2003年08月の記事


真・祈りの巫女236
 リョウがあまりにあっさりとした口調でそう言ったから、タキは一瞬反論の言葉を見失ってしまったみたいだった。あたしも、リョウに言われた言葉を理解するのにちょっと時間がかかってしまったの。だって、リョウがこんなに簡単にあたしの意見を受け入れてくれるとは思ってなかったから。
 きっと、以前のリョウならこんなとき「オレに任せておけばいいよ」って言ってくれてた。「ユーナに危険なことはさせたくない」って。でも、あたしは心の中でずっと思ってたんだ。リョウが背負っているものを、あたしも一緒に背負っていきたい、って。
「タキ、お願い。あたしが村で祈りを捧げられるように一緒に考えて。あたしだってみんなに迷惑をかけたいなんて思ってないの。だから、どの場所で祈るのが1番危険が少なくて、リョウやみんなに迷惑をかけずにいられるのか、タキに知恵を貸して欲しいの」
 タキはまだ混乱から抜け出していないようで、心を落ち着けようとしたのか、1つ溜息を吐いた。
「つまり、君は今までの祈りの方法に不満があるんだね。そう思っていいのかな?」
 あたしは、タキの言葉の真意を掴みかねて、少し怯んでしまっていた。
「そう……だと思う。今まで気づかなかったけど、今そうだったんだってことに気づいた。……ううん、ちょっと違うかな。リョウが影の名前を知ってるかもしれないことが判って、欲が出てきたの。新しい祈りの方法を試してみたくなったの」
「それで、名前の伝達がより速く行える村で祈りたいってことになったのか。ということは、問題は距離だけなんだね」
「距離と、あと今思ったんだけど、あたしはまだ実際に影が暴れる姿を見ていない。だから1度その姿も見てみたいわ。村を広く見渡せる場所を探したいの」
 タキはまた少し沈黙した。あたしはそんなタキが再び口を開くまで、辛抱強く待っていた。
「……それは、なかなか困った注文だね。祈りの巫女、君から影の姿が見えるってことは、影からも君の姿が見えるってことだ。君の姿を見た影が全力で君を追いかけたら、動作の早い影の動きには誰もついていけない。君だって逃げ切れるとは思えない」
「だから獣鬼の足を止めるんだろ? 獣鬼は近くにいるものにしか攻撃できないんだ。足さえ止まれば俺が獣鬼を殺せる」
 再びリョウが口を挟んだから、あたしにはわずかながら光明が見えた気がしたんだ。
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真・祈りの巫女235
 リョウの言葉は、あたしの意見に対する否定じゃなかった。それに勇気付けられてあたしはさらに続けたの。
「神様にとっては祈りの場所はどこでもいいのよ。いつも神殿で祈るのは、神殿があたしにとって祈りやすい場所だからなの。最低の条件として、ろうそくの炎が消えないことと、あたしが祈りに集中できること。それさえそろってれば問題ないわ」
「だったら風除けの板でも立てればいい ―― 」
「ちょっと待ってくれよ!」
 リョウの言葉をさえぎる形で、タキが話に割り込んでくる。
「2人で勝手に話を進めるな! リョウ、君は簡単に言うけど、祈りの巫女は影に狙われてるんだ。そんなに簡単に村へ降りるなんてできる訳ないじゃないか。判ってるのか? そんなことをして万が一祈りの巫女になにかあったら、それだけで村の存亡は危うくなるんだ。祈りの巫女、君にだって判ってるはずだ。もっと自分の安全を考えてくれよ!」
 あたしはタキの勢いに押されて、とっさに何か言うことができなくなっていた。少しの沈黙があって、言葉を発したのはリョウだった。
「何を熱くなってる。……おまえらしくないんじゃないのか?」
 リョウは、たぶん当てずっぽうでそう言ったんだと思うんだけど、タキはふだん冷静な自分を思い出したのか少し落ち着きを取り戻していた。
「祈りの巫女、オレは村の神官として、有事の際に巫女が神殿を離れるのに賛成することはできないよ。今でも村の中では神殿が1番安全な場所なのは変わってないんだ。祈りの巫女が狙われているのが判ってる以上、君を村へ降りさせることはできない」
「どうしてそう、頭ごなしに反対する。こいつだってそんなことくらい判ってるだろう。反対されるのが判っててそう言ってるんだ。少しは話を聞いてやれよ」
「リョウ、君は心配じゃないのか? 祈りの巫女が影に殺されてもいいって言うのか?」
「そんなことは言ってねえ。ただ、村を守るためにはそれが最善だって思うなら、その意見も尊重するべきだって言ってるだけだ。……俺は別にかまわねえよ。こいつが俺の傍で祈るって言うなら、俺が獣鬼からこいつを守ってやる」
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真・祈りの巫女234
 守りの長老にも同じ話をしたからなのかもしれない。あたしに話したときよりもずいぶん要領よく、リョウはタキに説明していた。
「 ―― 死んでいる間に俺がいたところでは、おまえたちが影と呼ぶあいつは獣鬼と呼ばれていて、人間の仕事を手伝ってた。草原にいるのは獣鬼の中のブルドーザってヤツだ。獣鬼は鍵を抜くことで永久に動けなくなる。……これがそうだ」
「……これが獣鬼の鍵? 本当にこれを抜くだけでいいのか? それで影は動けなくなるのか?」
「ああ。だからこれの抜き方を狩人に教えれば、それ以上村が破壊されるのを防ぐことができる。ただ、これは獣鬼の身体の中……言ってみれば甲羅の下にある。獣鬼の動きはかなり素早いからな、実際はそう簡単にはいかないはずだ。まずは狩人たちに鍵の抜き方を教えて、作戦を立ててもらわなけりゃならねえ。俺が急ぐのはそのためだ」
「影の動きを止めるのか。……今、西の森の出口には大きな穴が掘られてる。それだけでもかなり足止めには有効なはずだけど、ほかにも足を止める方法を考えなければならないかもしれないな。確かに、今日のうちに話しておいた方がいいよ。今ならまだ別の方法も実行に移せる」
 タキはあたしよりもずっと順応性が高いみたい。リョウの言わんとしていることがすぐに理解できたみたいで、もう自分の考えに没頭しちゃってる。リョウもそれには驚いたみたい。少しの間タキの様子を見ていたけど、やがて無駄だと判ったようで、あたしの方を振り返ったの。
「おまえは? 俺たちに話があったんじゃないのか?」
 あたし、リョウに無視されてたんじゃないんだ。それが嬉しくて、自然に笑顔になっていた。
「あたしね、さっき祈りながら考えてたの。リョウはブルドーザの名前を教えてくれたけど、2日後にはまた別の獣鬼がくるかもしれないわ。もしもそれをすぐに伝えてもらえたら、祈りに役立てることができるの。だからあたし、できればリョウの近くで祈りたい。リョウが獣鬼の姿を見て、その名前をすぐにあたしに伝えることができるところ。獣鬼がきているときにあたしも村に降りたいの」
 そのあたしの言葉に、タキも顔を上げてあたしを見た。でも言葉を発したのはリョウの方が早かった。
「神殿でなくてもいいのか? おまえの祈りは、神殿以外の場所でも神に届けることができるのか?」
