あとがき5
 さて、今日もお読みくださっていた方から暖かいご感想をいただきましたので、メルマガ相互リンクでもおなじみの【石獣庭園】おとわさんのご感想を掲載させていただいて、一応の区切りとさせていただきたいと思います。


 おとわさん  【全文】

【石獣庭園】のおとわです。
祈りの巫女シリーズ第二部「続・祈りの巫女」完結、おめでとうございます。
それから、長期間の執筆お疲れ様でした。今は次回作へ向けての執筆に余念がない時期でしょうか?

全百話を改めて読み返したとき、前作「祈りの巫女」を読み終わったときと同じく胸に沁みる優しさを感じます。
相手を想うがゆえの空回りがもどかしいのですが、その裏側にはやはり優しさがあり、切ない祈りがあるように感じました。(ユーナちゃんは自分のことを祈ってはいけないのですが……)

私は女の視点で読んでいますので、どうしても主人公のユーナの側に立って物語を読んでしまいがちですが、この作品をリョウの立場で読むと、本当に苦しくてもどかしくて、リョウ自身が言ったように壁に頭を打ちつけて絶叫したい心境が判る気がします。
心が伝わっていないというのは、本当に切ないものですね。
本気の相手ほど心が判らなくなるというのは、人間誰しも行き当たる恋の壁だと思うのですが、端から見ていればまる判りのことが、本人たちにはまったく判っていないと箇所などは、読んでいるこちらがヤキモキさせられて、じれったいやら滑稽やらで、微笑ましく拝読しつつもジタバタさせていただきました。

自分はどうだっただろうかと考えたとき、私はユーナのように素直には行動できていなかったな、と思い出されることが多々あります。
素直さは主人公ユーナのもっとも優れた資質の一つでしょう。彼女の行動力の大元は、いつもこの素直さが絡んでいるようにも思います。
他者のために祈りを捧げるという行為は、人によってはひどく虚しさを感じることもあると思うのですね。私などは欲深い人間ですから、とても他人だけのために幸せを祈るなんてできません。自分も幸せになってナンボだ、と思ってしまうんですよ。
ユーナは自分が幸福であるのか不幸であるのかを考えるより先に、相手の幸せを祈っているのですよね。もちろん自分が幸福になりたいという想いはあるのですが、それ以上に周囲の人たちが幸せであれば自分も幸せだと思える彼女に逞しさを覚えます。
自分が幸せになりたいと思うことと同じように、周囲の人たちを幸せにしたいという感情がある限り、彼女は立派な巫女としてこれからも生きていけるのではないかという気がします。次回の第三部でどんな結末が待っていようと、彼女が自分で考えてとる行動ならば、決して不幸にはなるまいと。

前にも申し上げましたが、この物語にはユーナやその周囲の人たちの優しさが溢れ返っていると思うのです。
本当はこの巫女の村にも人々の色んな想いが詰まっていると思うのですが、優しさのフィルター越しに見る風景は本当に眩く輝いており、読み手のこちらもその優しさの中に身を置いているような気にさせられます。
今後の展開は、主人公のユーナが「祈りの巫女」本来の位置へと立ち返っていくことになるのでしょうが、彼女が持つ優しさや素直さ、逞しさで、これからの困難を払いのけていって欲しいと願っています。
彼女の乗り越えていく障害を、読者である私も一緒に乗り越えていけるのかと思うと、今からわくわくします。次回作、本当に楽しみにしております。
寒さが厳しくなっていく時期だけに、お身体ご自愛の上、執筆に励まれますよう、一読者としてお願いいたします。