満月のルビー29
「さて、そろそろ大丈夫かな。ヒフミ、僕の方はもういいよ」
「うん」
 先輩の言葉に、山崎は先輩を離れて、なぜかオレのうしろに回り込んでいた。ほんの少しだけ空気が変わった気がする。
「羽佐間君、僕たちは生まれたときには普通の人間で、あるとき後天的な理由で体質に変化が起こった。僕の変化を促したのが誰なのか、僕は知らないのだけど、ヒフミを変化させたのは僕だ。一種の伝染病のようなものだと思ってもらっていいかもしれない。例の種を蒔いているあの子を変化させたのはヒフミでね。そのときヒフミは特殊な状況下にいたから、あの子に植え付けられた病原菌が突然変異を起こして、あんな種を蒔く身体になってしまったんだ」
 今まで、断片的に聞いてきた話が、このとき核心に近づいていた。なぜか身体に寒気を覚えた。先輩が心持ち身を乗り出してくる。
「だから僕とあの子とは本来同じものなんだ。あの子が月に1度、満月の夜に人を誘うのは、そうしなければ食べられないから。そして同じ習性は僕たちにもある。 ―― 捕食対象である人間の血を分けてもらわなければ、僕たちは生きていけないんだ」
 先輩の目が妖しく光って、オレは恐怖を意識した。今聞いているはずの先輩の言葉がうまく理解できない。本能的にあとずさろうとして、うしろからがっちりと肩を掴まれた。先輩が徐々にオレに近づいてくる。
「普段はてきとうに物色して若い女性とホテルにでも行くんだけどね、今回はそんな訳で警戒厳重な学校なんかで体力を消耗することになったから、失った体力を戻すためにはヒフミに頼んで手近な人間をここへ連れてきてもらうしかなかったんだ。僕も本当は男なんか趣味じゃないんだよ。だけど、こういう状況じゃ、文句は言えないってことで」
 オレは半ばパニックを起こして、先輩の瞳を見つめていることしかできなかった。思考が停止中で身体が動かない。だけどたとえ動いたところで、オレの力では背後の山崎の腕を振り解いて逃げることなんかできないだろう。
「恨むんだったら、ホモだった結城を恨んでね。……それと、夜中に息子が帰ってこなくても気にしない両親を、かな」
 言い終えた先輩は、オレを抱きしめるようにして首筋にキスをした。とたんに襲ってくる貧血状態。鼻の奥がつんとして、やがて目の前が真っ暗になった。気を失う寸前にオレは自分がつぶやいた声を聞いた気がした。ただ一言、「吸血鬼……」と。