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真・祈りの巫女233
 祈りの道具をカーヤに手渡して、リョウとタキと一緒に村へ行くことを簡単に告げたあと、再び宿舎を飛び出した。2人は約束どおりその場を少しも動かないで待っててくれる。あたしが追いつくと、タキは片手を上げて微笑んでくれたけど、リョウはくるっと背を向けて歩き始めてしまったの。
「お待たせ。ところでどこへ行くの?」
「村の狩人の家だよ。リョウがね、どうしても日が落ちる前に狩人を集めたいって言って。詳しいことはこれから聞くところ」
「ふうん。それじゃ、守りの長老との話し合いがうまくいったのね。そうなんでしょう、リョウ?」
「……ああ」
 リョウはあたしの方を見もしないで、ぶっきらぼうにそう答えただけだった。……どうしたんだろう。さっきまではもうちょっと打ち解けてくれてたはずなのに。あたしが一緒に来たのが気に入らなかったのかな。
 そう思って、それきり話せなくなってしまうと、リョウはタキの方を向いて話し始めた。
「村の狩人は何人くらいいるんだ?」
「20人くらいかな。正確には数えたことがないけど、でも住んでるところはだいたい判るよ。ぜんぶの家を回るつもり?」
「ほかに何か連絡する手段はあるのか?」
「そうだね。……狩人は獲物があれば、家に帰る前になじみの店に獲物を納品する。そこを押さえておけばかなりつかまるはずだけど」
「だったらそこを先に押さえる。あとは地道に村を回るしかないだろう」
「そろそろ聞かせてくれよ、リョウ。いったいどうして狩人を集めるんだ? 守りの長老と何を話したんだ?」
 タキの問いに、ひとまずリョウはたった一言で答えた。
「影の殺し方を教える」
「……影の殺し方? ……どうしてそれを? 自分が死んだときの記憶がよみがえったのか?」
 リョウは首を横に振って、あたしに話したのと同じことをタキに話し始めたの。
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真・祈りの巫女232
 現実的な不安はたくさんある。1番大きな不安はやっぱり、あたしが村に降りることを守護の巫女が許してくれるかどうかだった。それを許してもらうには、あたしが村に降りることのメリットを十分守護の巫女に伝えることができなければならない。あたし1人だけではきっと言い負けてしまうから、まずはタキを味方につけることから始めなきゃならなかった。
 タキと、それからリョウ。だって、リョウの協力がなかったら、あたしが村に降りたとしてもあまり意味がないんだもん。まだ頭の中を完全に整理できた訳じゃなかったけど、とにかく2人に話をしなくちゃって、あたしは神殿を飛び出したんだ。
 もう1つ不安に思うこと。あたしは本当に、祈りを神様に届けることができるんだろうか。守りの長老は、あたしの祈りはちゃんと神様に届いてるんだって、そう言ってくれた。でも、あたしが村で祈っているその時に、あたしの祈りを聞き届けてくれるかどうか、それは神様にしか判らないことなんだ。
 急ぎ足で宿舎へ近づくと、あたしの目に宿舎から遠ざかっていく2人の姿が飛び込んできたの。あたしはあわててあとを追いかけた。2人は村へ降りる道の方へ行こうとしていたんだ。
「リョウ! タキ!」
 あたしの呼び声にほぼ同時に振り返った2人は、足を止めてあたしが追いつくのを待っていてくれた。
「ねえ、どこへ行くの? あたし2人に話があるの」
 答えてくれたのはタキだった。
「んまあ、いわゆる散歩の続きだよ。祈りの巫女は? もう祈りは終わったの?」
「今終わったところよ。ねえ、あたしも一緒に行く。道具を置いてくるから少しだけ待ってて!」
 タキがリョウを振り返ると、リョウは1つうなずいたから、タキも笑顔で許可してくれる。
「判った。ここで待ってるから。あわてないでゆっくり行っておいで」
「ぜったいよ。先に行っちゃダメよ」
 念を押して、あたしは祈りの道具を置くために、宿舎に駆けていったの。
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真・祈りの巫女231
 カーヤとは少しの間、巫女宿舎の噂話で盛り上がって、なんだかんだと茶々を入れながらタキも横でずっと聞いていた。そのあと、あたしは再び宿舎を出て、神殿へ祈りに行ったの。タキはそのままリョウの帰りを待つつもりみたいだったから、扉を出るときにあたしはカーヤに目配せした。カーヤにはその意味が判ったみたいで、ちょっと怒った風にあたしを宿舎から追い出したんだ。
 神殿で、あたしはリョウに教えてもらった影の名前を繰り返した。獣鬼という名前と、獣鬼の仲間の1つであるブルドーザという名前。この2つを何度も繰り返して、2度と村へこないようにと祈ったの。これだけでは1度決まってしまった未来は覆せないかもしれない。それでも、あたしはリョウが神様の国から得てきた情報を無駄にしたくなくて、その必死の想いを祈りの力に変えようとしていたんだ。
 ひと通りの祈りを終えたあと、あたしは神殿に座り込んだまま、少し考えていた。
 未来を祈ることは、未来を根底から変える可能性もあるけど、祈りそのものが漠然としたものになるから効果はあまり強く現われない。
 もちろんあたしは今回も獣鬼が村に来る時刻に祈りを捧げるつもりだけど、意識を拡散して気配だけを感じている状態だと、果たしてそれがリョウに教えてもらった名前の獣鬼なのかどうかは判らないんだ。
 獣鬼という名前だけでも祈りの効果はあると思う。だけど、それよりはずっと獣鬼の種類を祈った方がいいんだ。あたしが神殿で祈っていたとしても、その瞬間に獣鬼の名前を知ることはできない。それなら、あたしはリョウのそばにいて、その場でリョウに名前を教えてもらって祈った方が、ずっと祈りの効果は高くなるんだ。
  ―― 影があたしを狙ってることは判ってる。村に降りたりしたら、あたしはすぐに影の標的になって、祈りなんか捧げる間もなく影に殺されちゃうかもしれない。
 だけど、あたしが村に降りなかったら、影との戦いはずっといたちごっこのままなんだ。2日後に襲ってきた獣鬼の名前をすべてリョウが教えてくれたとしても、その次の襲撃に同じ名前の獣鬼はやってこないかもしれない。せっかくリョウが名前を教えてくれたのに、あたしはそれを生かすことができないんだ。
 誰が反対しても、あたしは村に降りなきゃならない。リョウと一緒に村に降りて、リョウに獣鬼の名前を教えてもらって、リョウと一緒に戦う。あたしは祈りの力でリョウと一緒に戦うんだ。
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真・祈りの巫女230
 以前のリョウは、あたしに嘘をつかなかった? ううん、リョウだって嘘をついたことくらいあるよ。大切なことをあたしに打ち明けてくれなかったことも。
