2002年11月の記事


真・祈りの巫女10
 食事のあとは、今日話を聞いた村の人たちのことを神様に祈る。村に降りるようになってからはずっとそうしていたから、みんなもこの時間はあたしのために神殿をあけてくれてるんだ。だから、よほど特別なことがなければ、祈りを誰にも邪魔される心配はなかった。カーヤにも手伝ってもらいながら心ゆくまで神様に祈りを捧げて、最後に村の平和を祈る頃には、周りの宿舎も夜の静けさに包まれていた。
 そして、宿舎に帰ったあとは眠る前に日記をつけて、それであたしの1日は終わる。神殿の夜は麓よりも少し涼しくて、真夏でもそれほど寝苦しくはないの。たっぷり睡眠をとって、翌朝はいつものように快適な目覚めが待っている。あたしの宿舎は朝のうちは山の陰で日が差さないから、午前中くらいはあまり暑くもならなくて、お部屋で勉強するには最適なんだ。
 でも、この日の午前中は会議があったから、朝食の前に少し本を読んだだけで、食後は守護の巫女の宿舎に向かった。だいたい半月に1回、名前を持った巫女だけで集まって、いろいろ情報交換をするの。ほかにもいくつかの会議があって、祈りの巫女のあたしはほとんどの会議に出席しなければならなかったけど、この巫女だけの会議がいちばん気が楽だった。だって、運命の巫女が見た未来に変化がなければ議題なんてあってないようなもので、近所の主婦たちの井戸端会議とあんまり違いがなかったんだもん。
 あたしが予定の時間に守護の巫女の宿舎につくと、きていたのは運命の巫女だけで、聖櫃の巫女と神託の巫女はまだいなかった。
「おはよう、守護の巫女、運命の巫女」
「おはよう祈りの巫女」
「おはよう。祈りの巫女はいつも元気ね。ほんと若いっていいわ」
 守護の巫女も運命の巫女もたぶん40代半ばくらいで、2人ともあたしと同じか少し年上くらいの子供がいるの。だからたぶん2人にとってはあたしは娘みたいに見えるんだろうな。名前のついた巫女の中ではあたしがいちばん若くて、まだ到着してない聖櫃の巫女も40代後半くらい、神託の巫女は30代前半くらいだから、みんなすごくあたしのことをかわいがってくれるんだ。でも、代々の巫女の年齢と比べると、今の巫女たちはみんな若い方だと思う。いちど名前を襲名すれば、その巫女が死ぬか責務を果たせなくなるまで交代はないから、この先よほどのことがない限りこのメンバーは変わらないんだろう。
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真・祈りの巫女9
 巫女は他の人よりも少しだけ結婚が遅くなる傾向があるけど、それにしてもカーヤが誰とも付き合わないのは不思議だった。カーヤに恋人がいないのはあたしがいちばんよく知ってるけど、でもけっしてモテない訳じゃないのよね。女性のあたしから見てもすごく素敵だと思うし、優しくて料理も上手だから、カーヤを好きな男の人はいっぱいいると思う。実際あたしも2、3回訊かれたことがあるんだ。神殿によく出入りしている男の人とか、独身の神官なんかに、カーヤは恋人いないの?って。
「ザンは? 最近あんまり仲良くしてないの?」
「……うん、この間ちょっとそんなこと言われたんだけど、それからなんとなく気まずくなっちゃったみたい」
「どうして? ザンはいい人よ。誰にでも分け隔てなく親切だし」
「なんとなく、かな。この人だ!って思えないの。嫌いじゃないのよ。でも、結婚したい人じゃないの」
 あたしにはあんまりよく判らなかった。あたしはずっとリョウのことばかり見ていて、結婚するのはリョウ以外には考えられなかったから、カーヤのような気持ちにはなったことがないんだ。
 カーヤはリョウのことであんなに泣いてた。リョウのことはもう引きずってないって言ってたから、それは本当だと思う。でも、カーヤはあんなに真剣に人を好きになることができるんだもん。もう1度本気で恋をしたら、きっとすごく幸せな結婚ができるはずなんだ。
 たぶん、カーヤはまだ出会ってないんだ。カーヤの両親はカーヤが誰と結婚するのかちゃんと知ってるから、何も言わずに静かにその時を待ってるのかもしれない。
 カーヤはこれからどんな恋をするんだろう。あたしはそれを見届けることができるのかな。
「ユーナは? そろそろリョウとのこと、考えてるの?」
 そう訊かれたから、あたしはさっきのリョウとのことをカーヤに話したの。
「実はね、明後日リョウがあたしの両親に会いにくるの。リョウはあたしも一緒にいて欲しいんだって」
「ふうん、それじゃリョウったら、今からすごく緊張してるでしょう。大変そうね」
 カーヤが含み笑いを浮かべてそう言ったから、あたしはまた更に不思議が深まっちゃったんだ。
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真・祈りの巫女8
 なんとなくリョウと離れがたくて、でもそろそろカーヤが夕食を作り終わる頃だったから、あたしはいつものように笑顔でリョウに別れを告げて宿舎に帰り着いていた。宿舎ではもうカーヤが食卓の準備を完全に整えてあたしを待っていた。もしかしたらいつもよりもちょっとだけ遅くなっちゃったのかもしれない。でも、カーヤはそんなことは一言も言わないで、仕事を終えたあたしをねぎらってくれた。
「ユーナ、お腹空いたでしょう? 今日はチャーハンにニンニクと唐辛子をたっぷりきかせてみたの。辛いけどおいしいわよ」
 カーヤが作ってくれたチャーハンは、暑さでばてた身体が生き返るみたい。見た目も真っ赤で辛いのにすごくおいしかった。カーヤはあたしより2歳年上の18歳で、あたしが祈りの巫女になってからずっと世話係をしてくれている。その間にもどんどん料理の腕を上げていて、もういつ結婚してもいいと思うのに、まだカーヤは独身なんだ。前にリョウのことを好きだったけど、でもそのことはとっくに吹っ切れてるはずだから、カーヤが結婚しないのがあたしにはすごく不思議な気がしていたの。
 食事を頬張りながら、あたしは思い出してカーヤに話し掛けていた。
「そう、あのね、あたし明後日実家に一晩だけ泊まろうと思ってるの。カーヤもこのところ帰ってないでしょう? よかったら一緒に帰らない?」
 あたしが宿舎にいるときは、世話係のカーヤもなかなか家に帰れない。もちろんカーヤがいつ帰ってもあたしはかまわなかったけど、責任感の強いカーヤはあたしの世話を放って1人で帰ることができないんだ。
 あたしが言うと、カーヤはちょっと視線を泳がせて、考えているように見えた。
「……そうね。あたしも帰ろうかな。久しぶりに顔を見せておかないとみんなに忘れられちゃいそうだし」
「またそんなこと言ってる。カーヤの家族はカーヤのことを忘れたりしないわ」
「そうでもないのよ。母さまも父さまも、あたしのことはあんまり心配してくれないの。だって、あたしもう18歳になるのに、恋人がいるのかどうかもぜんぜん訊かれないんだもの。きっとあたしが売れ残ってもいいと思ってるのね」
 そう、カーヤは冗談めかして笑いながら言った。だからあたしも笑顔で答えたけど、やっぱりちょっとだけ心配になったの。だって、女の子の18歳っていったら結婚適齢期ギリギリで、それ以上で独身だと売れ残りだって言われるんだもん。
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真・祈りの巫女7
