「サン・ピエトロ大聖堂②」
世界のカトリック教会の最高指導者として此処サンピェトロ大聖堂で聖務をとったローマ教皇フランシスコ(88)が亡くなられた。

4世紀コンスタンティノス帝の命よって建てられたこの大聖堂は、カトリック教会の総本山てある。


私はここを訪れた時、数万人の信者を収容できる広場を経て聖堂の中に入った途端、右側の一角にミケランジェロが若き時代に制作した、死せるキリストを抱いたサンタマリア像(ピエタ像)の美しさに圧倒されたものである。


歴代教皇が教辞を垂れた場所は、大聖堂の二階の向かって右側の窓である。

5月8日未明、次期教皇を選出するコンクラーぺが、大聖堂の裏にあるシスティーナ礼拝堂で行なわれた結果、第267代教皇に、初めてアメリカ出身のレオ14世が選出された。


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「サン・ピエトロ大聖堂②」
世界のカトリック教会の最高指導者として此処サンピェトロ大聖堂で聖務をとったローマ教皇フランシスコ(88)が亡くなられた。


4世紀コンスタンティノス帝の命よって建てられたこの大聖堂は、カトリック教会の総本山てある。



私はここを訪れた時、数万人の信者を収容できる広場を経て聖堂の中に入った途端、右側の一角にミケランジェロが若き時代に制作した、死せるキリストを抱いたサンタマリア像(ピエタ像)の美しさに圧倒されたものである。



歴代教皇が教辞を垂れた場所は、大聖堂の二階の向かって右側の窓である。


5月8日未明、次期教皇を選出するコンクラーぺが、大聖堂の裏にあるシスティーナ礼拝堂で行なわれた結果、第267代教皇に、初めてアメリカ出身のレオ14世が選出された。



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サンピエトロ大聖堂
<<イタリア>>--ヴァチカン市国--


世界のカトリック教会の最高指導者として此処サンピェトロ大聖堂で聖務をとったローマ教皇フランシスコ(88)が亡くなられた。

4世紀コンスタンティノス帝の命よって建てられたこの大聖堂は、カトリック教会の総本山てある。


その巨大さは、下に散見できる人の姿と比較しても、如何に壮大であるかを見ることが出来るであろう。

私はここを訪れた時、数万人の信者を収容できる広場を経て聖堂の中に入った途端、右側の一角にミケランジェロが若き時代に制作した、死せるキリストを抱いたサンタマリア像(ピエタ像)の美しさに圧倒されたものである。


歴代教皇が教辞を垂れた場所は、大聖堂の二階の向かって右側の窓である。

5月8日未明、次期教皇を選出するコンクラーぺが、大聖堂の裏にあるシスティーナ礼拝堂で行なわれた結果、第267代教皇に、初めてアメリカ出身のレオ14世が選出された。


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未明のアンコールワット
ベトナム戦争の後発見されたこの遺跡、想像外の規模であった。
正面の山門を過ぎて500メートの参道の先にこの遺跡は有り、クメール王朝の世界観と、活躍ぶりが刻まれている。
私がカンボジアを訪れた時は、5月の連休明けであったが、正に当地は酷暑の時期であり、その暑さを避けて早朝に訪ねたのであるが、幸い飛行機もカンボジアの直行便であり、ホテルもアンコールワットに近く出来たばかりの一流ホテルであった。
この遺跡は、数あるカンボジアの遺跡寺院群の中では、代表格であり、エジプトのビラミット、インドのタージ・マハルに
匹敵する規模であった。
この遺跡の修復には、日本人の考古学者たちの活躍が多大であることを特筆したい。
私は当時この寺院の中央にある塔の、てっぺんに通じる45度の手摺の無い石段の登頂に挑戦し、無事上り詰めたことを忘れることが出来ない。
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日の出
2025年の新年、明けましておめでとうございます。

ルクソールの夜明け前の光景は、今までずっと新年に掲載していたが、日の出の光景は初めてだと思う。

今年は何事もなく、穏やかな新年の幕開けを願いつつ、スタートを切りたいものである。

昨年は新年早々国内外での天災人災が発生しだが、私的にも身体的に様々な不具合に見舞われ、入退院を繰り返す一年であった。
年齢的にも変調を来たす時期だったのかもしれないが、今年はそれらを念頭に置きつつ、穏やかに過ごしたいと思っている次第である。

ホームページも開設以来25年目を迎え、思い出中心の内容になると思うが。今年も宜しくご交誼の度を願う次第である。

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