 落ち着かなきゃ。こんな小さなことでいちいちリョウを疑っててもしょうがないよ。嘘をつかない人間なんていないもん。リョウのことを信じようって、さっき決心したばかりなんだから。
「村のことはほとんど思い出してないわ。でも、カーヤのことはどこかで見たことがある気がするって言ってた」
 ずいぶん長い時間沈黙してしまったけど、あたしがそう答えたことで、2人ともほっとしたようだった。
「それは光栄だわね。……でも、それならどうして長老に会いに行ったのかしら」
「たぶん村に受け入れてもらったお礼を言いたかったのもあると思う。あたしが席を外す前にリョウが長老にそう言ってたから」
 あたしの言葉は歯切れが悪かったから、その場の雰囲気が少し重くなっていた。あたしはごまかすつもりはなかったんだけど、そんな空気を追い払いたくて話題を変えたの。
「そういえば神殿で運命の巫女とセトに会ったの。あたしちょっとびっくりしちゃって」
「どうして? なにもおかしくないと思うわ。神殿に運命の巫女がいても不思議はないし、セトは運命の巫女の担当なんでしょう?」
 カーヤが明るい声で乗ってきてくれたから、あたしは助けられたような気がした。
「そうなんだけどね。運命の巫女も疲れてたし、たぶんそのせいで気が立ってたんだと思うけど、いきなりセトと口げんかを始めちゃったの。……ねえ、あの2人、昔なにかあったのかな」
 あたしが興味津々、身体を乗り出すと、カーヤとタキは再び顔を見合わせて、やがて思いついたようにカーヤが言った。
「そういえばユーナは見習いのときから修行で忙しかったものね。巫女の噂話なんか知らなくても当たり前だわ。……あのね、ユーナ。運命の巫女がまだ独身だったころ、セトは運命の巫女に告白したのよ。でも、彼女には幼馴染の恋人がいたの」
「それで? セトはふられちゃったの?」
「そ。だからそれきりセトは運命の巫女に頭が上がらないのよ。……今はセトも幸せだし、2人にとってはいい思い出なんじゃないかな」
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真・祈りの巫女229
 偶然通りかかっただけなのに、なんともいえないような光景を目にして、あたしは毒気を抜かれてしまったみたい。2人の姿が宿舎の影に消えるまでは歩き出すことも思いつかなかった。運命の巫女もセトも、それぞれ結婚していて子供もいて、ごく普通の幸せな家庭を築いてる。だから今までは2人がどういう過去を持ってるかなんて考えもしなかったんだ。人には歴史があるんだな、なんて、改めて感心してみたりしたの。
 そういえば巫女と神官の夫婦ってあまりいないんだ。カーヤがタキのことを恋人として考えられないのも同じ理由なのかな。そんなことを思いながら自分の宿舎へ戻った。ノックをして、カーヤの声を聞いてドアを開けると、食卓にタキがいてあたしを驚かせたの。
「やあ、お帰り祈りの巫女。……リョウは一緒じゃないのかい?」
「……ええ。リョウが守りの長老に会いたいって、今長老宿舎で話をしていて……。タキは? どうしてここに?」
「さっき下へ行ったら、ミイからリョウと祈りの巫女が散歩に出かけたことを聞いてね。一応ここにも寄ってみたんだ」
 そういえば、タキは午後になったらまたリョウの家へ行くって言ってたんだっけ。
「無駄足させちゃったのね。ごめんなさい」
「構わないよ。それより、リョウが守りの長老に会いに行ったってことは、少しは何か思い出したのかな。祈りの巫女は聞いてる?」
 タキはおそらく、純粋にリョウのことを聞きたかっただけなんだと思う。でも、あたしは言葉に詰まってしまったの。なぜなら、さっきリョウが守りの長老と話していた言葉を思い出したから。
 あたしにはほとんど理解できなかった会話。でも、あたしにも判ったことがあるの。それは、リョウが以前から「右の騎士」という言葉を知っていたこと。その事実と、ほとんど忘れかけていた川でのちょっとした出来事が一致したんだ。
 川で、あたしはリョウが言った言葉が「右の騎士」って聞こえたから、それをリョウに問いただした。そのときリョウは「聞いたことがない言葉だ」って言ったんだ。リョウはあの時、あたしに嘘を言ってたんだ。
 あたしが黙り込んでしまったから、タキとカーヤは顔を見合わせていた。でもあたしは、リョウがあたしに対して嘘をついたことで、頭の中がいっぱいになってしまったの。
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真・祈りの巫女228
 あたしがきつい口調でたしなめたことに、運命の巫女は少しだけ驚いたようだった。でも、言葉にしたのは別のことだった。
「祈りの巫女、リョウはどうしているの?」
 とつぜん話題が変わったから、あたしは少しだけ答えるのが遅れてしまった。
「リョウなら今、長老宿舎にいるわ。守りの長老と2人だけで話をしているの」
「右の騎士が動き出したのね。だったら未来も変化したかもしれないわ。こうしてはいられない ―― 」
「運命の巫女!」
 間違っても機敏とはいえない動作でセトを押しのけようとうごめいた運命の巫女に、そう叫んだのはセトだった。そのままセトは、あたしが驚くのもかまわず、運命の巫女をひょいと抱き上げたんだ。
「冗談じゃない。歩けなくなるほど疲れてるのに、これ以上ここに置いておけるか。祈りの巫女、運命の巫女はオレが責任を持って休ませるから心配しないで。悪いけど扉を開けてくれる?」
「え、ええ」
「ちょっと、放しなさいセト! あなた神官でしょう? 運命の巫女の言うことが聞けないの!」
 運命の巫女を抱いて歩き始めたセトの先回りをして、あたしは神殿の扉を開けた。そんなセトに運命の巫女がいきなり罵声を浴びせ始めたから、あたしはずいぶん驚いてしまったの。だって、あたしが知ってる運命の巫女って、どんな時でも冷静な大人の女性だったから。
「立ち上がることもできないくせに何を言ってるんだ。巫女の健康管理も神官の責任なんだよ。……もっと早くこうしておけばよかった」
「時間がないのよ! 私がこの先どれだけ詳しく未来を見られるかで村の被害がぜんぜん違うんだから!」
「あと2日ある。とにかく今日と明日は休むんだ。もう宿舎から1歩も外に出すつもりはないからな」
「なによ! 私が結婚するって言ったとき、あなた泣いたじゃない。何でも言うこと聞くから、って。忘れたなんて言わせないわよ!」
「な……! いきなりなにを言い出すんだ! 祈りの巫女が驚いてるじゃないか。……こら、暴れたら落っことすぞ ―― 」
 そうして、言い争いながら石段を降りていく2人のうしろ姿を、あたしは半ば呆然と見送っていた。
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真・祈りの巫女227
 リョウの話が終わるまで宿舎で待つことにして、長老の世話係の神官にあたしの居場所を言伝した。それでもまだ少し名残惜しくて、ゆっくりとした歩調で宿舎へ向かっていると、神殿への石段の上にセトの姿を見つけたの。ここにセトがいるってことは、神殿の中には運命の巫女がいるってことよね。あたしは、リョウを待っている間に祈りを捧げるのもいいなと思いながら、その石段を上がっていった。