 リョウがくれた北カザムの髪飾り。それはすごく大切な約束で、だから毎日朝起きてから眠る前まで必ず身につけていた。落としたら大変だからって、時々確かめるように髪飾りに触れるのが癖になってたみたい。なんとなく遅れがちにリョウのうしろを歩いていたら、不意にリョウが振り返って、それからわざわざ引き返してきてあたしの手に触れたんだ。髪飾りの上に2人の指が重なるように。
「ユーナ、大丈夫。……オレが20歳になって、それから1月で村の秋祭りが始まる。だけど祭りが終わるまで待つ気なんかないから。たとえユーナの両親に反対されたって、8月には北の山の狩りで必ず成果を上げて納得させる。だから心配しないで。オレを信じて」
 あたし、不安な顔をしてたのかな。そんなに不安に思ってた訳じゃないけど、リョウが言ってくれたことはすごく嬉しかったから、あたしは自然に顔がほころんでいたみたい。でも、ちょっと考えたら気付いちゃったよ。本当に不安に思ってたのは、あたしじゃなくてリョウの方なんだ、って。
 でもどうしてなんだろう。あたしの父さま、村の他の人と比べたってぜんぜん怖い人じゃないのに。
「あたしはリョウのことを信じてるわ。……そうと決まったら早い方がいいわね。さっそく明日帰ることにする!」
「……いや、せめて明後日にしてくれ。オレにも心の準備が……」
「だから大丈夫よ。うちの父さまも母さまも、リョウとの結婚に反対なんかしてないし、ぜんぜん怖くないんだから」
「オキが優しい人なのは判ってる。そういうことじゃないんだ。……うん、たぶん、その時になったらユーナにもきっと判るよ」
 あたしはリョウの言うことがさっぱり判らなくて、たぶんきょとんとした顔をしてリョウを見上げてたんだと思う。そんなあたしにリョウはふっと笑顔を漏らして、髪飾りに重ねた手を触れたまま、そっと顔を近づけてきた。
 リョウの唇が重なる。もう、数え切れないくらい触れた唇なのに、リョウがキスしてくれるたびにあたしはドキドキするの。リョウのことが大好きって、それだけで心の中が一杯になる。リョウ、お願い、ずっとそばにいてね。ぜったいあたしを離さないでね。もっとリョウの近くにいたいよ。いつもいつも、いちばん近くにいるリョウを感じていたい。
 優しくて穏やかで、力強くて頼りになって、でもちょっとだけ臆病なところも心の中に持ってる。それが、あたしの大好きな、いちばん大好きな、あたしだけのリョウだった。
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真・祈りの巫女6
 リョウも忘れてなかったんだ。やっとあたし、リョウのお嫁さんになれるんだ。
「変わってなんかないよ! だって、あたしがずっと好きだったんだもん。毎日毎日、あと何日でリョウと結婚できるって、数えてたのよ。リョウがちゃんと覚えててくれてるのか、ちょっと不安だったんだから。リョウの誕生日までもうあと2ヶ月しかないのにリョウはぜんぜん話してくれないんだもん」
 リョウは視線を戻して、ほっとしたように微笑んで、あたしがまだリョウの笑顔にドキドキしていると、そっと近づいてきてあたしを抱きしめた。リョウの腕が大好き。リョウの匂いに包まれて、愛されているのが幸せで、目眩がしそう。
「ごめんな、不安にさせて。……でもよかった。ユーナに結婚したくないって言われたらどうしようかと思った」
「……そんなことぜったい言わないもん。……ねえ、リョウ。神殿に結婚式の予約を入れないといけないの。何日にするの?」
「それはね、2人だけじゃ決められない。1度ユーナの両親に会って、ちゃんと話をしてからだね」
 なんだか不思議に思って、あたしはリョウの腕から抜け出して、顔を覗き込んだ。
「父さまも母さまも、あたしがリョウと結婚するのは判ってるわ。リョウのことは2人ともすごくよく知ってるし、ぜったい反対しないと思うの。それなのにわざわざあたしが帰った時に話をするの?」
「変だと思う? だけどそういうものなんだと思って、ユーナも付き合ってくれ。オレもできれば避けて通りたいところだけど、こればっかりはそういう訳にもいかないから。先のことはぜんぶ、オレがそいつをクリアしてからだな」
 リョウが父さまに会うのを嫌がるなんて、あたしはすごく不思議で、再び歩き始めてからも違和感は抜けなかった。だって、リョウって昔から父さまや母さまにすごく信頼されてて、あたしがリョウのところへ行くって言えばぜったい反対されなかったもん。父さまはリョウとの結婚を反対したりしないよ。リョウはもう立派な一人前の狩人だし、あたしだって結婚してぜんぜんおかしくない年になったんだから。
 あたしが15歳になったとき、リョウは婚約のしるしにって、職人のカチが北カザムの角と毛皮で作った髪飾りをプレゼントしてくれた。初めて父さまに見せた時、父さまは「リョウも一人前になったな」って、あたしの婚約をすごく喜んでくれたんだ。
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真・祈りの巫女5
 神殿へ向かう山道では、リョウはできるだけゆっくり歩いてくれる。半分くらいのぼったところで、リョウはそれまでとあまり変わらない口調で言ったんだ。
「ユーナは今度いつ実家に帰るの?」
 リョウがそんなことを訊いてくるのは初めてだった。ちょっと不思議に思ったけど、あたしもそれほど気にしないで答えていた。
「うーん、特に決めてないわ。このところ母さまとはちょくちょく会ってるから。でも父さまとは最近会ってないの。そうね、近いうちに泊まりにいきたいわね」
「そう、それじゃ、もしユーナが行く日が決まったら教えてくれる? オレ、1度ちゃんとユーナの両親に会いたいから」
 リョウはどうしてそんなことを言うんだろう。あたしは不思議に思ってちょっと首をかしげた。リョウは3年前まであたしの実家の近くに住んでいたから、父さまも母さまもリョウのことはよく知ってる。あたしがリョウを好きだってことは2人とも知ってるから、リョウがいつあたしの家に訪ねていったって誰も変に思わないのに。
 あたしが理解できないような表情で見ていたからだろう。リョウは少しだけ困ったように、照れたように、視線を外した。
「ユーナ、覚えてるだろ? ……オレ、もうすぐ20歳になる」
 そのたった一言だけなのに、リョウはすごく言いにくそうで、あたしもリョウが何を言いたいのかすぐに判っちゃったよ。あたしは今まで1日だって忘れたことなんかなかったもん。いつの間にかあたしの歩みは止まっていて、誰ひとり通る人のいない夕暮れ時の坂道で、あたしはリョウの横顔を見上げていた。
「もし……ユーナの気持ちが変わってなかったら、今度正式にユーナの両親に話をしに行きたい。……ユーナ、オレと結婚したいって、今でも思ってる……?」
 どうしてリョウはそんなことを訊くの? あたしがリョウと結婚したくない訳なんてないよ。あたしはずっと、6歳の頃からリョウのことが大好きで、いつかリョウのお嫁さんになりたいって思ってきたんだもん。
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真・祈りの巫女4
「マティ、オレにもお茶を1杯くれるかな」
「はいよ。酒瓶も持っていくだろ?」
「ありがとう。いつも悪いね」
 リョウは何日かに1回、お酒の瓶を朝マティに預けていく。夕方マティがいっぱいにしてくれた瓶を持って帰るのが習慣になってるんだ。あたしはリョウの横顔を見ながら、マティが入れてくれたお茶をリョウが1口飲むのを待っていた。人心地ついたリョウが振り返って微笑みかけてくれる。それまで待って、あたしはいつものようにリョウに話し掛けた。
