2003年03月の記事


真・祈りの巫女131
「誰か……」
 神殿の石段を駆け降りながらそう言いかけたけど、大きな声を出すのはためらわれた。不意にリョウの存在を説明するのが困難だって気づいたから。だって、死んだ人は生き返ったりしない。少なくとも今までは、死んだあとに生き返った人なんかいない。神殿であったこと、ぜんぶ正直に話したとしても、話を聞いた人の中にはリョウが悪いものだって思う人がいるかもしれないんだ。
 それにあたし、禁忌に触れた。自分のことを祈っちゃいけないっていう戒めを破ったの。それによってあたしが罰を受けるのは仕方がないことだけど、せっかく生き返ったリョウにまで罪が及ぶようなことがあっちゃいけないよ。
 リョウのことはまだ隠しておかなきゃいけない。だけど、あたし1人じゃリョウを神殿から運び出すことも、怪我の治療をしてあげることもできない。誰か、信頼できる人には正直に打ち明けなきゃ。……タキ、タキならリョウを運ぶこともできる……?
「どうしたユーナ! なにかあったのか?」
 突然声をかけられて驚いた。振り返った視線の先には、本当ならここにいるはずのない人。あたしの肩を力強く掴んだのはランドだったんだ。
「ランド……。ランド助けて! お願い、何も言わないであたしを助けて!」
「……判った。助けてやるから説明しろ」
「ついてきて!」
 ランドはあたしの必死の表情になにか感じるものがあったんだろう。あたし、そのままランドを引っ張って石段を上がった。ランドなら信頼できるよ。だって、ランドはリョウの親友なんだもん。リョウにとって悪いことなんかぜったいにしないはずだから。
 神殿の扉を開ける瞬間、あたしは目を離していた間にリョウが消えていそうな気がして、少しだけ怖かった。でも、ようやく月が山の間から顔を出して、その明るさに照らされた神殿の床に、さっきと変わらない様子でリョウは横たわっていたの。その姿を目にしたランドは、もうあたしが導くのを待つことはしないで、自分からリョウに近づいていった。
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真・祈りの巫女130
 リョウの顔を見た瞬間にあたしを襲ったのは、自らの内から生まれてくる恐怖の感情だった。言葉にするなら、自分が何かとんでもないことをしてしまったかのような、取り返しのつかない失敗をした時のような、そんな恐怖。もう後戻りができない、今の時間をなかったことにはできないんだって、そんな恐怖。この先の未来がまったく予測できなくて、次の瞬間に自分がどう行動していいのかぜんぜん判らない、そんな恐怖。
 目を見開いたまま時を止めていた。そんなあたしの目の前で、リョウは小さくうめきながらかすかにまぶたを開いた。一瞬ろうそくの炎の眩しさに目を閉じて、再び細く目を開けたそのとき、リョウの唇が動いたの。
「ユ……ナ……」
 かすかな空気の流れが声を運んできたその瞬間、あたしの恐怖はまったく違う感情に変わったんだ。リョウが生きていることを信じられない驚きから、生きているリョウが目の前にいる喜びに!
「リョウ! ……リョウ!」
 戻ってきてくれた! ……本当に戻ってきてくれたんだ。やっぱり死んだなんて嘘だったんだよ! だって、リョウがあたしを残して死ぬはずなんかないんだから!
 あたし、思わずリョウを抱きしめてしまいそうになって、でも全身傷だらけで痛みにうめくその声を耳にして、リョウがこのままここに置いておいていい怪我ではないことを悟ったの。
「リョウ! しっかりして! 痛いの? いったいどこが痛いの?」
 まるで、さっき目を開けてあたしの名前を呼んだ、そのことこそが奇跡だったみたい。痛みにときどき身体を痙攣させて、苦痛に歪む額にあぶら汗をかいたリョウは、ふと目を離したら今にも息を引き取ってしまいそうに思えたの。
  ―― ダメ! 今度こそぜったいにリョウを死なせたりしない! あたしがリョウを死なせない!!
 目を離すのは怖かったけど、でも勇気を振り絞って、あたしは神殿から飛び出した。
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真・祈りの巫女129
 凍りつく空気の流れに足がすくんだ。自分が今なにをしていたのか必死に思い出そうとした。でもその時、まるで村中に響くかと思われるような、圧倒的な声があたしの頭を貫いたの。
  ―― おまえの願いをかなえる ――
 その声が聞こえた瞬間、いきなり闇が消えて、あたりは巨大な光に包まれた。
 あたし、両手で頭を抑えて悲鳴を上げたと思った。でもたぶん実際はわずかな声も出ていなかった。巨大な光のあまりの眩しさに目を閉じて、ほとんど驚きに支配された頭で思い出したの。あたし今祈りの途中だった。たとえ略式でも祈りの炎を灯して神様の前で祈った。リョウをあたしにかえして欲しいって、あたしは自分の願いを神様に祈っちゃったんだ。祈りの巫女の禁忌に触れちゃったんだ!
 でもそんなことを思ったのは一瞬で、驚愕にそのほとんどを覆い尽くされた頭の中のほんの片隅でのことだった。あれは神様の声? 神様の声を聞くのは初めてだった。そして神様は、あたしの願いをかなえる、って言ったんだ。
  ―― 目を閉じて、耳をふさいで震えていたあたしにも、次第に周囲の気配が元に戻りつつあることを感じることはできた。やがてほとんどの気配が去って、あたしが恐る恐る目を開けると、あたりは既に元の暗闇を取り戻していたの。身体は硬直してのろのろとしか動かなくて、でもようやく周囲をゆっくり見回すことができた時、あたしは今まで存在しなかったなにかの気配を背後に感じたんだ。同時に、その何かが立てたわずかな音と、小さなうめきも。
「リョウ!」
 神殿のほぼ中央に横たわるもの。あたしはそれに向かってそう叫んで、ほとんど這いずるような感じで駆け寄ったの。でもそれが何なのか、突然の光で眩んでしまったあたしの目では確かめることができなかった。周囲は月明かりもない真っ暗闇だったから、あたしはさっき消えてしまったろうそくを手探りで探して、祭壇の聖火を移して再び戻ってくる。胸の高鳴りを抑えることができなかった。横たわるそれが何なのか、確かめるその瞬間まで。
「リョウ……?」
 明かりを近づけて覗き込む。あたしの目に映ったのは、ボロボロになった服を身にまとった、身体にたくさんの傷を負った男の人。
 その人は、紛れもなく、あたしのリョウの顔をしていた。
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真・祈りの巫女128
 リョウ、今のあたし、すごく醜いだろうね。きっとリョウが好きでいてくれたユーナとは別人みたいだと思う。でもね、あたしはそれでもいいと思うの。だってあたしはもう誰にも愛される必要がないんだもん。リョウがいなくて、それでも生きていかなければならないあたしには、影を憎む以外に生きる道が見つからなかったんだもん。
 それでもね、リョウ。あたしはリョウが恋しい。リョウのことを好きだって、その純粋な想いだけで生きてた自分が愛しい。……きっと、愛しいと思う気持ちが強ければ強いほど、憎しみも強くなるんだね。心の空白が大きければ大きいほど、影を憎む気持ちも大きく育っていくんだ。
 ……リョウ、どうして? どうしてあなたがいないの?
 あたしのことを嫌いになったの? ……そんなはずないよね。あたしがリョウのことを好きなのと同じくらい、ううん、少なくともあたしの半分くらいは、リョウもあたしのことを好きでいてくれたよね。それなのに、どうしてリョウが死んじゃうの? どうしてあたしのところに帰ってきてくれないの……?
 リョウ、お願い、あたしのところに帰ってきてよ。だってあたし、リョウがいなかったらぜんぜんダメなんだもん。祈りの巫女にも、普通の女の子にも、なんにもなれないんだもん。このまんまじゃあたし、どんどん嫌な子になっちゃうよ。
 誰か、リョウをかえして。誰でもいいからリョウをかえして!

 リョウをあたしにかえしてよ!!

  ―― その時、不意に目の前のろうそくの火が消えた。
 あたしはハッとしてあたりを見回した。それまであたしは自分が神殿にいることすら忘れていて、だから少し驚きもあったのだけど、でもそれよりももっと奇妙な感じがあたしを捉えたの。なんだかいつもの神殿と違う。月はまだのぼっていなくて、ろうそくが消えて周囲は真っ暗になってたけど、でもそんなあたりまえの変化じゃない変化が神殿に起こっていたの。
 どこかで低いうなりが聞こえる。足元から凍りつくような冷たい空気が流れて、何か見えない気配が徐々に周囲を覆っていく。暗闇が次第に密度を増していく。
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真・祈りの巫女127
 影と和解することなんて考えもしなかった。でも、あたしは本当にそうすることができるの? リョウを殺して、父さまと母さまを殺して、オミに消えない傷を残した影と。
 あの、言葉で言い表せないほどの悪意と邪念を秘めた影の気配。あの影と意識を通じさせて、影の願いを聞くことなんか、あたしにできるの?
