸惑っているみたいだった。たぶんタキは守護の巫女がこんなに強力な姿勢に出てくるとは思ってなかったのだろう。不安そうな視線をあたしに向けて、神託の巫女を呼ぶために長老宿舎を出て行った。タキがその場から去ったあと、守護の巫女もいくぶん緊張をといて、微笑さえ浮かべてあたしを振り返ったの。
「祈りの巫女、いろいろときついことを言ってごめんなさい。さぞかし嫌な思いをしたのでしょうね」
「ううん。守護の巫女が言ってることはぜんぶ当然のことだもの。……あたしの方こそごめんなさい。感情的になっちゃって」
「無理もないわ。あなたは1度、婚約者を村のために犠牲にしてしまったんだもの。再び生き返ったリョウを命がけで守ろうとするのは当然だわ。……個人的にはね、あなたが元気になったことは私も嬉しいの。早くリョウの記憶が戻って幸せな結婚ができることを望んでいるわ。ただ、私は守護の巫女だから、リョウの復活を手放しで喜んであげられない。なくしていた祈りの力が戻ったことも」
 そう聞いて、あたしも初めて気がついたの。今までずっと、あたしの祈りは神様に届いてなかった。影を退けようとしてもぜんぜんうまくいかなかった。それなのにあたし、リョウの祈りだけはちゃんと神様に届けることができたんだ。あたしの力が上がったの? だから神様はあたしに声を聞かせてくれたの?
 それとも、その祈りが自分の願いだったから、強すぎる祈りだったから届いただけ……?
「祈りの巫女ユーナよ。そなたの祈りは神に届いていなかったのではないのだ」
 ずっと黙ったままあたしたちのやり取りを聞いていた守りの長老が、唐突にその重い口を開いた。守りの長老はめったに口をきかないから、その言葉は突然で、声をかけられるといつも驚いてしまうの。
「守りの長老、それはどういうこと? 神様は今までもずっとあたしの祈りを聞いてくれていたの?」
 あたしが守りの長老を見つめてじっと返事を待っていると、やがて再び語り始めてくれた。
「神の理を人が解することはかなわぬ。たとえ人に、祈りが届いておらぬように思われたとしても ―― 」
 あたしも、守護の巫女も、守りの長老の言葉を一言も聞き漏らさないように、息さえ潜めた。
「 ―― 自らの祈りの力を侮ってはならぬ。祈りは、この世にあるすべてのものを超える。……天すら動かすのだ」
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真・祈りの巫女166
 あたしは、この問題が意外に簡単に片付きそうな気がして、かなり大きな希望を持った。だって、リョウは本物なんだもん。今は記憶がなくて、怪我をして動けないけど、記憶が戻って怪我が治ればリョウはまた村を救うために力を尽くしてくれる。そりゃあ、リョウが影と戦うのはすごく心配だけど、リョウには1度影を倒した実績もあるから、祈りの巫女としてのあたしがリョウだけを生き返らせようとしたってぜんぜん不思議じゃないよ。そう思って、あたしが微笑みを見せると、なぜか守護の巫女はもっと厳しい表情をしたの。
「祈りの巫女、あなたはリョウが本物だと思うのね。記憶が戻ると信じてるのね」
「リョウは本物よ。だって、神殿では間違いなくあたしの名前を呼んだんだもの。それに、ミイに会って少しだけでも思い出したみたい。きっと記憶がないのは一時的なことで、すぐにすべてを思い出すわ」
「そうね。祈りの巫女が言う通り、すぐに思い出すかもしれないわ。でも、これから先なにも思い出さないかもしれない。リョウが自分のことを思い出さなければ本物であるとは言えないわ。影に操られた偽者かもしれない」
「本物よ! だって、守護の巫女は知らないから。今のリョウは、リョウが子供の頃によく似てるの。怒った時のリョウにも。誰にも判らなくたってあたしには判るの!」
「祈りの巫女、私は理論的な話をしているの。だから感情的にはならないでちょうだい。……私は、村の将来も守らなければならないけど、村の現在も守らなければならないわ。もし今を守れなかったら、いくら将来を守ろうとしても意味はないのよ。だから、もしもリョウが村のためによくないものなら、たとえ将来のためにならないのは判っていても、あなたとリョウをともに殺すこともありうるわ」
「……」
「誤解しないでちょうだい。私は、リョウが偽者だと決め付けている訳ではないわ。ただ、リョウの記憶が戻るまで何日か、あるいは何年かかかるのかもしれないけど、それほどの時間を待つだけのゆとりは今この村にはないのよ。だから手っ取り早く確かめさせてもらうわ。リョウが何者で、私たちにとってどんな運命をもたらす存在なのか」
 あたしは、守護の巫女の強い姿勢に押されて、もう何も言うことができなかった。
「神託の巫女をリョウに会わせる。彼女がリョウに触れて読み取った予言の内容で、今後のことを決めさせてもらうことにするわ」
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真・祈りの巫女165
