2002年12月の記事


真・祈りの巫女41
 再び祈りを終えて神殿を出ると、山の陰になっていた神殿の敷地にも日が差し始めていた。神殿前広場で小屋を作っていた人たちも今は休憩していて、石段を下りてよく見ると食事をしているのが判った。それで気がついたの。あたし、日の出の頃に起きて朝から2度も祈りを捧げているのに、まだ朝食すら食べてなかったんだ。
「祈りの巫女、神様にお祈りするのは終わったのかい?」
 休憩していたきこりの1人に声をかけられて、あたしはそちらに顔を向けた。まだ若そうなきこりの声はあたしをからかっているみたい。たぶん、あたしが神様に祈って願いを聞き届けてもらえるって、信じてないんだ。村に降りるとそういうからかいの声は時々聞くことができたから、あたしはすっかり慣らされていた。
「ええ。村の災厄が1日も早く過ぎ去ってくれることを祈っていたの。みんなも困ったことがあったらなんでも言ってちょうだいね」
「オレはこのところ嫁さんがガミガミうるさくて困ってんだ。それも祈りの巫女が祈ったらおとなしくなるのか?」
「なると思うわ。今は忙しくて村へ行けないけど、事がぜんぶおさまったらまた山を降りるから、その時にゆっくり話を聞かせて」
 そう言ってあたしがにっこり笑うと、若いきこりはちょっと拍子抜けしてしまったみたい。他のきこりが口を挟んでくる。
「祈りの巫女、朝飯がまだなんだろう? さっきから若い巫女がしょっちゅう神殿を覗きにきてるよ」
「そうそう、何ていったかなあの娘は。まだ独り身ならぜひ弟の嫁にしてやりたいんだが」
「さすがにあの年頃じゃもう決まった男がいるだろ? さっき一緒にあの宿舎に入っていったぜ。……お、噂をすれば」
 きこりが指差した祈りの巫女の宿舎を見たら、ドアからカーヤが出てくるのが見えたの。あたしはちょっと驚いたけど、きこりのみんなにお礼を言って作業場を離れると、カーヤもすぐにあたしに気がついて近寄ってきた。
「ユーナ、お疲れ様。お腹が空いたでしょう? 食事の用意はできてるわ。宿舎に来て」
「ありがとう。……でも、いいの? 中で恋人と過ごしていたんでしょう?」
 あたしが気を遣って言うと、カーヤは一瞬だけ意味が判らないみたいに視線を泳がせた。
「なに言ってるのよ。中にいるのはリョウよ。ユーナの祈りが終わるまで引き止めるのたいへんだったんだから」
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真・祈りの巫女40
「あたしが人の寿命を延ばそうとするなら、命をかけなければならないのね」
 祈りの巫女が命をかけなければ、人の寿命を変えることはできない。運命の巫女の言葉は絶望のようにあたしには聞こえた。
「祈りの巫女、私が言いたかったのはまったく逆のことなの。祈りの巫女がどんなに命がけで祈ったとしても、人の寿命を変えることは難しいわ。むしろ、あなたには別のことを祈って欲しい。……例えばライのこと」
「……ライの……?」
「ええ。ライは命だけは救われたけど、かなり大きな怪我をしていると聞いたわ。詳しい様子は判らないけれど、きっと小さな身体で痛みに耐えて、苦しんでいると思うの。その苦しみを和らげて、少しでも早く怪我を治してあげて欲しい。祈りの巫女の祈りは、命が助かった人にこそ必要なのよ」
 運命の巫女に言われて初めて気がついた。そうよ、ライは今でも痛みに苦しんでるんだ。両親を失って、見知らぬ人たちに囲まれて、ライはきっと心細い思いをしてる。そんな心の傷を癒してあげることだって必要なんだ。あたしには、祈ることでライの心と身体の傷を癒すことができるんだから。
「運命の巫女ありがとう。あなたが話してくれなかったら、あたしはライの事を祈るのを忘れてしまったかもしれないわ。タキ、あたしはこれから神様に祈りを捧げるけど、その間に怪我をした人の名前を調べて。それと、大切な人を失って悲しんでいる人のことも。たいへんだと思うけどお願い、タキ」
 タキは少し呆然としてあたしを見つめていたけれど、あたしの熱意が伝わったのか、ちょっとだけ笑顔を見せた。
「判ったよ。村まで行くからちょっと時間がかかるかもしれないけど、午後には戻ってこられると思う。祈りの巫女は神殿か宿舎にいてくれる?」
「たぶんそのどちらかにいるわ。万が一神殿を離れる時には必ず守護の巫女に伝えていくようにする」
「オレがいなくなっても無理はしないで、できれば少し宿舎で眠っておくといいよ。どうやら明日もたいへんなことになりそうだから」
 そう言って手を振りながら石段を降りていくタキを見送って、運命の巫女にもう1度お礼を言って、あたしは再び神殿の扉を開けた。
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真・祈りの巫女39
 やがて神殿の扉を開けて運命の巫女が出てきた時、あたしとタキとセトは思わず食い入るように運命の巫女を見つめてしまった。運命の巫女はちょっと驚いたみたい。でも、あたしたちが待っていた理由はすぐに判ったようで、1つうなずき返して話し始めたの。
「影は今夜また現われるわ。時刻は今回よりも少し早いくらいかもしれない。ただ……場所がはっきり特定できないの。午後になったらもう1度見てみるわ」
 今夜また影が現われる。その予言に、あたしは足が震えてくるのが判った。
「影はまた同じように家を崩していくの?」
「ええ、多くの家が壊される情景が見えたわ。そしてまた何人かの人が犠牲になる」
 目を伏せて悲しみに耐えるようにそう言った運命の巫女は、いつもよりもずっと小さく見えた。あたしの祈りは寿命が尽きた人をまだ1人も救えていない。たとえたった1人でも救うことができたら、運命の巫女の絶望も少しは和らげることができるのに。
 まだ見つかっていない3人のことを早く祈りたくて、運命の巫女の脇をすり抜けようとした時、運命の巫女はあたしを呼び止めたんだ。
「祈りの巫女、建物の下にいる人たちのことを祈るの?」
「ええ。今祈ればまだ間に合うかもしれないもの」
「聞いて、祈りの巫女。……過去の祈りの巫女も、その何人かは人の寿命を変えようと祈りを捧げたわ。このことはたぶん、祈りの巫女の物語にはないはずだけど」
 運命の巫女の言う通り、祈りの巫女の物語には、人の寿命に関する祈りの記述はなかった。
「祈りの巫女は人の寿命を知らないから、その祈りが寿命を変える祈りだったことには気が付かなかったのね。私は予言の巫女の物語を読んでいるから、人の寿命と祈りの関係についても知ってる。……私が読んだ物語では、祈りの巫女はたった1度しか人の寿命を伸ばしたことはないわ。この1500年の間、たった1度だけよ」
 過去11人いた祈りの巫女。その中で、人の寿命を変えられた巫女はたった1人しかいなかったの……?
