記憶・61
 オレは、ミオのたとえ話が面白くて、夢中になってイメージしていた。
「古い記憶を思い出そうとするとき、2通りの方法があって、1つは物干し竿、つまり時間よね、そのときの状況を思い出そうとして、洗濯ばさみが以前そこにぶら下がってた洗濯物を、山の中から探し出すの。そのときに洗濯物の山がひっくり返されるから、1つ思い出すとその頃の思い出が次々思い出せたりする。逆に、洗濯物が洗濯ばさみを探すこともあるわ。偶然に断片的な記憶を思い出して、物干し竿に当てはめるの。デジャヴュとか、どこかで見たことがあるけどなんだったかな、なんて感じで思い出すときが、こんなイメージなの」
「古い記憶ほど思い出せなくなるのは、洗濯物が上に積み重なってくるから?」
「そうね。あと、物干し竿が長くなって、現在のある位置から遠くなるからかしら。それに、たぶん物干し竿も洗濯ばさみも古くなって、干しづらくなるのよ。伊佐巳は知ってる? プラスチック製の洗濯ばさみって、ものすごく壊れやすいんだから」
 ミオはいつの間にか、記憶の話というよりも洗濯物の話を楽しみ始めているように、オレには思えた。そんなミオはなぜか妙に活き活きしていて、つられるようにオレもなんだか楽しくなってきていた。こんなに活き活きと話すミオは初めてだった。おそらくミオの日常にはいつでも洗濯という仕事があって、その仕事をミオはとても楽しんでいたのだろう。
 記憶と洗濯には共通点といえるものは何もなかった。だが、オレはミオのたとえ話で、ミオがイメージする記憶というものをすんなりと理解することができたのである。
「あたしが伊佐巳の記憶について思ったのは、伊佐巳の記憶喪失はこの物干し竿の方がうまく働かなくなっているのかな、ってことなの。伊佐巳の『現在』って感覚が、物干し竿のちょうど15歳のところにとどまってしまっているような気がするのよ」