  ―― できない。あたしはぜったいに影を許すことなんかできない。
 だって、影はあたしのリョウを殺したの。あたしが、世界で1番大切に思ってた、あたしの世界そのものだったリョウを殺したの。リョウが死ぬ前だったら……ううん、それでもあたしは影を許せない。だって、影はあたしの大切な両親を殺して、大切なマイラを殺して、大切なライとオミをあんなに辛い目にあわせたんだもん。
 あたしの中に、大きな憎しみの心が育っていることに、あたしは気づいた。今まであたしは誰かを憎んだことなんかなかった。だから誰かを憎むことがどんなことかなんて、あたしは知らなかった。でもそれは紛れもなく憎しみの心だった。
 同時に気づいたの。どうやったらリョウがいない心の穴を埋めることができるのか、って答え。この空白を影への憎しみで埋めたらいいんだ。たくさん憎んで、その憎しみの力で影を倒すことができたら、あたしはきっとこの悲しみから立ち直ることができるよ。
  ―― だってリョウがいないんだから。あたしの心の中を愛情で満たしてくれていたリョウは、今はもういないの。この空っぽの心の中を満たしてくれるものって、リョウの愛情がなかったら、もう憎しみしかないよ。……影だけじゃない。あたしは自分自身だって憎まずにいられないんだ。
 今、判った。悲しみよりも憎しみの方が、人に力を与えてくれるんだ、ってこと。誰かを憎む心は重くて、苦しくて、すごく醜いけど、でも今あたしを生かしてくれるのは憎しみだけなんだ。今まではどうして人が憎しみを持つのか判らなかった。人の愛情から遠ざかって、孤独になって、それでも憎しみを捨てられない人がどうして存在するのか。
 愛情を失った空白を、憎しみは埋めてくれる。新しい生きる力をくれる。そして……やがてあたしも思うのだろう。この憎しみを失って、生きる意味を失うことこそが恐ろしいと。
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真・祈りの巫女126
 神殿の扉を入る頃には、あたしは宿舎に帰らなかった言い訳を考えることに成功していた。守護の巫女はあたしに「できるだけ祈りを捧げて欲しい」って言ってたんだもん。あたしは帰りたくなかったんじゃなくて、守護の巫女のいいつけを守ろうとしてたの。でも、祈るための道具を何も持たずにきてしまったから、それはすごく苦しい言い訳にしかならなかった。
 聖火を絶やさないためのろうそくだけは祭壇に常備してあったから、あたしは長いろうそくを1本だけ選んで火を移した。その前で膝をついて、祈りの姿勢をとる。何もかもが略式で、それでなくても今は気持ちが不安定だったから、あたしはなかなか祈りに集中することができなかった。
  ―― 影は、あたしを殺すためにこの村に現われた。それは祈りを捧げるあたしが、神様に寄り添うことで意識を広げて、それで感じることができた影の執念。影はなんて言ってただろう。そう、影は「祈りの巫女を殺せ、祈りの巫女を滅ぼせ」って言ったんだ。
 祈りの巫女、はあたしの名前だけど、厳密にはあたしだけの名前じゃない。今この村にいる祈りの巫女はあたし1人だったけど、過去には11人の祈りの巫女がいて、それぞれ別の名前をもってるんだ。影は「ユーナ」ではなくて、あくまで「祈りの巫女」と言ってた。「祈りの巫女が我らの世界を滅ぼす」って。
 不意にその考えに行き当たって慄然とした。もしかして、影は単にあたしを狙ってきたんじゃないのかもしれない。影はあたしを殺そうとしてるんだと思ってたけど、もしかしたらそれだけじゃなかったのかもしれないよ。だって、あたしが死んだって、何10年か何100年か先には、また新しい「祈りの巫女」がこの村から生まれてくるんだもん。
 それとも、あたしよりも前に生まれた11人の祈りの巫女のうち、影の世界を滅ぼした誰かがいたの? ……ううん、影は「我らの世界を滅ぼす」とは言ったけど「我らの世界を滅ぼした」とは言わなかった。それは過去に起こった出来事じゃなくて、現在起こっているか、あるいは未来でこれから起こる出来事なんだ。
 もしもそれが現在起こっていることで、知らない間にあたしが影の世界を滅ぼそうとしていたのなら、あたしが祈ることを止めれば影は襲ってこなくなるのかもしれない。もしもあたしが影と意識を通じさせることができて、影に「もう2度と祈らない」と約束すれば、この先誰も犠牲にならずに平和を取り戻すことができるかもしれない。
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真・祈りの巫女125
 目が覚めたとき、あたしは少し落ち着いていた。あたりは暗くなっていて、夕暮れよりも夜に近いみたい。いつもと違う目覚めに戸惑っているうちに思い出したの。ここがリョウの家で、あたしはとうとうリョウの夢を見ることができなかったんだ、って。
 夢にすらリョウは現われてくれない。まるで、早く忘れろって、もう思い出すなって言われてるみたいだよ。そんなことできるはずないのに。あんなにたくさんの未来を描いて、それがいきなり「もうリョウは死んだんだよ」って言われたって、あたしの中にあいた大きな穴をすぐに埋めることなんかできないよ。
 泣きながら眠ったからなのかな。身体を起こすと、ちょっとだけ頭が痛いことに気がついた。
 ここにずっといたら、またカーヤやタキを心配させちゃう。宿舎に帰らなきゃ。ベッドから降りて、リョウの家を出て、あたしはゆっくりとその坂道を上り始めた。足取りは重くてぜんぜん進まない。たぶんあたし、今は人に会うのがすごく怖いんだと思ったの。
 リョウが死んだこと、あたしはすごく悲しくて、苦しくて、傷ついてる。すごく混乱して、自分で自分が判らなくなってる。あたしも初めてのことだったし、あたしの回りにいる人たちだって、同じ体験をした人なんてほとんどいないんだ。だからみんな戸惑ってて、いったいどうやってあたしに接したらいいのか、判らなくなってるの。
 普段と違う振る舞いをするみんなが怖い。みんなの反応の予想がつかなくて、まるで知らない人に囲まれてるみたいで、それが怖いんだ。あたしのことを心配してくれるみんなの気持ちは嬉しいと思うし、心配させちゃいけないって思うけど、でも今はみんなのところに帰りたくないよ。こんなに暗くなるまで帰らなかったら心配させちゃうのは判ってる。でもあたし、できるだけその時を先に延ばしたくて、これ以上できないってくらいゆっくりと歩いていったの。
 それでも、着実に神殿への距離は縮まっていって、気がつくと森の出口はすぐそこだった。お日様はすっかり沈んでいて、月もまだ登っていない時間で、あたりはほとんど真っ暗闇に近い。かろうじて様子が判るのは、神官宿舎に灯りが入った部屋があるからだ。それもポツリポツリといくつかあるだけで、ほとんどの宿舎は寝静まっているのが判る。
 祈りの巫女宿舎はまだ灯りがついていた。カーヤはあたしのことを待ってるのかもしれないけど、あたしはまだ宿舎に帰る決心がつかなかった。もう少しだけ時間が欲しくて、あたしは神殿への石段を上り始めた。
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真・祈りの巫女124
  ―― リョウ、あなたはここにいるの?
 心の中でそう声をかけながら、あたしはリョウの気配に満ちた家の中を進んでいく。右手にベッドルーム。そう、このベッドで、あたしは初めてリョウにキスしたの。あの時のようにベッドの脇に膝をついて、そっと頬を寄せると、かすかにリョウの匂いがした。そのリョウの匂いを夢中で吸い込んだ。リョウのこと、もっとたくさん感じたくて。
 いつしかあたしはリョウのベッドにもぐりこんでいた。そうしていると、全身がリョウの匂いにくるまれて、まるでリョウに抱きしめられてるみたい。勝手に涙が出てきて、でも今は誰も見てないからそのまま放っておいたの。あふれて流れた涙は枕に吸われて、いくらも経たないうちに枕がぐっしょり濡れてしまった。
  ―― リョウの嘘つき。ずっと一緒にいるって、ぜったいどこへも行かないって、そう約束したのに。どうして独りで死んじゃうの? どうしてあたしを一緒に連れて行ってくれなかったの?
  ―― あたしを守ってくれるって言ってた。あたしの家族も守ってくれるって。リョウは、あたしの父さまと母さまを守れなかったから、死に急いでしまったの? それとも、あたしの結婚相手がリョウじゃないかもしれないって聞いて、ショックを受けてしまったの?
  ―― あたしがリョウと結婚したいと言ったその言葉を、あなたは疑ってしまったの……?