「ええっと、確か禁忌を犯したことで罰を受けた祈りの巫女はいなかったはずだよ。ただ……2代目のセーラは、恋人ジムの命を延ばしてる。その祈りが誰の願いとして神様に聞き届けられたのかは判らない。だから、彼女はもしかしたら、自分の願いとしてジムの寿命を延ばす祈りをしたのかもしれない。そのあとすぐにセーラは死んでしまったから真相は判らないけど」
「つまり、記録としては存在してないけれど、禁忌を犯した可能性のある祈りの巫女はいた訳ね。……祈りの巫女、私は昨日、同じことを守りの長老にほのめかされたわ。つまり、あなたが犯した罪を、歴史の上で抹殺してしまうこと」
 このとき、うつむいたままだったあたしは、守護の巫女の言葉にハッとして顔を上げた。あたしの頭の中にランドの言葉が甦ったの。あたしが自分のことを祈ったのがいけないのなら、その証拠を消してしまえばいいんだ、って。
「歴史の上で抹殺、って。……まさかリョウを ―― 」
「そうね。リョウが2番目に大きな問題であることは間違いないわ。私が守護の巫女でなければ、ランドと同じ意見を主張したでしょうね。でも、あなたを殺すことができないのに、リョウだけを殺したら、それこそあなたがなにを始めるか判ったものではないわよ。そのくらいのことは嫌でも想像がついてしまう。……話を整理するけど、第1の問題は、祈りの巫女が自分の願いを祈ったことであって、リョウが生き返ったことではないわ。だから、祈りの巫女がリョウを生き返らせる祈りをしたその理由が、祈りの巫女自身のためでなければいいのよ。他にその祈りを正当化させる理由さえあれば。……正直言ってこれは難しいわ。よほどの理由がなければ、祈りの巫女が自分の婚約者を生き返らせたことを正当化することはできないもの」
 つまり、リョウを生き返らせたことについて、リョウに生きていて欲しいというあたしの願望をしのぐほどの理由が必要なんだ。誰でも納得できるような理由が。でも、リョウが生き返って村が得することなんて、あたしには考えつかないよ。もちろん、リョウは生きていればこれから一生村のために尽くしてくれるだろうけど、それだけではリョウだけを生き返らせた理由になんかならないんだ。
「そして、第2の問題。これは第1の問題にも絡んでくるのだけど、生き返ったリョウが果たして何者か、ということね。このリョウがもしも本物なら、第1の問題もクリアできる可能性があるわ。なぜなら、以前のリョウは祈りの巫女の右の騎士だったのだから。彼が右の騎士で、これから先影を追い払うために力を尽くしてくれれば、それが祈りの巫女がリョウを生き返らせた正当な理由になるのよ」
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真・祈りの巫女164
「私は、あなたが正しい心を持ってることを知っているわ。今回は恋人を失った悲しみのあまり過ちを犯してしまったけれど、いつものあなただったら祈りの力を自分のために利用したりはしない。それは確かよ。でも……怒らないで聞いてちょうだいね、祈りの巫女。人間というのは変わるものだわ。これから先、あなたがまた悲しみに襲われたり、憎しみに囚われたりしたとき、同じ事を繰り返さないとは限らない。自分の力ではどうにもならない欲望を抱いた時、祈りの力を利用しないでいられるとは限らない。なぜなら、あなたは既に禁忌という枠を踏み越えてしまったのだから。1度その一線を越えた人間が、これから先ぜったいにその線を踏み越えないでいられると信じることはできないのよ」
 守護の巫女が言っていることは正しいことだった。その正しさが判るから、あたしは自分のおろかさに涙が出そうだった。あたしは神殿の信頼を失ってしまった。1度過ちを犯したあたしは、2度と信じてもらうことはできないんだ。あたしが生きている限り、守護の巫女には不安が付きまとう。守護の巫女はずっとその不安を抱えていかなければならないんだ。
「守護の巫女、守りの長老。お願い、あたしを殺して。そうすれば不安は消えるわ」
 あたしのその言葉にも、守護の巫女は表情を変えなかったの。大きく息をついて再び口を開いた。
「昨日、タキに話を聞いたあとに守りの長老とも話したのだけど。……私は村の将来にも責任を負っているって、さっき話したわね。もしもここであなたを殺したら、12代目の祈りの巫女が禁忌を犯した記録を将来に残してしまう。それは村の将来にとってはよくないことなのよ。なぜなら、祈りの巫女が必ずしも正しい心を持っている訳ではないのだという前例を作ってしまうし、これから先同じ過ちを犯した祈りの巫女が現われた時、自分が殺されることが判っていたら、罪を隠そうとして逆に取り返しのつかないことになってしまうかもしれないわ。だから、あなたを殺すことだけでは、私の未来の不安を消すことはできないのよ」
 あたし、正直言って自分の過ちがこれほどのものとは思っていなかった。最悪の場合でも、あたしが殺されればすべて終わると思ってたの。でもあたしが死んだだけじゃ終わらないんだ。あたしは、未来の祈りの巫女にも、悪い影響を残してしまったんだ。
「タキ、歴史上11人の祈りの巫女の中で、禁忌を犯した祈りの巫女はいた?」
 突然、守護の巫女に話を振られて、タキはずいぶん驚いたみたいだった。