「こんにちわ、セト」
 声をかけると、セトは少し悲しげに見える表情で微笑した。
「こんにちわ、祈りの巫女。君も祈りにきたのかい?」
「今は違うわ。……中には運命の巫女が?」
「ああ。今日だけで3度目な上に、入ったきりしばらく出てこない。そろそろ様子を見てみようと思ってたところだよ」
 運命の巫女は、ずっと未来を見ていてかなり疲れていたはずだった。もしかして中で倒れてるかもしれない。そう思って、セトと2人でできるだけ音を立てないように扉を開けると、神殿の中央に両手をついたままの運命の巫女を見つけたんだ。
「運命の巫女!」
 セトが叫んで駆けていくうしろからついて、あたしも駆け寄った。運命の巫女は、さすがに気を失ってはいなかったけれど、自分ひとりでは立ち上がれないほど疲れきっていたの。セトが抱き寄せると、あたしの顔を見てちょっと驚いたようだった。
「ありがとうセト。……祈りの巫女、祈りの邪魔をしてごめんなさいね。すぐに出て行くわ」
「あたしのことは気にしないで。それより、こんなになるまで身体を痛めつけちゃいけないわ。次に影が村を襲うまでまだ2日もあるのよ」
「……見えないのよ、祈りの巫女。もっと詳しく見たいのに、あれからぜんぜん未来が見えない ―― 」
「そんなに疲れてたら見えるものも見えないよ! お願い、約束して。今日と明日はもう神殿に来ない、って」
 あたし、心配だった。運命の巫女はすっかり容貌が変わってしまっていて、このまま死んでしまっても少しもおかしくないような顔色をしていたから。村の未来を少しでも見たいって、その気持ちはあたしには判るの。だけど、それでもしも運命の巫女が命を縮めてしまったら、村にとってはとてつもない損失になるんだもん。
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真・祈りの巫女226
 川の水でのどを潤したあと、あたしとリョウは再び神殿へと戻ってきていた。リョウがすぐにでも守りの長老に会いたいと言ったから、あたしはリョウを守りの長老宿舎まで案内していったの。長老の世話係をしている神官に用向きを伝えて待つと、ややあって宿舎の中へと案内された。守りの長老はいつもの会議用テーブルに腰掛けていて、あたしとリョウに隣へ座るよう促したんだ。
「……リョウか」
「ああ。あんたが守りの長老か」
「いかにも」
「まずは、俺をこの村へ受け入れてくれたことに感謝する。俺は村がこんな状態のときに突然やってきた珍客だ。本当だったら疑われて閉じ込められても当然だった」
「そんなことはせぬ。そなたは、祈りの巫女が祈りによって呼び出した救い主、右の騎士じゃからな」
 あたしは長老の言葉に驚いてリョウを振り返った。でも、リョウは驚いた風にすら見えなかったの。
「……やっぱりな。右の騎士というのはこの村の言葉だったんだ」
「右の騎士は祈りの巫女や命の巫女とともに生まれ、その補佐をする宿命を負う。右の騎士リョウよ、そなたには右の力があろう」
「ああ。ローダとかいうババアに力を授かった。最初は何のことだか判らなかったけどな。でもここへきて判ったよ。俺が巻き込まれた出来事の根本はこの村だ。……俺は、この村に辿り着くために旅を続けてきた。この村の災厄を退けるためだ」
 あたしには、この2人の会話が意味しているものが判らなかった。守りの長老が言う右の騎士の力についても、リョウが巻き込まれたという出来事についても。
 リョウはいったい何を知っているの? 守りの長老は ――
「祈りの巫女ユーナよ、この者と2人で話をさせてもらえぬか」
 長老がそう言って、あたしに退席を促した。あたしは戸惑ったけど、リョウは何も言ってくれなかった。
 これ以上聞いていてもあたしには判らないからだろうって、無理やり自分を納得させて、あたしは長老の宿舎を出た。
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真・祈りの巫女225
 リョウはあたしをパートナーとして認めてくれたんだ。だからあたしも認めようと思ったの。リョウが獣鬼と戦って死ぬかもしれないなんて、そんなこともう考えない。リョウを信じるんだ。リョウは獣鬼に負けずに生き残って、村が平和になったときには、あたしと結婚してくれるんだって。
「リョウ、もしも知ってるなら教えて。あたしの祈りにはね、祈る対象の名前がすごく重要なの。さっきリョウはあの影が獣鬼だって教えてくれたけど、それは本当の名前なの? あの影は獣鬼という名前なの?」
 リョウは少しの間考えていた。あたしはリョウが死んでいる間にいた世界のことを知らないから、あたしにも判るように言葉を選んでくれているみたい。
「『獣鬼』という言葉は、いってみれば『動物』という言葉と同じような意味だ。この村ではカザムもリグもルギドもぜんぶまとめて動物と呼ぶだろう? 獣鬼はそういう意味だから、厳密に言えば名前じゃない」
「そういえば村を襲ってる影はいろいろな姿をしてたって聞いたわ。今、草原で死んでいる獣鬼はなんて名前なの?」
「あれはブルドーザだ」
「ブルドーザ……?」
 あたしは口の中でつぶやいて、その不吉な響きにぶるっと身体を震わせた。
「それが、あの獣鬼の本当の名前なのね」
「カザムというのと同じ意味の名前だ。俺にはそれより詳しい名前は判らない。おまえの祈りにはもっと詳しい名前が必要なのか?」
「ううん、それだけ判れば十分よ。村に現れた違う姿をした獣鬼にはまた別の名前があるのね」
「たぶんな。俺が見れば判るかもしれないけど、もしかしたら判らないかもしれない。俺は1度も獣鬼を操ったことがなかったんだ。……もっといろいろやっておくんだったな」
 最後の方は独り言のようで、あたしはそれほど気に留めなかった。リョウが教えてくれたブルドーザという名前を頭の中で繰り返して覚えていたの。だからあたしはまだ、死んでいた間にリョウがいたところやその生活について、あまり興味を持たなかったんだ。
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真・祈りの巫女224
 リョウの腕も、リョウの匂いも、ぜんぜん前と変わってない。比べちゃいけないって判ってたけど、でも同じだってことが確認できて、あたしはすごく安心できたんだ。そのくらいのことはきっとリョウも許してくれるよね。ずっと変わらないリョウの腕の中は心地よくて、夏の盛りでちょっと汗ばんでもいたけど、でもずっとここにいたいって思ったの。
 やがてリョウは腕の力を抜いて、あたしの顔を覗き込むとそっと髪をなでてくれたんだ。
「おまえ……俺でいいんだな」
 あたしがうなずくと、リョウは頬にキスをくれた。どちらかというとあたしの方が信じられない気がするの。リョウは本当にあたしでいいの? 記憶を失って、顔も覚えていない女の子がいきなり婚約者として目の前に現われたのに、あたしのことを選んでくれるの?