 リョウが傍にいるだけで幸せだった。離れていても、リョウがあたしのことを想ってくれてるって、そう思うだけで幸せだった。ずっと傍にいて、あたしが悩んでいる時は話を聞いてくれて、リョウが悩んでいる話を聞くことができたら。そうやって2人だけの時間を積み重ねていけるんだったら、それだけでよかったの。誕生の予言も、騎士の宿命も、そんなものどうだってよかったのに。
 リョウ、お願い助けてよ。あたしは今が1番リョウの助けを必要としてるの。苦しくて、苦しくて、どうすることもできないの。たくさん泣きなさいって、カーヤは言ったけど、泣いたってぜんぜん苦しくなくならないよ。
 泣いたら、リョウを忘れられる? どのくらい泣いたらリョウを忘れるの? ……忘れることなんかできないよ。今までリョウのことを好きだった10年間分泣いたって、リョウを忘れるなんてできない。
 せめて夢の中でも会いたい。そう、思ったのかそうでなかったのか、いつの間にかあたしはリョウのベッドで眠りについていた。
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真・祈りの巫女123
 誰にも話し掛けられたくなくて、あたしは長老宿舎を出たあとすぐに、神官宿舎の裏手に回りこんだ。そのままぼんやりと歩いていると、うしろからタキが追いかけてきたの。あたしは振り返ることすらしなかった。
「祈りの巫女、疲れたんじゃないのか? 少し宿舎で休んだ方がいいよ」
 すべてが煩わしくて、タキの心配そうな声を聞いているだけで苛々した。タキにはあたしの気持ちなんてぜったい判るはずないもん。いったい何に怒ったらいいのか判らないよ。リョウが死んだのはあたしのせいで、さびしくて悲しくて、本当はもう一瞬だって生きていたくないのに誰もあたしを死なせてすらくれない。
「祈りの巫女、宿舎へ帰ろう ―― 」
「放っておいて! あたしを1人にしてよ!」
 そのまま振り返らずに駆け出した。タキは驚いて立ち止まったみたいだったけど、今のあたしにはどうでもいいことだった。
 神官宿舎の裏手には、リョウの家に続く坂道がある。再び歩き始めたあたしは自然にその道を下っていったの。この道は、もともとあった細い獣道を、リョウが時間をかけて広げていったもの。ところどころにリョウの手が入っていて、リョウの気配に満ちていて、まるでリョウがいなくなったことが嘘のような気がする。
「リョウ」
 そう、声に出して呼びかけたら、木の陰からひょっこり顔を出してくれそう。あたしはリョウの姿を求めて、キョロキョロしながらやがてそこにたどり着いた。リョウの家。神殿のみんなが手伝って建てて、そのあと暇をみてはリョウが住みやすく改良していった、やがてはあたしも一緒に住むはずだった家。
  ―― 扉を入ると、リョウの家は何も変わらずそのままあった。
 このところ何日か帰ってなかったから、テーブルにはうっすらと埃が積もっていたけれど、それ以外何も変わってない。狩りに使う道具は壁にきちんと並べられていて、その多くはリョウが村へ行く時に持っていってたはずだから、もしかしたらランドがきれいに整備して戻してくれたのかな。横目で見て、あたしはリョウの名前を呼びながら、家の奥へと歩いていった。
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真・祈りの巫女122
 災いを運んできたのはあたし。もしもあたしが生まれなければ、そもそもあたしを殺すために現われたあの影だって、村にやってくることはなかっただろう。どうしてあたしは生まれてきたの? あたしが生まれなければ、村はずっと平和なままだったかもしれないのに。
「祈りの巫女、リョウのことも村のことも、あなたにはなんの責任もないわ。あなたが今どんなに辛いかは判るつもりよ。恋人を、家族を失って、希望まで失ってしまうのも判らないでもない。……お願い、祈りの巫女。自棄にだけはならないで。自分ひとりで影に殺されに行ったり、西の沼に飛び込んだりはぜったいにしないで。今、村に希望があるとしたら、あなたの存在だけなのだから」
 守護の巫女はいつも村のことを考えてる。ただ村のことだけを。彼女にとっては、リョウも数字なんだ。狩人が1人死んだ、ってそれだけ。……あたしもだ。ユーナじゃなくて、祈りの巫女っていう記号。
「……ごめんなさい。会議を続けて」
 あたしが席に座ると、少し心配そうな視線を向けながらも、守護の巫女は会議を再開した。
「とにかく、影に近づくのは私が許可を出した神官と、何人かの狩人だけにして、巫女と狩人以外の村の人は一切近づかないこと。幸いにして民家の近くじゃないから好んで近づく人はいないと思うけど、子供には注意するように村の人にはきつく言っておいてちょうだい。これから4日間は影の来襲はないけれど、もちろんこれで終わった訳ではないわ。みんなもゆっくりと身体を休めて、でも気は抜かないで欲しいの。それは村の人たちにも伝えておいて。……祈りの巫女」
 あたしが顔を上げると、守護の巫女はいたわるように微笑んだ。あたしは微笑み返すことができなかったけど。
「もし、ほんの少しでも気力が戻ってきたら、その時はできるだけ祈りを捧げてちょうだい。……たぶんそれはあなたにとっても救いになるはずよ」
 なんとかうなずくと、守護の巫女は視線を移して再び話し始める。
「聖櫃の巫女は少し残って、あとのみんなはひとまず身体を休めて、そのあとは日常の仕事に戻ってちょうだい。次の会議はまたその時に連絡するわ。……特に運命の巫女、ぜったい無理はしないで。今あなたに倒れられたらみんなが困るわ」
 中でも特に疲労の色を見せていた運命の巫女が苦笑いで答えて、会議は散会した。
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真・祈りの巫女121
 自分ではどうすることもできない苛立ちに、あたしは半泣きで立ち上がっていた。あたしを落ち着かせるように隣のタキが肩を叩く。でも身体の震えを抑えることはできなかった。運命の巫女は目を伏せてしまって、代わりに神託の巫女が引き継ぐ。
「あの時はリョウの未来も不確定だったのよ。祈りの巫女、判ってちょうだい。あなたやあなたの周りにいる人たちの未来はどんどん変わっているの。先代が行ったリョウの誕生の予言は、実際にリョウが歩んだ人生とはまったく違っていたわ」
「だったらリョウが生きている可能性もあったってことじゃない! それを教えてくれれば、リョウは生きてたかもしれないじゃない!」
「できなかったのよ。……もう言ってもいいわよね、守護の巫女、守りの長老」
 守護の巫女と守りの長老が哀しげにうなずくと、神託の巫女はゆっくりと言った。
「祈りの巫女、リョウはね、騎士だったのよ。祈りの巫女のために生まれてくる2人の騎士のうち、リョウは右の騎士だったの」
  ―― 時間が、止まったような気がした。
 2人の騎士は、祈りの巫女を守るために生まれてくる。でも歴代のすべての祈りの巫女にいる訳じゃなくて、1人だけのこともあるし、まったくいないこともある。祈りの巫女の近くにいる男性がほとんどで、多くの場合その運命は悲劇的なんだ。祈りの巫女を守って、祈りの巫女よりも先に死んでしまって、例外は2代目セーラの右の騎士だったジムただ1人だけ。あたしに騎士がいるってことは、以前守りの長老が教えてくれていたけど……。
「祈りの巫女が村の未来を担っているのと同じように、騎士も村の未来に多大な影響を与えているの。騎士の行動が村の未来を決めるのよ。だから、たとえ騎士が死ぬことが判っていたとしても、私たちはそれをどうすることもできなかった。……許してちょうだい祈りの巫女。私たちは、あなたが騎士の運命を変えてくれることを願うことしかできなかった ―― 」
 リョウ、あなたを殺したのは、あたしだ。
 あたしが祈りの巫女として生まれてしまったから、リョウが持っていた本当の運命を変えてしまった。リョウを騎士に仕立てて、リョウを死に追いやってしまった。あたしのリョウ。もしもあたしが祈りの巫女じゃなかったら、あたしはリョウとずっと一緒にいられたの?