「今日ね、あたしサネ橋の向こうまで行ってきたの。マーサの娘のレナがおめでたなのよ。レナと話をしてね、子供が無事に生まれるように祈る約束をしたの」
「へえ、マーサの孫が生まれるんだ。それは楽しみだね」
「うん。でも今はまだレナもつわりがひどくて大変みたい。マーサも心配してたけど、思ったほど落ち込んでなかったわ。パクが優しくしてくれるんだって。なんかノロケ話を聞きに行ったみたい ―― 」
 リョウがお茶を1杯飲む間、あたしは今日あった出来事をリョウに話していた。リョウはいつも微笑みながらあたしの話を聞いてくれる。少しだけ話して、あたりが暗くなり始める頃、あたしとリョウはマティにお別れを言ってお店を出た。
 ずっと、毎日、あたしはリョウとマティの店で待ち合わせて、神殿までの帰り道を歩いていく。あたしが村に降りるようになってから、それがリョウとあたしのデートになっていた。その日あった出来事を話したり、明日の予定を話したりしていると、神殿までの距離がすごく短く感じるの。神殿への山道に入る頃にはリョウと別れるのが寂しくなる。あたしは神殿の宿舎に帰って、リョウは神殿から少し山を降りた森の家へ帰ってしまうから。
 ねえ、リョウ。あたし、16歳になったよ。リョウが20歳になるまであと2ヶ月。もうすぐあたし、リョウのお嫁さんになれるよ。
 リョウは覚えているよね。あたしが14歳の時の約束。
 夏が過ぎて、秋がやってくる頃、あたしはリョウと結婚するんだ。
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真・祈りの巫女3
 橋の向こうでレナや他の人たちの話を聞いた帰り道、そろそろどこの家でも夕食の支度が始まる頃、あたしはいつものようにマティの酒場に立ち寄った。外はまだ日が沈むには早くて、この時刻だとお客さんは誰もいないの。あたしはお酒を飲まない冷やかしのお客だったけど、マティは嫌な顔1つしないで、いつも冷えたお茶を1杯出してくれた。
「リョウは今年も北の山に行くんだろ? ユーナも寂しくなるな」
「うん。でもまだ行かないわ。今年は8月の始め頃にするんだって」
「へえ、それはまた、ずいぶん厳しい仕事になりそうだな。暑くなるとそれだけ北カザムの群れは山の上の方に移動しちまうらしいじゃないか」
「そうみたいね。あたしにはあんまりよく判らないけど、山の上の方は岩肌が多くてちょっと危ないみたい。でも逆に群れが狭い範囲に集まるから、その分群れを探し回る時間が省けるんだって。リョウも今年でまだ3年目だから、いろいろ試してるみたいよ」
 マティは人の話を聞く機会が多いから、狩りのこともその他のこともすごくたくさんのことを知ってるの。ここにくるお客さんは、時々マティに悩み事を打ち明けたりもするから、マティはたまにあたしに悩んでる人の情報を教えてくれる。マティは、祈りの巫女のあたしにとってもすごく助かる存在だった。でも、あたしが毎日ここにくるのは、それだけが理由じゃなかったの。
 しばらくマティと話をして、そろそろ日も傾いてくる頃、この店には2人目のお客がやってくる。背後に気配を感じて、マティが微笑むのと同時に振り返ると、店の入口からリョウが入ってくるのが見えたんだ。
「こんにちわ、マティ」
「いらっしゃい、リョウ。ユーナがお待ちかねだよ」
「リョウ、お帰りなさい!」
「ただいま、ユーナ」
 満面の笑みを浮かべてあたしに笑いかけて、リョウはカウンターのあたしの隣に腰掛けた。マティの酒場はあたしとリョウの待ち合わせ場所なの。リョウの顔を見ただけなのに、あたしは嬉しくて自然に顔がほころんでいた。
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真・祈りの巫女2
 午後になると村に降りるのが、最近のあたしの日課になっていた。
 真夏の太陽は熱くて、森の道を出ると途端にジリジリと照りつけてくる。森の向こうに広がる草原の草花も、暑さでちょっとバテてるみたいよ。こんな午後は宿舎でお昼寝してる方が気持ちがいいのよね。でも、村のみんなのことが気になるから、今日もあたしは村への長い坂道を歩いていった。
 村外れ、神殿から歩いてくると最初に見えてくる家に住んでいるのは、母さまよりもちょっと年上くらいのマーサ。あたしが通る時間にはいつも洗濯物を干していて、姿を見て必ず声をかけてくれる。
「こんにちわ、祈りの巫女。こんな暑い日に通ってくるんじゃ大変だねえ」
「こんにちわ。それを言うならマーサも同じよ。毎日暑いのに外でお洗濯だもの」
「もうすぐ終わるところだよ。祈りの巫女、太陽よりもっと熱いお茶でも飲んでいくかい?」
 マーサはいつもそうしてあたしを誘ってくれる。でも、マーサと話をすると長くなるから、あたしはにっこり笑って言った。
「ありがとう。でも今日はいいわ。サネ橋の向こうまで行くつもりだから、あまりゆっくりしてられないの」
「そうかい。だったら娘のレナに会ってくれるかね。このところつわりがひどくて滅入ってるようなんだよ。あたしも橋の向こうまではなかなか行けなくてね。話だけでも聞いてやってくれるかい?」
「判ったわ。サネ橋の向こうのレナね。様子がわかったらまた知らせるわ」
「ありがとう、祈りの巫女。助かるわ」
 マーサにお別れを言ってあたしはまた歩き始めた。そのあとも、家の前で仕事をしている人の前を通るたびに、あたしはサネ橋の向こうの人たちの情報を聞いて、頭に入れていった。最初に情報を仕入れておくとあとが楽なの。みんな、自分がなにか困ってたとしてもなかなかあたしに話してくれないから、こうして他の人に聞いて歩くのがいちばんだった。あたしの仕事は、困っている人の悩みを神様に打ち明けて、幸せにしてあげることだから。
 村のみんなの幸せを神様に祈るのが、あたし、祈りの巫女ユーナの仕事なんだ。
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真・祈りの巫女1
「 ―― 祈るが良い。祈りは天を動かし、地を揺るがし、人をいざなう。祈りは次元を超え、時を超える。そなたがこの世の滅びを食い止めようと願うのならば、祈る事こそ唯一の道。祈りの巫女ユーナよ。その祈りを天に地に、そして人に響かせよ。祈りは力となり、必ずやこの世を救いたもう……」
 守りの長老はそれきり口を閉ざして、もはや語ろうとはしなかった。長老と向かいあわせに座ったあたしは、更なる助言をその表情から読み取ろうと心を澄ました。でも、長老のそのしわがれた顔からは、わずかな表情さえも浮かんではこない。あたしは、つぶやくように守りの長老の言葉を反芻した。
「祈りは天を動かし、人をいざなう……」
 生まれてから16年の間、あたしは祈ることしかしてこなかった。祈りはあたしのすべてだった。今この時、あたしに祈る以外の何が出来ただろう。滅びに向かうこの世界に、たった1つ残された道が祈ることなのは、あたしの幸運なのかもしれなかった。
「守りの長老、あたしの祈りをどうか見届けてください。あたしはこの時代に生まれたたった1人の祈りの巫女。必ずや天を動かし、次元を時を超えてみせましょう」
 あたしは、わずかに残された命を、自らの内に向けた。そうして心の炎を燃やして、祈りの力に変える。今となってはもう何に祈るのかも判らない。でも、確かに手応えのある何かに向かって、あたしは祈りつづけた。

