「梨園」
<<中国>>--西安--


梨園という言葉を、どこかで聞いた覚えのある方も居る事と思う。

日本では、歌舞伎界の家系図を示した言葉として知られている。

しかし元々は、唐の時代に、遣唐使が此処の華清池から持ち帰った言葉であり、此処が梨園のルーツの源なのである。

嘗て此処の周辺には、梨の畑が沢山有り、風流を愛する玄宗皇帝が、梨園と名付けたのである。

中国で唯一の女帝であった則天武后が他界した後、政略に長けた玄宗皇帝が即位し、唐の時代が最盛期を迎える。

その頃日本は奈良時代であり、中国の文化や仏教を日本に持ち帰るために、盛んに遣唐使を長安(現在の西安)に送り込んだ。

遣唐使の中には阿倍仲麻呂などが居り、その名前をご存知の方も多いことだろう。

中国の統治や政務に有能であった玄宗皇帝は、一方で芸能を愛し、此処梨園で自ら中国舞踊を教えたとされる。

そんな説明を受けながら、改めてこの建造物を見直したものである。

編集 maria : 素敵な建造物ね