 ううん、そもそもあたしが生まれたことがいけなかったんだ。あたしが村に災厄を運んで、リョウを殺してしまったんだ。
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真・祈りの巫女120
 未来が、あたしを必要としている? 今のあたしは祈りを神様に届けることすらできないのに。
「歴代の運命の巫女の物語を読んでいると、ときどき同じことが書いてあるわ。本来運命の巫女は、自分が生きている間の未来なら、おおよそ見ることができるのよ。でもたまに見えなくなるときがあって、それはほとんどの場合祈りの巫女や命の巫女が生きている時代なの。……あなたにも読ませてあげられるといい。そうすれば判るのに。本当の意味で村の未来を作っているのは、祈りの巫女と命の巫女なんだ、ってことが」
 運命の巫女は1度言葉を切って、続けた。
「村に危機が訪れて、でも今までは1度も村が滅びるようなことはなかったわ。運命の巫女は未来が見えなくて、ずいぶん辛い想いをしたものだけど、でもみんな、祈りの巫女が必ずなんとかしてくれるって希望を持ってたの。……あなたには辛いことかもしれない。でも、ここであなたが死んだら、おそらく間違いなく村は滅びるわ。今は祈りが届かなくても、祈りで未来を変える力があなたには必ずあるの。だからお願い、自分を信じて。私も少しでも未来を見てあなたの手助けができるようにするから」
 運命の巫女はそう言ってくれて、あたしはその気持ちが嬉しかった。でも、今は自分を信じることも、未来を信じることもできなかった。だって、リョウはもういないんだもん。これから先、どんなにあたしが頑張ったって、あたしにとっての未来はもうないんだから。
「運命の巫女、あなたはリョウが死ぬ未来も見えていたの?」
 あたしの言葉に、運命の巫女はさっと顔を曇らせた。
「……見えていなかった、といえば嘘になるわね。私にそれが見えたのは、3回目の影の襲来を予言したあの時だけど」
「だったらどうして教えてくれなかったの! だって、あの時なんでしょう? 2回目の災厄の前の会議で、みんながここに集まってた。誰も何もあたしに教えてくれなかった。父さまや母さまのことも、リョウのことも、みんな知ってたのにどうしてあたしに教えてくれなかったの!」
 あたしに何かを隠しているように、みんな無言で、守護の巫女だけが作り笑いで話してた。あの時に教えてくれてたら、あたしはぜったいにリョウを村へ帰したりしなかった。何か違う原因でリョウが死んだとしても、それならなおさら少しでも長い時間一緒にいたのに。
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真・祈りの巫女119
 これ以上、あたしが生きていても仕方がないよ。祈りは通じなくて、なのに影はあたしを狙ってくる。今のあたしは災厄を呼び寄せるエサ以外のなにものでもないもん。少しでも村の人の役に立つなら、影に殺されて死んだ方がいい。
 今のあたしにはもう何もないから。あたし、これ以上生きていても仕方がないから。
「守護の巫女、私も祈りの巫女の意見には賛成できないわ。祈りの巫女が影に殺されて、それでも災厄が収まらなかったら、それ以上打つ手がないもの」
 そう言ったのは運命の巫女だった。親友の言葉は、守護の巫女にも気力を与えたみたい。守護の巫女は運命の巫女を振り返った。
「今のところ未来はどのくらい見えているの?」
「4日先よ。その間、新たに影が現われる兆しはないわ。その先のことはまだ見えないけど……みんな、思い出して欲しいの。私たち巫女は最初の影が現われる前、おそらく何らかの形で異変を感じていたんじゃないかしら。私はあの夜はまったく眠れなかったわ」
 運命の巫女の言葉で、あたしもマイラが死ぬ前の日のことを思い出そうとした。……あの日、あたしはリョウとの結婚話がいよいよ現実になるって、そのことで興奮して眠れなかったんだ。でも、もしかしたらそうじゃなかったの? あたしはあの日、影の襲来を予感して、それで ――
「そういえば私もそうよ。村に子供が生まれるのはまだ1月も先の予定なのに、なんとなく予感がして、あの夜は家へは帰らずに宿舎に泊まることにしたの」
「私もだわ。夕方急に気分が悪くなって、宿舎に横になって……」
 神託の巫女と聖櫃の巫女が次々に言った。そうだ、あの朝、あたしは普段ならいるはずのない神託の巫女に起こされたの。いつもは村にある自分の家に帰ってしまうはずなのに。
「つまり、たとえ運命の巫女に未来が見えなくても、私たちはある程度危険を予感することができるのね。あの時は全員、その予感の意味が判らなかったけれど、今なら判る。これから先同じ予感を感じたら、すぐに私に知らせてちょうだい」
「祈りの巫女、私にはまだ未来がはっきりと見えないのよ。でもそれは、未来がまだ祈りの巫女を必要としている、って証でもあるの」
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真・祈りの巫女118
 災厄に祈りを捧げていた時神殿で見た光景を、あたしは守護の巫女に話し始めた。神様の意識に寄り添いながら、意識を拡大して、やがて影の意識を捉えたこと。その邪悪な意識が「祈りの巫女を殺せ。祈りの巫女の匂いを消せ」と繰り返していたこと。2度目の災厄の時の祈りで、あたしはその臭気にあてられたように気を失って、記憶をなくしてしまったこと。あたしの祈りがまったく影に通じなかったことと、影が言う「祈りの巫女の匂い」というのが、おそらくマイラや両親やリョウの存在だったんだってこと。
 影の目的は、祈りの巫女を滅ぼすこと。だから、あたしさえいなければ、影が村を襲うことはないんだ。もしも今南の草原にいる影の前に姿をあらわしたら、影はあたしを殺そうとするだろう。もしも影が死んでいなくて、ただ眠っているだけなのだとしたら、影はあたしの存在を感じて目を覚まして、あたしを殺して去っていくだろう。
「悪い賭けじゃないと思うわ。影が生きているかどうか確かめられるし、万が一生きていたとしても、あたしが死ねばもうこの村を襲うことはないもの。……死んでいれば安心して神託の巫女が近づくこともできるし」
「……祈りの巫女、あなた、それを本気で言っているの……?」
 あたしの言葉が終わった時、怒りを押し殺した声色で守護の巫女が言った。
「私に、あなた1人を犠牲にして……あなた1人だけを影の前に差し出せって、そう言ってるの? それをあなたは本気で言うの!」
 そう言ってテーブルを叩いた守護の巫女は、顔を真っ赤にしていた。握ったこぶしは震えていて、それでも怒りを昇華できないでいるのが判る。しばらくは誰もが圧倒されていたけれど、やがてテーブルの端の方にいた神官が声を出した。
「……それは本当なのか? つまり……影が祈りの巫女だけを狙ってるっていうのは。もしもそれが本当だとしたら……」
「黙りなさい! ほかのみんなもよ。このことは誰にも、たとえ家族であってもぜったいに言わないで。もしもそんな噂が村に広まったら、祈りの巫女が影の前に引き出されるか、西の森の沼に放り込まれるかもしれないわ!」
 あたしは守護の巫女の怒りに染まった顔をぼんやりと見上げながら、そういうこともあるんだ、って思ってた。確かに、あたしが西の沼に飛び込んだら、それも1つの解決方法かもしれない、って。
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真・祈りの巫女117
 その場が一気に緊張したことがあたしにも判った。びんびんに張り詰めた空気と視線があたし1人に集中している。その空気は恐ろしいくらいで、あたしはこのあいだ村の人たちに囲まれた時よりも更に鋭い恐怖に襲われたの。でも、あたしの心の中の苛立ちは、その恐怖だけではけっして萎えることはなかった。
「影は言ってたわ。祈りの巫女を殺せ。祈りの巫女の匂いを消せ、って」
 恐怖をねじ伏せてそう口にしたとき、あたしは自分がその恐怖に打ち勝ったことを知った。すっと、頭の中が澄んだようになって、物事のあるべき姿が見えたような気がしたの。その「感じ」はすぐに去ってしまったけれど、あたしの中に1つの答えを残していった。
 リョウが倒した1つの影。あたしがその影の前に姿を現わせば、確かめられることがある。もしも影が動かなければ、リョウが村のために精一杯戦って、立派に死んでいったことが証明できる。動ける影があたしを直接殺せるこのチャンスを逃すはずがないもの。影が本当に死んでいれば、リョウの死は無駄じゃなかったって、守護の巫女に胸を張って言うことができる。それに影が死んだことが判れば、村の人が持っている「影が生き返るかもしれない」という不安を消すことだってできるんだ。
 そして、もしも影が動いたら ――
 影が生きていることが判ったら、リョウの死が無駄だったことも立証されてしまう。だけど、その時はもう、あたしはここに生きている人じゃなくなるんだ。影はあたしに襲ってきて、間違いなくあたしを殺してしまうだろう。そして、あたしが死んでしまえば、影が村を襲う理由だってなくなるかもしれないんだ。
 あたしはリョウのところへ行ける。もう、リョウがいない世界に独り取り残されなくてもいいんだ。影はあたしを殺せばきっと満足してくれるよ。だって、影の目的はあたしを殺すことだけで、けっして村を破壊することじゃなかったんだから。
 あたしは、祈りの巫女の責任を放棄することなく、リョウと同じ世界に行くことができる ――
「……説明して、祈りの巫女。それはどういうことなの? 影があなたになにかのメッセージを残したの?」