「2代目祈りの巫女セーラ。彼女だけが、恋人ジムの命を助けることができたの。……自分の命と引き換えるように」
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真・祈りの巫女38
 守りの長老の宿舎を出たあと、あたしはタキを伴って、再び神殿に向かった。その道々でタキが話し掛けてくる。
「祈りの巫女、今日は実家に行く予定だったの?」
「ええ。……でも、村の有事の時には巫女が神殿を離れられないのはみんな知ってることだもの」
「異変がこれで終わる可能性はないのかな。だって影は見つからないんだろう? もう村の近くにはいなくて、これから先2度と現われないかもしれないよ」
 あたしが返事をしなかったのは、村の異変がこれで終わるなんてぜんぜん思えなかったから。あたしだってタキの言うとおりだったらどれほど嬉しいか判らないよ。たぶん、村の巫女たちはみんな感じてる。これが始まりで、これから先もっと悲惨な運命が村を襲うことになるんだ、って。
 あいまいにタキにごまかして、神殿前の石段を登ると、扉の前には神官のセトが立っていた。
「祈りの巫女、神殿に祈りに来たの?」
「ええ。中に誰かいるの?」
「オレは運命の巫女を担当してるから、祈りの巫女も覚えておいて。今中で村の運命を見ているところだよ」
 さっき、運命の巫女はあたしが守りの長老を訪れたとほぼ同時に宿舎を出て行った。そうか、たぶん運命の巫女は、あたしの祈りが終わるのを長老の宿舎で待っていたんだ。
 運命の巫女の予言はあたしも気になったから、それからしばらくの間、扉の前で運命の巫女が出てくるのを待つことにした。
「ここから見ても、村の様子は判らないね。神殿の屋根に登れば見えるかな」
 セトの言葉であたしも村の方を振り返ってみる。目に入るのは森ばかりで、たとえ屋根に登ったとしても村が見えるとは思えなかった。
「セトの家は確か村の東寄りだったよな。今回影が現われたのは西の方だし、そんなに心配することはないと思うよ」
「このあと影がどこから現われるかなんて判らないだろ? ……タキ、おまえも家族を持てばオレの気持ちが判るよ」
 2人のやり取りを聞きながら、あたしは村の人たちがセトと同じくらい不安に思ってるだろうことを感じていた。
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真・祈りの巫女37
 以前、あたしはタキに言われたことがあった。祈りの巫女は人々の幸せを祈るけれど、祈りの巫女の幸せを祈る人はいない、って。その時あたしはショックで、でも2代目祈りの巫女のセーラの物語を読んで、セーラの日記を読んで判ったの。人は自分に与えられた大切な役目を全うしないうちは、ぜったいに幸せにはなれないんだ、って。
 この祈りであたしは多くの幸運を失うかもしれない。だけど、もしも今村の人たちのために祈らなかったら、これから先たとえ多くの幸運が訪れたとしても、あたしは自分を許すことができないだろう。あたしはセーラのように死んでしまうのかもしれない。それでも、祈ることをしないで生き延びるより、ずっと正しいことなんだ。
「守りの長老、心配してくれてありがとう。でも、祈ることがあたし、祈りの巫女の役目なの。あたしが祈ることでガロンとシュキとテサを救えたらあたしも幸せだわ。……守護の巫女、あたしはこれから家の下敷きになっている人のことと、村の災厄を退けるための祈りをする。それ以外にあたしがしなければならないことはある?」
 守護の巫女は、あたしと守りの長老のやり取りに、かなり驚いたみたいだった。当然かもしれない。あたしが祈りの巫女になる前にはこの村には120年も祈りの巫女がいなくて、祈りの巫女がどんな巫女なのか、誰も知らなかったのだから。
「そうね……今のところはそれで十分よ。これから先、必要なことが出てきたら、タキを通じてあなたに知らせることにするわ。……タキ、あなたは私と祈りの巫女の連絡役として、常に所在を明らかにしておいてちょうだい。たいへんだろうとは思うけど」
「判ってる。守護の巫女、祈りの巫女のことはオレに任せてくれ。そのくらいの覚悟がなかったら最初から志願したりしないよ」
 タキはあたしの連絡役に、自分から名乗り出てくれてたんだ。小さなことだったけど、あたしはそのことをすごく嬉しく思った。
「祈りの巫女、あなたも所在は必ずタキに知らせておいてね。……今日は実家に帰る予定だったようだけど、それはキャンセルしてちょうだいね。せっかくリョウとの結婚の話がまとまるところで残念だったと思うけど」
 あたしはまたチラッとリョウのことが頭をかすめたけど、それについては考えないようにしようと思った。
「こんな大きな出来事が起こったんだもの。リョウもあたしの両親もちゃんと判ってくれていると思うわ。心配してくれてありがとう」
 あたしはちょっとだけ苦笑いを浮かべて、タキと一緒に守りの長老の宿舎を出た。
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真・祈りの巫女36
 祈る時、祈りの巫女はその人を特定するために名前を使う。なぜなら、人の名前は一生変わらなくて、その人の過去も未来もぜんぶ表わしているものだから。例えば他の村の人が来て、その人の娘の病気を治すために祈りを捧げて欲しいと言ったとしても、名前さえ教えてもらえばあたしは祈ることができるの。娘さんの姿かたち、病気の種類や様子を知らなくても、どこの村のなんという名前の人だと教えてもらいさえすれば、祈りを神様に届けることができるんだ。
 今、村の戸籍にはルールがあって、生まれた子供に現在生きている人と同じ名前は付けてはいけないことになっている。だから、名前さえ判ればその人を特定することができるの。そんな祈りの巫女の祈りの特性を、あたしは他のぜんぶの人たちに早く教えておかなければならなかった。
「そうか。それでさっきオレに名前を聞いたんだね」
 今までずっと黙ったままだったタキが言って、その言葉を引き継ぐように守護の巫女も口を開いた。
「判ったわ、祈りの巫女。これから情報を集める時には必ず人の名前も報告するように、みんなに申し伝えるわ。タキ、あなたも、祈りの巫女に必ず名前が伝わるように気をつけてちょうだいね」
「了解。任せてくれ」
「祈りの巫女ユーナよ、未だ家の下敷きになっている3人は、ガロン、シュキ、テサ。ただし3人とも定命は尽きておる」
 突然、守りの長老が重い口を開いたから、あたしたちは驚いてしまった。
「守りの長老! 人の寿命は祈りの巫女にさえ軽々しく明かしてはいけないはず。……いいえ、それよりどうして名前を知っているの?」
 守護の巫女の言葉で、あたしは彼女がその人たちの名前を把握していなかったことを知った。
「ずっとここに座っていたからな。影につぶされた家と、死んだ者の名前を知ればおのずと判ろう。祈りの巫女ユーナ、この3人のために再び祈るか」
 あたしがうなずくと、守りの長老は重々しい口調で言った。
「祈りは、自らが神より与えられた幸運を他者に分け与えることと心得よ。……むろん祈りの巫女でさえも例外ではない」
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真・祈りの巫女35
 村が獣に襲われるのは、今までもまったくなかった訳じゃない。周囲の山の天候がおかしくなって、食べるものが減ってしまえば、肉食のリグの群れが村人を襲いに現われることもあった。2代目セーラの物語でも村は怪物に襲われた。でも、リグも怪物も、村人を食料にしようとして村に襲ってきていたんだ。
 夜明け前に現われた影は、家だけをつぶして、逃げる村人には関心を持たなかった。だから守護の巫女はこの影を獣と呼ばないんだ。この影はいったいどうして村を襲ったの? ただ家だけをつぶして歩く生き物なんて、あたしにはぜんぜん理解できないよ。
「現在のところ影がどこからやってきて、どこへ消えてしまったのか、まったく判ってはいないわ。狩人が足跡を辿っているけど、西の森の中ほどあたりで途切れてしまっていて、そこから先が見つからないの。影を見た人たちの証言はあいまいで、中には大きさが家の3倍もあったという人もいたけど、それは大げさにしても家をつぶすくらいだからかなりの大きさなのは間違いないわ。そんな大きな生き物が隠れる場所なんて西の森にはないし」
 狩人ときいて、あたしはリョウのことを思った。リョウは今ごろ何をしているんだろう。他の狩人と一緒に、影の正体を探るために頑張っているのかもしれない。
「ただ、これから先また襲ってくることも考えられるから、特に村の西側に住んでいる人たちは不安に思っているわ。今神殿前広場に避難所を作っているけど、村人全員を避難させることは無理だから、1棟完成したらせめて村の子供たちだけでも避難させようと思っているの。もちろん、神殿が必ずしも安全な場所だとは限らないのだけど」
 守護の巫女が言葉を切って、だいたいの説明が終わったことが判ったから、あたしはさっき思ったことを話してみることにしたんだ。
「守護の巫女、お願いがあるの」
 あたしが言うと、守護の巫女は少し驚いたように目を開いた。
「これから先、またその影が襲ってきて、家の下敷きになってしまう人がいるかもしれないわ。あたしがその人たちの無事を祈るためには、その人の名前が必要なの。極端な話、名前さえ判れば、その人の顔も性別や年齢や職業もあたしの祈りには関係がないくらいなのよ。その人がどういう状況にいるのかは判らなくてもいい。ただ、名前だけはあたしに伝えて欲しいの」
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真・祈りの巫女34
 守護の巫女が説明を始めたと同時に運命の巫女は宿舎を出て行ったから、部屋の中には守りの長老、守護の巫女、タキとあたしの4人だけになっていた。