 あたしは、祈りつづけていた。
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時の双曲線・8
 振り返ったユーナの表情には、自分が助かったという安堵の気配など微塵もなかった。沼に今にも沈みそうなシュウを、恐怖にこわばった顔で見つめていたのだ。ユーナの中に、自分がシュウに対して犯してしまった罪の意識が、澱のように静かに広がってゆくのが判る。それは、オレがこの10年間、ずっとユーナに対して抱いていた気持ちと同じものだった。
「ユーナ、お願い。……母さんを呼んできて」
 シュウはそう言ってユーナに微笑んで見せた。ユーナを安心させるために。ユーナが悪いのではないのだと、自分がそうしたかっただけなのだと、ユーナに納得させるために。長い間水の中にいて動かなくなった身体を必死に立たせて、ユーナが走り去っていく。おそらく大人を呼びに行ったのだろう。だけど、ユーナが間に合わないだろうことは、オレも5歳のシュウも判っていた。
 沼の中から引きずり込む邪な力。今、その力に引きずり込まれようとしているのに、5歳のシュウは満足していた。幼い頃、オレがずっとユーナに言いつづけていたことを思い出した。 ―― ぼくがユーナを守ってあげるよ、と。
 なんのことはない、オレも満足していたんだ。幼い頃のオレはユーナを守ってやれなかった。その約束を今果たすことができたのだから。
 オレの意識が薄らいで、オレが歴史を変えることに成功したのが判った。歴史が変わればオレがいた世界は消滅する。新しい世界にオレは存在しないんだ。だから、あの世界の住人であるオレは、ここでシュウといっしょに死ぬことになる。
(ユーナはぼくのことで苦しい思いをするの……?)
 おそらくオレの罪の意識を読み取ったのだろう。ユーナがこれからオレと同じ罪の意識を背負うことになると理解したのか。自分が死ぬ時になってもユーナのことしか考えていない5歳の自分を、オレは思わず抱きしめてやりたくなった。


