真・祈りの巫女35
 村が獣に襲われるのは、今までもまったくなかった訳じゃない。周囲の山の天候がおかしくなって、食べるものが減ってしまえば、肉食のリグの群れが村人を襲いに現われることもあった。2代目セーラの物語でも村は怪物に襲われた。でも、リグも怪物も、村人を食料にしようとして村に襲ってきていたんだ。
 夜明け前に現われた影は、家だけをつぶして、逃げる村人には関心を持たなかった。だから守護の巫女はこの影を獣と呼ばないんだ。この影はいったいどうして村を襲ったの? ただ家だけをつぶして歩く生き物なんて、あたしにはぜんぜん理解できないよ。
「現在のところ影がどこからやってきて、どこへ消えてしまったのか、まったく判ってはいないわ。狩人が足跡を辿っているけど、西の森の中ほどあたりで途切れてしまっていて、そこから先が見つからないの。影を見た人たちの証言はあいまいで、中には大きさが家の3倍もあったという人もいたけど、それは大げさにしても家をつぶすくらいだからかなりの大きさなのは間違いないわ。そんな大きな生き物が隠れる場所なんて西の森にはないし」
 狩人ときいて、あたしはリョウのことを思った。リョウは今ごろ何をしているんだろう。他の狩人と一緒に、影の正体を探るために頑張っているのかもしれない。
「ただ、これから先また襲ってくることも考えられるから、特に村の西側に住んでいる人たちは不安に思っているわ。今神殿前広場に避難所を作っているけど、村人全員を避難させることは無理だから、1棟完成したらせめて村の子供たちだけでも避難させようと思っているの。もちろん、神殿が必ずしも安全な場所だとは限らないのだけど」
 守護の巫女が言葉を切って、だいたいの説明が終わったことが判ったから、あたしはさっき思ったことを話してみることにしたんだ。
「守護の巫女、お願いがあるの」
 あたしが言うと、守護の巫女は少し驚いたように目を開いた。
「これから先、またその影が襲ってきて、家の下敷きになってしまう人がいるかもしれないわ。あたしがその人たちの無事を祈るためには、その人の名前が必要なの。極端な話、名前さえ判れば、その人の顔も性別や年齢や職業もあたしの祈りには関係がないくらいなのよ。その人がどういう状況にいるのかは判らなくてもいい。ただ、名前だけはあたしに伝えて欲しいの」