「夜明け前、西の森の方から唸り声のようなものが近づいてきたの。周囲の人の証言では、今まで1度も聞いたことがないような恐ろしい声だったそうよ。その声で目覚めた人たちが窓から外を覗いてみたら、かなり大きな音がして、まずは森にいちばん近いベイクの家が崩れていった。恐ろしい声を持つ影はつぶれた家を乗り越えて、あっという間に坂を降りてきてチャクの家を同じようにつぶしたの」
 家を押しつぶすほどの大きな獣。あたしにはぜんぜん想像がつかなかった。
「神託の巫女も影と言っていたわ。それは本当に影なの? それとも獣のようなものなの?」
「なにしろ夜明け前だからあたりは暗くて、村の人にも大きな影しか見えなかったの。でも実体のない靄のようなものではないわ。足跡も残っているし、おそらく大きな獣のようなものだと思っていいわね。チャクの家がつぶされる頃には近所に住む人たちはかなり目覚めていたから、すぐに家を飛び出して逃げた人は全員助かってる。でも、そのあとも影はいくつかの家をなぎ倒して、逃げ遅れた人は家の下敷きになってしまったの。この影に壊された家はぜんぶで6軒、下敷きになってしまった人は13人で、今のところ9人が還らぬ姿で見つかってるわ。ライは助け出されたけど、かなりの重傷を負ってる。残りの3人は今のところ発見されてないわ」
 守護の巫女はそうしてあたしに村人の人数だけを教えてくれた。たぶん彼女には、その人が誰なのかというよりも、何人が被害に遭ったのか、その数字の方が重要なんだ。
「実際に影が暴れまわっていた時間はそれほど長くないと思うの。唸り声がしなくなったことに村の人たちが気づいた時にはもういなくなっていて、やがて明るくなってきて見ると、家の残骸と奇妙な足跡だけが残されていた。影はそれきり現われていないわ。報告を受けて、神殿からはすぐに神官を派遣して、怪我をした人の手当てと情報集めをしているの。狩人にも協力してもらって影の正体を探ろうとしているけど、狩人たちもあんな足跡を見るのは初めてで、影の正体はまったく判らないわ」
「守護の巫女、影は家をつぶしただけなの? 人を襲ったり、食べようとしたりはしなかったの?」
「ええ、逃げ惑う人には目もくれないで、ただ家だけをつぶしていったの。だから私にはそれが普通の獣だとは思えないのよ」
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真・祈りの巫女33
 神殿から出ると、カーヤはあたしに別れを告げてどこかへ去っていった。あたしが祈っている間に神殿は秩序を取り戻していた。相変わらずざわざわしてはいたけれど、神官も巫女も無目的に動き回ったり、感情もあらわに泣き崩れていたりはしなかった。ひとりひとりが目的を持ってきびきび動いて、この突然の災厄にできる限りの力を尽くそうと必死になっている。神殿前の広場では、小屋を建てる目的を悟ったきこりたちが、一瞬でも早く小屋を完成させようと躍起になっているみたいだった。
 タキは守りの長老の宿舎入口に立つとドアをノックして、中からの返事は待たずにドアを開けた。中にいたのは守りの長老と守護の巫女、そして運命の巫女と、幾人かの神官たちだった。守護の巫女と神官の1人は、あたしが入ってきたことには気付いていないように会話を続けている。緊急事態だったから、あたしも礼儀は無視して、空いている椅子に腰掛けた。
「 ―― 狩人たちにはくれぐれも深追いしないように伝えてちょうだい。もしも影の本体を見つけてもぜったいに近づいてはいけないわ。必ず複数で見張りをして、ときどき神殿に報告を入れて欲しいの。今必要なのは影を退治することじゃなくて影の情報なんだ、って、必ず伝えて」
「ああ判った。狩人の様子はオレたちが交代で定期的に報告にくることにする。オレは昼までに1度戻ってくるよ」
「お願いね」
 守護の巫女にうなずき返して神官の数人が宿舎を出て行くと、守護の巫女はやっとあたしに気付いたように微笑んだ。
「待たせたわね、祈りの巫女、タキ」
「あたしの方こそごめんなさい。ずっと神殿で祈ってたら遅くなっちゃって」
「いいのよ。祈りの巫女のおかげでライの命が助かったんだもの。これから先も祈りの巫女はできるだけ祈りに専念して欲しいわ」
 そう言って力強く微笑みかける守護の巫女はいつにも増して堂々としていて、あたしはそんな彼女をとても頼もしく思った。
「祈りの巫女、もうタキに聞いているかもしれないけど、これから先はタキが様々な情報や指示をあなたに伝えるわ。あなたはタキと連携して、今回の災厄に対処してちょうだい。 ―― まずは現状を簡単に説明するわね」
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真・祈りの巫女32
 もう少し早く神託の巫女がマイラの死を教えてくれていたら、あたしはマイラを救えたかもしれない。でも、祈りの巫女が自分のことを祈っちゃいけないように、神託の巫女も人の寿命を直接他人に話すことはできない。2年前、ライが生まれた時に神託の巫女はちゃんとヒントをくれていたのに、あたしは察することができなかった。マイラはもう生き返らないけれど、これから死ぬ人を1人でも少なくすることならできるはずなんだ。
 悲しむことも、後悔することも、あとからだってできる。タキが崩れた家の下敷きになっている人の名前を教えてくれたから、あたしはすぐに神殿に駆け込んで祈りを捧げたの。ひとりひとり、心の中で名前を呼びながら、神様に無事を祈る。自分でも不思議に思うくらい祈ることに没頭して、やがて祈りを終えて振り返ったら、うしろにはカーヤのほかにタキも見守ってくれていたんだ。
「祈りの巫女、終わったの?」
 あたしはまだちょっとだけ現実に焦点が合っていなかったから、カーヤの問いかけにはうなずくことで答えた。
「あれからまたいくつか情報が入ってきてるわ。ライが無事に助け出されたのよ」
 そう言ったカーヤの表情には悲しみが多く混じっていたから、ライの無事だけを素直に喜んでいられないんだって察することができた。
「……死んじゃった人もいるのね」
「ええ。……あれから更に6人が見つかって、ライ以外はみんな亡くなってたわ。でもまだ希望はある」
 あたしが2人に近づいて、力を落としたカーヤの肩に触れた時、隣にいたタキがあたしに話し掛けてきた。
「祈りの巫女、守りの長老が呼んでるんだ。宿舎へ行くことはできる?」
 祈りにはいくつかの手順があって、長時間同じことを祈ったからといって必ずしも効果がある訳じゃないんだ。あたしがうなずくと、タキは先に立って神殿の扉を開けてくれる。
「君が祈っている間にいろいろなことが判って、神殿の体制も徐々に整いつつあるんだ。詳しいことは守りの長老や守護の巫女から説明があると思うけど。オレは祈りの巫女の補佐をするように言われたから、これからしばらくは君のそばにいるよ」
 そんなタキの言葉は、あたしにはとても心強く響いた。
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真・祈りの巫女31
「祈りの巫女!」
 あたしの肩に乗せた手に力を入れてゆすりながらカーヤが元気付けるように言う。死者のために祈るのはあたしじゃなくて神託の巫女の役目なんだ。祈りの巫女の祈りは、今生きている人たちが幸せになるための祈り。あたしのマイラのための祈りはもう終わったんだ。
  ―― マイラ、あなたは幸せだったよね。こんなに若くて死んでしまったけれど、ライを産んで育てたことで、ライがいなかった時よりもずっと幸せになれたんだよね。あたしの祈りは無駄じゃなかったんだよね。
 そう思わなければ耐えられなかった。そうやって無理矢理にでも自分を納得させなかったら、あたしの心は突然のマイラの死に押しつぶされてしまいそうだったから。
「ありがとうカーヤ。……タキ、まだ家の下敷きになってるのは誰と誰? 名前を教えて?」
「オレには判らないや。ちょっと待って。今すぐ訊いてくる。少しだけ待っててくれ」
 タキが人だかりの方に駆けていくのと入れ違いに、気力を振り絞って神託の巫女がやってきた。
「祈りの巫女、さっきはごめんなさい。私、取り乱して……」
 まだ目を赤くしていたけれど、神託の巫女はいつもの気丈さを取り戻していた。
「神託の巫女が辛かったのは判ってるわ。……ずっとあたしには黙っていたけど、マイラが死ぬことを知っていたのでしょう?」
「ええ、ライの誕生の予言をした時に、ライが両親のいない子になるということが判ったの。戸籍に残ってるマイラの誕生の予言にもこの死は書かれていたわ。……でも、祈りの巫女の祈りはもしかしたら未来を変えるかもしれないって、私はそう思ってたのよ」
 神託の巫女の必死の思いを感じて、あたしは心臓の高鳴りを意識した。
「……あたしは、未来を変えられるの……?」
「祈りの巫女は既に人の運命を変えているのよ。マイラが2人目の子供を産むなんて、マイラやベイクの誕生の予言にはなかったのだから。ライはね、祈りの巫女、あなたが祈りで運命を変えた結果生まれた子供なの。あなたの祈りは常に人の運命を変え続けているのよ」
 祈りが人の運命を変えることができる。あたしは、これから死ぬ人を生き延びさせることができるかもしれないんだ。
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真・祈りの巫女30
 心が凍りついたように何も考えられなくて、あたしはマイラの死を伝えた1人が、周りに集まる人たちに詳しい様子をしゃべっているのを呆然と見つめていた。マイラ、昨日は何ごともなく元気で、ライを抱いて幸せに笑っていた。あれからまだ丸1日も経ってないのにどうして信じられるの? ライが生まれて本当に幸せなんだ、って、あんなに素敵な笑顔を見せてくれたマイラがもうこの世にいないだなんて。
 あたしは祈りの巫女になったあの時、マイラを幸せにしたいと思った。マイラを幸せにするために祈りの巫女になるんだって。そのためにあたしは修行して、たくさんの時間をマイラのために費やした。そうしてやっとの思いで得た幸せは、こんなに簡単に消えてしまうものだったの? 人の命はこんなに簡単に消えてしまうものなの……?