「リョウは……? まだあたしのことは思い出せないんでしょう? それでもいいの?」
 あたしの言葉に、リョウはほんの少しだけ目を見開いて、それからちょっと視線をそらしたの。まるでなにか後ろめたいことでもあるみたいに。ほんの一瞬、不穏な空気が流れかけたけど、すぐにリョウが笑顔を見せてくれたからその雰囲気は一瞬で去ってしまっていた。
「……正直言って、今の自分がどう思ってるのか、俺にはよく判らねえ。だけど、おまえのことは守ってやりたいと思ってる。……独りで戦うことはねえよ。頼りたければ頼ればいい。俺が一緒に戦ってやる」
「……一緒に……? あたしはリョウに頼ってもいいの?」
「さっきも言っただろ? 俺がここに来たのは、おまえと一緒に戦うためだ。あの獣鬼に会って判った。おまえのその、村を守りたいって気持ち、それを俺に預けろ。俺が必ず勝たせてやる。この村を、元の平和な村に戻してやる」
 リョウの答えは、あたしが期待してたものとは少し違ってたけど、でもあたしは嬉しかった。
 あたしは独りじゃない。村のみんながあたしと一緒に戦ってくれていることは判ってたけど、でも、あたしはリョウの言葉が1番嬉しかったの。だって、あたしにはリョウが1番なんだもん。そのリョウが、あたしの隣であたしと一緒に戦ってくれると言ってくれたんだもん。
 リョウにとっては、あたしは出会ったばかりの他人。だけど、これから先ずっと一緒にいたら、いつかあたしはリョウにとって1番大切な人になれるよね。そう思ってていいんだよね。
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真・祈りの巫女223
 言葉を切ったあとのリョウは、とてもつらそうな目をしてあたしを見つめていた。だからあたしにも判ったの。リョウがずっとそう言わずにいたのが、少なくとも半分はあたしのためを思ってのことなんだ、って。
 リョウの記憶はもう戻らない。それはきっと真実で、でもあたしは認めたくなんかなかったんだ。信じていればいつかは昔のリョウに会える。小さな頃からあたしを大切にしてくれたあのリョウに。
 リョウの記憶は、あのリョウと一緒に死んでしまった ――
「……リョウは、思い出したくないの? それは以前の自分には戻りたくないってこと?」
 どう答えるべきか、少しだけ迷ったように、リョウは視線を外した。
「そんなことを思ってる訳じゃない。ほんとに記憶が戻るならそれでもいいさ。だけど、俺はおまえに過大な期待は持って欲しくない」
 それって、どういう……
「いいじゃねえかよ。俺はここにいる。それで納得しろよ。……いつまでも死んだ俺の面影を探すな」
 ……もしかしてリョウ、昔の自分に嫉妬してるの……?
 視線をそらして、幾分顔を赤らめているリョウを見て、あたしは驚いたと同時にすごくリョウを愛しく思ったの。生き返ってからのリョウは今まであたしに言葉をくれなかった。キスしてくれたから、それで自分が好かれてるのかもしれないとは思ってたけど、こんな風に気持ちを表現してくれたのは初めてだったから。すごく嬉しくて、でもちょっとだけ反省したの。あたしは今までずっと、過去のリョウと今のリョウとを比較し続けてきて、それが全部リョウに伝わっていたことが判ったから。
 大丈夫。記憶があってもなくても、あたしはリョウを愛せるよ。だって、こんなにかわいくて愛しい人、ほかにいないもん。
「リョウ、大好き……」
 リョウが愛しくて、あたしは横を向いたリョウの首に抱きついた。リョウはちょっと驚いたように身体を震わせたけど、やがて腕を伸ばしてあたしをしっかりと抱きしめてくれたの。
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真・祈りの巫女222
「俺がいたところでは、獣鬼……とその仲間のようなものは、人間と共存して、人間の役に立ってた。人間よりも強い力を持ってるから、人間にはできないことをして、人間の生活をより良いものにしていた。町を歩いていればよく見かけることがあったし、人間の中には獣鬼を手足のように使うことができるやつもいた。基本的には獣鬼は人間の味方なんだ」
 リョウは言葉を選びながら、できるだけあたしが判りやすいように説明してくれてるみたい。でも、あたしには想像すらできないよ。あの恐ろしい獣鬼がいつも村にいて、村の人の役に立ってる姿なんて。
「その獣鬼がどうして人間を襲うの? だって、獣鬼は人間の味方なんでしょう?」
「それは俺にも判らない。だけど、本来獣鬼は人間が動かそうと思わなければ動かないものなんだ。だから誰か獣鬼を操ってる奴がいるはずだ」
 リョウの言葉であたしが思い出したのは、祈りの最中に感じた邪悪な気配と、その言葉だった。
「獣鬼が来ていたとき、あたし聞いたわ。「祈りの巫女を殺せ」って言ってる声。それじゃ、獣鬼を操ってる人が別にいるのね。獣鬼は自分の意思で村を襲ってるんじゃないんだ」
「獣鬼に意思はない。だから獣鬼がひとりでに動き出したんだとしたら、それを操ってる奴をどうにかしない限り、村はまた襲われることになる。……俺は早くそいつをどうにかしたい。だから獣鬼が村を襲ったその現場にいたいんだ」
  ―― あたし、怖かった。リョウは再び死んでしまうかもしれない。今度こそ永久に、あたしの隣からいなくなってしまうかもしれない。
 でも、リョウはすごく真剣に、災厄から村を守ろうとしてくれているんだ。それはリョウが村の狩人だから? それとも、守護の巫女がリョウを救世主と呼んだからなの?
 だって、リョウには村の記憶がないんだもん。村の記憶がないのに、どうしてこんなに村のことを考えられるの?
「リョウ、リョウはどうしてこんなに一生懸命なの? あたしは村のことより、今はリョウの記憶が戻ることを考えて欲しいよ」
「突然の運命に踊らされてるのはおまえや村人だけじゃねえんだ。俺自身も訳の判らないことでいいかげん焦れてる。ここへ来てようやくどうすればいいのかが判ったんだ。 ―― それに、俺の記憶は戻らない。たぶん一生」
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真・祈りの巫女221
 リョウが手のひらに乗せて差し出したそれは、金属でできた小さなものだった。あたしは一度も見たことがない。しいて言えば、何かの鍵のようなものに見えた。
「これ……なに……?」
「獣鬼の鍵だ。……言ってみれば、獣鬼の魂のようなものだ。これを抜けばあいつは2度と動かない」
 手を差し伸べかけていたあたしは、それが獣鬼の魂だと聞いて、思わず手を引っ込めてしまっていた。だって、それに触ったら何か悪いことが起きそうな気がしたんだもん。でも、リョウはぜんぜん気にならないみたいで、手のひらの上で鍵をもてあそび始めた。
「さっき俺はこいつを抜いてきたんだ。これがついたままだと、たとえ死んだように見えてもいつ動き始めるか判らない。事実、さっき獣鬼が少し動いただろう? これが抜いてあれば、また誰かがこれを挿さない限り、獣鬼は動けない。つまり完全に死ぬんだ」
 言葉の途中から、あたしは顔を上げてリョウを見つめていた。記憶がないはずのリョウ。でもリョウは、あたしたちが誰も知らない獣鬼の倒し方を知っているんだ。それはリョウが本当に村の救世主だからなのかもしれない。でも、リョウはどうしてそれを知ったの? 死んでから生き返るまでのたった1日。その短い時間に、リョウにいったいなにが起こったというの?