 少し遅れて、ようやくその緊張状態から抜け出した守護の巫女が、あたしに訊いた。
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真・祈りの巫女116
 ある程度じっくり絵に見入っていた巫女と神官たちは、そのうち顔を上げて互いに目を見合わせてざわめき始めた。あたしも隣にいたタキに意見を求めるような視線を投げかけたけど、タキも困惑したように首を振るだけだった。いったいなんて言ったらいいんだろう。影は、動物というよりはむしろ昆虫のようで、でも昆虫より遥かに「人が作った何か」に似ていたから。
 それとも、大きいからそんな風に見えるだけなのかもしれない。例えばあたしたちがよく知っている小さな虫も、大きく拡大した絵を描いてみたら、ぜんぜん違ったものに見えるのかな。
 ざわめきが大きくなると、それを制するように守護の巫女が再び口を開いた。
「これは簡単なスケッチで色をつけてないのだけど、これを描いたセリの話だと、影は全体に黄色か、オレンジに近い色をしているそうよ。部分的には黒や銀色、あるいは透明なところもある。表面に光沢があるから、まるで昆虫を大きくしたようにも見えるって。……この絵は影を横から見た姿を描いているのだけど、見る角度によってまったく違う姿をしているらしいわ」
 そうか、セリもやっぱりこれを見て昆虫を連想したんだ。でも、この絵だけではとても名前を付けることなんてできそうにないよ。影をこの目で見てみたい。そう、あたしが口に出すよりも早く、神託の巫女が言った。
「守護の巫女、この影を直接見たいわ。私が見て触れれば何かが判るかもしれないもの」
 神託の巫女は生まれた子供に触れて、その子が持っている運命や宿命を予言する。それは別に子供に限った能力じゃないから、未知の生物に対してだって有効かもしれないんだ。ただ、死んだ生き物の予言をできるって話は聞いたことがなかったけど。
「それは無理よ。今この巨大な生き物は動かないけど、本当に死んだかどうか、私たちには確かめる術がない。もしも神託の巫女が近づいた途端に生き返りでもしたら、私たちはあなたを失うかもしれない。そんな危険なことは許可できないわ」
 あたしは驚いて守護の巫女を見た。守護の巫女は、影が死んだことを信じていないの? リョウが、自分の命と引き換えに、影を倒したのに。もしも影が生きていたら、リョウは無駄に死んだことになる ――
 あたしは自分でも抑えきれない苛立ちを感じて、知らず知らずのうちにそう口にしていた。
「あたしが影に会うわ! そうすれば生きてるかどうか確かめられる。 ―― 影は、あたしの命を狙って村にきたんだから」
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真・祈りの巫女115
 守りの長老宿舎へノックをして入ると、既に4人の巫女と担当になっている神官たちは集まっていた。会話の邪魔をしないように空いている席に腰掛ける。ひと通り顔を向けると、みんな一様に疲れた表情であたしを見返した。たぶんあたしも同じような顔をしてるんだろう。
 昨日の影の襲撃での被害状況を話し終えた守護の巫女は、最後に亡くなったのがリョウ1人だったことを付け加えて、あたしに言った。
「祈りの巫女、あなたには本当に気の毒なことだったわ。……死者の魂が安らかなる事を」
「……ええ、ありがとう」
 他のみんなも、次々にあたしに向かって哀悼の意を表してくれる。たぶんみんな、正直あたしに何を言ったらいいのか判らなかったんだろう。形式的な言葉を簡単に述べただけで、すぐに目を伏せてしまう。逆にあたしはみんなを心配させないように、必死になって顔を上げていた。
「狩人のリョウの働きで、影の1つを倒すことができたわ。南の草原に死骸があって、ようやく私たちは影の姿を見ることができたの。今朝早く神官の1人が簡単な絵を書いてきてくれたわ。……これが、村を襲った影の正体よ」
 守護の巫女が1枚の紙をテーブルの上に広げた。その絵を全員が覗き込む。この絵は、たぶん急いで書かれたようで、本当に簡単な線でしか書いてなかったのだけど……。
 影は、ものすごく奇妙な形をしていた。
 パッと見たとき、最初は紙のどちらが上なのかがよく判らなかった。よく見ると隣に大きさを測るための人型が書いてあって、高さだけでも人の1.5倍くらいはあったの。身体が全体に四角張った感じで、どちらが前なのかも判らないくらい。四角張った身体の上の方に少し飛び出したコブのようなものがあって、たぶん前だと思われる方には何か細長いものが縦についている。これが頭だとするとあんまりにも平たすぎるから、これはもしかしたら腕の一種なのかもしれないけど、だとしたら頭はどこなんだろう。……以前タキが言ってたことを思い出した。影は頭も尻尾もよく判らなくて、とにかく大きかったんだ、って。
 その絵を覗き込んでいたほかの巫女たちも、あまりに異様な姿に何も言えなくて、部屋の中はしんと静まり返っていた。
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真・祈りの巫女114
 リョウ、あたし、リョウが傍にいてくれればそれだけでよかったの。影なんか倒せなくたって、周りの人にひどいことを言われたって、最悪リョウと結婚できなくたってよかった。ただ、リョウが生きていてくれさえすればよかったよ。だって、リョウが死ぬことよりも辛いことなんて、あたしにはないんだから。
 リョウがいないのに、あたしはどうして村を守れるの? どうして村のために祈りを捧げることができるの? だって、村を守る意味なんてもうないよ。リョウがいない村を守ったってなんにもならないじゃない。
  ―― 最後の1口を食べ終わると、不思議にあたしの涙は止まっていた。
 顔を上げるとカーヤが見つめている。あたしは涙をぬぐって、そのまま無言で台所に顔を洗いに行った。巫女の会議に行かなきゃ。たぶんタキが宿舎の外で待ってるはずだもん。顔を洗い終えて、カーヤが差し出してくれた手ぬぐいて顔を拭いて、やっと少しだけ笑みを浮かべることができた。
「ごちそうさま、カーヤ。行ってくるわ。オミのことよろしくね」
「え、ええ。任せて」
 逆にカーヤは不安そうに返事をした。あたしはもうそのことは気にしないで、扉を出て、外に所在なく立っていたタキを驚かせた。
「待たせちゃってごめんなさい。もうみんな集まってるでしょう?」
「ああ、たぶんほとんど集まったと思うけど……大丈夫なの?」
 タキはあたしを心配してくれてるみたい。そういえば、さっき宿舎に帰ってきたとき、あたしはタキに別れの言葉も言わなかった。あの時タキはきっと、カーヤに頼まれてあたしを探しにきてくれてたんだ。あの時のこと、あたしはあんまり覚えてないけど、あたしが訳の判らないことを言ってたからずいぶん心配させちゃったよね。
「心配させてごめんなさい。でも大丈夫よ。あたしは祈りの巫女だもの」
 タキはちょっと不安そうな表情を返してきて、それはあたしの中でさっきのカーヤの顔と重なった。
 心配は要らないって、ちょっとタキに微笑んで、あたしは急ぎ足で長老宿舎へ向かったの。
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真・祈りの巫女113
 泣きながら、あたしは1口食事を口に入れて、泣いて、飲み込んだ。だからテーブルの上の食事をぜんぶ食べるのに、すごくたくさんの時間をかけなければならなかった。無言で食事するあたしを、カーヤはずっと見守ってくれていたの。食事の途中でタキがやってきたけど、カーヤが何か合図でもしたのか、宿舎の中へ入ってくることはなかった。
 食事が終わるまで、あたしは泣いていてもいい。食事が終わったらあたしはまた祈りの巫女に戻らなければならなかったけど、守護の巫女は食事が終わってから集まるようにって言ったんだもん。食事している間はあたしはただのユーナなんだ。そう、泣くのを許してもらっている気がして、ゆっくり1口ずつ食事を詰め込みながら、泣きながら、あたしはいろいろなことを考えていたの。
 カーヤ、あたしが今泣いている理由が、たぶんあなたには判らないね。でも、カーヤはいつもあたしのことを心配してくれる。あたしがいなくなれば必死で探してくれる。あたしの弟だから、オミを優しく世話してくれる。さっきは判らなかったけど、きっとカーヤはオミに頼んでくれたんだ。もしもあたしが帰ってきたら、できるだけ引き止めておいて欲しい、って。
 そして、訳も判らず泣いているあたしを見て、その時間を守ろうとしてくれる。迎えに来たタキを遠ざけて、あたしが泣くことを許してくれる。カーヤ、あなたは優しいね。だからあたし、あなたの料理で泣くことができたのかもしれない。
 オミ、苦しいよね。身体中が痛くて、目を閉じると父さまと母さまの死に様が浮かんで、いたたまれなくなるよね。それでも、あたしの傍にいるって言ってくれた。あたしのことを心配して、必死になって引き止めてくれた。……リョウのことを考えるとまた涙が出てくるよ。あの時はリョウのために泣くことができなかったのに。
 リョウ、あたしのことを好きだって言ってくれたリョウ。あたし、もしかしたらあなたの運命を変えちゃったのかもしれない。リョウは本当は、あたし以外の人と結婚するはずで、そうしていたらもっと長生きできたのかもしれない。あたしがリョウを好きになったから、リョウがあたしを好きになってくれたから、リョウの運命は変わってしまったの……?