「ユーナ……」
 あたしの肩に遠慮がちに手を置いて、カーヤがうしろから声をかけてくれる。あたしにはまだそんなカーヤに振り返るだけの余裕すらもなくて、カーヤもあたしにかける言葉を失ったようにそれきり声にならなかった。そんなあたしの様子に気づいて近づいてきた人がいた。人が立つ気配に顔を上げると、目の前には悲しみと戸惑いの表情を浮かべた神官のタキが立っていたんだ。
「祈りの巫女、西の外れに住むベイクとマイラが死んだそうだよ」
 そんなタキの言葉に、あたしはうまく反応できなかった。見上げたままのあたしにタキは言葉を続けた。
「君はマイラと懇意にしていたと聞いた。オレも君になんて言ったらいいのか判らないよ。とにかく残念だとしか言いようがない」
「……」
「今聞いた話だと、マイラたちの家は何か大きな力でつぶされてしまって、一家全員がその下敷きになったみたいなんだ。マイラとベイクは寝室のあたりで見つかったけど、子供のライがまだ見つかってない。今救助にあたってくれている近所の人の中に、瓦礫の下で子供が泣く声を聞いた人がいるらしいんだ。祈りの巫女、マイラとベイクは死んだけど、もしかしたらライはまだ生きてるかもしれない」
 タキのその言葉に、あたしはかすかな希望の光を見たような気がした。
「一刻を争うんだ。ライと、チャクやそのほかのまだつぶれた家の下敷きになってる人たちのために、君の祈りを捧げてくれないか?」
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真・祈りの巫女29
 聞いてしまうのが怖かった。怖くて、知らず知らずのうちにあたしの身体も震えていた。いつの間にかカーヤも傍に来ていて、あたしのうしろから神託の巫女を食い入るように見つめている。一瞬の静寂に、宿舎の外のざわめきが割り込んでくる。
 神託の巫女は少しだけためらう様子を見せて、だけどそのあとはもう言いよどむことはしなかった。
「村の1番西にあるベイクの家と、その手前のチャクの家は完全につぶれてしまったわ。ものすごく大きな音がしたからすぐに飛び出した何人かは怪我だけで済んでる。正体不明の影はほかにもいくつかの家をなぎ倒して、でもいつの間にかどこかへ消えてしまったらしいの。影がいなくなってからすぐに瓦礫をのける作業を始めたのだけど」
「それで? 誰か家の下敷きになったの? それは誰? マイラとベイクは無事なの? ライは無事なの!」
「判らないわ! 今みんな必死で瓦礫を退けてるところだもの! お願い、祈りの巫女。すぐに彼らの無事を祈って! もしかしたらまだ間に合うかもしれない ―― 」
 マイラたちが壊れた家の下敷きになってる。神託の巫女の言葉を聞いて、カーヤは無言であたしの祈りの道具をそろえに部屋を駆けずり回ってる。宿舎の外は緊張をはらんだざわめきに満たされていて、そうと知覚しながら呆然と立ち尽くすあたしは、まるで心がいくつにも分裂してしまったみたい。自分が今何をするべきなのか判らなかった。笑顔で手を振ってくれた小さなライ。ライを産んだときの幸せそうなマイラの顔と、沼に沈んでいくシュウの微笑みが頭の中でぐるぐる回って ――
 それもほんの一瞬の出来事で、目の前の神託の巫女は目に涙を浮かべてその場に崩れ落ちた。
「 ―― どうして……! 人の命の長さは決まってる。祈りが変えられるとしたら万に1つだわ。でも可能性はゼロじゃない。どうして私には何もできないの……?」
 もうあとも見ずにあたしは宿舎を飛び出した。うしろからカーヤが追いかけてくる気配がする。神殿の前には人だかりがあって、混乱した巫女や神官たちが右往左往しているのが判った。その時、誰かの叫ぶ声を聞いて、あたしは思わず足を止めてしまった。
「ベイクとマイラが見つかったぞ! ……残念だけど2人とも死んでた」
  ―― 立ち尽くしたまま、あたしは少しも動くことができなかった。
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真・祈りの巫女28
 この日の夜、あたしはあまりよく眠れなかった。
 明日はリョウがあたしの家に来てくれて、いよいよ2人の結婚が現実になるから、それで少し興奮してたのかもしれない。神殿の夜は麓よりも涼しいのに、背中に寝汗をかいてしまって何度も寝返りを打っていた。身体は眠りを求めてるのに、心臓がドキドキしたままでぜんぜん眠れる気がしなかったの。
 けっきょくほとんど眠らない状態で日の出を迎えてしまっていた。カーヤを起こしたくないからしばらくはベッドの中にいたけれど、そのうちいつになく神殿の周りが騒がしくなってきたからあたしも身体を起こした。それとほとんど同時だった。宿舎のドアを誰かがノックしたのは。
「祈りの巫女、祈りの巫女起きて! 緊急事態よ。大変なことが起こったの」
 続けて何度も叩かれたドアの音でカーヤも起きてしまったみたい。あたしがベッドを抜け出してドアを開けるとカーヤも飛び出してくる。ドアの向こうに立っていたのは神託の巫女だった。今まで見たこともないような真っ青な顔をしてあたしを見つめていたんだ。
 その一瞬、あたしは心臓が飛び出すかと思った。神託の巫女の表情だけで判ってしまったから。いずれ村を襲うはずの災厄が、こんなに早く現実になってしまったこと。
「何があったの?」
 あたしのその言葉を待っていたかのように神託の巫女はまくし立て始めた。
「村の西側で異変が起きたわ。夜明け前にものすごく大きな音がして飛び出してきた近所の何人かが大きな影を見たの。影の正体は判らない。でもいくつかの家がつぶされたわ」
 村の西側って、昨日あたしあのあたりへ行ったよ! 西の外れにはシュウの森。そして、その手前にはマイラとベイクとライが住んでいる家があるんだ。
「夜明け前って……。家がつぶされたって、いったい何があったの? つぶされたのは家だけなの? 家の中にいた人は無事なの?」
 あたしの立て続けの質問攻めに、神託の巫女は傍から見てはっきりと判るくらい、恐怖で身体をガタガタと震わせた。
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真・祈りの巫女27
 神殿の広場での立ち話だったし、宿舎ではカーヤが夕食の支度を終える頃でもあったから、あたしはできるだけ簡潔になるようにリョウに話した。
「運命の巫女はね、近いうちに村に何か大きな出来事が起こるって言ってたわ。家がいくつか壊れるような風景も見えたみたい。小屋のことはあたしも初耳なんだけど……。たぶん、家が壊れて困ってる人を一時的に受け入れるつもりなんだと思う」
 災厄のことをどの程度話していいのか判らなかったから、あたしはリョウにそんな説明しかできなかった。神官がノットたちに多くの説明をしなかったように、あたしもリョウにすべてを話すことはできないんだ。村の未来は簡単に村の人たちに話しちゃいけない。あたしはリョウの婚約者なのに、リョウに秘密を持たなければいけないんだ。
 すごく悲しかった。これからあたしはリョウと結婚するのに、リョウと夫婦になるのに、祈りの巫女のあたしにはリョウに話しちゃいけないことがたくさんあるって気がついたから。
 そんなあたしの悲しい気持ちは、リョウにも伝わってしまったみたいだった。
「そう、か。……村にはそんなことが起こるんだ」
 リョウは少しかがんで、あたしの顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「たとえ村に何が起こっても、ユーナのことはオレが守るよ。……前にユーナに言ったよな。オレはずっと昔からユーナを守るって決めてて、ユーナを守るために狩人になって、強い男になったんだ、って」
 覚えてる。忘れたことなんか1度もないよ。だって、リョウは今までだってずっとあたしを守ってくれたんだもん。
「もう1度誓うよ。オレはユーナのことをこれからも守っていく。オレの命が続く限りずっと守っていくって約束するよ。だから、ユーナもオレのことを信じて。なにが起きても、どんなことがあったって、オレがずっとユーナのそばにいるから」
 たぶんリョウには判ってるんだ。あたしが話したよりももっと大変なことが村には起こって、だけどあたしの口からはリョウに話すことができずにいるってこと。
 祈りの巫女のあたしがリョウに秘密を持っていることを、リョウは笑顔で許してくれたんだ。
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真・祈りの巫女26
 リョウと連れ立って神殿へ帰ると、神殿前の広場の様子が午前中に見た時とはぜんぜん違っていたの。村のきこりたちが森から切り出してきた木を積み上げて、まるで祭りのやぐらの準備をしている時みたい。でも、今年の祭りは秋だからまだずいぶん間があるし、きこりたちの様子も祭りのときとは明らかに違って、華やいだ様子はまったくなかった。あたりはずいぶん暗くなってきてたから、きこりのみんなも今日の作業を終わらせるところだったらしくて、不審に思って見守るあたしたちの横を会釈しながら通り過ぎていった。
「ノット」
 リョウが実家の近所に住むきこりのノットに声をかけた。ノットも帰り支度をしていたところで、あたしたちに気付いて近づいてくる。
「あれ? ユーナにリョウじゃないか。久しぶりだな。今帰りか?」
「ああ。ノットはこんなところでなにしてたんだ? 祭りの準備にはまだ早いだろ?」
「神官たちに頼まれて材木を集めてきたんだよ。ここに仮ごしらえの小屋を建てるらしいぜ」
「……小屋? 何のために小屋なんか」
「詳しいことは何も聞いてないんだ。とりあえず雨露がしのげるだけでかまわないっていうから、たいした代物じゃなさそうだな。だけど数が半端じゃないんだ。なにしろ広場一帯埋め尽くすくらい建てるつもりらしいから。しばらくは村のきこりが総動員で作業に当たることになりそうだぜ。ほんと、神官の考えることはいつもよく判らないよ」
 ノットは苦笑いを浮かべて、あたしやリョウに手を振りながら山道を駆け下りていった。きこりたちがいなくなった広場で、あたしとリョウはちょっと顔を見合わせる。リョウはノットと同じように、今広場に小屋を作る理由が判らないみたい。でも、あたしは判っちゃったの。これから作る小屋はたぶん、村の災厄で非難してきた人たちを受け入れるための施設なんだ、って。
 神殿全体が、来るべき災厄に向けて動き始めたんだ。村の人たちには何も知らせないで。
「ユーナ、……もしかして小屋のことを何か知ってるの?」
 あたしは慎重に言葉を選びながら、リョウに切り出していた。
「……今日ね、巫女たちの会議で、運命の巫女が見る村の未来に変化があったことを教えてもらったの」
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真・祈りの巫女25
 オミがいなくなったから、あたしはリョウの隣の席に座りなおしながら言った。
「なんなのあれ。ひとのこと言いたい放題言って」
 考え直せとかペチャパイとか、オミったらあたしの結婚を破談にしようと思ってここにきたの?
