戦後80年
沖縄南端にある平和祈念公園の最先端の光景。

この「平和の火」のモニュメントの先は断崖絶壁となっており、沖縄戦で追い詰められた島民が投身自殺をした場所として知られている。

1995年6月23日に開園されたこの公園には、20万余名の戦没者達の名前が此処の記念碑(平和の礎)に刻まれている。

今年は太平洋戦争終結から丁度戦後80年の節目に当たり、6月23日には平和祈念式典が此処で行われた。


終戦末期の東京大空襲の時を、東京荒川の防空壕の中で体験した私は、当時の凄惨な光景をありありと記憶しており、この時期になると、現在の戦後育ちの人々が毎日平和に暮らせる有難さを、しみじみと感じるのである。


今は多少不便になった足腰のリハビリに来てくれる理学療法士の若者や、家の様々な事を支援してくれる子供たちに、戦争体験を話して聞かせる日々を送っているのも事実である。


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「サン・ピエトロ大聖堂②」
世界のカトリック教会の最高指導者として此処サンピェトロ大聖堂で聖務をとったローマ教皇フランシスコ(88)が亡くなられた。

4世紀コンスタンティノス帝の命よって建てられたこの大聖堂は、カトリック教会の総本山てある。


私はここを訪れた時、数万人の信者を収容できる広場を経て聖堂の中に入った途端、右側の一角にミケランジェロが若き時代に制作した、死せるキリストを抱いたサンタマリア像(ピエタ像)の美しさに圧倒されたものである。


歴代教皇が教辞を垂れた場所は、大聖堂の二階の向かって右側の窓である。

5月8日未明、次期教皇を選出するコンクラーぺが、大聖堂の裏にあるシスティーナ礼拝堂で行なわれた結果、第267代教皇に、初めてアメリカ出身のレオ14世が選出された。


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「サン・ピエトロ大聖堂②」
世界のカトリック教会の最高指導者として此処サンピェトロ大聖堂で聖務をとったローマ教皇フランシスコ(88)が亡くなられた。


4世紀コンスタンティノス帝の命よって建てられたこの大聖堂は、カトリック教会の総本山てある。



私はここを訪れた時、数万人の信者を収容できる広場を経て聖堂の中に入った途端、右側の一角にミケランジェロが若き時代に制作した、死せるキリストを抱いたサンタマリア像(ピエタ像)の美しさに圧倒されたものである。



歴代教皇が教辞を垂れた場所は、大聖堂の二階の向かって右側の窓である。


5月8日未明、次期教皇を選出するコンクラーぺが、大聖堂の裏にあるシスティーナ礼拝堂で行なわれた結果、第267代教皇に、初めてアメリカ出身のレオ14世が選出された。



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サンピエトロ大聖堂
<<イタリア>>--ヴァチカン市国--


世界のカトリック教会の最高指導者として此処サンピェトロ大聖堂で聖務をとったローマ教皇フランシスコ(88)が亡くなられた。

4世紀コンスタンティノス帝の命よって建てられたこの大聖堂は、カトリック教会の総本山てある。


その巨大さは、下に散見できる人の姿と比較しても、如何に壮大であるかを見ることが出来るであろう。

私はここを訪れた時、数万人の信者を収容できる広場を経て聖堂の中に入った途端、右側の一角にミケランジェロが若き時代に制作した、死せるキリストを抱いたサンタマリア像(ピエタ像)の美しさに圧倒されたものである。


歴代教皇が教辞を垂れた場所は、大聖堂の二階の向かって右側の窓である。

5月8日未明、次期教皇を選出するコンクラーぺが、大聖堂の裏にあるシスティーナ礼拝堂で行なわれた結果、第267代教皇に、初めてアメリカ出身のレオ14世が選出された。


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未明のアンコールワット
ベトナム戦争の後発見されたこの遺跡、想像外の規模であった。
正面の山門を過ぎて500メートの参道の先にこの遺跡は有り、クメール王朝の世界観と、活躍ぶりが刻まれている。
私がカンボジアを訪れた時は、5月の連休明けであったが、正に当地は酷暑の時期であり、その暑さを避けて早朝に訪ねたのであるが、幸い飛行機もカンボジアの直行便であり、ホテルもアンコールワットに近く出来たばかりの一流ホテルであった。
この遺跡は、数あるカンボジアの遺跡寺院群の中では、代表格であり、エジプトのビラミット、インドのタージ・マハルに
匹敵する規模であった。
この遺跡の修復には、日本人の考古学者たちの活躍が多大であることを特筆したい。
私は当時この寺院の中央にある塔の、てっぺんに通じる45度の手摺の無い石段の登頂に挑戦し、無事上り詰めたことを忘れることが出来ない。
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