  ―― ユーナ、もうじき6歳になるユーナ。君が16歳の夏には、村には必ず災厄がやってくるだろう。オレには手も足も出なかったけれど、祈りの巫女である君なら、必ず災厄に勝つことができるよ。だから自信を持って。5歳のオレが大好きだったユーナ ――

 幼いシュウの願いを受けて、オレは意識が消えるその瞬間まで、ユーナの記憶を消すための秘術を脳裏に描きつづけていた。

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時の双曲線・7
 迷っている暇はない。ユーナの身体は冷え切っていて、もがく力を失いかけている。決断の時を誤ればユーナは岸に這い上がる力さえなくなってしまうだろう。最悪、2人とも沼に沈んでしまうかもしれない。
 ユーナが死んでしまえば、オレがここにきた意味はなくなってしまう。オレは、1人の神官でしかない自分には本来許されていない力を使って、過去の歴史を変えようとした。このまま歴史が変わらなかったとしても、オレの存在の意味は変わってしまうだろう。沼に飛び込むしか方法がない以上、オレにはそうやってユーナを助けるしかないんだ。
 そのほんの一瞬の間、オレはユーナの顔を見ていた。……こんな顔をしていたんだなユーナは。どうやら想い出は常に美化される傾向にあるらしいよ。今のオレが見たらユーナはごく普通の子供でしかなくて、ユーナが他の子供とどう違っていて、オレがあんなに好きに思ったのか、その顔を見ただけではまったく思いつくことができなかったから。
 だけど、もう1人のオレ ―― 同じ身体の中にいる5歳のシュウにとっては、ユーナはその後の人生すべてをかけても惜しくないと思えるほど、大切な女の子なんだ。もちろん、大人になったオレはユーナの存在に意味を感じている。ユーナがいずれ祈りの巫女になれば、村を襲った災厄を退けることができるかもしれないと。村を平和に保って、たくさんの人を幸せにできる。オレは間違いなく成長したユーナに恋をするだろう。オレを含めた多くの人を幸せにする祈りの巫女に、ユーナはなれるんだ。
 幼いオレはそんなことは考えてもいない。ただ、ユーナが大好きだから、ユーナのことが大切だから、ユーナに助かって欲しいと思ってる。この先ユーナがどんな風に成長するのかなんてことは関係ないんだ。今、ここにいるユーナが好き。ただそれだけなんだ。
 5歳のオレの身体が沼に飛び込んだとき、オレはこの幼いシュウに負けを認めていた。もちろんオレにだって選択の余地なんかない。冷たい沼の水が一気に身体を冷やして、動きの鈍くなった腕で必死にユーナを岸に押し上げた。その同じ身体の中で、オレは邪な力を退ける術を頭の中に描きつづけていた。命の巫女の日記にあった秘術はすべて記憶していたけれど、こんな状態で術を使ってもあまり効果はないかもしれないな。それでも、少しずつユーナの身体から邪な力が離れていく。
 ユーナの身体が水面に上がれば、同じだけシュウの身体は沈んでいった。ようやく蔓草を掴んで岸に這い上がったユーナが振り返る頃には、かろうじて水面に顔が出ているだけになっていた。
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時の双曲線・6
 秘術が成功した感慨にふける余裕はなかった。時は10年前の春に戻って、今オレの目の前で、ユーナが沼に嵌まって必死で助けを求めていたのだから。その手前に小さなオレがいて、ユーナに手を差し伸べている。だけどたった5歳の子供の腕が、沼に絡め取られた子供を引き上げることができるはずなんかなかった。
 術で過去に戻ったオレには幼いオレの焦りが感じられた。恐怖にこわばったまま必死に助けを求めるユーナが、何か邪な力によって沼に引きずり込まれていることも。このままじゃ同じことの繰り返しになる。オレは幼いオレの身体に同化して、心の中で話し掛けた。
(手を伸ばしてるだけじゃダメだ。何かユーナがつかまれる物を投げてやらなきゃ)
 同化した途端、オレの中に幼い自分の恐怖が流れ込んできて、過去の自分の恐怖がよみがえった。そうだ、オレはこの恐怖に負けたんだ。思わず足がすくんでしまいそうになる自分を奮い立たせて、幼いオレは森の木に絡まっていた蔓草をしっかり幹に縛り付けて、ユーナのところへ投げた。
「 ―― 大丈夫、頑張って、ユーナ。落ち着いて、ほら、この蔓草をしっかり掴んで」
 そう、ユーナに声をかけながら、幼いオレはしだいに落ち着きを取り戻していった。たぶんオレの心も幼いオレに伝わっていたんだと思う。ユーナをなんとしても助けなければ。そんなオレの必死の思いが、幼いオレを恐怖から解放したんだ。
 だけど、既に冷たい沼の水で冷え切ってしまったユーナの手は、蔓草をうまく掴むことができなかった。それにあの沼からの邪な力。そんなオレの考えを察したのだろう。おそらくオレが自分の中にいる理由も理解できないまま、幼いオレはオレに話し掛けてきた。
(沼で誰かがユーナを引っ張ってるの?)
 心の中でうなずいたオレに、幼いオレはなんの迷いもなく言ったんだ。
(だったらぼくが沼の中からユーナを押してあげればいいんだ)
 そんなことをすれば今度はオレが沼に引きずり込まれる。判っているのかとのオレの問いに、幼いオレはごくあたりまえのように微笑みながらうなずいた。
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時の双曲線・5
 村の西側にある森の沼をオレは目指していた。すべてはこの沼から始まっていた。幼い頃、ユーナが沈んでしまった沼。そして、村を襲う災厄はこの沼からやってくる。
 災厄が神殿を滅ぼすまであと1日あった。山を降りると、無残に踏みにじられた村の廃墟が見えてくる。災厄の爪あとも生々しい、だが生の気配を失った村。村人が1人もいなくなった村は、馴染んでいたはずなのにオレにはまるで知らない場所のように思えた。そう思わなければ耐えられなかっただけかもしれない。
 オレの家。近くにはユーナが住んでいた家。そういえば幼い頃ユーナをよくいじめた年上の少年がいた。大人になって村を出て行った彼も、災厄についての噂くらいは聞いているかもしれない。ふらりと帰ってきて村の惨状を見ることがあるのだろうか。
 森への長い坂を上がっていく。大人になってから訪れたことはほとんどなかった。その森すらも、災厄に踏みにじられてすっかり様子が変わってしまっていた。そんな森の道をしばらく歩いていくと、少し開けたところに大きな沼が見えてくる。
 夏の日差しに輝く水面は静かで、背後になぎ倒された多くの木々を見なければ、そこが災厄の生まれる場所であることなんかまったく想像がつかなかっただろう。
 しばらく水面を見ながらまわりの気配を探っていたけれど、住む鳥にすら見捨てられた森は静かで、変化が訪れることもなく、風もほとんどなかった。これなら成功するかもしれない。オレは持ってきた袋からろうそくを取り出して、平らな場所を選んで並べて火をつけた。その中央に立って目を閉じて、頭の中で日記に記されていた古代文字の筆跡を辿る。それは自分が経験した過去に戻る術だった。何度も繰り返し辿っているうちに、周囲からは完全に音が消えて、オレには自分が立っている地面すら感じられなくなっていた。
 自然とオレは目を開いていたらしい。目の前に見える森の風景が、それまでとはまったく様子を変えていた。木々はまだ新緑の若葉をつけ始めたばかりで、まるで何ごともなかったかのように健やかにある。春の穏やかな日差しに照らされた水面が風に揺らめいている。風景は徐々に色を増してきて、それに伴ってオレの身体は色をなくしていった。そうか、オレはこのままの姿で過去に戻ることはできない。オレは5歳の幼い身体でユーナを助けなければならないんだ。
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時の双曲線・4
 村に残ると言ったオレに、守護の巫女は可能な限りの生活物資を残してくれた。運命の巫女はずっと泣くのをこらえていた。そして、守りの長老は、さりげなく1つの場所を想像させる言葉をオレに残して村を去っていった。
 長老が残した言葉からオレが見つけたのは、今まで存在しないとされていた、1300年前の命の巫女の日記だった。この時代、この村には初めて、祈りの巫女と命の巫女とが揃った。逸る気持ちを抑えて、オレは日記を読み進めていく。彼女の日記は克明で、その時代に現われた怪物をどう退治していったのか、すべての過程をオレは知ることができた。
 この日記がなぜ禁書になったのか、読み進むうちにオレは理解していた。この日記のあちこちには、この時代に存在していた、空間や時間、人の心などを操るあらゆる秘術が記載されていたのだ。もしもこの日記が心やましい者の手に渡ったら、村どころか世界を破滅に導く可能性があった。命の巫女はそれらの秘術を村人の幸せのために使っていたけれど、村の神官や巫女たちのすべてが、彼女のような意志の強さを持っている訳ではないのだから。
 でも、載っていた秘術のほとんどはオレには役に立たないものだった。今現在の村の災厄を退けることのできる術もなかった。ただ1つの秘術を除いては。
 オレがここに残ることを選んで、この日記を読むことができたのが、神の導きだったのかもしれない。
 この日記を手にしたのがオレじゃなかったら、他の神官だったら、この日記もけっきょくは役に立たないひとつの知識に過ぎなかったのだから。
  ―― 迷いがなかったといえば嘘になる。
 秘術はそれを使った者の心を闇に染める。オレの心はその闇に耐えられずに、悪しき呪いを受けるかもしれない。呪いを受けたら、これから先村の神官として生きていくことはできないだろう。
 この力は命の巫女にだけ許された力だ。オレには秘術を操るだけの力はないかもしれない。人が分をわきまえない力を使うことを神は許さない。オレにその力がなければ、秘術を使った瞬間にオレは罰を受けて、神に命を絶たれることになるだろう。
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時の双曲線・3
 彼女の気持ちはずっと以前から知っていた。そして、オレがその気持ちにこたえることができないことも。
「聞いて、運命の巫女。……オレはここに残ろうと思う」
 顔を上げた彼女の目は、見る間に見開かれていった。
「そんな……。災厄は4日後にはこの山にも襲ってくるのよ。神殿だって無事には済まないわ!」
「ああ、たぶん無事じゃいられないだろうね」
「シュウ、まさか死ぬつもりなの……?」
 そうだな、オレは死にたいのかもしれない。あの日大好きだったユーナを死なせてしまった時から、オレはもしかしたら生きていなかったのか。
 いや、オレはやっぱり生きたいと思ってるよ。この書庫の本をすべて読み尽くすまで。だってオレは、この村が1500年間蓄えてきた知識が欲しくて、この村に生まれて、神官になったのだから。
「運命の巫女、君には未来が見えるから、神殿が4日後に災厄に襲われることも、村が滅びてしまうことも判ってる。だけどオレはまだ諦めたくないんだ。……この書庫の蔵書の中に、もしかしたら既に決まってしまった未来を変える方法が埋もれているかもしれない」
 以前、噂で聞いたことがある。書庫の書物の中には禁書があって、守りの長老が管理しているんだ、って。もちろんただの噂でしかないから、それが必ずあるとは限らないし、たとえあったとしても見つかるかどうかは判らない。見つかったとしても、それは今のオレにはなんの意味もない知識かもしれない。
 だけど、たとえ万に1つの可能性でも、それがある限りオレには諦めることなんかできないんだ。
「ごめんね、オレは君と一緒には行けない」
 運命の巫女はオレを見上げたまま、必死で涙をこらえていた。その表情に、オレはまた小さな幼馴染の面影を重ねていた。