「あれでもオミなりにユーナのことを心配してるんだよ。いい弟じゃない」
「あたしはペチャパイじゃないもん! それにオミのこといじめたりしてないよ!」
「判ってる。ユーナ、子供相手にそんなに怒らないで。オレはぜんぜん気にしてないから」
 オミがあんまり理不尽だったからあたしは少し腹を立ててたみたい。でも、リョウが言ってくれた言葉で、怒りがすうっとおさまっていった。それで少しだけ冷静に考えることができるようになって、自分の気持ちもちょっと判ってきた。あたし、オミが大人の顔をして見せたり、かと思うと子供のように振舞ったりして、それに振り回されてたんだ。
 リョウはいつも不思議。あたしのことをいちばん判ってて、たった一言であたしの気持ちを楽にしてしまうんだもん。
「そうよね。オミに振り回されるなんて大人気ないわよね。リョウ、オミが変なことを言ってほんとにごめんなさい」
「大丈夫。おかげでオレもだいぶ度胸が据わってきたから」
 あたしがやっと微笑んだからかな。今まで成り行きを見守っていたマティが、少し遠慮がちに会話に入ってきたの。
「ユーナ、オミは最近、オキと一緒に時々来てくれるようになったよ」
「そうなの? ぜんぜん知らなかったわ」
「だろうね。オレも訊かれればユーナやリョウのことを多少は話すよ。男親はやっぱり娘の結婚相手のことは人一倍心配するものだからね。オミもそんなオキのことを知ってるから、自分なりにリョウの気持ちを確かめにきたんだ。……オレにも覚えがあるよ。ニイナと結婚した時にはニイナの父親にさんざん渋られた。もう一晩中頭を下げ続けたもんな。今のオミなんてかわいい方だよ」
 マティは両手を広げて、リョウに意味ありげな苦笑いを向ける。リョウも同じような苦笑いを返したから、あたしもリョウがどうして父さまと話したくないと思ったのか、なんとなく理解したような気がした。
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真・祈りの巫女24
「オミはいないのか? 好きな女の子とか」
「うん、今はいないよ。仕事してる方がおもしろい」
「そういえばオミは、オキと同じガラス職人になるんだったよな。……オミも好きな女の子ができると判るよ。好きな人がいると、仕事の張り合いがぜんぜん違うんだ」
 あたしからはオミの表情は見えなかったけど、リョウの言うことがよく判らないみたいだった。
「オレはユーナがいいんだ。ほかの、例えば料理が上手だったり、お裁縫がうまかったり、そういう別の女の子じゃ代えられない。ユーナがいるから大変な仕事も頑張れるんだ。だから、オレの方から考え直すなんてことはぜったいにないよ」
 オミはちょっと驚いた風にあたしを振り返って、それからまたリョウを見て、2、3回見比べるような仕草をした。あたしの方は、リョウの言葉に少し赤くなっちゃったよ。なにもあたしの弟に向かってこんなにはっきりこんなこと言わなくてもいいのに、って。
「言っとくけどユーナってペチャパイだぞ」
「オミ! リョウになんてこと ―― 」
「ひょっとしてオミは知らないのか? 世の中にはペチャパイが好きな男もいるんだぞ」
「嘘だ。リョウだっておっきい方がいいに決まってるよ」
「それじゃ、オミはおっぱいが大きくて性格の悪い女の子と、ペチャパイの優しい女の子だったらどっちと結婚したいと思うんだ?」
「うーん、すごい悩む。……でもユーナはそんなに優しくないよ。オレ子供の頃いっぱいユーナにいじめられたもん」
「でもオレのことはいじめたりしないよ。ユーナはオレにはものすごく優しいんだ」
「ふうん」
 オミはもう1度あたしのことを振り返って、それからひょいと席を降りた。
「まいっか。リョウ、ユーナのこと頼むね。神殿まで送ってくれるんだろ?」
 リョウが返事をしてうなずくと、オミはもう振り向きもしないで走り去っていった。
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真・祈りの巫女23
 あたしはずっと神殿で暮らしていたから、少し忘れていたのかもしれない。神殿やそこで働く巫女たちが、ほかの人たちには特別に見られてるってこと。あたしはこのところ悩んでいる人たちの話を訊いてきたけど、悩んでない人にとっては、祈りの巫女はほんとになじみのない職業なんだ。実の弟ですらこうなんだもん。あたしはもっともっと、祈りの巫女のことを村の人たちに教えていかなければならないんだ。
 そんなことを考えているうちにいつの間にかマティの酒場まで来てしまっていた。入口から覗くとリョウの背中が見える。父さまやオミと話しているうちに約束の時間が少し過ぎちゃったみたいね。マティがあたしとオミに気づいて、ちょっとあれって表情をした時、オミはかまわず入口をくぐって店の中に入っていったの。
「いらっしゃい、オミ、ユーナ」
「こんにちわマティ。リョウ、久しぶり」
「あれ? ……オミ? ずいぶん大きくなったな」
「いつまでも子供みたいに言うなよ。オレもう13なんだぞ」
 リョウと話しながらオミはちゃっかりリョウの隣に座ってしまったから、あたしはマティに挨拶したあと、しかたなくオミの隣に腰掛けたの。リョウがあたしを見て、とても自然な表情で微笑んでくれる。あたしも同じ笑顔をリョウに返していた。
「お帰りなさい、リョウ。お仕事ご苦労様」
「ただいまユーナ。今日は実家に行ってきたの?」
「うん、父さまと母さまに明日のことを話してきたのよ。リョウによろしくって言ってたわ」
「なあリョウ。ほんとにユーナでいいのか? 考え直すなら今しかないぞ」
 オミがあたしとリョウの会話に割り込んでそんなことを言ったから、あたし思わずオミをうしろから拳固で殴っちゃったよ。オミは大げさに頭を抱えてうずくまってる。そんなあたしたち姉弟の様子を、リョウとマティは笑いながら見ていた。
 オミが顔を上げると、リョウはすごく魅力的な表情で、にっこり笑いかけた。
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真・祈りの巫女22
 オミはあたしのことや自分のことをそれほど真剣に考えてるようには見えなくて、変な先回りをした分、あたしは少し拍子抜けしてしまったみたい。あたしはいつもリョウとばかり話しているから、そんな気がする、ってだけで行動しちゃうオミみたいな人と話すのに慣れてないのかな。久しぶりに話すオミはすごく新鮮で、まるで小さな頃から一緒に育ってきた弟とは別人みたいよ。オミはこれから、あたしが今まで接したことがないような、不思議な大人になっていくのかもしれない。
「ねえ、ガラス細工って楽しいの?」
「楽しいよ。オレはまだ腕の力が足りないから、気を抜くとすぐにいびつになっちゃうんだ」
「なんで? それが楽しいの?」
「ユーナには判らないよ。オレも神様に祈るなんてことのなにが楽しいのか判らないもん」
「あのねえ、オミ。あたしが神様に祈ったら、みんなが幸せになれるのよ。みんなが幸せになれるってすごく嬉しいことじゃない。このところやっと願いが神様にすんなり通じるようになってきたのよ。前は1つのことを何ヶ月も祈って、やっと願いがかなったんだから」
「ふうん」
 オミはちょっと足を止めて、あたしの顔をまじまじと見つめた。
「それじゃおんなじだよ。オレも最近やっと少しだけマシなものが作れるようになってきたんだ。ユーナも一生懸命やって上達するのが楽しかったんだね」
 そんなの、あたりまえだって思ったけど、オミはしきりに感心していたの。オミは今まで、あたしがどうして祈りの巫女になったのか、判ってなかったの?