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真・祈りの巫女163
 守護の巫女と守りの長老を前に、あたしは今までの経緯を話し始めていた。リョウを失って悲しんだこと。その悲しみがいつしか憎しみに変わっていったこと。それでも諦めきれなくて、神殿で祈りを捧げながら「リョウを返して欲しい」と思ってしまったこと。その心の叫びに、神様は答えてくれた。神様はあたしに「願いをかなえる」と言って、怪我をしたリョウを神殿へ連れてきてくれたんだ。
 あたしを見てあたしの名前を呼んで、そのあと気を失ってしまったリョウを、タキとランドが協力して家まで運んでくれた。それから丸1日リョウには意識がなかった。でも、目が覚めたとき、リョウは記憶を失っていたんだ。最初リョウはあたしを警戒していたけど、タキと話してからは普通に会話してくれるようになった。そして、これはタキも知らないことだったけど、リョウはミイを見て「似てる人を知ってたような気がした」って言ったんだ。
 あたしが話している間、守護の巫女も守りの長老も、ときどき合いの手を入れるほかはほとんど黙ったままだった。そこまで話したあと、しばらくの沈黙があって、守護の巫女がようやく口を開いたの。
「問題がいくつかあるわね。……祈りの巫女、私の、守護の巫女の役割がどういうものか、あなたには判る?」
 それは誰でも知っていることで、今更改めて考えるまでもないことだった。
「村を守って、村の平和を保つことだわ」
「ええ、そうよ。私は現在においてはこの村を守って、将来にわたって村の平和を保たなければならない。これから先私が死んで、新しい守護の巫女が引き継いでいくけれど、今の私にはその先の未来にも責任があるの。今日を乗り切ればそれでいいというものではないわ。それは、判ってくれるわね、祈りの巫女」
 あたしはそこまで守護の巫女の役割について考えたことはなかった。新たな驚きがあったけど、でもそれを口に出すことはしないで、小さくうなずくだけにとどめた。
「問題の1つは、これは1番大きな問題と言っていいのだけど、あなたが自分の願いを神様に祈ってしまったことだわ。神殿が祈りの巫女に自分の祈りを禁じているのは、祈りの巫女がその力を私欲に利用するのを防ぐため。自分のためになされた祈りは、他人のためになされる祈りよりも、遥かに大きな力を発揮する。そんな大きな力を手にした人間ほど危険なものはないのよ」
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真・祈りの巫女162
 神殿までの坂道を上がりながら、タキは少し緊張した面持ちで話してくれた。
「昨日宿舎に戻ってすぐに、オレは守護の巫女に呼び出されてね。祈りの巫女のことをいろいろ訊かれたんだ。祈りの巫女は前回の会議の日は宿舎に帰ってない。そのこと自体はまあ、恋人を亡くした直後でもあるし、守護の巫女も黙認してたんだ。オレがついてることも判ってたから、特に居場所を詮索することもしないでオレに任せてくれていた。だけど、そのあと祈りの巫女はいっこうに帰ってこないし、オレも薬や包帯、食料なんかを調達するようになっただろう? そのことが原因で、神官たちの間で変な憶測が飛び交うようになったらしいんだ。
 昨日の午前中に呼び出されたときには、いずれすべてを話すから少し待って欲しいって言って、守護の巫女もそれ以上は訊かないでくれたんだけど、夜はもうそんな曖昧な対応じゃきかなくてね。詳しくは言ってくれなかったんだけど、どうもオレが薬を調達していることで、祈りの巫女が自殺を図った、なんて噂も出始めたらしい。だから……君に相談しないで悪かったんだけど、オレは昨日守護の巫女に、狩人のリョウが生き返ったことを話したんだ」
 聞きながらあたしは、タキがあたしのことでずっとたいへんな苦労をしていたことを知った。きっと、今話してくれた以上に、タキはいろんな人にいろんなことを言われてきたのだろう。そのたびにずっとごまかしてるのって、ものすごく辛いことに違いないよ。でも、タキはあたしやリョウの前では、そんな素振りは少しも見せなかったんだ。
「ごめんなさいタキ。本当に迷惑をかけちゃって」
「オレのことはいいんだけどね。でも、そんな訳で守護の巫女はすでにリョウのことを知ってるんだ。なにしろことがことだから、守護の巫女も騒ぎを大きくしたくないって言ってね。祈りの巫女にはできるだけ誰にも姿を見せないで、直接守りの長老宿舎にくるように伝えて欲しいって言われたんだ。話も守護の巫女と守りの長老の2人だけで聞くって ―― 」
 森の道を出た時、タキは神官宿舎の裏手に回り込んで、長老宿舎の裏口へあたしを連れて行ったの。あたしはそこに裏口があることは知ってたけど、今までここから出入りしたことなんてなかったんだ。タキがノックをすると、ややあって守護の巫女が扉を開けてくれた。あたしを見て困惑の表情を浮かべた守護の巫女に、あたしは自分がどんな表情をしたらいいのか判らずにいた。
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