時の双曲線・6
 秘術が成功した感慨にふける余裕はなかった。時は10年前の春に戻って、今オレの目の前で、ユーナが沼に嵌まって必死で助けを求めていたのだから。その手前に小さなオレがいて、ユーナに手を差し伸べている。だけどたった5歳の子供の腕が、沼に絡め取られた子供を引き上げることができるはずなんかなかった。
 術で過去に戻ったオレには幼いオレの焦りが感じられた。恐怖にこわばったまま必死に助けを求めるユーナが、何か邪な力によって沼に引きずり込まれていることも。このままじゃ同じことの繰り返しになる。オレは幼いオレの身体に同化して、心の中で話し掛けた。
(手を伸ばしてるだけじゃダメだ。何かユーナがつかまれる物を投げてやらなきゃ)
 同化した途端、オレの中に幼い自分の恐怖が流れ込んできて、過去の自分の恐怖がよみがえった。そうだ、オレはこの恐怖に負けたんだ。思わず足がすくんでしまいそうになる自分を奮い立たせて、幼いオレは森の木に絡まっていた蔓草をしっかり幹に縛り付けて、ユーナのところへ投げた。
「 ―― 大丈夫、頑張って、ユーナ。落ち着いて、ほら、この蔓草をしっかり掴んで」
 そう、ユーナに声をかけながら、幼いオレはしだいに落ち着きを取り戻していった。たぶんオレの心も幼いオレに伝わっていたんだと思う。ユーナをなんとしても助けなければ。そんなオレの必死の思いが、幼いオレを恐怖から解放したんだ。
 だけど、既に冷たい沼の水で冷え切ってしまったユーナの手は、蔓草をうまく掴むことができなかった。それにあの沼からの邪な力。そんなオレの考えを察したのだろう。おそらくオレが自分の中にいる理由も理解できないまま、幼いオレはオレに話し掛けてきた。
(沼で誰かがユーナを引っ張ってるの?)
 心の中でうなずいたオレに、幼いオレはなんの迷いもなく言ったんだ。
(だったらぼくが沼の中からユーナを押してあげればいいんだ)
 そんなことをすれば今度はオレが沼に引きずり込まれる。判っているのかとのオレの問いに、幼いオレはごくあたりまえのように微笑みながらうなずいた。