「もしかしてオミって、今まであたしの仕事のこと誤解してた?」
「してたかもしれない。ずっとユーナは変なことをしてるって思ってたから。ユーナの仕事が普通の仕事と同じで、村の人の役に立ってるなんて思ってなかったんだ」
 そんなオミの言葉を聞いて、あたしは身体の力が一気に抜けたような気がした。
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真・祈りの巫女21
「オミ、ちょっとどうしたの? 母さまびっくりしてたじゃない」
 家を出て通りを少し歩いたところで、オミはあたしの手を引くのをやめたから、あたしはオミの背中にそう訊いてみた。なんだかオミはすごく歩くのが早いよ。あたしが小走りで追いかけているのが判ったんだろう。気付いてオミは少し歩く速度を落としてくれた。
「ちょっとね。1人で外の空気を吸いたかっただけだから。ユーナをダシにしちゃってごめんね」
「父さまと何かあったの?」
「そういうことじゃないんだ。父さんは厳しいけど、オレが好きで始めた仕事だし。……でも1日中一緒にいるとたまには独りになりたい時もあるんだ。リョウに会いたいって言ったのもほんとだよ」
 あたしはオミの隣に並んで、マティの酒場までの短い距離を歩きながら、ほんの少しだけオミを見上げていた。なんだか不思議な感じがするの。だって、ずっと見下ろしてきた小さなオミが、いつの間にか見上げるようになっちゃったんだもん。
 そういえば、オミとこんな風に2人だけで歩くのは、ものすごく久しぶりのことだった。大人になってからは初めてかもしれない。あたしは13歳の頃からずっと宿舎暮らしで、たまに家に帰る以外はずっと家族と離れて暮らしてきたんだ。
「ねえ、オミ。オミはどうして急に大人になろうとしたの? あたしが神殿へ行っちゃったから?」
 もしかしたらあたしは、オミにすごく大きな負担をかけたのかもしれない。もしも祈りの巫女じゃなかったら、あたしは結婚するまでずっとこの家で暮らしていたんだ。そうしたらオミだって11歳で大人になろうとなんかしなかったかもしれない。ほかの子供たちのようにのんびり遊んで、今の年頃でやっと大人になる準備を始めたのだろう。
 あたしがそう問い掛けた時、オミはそんなあたしの心配りにはぜんぜんお構いなしで、まるで気付いていないみたいに答えたの。
「なんとなくね。ただ早く大人になりたかったんだ。父さんの仕事ぜんぶ覚えて、早く一人前になりたいって。なんとなくそんな気がしただけだよ。時間を無駄にしたくなかったんだ」
「……どうして? なにをそんなに焦ってるの?」
「自分でもよく判らない。だけど、そうしなきゃいけない気がするんだ」
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真・祈りの巫女20
「ユーナは食事をしていかないのか?」
「今日は宿舎に帰らなければならないの。カーヤがしたくしてくれてるから。でも明日は一晩泊まって、朝食も食べていけるわ」
「そうか。それは楽しみだな。明日はリョウも夕食をうちで食べるつもりなのかな?」
「リョウは自分の実家で食べるみたい。夕食のあとに時間を見計らってくるって言ってたから。リョウね、今からすごく緊張してるの。父さまはあたしとリョウの結婚を反対したりしないわよね」
 父さまは食前酒を一口だけ口にして、ちょっと複雑な表情をして言った。
「まあ、リョウのことは小さな頃から知ってるからね。仕事もきちんとしているようだし反対する理由もないだろう。とにかく明日リョウの話を聞いてみて、すべてはそれからだな」
 父さまは言葉では反対していなかったけど、なんとなく歯切れが悪くて、あたしが思ってたみたいに手放しで喜んでくれてはいないみたい。あたし、今日せっかく父さまと会えたから、父さまはちゃんと賛成してくれるってリョウに伝えて安心させてあげたかったのに。
 そろそろリョウとの待ち合わせの時間が近づいていたから、あたしはそのまま席を立った。
「それじゃ、あたしこれで行くわね。母さま、明日のことよろしくね」
「ええ、判ったわ。リョウによろしく伝えてちょうだいね」
 母さまの声にうなずいて、あたしがドアを出かかった時、いきなりオミが立ち上がったんだ。
「母さん、オレ、ユーナのこと送ってくる!」
「オミ、もうお夕飯ができるのよ。それに外はまだ明るいわよ」
「リョウがどんな顔してるか見てやりたいんだ。ユーナ、リョウはマティの酒場だろ?」
「え? あ、うん」
「ほら、行くよ」
 そのあと母さまがなにを言っても聞く耳を持たない感じで、オミはあたしを引っ張って外へ連れ出してしまったんだ。
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真・祈りの巫女19
 母さまに明日のことやリョウのことをいろいろ話して、オミの話をたくさん聞いていたら、時間は瞬く間に過ぎていった。もちろん夕食は宿舎で食べることにしていたけれど、それよりもずっと早く母さまは夕食の用意を始めたの。リョウとの待ち合わせにはまだ時間があったから、あたしも母さまの食事の支度をお手伝いした。そうして夕ご飯が作り終わる頃、父さまとオミが連れ立って帰ってきたの。
 あたし、まさか今日父さまに会えると思ってなかったから、すごく嬉しかった。父さまもあたしがいて驚いたみたい。お互いちょっとびっくりしたように顔を見合わせて、やがてどちらともなく笑顔になっていった。
「お帰りなさい、父さま」
「ユーナ……。今日はどうしたんだ? 泊まりにきたのか?」
「ううん、違うの。でも明日泊まりにくるから、そのことを母さまに話にきて話し込んじゃったの」
「ユーナったらね、明日リョウを連れてきたいのですって。いよいよリョウとの結婚のお話を進めるみたいよ」
「なに? ユーナとうとうリョウと結婚するのか?」
 父さまが返事をするよりも早く、うしろにいたオミが声を出していた。あたしはオミに視線を移して、ちょっと驚いた。ついこの間会ったばかりなのに、オミはなんだか背が伸びたみたい。いつの間にかあたしを追い越して、それだけじゃなくて少し大人っぽくなった気がするよ。
「オミ、背、伸びた?」
「……さあ、どうかな。自分じゃあんまり判らないけど、たぶん少しは伸びただろ?」
「その仕事着もだんだん窮屈になってきたわね。そろそろ少し大きめのサイズで新しく作ってもらいましょう」
 母さまはそう言ってオミを食卓に促したから、あたしも自分の席に腰掛けた。母さまは父さまとオミの食卓に食前酒を用意して、あたしにも訊いてくれる。あたしはこれから宿舎に帰らなければならなかったから断ったけど……。
 オミったら、いつの間にか父さまと一緒にお酒まで飲むようになってる。オミはあたしよりも3歳も年下なのに、あたしよりずっと大人になってしまったみたいだった。
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真・祈りの巫女18
 マイラとの久しぶりの歓談はライがいたこともあってあまり落ち着かなくて、あたしは早々にマイラの家を辞すことにした。マイラに抱かれて笑顔で手を振ってくれるライはやっぱりかわいかったから、あたしもなんとなく自分の子供のことを考えちゃったよ。リョウと結婚して、2人の間に子供ができたら、ライのような男の子がいいな、って。リョウに似た男の子ならぜったいかわいいと思うもん。でも、祈りの巫女の仕事をしながら子供を育てるのはやっぱり大変だから、あたしも守護の巫女や運命の巫女のように、最高でも2人くらいしか育てられないと思う。
 そんなことを考えて、ちょっとニヤニヤしながら向かったのは、あたしが生まれ育った実家だった。明日リョウをつれて帰ることを母さまに報告しておかなければいけないから。あたしは実家に泊まるから食事やベッドの用意もお願いしないとならないし、きっとリョウと父さまは飲みながら話に花を咲かせるものね。お酒もたくさん用意してもらって、リョウの緊張を少しでもほぐしてもらうようにするんだ。
 あたしが家につくと、母さまは笑顔で迎えてくれて、オミが作ったというガラスのコップに冷えたお茶を入れてくれた。
「オミはもうこんなものまで作れるようになったのね」
 弟のオミは13歳で、村のほかの子供たちよりも早くガラス職人の修行を始めたの。オミが作ったコップは父さまが作るのと比べたらガラスの厚みも不均一で、よく見るとほんの少し傾いていた。
「父さまね、オミにはまだまだだって言うのだけど、オミがいないところでは誉めてるのよ。オミは本当に真剣に仕事をしてて、その分覚えも早い、って。でも独り立ちはまだできそうにないわね。父さまのように、ほかの村でも売れるような品物を作るには、あと10年はかかるのですって」
 あたしは今まで父さまの仕事のことを詳しく知らなかったのだけど、オミが修行を始めてから、時々母さまが話してくれるようになった。父さまのガラス細工は村で使う分だけじゃなくて、村の外にも輸出されてるんだ。特に動物や植物の形をした文鎮が貴族たちに人気があって、村の人に頼まれた仕事がない時は余分に作ってるんだって。