  ―― ユーナ。オレの小さな女の子。もう1度同じ人生を歩めるなら、今度こそぜったいに死なせたりしないよ。
「……運命の巫女、もしも未来を変えることができたら、その時また会おう」
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時の双曲線・2
「……シュウ、守りの長老も守護の巫女も、村を捨てることに決めたわ。あたしにはどうすることもできない。……村の運命が見えるの。村を捨てたら、村人は散り散りになってこの村が滅びてしまうわ」
 オレには何もできなかった。ただ、この幼い少女の肩を抱いていることしか。
「この先の未来には何もないの。……どうしてあたしは運命の巫女になったの? こんな未来が見たくて巫女になりたいと思ったんじゃなかったのに……」
 村を襲った巨大な災厄。多くの村人が命を落として、先代の運命の巫女も災厄との戦いで死んだ。彼女は自分が死ぬことが判っていたのだろうか。判っていて、運命に従う道を選んだのだろうか。
 オレは、こんなところで滅びるために生まれてきたのだろうか。
「オレのせいかもしれないな。……オレがあの日、祈りの巫女を助けていたら、未来は変わっていたかもしれないのに」
「シュウのせいじゃないわ! だってその時シュウはたったの5歳だったのよ。そんな小さな子が人の命を助けるなんてことができるはずないもの」
「ごめんね、大丈夫、判ってるよ。あの時オレにはどうすることもできなかった。だけど……。もしもユーナが生きていたら、ユーナが祈りの巫女になっていたら、村の災厄は防げたかもしれない。それは事実だよ」
「……いいえ、やっぱりダメよシュウ。……こんな、今まで村が経験したこともないような大きな災厄、祈りの巫女1人の力だけではどうにもならなかったわ。たとえ祈りの巫女が生きていたって、たった1人じゃ……」
 運命の巫女が言ったことは、ユーナが祈りの巫女になるはずだったことを知ったオレが、自分への慰めのために生み出した理論だ。この災厄には祈りの巫女では太刀打ちできない。もしもユーナが生きていたとしても、村の滅びが少し先へ伸びていただけなのだと。
 その時、運命の巫女は涙をこぼして、それを見られまいとするかのようにオレの胸に顔をうずめた。
「シュウ……お願い、あたしを連れて行って」
 それは、おそらく運命の巫女が初めて勇気を振り絞った、オレへの告白だった。
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時の双曲線・1
 村が滅びを迎えようとしている今になっても、オレの心の大半を占めていたのは、幼い頃の穢れない思い出だった。
 オレが6歳になる前の春の日、沼に沈んでしまった小さな女の子 ――


