真・祈りの巫女57
 もしも影の本当の名前が判れば、あたしの祈りが神様に通じる限り、影を追い払うことができる。例えば昔の文献にその姿と名前が記してあったとしたら、あたしはすぐにでも影を追い払う祈りができるんだ。でも、この村の人はたぶん、影を1度も見たことはない。だから影の本当の名前を知ることはできないんだ。
 だけど、たとえ本当の名前じゃなくても、みんなが一目見てふさわしいと思える名前なら、あたしの祈りは通じるかもしれないの。だって、どんな生き物だって最初は名前がないんだもん。人間だってそう。親は産まれた子供に新しい名前をつけて、周りの人たちが名前と子供の姿を一致させて、それで初めてその子はその名前を持った人間になるんだ。
「影の本当の名前か。……オレが姿を見ることができたら、書庫にある本をぜんぶ漁ってでも探すんだけど」
「本当の名前じゃなくてもいいの。ううん、本当の名前がいちばんいいのだけど、例えば村の人たちがそれを見て、ごく自然に呼び始めた名前とか。ただの影や、災厄や、適当な名前ではダメなの。その姿に近ければ近いほど、あたしの祈りは神様に届きやすくなるの」
 タキは腕を組んで考え込んでしまった。
「うーん、適当に名づけた名前じゃなくて、その影にいちばんふさわしい名前か。……とりあえず誰か1人でもちゃんと姿を見ないことには、どうにもなりそうにないな」
 影はまた今夜現われる。でも月明かりしかない夜では、昨日と同じように誰もはっきりとその姿を見ることはできないだろう。
「難しいのは判ってるわ。今すぐじゃなくてもいいの。もしも村の人たちが自然に影の名前を呼び始めたら、すぐにあたしに知らせて。それまでは名前のことは誰にも話さなくていいわ。……守護の巫女にも内緒にしておいて欲しいの。きっとこのことを知ったら、守護の巫女はあたしのために早く名前をつけようとしてしまうから」
 もしかしたらあたしは、このことをタキにも話すべきじゃなかったのかもしれない。一瞬だけそう思ったけれど、でもタキはあたしが言ったことをすごく正確に理解してくれたんだ。
「判ったよ。オレは誰にもそれを話さないで、もしも自然に出てきた名前があったら、その名前をいち早く祈りの巫女に知らせる。同時に、村の人が見た影の姿がどんなだったか、その情報を集める。それでいいんだね」