 母さまは、オミがだんだん一人前になっていくのが、自分のことのように嬉しいみたいだった。
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真・祈りの巫女17
 マイラがお茶を入れてくれる間、あたしはライを膝に乗せて、両手をつないで遊んでいた。でもライはすぐに飽きてしまったみたい。床に下ろすと、トコトコ歩いていって、積み木のおもちゃで独り遊びを始めてしまったの。
「あのまま遊ばせておいて大丈夫?」
「目を離さなければ大丈夫よ。ちょっと目を離すとすぐ高いところによじ登るけど。でも、シュウがあのくらいの頃はもっとすごかったのよ。積み木と椅子を使って窓から外に出ようとしたんだから」
「窓って……。窓の下まで椅子を引っ張っていって、その下に積み木を積んで踏み台にしたの?」
「そうよ。だからあたしはほんとに目が離せなかったの。ライにはそこまでの知恵はないみたいね。自分で降りられなくなるほど高いところには登らないから、けっこう慎重みたい。シュウよりはずいぶん安心して見ていられるわ」
 ライはこんなに小さな男の子なのに、もうシュウとは違った個性があるんだ。たぶんあたりまえのことなのにあたしは驚いていた。
「シュウはやんちゃな子だったのね。あたしは優しかったシュウしか覚えてないわ」
「あたしもそうよ。ずっと忘れていたことも、ライを育てているうちに少しずつ思い出してきたの。こんな風に穏やかな気持ちでシュウを思い出せるなんて、以前は思いもしなかった。だからライが生まれてあたしは本当に幸せなのよ」
 マイラはすごく自然な表情でそう言ったの。あたしはまだほんの少しだけシュウの命に責任を感じていて、マイラにはいつもどこかで負い目を持っていたけれど、そんな気持ちは持っていちゃいけないものなんだ、って、そう思った。だって、マイラは今本当に幸せなんだもん。ライを育てて、シュウを思い出して、でもそれでも幸せだって言えるんだもん。
「ユーナはどうなの? あたしは早くユーナが子供を産んで、その子をライの友達にしたいと思ってるのよ」
 さりげなく、でも突然マイラがそんなことを言ったから、あたしはちょっとだけ顔を赤くしてしまったの。
「もう、マイラったら……。あたしはまだ結婚もしてないのよ」
「でももうすぐでしょう? 早ければ来年の今ごろには、ユーナも母親になってるわ」
 マイラの言葉に照れながら、あたしはリョウとのことをマイラに話したんだ。
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真・祈りの巫女16
 その日の午後、あたしはまた村に降りた。でも今日は村の人たちの話を聞くためじゃなかったの。いつものとおり村外れのマーサに挨拶して、家の中で太陽よりも熱いお茶をご馳走してもらいながら、昨日のレナの様子を少しだけ話した。それから今度は反対側の村外れまで歩いていく。西の森の手前には、ほかの家と少し離れたところに家があって、そこにはベイクとマイラ夫妻、そして小さなライが住んでいるんだ。
 その長い坂を上がり切る頃にはすっかり息が切れてしまって、ノックをしてマイラがドアを開けてくれるのを待ってる間に汗がじっとりにじんでくる。ハンカチで額の汗をぬぐっていると、ライを抱き上げたマイラがドアを開けてくれた。あたしの顔を見てにっこり笑ったマイラは、昔の悲しい笑顔なんて嘘みたいだった。
「ユーナ、こんにちわ。よく来てくれたわね」
「こんにちわマイラ。突然でごめんなさいね。いま大丈夫?」
「ええ、あたしはこの通りライと2人きりだからね。ユーナならいつでも大歓迎よ」
 そうマイラと会話を交わしている間にも、マイラに抱かれたライがニコニコしながらあたしに手を差し伸べてくる。そんなライの手を軽く握り返して、ライと手をつなぎながら食卓に案内されていった。ライはこの春に2歳になったばかりで、言葉をしゃべることはないけど、もしかしたらあたしのことを覚えているのかな。それとも、もともと愛想のいい子だから、誰にでも同じように愛想を振り撒いているのかもしれない。
「もうそろそろしゃべり始める頃?」
「ううん、まだしばらくかかるわね。ふつうは男の子の方が言葉が遅いから。最近ライは少しシュウに似てきたわね。このあいだまではぜんぜん違う顔をしてたのよ」
 シュウの顔、か。あたしははっきり覚えてないんだ。シュウはあたしと同じ年で、5歳の時に死んでしまったから。
「そういえば、この前見たときはベイクによく似ていたのに、今はそれほど似てないわね。なんだか子供って不思議」
 片手でライと遊びながら、あたしはライの笑顔に、シュウの面影を探していた。
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真・祈りの巫女15
 巫女は、強くなければならない。村を導いていく守護の巫女も、村の未来を見る運命の巫女も、人の寿命を見る神託の巫女も、みんな心の強さを持ってるんだ。神事を司る聖櫃の巫女もきっと同じ。だから、祈りの巫女であるあたしも、ほかの巫女たちと同じように、巫女の強さを持たなければならないんだ。
 災厄や人の死に動揺しちゃいけない。心を強く持って、神様に願いを聞き届けてもらうんだ。その死が、たとえあたしの大切な人たちの死だったとしても。
「……もう、それほど遠い未来じゃないのね。村が災厄に襲われるのは決まってるんだ」
 あたしが呟くと、それまで黙って見守ってくれていた巫女たち全員が、あたしを力づけるように微笑んだ。
「なんかあたし、自分のことで浮かれてる場合じゃないみたい。……明日実家に帰るのやめるわ」
 神妙にあたしがそう言ったら、運命の巫女は急に明るい表情になったの。
「それはやめることないわよ、祈りの巫女。せっかくリョウがその気になってくれたんだもの。たかが村の災厄くらいで自分が幸せになるチャンスを逃すことはないわ」
 たかが村の災厄、って……。こういう深刻な単語に「たかが」なんてつけていいものなの? そうあたしが驚いていたら、ほかのみんなの雰囲気も明るくなって、次々と運命の巫女に同調し始めたんだ。
「そうよ。祈りの巫女が結婚するなんて、こんなおめでたいことは中断しちゃいけないわよ」
「それに幸せな未来を思い描いていた方が、きっと祈りにも力がこもるわよね」
「そうそう、この未来を手に入れるために頑張るんだ!ってね。深刻になったからといって必ずしも未来が開ける訳ではないんだから」
 そんな巫女たちの明るい声を聞いていたら、なんだかあたしもおかしくなってきちゃったよ。どうしてみんな、こんなに脳天気なんだろう。村が災厄に襲われて、たくさんの人が死んで、しかも村の未来はぜんぜん見えないっていうのに。
 このときのあたしには、この明るさがみんなの優しさなんだってことには、まったく気付いていなかった。そして、この優しさが巫女の本当の強さなんだってことに気がついたのは、ずっとあとになってからのことだった。
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真・祈りの巫女14
 神託の巫女は少しも驚いた表情を見せないで、用意していたようにあたしに語り始めた。
「人の運命には今でもまだまだ判らないことが多いから、もしかしたら祈りの巫女の言うとおりにしたら救える人もいるかもしれないわ。でも、過去にそれを考えた人がまったくいない訳ではなかったのよ」
 ……そうか、そうよね、今まで1500年もの間、運命の巫女や神託の巫女がそれを試してみなかったはずなんかないんだ。だって、2人には人の死と村の出来事が判るんだもん。
「800年くらい前に運命の巫女と神託の巫女が共同で研究した資料が残ってるの。いくつか例をあげてみるわね。 ―― ある若いきこりはその年に寿命がくるのが判っていた。運命の巫女はそのきこりが仕事中に崖崩れに遭う予言をしたの。2人はそのきこりに山での仕事を控えるように言ったわ。きこりは忠実に守っていたのだけど、ある日崖崩れが起こるのとはまったく別の森で、猛獣に襲われて死んでしまった。 ―― また、ある家族は、4人全員がいっぺんに寿命が尽きる。彼らが住む近所一帯が火事になることが判って、その一家だけを別の場所に避難させたの。でもその火事と同じ日に、一家は食事にあたって全員死んでしまった。 ―― ほかにもたくさんの例があるわ。でも、このときの運命の巫女と神託の巫女は、けっきょくただの1人も助けることができなかったのよ」
 たとえ1つの危険を避けることができたとしても、そのほかの危険がちゃんと用意されていて、必ず死んでしまう。人の寿命はすでに決まっていて、それ以上生きることはできないの? この災厄で死んでしまう予定の人は、もう助けることができないの……?