 神殿の書庫にはオレ以外誰もいなかった。おそらくオレがここを出てしまえば、そのあと訪れる神官は1人もいないのだろう。守りの長老の宿舎では、生き残った巫女たちが集まって、最期の話し合いをしている。遠く離れたその場所の緊張が伝わってきているのだろうか。そろそろ夕方になろうという時刻であるのに、書庫の周りはしんと静まり返っていた。
 オレはたった16年しか生きていなかった。神官になってからはまだ3年しか経ってない。壁を埋め尽くした1500年分の村の宝。そのほとんどは、悔しくもオレが目を通す時間を許さず朽ち果てようとしているのだ。
 ふと、廊下を誰かが歩いてくる気配がして、オレの物思いは中断した。話し合いが決着したらしい。ここへきたのが彼女であることも、彼女が伝えようとしている話し合いの結末もオレには判っていたけれど、それはあえて考えないことにしてオレはその扉が開くのを待っていた。
「シュウ……」
 ノックの音と、オレの返事と、それからゆっくり扉が開く動作があって、更に長い時間を待ったあと最初に聞こえた言葉だった。運命の巫女は書庫に入ることをためらうように立ち尽くしていた。オレより2歳年下の、まだそう呼ばれるようになってから20日も経っていない、幼い顔をした少女。
 彼女の希薄な表情に、オレはまたあの幼馴染の気配を重ね合わせていた。
「運命の巫女、話し合いは終わったの?」
 彼女はかろうじてうなずくことができたけれど、まだ部屋を入ってくる勇気は出せないようだった。オレは作業机の椅子から立ち上がって、運命の巫女の傍らに立ち、促すように背中を押した。夏のさなかだというのに少女は震えていた。オレが覗き込むように微笑むと、やっと感情がほぐれてきたのか、泣き出す寸前のような表情を返してきた。
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あとがき5
 さて、今日もお読みくださっていた方から暖かいご感想をいただきましたので、メルマガ相互リンクでもおなじみの【石獣庭園】おとわさんのご感想を掲載させていただいて、一応の区切りとさせていただきたいと思います。


 おとわさん  【全文】

【石獣庭園】のおとわです。
祈りの巫女シリーズ第二部「続・祈りの巫女」完結、おめでとうございます。
それから、長期間の執筆お疲れ様でした。今は次回作へ向けての執筆に余念がない時期でしょうか?

全百話を改めて読み返したとき、前作「祈りの巫女」を読み終わったときと同じく胸に沁みる優しさを感じます。
相手を想うがゆえの空回りがもどかしいのですが、その裏側にはやはり優しさがあり、切ない祈りがあるように感じました。(ユーナちゃんは自分のことを祈ってはいけないのですが……)

私は女の視点で読んでいますので、どうしても主人公のユーナの側に立って物語を読んでしまいがちですが、この作品をリョウの立場で読むと、本当に苦しくてもどかしくて、リョウ自身が言ったように壁に頭を打ちつけて絶叫したい心境が判る気がします。
心が伝わっていないというのは、本当に切ないものですね。
本気の相手ほど心が判らなくなるというのは、人間誰しも行き当たる恋の壁だと思うのですが、端から見ていればまる判りのことが、本人たちにはまったく判っていないと箇所などは、読んでいるこちらがヤキモキさせられて、じれったいやら滑稽やらで、微笑ましく拝読しつつもジタバタさせていただきました。

自分はどうだっただろうかと考えたとき、私はユーナのように素直には行動できていなかったな、と思い出されることが多々あります。
素直さは主人公ユーナのもっとも優れた資質の一つでしょう。彼女の行動力の大元は、いつもこの素直さが絡んでいるようにも思います。
他者のために祈りを捧げるという行為は、人によってはひどく虚しさを感じることもあると思うのですね。私などは欲深い人間ですから、とても他人だけのために幸せを祈るなんてできません。自分も幸せになってナンボだ、と思ってしまうんですよ。
ユーナは自分が幸福であるのか不幸であるのかを考えるより先に、相手の幸せを祈っているのですよね。もちろん自分が幸福になりたいという想いはあるのですが、それ以上に周囲の人たちが幸せであれば自分も幸せだと思える彼女に逞しさを覚えます。
自分が幸せになりたいと思うことと同じように、周囲の人たちを幸せにしたいという感情がある限り、彼女は立派な巫女としてこれからも生きていけるのではないかという気がします。次回の第三部でどんな結末が待っていようと、彼女が自分で考えてとる行動ならば、決して不幸にはなるまいと。