 ……もしかしたら、リョウは父さまと話をして、自分があたしの結婚相手じゃないことを知って、ショックを受けたのかもしれない。たとえその時ショックじゃなかったとしても、少しでも認められようと焦って、影に向かっていったのかもしれない。
 間違いなくリョウは、あたしがリョウを好きになったから、こんなに早く命を落とすことになってしまったんだ。
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真・祈りの巫女112
「ユーナ、朝食にするんでしょう? 今スープを温めるわ。実はね、さっきそこで守護の巫女付きの神官に言われたの。会議を始めるから、名前のついた巫女は食事が終わったあと、守りの長老宿舎に集まるように、って」
 カーヤはあたしにそう話しながら、さりげなくあたしを食卓まで誘導していった。食卓のあたしの席には既に朝食が用意してある。さっき、自分でカーヤに頼んだはずなのに、今はぜんぜん食欲がない。並べられた食事がおいしそうに思えなかった。
「会議が始まるのね。……ごめんなさいカーヤ、せっかく作ってくれたけど、あたし今食べたくないの。会議まで時間もあんまりないみたいだから、これからすぐに行くわ」
「それはダメよユーナ。守護の巫女は「食事が終わってから」集まるように言ったんだから。遅刻するのはかまわないけど、食事を抜くのは許さないって、そう言ったそうよ。たぶんもうじきタキがくるけど、ユーナが食事を終えるまで、あたしは一歩もこの宿舎から出さないつもりでいるからね。諦めて食べるのよ」
 話しながらカーヤはスープを温め終えて、お皿をテーブルに並べてくれたの。胸が重苦しくてぜんぜん食べられる気がしなかったけど、あたしは食卓に座って、スープを口に運んだ。……ぜんぜん、食べられると思ってなかった。でも、程よく温められたスープを口に含んで、飲み込んだとき、あたしはそのスープをおいしいって感じたんだ。喉を通って身体の奥まで染み渡った1口のスープ。もっと欲しがっているようにお腹が鳴って、あたしはそれがすごく悲しかったの。
 あたしの身体が生きようとしている。リョウはもういなくて、祈りはぜんぜん通じなくて、未来に希望なんかひとかけらもないのに、あたしの身体はまだ生きてる。おいしいものを食べればおいしいって感じる。どうしてリョウがいないのにスープがおいしいの? あたし、そんな自分がものすごく悲しくて、知らず知らずのうちに涙を流していたの。
「ユーナ! ……どうしたの?」
「……おいしい」
 あたしはそれきり何も言えなくて、無言のまま泣き続けた。泣きながら、少し冷めた野菜炒めとリゾットを口に運んで。
「泣きなさい、ユーナ。……理由なんかなんでもいい。ムリヤリ理由を見つけてでいいから、できるだけたくさん泣くのよ」
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真・祈りの巫女111
 オミが話してくれたことを、あたしはきちんと考えることができなかった。どう考えていいのかが判らなかった。……たぶん、オミ自身が苦しかったんだ。だからオミは、自分の苦しみから逃れるために、あたしにこの話をしたの。でも今のあたしにはオミの言葉をきちんと受け止める準備ができてなかった。リョウが死んだ今、あたしはこの話をどう受け止めたらいいのか、ぜんぜん判らなかったの。
 オミ。あたしの弟。ずっと小さな頃から傍にいた、あたしの家族。今、あたしはあなたが煩わしい。父さまと母さまが影に殺されるところを間近で見て、心と身体に大きな傷を負って、死の恐怖の苦しみや身体の痛みと必死に戦っているあなたが。
 オミ、あなたが大好きよ。……でもあたしは独りぼっちだ。母さま、いつもみたいにあたしを助けて。あたしがこれからどうすればいいのか、誰かあたしに教えてよ ――
  ―― リョウ、苦しい……
「ユーナ……?」
 その時、宿舎の扉が開く音がして、間もなく部屋に飛び込んできた人がいた。カーヤだった。
「ユーナ! ……よかった……!」
 あたしはカーヤの言葉に反応することすらできなかった。ずっと椅子に腰掛けたままだったあたしの様子を注意深くうかがったあと、カーヤはオミに向き直ったみたい。
「オミ、無理なお願いをしてごめんなさい。本当にありがとう」
「いいよ。それよりユーナが……。オレ、余計な話をしすぎたかもしれない。様子がおかしい」
 カーヤがもう1度あたしを振り返った。あたし、またカーヤに心配かけてるよ。しっかりしなくちゃ。
「ユーナ……? どうしたの? 大丈夫?」
 あたしは椅子から立ち上がって、なんとか顔を上げることができた。
「大丈夫よカーヤ。……オミのことをお願い。また、めんどうをかけるけど」
 そのままオミの病室を出ようとした時、あたしはカーヤに呼び止められた。
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真・祈りの巫女110
「朝、出かける直前で、オレの支度が整うまで父さんは食卓で母さんと話してた。ちょうどマイラの訃報が届いたばかりで、母さんはオレたちが出かけたらすぐにマイラの家の様子を見に行くことにしてたんだ。そんな時リョウがきて、ほんのわずかの間だけだったけど、父さんと話をしていった」
 どうして突然オミがそんな話を始めたのか判らなかった。でも、あたしは自分のことで精一杯で、オミのことまで追及する気力がなくなっていた。なんとなくオミと話をするのが煩わしかった。胸が詰まったように苦しくて、重くて、今は何も考えたくない。
 これ以上、父さまやリョウのことを聞いてどうするの? 昨日までとは違うのに。あたしはもう、リョウにも父さまにも何もしてあげられないのに。
「オレも忙しかったから内容をちゃんと訊いた訳じゃないんだけど、たぶんリョウはユーナとの結婚を父さんがどう思ってるのか、訊きにきたんだと思う。その時オレには、父さんが言ってた一言だけが聞こえてきたんだ。『リョウ、君は神様が決めたユーナの結婚相手じゃないかもしれない』って」
 ……あたし、オミの言ってることがあんまりよく判らなかった。リョウは、あたしの結婚相手じゃない……?
「オレはその言葉が気になって、あとで仕事場に向かいながら父さんに聞いてみたんだ。その場では父さんは何も教えてくれなかったけど、作り置きの品物を神殿に届けた帰り道で少しだけ話してくれた。 ―― ユーナのような特別な運命を持った人は、神託の巫女が行う誕生の予言でもそれほど多くの未来は見えないんだって。ユーナが生まれたとき父さんたちが聞いた予言は『この子は祈りの巫女になる』って、ただ1つだけだったんだ。それと、ユーナの未来があまり見えないのと同じように、ユーナとかかわりの深い人の運命も正確には見えない。だから、リョウはユーナと結婚する可能性もあるけど、もしかしたら違うかもしれないって、父さんは言ってたんだ」
「……」
「でも、ユーナがリョウのことをあんなに好きなんだから、2人が結婚することが正しいんだろう、って。 ―― ユーナ、オレ、残酷なこと言ってるかな。でもオレ、ユーナにこのことを話さなきゃって、父さんが死んでからずっと思ってたんだ。せめてオレが死ぬ前にユーナに伝えておかなきゃって」
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真・祈りの巫女109
 父さまと母さまの棺に花を供えたこと。最後の祈りを捧げたこと。そのあとうしろにリョウが立っていたことを話し始めたとき、あたしは声を詰まらせてしまった。そんなあたしの様子をオミは察したようで、話の先を促すことはしなかった。
「ユーナ、オレ……、リョウが死んだなんて、信じられないよ」
 信じられない。それが、今のあたしにもいちばんぴったりくる言葉だった。リョウが死んだって、その現実だけはどうにか理解できたけど、でもぜんぜんリョウがどこにもいないだなんて思えないの。ふっと気を抜いたら、またあたしは思ってしまいそう。リョウは昨日までとまったく同じように、村で他の狩人と一緒に村の人々を守ってるんだ、って。
「昨日と逆になっちゃったけど、あの時ユーナがオレの傍にいてくれたように、オレもユーナの傍にいるよ。だから、悲しみを我慢なんかしなくていいよ。涙をぬぐってあげることはできないけど、ずっと傍にいてあげることはできるから」
 オミがそう言ってくれて、あたしはそんなオミの気遣いを嬉しく思ったけど、でもオミの前で泣くことはできなかった。それはここにいるのがオミだからじゃなくて、きっと誰の傍にいても、あたしは泣くことができないんだ。リョウが死んだのにあたしは泣けないの。普通、恋人を失った女の子は声を上げて泣き続けるよね。悲しくて、さびしくて、回りに誰がいたってそんなこと思いもしないで手放しで泣くのが普通だよ。
 あたし、冷たいの? リョウが死んで悲しくないの? ……判らない。自分が悲しいのかどうかすらあたしには判らない。リョウの亡骸にすがって声を上げて泣いている自分の幻が見える。……そうか、あたしはリョウの亡骸を見ていないから、幻の自分のようにリョウの死を受け止めることができないのかもしれない。
 自分の幻の中に引き込まれそうになったあたしは、再びオミの声で現実に引き戻された。
「ユーナ、オレが最後にリョウに会ったのは、あの時だよ。ほら、最初に現われた影がマイラを死なせて、ユーナが家にこられなくなった日」
「……リョウから聞いたわ。約束が守れなかったお詫びに行ってきたんだ、って」
「そんなに長い時間はいなかったんだけどね。オレは仕事に行く支度をしながら、父さんとリョウとの会話を少しだけ聞いていたんだ」
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真・祈りの巫女108
 例えばもし、あたしが影の前に立ちはだかって、この命を捧げたら、影たちは村を壊すのをやめてくれる?