「祈りの巫女。たとえ神殿に避難してもらっても、必ず助けられるとは限らない。助けられない可能性の方がはるかに大きい。むしろ、残り少ない寿命を無駄に過ごさせてしまうかもしれないわ」
「……無駄に?」
「ええ。死ぬまでの最後の数日間、その人たちは死の恐怖に怯えながら暮らさなければならないわ。自分の死期を知って平然としていられるほど強い人間なんて、世の中には数えるほどしかいないもの。どんなにその人の死を回避したいと願っても、それはかなえられない。すべて私の心の中にしまっておくしかないのよ」
 そうなんだ。神託の巫女は、自分の辛い気持ちを押し殺して、村人全員の命を心に背負っているんだ。
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真・祈りの巫女13
「今の私に見えているのは、なにか大きな力に押しつぶされたいくつかの家、混乱したざわめきと苦痛の叫び、人の血の匂いと物が焼ける煙の嫌な匂い、緊迫した空気と、人々の焦りや不安、そういうものだわ。張り詰めた空気に鳥肌が立つの。いつもなら未来はもっとはっきりと見えるのよ。例えば……そうね、何年か前に祈りの巫女が西の森の沼に落ちたわよね。それを予知した時には、私には祈りの巫女が沼に落ちるのがいつの出来事なのかも、そのあと狩人のリョウが助けにくることも判っていたし、会話の内容や祈りの巫女の心の動きすらも、見ようと思えば見えたのよ。もちろんそこまで個人的なことには触れてないけれど。……だから、運命の巫女の私にとって、未来がこれだけしか見えないのは尋常なことではないのよ」
 運命の巫女はことさらあたしに気を使って、あたしがすんなり理解できるたとえ話をしてくれたみたい。あたしが理解したという風に微笑むと、それ以上運命の巫女は話をしないで、神託の巫女が引き継いでいた。
「私に見えるのは人間ひとりひとりの寿命だけど、先代の神託の巫女が生きていた10年前までも、そのあと私が襲名してからも、若くして寿命が尽きる人の割合が増えつづけていたの。最初に疑問を持ったのが先代で、その人たちが亡くなる年齢を年代に換算してみたら1500年代初頭だったから、この偶然の一致に先代はとても驚いたそうよ。知っての通り今年は1501年で、実は去年からその時期に突入しているの。この事実に運命の巫女の予言を照らし合わせてちょうだい。おそらく今年、しかもそれほど遠くない未来に、運命の巫女が予言したような災厄が起こって村のたくさんの人が死ぬことになるのよ」
 運命の巫女は今回、詳しい未来は見えてないけど、神託の巫女がひとりひとりの寿命を予言しているから、村に大きな災厄が起こると結論付けたんだ。運命の巫女には決まっていない未来は見ることができない。だから、村に災厄が起こることは、もう決まってしまった未来なんだ。
 神託の巫女はいつ誰が死ぬのかを予言することができる。この人たちを救うことはできないの? 例えば、あらかじめどこかに避難させておくとか。
「神託の巫女、今年死ぬ人が誰なのか教えて。その人たちに神殿に避難してもらえばいいわ」
 あたしのそんな言葉を、神託の巫女はとっくに予想していたみたいだった。
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真・祈りの巫女12
「どうかしたの? 確か明後日の午前中は特別な予定は何もなかったわよね」
 そう、どちらにともなく言うと、運命の巫女は作ったような笑顔であたしに微笑んだ。
「ちょっと気になることがあるの。もうすぐ聖櫃の巫女と神託の巫女がくると思うから、その時一緒に話すわね」
 運命の巫女は村の未来を予言するから、村の未来に何か不安なものを見たのかもしれない。でも、運命の巫女がそう言って話を終わらせてしまったから、あたしはそれ以上何も訊けなかった。あたしは黙り込んでしまったけど、守護の巫女と運命の巫女は自分たちが結婚した時の思い出話なんかを始めてしまったの。その様子はさっきまでとぜんぜん変わらないくらい明るかったから、しだいにあたしも巻き込まれて笑顔になっていった。
 やがて聖櫃の巫女と神託の巫女が相次いでやってきて、ノーラがお茶を入れて宿舎を出て行ってから、恒例の会議が始まっていた。議長は守護の巫女で、だから最初に口を切ったのも守護の巫女だった。
「それじゃ、始めるわね。まずはいつものこの村の未来について。運命の巫女が見る未来が少し変化したわ。詳しいことは運命の巫女から直接話した方がいいわね」
 このところずっと、運命の巫女には未来がきちんと見えていなかった。あたしが2年前に初めてこの話を聞いたとき守護の巫女が言ってたの。運命の巫女に未来が見えないのは、未来がまだ決まってないからなんだって。そして、その未来はあたし、祈りの巫女が握っているんだ、って。視線を運命の巫女に移しながら、あたしは少しドキドキしてきていた。
「前から話していた通り、私にはずっとこの村の未来が見えなかったわ。でも、この間の会議のあとからだんだん少しずつ見え始めてきたの。まだここで詳しく話せるほどはっきりとは見えてないけれど、1つだけ言えることがある。……近いうちに何かの災厄がこの村を襲うわ。そして、たくさんの人が死ぬの」
 あたしは少し視線をずらして、正面にいた聖櫃の巫女を見遣った。聖櫃の巫女もあたしを見て、それからあたしの隣にいた神託の巫女を見たの。聖櫃の巫女につられてあたしも神託の巫女を振り返った。そうだ、2年前のあの時神託の巫女は、たくさんの人間が同じ時期に死を迎える予言をしていたんだ。
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真・祈りの巫女11
 守護の巫女と運命の巫女は年が近いせいか5人の中ではいちばん仲がいいの。確かほんのちょっとだけ守護の巫女が年上で、子供も2人ずついて、それだけ見るとよく似てそうだけど印象がぜんぜん違うんだ。守護の巫女は女性にしてはすごく背が高くて、平均的な男性と同じくらいあって堂々としてる。でも運命の巫女は、割に小柄なあたしよりも更に小さくて、普通にしてると判らないけどちょっとだけ片足を引きずるような感じで歩くの。そんな2人はふだんでも仲がよくて、たまにあたしが守護の巫女に用事があって宿舎を訪れると、2人でお茶を飲みながら世間話をしてたりする。居間にはもう1人守護の巫女の世話係をしているノーラがいて、すぐにテーブルにお茶を入れてくれたから、あたしも自分の席に座った。
「ありがとう、ノーラ」
「祈りの巫女、そろそろ結婚式も近いわよね。神殿にまだ予約が入ってないようだけどちゃんと進んでるの?」
 あたし、会議の時によくリョウとのことも話していたから、守護の巫女も運命の巫女もあたしが秋に結婚するって知ってるんだ。この前の会議の時は何も答えられなかったから、みんなを心配させちゃってたけど、そう守護の巫女に訊かれてあたしは思わず笑みがこぼれた。
「明日リョウがあたしの両親に正式に話をしてくれることになったの。あたしにも立ち会って欲しいって、昨日リョウが話してくれたわ」
「そう、それはよかったわね。おめでとう、祈りの巫女」
「おめでとう。リョウがその試練を乗り越えたらもうすぐね。安心したわ」
 2人ともそう言ってあたしを祝福してくれる。あたしも笑顔でお礼を言ったけど、運命の巫女が言った試練て言葉はちょっとだけ引っかかった。まあでも、2人ともあたしの父さまが優しいってことを知らないから、そのまま聞き流すことにしたの。
「それじゃ、祈りの巫女は明日は実家に泊まりるのね。明後日は帰ってくるのでしょう?」
「ええ、一応そのつもりだけど。……何かあるの?」
 運命の巫女と守護の巫女はちょっとだけ顔を見合わせて表情を曇らせた。その2人の視線が何かを隠しているように見えて、あたしは知らずに身構えてしまっていた。
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