「この鍵の抜き方を、村の狩人に教えてやりたいんだ。だから守りの長老に会いたい」
 それを訊いてしまうのは怖かった。だから、恐る恐る、あたしはリョウに訊いたんだ。
「リョウ、リョウはどうしてそれを知ってるの? リョウが死んでから生き返るまでの間、リョウはどうしていたの? 神様の世界にいたの?」
 リョウはあたしを見つめて、ちょっと言葉に迷ったように見えた。
「……どこから話していいのか判らない。おまえは俺が死んでたのは丸1日だけだって言ったけど、俺にとってはもっと長い時間だったんだ。死んでる間に俺がいた場所がどういうところなのか、今のおまえに説明しても判らないと思う。だけどその場所は俺にとっては世界のすべてだった。……今、この村がおまえの世界のすべてだっていうのと同じように」
 リョウの言葉の意味ははっきりとは判らなかったけど、それがとても大切なことなんだってことだけは判った。
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真・祈りの巫女220
 今のリョウには何を言うべきなのか、あたしには判らない。でも、リョウが未来を不安に思ってるってことは、少なくともあたしを好きでいてくれてるってことだよね。それだけはあたし、信じていいよね。
 会話が途切れてしまったからだろう、リョウは再びあたしに背を向けて、ゆっくりと歩き出していた。リョウとの間に壁を感じてしまったから、あたしもそれ以上は何も言えなくなって、黙ったままリョウのあとをついていく。その沈黙はさっきとは比べ物にならないほど重苦しくて、不意に泣きそうになるの。あたしはリョウのことが好きなのに、リョウもきっとあたしを好きでいてくれるのに、思ったように気持ちが通じなくて。
 そうしてしばらく歩き続けて、やがてリョウは再び神殿への坂道を登り始めたの。もう散歩は終わりにするみたい。さっき休憩した河原までたどり着いて、リョウは森の日陰に腰をかけた。
 あたしが隣に座ると、振り返らずにリョウは言った。
「守りの長老と話をさせてくれ」
 リョウの横顔に、さっきまではなかった決心のようなものが現われていた。ここまでの道程でリョウは何かの結論を出したみたい。
「どうして? ……何を話すの?」
「次に獣鬼が襲ってくるときには、俺も狩人と一緒に戦う。そのことを話したいんだ」
 あたしは、恐れていたことがとうとう現実になったことを知った。
「ダメ! お願い、リョウはもう戦わないで! リョウは戦っちゃダメなの!」
「俺は村の救世主なんだろ? あいつを倒せるのは俺だけだ。このままだと被害はどんどん大きくなる」
「ダメよ! だってリョウは一度死んだんだもん。またリョウが死んじゃったらあたしどうしたらいいのか……」
「だったらこれ以上無関係の村人が死んでもいいって言うのか? おまえだって見ただろう。俺は獣鬼の殺し方を知ってる。俺はこの村ではそれを知ってる唯一の人間なんだ」
 そう言うとリョウは、驚き戸惑ったあたしの目の前に、小さな何かを差し出したの。
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真・祈りの巫女219
「リョウがどうしてそんなこと言うのか判らないよ。たとえあたしを覚えてなくても、リョウはリョウだもん。あたしは今までのリョウだけを好きになったんじゃないよ。今のリョウも、これからのリョウも、全部のリョウを好きなの。だって、リョウは今までだってずっと変わり続けてたんだから。リョウがいろんな一面を見せてくれるたびにあたしは嬉しくて、知れば知るほど好きになっていったの」
「だけど、それは過去の俺がおまえの中にいるからだろ? 1人の人間が違った一面を見せるのと、まるっきりの別人になるのとじゃ違う。記憶がない俺はおまえが知ってるリョウにはなれないんだ。これからの俺は、死ぬ前までの俺とは別の人間になる」
 あたしは、リョウの言葉が理解できなかった。
 ううん、言葉は理解できるの。だけど、リョウがどうしてこんなことを言うのか、それが理解できないんだ。リョウはどうしてこんなことを言うの? リョウはいったい何を考えているの?
 あたしは知ってる。今のリョウは、死ぬ前までのリョウと同じだってこと。だって、さっきまで背中を向けて手を引いてくれてたのは、間違いなくあたしのリョウだったんだもん。たとえばタキだったらこんな感じにはならない。ランドでも同じことはしないよ。ほかの、あたしが知ってるどんな人だって、リョウとはぜんぜん違ってるんだ。今のリョウだけが、死ぬ前のリョウと同じなの。
 でも、今まであたしが見てきたこのリョウは、以前のリョウとは違うところもあった。同時にそれを思い出したからなのかもしれない。あたしはリョウに、死ぬ前のリョウと同じだって、自信を持って伝えることができなくなっていたんだ。リョウの言うことも間違ってないのかもしれないって思ったから。もしかしたらこのリョウは、以前のリョウとはぜんぜん違う人になっちゃうのかもしれない、って。
 リョウはあたしに何を言って欲しいの? そう思ってリョウを見上げたけど、内心のおびえを隠すように固く唇を結んだその表情を見ているだけでは、リョウが欲する言葉を読み取ることはできなかった。リョウが昔と変わっていないってことを言って欲しいの? それとも、リョウがこれからどんなに変わっても、あたしがリョウを好きなのは変わらないってこと?