前にも申し上げましたが、この物語にはユーナやその周囲の人たちの優しさが溢れ返っていると思うのです。
本当はこの巫女の村にも人々の色んな想いが詰まっていると思うのですが、優しさのフィルター越しに見る風景は本当に眩く輝いており、読み手のこちらもその優しさの中に身を置いているような気にさせられます。
今後の展開は、主人公のユーナが「祈りの巫女」本来の位置へと立ち返っていくことになるのでしょうが、彼女が持つ優しさや素直さ、逞しさで、これからの困難を払いのけていって欲しいと願っています。
彼女の乗り越えていく障害を、読者である私も一緒に乗り越えていけるのかと思うと、今からわくわくします。次回作、本当に楽しみにしております。
寒さが厳しくなっていく時期だけに、お身体ご自愛の上、執筆に励まれますよう、一読者としてお願いいたします。
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あとがき4
 さて、今日はお読みくださっていた方から暖かいご感想をいただきましたので、ご許可を頂けました4人の方のご感想を掲載させていただきたいと思います。


 シグさん  【全文】

気になるところが残ったまま終ってしまったのですが、最後は二人の気持が通じ合って終って良かった。
ユウナの苦悩とリョウの決心それぞれの気持がなんか初初しく、ストレートな気持がぶつかり合って心に響きました。
今回の小説はいつもと違うコンセプトで始まったわけですが、それでも俺的にはなりますが読みごたえはありました。
先がある小説は読み終っても自分で先を色々と考えることができ、いつも楽しく読める。
これから先も、まだまだ黒澤先生に頑張ってもらいたいと思っています。
陰ながら応援させてもらいます、頑張ってください。
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あとがき3
 このお話は3部作ということで、次回からは第3部「真・祈りの巫女」を掲載していく予定なのですが、原案の「シャーマンの祈り」がほとんどSF(笑)だったので、第3部はかなりSF色の濃い作品になる予定です。
 今まで「ファンタジー恋愛小説だと思ったから読んでたのに〜」という方には、ちょっとイメージが変わってしまうかもしれませんね。
 もしもSFが苦手という方がいらっしゃいましたら、ユーナとリョウのハッピーエンドで物語を終わりにした方がいいかもしれないです。
 まあ、この黒澤が書くSFですから、難しいSF用語も出てこないし(つーか書けません・笑)、ジュヴナイルの姿勢はそのままなのでキスシーン以上のきわどいシーンもありませんので(それも難しいな;)、中高生の方でも安心してご覧になれると思いますよ。


 黒澤は物語を書いている時、そのストーリーで指標となるようなセリフを設定しています。
 ぶっちゃけた話、そのセリフを書きたいがために全編を書いているようなものなので、それが書けるまでは「ちゃんと辿りつくかな」なんて緊張していて、それが書き終われば「ああ、とうとうここまできたんだな〜」なんて感慨にふける訳ですね(笑)
 第1部では、リョウが沼でユーナを助けるシーンでのリョウのセリフ「馬鹿にするなよユーナ。シュウは子供だったけど、オレは大人だ(略)」で、リョウがユーナを初めて怒鳴りつける言葉でした。
 第2部では2つあって、1つがカーヤのことで怒鳴り込んできたユーナにリョウが言う「オレにどうしろって言うんだよ(略)」で、もう1つがラストのリョウの「ユーナが16歳になって、オレが20歳になったら」だったんです。
 という訳で2つとも書くことができた黒澤としては、物語そのものにもとりあえず満足しているところなのですが、これが書けない流れに陥ってしまうとけっこうストレスがたまりまして。
 他の作家さんでもそういう傾向は多かれ少なかれあると思いますので、物語を読む時に「あ、このセリフがそうかな」なんて思いながら読むと、よりお話を楽しめるかもしれませんね。
 ただ、見てお判りの通り、私の場合ぜんぶがリョウのセリフだったんですよね〜。
 私がリョウをひいきしていて、リョウの感情を物語の指標にしていたのが、これだけでもすごくよく判ると思います。


 明日もあとがきの続きを掲載します。
 もしも感想などありましたら、ぜひメールでお寄せくださいませ。

 では、また明日。
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あとがき2
 黒澤は4歳まで、埼玉県内の今よりも少し東京に近い市に住んでいました。
 その頃、よく遊んでいた1つ年下のシュウイチ君と、同じアパートに住んでいた幾つか年上のリョウ君という男の子がいまして。
 名前を見て既にお判りと思いますが、この2人がうちのシュウとリョウのモデルだったりします。
 なにしろ4歳の時までの思い出しかありませんから、性格などはぜんぜん判らないのですが、名前だけは彼らからいただいたんですね。

 今回のお話のテーマには「大人になる」というのがあったのですが、ユーナは前回13歳の誕生日で祈りの巫女の称号を受けたので、今回のお話ではずっと1人の大人として扱われています。
 でも、人間て周りに大人として扱われるようになってから、実際に自分が大人になったと自覚できるまで、時間がかかるものなんですよね。
 ユーナの周りにいる人たちはそれぞれ自分が通ってきた道ですから、大人として扱いながらも時々手を差し伸べて、ユーナが成長するのをゆっくりと見守っています。
 そんな周りのあたたかい視線を受けてのんびり成長するユーナの心の揺れも表現したかったのですが、そのあたりはうまく書けたかどうか、ちょっと微妙だったりしますね(笑)
 今回はむしろリョウの方が成長がはっきり見えたのではないでしょうか。
 このお話の中で、リョウは狩人としての責任の意味を見出しました。
 彼はとても若者らしい心で夏の北カザムを狩りたくないと思っていましたが、村人や家族のために背負わなければならない責任を感じて、夏の北カザム狩りに挑みます。
 そして、北カザムを狩ったことで、改めてまた1つ大人になった自分を自覚したんですね。
 リョウが考える大人になるためのプロセスの第1段階は「自分の仕事にプライドが持てること」で、これは前作「祈りの巫女」でリョウ自身が語っているとおりです。
 でも、その次の段階は「プライドを捨てる勇気が持てること」だと気がついたんですよ。
 という訳で、黒澤はユーナを成長させることにはちょいと失敗しましたが、その代わりリョウを成長させることには成功したような気がしているところです。
 ユーナがこの境地に達するまでは、まだしばらくかかりそうですね。


 明日もあとがきの続きを配信します。
 もしも感想などありましたら、ぜひお寄せくださいませ。
 では、また明日。
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