 もしも影があたしを殺すだけで満足して、それ以上村に何もしないのなら、あたしは影に命をあげてもいいよ。だって、あたしの未来にはもう、リョウはいないんだもん。あたしがいちばん欲しかったリョウとの幸せな未来は、これから先どんなことをしたって手に入れることができないんだもん。
  ―― ユーナ
 不意に、声が聞こえた気がしたの。ドキッとしたのは、その声がまるであたしの考えを責めているように聞こえたから。あたしはキョロキョロあたりを見回して、それから精一杯耳を澄ました。
「ユーナ」
 それははっきりと現実味を帯びた声で、しかも壁の向こう側から聞こえてきたの。あたしはすぐに立ち上がって隣の部屋に行った。ずいぶんいつもの声と違ってしまったけど、それがまぎれもなくオミの声だって判ったから。
「オミ、どうしたの? なにか欲しいの? それともどこか痛むの?」
 オミの病室に入って、ベッドの顔を覗き込みながら、あたしはオミに声をかけた。オミのことを忘れてた訳じゃないけど、昨日は両親の葬儀から帰ってすぐに神殿に入ってしまって、部屋にたどり着く頃にはもう遅い時間だったから、あたしはまだオミに葬儀の様子を話してすらいなかったんだ。相変わらずオミは包帯だらけだったけど、少なくとも包帯は取り替えられていたし、顔色が昨日よりもずいぶんいいみたい。あたしがいない間、カーヤやローグがちゃんとオミの看病をしてくれていたんだ。
「何もいらない。さっきカーヤが水と薬をくれたから、痛くもない」
「そう、それはよかったわ。……カーヤはどこに行ったのかしら」
「ちょっとね。ユーナ、そこの椅子に座って。父さんと母さんの葬儀に行ってきたって。話を聞かせて」
「うん、献花と、最後の祈りを捧げてきたわ ―― 」
 言われた通りに椅子に腰掛けて、あたしはオミに葬儀の様子を話し始めた。
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真・祈りの巫女107
 この道、リョウと最後に登ったのはいつだったかな。そう、確かマイラとライに会いに行って、そのあと母さまに翌日のことを頼みに行ったとき、思いがけず父さまやオミに会うことができて、その帰り道だった。あの日はいつもよりも人の通りが多くて、あんまり落ち着いて話ができなかったんだ。まだあれからそんなに経ってないのに、ずいぶん昔のことだったような気がする。
 その、ほんの1日前だよ。リョウが具体的に結婚の話を進めるから、あたしの両親に会いたいって言ったのは。あたしすごく嬉しかった。それまでちょっとだけ不安に思ってたけど、でもこれからはもう何も心配することはないんだ、って。
 幸せな、すごく幸せなはずのあたしの未来。これから長い時間、ずっとリョウと一緒に築き上げるはずだった、あたしの未来。いったいあたしはどんな悪いことをしたの? まるであたしの未来を邪魔するように現われたあの影たち。あたしはあなたたちにどんなひどいことをしたっていうの……?
 歩いているうちに、いつしかあたしは自分の宿舎へとたどり着いてたみたい。無意識にノックをして、扉を開ける。テーブルには朝食の用意ができてたんだけど、なぜかカーヤはいなくて、あたしは台所を通り過ぎて自分の部屋に帰ったの。机の上には書きかけのままの日記が広げてあって、あたしはさっきこの日記を書いている途中で部屋を出ちゃったんだってことを思い出した。
 あたし、何やってるんだろう。日記は祈りの巫女の大切な仕事なのに、それを途中で放り出して。
 巫女の日記は、巫女が死んだあと神官が物語に起こしてくれる。あたしの日記はあたしが死んだあとに物語になって、ずっと未来の祈りの巫女が読んで勉強するんだ。でも……もしも村に未来がこなかったら、この災厄で村そのものが滅びちゃったら、今あたしが日記をつけることってなんの意味もないんだ。もしも、この村に未来がなかったとしたら ――
 ありえない話じゃないよ。だって、あたしの祈りはぜんぜん影に通じない。襲撃のたびに影の数は増えていて、3回の襲撃でやっとリョウが影を1体倒すことができただけ。それも、リョウが自分の命と引き換えに、やっと倒してくれたんだ。これから先もっと影が増えていったら、狩人にどれだけの犠牲が出るかなんて判らないよ。
 村は、滅びるかもしれない。歴代11人の祈りの巫女と、3人の命の巫女が、命をかけて守り通してきた村が。
 影に狙われたあたしは、リョウの未来だけじゃなく、村の未来すら奪ってしまうかもしれないんだ。
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真・祈りの巫女106
 知らず知らずのうちに、あたしは足を止めてしまっていた。
 この時、あたしは初めて、人が死ぬということを理解したのかもしれない。今までだって、あたしの周りにはたくさん、死んでしまった人がいたの。あたしが覚えている限りでは、最初に死んだのはシュウ。でも、シュウが死んだときにはあたしはたったの5歳だったし、すぐにシュウが生きていたこともすべて忘れてしまったから、12歳で再び思い出した時もそれほどの衝撃は受けなかった。
 マイラが死んだとき、あたしはリョウの胸でたくさん泣いた。マイラの幸せが失われたことが悲しかった。その悲しみは、あたしの悲しみじゃなかったんだ。マイラはさぞかし無念だっただろうって、そうマイラの心を察することで流れた涙だったの。
 両親の死を、あたしは拒否した。認めてしまえば自分の生まれてきた意味すら失ってしまうから。……あたしはリョウの死も拒否したかったのかもしれない。だって、リョウが死んだのは、間違いなくあたしのせいだったんだから。リョウは、村が襲われたあの時村にいた、唯一「あたしの匂い」がする人だったの。
 リョウは、もう、20歳にはならない。これから先のあたしの時間の中に、リョウはもう存在することができない。人が死ぬことの意味ってこういうことだったんだ。昨日、リョウの時間は永久に止まってしまって、だから未来をどんなに探しても、リョウを見つけることはできない ――
 今、どんなに必死になって探したって、あたしがリョウを見つけることはできないんだ。リョウは昨日よりも前の時間にしかいない。そして、今日を生き始めてしまったあたしには、もうぜったいにリョウを見つけることはできないんだ。
 あたしが1日生きると、昨日はおとといになる。あたしが生きれば生きただけ、リョウが遠くに行っちゃうの。あたしは昨日の時間にリョウを置いてきちゃったんだ。そして、リョウがあたしを追いかけてきてくれることは、永久にない。
 人が死ぬってこんなことだったの? あたしの、リョウに満たされていた心の中、そのすべてがいきなりもぎ取られてしまったみたい。今までリョウがいた場所、リョウと一緒に歩いた道も、この先リョウがいる場所になることはぜったいにないんだ。どこへ行っても、そこはリョウのいる場所じゃない。昨日リョウがいた場所にはなっても、今日リョウがいる場所にはならないんだ。
 タキの手を振り払って、あたしはふらふらと歩き始めた。タキはもう強引にあたしの手を捕まえることはしなかった。
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真・祈りの巫女105
 タキはずいぶん急いで山を降りてきたみたいで、少し息が弾んでいた。髪もずいぶん乱れてるから、もしかして寝起きのままなのかな。タキはいつも身なりをきちんと整えてる人だから、たまにそういう姿を見るとおかしいみたい。リョウなら髪に木の葉や小枝が絡まっててもなんとも思わないのに。
 絶句していたタキは、やがて呼吸を整えて、あたしの背中を押すようなしぐさをした。
「とにかく戻ろう。カーヤね、君が突然いなくなったって、血相変えてたよ。どうしてカーヤに何も言わないで出てきたんだい?」
 そうか、そうよね。あたしがいきなりいなくなっちゃったら、カーヤだって心配するよ。あたしはタキに従って山道を戻り始めた。
「ごめんなさい。……でもね、あたし、急にリョウに会いたくなったの。タキはリョウがどこにいるのか知ってるの? たぶん、実家かランドの家だと思うんだけど」
 タキはこの時、わざわざあたしの手を握り直して、そのまま強く手を引いて歩き出したの。まるで、もうぜったいに逃がさないぞ、って決意してるみたい。
「祈りの巫女、昨日ランドが言った言葉を覚えてる? ……リョウは、影の1つと刺し違えて死んだんだ。身体は影につぶされてバラバラになって、見てもリョウだと判らないくらいに変形してる。だから君に会わせることもできないんだ、って」
 覚えてる……よ。だけど、リョウは言ったんだもん。ずっとあたしの傍にいる、って。リョウがあたしとの約束破ったりするはずないよ。
「リョウは、あたしの傍からいなくなったりしないもん。だってあたしはリョウと結婚するのよ。リョウが20歳になったら結婚する約束をしたの。まだリョウは20歳になってないの。それなのに、リョウがあたしの前からいなくなる訳ない……」
「たとえどんな約束をしてたとしても、リョウが死んだのは事実なんだ。生きている人間は、自分がいつ死ぬかなんて判らない。人の寿命を決めるのは神様で、神託の巫女以外の人間がそれを知ることはできない。だから未来を約束することがあっても、それがどんなに信頼できる約束でも、守られないことだってあるんだ。……祈りの巫女、リョウはもう20歳にはならない。彼の人生は昨日で終わったんだ。オレも祈りの巫女も、彼が存在しない時間を生き始めてしまったんだよ」