 でも、今あたしがどんなに言葉を尽くしても、今のリョウには伝わらない気がしたんだ。リョウはあたしのことを本当には信じてくれていない。それを肌で感じてしまったから。
 リョウとあたしの間に、今まで存在したことがないほどの大きな壁を感じた。
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真・祈りの巫女218
 キスのあとのリョウは無言で、あたしを引き離して立ち上がったあと、あたしも立たせてくれて、そのまま左手であたしの右手を掴んで歩き始めた。振り返らないリョウの背中を見ながらあたしは、初めてリョウがキスしてくれた時のことを思い出したの。あたしがまだ14歳だったあの時、やっぱり無言で背中を向けていたリョウは、そのあと振り返って「自分に驚いてた」って言ったんだ。同じ雰囲気を持つリョウは、もしかしたらあの時と同じく、自分の行動に驚いてるのかもしれない。
 リョウは背中を向けていたけど、歩き方はゆっくりで、あたしに合わせてくれてる。気を遣ってくれてるのがすごくよく判ったの。だから、背を向けててもぜんぜん無視されているようじゃなくて、むしろ大切にされているって、あたしは嬉しかった。まるで心の底から突き上げてくるみたい。リョウのことが愛しいって、それだけで心の中がいっぱいになるの。
 リョウも今、同じ気持ちだよね。あたしの記憶なんかなくても、ちゃんとあたしを選んでくれたんだよね。だって、こんな気持ち、止められないんだもん。同じじゃなかったらキスなんかしてくれないよね。
 しばらくの間、沈黙したまま歩き続けていたリョウは、だんだん速度を緩めてやがて立ち止まった。
「……おまえ、本当に俺でいいのか……?」
 あたし、今までずっと幸せな気分でいたから、思いがけないリョウの低い声にすぐには反応できなかった。
「俺はおまえの婚約者だったリョウとは別人かもしれない。……それで、おまえはいいのか?」
「……どうして? リョウはあたしのリョウよ。さっきも説明したじゃない。リョウ、あたしの言うことが信じられないの?」
「俺が死んだリョウと同じ人間の可能性があるってことは判ってる。おまえが言うことは間違ってないし、俺自身もおまえの覚えてるリョウが自分かもしれないって思う。だけど、そのほかにも確かなことがある。……俺は、おまえと過ごした時間を覚えてないんだ。これから先、思い出を語り合うことができない恋人を、おまえは好きでいられるのか? 俺がおまえの記憶の中にいるリョウとぜんぜん違う行動を取ったとしたら、それを許すことができるのか?」
 もし、これからのリョウが、今までのリョウからは考えられない、ぜんぜん違うことをしたとしたら ――
 リョウの言うことは、今のあたしにはまるで想像もつかないことだった。
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真・祈りの巫女217
「……いや、怖い……やめて……嫌……」
「落ち着け。大丈夫だ。あいつは2度と動かないから」
「リョウ……影が……」
 リョウの胸にしがみついたまま、あたしは半泣きになりながら恐怖に震えていたの。自分が何を口走ってるのか、それより自分がなにか言葉を発していることすら、あたしの意識にはなかった。リョウがここにいるのに、あたしの震えは止まらなかったんだ。
 リョウの服を握り締めたあたしの手に手を重ねて、そのあとリョウはあたしを抱きしめた。突然のことであたしは驚いてしまって、うまく呼吸することができなくなってしまったの。リョウの匂いがする。リョウの汗の匂い。
「……悪かった。俺が死んで、おまえは傷ついてたんだよな。こんなにおまえが取り乱すと思ってなかった。ごめんな」
 間近に感じるリョウの気配。リョウの匂いと声が、次第にあたしを落ち着かせていった。いつしか身体の震えは止まって、でも、今度は恐怖ではない別の何かにドキドキし始めていたの。だって、リョウの腕は久しぶりだったんだもん。忘れそうだったリョウの感触を全身に感じて、あたしの胸は高鳴りを増していた。
 あたしがリョウの背中に腕を回すと、不意に驚いたようにリョウが腕の力を抜いた。顔を上げると、あたしを覗き込んでいる視線と合う。少し目を見開いて、ちょっと恥ずかしそうで、その表情はあたしがよく知っているリョウと同じだったの。
 心臓の音がリョウに聞こえちゃいそうだよ。少し目を伏せると、リョウの顔が近づいてくるのが判った。その一瞬あと、なにかに追い立てられたようなリョウのキス。少し強引で、不器用で、あたしは驚いたけど、でもすごく幸せだった。
 リョウ、大好き。たとえ記憶がなくて、あたしが知らない顔ばかりを見せてくれるリョウでも、あたしはリョウを好きでいることをやめたりできない。リョウ、あなたも、あたしのことを好きだって、思ってくれる? ランドが言ったように、あたしに惹かれる気持ちは変わってなかったって、そう信じていいの……?
 唇が離れて、目を開けると、リョウは少し不安そうな表情であたしを見つめていた。あたしの反応が気になるみたい。だからあたしは、自分が1番気に入っている笑顔で、リョウに微笑みかけたんだ。
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真・祈りの巫女216
 不意に気をそらした瞬間、あたしの両腕の間からリョウの腕が引き抜かれていた。ハッとしてそちらを見ると、リョウは既に駆け出していたんだ。
「リョウ! 行かないで! ダメーッ!」
「そこにいろ! 俺は同じ奴に2度も殺されたりしない」
「戻ってリョウ! いやあぁーー!!」
 それから、あたしはずっと訳の判らないことを叫び続けていたような気がする。1度あたしに声をかけたあとはもうリョウは1度も振り向こうとしないで、あたしから十分離れたあとは警戒しつつ、自らが獣鬼と呼んだ影に近づいていった。あたしは恐怖のあまりその場から動くことすらできなくて、ただリョウを引き止めたくて、ずっと叫んでいたの。でも、リョウの耳にはたぶん、あたしの叫びは届いていなかった。すぐ傍まで近づいていったリョウは、少し影を見上げたあと、影の死骸に手をかけてその身体に登り始めたんだ。
 あたしの驚きと恐怖は最高潮に達しようとしていた。だって、まさかリョウが影の死骸に登るなんて思ってなかったから。リョウの行動を止めたくて、でもあたしは影に近づくことだけはどうしてもできなかった。どうしたのか、いつの間にかリョウは影の甲羅の間に入り込んでいたの。そして、次の瞬間、凄まじい咆哮を上げて、影が目を覚ましたことがあたしにも判ったんだ。
「キャアアァァーーーーー!!」
 今まで1度も聞いたことのない影の咆哮は、少し雷が落ちた時の音に似ていたかもしれない。あたしの悲鳴は影の咆哮にかき消されてたぶんリョウには届いてなかった。もちろんこの影の目覚めにリョウが気づいてない訳ないよ。影の身体が震えていることが遠目でもはっきり判るんだから。でもどうしてリョウは逃げてくれないの?