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真・祈りの巫女104
 カーヤが朝食の支度をしている間、あたしは昨日書けなかった日記を書いていたの。一昨日の日記は真夜中の災厄がくる手前で終わっていたから、それからあとの2回の災厄について、あたしは記憶を辿った。……なんだかすごく昔のことみたい。父さまと母さまが死んで、まだ1日ちょっとしか経ってないのに。
 神殿で祈りを捧げたこと。あたしの祈りがぜんぜん通じなくて、影の声と臭気にあてられて気を失ったこと。両親の死と弟オミの負傷。翌日の村人たちとの確執と、午後から両親の葬儀でリョウに会ったこと ――
 そうだ、あたし、リョウに会いに行くんだ。
 誰か言ってたよね、リョウは村で眠ってる、って。もう誰だったか覚えてないけど、リョウが村で眠れるところっていったら、実家かランドの家だ。カーヤ、まだ朝早いって言ったけど、もしもリョウが眠ってたら目が覚めるまで待ってたっていいもん。婚約者なんだから、そのくらいのわがまま許してもらえるよね。
 あたしは部屋を出て、ちょうど炒め物をしていたカーヤのうしろを通って、宿舎の外に出た。カーヤが言ってた通りまだ巫女のほとんどは眠ってるみたいで、いつもなら誰かしら声をかけてくるのに、あたりには人っ子1人見あたらなかった。あたしはまだ少し頭痛がしていて、うっかりすると木の根に足を取られそうで、だから慎重に山道を降りていったの。リョウはまだ眠ってるかもしれないんだもん。少し時間がかかるくらいの方がちょうどいいかもしれない。
 そうして、かなり村近くまで下った時だった。不意に、あたしはうしろから腕をつかまれたの。
「祈りの巫女!」
 驚いて振り返ると、うしろにタキが青ざめた表情で立っていたんだ。
「タキ……どうしてここに?」
「オレのセリフだよ。祈りの巫女、いったいどうしたんだ? どこへ行こうとしてるんだ?」
「リョウに会いに行こうと思ってたの。……もしかして、もう巫女の会議が始まっちゃうの?」
 タキはあたしの答えに、しばらく言葉を失ってしまったみたいだった。
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真・祈りの巫女103
「ユーナ、どうして黙ってるの? しっかりして。あたしのこと判る?」
 カーヤがあたしの両肩を掴んでゆすぶったから、ようやくあたしはカーヤを見上げることができた。
「ええ、もちろん判るわ。カーヤでしょう?」
「……どうしてなの? リョウが死んだのにユーナ、どうして笑うの?」
 カーヤに訊かれて、でもあたし、自分がなぜ笑ってたのか、そもそも自分が今笑ってたことすら、自分で判らなくなっちゃってた。……そうだ、あたし、立ち上がろうとしてたんだ。顔を洗いたかったし、それに巫女の会議に出席にないといけないんだもん。
「カーヤ、あたしを台所まで連れて行ってくれる? 顔を洗いたいのになぜか立てないの」
「……ええ、判ったわ。あたしの肩につかまって」
 そうしてふらふらしながら台所まで行って、リョウがくれた髪飾りを直して落ちてこないように止めたあと、顔を洗ってやっと少しだけ落ち着くことができたんだ。
 カーヤが差し出してくれた手ぬぐいを使って顔を拭いて、心配そうに見守るカーヤに、あたしは微笑んで見せた。
「髪を直さなきゃ。昨日あのまま寝ちゃったから、ぐちゃぐちゃになってるでしょう?」
「……そうね。あたしも手伝ってあげるわ」
「ありがとう、カーヤ。……今、どのくらいの時刻? もう会議が始まっちゃう頃?」
 カーヤと一緒に再び部屋に戻って、鏡の前に座ると、カーヤはうしろからあたしの髪を梳ってくれた。
「まだそんな時間じゃないわ。早い人は宿舎で朝食を摂ってると思うけど、昨日までみんな働き詰めだったから、まだ寝てる巫女の方が多いくらい。会議にはタキが迎えにきてくれるから、心配は要らないわ。……ユーナ、もう少し寝ていてもいいのよ」
「いいわ。もう起きちゃったもの。それよりお腹がすいちゃったみたい。朝食の支度をしてくれる?」
 そういえばあたし、昨日は村に降りてすぐに祈りを始めちゃったから、夕食も食べてないんだ。カーヤはずいぶん心配そうにあたしを見ていたけど、あたしがそれほど落ち込んでないって判ったのか、髪が整うとすぐに朝食の支度を始めてくれた。
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真・祈りの巫女102
 なんだか頭が痛かった。目がかすんで、うまく身体のバランスが取れなくて、まるで現実にいるんじゃないみたい。頭の中がうまくまとまってくれないの。とにかく顔を洗いに行かなくちゃならなくて、そのために立ち上がらないといけないのに、風景に靄がかかったみたいで上手に立ち上がれないから、周りをちゃんと見るために顔を洗いたいの。でも、それってなんだかすごく変だよ。ちょっと面白くて、あたしは声を上げて笑った。
 もしかしたらあたし、半分おかしかったのかな。たぶんあたしの笑い声を聞きつけたんだろう。ゆかに座り込んだまま笑い続けていたあたしは、突然誰かに抱きしめられたの。笑うのをやめて、声を聞いて、それがカーヤだってことに気がついた。
「ユーナ……! お願いユーナ、しっかりして!」
 声は震えていて、あたしにはカーヤが泣いていることが判った。
「リョウは死んだのよ。あなたを残して死んじゃったの! ユーナ、お願い、リョウが死んだって認めて。リョウのために泣いてよ……」
 カーヤ、どうしてそんなことを言うんだろう。リョウが死んだって、あたしは昨日ランドに聞いたよ。それなのにどうしてカーヤは泣いてるの? ……そうか、カーヤ、リョウのことが好きだったもんね。カーヤが泣いててもあたりまえなんだ。
 あたし、ものすごく混乱してるみたい。リョウはどうして死んだんだろう。あたしの両親に結婚を許してもらうつもりでいて、でも両親が先に死んじゃったから、リョウは天国まで結婚の許しをもらいに行ったの? だったら、両親が許してくれたら、リョウはまたあたしのところに帰ってきてくれる?
 リョウを探しに行かなくちゃ。でもその前に顔を洗わないといけないわ。今はカーヤに抱きつかれて、ただでさえバランスが取れないのにますます立てなくなっちゃってる。やだ、なんだかすごくおかしいよ。もしもカーヤも立てなくなっちゃってたら、あたしたちずっとこの部屋でしゃがみこんでるしかないじゃない!
 そうだ、確か昨日ローグが言ってたんだ。今日は巫女の会議があるんだって。もちろんあたしも出席しないといけないわよね。だって、あたしはこの村にたった1人しかいない、祈りの巫女なんだもん。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、けっきょく何ひとつできないまま、あたしはカーヤの胸に顔をうずめていた。
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真・祈りの巫女101
  ―― 夢を、見ているんだと思うの。
 きっと目が覚めたら、あたしは3日前、マイラに会いに行く日の朝に戻ってる。ライと幸せな時間を過ごしているマイラの顔を見て、その足で母さまに会いに行って、いつものようにマティの酒場でリョウと待ち合わせて、神殿までの道をデートする。もちろん巫女たちの会議でも変わったことは何もなくて、神殿前広場にも避難所なんかないんだ。平凡で、優しくて、幸せな毎日がずっと続いていくの。
 リョウに会ったらあたしは言うんだ。ゆうべ、村が災厄に襲われて、リョウが死んじゃう夢を見たんだよ、って。リョウはいったいなんて答えるだろう。きっと、ちょっと怒ったように「どうしてオレが死ぬんだよ」って言って、そのあとあたしを抱き寄せながら「ユーナを残してオレが死ぬ訳ないだろう?」って言ってくれる。あたしに微笑みかけて、安心させてくれる。これは夢だから、父さまや母さまが死んだのも、リョウが死んだのもぜんぶ、本当のことじゃないんだよ、って。
 そして、その翌日にはリョウがあたしの両親に会うから、いよいよ結婚の話が現実になるんだ。14歳の時に気持ちを確かめ合って、15歳の時に婚約のしるしの髪飾りをもらった。あたしが16歳になって、リョウが20歳になるまでずっと待ってた結婚が、とうとう現実のことになるの。
 これは、悪夢だよね、リョウ。リョウはぜったいあたしを残して死んだりしないよね。
 だって、リョウは約束してくれたんだもん。オレはずっとユーナのそばにいる、って。これからもずっと、オレはユーナを守っていく、って ――
  ―― 目が覚めたとき、あたしは自分が涙を流していることに気がついた。夢を見ながら泣いてたみたい。あたし、そんなに悲しい夢を見てたのかな。こんなこと初めてだったから、あたしはちょっと驚いて、ベッドから身体を起こした。
 顔、洗わなくちゃ。そう思って立ち上がろうとしたら、なんだかうまく足に力が入らなかったの。ベッドの下に崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまって、その衝撃でふっと、昨日の夜のことを思い出したんだ。
 そう、ローグがいたの。あたしの肩を何度も優しく叩きながら、繰り返し「落ち着いて、祈りの巫女」って言ってた。不思議な香りのする飲み物を飲ませてくれた。あたしが、今は何もかもを忘れてゆっくり眠れるように、って。
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