 あまりの恐怖に、あたしはもしかしたら正気を失いかけていたのかもしれない。気がついたとき、あたしはその場に崩れ落ちて、リョウに両肩を揺すられていたの。いつしか影の咆哮は止んでいて、あたりはふだんの静けさに包まれていた。
「 ―― おい、大丈夫か? しっかりしろ! もうあいつは動かない」
 リョウの表情には焦りが見えて、あたしを心配してくれているのがはっきり判ったから、あたしは思わずリョウにしがみついていた。
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真・祈りの巫女215
「……先にタネを明かす奴があるか。ほんとに判らねえ女だな」
 そう言ってリョウが立ち上がったから、あたしはリョウの腕にぶら下がるようにして続いた。
「見るだけよ。だって、リョウは狩りの道具も持ってないし、病み上がりなんだもん。ゆっくり近づいて、もしも影が少しでも動く気配を見せたら、すぐに逃げるのよ。ぜったい戦っちゃダメなんだから」
 あたしが必死に訴えると、リョウは少し目を細めてあたしを見て、空いている方の手でちょっと頭をなでたの。ドキッと、あたしの胸が鳴る。だってその仕草は、記憶を失う前のリョウにそっくりだったから。
 リョウの腕にぶら下がったまま森を大きく迂回すると、やがて広い草原が顔を見せた。夏の盛りの今は草が長く生い茂っていて、あたしだと膝のあたりまで埋まってしまう。リョウが先に立って草をかき分けながら歩いて行くと、やがて遠くになにか大きなものが見えたんだ。黄色みを帯びた岩のように見えたそれは、近づくにつれてその歪な形をあらわしていく。複雑な直線を組み合わせて生み出される輪郭。まるで全身が凶器でできているかのようで、こんなに遠目でありながら、あたしは次第に恐怖に支配されていったの。
「まさか……ジューキ……?」
 そう呟いて思わず駆け出していきそうになったリョウをあたしは強引に引き止めた。
「リョウ! 待って! 今なんて言ったの? リョウはあれを知ってるの?」
 振り返ったリョウは信じられないような驚きに支配されていた。リョウの頭の中で何かが忙しく行き交うのが見つめていたあたしには判ったの。
「こんなところにあいつが……。……あれは獣鬼だ。俺はあいつを知ってる」
「獣鬼……? リョウ! あの影の名前は獣鬼というの?」
「……俺はあいつに殺されたのか……!」
 リョウはもうあたしの言葉なんか聞こえないみたいで、必死に引きとめようとするあたしの力にも気づいてないみたいだった。あたしは、記憶がないはずのリョウが影の名前を知っているかもしれない事実に、半ば呆然となりかけていた。
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真・祈りの巫女214
「リョウ! 待って!」
 しばらくの間、リョウはうしろも見ないで歩き続けていたのだけど、いつまで経ってもあたしの声が遠ざからないことに気がついたんだろう。ようやく立ち止まって、あたしが追いつくのを待ってくれた。
「はあ、やっと追いついた。……リョウ足速いよ」
「ついてくるなよ。影が怖いんだろ?」
「影よりもリョウがあたしの知らないところで死んじゃう方がよっぽど怖いよ」
 あたしはまだ膝がガクガクしてて、いつも以上に息も切れていたから、リョウも気を遣ってくれたみたい。あたしを木陰まで連れてきて少し休ませてくれたの。周囲を見回したけど、あいにく川はなくて、リョウも水は諦めて休んでいた。リョウはまだ疲れたようには見えなかったから、たぶんあたしに飲ませてくれるつもりだったんだ。
「影の死骸がある場所を教えてくれ。ここから遠いのか?」
 あたしはまた少しためらったけど、リョウに諦める気配はなかったから、しかたなしに答えていた。
「この森の向こう側よ。このまま森に沿って歩けば見えてくると思うわ」
「判った。……おまえ、ほんとにここで待ってろ。立ち入り禁止のところに入ったらおまえの立場も悪くなるんだろ? なにか問題になったら、俺が勝手に迷い込んだことにすればいい」
「そういう訳にはいかないもん。村の決まりは知らなかったで済まされるようなものじゃないんだから。……正直に言うわね。今、あたしとリョウが影に近づいたら、罰せられるのはあたし1人だけだわ。リョウはたぶん咎めを受けない」
 リョウは少し不思議そうにあたしを振り返った。あたしはそんなリョウの腕をしっかり掴んだの。ちょっとのことでは離れないように。
「守護の巫女はね、狩人と許可を受けた神官だけが影に近づくことを許したの。リョウは狩人だから、ほんとは近づいてもいいの。でも、1人で行くって言うなら、あたしこのままずっとこの手を放さないから。たとえ決まりに背いたって、リョウを1人でなんか行かせない」
 リョウはたぶん、今足を止めたことを後悔したんだと思う。少し目を伏せて、やがて大きな溜息をついた。
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真・祈りの巫女213
 リョウの言葉を聞いて、あたしの足は震えていた。頭の中が真っ白になってしまった。気がつくと、あたしはその場に座り込んで、両手を胸の前で揉み絞っていたの。
「おい、急に……」
「……ダメ。草原だけはダメ……」
「どうした。……震えてるのか?」
 リョウは膝をついてあたしの顔を覗き込もうとしてたみたい。でもあたしは自分のことで精一杯で、リョウの動向にまで気を配る余裕はなかった。……リョウを草原に連れて行きたくない。リョウは草原で影に殺されたの。草原に残ってる影の死骸は、もしかしたらまだ生きてるのかもしれない。もし万が一、リョウが影に近づいた時に生き返ったら、リョウはまた影に殺されちゃうよ!
 だって、影はあたしの命を狙ってるかもしれないんだ。あたしが近づけば、影は目を覚ますかもしれない。でもリョウ1人だけなんてぜったいに行かせられない。リョウがどんなに行きたいと言ったって、あたしはもうリョウを失いたくないの。
「ダメよ、リョウ。……草原は今、立ち入り禁止になってるの。誰も近づけないわ……」
「どうしてだ? 影は死んで、危険はないんだろう?」
「影のことは誰にも判らないの。あたしたちには死んでるように見えても、もしかしたら眠ってるだけかもしれない。それに、影はあたしを殺すのが目的なの。あたしが近づいたらそれだけで生き返るかもしれないわ」
「それならそれでどうとでもなる。……おまえは近づかない方がよさそうだな。俺1人なら逃げられても、おまえがいると足手まといになる。ここで待ってろ」
 場所も判らないのに、リョウは森に沿って西へ歩き始めたの。それは紛れもなく影がいる草原の方角だった
「リョウ! どこへ行くの? 草原の場所が判るの?」
「狭い村だ。適当に歩いてもいつか辿り着く」
 リョウは本気だ。理屈もなにもなくそれが判った。あたし、震える足を何とか立たせて、リョウの背中を追いかけた。
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真・祈りの巫女212
「え……?」
 そう言ったまま、あたしは少しの間絶句してしまった。だって、リョウが右の騎士のことを知ってるはずない。本人には知られちゃいけないことだったから、もちろんあたしは以前にも何も言わなかったし、タキが話したとは考えられないもの。
「……どうして? どうしてリョウが右の騎士のことを知ってるの? いったい誰に聞いたの?」
 リョウの答えが予想できなくて、怖くて、あたしは心臓がドキドキしてるのを感じたの。もしかしたらリョウは別人なのかもしれない。そう思ったら怖くて、でも、リョウの答えはあたしの想像を遥かに超えていたんだ。
「……俺はそんなことは言ってない。今初めて聞いた言葉だ。おまえ、なにか聞き違いでもしたんじゃないのか?」
「え? だって、今リョウが言ったんだよ。右の騎士、って。……あたしの聞き違いならほんとはなんて言ったの?」
「もう覚えてない。たぶんたいしたことじゃなかったんだろ」
 リョウはそう言うと、この話は終わりだとばかりに立ち上がった。いつの間にかあたしの手を掴むのはやめていて、あたしもそれ以上は何も訊けなかったんだ。……今のリョウの言葉、本当に聞き違いだったの? あたしが神託の巫女の予言を思い出したから、似ている言葉を「右の騎士」だと思ってしまったの?
 確かにリョウははっきりした口調で言わなかったから、聞き違いをする可能性はあるけど ――
「もう十分休憩したな。そろそろ村を案内してくれないか? ……俺の記憶が戻るかもしれないんだろ?」
 あたしは混乱してたけど、リョウはもう歩き始めていたから、再びリョウについて川辺をあとにしたんだ。
 坂を降りていくと、しばらくして視界が開けて、遠くに村が見え始める。最初に目に飛び込んでくるのはマーサの家。あたしは何も考えずにそちらへ向かおうとしたのだけど、その時ずっと黙ったままだったリョウが口を開いた。
「草原ていうのはどこにあるんだ? 村にあるって言ってたよな」
「……草原?」
「ああ、俺が死んだ草原だ。……影の死骸があるって言ったな。俺は俺を殺した影とやらの死骸を見てみたい」
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